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特急湘南10号東京行きは平塚駅を発車すると旅客線から貨物線に転線します。以前は大船駅の手前で転線していたのですが、今年3月のダイヤ改正で変わったようです。
こちらが転線の様子です。1番線から発車し、貨物線の下り線を少し逆走し貨物線上り線に転線しました。
この渡り線を通るのはこの列車と湘南24号だけで、平日だけの貴重な体験です。
鹿島臨海鉄道の鉄印をゲットし今日の行程はこれで終了となるはずだったが、実は昨日最後に乗車したはくたかの車内に帽子を忘れてしまったのだ。普段はあまり帽子はかぶらないのだが、昨日は猛暑日が予想されていたので用心のためかぶっていた。ただ列車に乗ると蒸れて邪魔なので脱いで席に置いていたのを忘れてしまったのだ。置き忘れた列車の席番は分かっていたので、JR東日本のサイトから問い合わせをしておいたら、水戸駅での乗り換えの間に発見されたとのメールが来た。
モノは東京駅で保管しているとのことで、このままときわ号に乗って行けばいいから都合がいい。日本橋口にある東京車掌区の奥にある遺失物センターに立ち寄った。先客がふたりほどいたがすぐに順番になり、本人確認資料を提示すると2分ほどで遺失物とご対面となった。無事再会できてホッとした。この帽子は2019年に北海道旅行に行ったときに新日本海フェリーの船内で買った思い出深いものだ。
私は今まで出先でモノを無くしたことが何度かあるがほとんど見つかった。大学生の時に秩父鉄道を乗り歩いた帰りに羽生駅でキャッシュカードを落とした時は、駅員が銀行に電話して私の家の電話番号を教えてもらい駅から拾得の連絡が来た。今は銀行が客の電話番号を他人に教えることなどありえないが、当時は困っている人がいるならば助けてあげようという心温かい時代だった。
新幹線の中で切符を失くした時も、定期入れを失くした時も、路線バスの中でカメラをなくした時も無事戻ってきた。いずれも列車名や席番が分かっていたので素早く見つかった。少なくとも交通機関での遺失物であれば失くした場所さえ特定できればかなりの確率で見つかるのではないだろうか。唯一見つからなかったのが神戸で失くしたカメラで、あちこち歩き回っていたのでどこで失くしたか記憶になく警察に届け出る時間もなかったのであきらめた。
ただ今回の私の不注意で担当者に余計な仕事を増やしたのは事実だし、いつもいつもうまくいくとも限らないので、今後はしっかりと肝に銘じたい。
これで「2022年夏大人の休日倶楽部パスの旅」を終わります。
ひたちBRTの終点のおさかなセンターバス停はその名の通り海産物のショッピングセンターのあるところで勝手丼などが楽しめるスペースもある。旅番組で訪れた蛭子能収さんのサインなどもあった。
帰りはおさかなセンター10時ちょうど発の多賀駅前行きに乗車。行きでは気づかなかったが南部図書館バス停には日立電鉄のレールが展示されていた。
ひたちBRTの乗車を終えて、次は鹿島臨海鉄道の鉄印収集に向かう。大甕駅は地下通路で東西出口が結ばれ、改札口も地下にある構造だ。おそらくひたちBRTと一体で駅前広場や地下通路の整備が行われたのだろう。
大甕発10時15分の普通列車で水戸で乗り換える。鹿島臨海鉄道では大人の休日倶楽部パスは利用できないので水戸駅で乗車券を購入。車両はオール転換クロスシートでありがたいが、老朽化しているのか冷房の効きが悪く扇風機が熱風をかき混ぜている。11時04分大洗駅に到着。
鉄印の押印場所は駅改札脇の売店となっているが誰もいない。次の列車まで待ち時間が7分しかなく不安になったが30秒ほどして担当者が現れホッとした。
大洗駅11時11分発の水戸行きの乗車し、水戸駅11時27分着。11時53分発のときわ66号に乗り換え帰路に着いた。
品川発7時15分の特急ときわ51号に乗車し9時10分常陸多賀で下車し、これから茨城交通ひたちBRTに乗車する。かつてこの地にあった日立電鉄は2005年に廃止されたがその廃線跡を利用して茨城交通により2013年からBRT(バス高速輸送システム)が運行されている。日立電鉄線は鮎川駅から大甕駅を経由して常北太田までの18.1kmの路線を有していて、私は1983年に乗車した。その廃線跡を利用して運行されているひたちBRTは現在は2期工事が終了した段階で、最終的に日立駅まで乗り入れることになっている。廃線跡がバス路線に転用されているのは河原子から大甕駅を経由して南部図書館までの区間で、安定輸送に貢献しているようだ。
