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マークIIから乗り換えたのはトヨタクラウンです。「いつかはクラウン」というキャッチコピーもあるように昭和の時代にはあこがれの高級車とされていました。最近はレクサスや外国車に乗る人も増えて、クラウンは最高級の乗用車という位置付けではなくなりましたが、それでもシティ、シビック、マークⅡとだんだんと大きな車に乗り継いできた昭和世代の人間からすると、ようやくクラウンに乗れる身になったのだという感慨はあります。
ただ積極的にこの車を選んだというよりはその時売っている車がこれしかなかったというのが実情です。最近の自動車業界は半導体不足の影響で納期が極端に長くなっていて私も契約から納車まで8ヶ月かかりました。これでも短いほうで、1年以上待つのが常態化しています。そのため受注をさばくのが精一杯で、注文が早々に締め切られています。私がクラウンを契約したときにはプリウス、ハリアー、カムリなどは受注停止で、そのとき買えたのはクラウンとカローラぐらいしかなかったのです。いまさらカローラでもないのでクラウンにしたような状況です。
スタイルはクラウン伝統の正統派セダンではなく、最近はやりのSUVでクロスオーバーというタイプになります。「これがクラウンですか」という気がしますが、時代とともに進化しているのでしょう。サイズは前の車と比べるとひと回り大きくなり、運転席周りもゆったりしています。いろいろな安全装備も充実していますが細かい装備は現在習得中です。これからクラウンの様子を随時取り上げていきたいと思っています。
20年間乗ってきた愛車マークIIを乗り換えることになりました。今まで一度も故障がなくまだまだ乗り続けられるのですが、メンテナンス部品も無くなってきたりしていて乗り続けること自体にリスクもあるので買い替えを決意しました。
この車では北は北海道から南は高知県まで旅行し、走行距離は約11万キロにおよびました。排気量2000cc、160馬力、オートマチック、カーナビ、ETC付きで、それまで乗っていたホンダシビックとは比べものにならないくらいパワーがあり運転が楽で、静かでソフトな乗り心地でした。
マークIIとともに訪れた先のこと、体験したことが鮮明に思い出されてきます。長く乗っていると愛着も増してきて自分の分身のような気がします。私のブログの中では以下の4編の北海道ドライブで登場しました。ブログを読み返してみると、本当によく走ってくれた車だと感心します。その他の鉄道ネタでも実はこの車で訪れていたところが数多くあります。別れがたい車ですが、車齢も高くなり、残念ですがお別れすることになりました。長いこと本当にありがとうございました。
北府中駅側線を出発し、本日最後の行程は新秋津駅側線である。秋津トンネルを出るとすぐに左への分岐がある。
ここで西武鉄道との貨物列車や多摩川線車両の受け渡しが行われるとともに、八王子訓練センターとして実車での乗務員訓練が行われている。左の2編成が訓練車両だ。
本来は今日は訓練が行われていないが職員が出て、訓練線でデモ走行をしてくれた。
デモ走行も終わり、本線に戻る。出発信号機が2本立っていて、1本は右に分岐する「1→JR」、もう1本は直進する「1→西」となっていた。直進方向に進む列車を運行してもらいたいものだ。
本線に合流し、東所沢駅3番線に戻り、イベントは終了した。
今回は普段は入れない引き上げ線2つ、側線2つを体験でき、それだけでも有意義だったが、武蔵野線のベテラン運転士Yさんにいろいろ案内をしていただき、それもありがたかった。
これで「武蔵野線側線探検イベント」を終了します。
府中本町を発車し、隣駅の北府中駅に向かう。いったん北府中駅を通過した後、その先で左に分岐し、折り返し線に入る。
係員が出ていて白旗で停車位置を指示している。ここで折り返し、側線で停車する。ここは北府中駅1番線と呼ばれている。
北府中駅構内にはEF65とED31が停車していた。ツアーのためにわざわざ見やすいところに持ってきてくれたようだ。EF65は535号機でここ東芝府中事業所で製作され、当初は貨物機だったが後に旅客用に改造され、ブルートレインの牽引機として活躍したが2008年に引退した名機である。もう1両のED31は3号機で、伊那電気鉄道から国鉄、近江鉄道と経て、引退後は静態保存されていたが、縁あって生まれ故郷に戻ってきたようだ。どちらもかなりさびついており、静態保存の予定があるか気になるところだ。
