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廃線跡

2022年8月14日 (日)

夏休み奥行臼トロッコまつり

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 北海道別海町奥行臼で「夏休み奥行臼トロッコまつり」が今日まで開催されています。奥行臼周辺は標津線の廃線跡が残っていて、それを利用してトロッコを走らせるようです。別海町では奥行臼周辺を整備し、簡易軌道を動態保存したり、トロッコ運行の計画があったりするので、それを踏まえてのプレイベント的要素もあるのでしょう。今から30年以上前に廃止になった線路ですが、このような形で復活することはとてもうれしいことです。8月12日から3日間だけの運行なので今回は行けませんが、今後も同様のイベントがあるような気がするので次回を期待しています。

2022年6月 1日 (水)

ぐるっと北総水郷185(新生貨物駅跡)

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 佐倉駅で再び方向転換し成田線を下って銚子駅到着前にヒゲタ醤油の工場脇を通過する。かつては銚子駅からここへの専用線があったようだ。

 銚子では約2時間半のフリータイムとなる。ツアー参加者には銚子電鉄の一日乗車券を渡されているのでそれを利用しようと思うが、次の発車が15時10分なので少し時間がある。この時間を利用して国鉄の貨物線跡を見てきた。

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 銚子駅から歩いても10分くらいで行ける。銚子駅東方の踏切を渡ったあたりから左に分岐していく。

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鉄道の廃線跡らしい緩やかなカーブが続き、その先に公園がある。

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ここが新生貨物駅跡らしい。

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 記念碑もある。ただし遺構らしきものは見当たらない。この先銚子港までも貨物線があったようだ。

 貨物駅跡を見学して仲ノ町駅から銚子電鉄に乗る。今回のツアーは約150名が参加しており、多くがこの電車に乗ったからかなりの混み具合だ。1本臨時列車を出したほうがいいと思うが交換可能駅がないため難しいのだろう。乗った車両はチバザポークトレインでも乗ったピンクジンジャー号だった。

2022年3月 3日 (木)

勝田車両センター見学ツアー(日立専用線)

 車両センター内での体験が終了し、帰りは15番線に停車している国鉄色のE653系に乗車する。D型硬券の記念乗車証やレプリカヘッドマーク、エコバッグなどおみやげもたくさんいただいた。出庫時は職員による手を振っての見送りを受ける。入庫時とは一部違う線を通って勝田駅へと戻った。

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 駅に戻る途中に日立製作所への専用線の廃線跡があることを担当者から教えられた。

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 勝田駅4番線に戻ると、午後のコースに参加する人たちがホームで待っていて、その中にSさんの姿もお見かけした。我々が乗ってきた列車に折り返し乗車するようだ。

 勝田駅からは帰りのひたちまで50分ほどあるので、この時間を利用して先ほど見かけた日立製作所水戸事業所専用線の廃線跡を見てくることにした。専用線は勝田駅から4.4kmの路線があり、ここで製造された電気機関車などがこの専用線を通って納品されていたようだ。1993年までは従業員輸送も行っていたというから珍しい。

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 廃線跡としてたどれるのは駅から1㎞弱だが、駅西口から常磐線沿いに線路がしっかり残っている。

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 常磐線から分岐し、一般道路と交差する地点。かつては踏切があったようだ。

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 その後は日立製作所の敷地に入っていくので見学不能だが、駅近で手軽に見学できる廃線跡だ。

 駅に戻り改札前のベーカリーで昼食を取り、勝田発14時21分で帰路に着いた。このひたち号は水戸を出ると上野までノンストップだが、私自身も上野までほとんどノンストップで爆睡し、目が覚めると日暮里の手前だった。

2022年2月20日 (日)

2代目六郷橋駅跡

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 京急の2代目六郷橋駅跡です。今から80年くらい前に廃止された駅ですが、わずかにホーム跡らしきものが残っています。

 京急の前身の大師電気鉄道は六郷橋のたもとの初代川崎駅から川崎大師まで2kmで開業し、その後今の京急川崎駅の位置まで延伸し、そこが川崎駅となり、初代川崎駅は六郷橋駅と改称されました。その後六郷橋の架け替えに伴い、初代六郷橋駅は廃止され、写真の位置に六郷橋駅が移設されました。その後、太平洋戦争の戦局悪化により駅が廃止されました。説明が長いですが、要は初代川崎駅→初代六郷橋駅、初代六郷橋駅≠2代目六郷橋駅ということです。

 京急川崎駅から10分ほど歩いたところにあります。駅舎も何もありませんが、気が向いたら訪問してみてください。

2021年8月 9日 (月)

万上線廃線跡

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 流鉄流山駅からはかつて万上みりん工場へ、万上線という貨物線が延びていました。1929年開業で1969年には廃止されました。流山駅2番線の乗車と合わせて、廃線跡を見てきました。駅を出て左手に進むと緩やかなカーブを描く道路が始まります。道路の幅は単線にしては広いです。

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 県道を超えると建物があって行き止まりとなります。ここが万上みりんの工場です。今はキッコーマンの工場です。

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 行き止まりのところには、簡単なディスプレイがあって万上線に付いて記されていました。遺構は全くありませんでしたが、廃線跡の雰囲気はしっかりと感じられました。

2021年5月26日 (水)

豊橋鉄道赤岩口車庫入線イベント(日本専売公社小田原工場専用線)

