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14時25分与論島出港。14時45分頃から船内で火災訓練が始まり、非常ベルや汽笛が鳴り響く。実際に非常汽笛も吹鳴された。我々は船内で火災訓練であることを告知されているが、周辺を航行している船舶が誤認することはないのだろうか。
沖縄本島が見えてきた。美ら海水族館の沖合いを航行し、最後の寄港地沖縄本部港に16時50分に到着。ようやく沖縄県に到着した。昨日の乗船から23時間もかかった。引き続き雨が降っている。船から見える木々の青さは本土とはだいぶ違う。沖縄の自然はやはりすばらしい。
本部港では家畜の運搬も行われていて、家畜用コンテナから降ろされた牛をトラックに乗せかえていたが、牛がなかなかいうことを聞かず難儀していた。
17時10分、本部港を出ていよいよ最後の区間となった。丸一日以上乗っていたが全く退屈しなかった。船内はフリースペースも充実しており、個室でなくても身の置き所に困ることはなさそうだ。Wi-Fiがしっかりとつながるのでパソコンで作業をしている人も結構いた。動画視聴も安定していた。
またレストランを利用しなくてもカップ麺やお菓子の自販機もあるので食事面で困ることはない。しかしビールの自動販売機にはアサヒとキリンしか入っておらず沖縄航路なのにオリオンビールがないのは残念だ。またビールの自販機は運転免許証かマイナンバーカードを挿入し購入できるものでこういう自販機は初めて見た。
個室にはフェイスタオルと歯ブラシがついているが、歯ブラシはとても簡素でしっかりと磨きたい人は自分で持って行ったほうがいいだろう。またバスタオルの備えはないので注意だ。
19時定刻に那覇港に到着。25時間乗り続けたが退屈することもなくとても楽しい船旅だった。
この港にもボーディングブリッジがないのでタラップから下船したが、那覇港のような主要な港でバリアフリーでないのは少々残念だ。那覇港で徒歩で降りたのは30名弱くらいだった。沖縄航路というものの奄美大島で半分以上がおりて、その後少しずつ降りていく流動で、この船で沖縄まで乗り通す人はごくわずかなようだ。
11時に沖永良部島伊延(いのべ)港に到着。本来は平土野(へとの)に入港する予定だったが、ここでも波の関係で港が変更になった。相変わらず雨が強い。ここもボーディングブリッジはなく舷側に付いたタラップから下船していた。
先頭の展望デッキからは甲板に乗っているコンテナの積み下ろしが見られる。コンテナの上部にクレーンのワイヤーを引っ掛ける穴があるのは初めて見た。
荷役の様子を観察したのち、レストランでカレーライス500円の昼食とした。このカレーがとてもおいしいとYouTubeの動画などでは評判だったがごく普通のカレーだった。
食後に部屋に戻り、少し昼寝をした後、14時ちょうど与論島に到着した。雨は幾分小雨になった。寄港の都度後部デッキに出て着岸の様子などを眺めているのは、私を含めいつも同じメンバーだった。ここでの下船は数名程度だった。
昨日からすでに20時間も乗って与論島に着いたというのにまだ鹿児島県なのには驚かされる。こんなに長い間同じ都道府県なのは小笠原航路とここだけだろう。鹿児島県なのにケータイ国盗り合戦はすでに沖縄北部の国頭地域になっていた。
奄美大島を出港し、徳之島へと向かう。徳之島港が近づくとフィンスタビライザーを格納する旨の放送がある。フィンスタビライザーは船の後部から水中にヒレを張り出して揺れを軽減する装置で、雨天にもかかわらず大きな揺れを感じることがなかったのはそのためもあるだろうか。天候の関係で徳之島では亀徳港から変更になった平土野(へとの)港に入った。
雨が横なぐりに降っていて写真撮影もままならなかった。ここで下船した客は約40名ほどでここでも運動部風の学生が多い。
この港にはボーディングブリッジがないため客は舷側に設置された簡易なタラップから下船していた。こういう乗り降りの仕方もあるわけだ。出港時刻が近づくと、見送りで船内にいるお客様は下船するようアナウンスがあった。見送り客が出港時間まで船内に入れるサービスがあるようだ。
9時40分、徳之島での荷役が終わり、沖永良部島に向けて出港した。港を出る際はバックで進行して、港の外で方向転換をした。港が狭いのでこういう形で方向転換するのだろう。
後部デッキからの様子。雨が降っているがその割りに波は穏やかで見た目ではせいぜい1m程度かと思われた。
先頭部は展望デッキになっている。甲板にも2段重ねでコンテナが積まれていだ。
朝4時半頃に目が覚める。すでに奄美大島近くを航行中のようだ。さっそくスマホを操作し 「奄美」をゲット。これで593国目となる。