現在停車しているところは北府中駅1番線と呼ばれるところで、出発信号機は「1→下」及び「1→折」と表示されている。
本線に合流するポイントはシーサスクロッシングになつていて上り下り両方向に出場できるようになっている。
11時24分、府中本町駅に到着。予定より15分遅れの到着となる。ここから引き上げ線に入る。
引き上げ線は2本あり、2番線と呼ばれる下り線側の引き上げ線に入る。この写真は参加前に撮影しておいたもの。
ここで再び進行方向を変えて、我々の1号車が先頭車になる。
引き上げ線の西側にはかつての東京競馬場前駅跡地が公園になっていた。その奥にはJRの社宅も見えている。公園の北側には廃線跡の遊歩道が残っている。東京競馬場前駅は国分寺駅から出ていた下河原線の終点で武蔵野線の開業に伴い廃止された。東京競馬場前駅はかつてはいちばん長い名前の駅名だった。そういったことをYさんが車内放送で参加者に伝えると若い乗務員はそういったことを知らず、Yさんから聞き直したりして、定年間近の先輩から後輩へ情報が伝承されていた。
11時21分、南越谷駅電留線1番線を出発。今度は我々の車両が最後尾となる。
東浦和を通過すると防護無線が鳴り非常ブレーキがかかった。1号車はクハなのでブレーキシューから焦げ臭さいにおいがしてきて停車した。武蔵浦和・南浦和間を走行中の下り電車からの発報で第一根岸トンネル内での異音検知のためらしい。トンネル内で異音なので確認に時間がかかるのではないかとのYさんのお話し。我々の列車が停車したところは偶然にもYさんの自宅近くであった。ここで15分ほど停車し、いったん南浦和駅まで運行した。ホームはすでに多くの客でごった返しており、我々の列車が定期列車だと間違えてドア付近まで近づいてくる客も多いが、ホームのアナウンスで団体列車であることが告げられると文句も言わずに待っていた。ホームからは我々の列車に奇異の視線が向けられる。その後安全の確認が取れ、上り下りとも運転が再開された。先行列車は発報信号の影響もなく先に進んでおり、我々の列車は各駅を通過しながら、ほとんど最高速度で走行した。
荒川鉄橋から先の高架区間では晴れていると富士山、武甲山、赤城山などが一望できる眺めの良い区間となる。
その間もYさんの経験談の話しは尽きず、西浦和高架下火災事故や新小平駅水没事故の話しなどを聞かせていただく。新小平駅水没事故では新秋津駅での折り返し対応で、中線に発泡スチロール製の簡易ホームを設置することで短期間でのホーム設置が可能になったようだ。中線折り返しは貴重な体験だが、当時の私はそこまでのこだわりを持っていなかったので、今思えば大変もったいないことをしたものだ。
北府中では左手に府中刑務所の塀が見えてした。かつてここで3億円事件が起きたことを思い出す。発熱した私を医者に連れて行くため事件当日会社を休んだ父は、捜査員にアリバイを確認されたらしい。府中で起きた事件で世田谷区に住み虎ノ門に勤めていた一会社員の当日のアリバイを確認しに来るとは、警察の威信をかけた総力戦の捜査が行われていたことが分かる。結局犯人は捕まらず迷宮入りとなったが、今でも戦後の犯罪史を語る上で外すことのできない大事件である。
新4号パイパスをまたぎ、南越谷駅にいったん停車する。今は東武線が武蔵野線の上をまたいでいるが、かつては東武線が地平にあった。また武蔵野線の駅と接続する私鉄各駅は以前は乗り換え駅扱いをしていなかったので利用者はそれぞれの線の定期券を持つ必要があった。私の定期券コレクションでは平成6年時点ではまだ連絡運輸が行われていなかったようだ。http://mktabi.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-0cfc.html
9時47分、南越谷駅を出ると越谷貨物ターミナル駅に隣接する引き上げ線に入る。
ここには2本引き上げ線があり、1番線と呼ばれる上り線側の引き上げ線に入った。一般にこういう場合、下り線側から1番線、2番線とすることが多いが武蔵野線は他の引き上げ線も上り線側が1番線になっているとのこと。
引き上げ線は8両まで入れるようになっているが、我々の列車は6両なので奥まで行かず、6両の停止目標のところで停車した。
ここで約30分ほど停車する。昨日から東北、北海道方面から貨物列車が遅延しており、この日も貨物列車のダイヤ乱れが発生したおり、その関係で貨物ターミナル駅構内では入れ換え作業が遅れているようだ。JR貨物の職員が我々の列車に近づいてきて、乗務員に教えてくれている。