常陸多賀駅前から9時15分発のおさかなセンター行きに乗車する。バス自体は普通のバスだがオートマチック車だ。始発からは私ともうひとり乗った。
河原子バス停から専用道に入る。一般車が進入しないようバーが設置されていてバスが来ると開く仕組みである。一般道路との交差が多いので頻繁にゲートが現れる。しかもバス側にゲートがあるためその都度バスが一時停止する必要があり、オートマチック車とはいえ運転手は大変そうだ。
バス停は屋根付きで一般のバス停よりこぎれいなものが設置されている。
途中から一般道路と並行する区間も現れるが、道路自体は完全に分離されている。
常磐線をまたいで大甕駅西口に到着。ここで2分ほど時間調整をして、再び常磐線をまたいで専用道を進む。
対向のバスがやってきてすれ違いスペースで交換をする。信号システムによりすれ違いスペースでないところですれ違わないよう制御されている。南部図書館で専用道は終わり、9時45分終点のおさかなセンターに到着した。
一般にバスの整理券は紙のことが多いがこちらはプラスチック製ICカードだった。カード自体には整理券番号が記されていないので、利用者は乗ったバス停の整理券番号を覚えておく必要がある。そのため「◯◯バス停でご乗車の方の整理券番号は◯番です」というアナウンスが頻繁に流れる。ICカードを運賃箱に投入すると運賃が表示され、運転士はそれで支払い金額の適否を確認している。ICカードは何度も使い回すので角が取れてすり減っていた。
川崎駅で南武線から京浜東北線に乗り換える。今年は鉄道開業150年にあたり、川崎駅も開業150年にあたる。ということは10月14日が川崎駅開業150年に当たると思いがちだが、実は新橋・横浜開業に先立ち、6月12日に品川・横浜間が仮開業していたのだ。10月14日は明治天皇の臨席を賜った新橋・横浜間の開業記念式典の日で、その前にすでに一般の客を乗せて一部区間で営業運転を行っていたのだ。駅名票は鉄道開業150年の特別バージョンになっている。
駅社員撮影写真展も開催されていた。好きな写真に投票して、その写真のカードがもらえる。写真は概ね最近の新幹線車両と国鉄時代の車両とに分かれている。私は485系やまびこと583系みちのくの並んだ写真に投票した。
京浜東北線で品川に出ると、ここも仮開業150年の駅なので駅名票が限定バージョンになっていた。
さらに仮開業を知らせる大きなポスターも掲示されていた。
大人の休日倶楽部パスの旅3日目は武蔵溝ノ口駅3番線から発車する川崎行き乗車から始まる。武蔵溝ノ口駅は2面3線構造で1番線が川崎駅方面、2番線が立川方面、3番線が待避線となっている。しかし土休日に1本だけ3番線から川崎方面に発車する列車があり、それがこれから乗車する6時01分発だ。
ご覧のような配線だ。運転士の他に指導員のような人が添乗していて、その人が運転士に細かく指示を与えている。運転士はその内容をしっかりとメモに取っている。ここからの出発は滅多にないから慎重に対応しているようだ。
信号が青に切り替わり「制限35」の喚呼とともに発車し、下り線を少し逆走し、上下線の間にある渡り線を通って上り線に転線した。
次に向かったのが同じく南武線の矢向駅だ。この駅は車庫が隣接し、早朝に当駅始発の列車が数本あり、あまり使用されない3番線から発車する。
乗車したのは6時21分発の列車でこちらがその様子。まず右に分岐する。
続いてもう1回分岐があり、本線に合流した。
大火のあった糸魚川駅前をちらっと散策し、同駅発16時19分発の列車に乗車。直江津、上越妙高と乗り換え、新幹線で18時43分上田に到着し、上田電鉄の改札前にあるセブンイレブンで買い物をして長野県のセブンイレブンを制覇。
上田発18時55分小諸行きの国鉄型115系に乗車し、小諸には19時16分に到着した。
ここで乗り換え時間が7分あり、この時間を利用してしなの鉄道の鉄印をゲットする。上り列車なので駅舎寄りの1番線に到着するかと思ったら跨線橋を渡る必要がある2番線に到着したので改札口まで遠い。さらにこの駅は書き置き印でなく、鉄印帳にスタンプを押印する方式で窓口氏はていねいに押印してくれ、なおかつ頼みもしないのに鉄印代金300円の手書き領収書まで発行してくれた。ありがたいことだが乗り継ぎ時間が短いのでハラハラした。
鉄印収集後、再び階段を昇り降りして、小諸19時23分の列車で軽井沢に向かった。
しなの鉄道の軽井沢駅は旧軽井沢駅を移築リニューアルしキレイになったのだが、残念ながら暗くてよく分からなかった。この日の日本列島は日中は40度超えを記録したところもあったが夜の軽井沢の風は冷たかった。