奄美大島新名瀬港の入港が5分早まり、4時55分となる放送があった。エントランスには下船する客が大勢待っている。大半が中学か高校の運動部の学生で練習試合の帰りなのだろうか。乗客のうちここで半分以上は下船した感じだ。
港に着くとすぐに貨物の積み下ろしが始まった。フォークリフトが次々と船内に入っていき、素早くコンテナの積み下ろしが行われている。その合い間に一般の車両も次々と出入りしていく。相当にあわただしいが、このフェリーが離島の物流を担っているのを実感できる。ヤマト運輸の大型トラックも下船していた。北海道航路でも貨物の積み下ろしは行われるが、トレーラーの積み下ろしが行われるだけでフォークリフトを使用しているのは見たことがない。
そんな様子を見届けてからレストランに行った。レストランの朝食の営業は朝5時20分から5時50分までとなっている。もう少し遅い時間でもよさそうだが波の穏やかな湾内にいるときに営業するのだろう。お腹は空いていないがこの時間帯を逃すとお昼まで我慢しないといけない。私は洋定食600円にした。クロワッサンが2つと目玉焼き、ウインナー、サラダ、コーヒーのセットだ。クロワッサンは冷めたものが出てきた。コーヒーはかなり濃いめだった。シンプルだが、これくらいのほうがちょうどいい。レストランを利用している人は少なくて15名程度であった。
食事を終えると5時50分に次の徳之島に向けて出港した。 岸壁にはJR貨物のコンテナも見えた。鉄道のない島でもJR貨物のコンテナがあるとは意外だ。
奄美大島に着いた時は雨が降っていなかったが出港時にはかなり強めの雨が降ってきた。気温も低く肌寒い。
朝食を済ませて部屋に戻り、ベッドで横になる。天候が悪い場合、徳之島、与論島を通過するか、もしくは別の港に入港する旨の放送が行われていた。雨が降り続く洋上を進んでいるが船の揺れは意外と少ない。北海道航路より小ぶりの船なのである程度揺れることは覚悟してきたが、雨が降っているのに想定外に穏やかな航行だ。低気圧ではなく梅雨前線による雨であることも関係しているのだろうか。
奄美大島を出ると携帯が完全に圏外になり電波が入らなくなった。しかし船内のフリーWi-Fiが利用でき、これはなかなか快適に利用できた。今までに乗ったフェリーの中でいちばん安定してつながる感じだ。
シャワーを浴び終えるとちょうど出港時刻の18時となったのでデッキに出てみた。岸壁ではフェリー会社の従業員が見送ってくれているが、北海道航路の場合には多くの従業員がかなり長い時間手を振ってくれているがこちらの従業員はシャイなのか、ちょっと手を振るだけで終わりであった。桜島を眺めながら港内で転回し錦江湾を南に向かって進路を取る。出航を見送ると私はレストランに向かった。営業時間が17時30分から19時までと短いからだ。
レストランはテーブルが10くらいしかないこじんまりとしたもので、券売機で食券を買い、調理カウンターの前で料理を受け取る仕組みになっている。メニューには黒豚とんかつ定食やマリックス御膳などがあるが、私は寄港地奄美大島の郷土料理鶏飯(けいはん)にしてみた。ご飯の上にほぐした鶏肉、錦糸卵などが乗っていてそこに鶏出汁のスープをかけて食べるものだ。あっさりとしたヘルシーメニューだが、本土では食べることのない料理で旅に出ている実感がする。ところでこのレストランでは自分で持ち込んだ料理やビールで酒盛りしているグループもいた。最初違和感を覚えだが、ここはフリースペースを兼ねているのでそういったことも問題ないようだ。
食事を終えて売店で記念に御船印を購入。御船印は2月に乗った東京九州フェリーそれいゆ以来だ。
部屋に戻ってBS放送を眺めながら過ごし、夜9時ぐらいになりグーグルマップで屋久島に近づいたのを確認して後部デッキに出た。ケータイ国盗り合戦の領地獲得のためだ。スマホを操作し、「薩南諸島」を獲得できた。これで592国目となる。ケータイ国盗り合戦はGPSではなく携帯電話の基地局により位置決めを行っているので、屋久島に上陸しなくても領地が獲得できる仕組みになっている。前回獲得したのが2016年なので6年ぶりになる。薩南諸島を獲得した後、次の領地は奄美大島になる。奄美大島到着は翌朝5時30分なので部屋に戻って就寝することにする。
鹿児島新港から沖縄行きフェリーに乗船する。沖縄航路はマリックスラインとマルエーラインの2社がそれぞれが1日置きに運航する珍しい形態になっている。途中奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島に寄港しながら、鹿児島新港と沖縄那覇港を25時間で結んでいる。旅客よりもどちらかと言うと貨物輸送に主眼が置かれている。
