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廃線跡

2024年4月 3日 (水)

枇杷島分岐乗車体験の旅(モノレール遺構)

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新鵜沼駅に戻り、ツアーは解散となった。このまままっすぐ帰ってもいいのだが、帰り道で寄っておきたいところがある。こちらは犬山遊園駅ホーム上にあるモンキーパークモノレール線の橋脚。この駅と動物園駅間1.2kmを結んでいたが2008年に廃止された。橋脚はしっかり造られているので撤去されずに現在も残ったままだ。

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犬山遊園駅のモノレール乗り場は上り線のホームの上にあった。こちらは当時の写真。食堂、売店もあったようだが、現在は無人駅になっている。

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続いて向かったのが桃花台新交通システム、通称ピーチライナーの廃線跡だ。ピーチライナーは小牧駅・桃花台東駅間7.4kmを結ぶ新交通システムで1991年に開業したが、想定ほど旅客が増えず2006年には廃止になった短命の交通機関である。

犬山で小牧線に乗り換え、小牧原駅では左手から廃止となった高架橋が近づいてきた。ピーチライナーは基本的に高架で運行されていたが、高架橋の撤去には莫大な費用がかかるので大半はそのままになっている。

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このまま放置していると老朽化で崩落する危険もあるので順次撤去が始まっているようだ。

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こちらは小牧駅東方にあるループ線。ピーチライナーは終点ではループ線を通ることにより方向転換していたので、その名残りである。

モンキーパーク線もピーチライナーもそれぞれの役目を終えて廃止となったが、方や半世紀近く運行され、方やわずか10数年しか運行されない違いは何なのだろうか。

小牧駅から小牧線を進んで、平安通、栄と乗り換え、名古屋から新幹線で帰宅した。

今回の旅では枇杷島分岐完乗を果たせて満足だったが、名鉄の小出しツアーはなんとかならないだろうかという思いもある。

2024年3月30日 (土)

枇杷島分岐乗車体験の旅(鵜沼連絡線)

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新鵜沼駅に着いたが、集合時刻まではまだ時間があるので、かつての鵜沼連絡線跡を歩いてみた。名鉄新鵜沼駅とJR鵜沼駅を結ぶもので、名鉄特急北アルプス号がここを通っていた。この連絡線は新鵜沼駅の手前で名鉄から分岐し、鵜沼駅の先でJR線に合流していた。78

廃線跡に明確な遺構はないが、緩やかな道路のカーブがここが鉄道線であったことを感じさせる。線路跡に沿って新しい住宅が多いから廃線後、整地され分譲されたのだろう。

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JRとの合流部分は鉄道柵が新しくなっていて、鉄道用地の幅も広くなっているので間違いないだろうか

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こちらは美濃太田駅に到着した北アルプス号。ここで特急ひだと連結して高山方面に向かっていた。かつて旅行した時に撮ったもの。

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鵜沼連絡線跡を歩いた後、新鵜沼に戻り、受付を済ます。駅前には参加者が大勢集結していて知った顔も多い。前回枇杷島分岐に乗った人はわずか3ヶ月で今回のイベントが開催されたことに困惑し、前回参加しなかった人はいずれ枇杷島分岐を完走する列車が運行されるに違いないと思っていたと得意になっていた。

2024年3月24日 (日)

さんふらわあで往復する九州鉄道遺産巡りの旅(宮原線跡)

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宮原線の廃線跡沿いに進んでいくと、北里駅跡が現れた。ホーム1面のみの駅だ。ここは新千円札の顔となる北里柴三郎の生地として知られ、駅跡近くには北里柴三郎記念館もある。

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さらに進んで行くと町田駅跡が現れた。町田駅というと東京の町田駅を思い出すが、ここが元祖町田駅だ。

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駅名票も残っている。 

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ホームの裏手には階段があり、ここを上ってホームに出入りしていたのだろう。

廃線巡りをしているうちにフェリーの時間が迫ってきた。別府観光港発18時45分だが、その1時間前には到着する必要かある。すでに16時30分だが渋滞していなければ間に合うだろう。九重インターから九州横断自動車道に入る。渋滞はないものの霧で速度制限がかかっていたが、走行には支障のない程度の霧でホッとした。

別府湾スマートインターで高速を下りる。スマートインターを利用するのは今回が初めてだ。バーがふたつあり、それぞれのバーの手前で一旦停止する仕組みになっていて、ふたつ目のバーで料金が精算された。

スマートインターを出て別府の町までは10分ほど急勾配を下っていく。ハイブリッド車なので回生ブレーキが働き、車のバッテリーがすぐに満充電になる。インター付近には立命館大学がある。ここの学生は毎日この急勾配を上り下りして通学しているわけではその苦労が偲ばれる。

別府湾沿いに下りてきて、17時30分フェリー乗り場に到着した。 

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本日の走行距離は143km、平均燃費は19.1kmだった。

2024年3月23日 (土)

さんふらわあで往復する九州鉄道遺産巡りの旅(肥後小国駅跡)