軽井沢発20時10分のはくたか574号で帰路に着き、大人の休日俱楽部パスの旅2日目は終了した。
直江津に戻り、15時03分発の観光急行に乗車する。国鉄型455系交直両用急行電車で、えちごトキめき鉄道では昔を懐かしむファンのため運行している。乗車には急行料金500円が必要になるが、急行券が硬券タイプなので記念になる。車両はクハ+モハク+モハの3両編成だがデッキが付いていないタイプだ。直江津のホーム屋根はレールを柱にした古めかしいタイプで国鉄型車両とよく合っている。
各車両ワンボックスにひとり程度の乗車でせっかくの国鉄型車両もガラガラでもったいない。観光急行は直江津駅1番線から発車した。1番線は行き止まり式の切り欠きホームになっているので糸魚川方面にしか出発できない構造になっている。過去にこのホームから乗ったことはおそらくないだろう。
直江津を出ると列車はモーターの唸りもたくましく時速100km以上で快走した。
この列車は糸魚川までノンストップのダイヤ設定だが、実際には途中の能生で20分ほど運転停車し、撮影タイムとなっていた。先頭車付近ではえちごトキめき鉄道の社長の鳥塚氏が乗客と談笑している。ヘッドマークも「鳥塚」となっている。
能生での撮影タイムが終わると糸魚川に向けて出発。糸魚川の手前でデッドセクションを通過するので車内灯が消える。最近はバッテリーが備えてある車両が多く、体験することがなくなった仕掛けだ。
15時51分、糸魚川着。糸魚川は数年前に大火があり復旧が気になっていたが、焼けたままの建物は見られず、更地も少なく、見た限りは大火のあった街には見えなかった。
直江津レールパークの見学を終えて、これから鉄印収集のため北越急行の十日町駅に向かう。直江津駅ホームで列車の到着を待っているとSL乗車体験の2回目の便がホーム近くまでやってきた。
11時32分発の越後湯沢行きに乗車。2両編成でオール転換クロスシートの車両だ。犀潟で信越本線から分岐し、ここから先が北越急行線になる。大人の休日倶楽部パスは北越急行にも乗れるのでありがたい。 高架線とトンネルが続き高速で進行していく。スマホの速度計では110km/hを計測している。
12時15分十日町着。ここで鉄印をゲット。北越急行開業25周年の記念鉄印があったのでそれを購入。外はかなりの暑さなので次の列車まで待合室で過ごす。
12時58分の列車で直江津に戻った。ホーム上には直江津駅自習室なる設備が設けられている。中にテーブルとイスがあり、ここで勉強できるようになっている。こういう設備は他では見たことがない。
駅のニューデイズでは地元の老舗パン屋「小竹サンドパン」が販売されていたので、お昼用に購入。コッペパンにバタークリームを塗ったパンで素朴な味だ。
回送電車乗車体験が終わり、 8時55分にレールパークに入る。回送電車から下車した人はSL乗車体験の9時10分の回には乗れないとホームページに記述があったが実際には余裕で乗れた。客が集中し乗り切れない場合を想定しての記述のようだ。
ここのD51は実際に石炭を焚いて走るのではなく、圧縮空気でピストンを動かして走行する仕組みで、これだとボイラーの保守点検などを行う必要がないので簡易な走行体験が可能だ。緩急車2両を連結しており、私は後部車両の外に出て景色を眺めた。
バックで構内をゆっくりと走行し、直江津駅の隣までやってきた。レールの上には車止めの代わりにまくら木が置いてあり、そこが限界のようだ。そこで進行方向を変えて来た道を引き返す。
乗車体験が終わると機関車だけを切り離して転車台実演が始まる。
それが終わると撮影タイムとなり各自自由に写真を撮れるようになる。猛暑日が予想されていてまだ10時前なのにすでにかなり暑い。
扇形車庫が隣接していて、その中では車両の展示とグッズ販売などが行われていた。それらを見学した後、歩いて直江津駅に戻った。
大人の休日倶楽部パスの旅2日目は直江津方面になる。6月25日土曜日、まず東京駅発6時28分のはくたか551号に乗車。私は進行右側A席を予約してある。ひとつ隣のC席は上野から乗ってきた。大宮発車時点では7割程度の混雑になる。3列くらい後ろの席には女性のグループ客がいて大声で会話をしていてとてもにぎやかだ。高崎でも乗ってくる客が多く、満席に近い状態になったが、軽井沢で少々下車した。まだ朝の7時半だが、この時間帯の清々しい軽井沢を散策するのだろう。
長野で大量に下車し上越妙高には8時29分に到着。ここで8時48分発のえちごトキめき鉄道に乗り換える。大人の休日倶楽部パスでえちごトキめき鉄道の新井・直江津間も乗車できるのでありがたい。直江津には9時01分に到着した。
