ただいまの時間

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廃線跡

2021年5月26日 (水)

豊橋鉄道赤岩口車庫入線イベント(日本専売公社小田原工場専用線)

4月24日に豊橋鉄道市内線の赤岩口車庫に入線できるイベントが開催されることになった。豊橋鉄道市内線で使用されている「パト電」と呼ばれるパトカー風塗装の運用が終了することに伴い、その撮影会が赤岩口車庫で行われるのだ。その際、パト電に乗ったまま車庫に入れるのだ。私はパト電には特段興味がないのだが、車庫に直通できるのであれば乗らない手はない。予約開始日に電話予約し、無事参加できることになったが、数日後には満席になった。集合は豊橋駅前電停9時となっている。豊橋まで直行してもいいのだが、私は小田急線車庫めぐりツアーの際知った日本専売公社小田原工場専用線の廃線跡を巡ってから豊橋に行こうと考えた。

 日本専売公社小田原工場専用線は小田急足柄駅と日本専売公社小田原工場を結ぶ1.0kmの線で、1950年に開業し、足柄駅から小田原駅を経由して原料・製品の搬出入を行っていたが、トラック輸送へのシフト、国鉄貨物取扱駅の集約などで1984年には運行を終了したのだが、その廃線跡が今でも残っているらしい。

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 小田急の始発で足柄駅に行き、新宿方の踏切を渡るとすぐに専用線の廃線跡が始まる。ここで折り返し運転をしていたので機回しできる幅になっている。

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 鉄道関連の設備だろうか。

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 小田急の車庫の隣から緩やかに分岐していく。

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 レールを利用した柵。奥の民家の塀も鉄道柵だった。

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 途中から遊歩道として整備され「久野(くの)緑の小径」という名前が付いている。

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 久野緑の小径の終端。奥の白い塀が日本専売公社小田原工場跡。現在は工場は取り壊され空き地になっている。

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 工場前のバス停は工場がなくなっても「日本たばこ前」となっていた。

 廃線から35年以上経過し、遺構らしきものはほとんどなかったが、それでも遊歩道を歩いていると廃線跡らしい雰囲気が漂っている。鉄道の廃線跡は細く長くつながっているので全く消え失せてしまうことは少ないのだ。

 

 

 

2021年2月22日 (月)

テツミチ

 

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 京王線調布駅付近は2012年に地下化されました。その地上部分が「テツミチ」として再生され、市民の憩いの場として利用されています。ここにかつて線路があったことをイメージできるように、レールも埋め込まれています。レール幅は京王線に合わせて1372㎜で設計されているのではないでしょうか。

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 本線とは別に相模原線方面へのレールも再現されています。街中のオアシスをぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

2020年11月11日 (水)

東横線廃線跡

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旧横ギャラリーの見学を終えて、そのすぐ近くにある東横線の廃線跡に行ってみました。このあたりが東横線桜木町駅があったあたりです。

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 東横線は2004年に横浜・桜木町間が廃止され、みなとみらい線に移行されましたが、廃線区間のごく一部が遊歩道として整備されています。 

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 こちらがその部分。かつて跨道橋があったところでしょうか。鉄道橋にしてはかなり華奢な感じで、アーチ部分は後から取り付けたのでしょうか。

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 道路を跨ぐ部分が終わると未整備の廃線跡が続きます。この部分も将来は遊歩道などになるのでしょうか。予算の都合なのか進捗は乏しいように感じます。 

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 未整備の廃線跡の高架下を歩いてみます。狭い歩道に自転車も通るので快適ではありませんが、都会の真ん中に残る廃線跡なので、お近くに来た時には足を運んでみてはどうでしょうか。

2020年6月15日 (月)

ポッポみち

Img_3959  かつて国立駅から鉄道総研に通じる線路がありました。試験車両の出し入れなどに使用されたと思われますが、中央線の高架化に伴い、線路は途切れ、廃線跡がポッポみちとして残りました。