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田楽の里での昼食を終えて1時間ほど走って着いたのが道の駅小国だ。ここはかつて国鉄宮原(みやのはる)線の終点肥後小国駅があったところである。宮原線は久大本線の恵良駅から分岐し肥後小国駅に至る26.6kmの線で、私は1984年10月に乗車したが、その乗車している車中で車掌からその年の12月に廃線になることを知らされた。秋の夕暮れをのんびり走る列車が印象的だった。

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道の駅には線路と駅名票が残されている。

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こちらが私が乗車した時の肥後小国駅。遺構とは雰囲気も違うので当時とは場所が少し違うかもしれない。駅前にタクシーが停車しており、ここから黒川温泉などに向かう客もいたのだろう。黒川温泉は今でこそ熊本を代表する人気温泉だが、当時はひなびた温泉地だったようだ。

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肥後小国駅跡から車を進めると幸野川(こうのがわ)橋梁が見えてきた。シンプルなデザインの6連アーチ橋で、戦時中に建造されたため鉄筋ではなく竹筋が使用されているらしい。しかし廃線から40年ほど経つのに意外としっかり残っている。

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橋梁部分も含めて廃線跡を歩ける区間もあるが、歩行は自己責任で行うようにとの看板があり万が一に備えて写真を撮るだけにとどめておく。

2024年3月21日 (木)

さんふらわあで往復する九州鉄道遺産巡りの旅(高森湧水トンネル公園)

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道の駅でおみやげなどの買い物をして、次に向かったのが高森湧水トンネル公園である。ここ高森と県境を超えた高千穂とは鉄道で結ぶ計画があり、実際にトンネル工事も始まった。しかし異常出水に見舞われ工事が中断し、その後国鉄再建法の関係で工事自体が凍結されてしまった。そのトンネルが現在では観光用に残されて内部が見学できるようになっている。入場料は300円である。

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トンネルは建設から50年くらい経過しているが状態は良い。トンネル内には地元の幼稚園や団体によるイルミネーションが施されている。私としては純粋にトンネルを見学したいのだが、それでは退屈する人もいるのだろう。

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中央部に水路があり、水流は速い。鉄道トンネルなので勾配は緩やかだが、毎分32tの出水なので水量も豊富で、もし転落したら流されて命を落としかねない。安全柵など何もないので慎重に進んでいく。

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水車が設置されてマイクロ水力発電の実験も行われている。その隣りの壁にはウォーターパールというものがあり、壁から飛び散る水滴が光の加減で空中で止まっているように見える。

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入り口から500mほどのところでトンネルが行き止まりになり、ここから湧水が湧き出ている。湧水をさわってみると意外と温かかった。地下水なので温度の変動が少ないのだろう。

実際のトンネルは入り口から2,000mほど掘り進められたが、中を歩けるのはここまでである。ここは今まで歩いた廃線や未成線のトンネルでいちばん状態がよく、歩きやすいトンネルだった。

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高森駅とトンネル公園の位置関係からすると、もし未成線が完成したら、高森駅の位置を変更しないと高千穂方面に進めない線形になっていた。

2024年2月29日 (木)

さんふらわあで往復する九州鉄道遺産巡りの旅(志布志鉄道記念公園)

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9時25分、ようやく下船が始まり、九州への第一歩を記した。曇り空だが気温は低くなく過ごしやすそうだ。

前の車ではフェリーを下りてからカーナビが自分の位置を把握しなおすまで5分くらいかかったが、この車では30秒もかからず正しい位置を認識した。今日最初の目的地は志布志鉄道記念公園である。前のカーナビでは目的地をその都度入力する必要があったが、今はスマホアプリからあらかじめデータを送信しておけば、そのリストから選択すればいいのでこまかな住所の入力が不要になりなく楽になった。

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フェリーターミナルから5分ほどで志布志鉄道記念公園に到着。志布志は現在は日南線の終着駅だが、かつては大隅線(国分・志布志間)、志布志線(西都城・志布志間)も集まる鉄道の要衝だった。私は志布志線には1983年、大隅線には1986年に乗車したが、両線とも1987年に廃線となった。

当時の志布志機関区の跡地に鉄道記念公園が設置されている。こちらはC58蒸気機関車112号機。昭和14年製造で、稲沢、多治見、大分の各機関区を経て昭和47年に志布志機関区に転属したが、昭和50年に廃車となった。その後国鉄から無償貸与を受け、当地で静態保存されている。廃車から50年近くが経過しているが保存状態は悪くない。後部には車掌車のヨ8000も連結されている。

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さらにその後部にはキハ52が連結されている。

車両周囲は芝生の公園になっていて子どもが遊んでいる。こういう歴史ある車両のそばで遊べる子どもたちは幸せだ。

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この鉄道記念公園から2分ほど歩いたところにはJR志布志駅がある。ちょうど9時49分発の列車が出たばかりで駅に人影はなかった。無人駅だが駅舎内は観光案内所になっていた。駅の掲示板には先日死亡した桐島聡容疑者の手配写真がまだ掲示されていた。

2024年2月12日 (月)

