ただいまの時間

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2018年4月 2日 (月)

国立駅復元工事決定

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 国立市の予算が決定し、今年6月から国立駅の復元工事が行われるようです。国立駅は中央線の高架化に伴い、従来の三角屋根の駅舎が取り壊され、変哲のない駅舎になりました。国立のシンボル、ランドマークとなっていた特徴的な駅舎で、かつ文化レベルの高い住民も多いことから、取り壊しに反対する声も多く、いつの日かに備えて駅の部材だけは残してあったのです。私も2年間この駅を利用しており、ふるさと納税で復元に微力ながら貢献しました。

 ところがその復元駅舎の両隣にJRが商業ビルを建てる計画で、それが景観的に復元駅舎とバランスしないと国立市長が不満のようです。私もそう思います。

 しかし駅のすぐ北側の国分寺市側には高層マンションが建ち、駅自体も高架化されてしまったので、今さら駅舎を元の位置に復元しても周囲とのバランスは取りようがない気もします。

 いっそのこと一橋大学の構内に移築したほうが市民の憩いの場ともなり、国立駅を寄付し東京商科大学を誘致した堤康次郎の理念に合致するかもしれません。

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 こちらは国立大学通りから国立駅方面を眺めたもの。先日車で通りがかって車内から撮影しました。桜が満開でした。

2017年12月19日 (火)

東京駅丸の内口駅前広場リニューアル

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 今から5年ほど前に東京駅の丸の内側駅舎の復原工事が完成し駅舎が新しくなりましたが、引き続き駅前の工事が行われていました。従来は換気塔などがあって美観を損ねていたのですが、それが撤去されとてもすっきりした印象になりました。駅舎の写真もキレイに撮れます。日本の首都にふさわしい駅舎になりました。

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 右側に写り込んでいる女性はモデルさんのようで、駅舎をバックに写真撮影が行われていました。

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 芝生の広場もあり、けやきの植え込みや新しいポール照明も設置されています。

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 駅舎の反対側は皇居に通じる行幸通りでこちらも美しく整備されています。

 

 






2017年12月11日 (月)

銀座線幻の駅をライトアップ

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 地下鉄開通90週年を記念して、銀座線の幻の駅がライトアップされています。一つ目は神宮前駅です。今の表参道駅の渋谷駅方に位置し、銀座線のホームから見えます。この駅は1972年まで利用されていました。

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 もう一つは萬世橋駅です。萬世橋駅は神田駅と末広町駅の中間にあり、萬世橋のたもとにあります。この駅は仮駅扱いでわずか2年弱営業しただけで1931年には廃止されました。駅は浅草行の進行方向左側にありますが車内からはほとんど分かりません。トンネル内の照明とほとんど区別がつかないからです。渋谷行きからのほうが見やすいですが、それでも一瞬です。

 都会の中にひっそり残る幻の駅、2つの駅のライトアップは18日までなので皆さまも早めにご覧になってはいかがでしょうか。

 (神戸市交通局100周年記念特別列車の旅は1回休みます)

2017年7月28日 (金)

秦野駅

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 秦野駅は1996年に改築され、そのデザイン性の高さからグッドデザイン賞を受賞するとともに関東の駅百選にも認定された駅です。こちらは北口の様子。

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 こちらは南口の様子。

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 関東の駅百選に選ばれた時の記念硬券入場券です。

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 駅前の「まほろば大橋」。下を流れる川は水無川。その名の通り本当に水が流れていません。

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 川の両岸は遊歩道になっていて、いい雰囲気を醸しだしています。

2017年7月27日 (木)

相模大野駅

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 小田急線の相模大野駅は2面6線の構造で、中央部2線が通過線で、その両側に島式ホームを1面ずつ備えるというダイナミックな配線になっています。

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 かつての小田急は10両編成の電車を6両と4両に分割する木目の細かい車両運用を行っていて、この相模大野や海老名で分割・併合を行っていました。

 駅のアナウンスでも「分割案内板Aを境に前6両が急行小田原行、後ろ4両が急行片瀬江ノ島行き」などと放送していました。最近は基本的には分割併合を行わないため、こういう放送を聞くこともなくなりました。天井から吊るされていた分割案内板も撤去されましたが、ホームの表示はまだ残っていました。

 それともう一つ相模大野駅で特徴的なことは、東林間以遠の駅と小田急相模原以遠の駅の運賃計算をする場合、相模大野駅までの距離で計算するのではなく、相模大野駅西方0.2km地点にある相模大野分岐点と呼ばれる場所で計算するようになっています。かつて相模大野駅が現在地より0.2km西方にあった名残だと思います。したがって実際に乗る距離よりも合計0.4km短い距離で計算されます。このような計算方法はとても珍しいです。

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 こちらは駅舎が新築移転し、関東の駅百選に選ばれた時の記念硬券入場券です。

2017年5月 4日 (木)

♪渡良瀬橋@足利駅

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 両毛線の足利駅の発車メロディーが2年ほど前に森高千里の「渡良瀬橋」になったので、遅ればせながら行ってみました。この駅の近くにある渡良瀬橋については以前このブログで紹介したことがあります。

 発車メロディーは1番線と2番線で異なります。2番線が「♪渡良瀬橋で見る夕日をあなたはとても好きだったわ」で、1番線は「♪八雲神社へお参りするとあなたのこと祈るわ」の部分です。東武鉄道の足利市駅でもこのメロディーが使われています。