そのうちマリックスラインが昨年11月クイーンコーラルクロスという新造船の運航を始めたのでそれに乗ってみたいと思っていた。4日に1回の運航なので日程を合わせるのに苦労した。なおコーラルとは珊瑚という意味で沖縄航路らしいネーミングだ。
船は全長145m、総トン数8,000t、旅客定員655名で、北海道航路のフェリーの3分の2程度の大きさだ。船室は特等、1等、2等寝台、2等室(雑魚寝)に分かれており、私は1等の1人用個室を予約してある。運賃は31,020円と結構高めだ。チケットの予約はこの時代なのに電話で行う形式で、予約番号が111だったが、これが部屋番号でもあった。
ターミナルビルで受付を済ませ、ボーディングブリッジから乗船する。船内に入るとエスカレーターがあり、3階がフロントでチケットと引き換えに個室の鍵を受け取る。
こちらが私が予約した1等個室。ベッドと洗面台、トイレがあるだけの構造だが、このタイプの部屋は6室しかないからシーズンによっては予約が難しいだろう。 ベッドはマットレスが薄く、鉄道のB寝台よりも固い寝心地だ。テーブルの上には茶器のセットがあり、テーブルの下には冷蔵庫もある。パジャマやスリッパが付いているのでありがたい。先日乗った東京九州フェリーはいずれもなかった。BS放送受信も可能な小型の液晶テレビも付いている。部屋はコンパクトだがトイレと洗面台が付いているので東京九州フェリーの個室よりも上等な感じがする。さすが1等個室だ。
部屋の観察を終えてシャワーを浴びに行った。この船には大浴場はなくシャワーだけになっている。私の部屋の目の前がシャワールームで、内部はご覧のような感じ。脱衣所にパイプ式の棚はあるが脱いだ衣類や持ち物を入れておく籠はなく、またシャンプー、リンス、ボディーソープ、タオルなどもないので自分で持参をしないといけないのも不便だ。私はあらかじめ調べておいたので困る事はなかったが、あるものだと思い込んで乗った人は船内の売店で買う羽目になる。シャワーはボタンを押すと一定時間お湯が出る仕組みで、何度もボタンを押しながらシャワーを浴びた。
鹿児島駅に到着し、ここから沖縄へはフェリーで向かうことにしている。鹿児島駅からフェリー乗り場のある鹿児島新港までは連絡バスに乗る予定にしている。鹿児島駅周辺は一帯が整備され見違えるような変わりぶりである。それにあわせて市電のホームもリニューアルされ屋根付きの立派な乗り場になっていた。前のホームがどうだったか記憶にないが3本の電車が停車できる構造になっている。駅付近の線路は真新しい路盤に取り替えられ、線路自体もカーブしていて明らかに鹿児島本線寄りに移設されたように見える。
移設されたならば乗りたいし、移設されていないならば乗る必要がない。どちらなのかよく分からないが迷ったらとにかく乗っておくしかない。乗っていると1日1本しかない鹿児島新港行きの連絡バスには乗れなくなるが、市電のどこかの停留所から歩いてもたどり着けるはずだ。
さっそく行動に移し、16時44分発の谷山行きに乗車し、移設されたと思われる区間をすぐに乗り終えた。高見馬場経由新屋敷電停で下車しそこから20分ほど歩いて17時20分鹿児島新港フェリーターミナルに着いた。
宮崎では次の列車まで約1時間あるので駅前にあるアミュプラザ4階の「うまや」という店でお昼にした。チキン南蛮定食屋1,100円で甘酸っぱいタルタルソースが特長だ。
食事を終えて14時19分発のきりしま11号で鹿児島に向かう。これもグリーン車に乗車した。グリーン車は1号車の半室12人分で私を含めて3人しか乗っていない。この列車は特急なのにワンマン運転で運転士がドア扱いも行なっている。今の時間帯は特急停車駅に駅員がいるが、そうでない時間帯には車掌が乗務するがドア扱いは行わず、集札や検札業務のみを行っているようだ。乗車したのは再び787系だが、台車の空気バネがへたっているのか時々ガツンとした衝撃が伝わってくる。
都城、国分と過ぎ、隼人では黒い皮鞄の高校生を見かけた。鹿児島では未だにこのタイプの鞄を使っている学生をよく見かける。
桜島を左手に見ながら、16時20分鹿児島駅着。ここからバスで鹿児島新港に向かう。鹿児島駅は最近建て替えられたようで落ち着いた感じの駅舎になっていた。
大分空港に8時10分に到着。空港内のセブンイレブンで飲み物を調達し8時25分発の大分交通大分行きバスに乗車。空港のすぐ隣にはかつてここと大分市内を結んでいたホーバークラフトの乗り場跡地が見える。これを復活させる話もあったがコロナ禍でどうなったのだろう。