田奈弾薬庫専用線遺構

東急こどもの国線は戦時中に田奈弾薬庫専用線として敷設され、現在のこどもの国園内に設置された弾薬庫まで複数の線路が延びていました。一部はこどもの国線となりましたが、廃線になった区間もあります。しかし遺構がいくつか残っているので先日それを見てきました。

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まずこちらは恩田駅から5分ほど歩いた、本線からの分岐地点に残る線路です。細いレールが数メートルだけ残っています。今から80年くらい前のものと思われ、撤去されずに残っているのが不思議です。

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その反対側には小さな川を渡る部分がありガーター橋の遺構があります。奥はこどもの国線です。

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こちらは先ほどの地点から北に5分ほど進んだ踏切の近くです。近くの駐車場の車止めがレールになっています。

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これが田奈弾薬庫線のレールかどうかは分かりませんが、形状は明らかに鉄道のレールです。

都市近郊に残る戦争の遺構です。長津田駅から往復1時間くらいで楽しめるので皆様もぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

2023年6月16日 (金)

草軽電気鉄道草津温泉駅跡

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先日草津温泉に行った時に見かけた旧草津温泉駅跡の記念碑です。草津温泉駅は軽井沢と草津を結んでいた草軽電気鉄道の終点で大正15年に開業しましたが、残念ながら昭和37年に廃線になりました。現役時代はカブトムシのような電気機関車が小さな客車を引いてのんびり走り高原列車のような趣きがありました。

軽井沢駅前には当時の電気機関車が保存されています。http://mktabi.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-0d9d05.html

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跡地は児童公園になっていますが、廃止から60年以上経つので遺構らしきものも全くありません。周囲にも廃線らしい雰囲気がないのも時代の推移で仕方ないでしょう。

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跡地は草津の湯畑から歩いて10分ほどのところなのでお近くにお立ち寄りの際は是非訪問されることをおすすめします。

2023年6月 1日 (木)

わたらせ渓谷鉄道鉄印収集(仙石河岸線廃線跡)

神戸駅での廃線跡やレストラン車両の見学を終えて、神戸駅発12時55分の列車で相老経由で東武線の太田駅に着いた。ここから14時16分発の熊谷駅行きバスに乗車し、20分ほど乗って古戸川岸バス停で下車する。

これからかつて存在した仙石川岸線の廃線跡をたどろうと思う。仙石川岸線は東武小泉線の西小泉駅から仙石川岸駅まで3.0kmの貨物線で、1939年に開業したが、1976年に廃止になった。戦時中には仙石川岸駅から利根川を渡って東武熊谷線の妻沼駅までを結ぶ計画があり、一部区間で工事も始まったが、終戦とともに計画も頓挫した。

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バス停を降りで、利根川の堤防上を歩く。天気が良すぎて非常に暑い。

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10分ほどで橋台が見えてきた。これが利根川を渡るために建設された未成線の橋台だ。今から80年も前に建設されたものがいまだに残っている。以前は何台も残っていたらしいが今はこのひとつだけだ。

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橋台のすぐそばまで近くまで近づけるようになっている。老朽化は感じられないしっかりとした造りだ。

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かつての仙石川岸駅はこの橋台近くの運動場付近にあったようだが跡形はない。

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廃線跡が緑道になっていて、そのカーブの加減が廃線跡らしい雰囲気を伝えている。

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緑道の先は一般道路に飲み込まれ、廃線の面影はまったくなくなり西小泉駅に着いた。

西小泉駅から館林経由で特急りょうもうに乗車。行きはガラガラだったが帰りは満席だった。今回は日帰りだったが、ミニ鉄道の乗ったり、廃線跡をふたつも巡ったりするなど中身の濃い旅だった。これで「わたらせ渓谷鉄道鉄印収集」を終わります。

2023年5月30日 (火)

わたらせ渓谷鉄道鉄印収集(草木ダム旧線)

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あしおトロッコ館でのトロッコ乗車を終えて、通洞発11時06分発の上りに乗り、11時29分に神戸駅に着いた。ここから国鉄足尾線の廃線跡に向かう。国鉄足尾線の神戸から沢入(そうり)までの区間は草木ダム建設に伴い、1973年にダム湖に沈んでしまったのだが、一部区間が遊歩道になって歩けるようになっている。駅から3分ほど歩いたところにある踏み切りでトロッコわっしー号が追い越していった。わたらせ渓谷鐵道の人気列車だ。

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駅から10分ほど歩くと新線と旧線の分岐点に来る。新線は線路が左に緩くカーブしている。

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旧線は樹木が茂っている。

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さらに5分ほど歩くとトンネルが見えた。ここから先が遊歩道になっていて旧線跡を歩ける。

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トンネル上部はレンガ造りになっている。レールは撤去されている。

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トンネルを抜けると古いレールを再利用した落石防止シェルターが設置されている。銘板も残っていて、東鉄工業高崎支店が昭和36年に施工したことが分かる。

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遊歩道は10分ほどあるが、旧線廃止から50年ほど経つのでトンネルとシェルター以外は遺構らしきものはほとんどなく、緩やかなカーブだけがかつて線路があったことを偲ばせる。

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旧線はこのあたりで渡良瀬川を渡っていたと思われるが、橋台なども見えなかった。

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