 動画も作ってみました。

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 待合室には森高千里さんのサイン入り色紙と渡良瀬橋に寄せる思いがつづられています。いくつかの駅の発車メロディーでは地元にちなんだ曲が採用されていて、そういった駅を巡るのも楽しいものです。このブログでもZARDの坂井泉水さんの最寄駅「渋沢駅」について紹介しました。

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 足利駅の駅前にはEF60型の電気機関車が静態保存されていました。両毛線の貨物輸送に活躍し、平坦線での運用が中心の機関車だったようです。

2017年4月23日 (日)

祐天寺駅の思い出

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 祐天寺駅の新設通過線を見学した後、祐天寺駅前に出てみました。通過線新設に付随して駅の改良工事も行われています。祐天寺には祖父が住んでいて小さいころはよく遊びに来ていました。祐天寺は渋谷駅からは3つ目で各駅停車しか停まりません。当時東横線ではステンレス車両が導入されていましたが、各駅停車は黄緑色の青ガエル5000系が中心でした。

 祐天寺駅は私が小学校2年ころに高架化され、それと併せて自動改札が設置されました。関東地方ではかなり初期に設置されたと思われます。切符を投入するとあっという間に反対側に出てきて、とてもびっくりしたものです。

 小学校3年生の時に祖父の家に一人で電車に乗って行ったことがありました。祐天寺の駅前ケーキ屋で、1個70円のケーキを3個買って祖父の家に行きました。なぜか値段もしっかり覚えています。

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 こちらが祖父の家があったところです。祖父は私が小学校5年の時に亡くなり、その後、家は人手に渡り、今は建て替えられていましたが、昔と変わらない狭い路地の奥に昔と同じくらい大きさの家が建っていて、懐かしさがこみあげてきました。

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 こちらは祐天寺駅近くにあるカレー屋さん「ナイアガラ」です。鉄道ムード満点の店で、店内、店外も鉄道グッズであふれています。ここは4年前に行きました。今回は外から見るだけでしたが、店の前を通る人はその異様な光景に必ず足を止めて様子を見ています。

2017年3月15日 (水)

拝島駅昇降式ホームドア

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 拝島駅5番線(八高線上り線)には昇降式のホームドアがあります。鉄製のバーが3本あります。

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 列車が到着するとそれが上に上がります。上に上がるとバーの間隔は下りていたときより狭くなります。従来のスライド式のホームドアよりも構造も簡単で、ドアの位置が異なる場合も利用できそうです。

2017年3月 2日 (木)

さようなら松原団地&松原団地駅

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 東武伊勢崎線松原団地駅は今年4月1日に「獨協大学前〈草加松原〉」に改称されます。私は1歳から3年間、この松原団地に住んでいました。当時は東洋一のマンモス団地と呼ばれていました。1961年から入居が始まり既に半世紀以上前の建築物なので順次建て替えが行われ、松原団地もあと数年でなくなってしまうようです。団地がなくなってしまったら、松原団地駅を名乗るわけにもいかないので駅名も改称されることになりました。この駅名標もあと1ヶ月で見納めです。

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 こちらは建て替えが進んだ新しい団地です。コンフォール松原という名称です。

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 取り壊しが済んだ団地跡地。公園になっています。

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 こちらが私が住んでいたD-58号棟。まだ取り壊しは始まっていませんが、空き家が目立ちます。私が住んでいた頃は家賃が月9400円で、その時の父の月給が3万円で、給料の3分の1も家賃を払っていると皆に驚かれたようです。今は相当に老朽化していてタダでも住みたくない感じですが、当時はかなりの高級団地だったのです。抽選に当たらないと入居できず、父はいろいろな団地に応募し、ようやくここに当たったとの話を聴きました。団地が憧れの的だったのです。間取りは3DKで、洋式トイレ、風呂付きでした。それまで6畳一間で風呂もない家に住んでいた我家に文化的な生活が始まりました。

 そんな団地も半世紀を経て老朽化が進み、建て替えとなりました。私はここの記憶はほとんどありませんが、それでも親から当時の話を聞くとなぜか懐かしさがこみ上げてきます。駅名がなくなる寂しさはありますが、新しい街並みができて、新しい生活が始まるわけで、それも素晴らしいことだと思います。

2017年2月 1日 (水)

本庄早稲田駅

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 上越新幹線の本庄早稲田駅の近くを通りがかったので、ちょっと立ち寄ってみました。この駅は2004年3月の開業で、私は開業初日に行ってみました。これがその時の写真です。当時は駅前はまだ整備中で何もありませんでしたが、今はロードサイド店舗が立ち並んでいて様変わりです。

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 こちらが現在の様子。

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 この駅は総工費115億円で、全額地元負担で建設されました。駅構内に出資者の名称が記載された看板が設置されていました。埼玉県が3分の1、本庄市が3分の1、周辺市町村が6分の1で全体の6分の5を負担し、残りを民間が出資したようです。その筆頭は早稲田大学で7億円も拠出していましたが、私の勤務先もかなり上位に出資していることを知りました。

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 駅の裏手の丘陵地帯は駅名の通り早稲田大学と早稲田大学本庄高等学院のキャンパスになっています。大学が駅を誘致したり、大学の利用者の便を図って駅が設置されることは昔からありました。大学名を冠した駅名は、駒場東大前、東大前、一橋学園、学芸大学、都立大学、東海大学前、中央大学・明星大学、六会日大前、船橋日大前などです。この中には既に大学は移転しているのに駅名だけが残っているものもあります。やはり大学のネームバリューはステータスが高いのでしょう。

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 大学のキャンパスには近未来的な研究施設の建物が点在していました。結構アップダウンがあるので、ここで学ぶ人は足腰が鍛えられそうです。

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