Yさんは貨物列車の車掌経験もあり、自分がかつて乗務していたときの写真などを見せてくれた。車掌車のヨは石炭ストーブと石油ストーブがあり、石油ストーブを装備したものは車体にら白線が塗られているとのこと。
またコンテナの形式の違いも教えてくれて、一般的な19Dコンテナのバリエーションとして、高さや幅が異なるものがあり、正面左上のひし形のマークで一般型との違いが分かるようになっている。
西浦和を過ぎると線路が右に大きくカーブする。武蔵野線は現在は南浦和駅を経由するルートだが、浦和駅を経由する計画があったらしい。武蔵野線の計画は昭和30年代に始まるが、その当時でも浦和の中心地に線路を通せるだけの空き地があったのだろうか。
武蔵浦和で新幹線をくぐり、南浦和を通過する。南浦和・東浦和間は以前から新駅を建設する構想があり、線路脇にそれらしき空間があるが、さいたま市に財政余力がないため、計画が進展していない。
東浦和は中線のある構造で、同行のTさんは東京ディズニーランド行きの臨時列車でこの中線に入ったことがあるとのこと。ディズニーランドに早く着き過ぎても困るので、ここで時間調整したようだ。
東浦和を過ぎると沿線に見沼田んぼが現れる。稲穂を前景にした写真が撮れるところでYさんもここでよく写真を撮るらしい。今回のイベント参加者には東所沢電車区オリジナルの2024年カレンダーがプレゼントされていて、Yさん撮影の写真もある。
東川口を過ぎると鉄道写真家の中井精也さんがよく撮影している場所を通過した。
東所沢駅を出発し、まず新座貨物ターミナル駅の隣りを走行する。担当のYさんの根回しにより、貨物ターミナル駅ではJR貨物の職員が集結し我々の列車を見送ってくれている。我々も窓を開けて手を振り返す。会社は違えどエールを送り合う姿にYさん共々感激する。
新座駅から北朝霞駅にかけての高架橋はスラブ軌道になっているが、車体の動揺が激しい場合締結ボルトが飛び散る場合がありYさんも経験があるとのこと。最近は騒音対策でスラブ軌道の下にバラストを敷くこともあるらしいが、ここはコンクリート打ちっぱなしの路盤なのでかなり騒々しい。
北朝霞を過ぎ荒川鉄橋を渡る。かつて多摩川に出没したタマちゃんがこの鉄橋の北側まで来てしばらく滞在していたのをYさんはよく見かけたとのこと。
西浦和の手前で右に分岐する。直進すると与野への短絡線となる。西浦和駅の東方にはかつてはシーサスクロッシングがあり、大宮に直通するむさしの号は西浦和に停車してから大宮に向かったが、今はシーサスクロッシングが撤去され西浦和のホームの外側線を通過し大宮まで走行する形になっている。
今回のイベントの受付時間は8時30分から9時の間となっている。8時45分頃東所沢駅の改札に行くと同行のTさん、Iさん、 Sさんはすでに到着していた。あいさつを済ませ、今回のツアー代金をTさんにお支払いする。参加料を4人で割ると若干端数が出るのでキリのいい金額でお支払いする。受付を済ますと我々の乗る1号車の担当者がすぐにあいさつに来てくれた。Yさんというあと3ヶ月で定年を迎えるというベテランの方で、国鉄時代に入社し貨物列車の車掌などを経た後、武蔵野線で長らく車掌や運転士を務めていたとのことで、私はきっとYさんの運転する列車に乗ったことがあるに違いない。
我々は1号車を4人で占領する。グランクラスでも1両18人だから、4人で占領できるとはぜいたくだ。
出発は3番線から9時20分となっている。隣の2番線には府中本町からの回送がいったん停車した後、東所沢電車区に入線した。以前は府中本町から当駅まで客扱いをした後、回送で電車区に入ったのだが、東所沢駅の人員配置の関係で回送時の車内点検ができなくなり、府中本町から回送になったとのこと。府中本町は到着列車が必ず引き上げ線に入るのでそのとき車内点検ができるからだ。
電車区への入出庫は3番線からも2番線からもできるようになっている。一方4番線からは入出庫できない配線になっている。学生時代に武蔵野線を利用していたとき、下り電車の不具合で東所沢駅で車両交換が発生したことがあり、そのときは4番線に着いて3番線の車両に乗り換え、3番線の発車後、4番線の不具合の車両はいったん新座方に進み本線上で折り返してから3番線に入り電車区に入ったことがあった。そのような運転が可能なのか当時から気になっていたが、今回聞きそびれてしまったのは残念だ。