これからえちごトキめき鉄道が運営するD51レールパークを見学してくる。D51レールパークは直江津駅に隣接しているので徒歩でも行けるが朝に1本だけ直江津駅からレールパークまで直通する列車が運行され、回送列車乗車体験として無料で乗れるようになっている。
直江津駅でレールパークの入場券を購入し、6番線の体験乗車の乗り場に向かう。先ほど上越妙高から乗ってきた列車の後部2両を切り離して回送体験の車両とするようだ。私の他に先客がふたりいた。多い時には50人ほど乗ることもあったようだが最近は1桁らしい。検温と手指消毒をして車内に入つた。
9時35分、誘導信号機の現示に従い、直江津駅を発車。
まずいったん新井方の引き上げ線に入っていき、QA番線の表示がある線で停車する。駅からの距離は目測で500mほどだろうか。意外と距離があった。
ここでエンド交換をして、車両基地へと向かう。
途中から赤と緑の手旗を持った職員が乗り込んできた。運転士は手旗信号による誘導を受けて構内を進行していく。
洗車機の手前でいったん停止した後、洗車機体験となる。洗車機を抜けるとエンド交換し、今通ったばかりの洗車機を再び通って停車する。
洗車機を出るとまたまたエンド交換して、3回目の洗車機体験となり、それが済むとその先にある建屋の中に入り、これで回送電車乗車体験は終了となった。洗車機を3回も通過する意味はあったのだろうかという気もするが、たくさん乗れるのはありがたい。
13時58分、内陸線は1両で角館を発車。車両は昭和63年製だから、内陸線が開業した当時のものだろう。客は20人くらい乗っているから意外と乗車率は高い。田沢湖線から左に分岐し北へと進路を取る。雨がしっかり降るようになってきた。
角館から1時間、阿仁マタギ駅に到着。ここで最初の下車客が3人ほど降りた。不思議なことに今まで下車客が全く無かった。結構遠くまで乗り通す客が多いようだ。
萱草の手前にある大又川橋梁を観光客向けに徐行して渡る。
15時22分定刻より2分遅れで阿仁合着。この駅で鉄印を収集する。雨が降っているなか、先頭を切って小走りに駅舎に向かい、鉄印をゲットした。私の他にも同じ列車で下車した女性客が1名鉄印を集めていた。
観光列車「笑EMI」号をデザインした鉄印だ。阿仁合で折り返し、急行角館行きに乗車。アテンダントが乗務していて地元産品の販売も行っていたので、笑内(おかしない)のチーズまんじゅうとバター餅を買ってみた。車内でアテンダントによる沿線案内が適宜行われる中、16時35分角館に戻ってきた。
16時58分角館発こまち38号に乗り換える。角館発車時点で既に7割程度は埋まっていた。大人の休日倶楽部パスで出かける人が多いのだろう。盛岡で満席となり、東京駅には20時04分に到着し初日の行程は終了した。
熊谷駅11番線の発着を楽しんだ後、大宮でこまち17号に乗り換える。大宮発車時点でほぼ満席の状態だ。私は窓側A席を予約済みだが、大人の休日倶楽部パス利用者が多いのか、久々に混んだ列車に乗ったので息が詰まりそうだ。私の隣の席も埋まっている。朝も早かったこともあり、仙台までの約1時間は寝て過ごした。その後一関付近から雨が降ってきた。この日の東京は猛暑日予想だったので傘も持たずに来たのだが、目的地の秋田は降水確率100%だった。今日はほとんど乗りっぱなしで街歩きの予定はないので行程に影響はない。盛岡から地平に降り、引き続き小雨の中、13時24分角館に到着。
駅舎は武家屋敷を模したものになっている。シンプルで落ち着いた色合いの建物だ。
こちらは駅舎の隣にあるJR系ホテルのフォルクローロ角館だ。蔵造風の建物になっている。
こちらは観光案内所。こちらもまた落ち着いた感じの建物。
観光案内所の前には生保内(おぼない)線(現田沢湖線)で走っていた蒸気機関車の動輪が飾られている。地元の有志が秋田鉄道管理局から払い下げを受けたもの。
こちらは秋田内陸縦貫鉄道の駅舎。駅舎はJRの駅に隣接した小ぶりなものだが、角館駅周辺はどの建物も趣あるものが多い。
内陸線角館駅で角館・阿仁前田間で使用できる一日乗車券1,500円を購入するとあわせてリピーターチケットというものがもらえた。来年3月までの間、無料で一日乗車券を1枚発行してもらえるチケットだ。最近コンビニで1個買うともう1個無料クーポンがもらえることがあるがそれと同じだ。有効期間内に再び内陸線に乗りに来ることは無さそうだが、鉄道会社では珍しい取り組みだ。