大分空港道路経由で9時15分別府北浜で下車。このバス停が別府駅の最寄りになる。日豊本線の下りに乗るのでこのまま大分駅まで行っても良いのだが、以前このバスに乗ったとき大分駅周辺の渋滞に巻き込まれたことがあったのでここで下車した。バス停から駅までは歩いて10分ほどの距離だ。途中に種村直樹さんの著作によく出てくる駅前高等温泉という公衆浴場を見かけた。
9時52分発にちりんシーガイア5号に乗車。車両はつばめ型787系だ。宮崎まで約3時間かかるのでグリーン車にしてある。にちりんシーガイアのグリーン車は個室とデラックスグリーンと通常のグリーンと3種類ある。1編成でグリーン車が3種類もあるのは珍しい。通常のグリーン車は横に2人掛けと1人掛けが並ぶゆったりとした構造でシートもどっしりと重厚感があり快適だ。ただ787系はデビューから20年以上経ち、細かなところを見ると老朽化は否めない。
グリーン車は半分くらいの混み具合で意外と混んでいる。朝が早かったので大分から佐伯にかけてはほとんど寝て過ごした。
佐伯を出ると延岡まで約1時間ノンストップで走る。宗太郎越えの区間に入り、列車は右に左にカーブしながら、時にトンネルを抜けて山間部を快調に進んでいく。途中の北川で上りにちりん8号との交換待ちで5分停車した。
延岡から先は最高運転速度が上がったようで、人が変わったように高速で走行する。かつて旭化成では宮崎空港と延岡の間に自社専用のヘリコプター便を有していたが墜落事故で死者を出したため、この区間を高速化するための費用を一部同社が負担することになった経緯がある。そんなことを思い出しながら13時07分宮崎駅に到着した。
5月23日月曜日、今回の旅のスタートは羽田空港から始まる。と言ってもすぐに沖縄便に乗るのではなく、まず6時30分発の大分空港行きに搭乗した。今回は沖縄旅行ではあるものの単に沖縄を往復するだけでなく、その前後でいろいろ楽しみたいこともあり、それは追って明らかになっていく。
京急の羽田空港駅に5時49分に到着。昨日からバイデン大統領が来日しているが、羽田空港の警備は普段とあまり変わらないように感じる。自動手荷物預け機で荷物を預け、保安検査を済ませ、出発まで少し時間があるのでカードラウンジで過ごしたのちに出発ゲートに向かった。
今回乗るのはソラシドエア2491便大分空港行きだが、ANAとのコードシェア便なのでANAの株主優待が利用でき、私はそれで搭乗している。機種はボーイング737-800で通路をはさんで両側に3人掛けシートが並んでいる。私は後部の25Fという窓際の席を予約してある。搭乗率は30%程度と空いていて、隣の2席も空席でゆったり利用できるのはうれしい。定刻5分前の6時25分にはドアが閉まり、この飛行機にはディスプレイがないためビデオではなくCAによる実演で非常用設備の案内があった。6時28分にスポットを離れ、6時40分、D滑走路から離陸し、すぐに右旋回して進路を西に取った。
富士山上空を通過した後、機長アナウンスがあり、高度26,000ftで飛行中とのこと。名古屋、琵琶湖、岡山、岩国と経由して大分空港へと飛行していく。画像は琵琶湖上空のもの。
気流も安定していて、定刻の5分前の8時05分に大分空港に到着した。以前は飛行機を降りる際、密の回避で前の席から順番に降りるような指示があったが、4月28日からその制限が解除され、それまでと同じような降機に戻っていた。
大分空港では回転寿司のネタをイメージしたお皿を先頭に手荷物が出てくる演出になっている。楽しい瞬間のはずだが、この瞬間を写真に撮っているのは私だけだった。
沖縄都市モノレールが延長開業して2年以上が経過したが未だに乗れず鉄道全線完乗者として格好悪い思いをしていた。モノレールに乗るだけならば日帰りでも可能だが、せっかく沖縄に行くならあわせて楽しんできたいこともあり、タイミングを計っていたのでもあった。
その1つ目は「ケータイ国盗り合戦」の領地獲得だ。これはスマホの位置情報を利用したゲームで、日本全国が600の領地に分割されていて、現地に行ってスマホを操作することによりその領地が獲得できるのだ。私はこのゲームに2008年から参加しているが、実際にその場所に行かないと獲得できないのでとても時間がかかるゲームなのだ。すでに591国を獲得していて残る9ヶ国は鹿児島県、沖縄県に所在し、この機会にあわせて全領地獲得を果たしたい。このゲームは参加者が46万人で、すでに747人が全600国を獲得している。
2つ目は沖縄名護のネオパークオキナワにある軽便鉄道の乗車だ。これは動物園にある遊覧鉄道で正規の鉄道ではないので必ずしも乗る必要はないのだが、沖縄にある唯一の遊覧鉄道で総延長1.2kmに及ぶ路線なのでぜひ乗っておきたい。