4月24日に豊橋鉄道市内線の赤岩口車庫に入線できるイベントが開催されることになった。豊橋鉄道市内線で使用されている「パト電」と呼ばれるパトカー風塗装の運用が終了することに伴い、その撮影会が赤岩口車庫で行われるのだ。その際、パト電に乗ったまま車庫に入れるのだ。私はパト電には特段興味がないのだが、車庫に直通できるのであれば乗らない手はない。予約開始日に電話予約し、無事参加できることになったが、数日後には満席になった。集合は豊橋駅前電停9時となっている。豊橋まで直行してもいいのだが、私は小田急線車庫めぐりツアーの際知った日本専売公社小田原工場専用線の廃線跡を巡ってから豊橋に行こうと考えた。

 日本専売公社小田原工場専用線は小田急足柄駅と日本専売公社小田原工場を結ぶ1.0kmの線で、1950年に開業し、足柄駅から小田原駅を経由して原料・製品の搬出入を行っていたが、トラック輸送へのシフト、国鉄貨物取扱駅の集約などで1984年には運行を終了したのだが、その廃線跡が今でも残っているらしい。

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 小田急の始発で足柄駅に行き、新宿方の踏切を渡るとすぐに専用線の廃線跡が始まる。ここで折り返し運転をしていたので機回しできる幅になっている。

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 鉄道関連の設備だろうか。

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 小田急の車庫の隣から緩やかに分岐していく。

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 レールを利用した柵。奥の民家の塀も鉄道柵だった。

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 途中から遊歩道として整備され「久野(くの)緑の小径」という名前が付いている。

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 久野緑の小径の終端。奥の白い塀が日本専売公社小田原工場跡。現在は工場は取り壊され空き地になっている。

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 工場前のバス停は工場がなくなっても「日本たばこ前」となっていた。

 廃線から35年以上経過し、遺構らしきものはほとんどなかったが、それでも遊歩道を歩いていると廃線跡らしい雰囲気が漂っている。鉄道の廃線跡は細く長くつながっているので全く消え失せてしまうことは少ないのだ。

 

 

 

2021年2月22日 (月)

テツミチ

 

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 京王線調布駅付近は2012年に地下化されました。その地上部分が「テツミチ」として再生され、市民の憩いの場として利用されています。ここにかつて線路があったことをイメージできるように、レールも埋め込まれています。レール幅は京王線に合わせて1372㎜で設計されているのではないでしょうか。

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 本線とは別に相模原線方面へのレールも再現されています。街中のオアシスをぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

2020年11月11日 (水)

東横線廃線跡

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旧横ギャラリーの見学を終えて、そのすぐ近くにある東横線の廃線跡に行ってみました。このあたりが東横線桜木町駅があったあたりです。

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 東横線は2004年に横浜・桜木町間が廃止され、みなとみらい線に移行されましたが、廃線区間のごく一部が遊歩道として整備されています。 

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 こちらがその部分。かつて跨道橋があったところでしょうか。鉄道橋にしてはかなり華奢な感じで、アーチ部分は後から取り付けたのでしょうか。

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 道路を跨ぐ部分が終わると未整備の廃線跡が続きます。この部分も将来は遊歩道などになるのでしょうか。予算の都合なのか進捗は乏しいように感じます。 

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 未整備の廃線跡の高架下を歩いてみます。狭い歩道に自転車も通るので快適ではありませんが、都会の真ん中に残る廃線跡なので、お近くに来た時には足を運んでみてはどうでしょうか。

2020年6月15日 (月)

ポッポみち

Img_3959  かつて国立駅から鉄道総研に通じる線路がありました。試験車両の出し入れなどに使用されたと思われますが、中央線の高架化に伴い、線路は途切れ、廃線跡がポッポみちとして残りました。

Img_3961 距離は100mちょっとですが、レールなどが設置されていて、廃線跡であることを物語っています。

Img_3971  ポッポみちが終わると鉄道総研の敷地に入ります。ここにはまだレールやバラストがまだ残っていました。かつては敷地内には小判形で一周する線路があったのですが、今はどうなっているか分かりません。

Img_3975  総研の正門の反対側には国分寺市のひかりプラザという施設があり、その一角に0系新幹線が静態保存されています。新幹線の開発が国鉄時代に総研で行われていたのです。その関係でここの町名は光町と改称されました。

 都内で簡単にたどれる廃線跡です。皆様も一度訪れてみてはいかかでしょうか。

2020年3月11日 (水)

京王御陵線橋脚跡

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 かつて京王線には北野駅と多摩御陵前駅とを結ぶ御陵線という路線がありました。大正天皇が埋葬されている多摩御陵までの連絡手段として1931年に開業しました。しかし、太平洋戦争の戦局悪化に伴い不急不要路線として1945年に廃止になりました。御陵線のような皇室に関する路線も不急不要路線として廃止されるほど戦局は悪化していたようです。

 この道路は今の高尾線山田駅から北西に進む道路で、御陵線の廃線跡を拡幅した道路です。 

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 御陵線はその後、南浅川を鉄橋で渡ります。その先は高架になっていたようです。今は住宅地となっていますが、廃線跡に橋脚が2本残っています。廃線から75年を経ても、ここだけは取り壊されることもなく残っています。

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 現在この橋脚は誰の所有になっているのか分かりませんが、現在は隣地との境の巨大な壁となっています。

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 取り壊すにも撤去費用が掛かるので、そのままになっているのでしょうか。戦死した夫の帰りを待つ戦争未亡人のようでもあります。

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