山梨県のセブンイレブンを制覇して、続いて群馬県のセブンイレブンに向かうため、上野原発6時46分の通勤特快東京行きに乗車する。10両編成だがすでに半分以上席が埋まっている。高尾で席が全て埋まり、ここからは八王子、立川、国分寺と止まり、国分寺から新宿間は無停車となる。この間約27分間ノンストップ運転だ。JRの快速電車でこれだけ長時間無停車なのは珍しい。ただ先行列車を追い抜けるのが三鷹しかないので通勤特快といいながらノロノロ運転だ。通過駅ではホームのアナウンスがしっかり聴き取れるほどゆっくり通過していく。新宿から先は降りる客が多くなり東京駅には8時09分に到着した。
ここで8時24分発のとき307号自由席に乗車する。東京駅はガラガラで発車したが、大宮で客がどっと乗り込み自由席は満席となって9時17分高崎に到着した。ここで東口駅前にあるセブンイレブンで群馬県を獲得した。
高崎発10時03分発のたにがわ406号に乗車する。ホームで到着を待っていると下り通過線を200系塗装のE2系が通過していった。今年は東北・上越新幹線開業40周年のメモリアルイヤーで、その関係でE2系の塗装が開業当初白に緑の帯に変更になっている。鼻高美人と呼ばれた200系とは先頭形状が大きく異なるので塗装だけ変えても違和感があり、懐かしさがこみ上げることはない。
たにがわ406号は熊谷駅で11番線に入線した。新幹線熊谷駅は通過線を有する2面5線構造で、上りホームは島式で11番線と12番線があり、通常は12番線が使用され、11番線は1日に4回ほどしか使用されない。その11番線に入る列車をミスターAN氏から教えてもらい乗りに来たのだ。こういう細かいところまで気にし出すとキリがないが、乗れる時には乗っておきたい。
町田駅の逆線発車を体験した後、八王子で中央線に乗り換え、上野原に6時ちょうどに到着した。上野原で下車したのはセブンイレブンを訪問するためである。セブンイレブンではアプリを利用して買い物をするとアプリ上でバッジ(ポイント)がもらえる仕組みがある。その中に都道府県制覇というものがあり、アプリを利用してを買い物をすると、その都道府県のバッジが獲得できる。私は今から4年前にアプリを入れてからすでに47都道府県中38都道府県のセブンイレブンに訪れている。旅行の都度その土地のセブンイレブンで買い物をするだけという単純なもので、全部訪れたからといって何か賞品がもらえるわけでもなく単なる自己満足の話だが、先日600国完集を果たしたケータイ国盗り合戦や鉄道全線完乗、鉄印収集などに通じる私のコンプリート癖をくすぐる遊びであることは間違いない。
そういう訳で未訪問の山梨県のセブンイレブンを訪問するために上野原で下車したのであった。目的のセブンイレブンは駅から10分ほど歩いたところにあるセブンイレブン上野原松留店で、ここでアプリを示してカロリーメイトを買って39都道府県目を獲得した。セブンイレブンなので店毎に特長がある訳でもなく、張り合いがないといえばないのだが、それでもやはり小さな達成感はある。
セブンイレブンからの上野原駅に戻る。上野原駅は斜面に張り付くように存在する島式ホームの駅で駅前広場はリニューアルされていた。島式ホームの駅ではその構造上、駅舎が橋上にあることが多いが、ここはホーム上に駅舎がある珍しい構造になっている。
夏の大人の休日倶楽部パスを利用して東日本の鉄道を乗り歩いてくることにした。今回の第一の目的はえちごトキめき鉄道の直江津D 51レールパーク回送線乗車、同じくSL乗車体験だが、それ以外に秋田内陸縦貫鉄道、鹿島臨海鉄道、北越急行、えちごトキめき鉄道の鉄印収集も予定している。日程は6月25日金曜日から27日日曜日の3日間で、それに合わせて会社の休暇を1日取ってある。今回は3日間の行程ではあるものの宿泊はせず、それぞれ日帰りで行って来る予定である。
大人の休日倶楽部パスのJR東日本用は4日間有効で15,270円なので、今回は3日出かけるから1日あたり5,000円ちょっとで新幹線、特急利用の日帰り旅行ができるわけでとてもお得だ。指定券も6回まで予約できるので行程に合わせてあらかじめ予約しておいた。
パスは前日までに購入しないといけないルールになつている。ネット上で支払い済みなので発券自体は当日でも構わないという説もあり真偽のほどは分からないしリスキーなので前日昼休みに食事に出たついでに発券しておいた。新橋駅では大人の休日倶楽部パスを発券した人限定でJR東日本オリジナル手ぬぐいとウエットティッシュがもらえるようになっていた。
初日6月24日朝、町田駅始発の八王子行きでスタートする。町田駅は2面4線構造で八王子方面電車は基本的に3・4番線から発車するが、4時56分の八王子行きだけは東神奈川方面ホームの2番線から逆方向に発車する。
