10月31日、東武東上線の東武竹沢・男衾間にみなみ寄居駅が開業しました。ホームは1面で単線の棒線駅です。近くにホンダ寄居工場があるので、ホンダ寄居前という副駅名が付いています。
ホンダは狭山工場を閉鎖し寄居工場に集約する計画があり、寄居工場への通勤者が増えることから、ホンダが駅建設費を負担して開業に至ったようです。
駅からホンダの工場に直通する歩道橋もできました。
歩道橋の末端はホンダの工場入り口に直結していて、社員用の改札機があり、一般の人はここから先に進めないようになっています。守衛室があるので勝手に入れません。
人家や商店は全くなく、工場も一山超えた向こうにあるらしく、駅前には本当に何も見えません。道路があるので秘境駅の要件は満たさないかもしれませんが、私が今まで訪れたことがある駅で駅前の何も無さは、北海道の小幌駅に匹敵します。
新宿駅の東西自由通路が完成しました。新宿駅は東口と西口を直接結ぶ通路がなかったので、新宿駅の東西を移動するには入場券を買って駅構内を通行するか、南口側や丸ノ内線新宿駅付近を大回りするしかなく、東西の行き来が不便だったのですが、それが解消されました。北通路があったところが拡幅され、一般の通り抜けができるようになったのです。改札は撤去されたのですが、発車案内板はそのまま残っています。この案内板の下に自動改札がありました。
広々とした通路。早朝なので人影はまばらでした。
新しい改札は自由通路の脇の東口寄りと西口よりの2か所設置されました。
この通路の完成により、小田急、京王利用者の新宿駅通過サービスは廃止になりました。中央東改札にあった小田急、京王専用の券売機は使用中止になり、小田急、京王の客は東西自由通路を経由して、直接それぞれの会社の改札を通るようになりました。
飯田橋駅のホームが新宿寄りに200mほど移設されたので、先日その様子を見てきました。
飯田橋駅はカーブの途中にホームがある関係で、列車とホームの間が広く開いているところがあり、乗客がその隙間からホームに転落する事故が後を立ちませんでした。
ホーム監視用のお立ち台もありました。
今回、その危険を除去するためホームを移設することになりました。飯田橋駅は1928年に牛込駅と飯田町駅を統合する形で両駅の中間に開業しました。飯田橋駅開業後は旧牛込駅付近には引き上げ線が設けられ、飯田橋駅発着の列車の折り返し線として利用されていました。その後飯田橋駅発着の列車がなくなり、引き上げ線は使用されず空きスペースとなっていましたが、そこにこの移設ホームができました。今から90年も前の昭和初期に不要になったものが、令和になって再び日の目を見るようになったのです。
新しいホームはホームの柱などが黒を基調にしたイメージです。ホームの幅は旧駅ほどは広くありません。ホームドア設置の下準備もされているようですが、今回の開業には間に合わなかったようです。かつてのホームは引き続き東口への通路として使用されていますが、東口利用者は今までより2分くらい余計にホームを歩かされることになるので不便になりました。また、ホームの途中でこう配がレベル(水平)から1000分の18.5に変わっているので電車の発着は慎重を要しそうです。
今回駅舎も新しくなりました。ホームを同様に黒を基調にした色合いです。階段やエスカレーターが狭いのが難点で、ラッシュ時に混雑しそうです。駅構内のお店はニューデイズを除いて、これから開業するようです。
旧国立駅舎復元でいくつかの刊行物が出ています。こちらは旧駅舎内の売店で買った図録。約70ページほどの冊子で、国立駅開業に関連する資料や写真が収録されています。国立駅は着工からわずか4か月の突貫工事で完成したようです。国立駅を誘致した堤康次郎率いる箱根土地(現コクド)は開業後国立駅前(現在たま信用金庫のある位置)に本社を構え、駅周辺の分譲を始めます。トタン屋根やなまこ壁の建物の建築は禁じられ、美観を意識した建物を建てることを条件に分譲したようです。当時は駅から一橋大学まで遮るものがなく見通せました。開業当初は1時間に1本程度の運行でしたが、1929年に省線電車が立川まで延長されると16分に1本の運転になったようです。また旧国立駅は開業前は地平の線路でしたが、駅開業に合わせて盛り土ホームになったようです。これは駅周辺線路のこう配緩和と駅舎からホームへのアプローチをスムーズにするための工夫だったようです。
旧駅舎内の売店のレシートも駅舎のデザイン入りです。
こちらは旧駅舎内に置かれていた無料パンフレット。駅のひさしの柱に古レールが使われていることが記述されていましたが見逃しました。
こちらも駅舎内のラックにあった無料小冊子。国立在住の作家嵐山光三郎と国立市長の対談が乗っています。表紙の「桜咲く 国立駅に 帰りけり」という嵐山光三郎さんの俳句が国立の魅力を端的に表現していると思います。鉄骨の高架駅ではこの俳句は生まれません。
こちらは国立(くにたち)にある国立(こくりつ)大学のOB会報。駅舎復元に尽力されたOBの記事が収録されています。
中央線国立駅はかつては三角屋根の駅舎でした。1926年の開業当時から使用されていて、そのかわいらしい姿が人気でした。中央線高架化工事に伴いその駅舎は取り壊されましたが、取り壊しを惜しむ声が大きく、駅舎の部材は処分されずに保管されていて、今回それを利用して旧駅舎が国立駅前に復元されました。コロナウイルスの関係で駅舎内部の公開は中止されていたのですが、緊急事態宣言の解除に伴い、見学できるようになりました。
私は今から30年以上前、2年ほどこの駅を利用していたのでとても懐かしいです。
駅に入ると左手に券売機や出札窓口があり、中央に改札口があるだけで、待合室などはなく、とてもコンパクトな駅でした。駅舎内部はグッズ販売コーナーや資料の展示スペースになっています。
国立市が中心となって復元の取り組みが行われ、私もふるさと納税という形で微力ながら貢献させていただきました。
こちらは裏側です。現役時代はこちら側から駅舎を見ることはありませんでした。
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