「武蔵野線開業50周年記念!E233系で巡る武蔵野線側線探検イベント」がJRE MALLから発売された。武蔵野線は貨物線として計画された経緯もあり、側線や待避線がある駅が多い。今回のイベントではそういった線のいくつかを、普段は武蔵野線を走らない中央線用E233系で乗り回るツアーである。申し込み開始と同時に予約して無事参加できることになった。するとその晩乗り鉄仲間のTさんから、4人集まると運転席後方の区画を予約できるという知らせをいただき、そちらに加えていただけることになった。こういうイベントだと運転席後方に人が集中して満足のいく画像が撮れないことが多いからありがたい。さっそく自分の予約はキャンセルした。
武蔵野線は1973年4月1日に旅客営業を開始し今年で開業50年の節目にあたり、イベントや記念グッズの販売が多く行われていて、本件もその一環である。私と武蔵野線の関係は古く、東浦和駅近くにある見沼通船堀を見学するために開業年に早くも利用している。見沼通船堀は高低差のある二つの川を結ぶ運河で、閘門と呼ばれる堰を設けて高低差を克服するようになっていて、仕組みはパナマ運河と同じだ。これが江戸時代に建造されており、当時の土木技術の高さを現代に伝えるものとして高く評価されている。見沼通船堀に関して詳しくはこちらをご覧ください。https://www.city.saitama.jp/004/005/006/008/p077111.html
当時は日中は40分に1本しか運転されず、その時も前の電車が行った直後だったのでだいぶ待たされた。その後大学時代に通学で4年、社会人になってから通勤で8年ほど利用した。最近は日中も10分間隔で運転され時刻表なしで乗れるようになり当時とは隔世の感がある。
ところでレイルウェイライターの種村直樹氏が新聞社を退職し、フリー活動を始めたのが武蔵野線開業と同じ日で、氏の著作にはときどきそのくだりが出てくる。
先日朝の通勤時間帯に田園都市線でダイヤ乱れがありました。原因は鷺沼駅での「車両に対するいたずら」です。遅延の原因は人身事故や車両点検、異音の確認などが多いですが、「いたずら」は初めて聞きました。駅や車内のアナウンスでも「いたずら」であることを強調していました。東急が被害者なのですと言わんばかりです。具体的にどんな「いたずら」があったかはその後報道もないので分かりませんが、どうやら車両に落書きがあったみたいです。落書きくらいならば安全運行に支障はないので走らせればいい気がしますが、犯罪の証拠物件でもあるわけで、その現場は保存しないといけないのでしょう。それにしても落書きで運休になる時代になるとは、労働組合のスローガンが書きなぐられた車両が当たり前のように走り回っていた国鉄時代には想像すらできなかったことです。
撮影会が終わると私にとっては主目的である洗浄線体験となる。14番線に停車している20系車両34編成に乗車する。
14番線を発車し、洗車機を通過して、近鉄線の高架の下を過ぎるとトンネルに入る。
トンネル内を進み、くいな橋駅近くで行き止まりとなる。
ここで折り返す。左に分岐すると竹田駅への線となる。ここに入ってくれるとなお良かったのだが、今回は車庫線内往復だけだった。
再び洗車機を通り、
14番線に戻る。
洗車機で洗えない部分を洗うため14番線には作業台が付いている。走行距離は片道300mから400m程度と推察された。
15時50分、洗車機体験が終わり、イベントは終了となった。撮影会の時間が長いのは最近の傾向で、乗り鉄より撮り鉄のほうが多いようだ。竹田駅に戻り、京都から新幹線で家路に着いた。
今回は財布を忘れてイベントに参加できない可能性があったが乗り鉄仲間の助けで無事イベントに参加でき、感謝とともに反省材料にもなった。一方で1日で北方貨物線、梅小路運転線、竹田車両基地洗浄線の3線に乗れ、密度の濃い旅でもあった。
これで「キハ189系で直行!京都鉄道博物館の旅」を終わります。
京都市営地下鉄の竹田車両基地では、新型車両20系の撮影会が行われる。20系車両は開業以来使用してきた10系の置き換えを目的に製造され、安全性、省エネルギー性、バリアフリー性の向上を目指し、将来的にATO(自動運転)ができる性能を有している。近未来的なデザインで2022年にはグッドデザイン賞を受賞し、今年は鉄道友の会のローレル賞を受賞した最先端の車両である。詳しくはこちらをご覧ください。https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000288/288153/gaiyou.pdf
まず構内入れ換え運転の撮影が行われる。今回の20系車両はまだ営業運転に充当されていない正真正銘の新車だ。引き上げ線から出てきて我々の前でいったん停車し、その後車両基地の奥で折り返し、車庫14番線で停車した。