出発信号が青に切り替わり、発車する。1日1回だけの貴重な体験だ。
すぐに下り線に合流したが、転線の様子をしっかり観察できた。
横浜都市発展記念館で11月6日まで「横浜鉄道クロニクル」という企画展が開催されています。クロニクルとは年代記という意味で、横浜と鉄道の発展を50年毎に区切って紹介しています。
新橋・横浜間開業にあたっては高輪付近と同様、横浜でも海上に築堤が作られ、当時の日本の土木技術の高さに驚きます。その築堤は鉄道開業までは乗り合い馬車が利用していたというのも驚きです。
展示品の中で目を引くのが鉄道開業50年の時の記念品で、箱入りで鉄道省の刻印のあるスライスされたレールです。
また鉄道開業100年の時は、日本国有鉄道による1号機関車の記念メダルが展示されています。
鉄道省から日本国有鉄道、さらにJRとなった鉄道開業150年は後世にどんなものを残すのでしょうか。横浜という視点から見た鉄道150年で意義のある展示だと感じました。
西国分寺にある東京都公文書館で鉄道開業150年記念「東京の鉄道と地域」という企画展が9月20日までの予定で開催されています。東京の発展を鉄道の視点から眺めたもので、馬車鉄道から始まり、市電、郊外鉄道などについての資料展示です。
公文書館ならではのなのが、許認可に関わる資料まで展示されていることで、資料はどれも分厚く、厚いものは10cmくらいはありました。展示は一部を除いて撮影可能です。
今回の展示で初めて知ったのは今回の企画展の趣旨からは外れてますが、鉄道開業時は原則禁煙車で煙草を吸う人は「吸煙車」なる車両で喫煙する必要があったこと、関東大震災直後には汽車・汽船が無賃で利用でき、故郷へ帰ろうとする人の利便を図っていたことです。まだまだ鉄道について知らないことが多く勉強が必要です。
本企画展は入場料無料でなおかつ25ページに及ぶ図録も無料なので、大変お得な企画展でした。まだの方はお早めに。
東京丸の内二重橋ビルにある外国特派員協会で9月30日まで『ウォーリー・ヒギンズ写真展「昭和30年代の日本」』が開催されています。ヒギンズさんは1956年に来日したアメリカ人写真家で現在も活躍中です。
昭和30年代の日本の鉄道車両をカラー写真でとらえています。鉄道写真自体も素晴らしいのですが、一緒に写り込んでいる建物、看板、車、人々の服装も当時の日本の姿を思い起こさせてくれて貴重です。
またここは著名人が会見を行う場所でもあるので、ここで発言した方々の顔写真も展示されていて、それを見られるのも楽しいです。
夜8時まで開催されているので仕事帰りでも間に合います。ぜひ一度訪問されることをおすすめします。
JR各社で発売されていたフルムーン夫婦グリーンパスが廃止されました。フルムーンパスは夫婦の合計年齢が88歳以上であれば、JR全線グリーン車、B寝台が乗り放題という大変お得なきっぷで、国鉄末期の1981年に発売が開始されたロングセラー商品でした。5日間用、7日間用、12日間用とあり、ふたりで84,000円から130,000円ほどで利用できるので、その安さには驚くばかりです。毎年秋に発売期間の告知があるのですが、今年はそれがなく、40年間の歴史に幕を閉じたようです。
発売当初のテレビCMでは昭和の名優上原謙と高峰三枝子が起用され、テレビCM自体が珍しかった国鉄としては相当な力の入れようでした。フルムーンパスを利用した熟年旅行がブームとなり、私の両親もよく旅に出ていました。2階建て新幹線で一気に九州まで行ったり、B寝台個室も利用できたので、旅の終わりには北斗星やあさかぜのデュエットに乗って帰ってきたりして、有効期間ギリギリまでパスをフルに活用していました。
コロナの影響による高齢者の旅行控えや結婚のあり方が変わるなど社会的な背景もあって廃止されたようですが、フルムーンの翌年に発売された青春18きっぷはさらに長く続いてほしいと思います。
堂島リバーフォーラムに向かったのはここで開催されているで「ZARD MUSEUM」を見学するためだ。ZARDは昨年デビュー30周年を迎え、それを記念して未公開の衣装、写真、歌詞、映像、思い出の品々などが展示されている。
イベントは予約制で私は19時からの展示見学と19時30分からの映像視聴の予定になっている。小雨降る中、18時30分頃現地に到着した。
19時ちょうど受付が開始される。入り口に検温器があり、37.3度もあり驚く。熱はないはずだが興奮して体温が上がっているのかもしれない。