Img_3961 距離は100mちょっとですが、レールなどが設置されていて、廃線跡であることを物語っています。

Img_3971  ポッポみちが終わると鉄道総研の敷地に入ります。ここにはまだレールやバラストがまだ残っていました。かつては敷地内には小判形で一周する線路があったのですが、今はどうなっているか分かりません。

Img_3975  総研の正門の反対側には国分寺市のひかりプラザという施設があり、その一角に0系新幹線が静態保存されています。新幹線の開発が国鉄時代に総研で行われていたのです。その関係でここの町名は光町と改称されました。

 都内で簡単にたどれる廃線跡です。皆様も一度訪れてみてはいかかでしょうか。

2020年3月11日 (水)

京王御陵線橋脚跡

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 かつて京王線には北野駅と多摩御陵前駅とを結ぶ御陵線という路線がありました。大正天皇が埋葬されている多摩御陵までの連絡手段として1931年に開業しました。しかし、太平洋戦争の戦局悪化に伴い不急不要路線として1945年に廃止になりました。御陵線のような皇室に関する路線も不急不要路線として廃止されるほど戦局は悪化していたようです。

 この道路は今の高尾線山田駅から北西に進む道路で、御陵線の廃線跡を拡幅した道路です。 

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 御陵線はその後、南浅川を鉄橋で渡ります。その先は高架になっていたようです。今は住宅地となっていますが、廃線跡に橋脚が2本残っています。廃線から75年を経ても、ここだけは取り壊されることもなく残っています。

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 現在この橋脚は誰の所有になっているのか分かりませんが、現在は隣地との境の巨大な壁となっています。

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 取り壊すにも撤去費用が掛かるので、そのままになっているのでしょうか。戦死した夫の帰りを待つ戦争未亡人のようでもあります。

2020年1月25日 (土)

都電軌道敷跡現わる

9bpknxjktfygh47nw2mg  御茶ノ水駅近くの御茶ノ水橋上で都電の廃線跡が出現しました。道路改修工事のため掘り返した路面に敷石とレールが約50mほどの距離で現れています。敷石やレールは廃止とともに撤去されてしまうものと思っていましたが、そうでもないようです。工事期間の一時的なものと思われますので興味ある方はお早めに。

2019年12月 6日 (金)

日本セメント東松山専用線

 東武東上線高坂駅からかつて貨物線が延びていました。高本駅までの5.5kmで、日本セメント東松山専用線と呼ばれていました。その廃線跡を東松山市が「まなびのみち」として整備し、一部区間が歩けるようになっています。

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 駅の西口から線路に沿って歩いていきます。案内板が現れ、東上線から緩やかに離れていきます。

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 途中で遊歩道が途切れますが、そこをまっすぐ進むと関越自動車道になります。かつては関越自動車道をまたぐ形で線路がありました。関越の高坂SA付近でこの線路を見たことがある人も多いと思います。

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 橋は撤去されましたが、橋台は残っていました。

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 関越自動車道を越えてさらに進んでいきます。

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 ここが遊歩道の終点です。途中で鉄道の遺構らしきものがまったく見られないのですが、廃線跡の雰囲気は十分感じられる遊歩道でした。

2019年9月18日 (水)

2019年北海道鉄道遺産めぐりの旅(三菱鉱業美唄鉄道)

  三井芦別鉄道の保存車両を見学した後、今度は三菱鉱業美唄鉄道の保存車両を見に行った。芦別からは1時間半ほどかかる。今回の旅行では毎日天候に恵まれたが、美唄に向かう途中で集中豪雨に見舞われた。ワイパーをハイスピードにしても追いつかない降りだった。スマホで雨雲を動きを調べるとかなり局地的な雨で、すぐに止んだ。

  三菱鉱業美唄鉄道は函館本線の美唄駅から常盤台駅までの10.6kmを結ぶ鉄道で、1914年に開業し、旅客と貨物の営業を行っていたが美唄炭鉱の閉山に伴い1972年に廃止された。