ここで初代10系と並んでの撮影会となる。方向幕を適宜変更してくれる。
撮影会と並行して運転席撮影会も行われる。撮影会は約2時間に及び撮り鉄ではない私は時間を持て余して、外では暑いので車両の中で待機していた。
建屋内に停車し、12時15分にツアー列車から下車する。扉を抜けるとそこは博物館の本館だった。参加者はここで博物館見学、SLスチーム号乗車、100系新幹線車内特別公開などのイベントが予定されているが、私は京都市営地下鉄のイベントに参加するので離団する。京都鉄道博物館は過去2回見学したことがあるので、もったいない部分もあるが、今回は優先順位を考えてパスする。
鉄道博物館前には京都市電が静態保存されていた。後ろの建物はスターバックスコーヒーで京都の景観に配慮した落ち着いた色合いだ。
梅小路京都西駅12時35分発の列車に乗って京都駅で近鉄に乗り換える。東海道線の下り線で人身事故があり運転見合わせとなっていた。駅の通路では助役の人が台に乗ってメガホンで運転状況と振替輸送の案内をしていた。こういう様子は関東では見かけない。
近鉄京都駅13時01分の急行で竹田駅で下車し改札口付近でTさんと落ち合い、1万円を借用する。これで京都市営地下鉄のイベントに参加できることになった。
吹田駅の先で左に分岐し吹田貨物ターミナルに入る。11時09分、吹田貨物ターミナル西と呼ばれる場所で5分ほど停車する。貨物ターミナルの向こうには正雀工場と書かれた大きな看板が見えている。阪急の正雀工場だ。意外と近くにJRと阪急が走行しているのだ。本線をトワイライト瑞風が通過していくのも見えた。
多くの貨物コンテナが見える中を進み、茨木で東海道線に合流した。
東海道線の外側線を進むなか、参加者向けにお弁当が用意されていて、ここで駅弁タイムにする。淡路屋のJR貨物コンテナ弁当だ。黄緑色で昔の国鉄コンテナ風だが、コンテナの表記はJRFとなっていてちょっと残念だ。
中身は明石の鯛めして、半分くらいしか入っておらず、ちょっと物足りないが旅気分は高まってくる。
神戸駅1番線を発車し、神戸線を上って行く。尼崎を通過し、神崎川を渡ると左に分岐し北方貨物線に入る。北方貨物線は吹田貨物ターミナル駅から新大阪駅のすぐ隣りを通って尼崎駅に至る貨物線用線だ。大阪駅を通らないので旅客列車には縁のない線だが、大阪駅が工事中だった時期は寝台特急が北方貨物線を経由して運転されることがあった。私は過去2回寝台特急で真夜中に通過したことがある。寝ずに起きて眺めたが、当然のことながら外はほとんど見えなかったので今回が実質的には初乗りだ。新大阪付近まではほとんど新幹線の高架下を走行する。
高架下を進みながら網干総合運転所宮原支所の隣りを走行する。かつては宮原操車場、機関区、客車区、電車区などの組織があり、特急車両の配置もあったが今は普通電車主体の配属である。
新大阪駅ホームの隣りを走行し、おおさか東線と合流した。走行経路は以下をご覧ください。①から順番に走行しました。
大久保で折り返して、今度は神戸線を上り、神戸駅1番線で15分ほど停車して撮影会となる。神戸駅は3面5線の構造で1番線だけ単式ホームになっていて、時間帯によってはここで待避が行われるようだ。この時間帯は一般列車の入線がないので我々一行の貸し切りになり、乗り換え階段も閉鎖されている。
先頭車では大勢の撮影者でごった返している。家族連れは子どもを入れて写真を撮ろうとするので、ベストショットを狙おうとする人は苦労していた。
神戸駅の明石方には上下線の間に引き上げ線がある。大久保でなくここで折り返すことも不可能ではないだろうが、ダイヤの都合でそうもいかないに違いない。
神戸は東海道本線の終点であるとともに山陽本線の起点でもある。ホーム上にはそれを示す距離標が設置されていて参加者が順番に撮影していた。
ツアー受付は大阪駅にある日本旅行で行われる。ここで参加記念証や記念クリアファイル、お弁当などを受け取る。私は途中で離団するのでその旨申し出ておく。乗り鉄仲間のSさんをお見かけし合流する。私は始発の新幹線でやってきたがSさんは余裕を見て前泊したとのこと。出発ホームの3番線で今後の乗り鉄の予定などを話し合う。ツアー列車は9時01分入線、9時04分発車とあわただしい。先頭車の様子などを撮影し急いで列車内に入る。ヘッドマークは「直行京都鉄道博物館」となっている。