中に入るとジャケット写真やプロモーションビデオで使用されたさまざまな衣装が展示してある。どれも今から20年以上前のものだからよく取っておいてくれたものだ。多少の経年劣化はあるもののどれも保存状態がいい。意外とサイズが小さく、こんな服が着られるのかと思うほどだ。衣装の展示だけで10着以上はあった。
続いて目を引くのが1997年発表のシングル「息もできない」のジャケット写真に登場する英国車ジャガーマークIIだ。だれが保存してくれていたのか、ピカピカで光り輝いていた。展示物で撮影が認められているものはこれだけだったが、これを撮影できただけでも大満足だ。
ここまで見学すると映像視聴の時間になった。映像は日替わりでこの日はアメリカ西海岸で行われたプロモーションビデオのメイキング映像で、スタッフが坂井泉水に作ったものを今回公開している。普段知ることができない坂井泉水の素の姿を垣間見ることができる。撮影の合間に交わすスタッフとの会話も収録されている。西海岸の冬の港の撮影では寒さでホカロンを手放せない様子が映っていたり、未公開映像が多く満足できる内容だった。
メイキング映像視聴は30分ほどで終了し、再び展示室に戻る。生写真コーナーもあり手に取って見ることができる。思わず盗みたくなるようなキレイな写真満載だ。ZARDが活躍していた90年代はまだフィルム写真の時代で、こういうほうが味があっていい。ポラロイド写真もあった。
さらに歌詞コーナーがある。ZARDの曲はそのほとんどが坂井泉水の作詞で、未発表の歌詞もテーブル一面に散りばめてある。ノートやルーズリーフ、ホテルの便箋などに書きつけたような詩でほとんどが鉛筆書きで記されていた。
小中学校時代の珠算や陸上競技の賞状の展示もあった。賞状の名前は本名の蒲池幸子名になっている。彼女が描いた油絵や水彩画の展示、実際に使用していた化粧道具、母親が彼女に用意した着物などの展示もあり、どの展示物もZARD MUSEUMの名に恥じないもので感動しだ。まだもう少し見学したいが、帰りの列車が決まっているので名残惜しいがこのあたりで会場を後にして、新幹線で帰途に着いた。
これで「山陽新幹線岡山開業50年記念号の旅」を終わります。
福山からさくら558号に乗り、新大阪に17時38分に到着した。ここから堂島リバーフォーラムで開催されるイベントに参加するのだが少し時間があるので、その前に腹ごしらえで新梅田食道街にある「串かつ松葉」に立ち寄った。
立ち飲みの串かつ屋で大阪の人気店だ。コロナ禍になってから飲み屋に入るのは初めてだ。店に入ると威勢のいい声とともにカウンター席に誘導される。まずは中生を頼む。この2年半生ビールを飲んだことがなかったから久しぶりにその喉ごしを楽しむ。目の前に揚げた串かつが何本も置いてあり、好きなものを取って食べる仕組みだ。まず牛肉とチーズを取る。ソースは二度付け禁止だ。キャベツは食べ放題になっている。
時々揚げたてのが出てきて、それが来ると皆あっという間に手が伸びる。
約15分ほどの滞在だが、7〜8本食べてサッと店を後にした。手短かに済ませられるのが大阪らしい。
その後大阪駅から大阪環状線で隣の福島駅で降りて堂島リバーフォーラムに向かった。徒歩10分ほどで到着。その途中には福沢諭吉生誕の地の記念碑が建っていた。福沢諭吉は中津出身と思っていたが、生まれは大阪堂島だったのだ。
岡山駅に13時57分に到着しイベントは終了した。私はここから井原鉄道の鉄印収集に向かう。岡山14時19分発の伯備線に乗り、清音で井原鉄道に乗り換える。乗換改札にある出札窓口は営業時間が細かく定められていて、1日の中で8回に渡り営業と休止を繰り返している。ちょうど今は休止時間にあたっている。15時05分の営業開始を待って1日乗車券「スーパーホリデーパス」1,000円を購入。井原鉄道全線乗り放題になる。
ホームの時刻表によれば井原鉄道の清音駅発車は基本的に2番線なのだが1日3本だけ伯備線1番線ホームから発車する列車がある。清音駅南側にある渡り線を通って井原鉄道に転線するようだ。こういうことを気にしだすと収拾が付かなくなるのだが、いつか時間があれば乗ってみたいとは思う。
15時11分発の神辺行きに乗車。1両編成のディーゼルカーでボックス席が並ぶ座席配置で8割程度の客を乗せている。学生や買い物帰りの主婦などが中心で意外と乗車率はいい。清音を出ると基本的に高架線を進んでいく。1999年開業の比較的新しい線だから路盤もしっかりしていてローカル線という感じはしない。
15時44分、井原着。この線の中心駅でここで鉄印収集のため下車する。この駅で12分停車するのでその時間を利用できるのでありがたい。ほかの鉄道会社では見たことのないシンプルなデザインで最初は窓口氏が間違えで別の用紙をくれたのかと思ったほどだ。