最後が沖縄県営鉄道の遺構巡りだ。沖縄県営鉄道は沖縄戦の激化で壊滅し復旧することがなかったが、若干遺構が残っており、それを見ておきたいと思っている。
幸い会社の制度で5年ごとに1週間のまとまった休みを取得でき、今年がちょうどその年にあたるので、この機会を利用しない手はない。というわけで5月23日から3泊4日の日程で沖縄方面に行ってくることになった。
シンガーソングライターの山本コウタロー(本名山本厚太郎)さんが7月4日に亡くなられました。73歳でした。山本さんはソルティーシュガーでは「走れコウタロー」の曲で、山本コウタローとウイークエンドでは「岬めぐり」の曲で知られる1970年代を代表するフォーク歌手です。京急三崎口駅の列車接近メロディーはかつては「岬めぐり」でした。岬を旅する時は自然とこの曲が頭の中に流れてきます。右端が山本さんです。ベルボトムのジーンズが時代を感じさせます。
今から45年くらい前の話ですが、山本さんはTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」で金曜深夜の回を担当していて、中学生の私はよく放送を聴いていました。当時はラジオの深夜放送が人気で、人気の芸能人がパーソナリティを務めていました。山本さんの番組では、自分の失敗談は投稿する「恥のうわぬり」や、上から読むと普通の文章なのに下から読むをHな内容になる「たいこめコーナー」などがあり、毎回楽しみにしていました。また入試シーズン限定で「パック合格掲示板」というコーナーがあり、私は高校合格の時山本さんに自分の名前と合格校を発表してもらえました。
山本さんは一橋大学出身で歌手という珍しい経歴で、その後テレビ番組の司会、俳優、大学教授など幅広い分野で活躍されましたが、最近は見かけることもなく気にしていたところです。ご冥福をお祈りいたします。
相模大塚駅電留線を発車し、かしわ台駅上りホームに到着し14時20分ツアーは終了した。参加枠を譲ってくれた方にお礼を申し上げ解散となった。と思いきや、Tさんが3便に乗りませんかと誘ってきた。今まで黙っていたのだが3便も別の人のTwitterで空き枠を確保してくれていたようだ。これまた想定外のうれしさだ。即決で参加をお願いをした。
3便の空き枠を融通してくれた人は前回と違ってとても若くまだ学生のようだった。それにしても一つの当選枠で4名まで参加できるのはいいのだがその結果枠がすぐ埋まってしまい、一方当選者すべてが4人集められるわけでもないので無駄な空き枠が発生してしまう。今回はTさんのご努力で空き枠を確保できたからいいものの、無駄になった空き枠も多かっただろう。
1日乗車券には先ほど2便に乗ったとき参加スタンプが押印されているので改めて買い直し集合場所に向かった。2便の時には乗車口で検温と手指消毒があったが3便は何もなしだった。ココアアプリも確認されなかった。3便は参加者も少なく1両に10人くらいしかいない。ずいぶんもったいない。
1便と2便は全く違う行路をだったので3便も新しいルートを行くのでないかと想像し、西横浜や星川の電留線に入るのではないかと期待する。
15時10分、上り方面に向けて出発。相模大塚電留線には立ち寄らず大和駅手前で地下区間になり、ここで何の予告もなく消灯された。真っ暗な中、大和駅を高速で通過するサプライズ演出だ。 定期列車で大和駅を通過する列車はない。
大和駅を通過した後、二俣川駅3番線に入り、続いて15時32分に横浜方にある引き上げ線に入った。ここには2本引上線があり、下り線寄りの引上線に入った。ここは5番線と呼ばれていた。
13時56分、厚木駅を出発。かつて近くに小野田セメントの工場があり貨物輸送が行われていたが現在は住宅地に変わっている。相模国分信号場を経由し本線を上っていく。残りの時間からすると行けるところは限られる。どこへ行くのか予想しながら、Tさんが相模大塚の車庫に入るといいですねと予想していたら、その通りになった。
相模大塚駅手前では厚木基地への専用線跡が右に分岐する。貨物輸送は20年以上も前に終了したが跡地は今も残っている。
相模大塚駅の電留線は海老名方からしか入れない構造になっていて、14時05分そのうちいちばん北側の線に入った。私はここに入るのは初めてだ。
ここではすぐ折り返し、今度は本線下り線に入る。
14時20分、かしわ台駅の手前の渡り線で下り線から転線し、かしわ台駅4番線に入線した。この渡り線も定期列車では通過しないので貴重な体験である。