定刻に発車し、JR神戸線を西に進む。列車はキハ189系の3両編成で私は先頭の1号車窓側になった。車内はほぼ満席で人気の高さが伺える。車掌は3名乗務している。そのうち1名は過去2回開催された本ツアーにも乗務したとのこと。ドア上部のスクロール表示は「この列車は団体です」と表示している。「この列車は団体専用です」や「この列車は団体専用列車です」ならば分かるが、「団体です」とは日本語がおかしい。
列車はまず西宮でホームのない側線に入り後続の新快速を待避した。この側線に入る旅客列車はないはずだから貴重だ。
側線を出るとその後は後続車に抜かれることなく、大久保駅下り3番線に停車した。ドアは開かず、ここで折り返して京都方面に向かう。参加者は全員席を立ってシートを回転させる。
名古屋を出て何気なしにリュックの持ち物を確認すると長財布を忘れて来たことに気づいた。私は普段、小銭入れと長財布を併用していて、小銭入れは持ってきたのだが長財布は家に置いて来てしまったようだ。長財布には1万円札数枚やキャッシュカード、クレジットカードが入っている。鉄道の乗車は新幹線も含めて小銭入れに入れてあるSuicaで対応しているので新幹線に乗る時には長財布を忘れたことに気づかなかった。ツアー代金は支払い済みだし、最近はたいていの場所でSuicaやスマホ決済が利用できるので長財布を忘れても通常は問題ないのだが、運の悪いことに今日参加する京都市営地下鉄のイベントは現地で現金で参加料を支払うことになっている。小銭入れにも千円札が数枚入っているが、今回のイベントは1万円なので足りない。
私の利用しているネット銀行ではキャッシュカードがなくてもスマホだけでコンビニATMで現金を引き出せることを思い出した。さっそくそのやり方を調べてみたら、何と私は安全のためその機能を利用できない設定にしていたのだ。設定の解除はすぐにはできないようだ。
私のSuicaはクレジットカード併用なのでクレカでキャッシングできるはずで調べてみたところ、その機能は不要だとして極度額を0にしていたのだ。
すると残された方法はひとつしかない。今回の京都市営地下鉄のイベントには乗り鉄仲間のTさんが参加することをたまたま知っていた。知り合い同士でのお金の貸し借りはお互いしたくないものだが、今回は背に腹はかえられない。早朝の新幹線の中からTさんにメールをしたところすぐに快諾のご返信をいただけた。朝っぱらから無理なお願いを聞いてくれたTさんには大感謝だ。この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。代金はその場でインターネットバンキングでTさんの口座に振り込んだ。
今回反省すべきことはそもそも財布を忘れないようにすることだが、セキュリティを重視するあまり、スマホATM取引やクレカキャッシング取引を利用しない設定にしていたことも大きい。昔はATMが取引時間や他行での引き出しに制約があったり、学生時代はクレジットカードなど持っていなかったから、旅行する時などは財布をなくしたりするなどの非常時に備えて、数万円の現金を常に別に忍ばせていたのだが、最近はそういうこともしなくなった。便利な世の中になって油断していたのだろう。万が一に備えて複数の手段が利用できるよう選択の幅を広げておくことはどんな場合でも必要だと感じた。
いろいろあったものの列車は定刻8時06分に新大阪に到着した。
日本旅行から「キハ189系で直行!京都鉄道博物館の旅」と題するツアーが発売された。大阪駅を出発し、神戸線を西に進み大久保駅で折り返し、神戸駅1番線で記念撮影のため停車した後、北方貨物線経由で京都駅に着き、そこから梅小路運転線を走行して京都鉄道博物館に直行するというツアーだ。このツアーは以前にも発売されたのだがその時は予定が合わず乗れなかったのだ。北方貨物線と梅小路運転線に乗れるまたとないチャンスなのでぜひ参加したいと思い、発売開始と同時に申し込んだ。開催日は9月23日で、その後同日開催の京都市営地下鉄の20系車両ローレル賞受賞記念イベントに当選したというメールが来て、撮影会、洗浄線体験に参加できることになった。同じ日に重なってしまったが、京都市のイベントは午後開催なので、189系で京都鉄道博物館に着いた後にツアーを離団すれば京都市のイベントに間に合いそうだ。189系は鉄道博物館に着いた後は館内見学やSLスチーム号の乗車などが予定されているが、どちらも過去に経験済みで離団しても私には影響はない。ということで1日にふたつのイベントに参加すべく集合場所の大阪駅に向かった。