再び車両に戻り、神辺6分の待ち合わせで福塩線に乗り換え、16時31分福山着。16時36分発のさくら558号に乗り換え新大阪に向かった。
ジャンケン大会が終わると庫2番線をバックで出庫し、洗車機を通過する。車庫線体験でよくやるイベントで子どもたちは大喜びだ。
洗車機を抜けて停車し、今度は子ども向けのアナウンス体験がある。マイクを使って駅の到着案内などを行うのだが、それが30分くらい続くので少々うるさい。
アナウンス体験と並行し、担当者が記念ボードを持って車内を回ってきた。私も1枚お願いした。
子どものアナウンス体験が終わり、続いて着発16(とおろく)番線に向けて進行する。岡山支所の南端の線になる。右手には留置線が10本以上見える。
着発16番線で停車し、エンド交換を兼ねて運転士が車内を回ってきた。この500系はモーターがIGBTに換装されており500系オリジナルのGTOではないのでモーター音が違うのに気が付きましたかという。そこまでの違いは私は分からなかったが、今日はマニアの人が多いからGTOモーターの車両を充当できれば良かったのにと言っていた。また500系は低速域の加速が鈍く運転しずらいとも言っていた。一方シュプリーム(N700S)はあっという間に加速しスピードが出過ぎるとも言っていた。
13時52分、岡山支所を出発。渡された構内図では岡山駅に戻るルートが行きと同じ線路なのでおかしいと思っていたが、支所を出ると本線下り線を1分以上逆走して13時57分岡山駅下りホーム21番線に到着した。岡山支所出庫列車は下り本線を逆走するのだ。
私はここで下車するが、一部のツアー客は広島、博多にそのまま乗車する。Tさんは7月2日に予定されている広電宮島口駅の移設前にもう一度現行の路線に乗っておくと言っていた。またIさんは明日熊本電鉄で開催される運転体験会に参加するとのことで、おふたりともそのまま乗車していた。
11時35分岡山駅を発車。ここから博多車両所岡山支所に入線する。参加者には岡山支所の配線図が渡されていてそれと照らし合わせながら窓外を眺める。下り本線を博多方面に1分ほど進んでから左に分岐し高架を下っていく。
初めて見る光景に気合が入る。地平に下りてさらに進んでいく。
11時42分、建屋内に入り、職員の歓迎を受けながら庫2番線(くらふたばんせん)で停車した。
ここでお弁当タイムになる。「こがーなえーもんぎょーさん岡山弁当」という祭り寿司、栗おこわなど岡山名物をたくさん詰め込んだ弁当だ。
お弁当を食べ終えると車内でジャンケン大会が始まる。勝ち残った人にはJR西日本グッズがプレゼントされる。私の前の席の人はそれなりの年齢なのに年甲斐もなく「最初はグー!」と大声を出して真剣に参加し、賞品をゲットすると子どものようにはしゃいでいた。
新大阪駅に到着し、1階の集合場所に移動する。受付を済ませるといったん解散となり、9時50分再集合となる。それまでの間乗り鉄仲間の人と情報交換をして過ごす。
私は2号車で、同じ車両の人たちと一緒に21番線ホームに上がる。長い先頭部の500系が入線してきて身震いする。先頭車両を撮影した後車内に入る。2人がけシートはひとり参加者用、3人がけシートは家族連れ用に割り当てられている。家族連れは未就学の子どもが多い。
10時18分、警笛とともに新大阪駅を発車。出発時に警笛を鳴らすのは最近はとても珍しい。新神戸に停車し、ここから参加の人たちを乗せて西進する。新神戸でも警笛を鳴らして発車。
西明石を通過して10時45分姫路駅13番線に停車。ここで11時09分まで停車する。この時間を利用してホームで撮影会となる。ホームに停車中の間だけ方向幕が「ひかり博多」と変更されている。
運転士がホームに降りて本日の行路表を示して写真撮影に応じている。私が警笛を鳴らしましたと言っている。なかなかファンの心を知っている人だ。11時09分、再び大きな警笛を鳴らして姫路駅を発車。
相生駅通過後に運転士のアナウンスが行われた。岡山駅まで44.5km地点を最高速度の時速285kmで走行中とのこと。まもなく兵庫県と岡山県との県境の帆坂トンネルに入るとアナウンス。 JR化後一時期運転士が飛行機の機長アナウンスのように乗車御礼のアナウンスをしていた時期があったことを思い出す。
10時29分、岡山駅21番線に停車した。山陽新幹線岡山開業は1972年3月15日で私がまだ小学校3年の時だ。開業記念で発売された記念切手のデザインは今もしっかり記憶に残っている。
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