かしわ台車両センターを出庫し、かしわ台駅下り2番線に入る。すると厚木線に入るのは間違いない。厚木線は海老名駅の手前の相模国分信号場から厚木駅までの2.2kmの線で旅客営業は行っていない。車両の留置やJR厚木駅を経由して新車の甲種回送で利用され、相鉄が貨物輸送をしていた時代は厚木基地まで燃料輸送列車も運行されていた。私は今から20年くらい前に相鉄10000系がデビューした時のイベント列車でいずみ野から二俣川を経由し厚木駅までの列車が運行された時に乗ったことがある。
相模国分信号場が近づくと減速し、少し上り線を逆走したのち、単線の線路を進行する。
築堤から小田急海老名車両基地を見おろしながら進む。
JR海老名駅の脇を通り、JR相模線が並走して13時47分厚木駅に着いた。
ここは2番線と呼ばれるようだ。窓を開けて周囲を撮影する。
そういうわけで無事参加できることになり、集合場所のかしわ台駅上りホームで当選者の人と落ち合う。Twitterの連絡だけだったので、約束をすっ飛ばされる恐れがなきにしもあらずだったが、無事お会いできてTさんともどもホッとする。
本ツアーは相鉄の1日乗車券740円を購入するのが参加の条件だ。最近は平気で2万円くらいするツアーがあるなか、この安さはうれしい。1日乗車券はツアー列車の乗車だけでなく、その日の内ならツアー前後でも使用できるのもありがたい。ホーム上で受付を済ませ、検温、手指消毒、ココアアプリの提示をして電車に乗り込む。客は10両編成に分散して乗るので、一つのロングシートに3人程度とゆったりしている。家族連れが多く、これらの人が朝9時の予約開始とともに当選した強者とはとても思えない。
方向幕にはそうにゃんのイラストと臨時の表示がされている。写真を撮っている男性が空き枠を融通してくれた方だ。ありがとうございます。空き枠を会社の同僚に誘ったが無視されたのでTwitterに投稿したとのこと。無視してくれた会社の同僚にも大感謝だ。
この列車はミステリートレインだが午前中に既に1便運行されており、Twitterの情報ではかしわ台駅を出て、瀬谷駅4番線折り返し、大和駅と二俣川駅の引き上げ線に入り、かしわ台駅に戻ってくる行程だった。2便、3便も1便と所要時間が全く同じなので、同じ行程だろうかと予想しあう。ただ最近はネット情報ですぐ行程がバレてしまうので、それだとミステリートレインにならないので別行路を行く可能性もある。
13時10分、ブレーキの緩む音とともに海老名方に動き出した。1便とは違うルートだ。とすると厚木線に入るのだなと思ったのも束の間、かしわ台車両センターに入るとのアナウンス。これはうれしい。かしわ台車両センターはかしわ台駅北側に隣接し、工場と車両基地が併設されている。
まず車両センターの引き上げ線に入る。引き上げ線は2線あり、本線から遠いほうに入った。こちらはV線と呼ばれるようだ。引き上げ線に入るとすぐに折り返した。運転士が両運転台に配置される2挺ハンドルのようだ。
そして洗車機通過体験をしたのち11番線に停車した。ここでまたすぐ引き返し、先ほどの引き上げ線に戻った。
ここで終わりかと思ったら、もう1回サイドチェンジし、今度は19番線に入り、またまた折り返し、海老名方の別の引き上げに入線した。ここはU線という引き上げ線になる。
5月8日に相鉄線で経路不明のミステリートレインが運行されることになった。3便運行され予約は相鉄のLINEアカウントで行われる。あわせて接触確認アプリココアをインストールすることも求められている。ワクチン2回接種を条件とするイベントはあったが、ココアインストールというのは初めてだ。ココアはアプリに不具合があり、アンドロイドスマホでは機能していなかったお粗末な出来事があった。
予約開始は5月2日9時で、開始時間とともに予約してみた。3便合計で170組も枠があるので余裕だろう。予約枠は1号車、10号車、2~9号車の3枠になっている。まず1便の1号車を予約してみた。せっかくならば先頭車からの展望を楽しみたいからだ。申し込みは抽選制でLINEを操作するとハズレの表示。それではと2〜9号車を申し込んでみるとこれもハズレ。結局全部ハズレてしまった。こんなに早く予約が埋まってしまうのだろうか。
このイベントは当選者の他に3人が参加できるので乗り鉄仲間で当選した人がいないかと情報交換したが皆ダメだったようだ。意外と人気のあるイベントのようだ。残念な思いであきらめていたところ、開催日前日になってTさんから空きがあるので参加しないかとのお誘いが来た。Tさんも抽選にハズレたはずなのにおかしいと思っていると、Twitterで空き枠を募集している人を探し当て、その人に連絡を取って3人分融通してもらったとのこと。こういうTwitterの利用法もあるのだ。というわけで思いもかけない方法で参加できることになった。空き枠を提供してくれたHさんという50代の男性に感謝だ。