大阪駅の集合は8時30分集合となっていて、この時間に首都圏から大阪に向おかうとすると今春のダイヤ改正で登場した新横浜発6時03分ののぞみ491号が便利だ。新横浜から名古屋、大阪方面にもっとも早く到着できる。5時40分頃新幹線ホームに上がると列車はすでに入線していたがドアが開いておらずすぐには乗れないようだ。隣りの6時ちょうど発のひかりはすでにドアが開いていた。ホームのベンチでしばらく待って5時48分、何のアナウンスもなくドアが開いた。
新横浜発の時点で2割程度の乗車で新大阪まで最短で行けるからもっと混んでいるかと予想していたがそうでもないようだ。小田原で先行のひかりを追い越す。名古屋では乗ってくる客が多く、半分くらいの混みになった。
新函館北斗に16時58分に到着して、ここでは17時26分発のやぶさ44号に乗り換える。北海道新幹線は札幌延伸に向けて工事中で、まだ10年くらいはかかるのだろうが開業が待ち遠しい。
はやぶさは発車15分ほど前に回送で入線してきた。今回の旅の最後を締めくくる5回目のグリーン車でこれで東京まで帰る。グリーン車は新函館北斗発車時点で10人弱といったところでまだ空いている。新幹線のグリーン車は、座席のどっしりとした安定感が先ほど乗ってきた在来線特急とはツーランクぐらい違う。車両自体の安定感も影響しているだろう。スマホアプリで確認すると北海道新幹線の最高速度の260kmに達しているが、そんな感じはまったくしない。
お昼に食べ過ぎ、しかもビールも飲んだので、食事もアルコールも摂る気がしない。お菓子とお茶で軽い夕食とした。
新青森からは乗務員がJR北海道から東日本に代わる。強い口調の早口の女性車掌で聞いていて疲れる。堺正幸アナが右の耳から左の耳にスッと抜けるアナウンスを目指していると言っていたが見習ってほしいものだ。
盛岡でこまちとの連結作業を見ようと準備をしていたら、このはやぶさはこまちを連結しないことが分かった。うっかりホームに出ていたら置いてけぼりを食らうところだった。
私の隣りの席には最後まで誰も乗ってこなかったので快適な最後を締めくくれた。グリーン車は空いていることも重要な要素のひとつだ。今回は3日間では帯広まで往復し、その間宇都宮ライトレールとスペーシアX乗車、札幌市電車庫乗り入れ、根室本線廃止予定区間の乗車などいくつもの体験ができ、しかもパスのおかげでぜいたくで快適な旅ができた。次回もグリーン車用を利用して旅をしたいと思った。
これで「大人の休日パススペシャルグリーン車用の旅」を終わります。
札幌に12時25分に到着し、次に乗る北斗14号までは約1時間ある。この間を利用して駅でおみやげを購入する。あわせて北斗の車内で食べる昼食も調達した。
今回4回目となるグリーン車だ。車両は北斗3号やとかち5号と同じだ。今回の北斗14号は海側の2人席窓側を予約した。行きが山側だったからだ。予約した時には隣りは空席だったし、昨日乗った下りの北斗も通路側は空席があったので大丈夫だろう。
ところが車内に入ると私の席には誰が座っていて、しかもすでに食事を始めているではないか。その人は切符を示して、夫婦で隣同士に座りたいから席を代わってほしいと身振り手振りで頼んできた。外見からは中国か台湾の人のようだ。話しの趣旨は分かるし、断るのもおとなげないから「Change?、OK!、OK!」と英語らしきもので答えたが、本来であれば私が来るまでは食事を始めずに待っているのが礼儀だろう。
そんなこんなはあったが、グリーン車は終点までほぼ満席だったので海側を見たいがために見知らぬ人と隣同士になるよりも、一人席で気兼ねなく座れたので結果的には良かった。
昼食は札幌駅の大丸で焼きそばと春巻きを購入。ところが割りばしを頼んだのに付いていないではないか。こういうことに備えて割りばしを常に用意してきているので事なきを得たが、持っていなかったら手づかみで食べるしかなかった。焼きそばは540円なのにボリュームたっぷりでお腹がパンパンになった。
秘境駅の小幌をホイッスルを鳴らしながら通過。ホームには撮り鉄が5人くらいいた。長万部では山線経由の臨時特急ニセコ号が停車していた。本来ならばハマナス編成と呼ばれるピンク色の車両が充当されているはずだが、ブルーのラベンダー編成だった。車両不具合で代走となっているのだろうか。山線も廃止が決まっているようなものなのでいつかは乗りに行きたいと思っている。
東鹿越から乗ってきた車両は富良野から先はそのまま滝川まで行くが、ここで富良野線に乗り換える人も多く、半分くらいが下車した。富良野駅にはディーゼル機関車が停車しており、ここまで貨物列車がやってくるようだ。