Img_3715_r   同鉄道の清明駅が保存されている。廃線から50年近く経つとは思えないほどキレイな状態が保たれている駅舎だ。

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  駅舎裏手にはSLが静態保存されているがこれも状態がいい。

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 ドイツから輸入された車両をモデルに作られ、質実剛健といった感じだ。

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 ホーム跡もかろうじて残っていて、廃線跡はサイクリングロードになっている。

 

2019年9月17日 (火)

2019年北海道鉄道遺産めぐりの旅(三井芦別鉄道)

   三菱石炭鉱業の見学を終えて、今度は三井芦別鉄道の保存車両を見に行った。夕張からは1時間半ほどかかる。先ほど手に入れた廃線マップでは道路沿いに三菱石炭鉱業の廃線や廃駅があるようだったが、車窓からは確認することができなかった。 

 三井芦別鉄道は1940年に開業し、根室本線芦別駅から頼城駅まで9.1kmを結び、旅客と貨物の営業を行っていたが、1972年に旅客営業が、1989年には貨物営業が終了した。 

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 まずこちらが緑泉(ろくせん)駅跡。廃線後長らく民家として利用されていたが、現在は誰も住んでいないようだ。 

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   こちらが三井芦別鉄道の保存車両。一般に鉄道の保存車両は公園や広場などスペースのあるところに設置されているのだが、ここは炭山川に架かる鉄橋上にある。こんな展示のされ方は見たことがない。鉄橋上にあるのですぐ近くまで寄って見ることができない。並行する道路から撮影した。 

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 樹木が生い茂ってよく見えないがディーゼル機関車の後部にはセキ(石炭用貨車)が連結されている。冬季には車両を鉄橋から移動させるようだ。廃線から40年以上経過しているが、鉄橋ともども展示に耐えられる状態で、メンテナンスに相当な労力が要すると察せられ、いつまでこの展示方法が継続するかは心配だ。 

   なおこの展示をドローンで撮影した人がいるので合わせてお楽しみください。

2019年9月16日 (月)

2019年北海道鉄道遺産めぐりの旅(三菱石炭鉱業大夕張鉄道線)

Img_3670_r  今日がとうとう北海道最終日になってしまった。北海道で5泊もしたのだが、長いようであっという間に終わってしまった。

  ホテルマウントレースイを出て、まず向かったのが三菱石炭鉱業南大夕張駅だ。三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は1911年の開業で、夕張線の清水沢から大夕張炭山までの17.2kmを結んでいたが、1973年に南大夕張・大夕張炭山間が廃止された。私が乗ったのは廃線を免れた清水沢・大夕張間7.6kmで1985年3月に乗車した。冬の時期なので客車列車ではダルマストーブが燃えていた。

Img_3673_r   その後1987年に廃止され、現在は大夕張鉄道保存会の手により機関車や客車の静態保存がされている。車体にはしっかりと三菱のマークが残っている。

Img_3685_r   保存客車は2両あり、中に入れるようになっている。木製の床にボックスシートで、私が乗った車両に違いない。

Img_3689_r    車内にはかつての車両の写真や同鉄道の歴史などが展示されている。また、夕張廃線マップというパンフレットも置いてあり、もらってきた。

   廃線マップによれば夕張にはこの三菱石炭鉱業、今年廃線になった夕張支線、夕張鉄道などの他にも森林鉄道や北炭の貨物線用鉄道などもあり、時間をかければいろいろな廃線を楽しめそうだ。

Img_3679_r    鉄道車両のほかにバスも1台展示されていた。保存車両は野ざらしだが、その割りに保存状態は悪くなく、30年以上も経過して、この状態を保っているのは関係者の努力のたまものだ。

 私がここに着いたときには既に先客が1名いたし、私が見学している間に神戸ナンバーのセルシオの旅行者が来たので意外と人気スポットのようだ。

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