先日auで大規模かつ長時間の通信障害が発生した。復旧は東日本では翌日9時半で70%と報道されたが、私の地域は運悪く残りの30%に該当したようで結局15時頃に復旧した。
この日は幸い外出や旅行のスケジュールがなく、自宅はWi-Fiがつながるので大きな影響は出なかったが、これが1週間前だったら大変だった。私は大人の休日倶楽部パスを利用して出かけていたからだ。乗り鉄、時刻表好きの私でさえ最近は時刻表を持ち歩くことは全くなくスマホで調べることが多く、列車の予約もスマホで行うことが多いので、旅行中の行動に大きな制約を受けただろう。
昔は携帯やスマホがないから、旅には時刻表を必ず携えていたし、出先では基本的に連絡が付かない前提で行動していたから、家や会社に何か起きていないか時々電話を入れて確認を取っていたりした。それが当たり前だった。便利過ぎる時代になり、それに慣れすぎたしっぺ返しが来たのだろう。スマホ一つに全てを集中させるのではなく、別の手段も併用してリスク分散を図ることも考えないといけない。
それにしても障害発生に関するauの情報開示は素人には分かりにくかった。「VoLTE交換機でトラヒックの輻輳が生じております」という内容だ。輻輳という用語は私には理解できるが一般の人はどうだろう。VoLTE交換機?、トラヒック?、Twitterなので短文で手短に伝達するのが使命であるにしても専門用語が多く利用者に理解してもらおうという意識には乏しい。
選挙応援中の安倍元首相が背後から撃たれ命を落としました。号外が新橋駅でも配られ、私の職場でも昼休みに食事に出た際、それを受け取って帰って来た人もいました。人の命を奪うことさえ許されないのに、自分の意に沿わない者を暴力で封じ込めようとするならば、さらに厳しく避難されるべきです。
当然のことながら私は安倍元首相とは接点はありませんが、新聞紙上で見かけた首相動静では街頭演説で地方を回る際、かなりアクロバティックな乗り継ぎを行っていた印象をもっています。過去に何度かその乗り継ぎの様子を紹介したこともあります。
大宮駅での5分乗り換え、新鳥栖駅での9分乗り換え、開業直後の北陸新幹線利用、通勤特急スワローあかぎ号の利用など鉄道ファン的に見てよく考えられルート、列車選定でした。乗り鉄のブレーンがいるに違いないと感心したものでした。あるいは本人もその素養があったのかもしれません。おそらく当日も交通機関を駆使しいくつかの応援演説を飛び回る予定だったのでしょう。
突然の訃報に言葉もありません。ご冥福をお祈します。過去の拙ブログの記事は以下をご参照ください。
「乗り鉄安倍首相」
「乗り鉄安倍首相2」
「乗り鉄安倍首相3」
「乗り鉄安倍首相4」
臼井駅を発車。ここまでの行程で私のビンゴカードはリーチになっている。すでにビンゴを達成した人がいるが、次の佐倉駅入線ホームが3番線ならば2等賞になる。
11時14分佐倉駅が近づきブレーキがかかるとともに3番線に停車した。ビンゴだ。私の他にも同時にビンゴに達した人が何人かいた。2等賞になり「旅する佐倉1日きっぷ」のペアチケットがもらえた。
11時16分、成田方に発車するもすぐに停車し、本線上で折り返し、佐倉駅2番線に入った。この時通過した上下線の間にある渡り線も普段は乗れない貴重な区間である。
佐倉を出発し本線を上り、11時32分、2面3線構造のユーカリが丘駅上りホームの待避線側を通過する。本線側でなく待避線側を通過するのは珍しい。
さらに本線を進むうちに大雨が降り始めた中、11時39分八千代台駅1番線に到着した。
これで本ツアーは終了した。一行は八千代台駅ビル3階にある京成トラベルの営業所まで誘導され、そこでBINGOの賞品や当日の行路表が渡され解散となった。私の賞品の「旅する佐倉1日きっぷ」は食事券やおみやげ券が付き、定価8,000円もするものだが、佐倉に取り立てて興味があるわけでもなくうれしさも半分といったところだ。ただ今回のツアーで京成の引上線、渡り線にいくつも乗れて私にとっては大満足だった。アンケートには今後も引上線、車庫線に入る企画を考えてほしい旨記述しておいた。
これで「京成BINGO!引上線ツアー」を終わります。
10時34分、大和田駅引上線で折り返し、上り線側に発車した。運転士と車掌が車内を歩いて行ったので2挺ハンドルではないようだ。大和田駅1番線に入り、上り線をさらに進み八千代台駅1番線に停車する。ここで再びサイドチェンジを行い、10時46分に下り方面に発車した。この時に上下線の間にある渡り線を通った。ここも定期列車は通らないので貴重な体験だ。