富良野・滝川間は先ほどよりは一般客の乗り降りが多く、芦別、赤平などの駅ではそこそこ乗り降りがあったがそれでも楽観できるレベルではなく先行きが心配される。
滝川で特急に乗り換えるが、少し時間があるので駅前に出てみた。駅前にグライダーが1機展示されていた。滝川は市内にグライダーの飛行場があり、一般の人も体験飛行ができることで有名らしい。
滝川駅で北の大地の入場券を購入。北の大地の入場券とはJR北海道の82駅で発売されている入場券で、券面に各地の鉄道風景などがデザインされている。裏面は地図になっていて全部集めるとJR北海道の路線地図ができるらしい。以前行われていたご当地入場券の後継企画だ。「風が見つけた町滝川」というキャッチフレーズ入りで待合室の自販機に「滝川旅情」なる地元銘菓が販売されていた。おみやげ用の箱入りだけでなく、バラ売りもあり、1枚購入。アーモンドをまぶしたキャラメル風のお菓子でなかなかおいしかった。最初から分かっていれば箱入りをおみやげに買ったのにと後悔する。
滝川発11時33分のカムイ20号に乗車。この特急にはグリーン車が連結されていないため、普通車指定席を利用する。せっかくグリーン車に乗れるきっぷを持っているのに、これではちょっと損をしたような気分になる。ただしカムイに連結されている指定席車両はUシートと呼ばれるもので普通の車両よりグレードの高いシートが使用されていてそこそこ厚みのあるどっしりとしたものだった。
東鹿越から富良野まではバス代行ではないが、利用者が少ないので来年鉄道線が廃止されることになっている。車両は数が減っているキハ40でこれに乗れるのもあと何年だろう。客は全員がバスから乗り換えた人だ。
9時16分、東鹿越を出発。すぐに右手にかなやま湖が広がる。かなやま湖を過ぎるとホイッスルが鳴って急停車した。また鹿が出たようだ。現場に3分ほど停車したが何事もなく運転を再開した。再開後に運転士が「急停車でケガをされたり気分が悪くなったりした人がいれば申し出てほしい」とアナウンスした。こういうのは初めて聞いた。
途中の布部駅。このあたりはホームと駅舎の間にスペースがある駅が多い。途中駅の乗降はほとんどなく、結局東鹿越・富良野間で乗ってきた一般客は3人だけだった。廃線が決まっていなければこの3人しか乗っていなかったわけで、乗り鉄のパワーを地方鉄道の活性化に活用する手立てはないのだろうかといつも思う。
ところで私は大人の休日パスでこの区間を乗車したが、どの線でも乗れるフリーきっぷで乗車した場合この区間にどれだけ売り上げが計上されるのだろうか。線区の距離按分で売り上げが計上されるのか、発売した駅が属する線区の売り上げとなってしまうのか、それとも別のルールがあるのか、まさかどんぶり勘定でやっているわけはなく、キチンとした原価計算に基づいて計算されているのだろうが、いつも気になる。線区ごとの利用者数とともに営業係数も廃線を左右する重要な要素だからだ。
サホロリゾートを発車し、狩勝峠の上りになりバスは登坂車線を進む。あたりは霧で視界が効かない。晴れていれば十勝平野の絶景が広がるところだ。宮脇俊三さんの時刻表昭和史の中でも、旧制中学4年の時初めて北海道狩を旅した際、長年楽しみにしてきた狩勝峠が霧で何も見えずがっかりするくだりがあったが、それを思い出す。
峠を下ると霧も晴れてきた。バス代行区間の一駅目の落合駅。駅舎は意外ときれいな状態が保たれていた。駅構内の跨線橋は閉鎖され使用できないようになっていた。ここからは1名乗ってきた。
続いて幾寅駅。こちらは高倉健の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台になった駅。今も訪れる人が多いと思われる。ここでも1名乗ってきた。
幾寅・東鹿越間にある踏切。今は列車が来ないのでバスは一時停止せずに通過した。
バス代行の終点東鹿越駅に到着。途中道が混んだ訳でもないのに2分遅れでの到着となった。結局、代行バスには一般客と思われる人は私の見る限りは赤ちゃんを連れた女性1名だけで、他は全員廃線前にこの区間を乗っておこうとする人たちだった。元から人口が少ないのと運転本数が少なすぎて地元の人にとっては利用したくても利用できないのが実情だろう。
前回私がこの区間を訪れた時の記事はこちら。http://mktabi.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-b7e7.html
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