さらに本線を下り、臼井2番線でいったん停車したのち、成田方にある引き上げ線に入った。今日2回目の引き上げ線だ。ここも上下線の間にあるが本線より少し高い位置にある。本線が下り勾配になっていて、引上線は水平だから、その関係で高低差があるようだ。
この引上線では大和田駅とは異なり下り線方に出てサイドチェンジをして11時09分成田方面に出発した。
列車に乗り込み発車5分前にドアが閉められた。参加者には京成の路線図とビンゴカードが渡される。ツアーのコースは公開されていないが、路線図には、佐倉折り返し、大和田と臼井の引き上げ線に入ること、八千代台駅には3度やってくることなどのヒントが記されているから経路はだいたい想像が付いた。
ビンゴカードで入線したところに印を付けて列がそろうと賞品がもらえるようだ。 これがツアータイトルの所以だ。
発車とともに担当者から本日の案内などが行われるうち、まず八千代台駅4番線と大和田駅2番線でいったん停車した。この停車もBINGOの対象駅になっていてカードを乗りつぶす。そして10時29分、大和田駅成田方にある引上線に入線した。ここが最初に引上線だ。大和田駅成田方には上下本線の間に引上線が1本あり、平日ラッシュ時に当駅折り返しの運用で使用されている。
京成トラベルから「京成BINGO!引上線入線ツアー」が発売された。普段乗れない引上線に入れるとなると乗らない手はない。募集人員は140名の抽選制だが、応募したところ無事当選し参加できることになった。どの引き上線に入るかは当日のお楽しみだ。船橋競馬場駅を出発して八千代台駅まで約1時間半の行程の中で入れる引上線なので行けるところは限られているが、京成の引上線には入ったことがないので、どこに入っても初めての体験になる。
集合は5月8日船橋競馬場駅10時で、船橋駅でJRから京成に乗り換える。船橋は以前に5年ほど勤務していた懐かしい場所だ。西武百貨店は閉鎖された一方JR船橋シャポーは増築されホテルメッツも開業し雰囲気は変わっていた。
船橋競馬場駅に9時51分に到着。常連の方々の顔も見える。その中でrailwayさんもいらっしゃった。railwayさんはコロナ禍でイベント参加を控えていたが最近始動したようだ。受付で本日の案内をいただき、ホームで列車の到着を待つ。私は2号車を指定されている。
10時05分、我々の乗る列車が4番線に入線。船橋競馬場駅は2面4線で待避側に入線した。双子パンダのレイレイ公開記念ヘッドマーク付き車両だ。2号車に乗り込むと乗り鉄仲間のTさんも同じ車両だった。
Sさんと別れ、14時11分発の下館行きに乗車する。私の乗った列車は真岡で6分間停車するので、その時間を利用して鉄印を収集する予定だ。真岡駅上りホームは改札に直結しているので6分もあれば余裕だろう。ウォーキングの疲れもあってウトウトしていたところ七井駅停車中に、対向列車が10分遅れのためしばらく停車するとのアナウンスで目が覚める。これはピンチだ。真岡での停車時間は6分しかないので、10分遅れでは致命的だ。真岡で乗り遅れると次の列車は1時間16分待ちになってしまうのだ。
10分遅れとのアナウンスだったが、実際には5分遅れで対向車がやって来てすぐに発車した。各駅の停車時間を切り詰め、一駅手前の北真岡駅は4分遅れで発車した。これならば真岡駅で2分程度の時間は捻出できそうだ。
真岡駅ですぐに下車できるように運転席後ろで待機した。ところが駅の手前からかなり減速してきた。前方を見るとなんと真岡駅の場内信号が赤を現示しているではないか。真岡駅は列車交換ができる駅だが、上下列車の同時進入ができない構造のようで、下り列車が真岡駅に停車しないとこの列車が駅に進入できないのだ。
結局真岡駅に着いたのは14時55分で、これは本来の発車時刻だ。駅に着き、客の乗降が終わると列車はすぐに発車し私は真岡駅に取り残された。
鉄印はゲットできたものの次の列車まで1時間以上もある。約30分後にSLが来るがこれは事前予約制で当日発券はしていないから乗れない。
SLの次の列車では下館での接続が悪く、水戸線の乗り換えに30分もロスタイムが出る。どうしようかと駅前に出てみると、ここから宇都宮線石橋行きのバスがあることが分かった。15時35分発で石橋駅に16時11分に着く関東自動車のバスだ。
バスは渋滞に巻き込まれることもなく、16時15分に石橋駅に到着した。16時26分発の宇都宮線に乗り換え、タイムロスを最小限にして帰途に着くことができた。今回はガイドの説明付きで長倉線の遺構を巡ることができ、知識も深まり、とても有意義な未成線ツアーだった。他の人も是非参加してほしいと思う内容で、皆様にもおすすめしたい。
これで「未成線長倉線の旅」を終わります。
下野中川駅からバスに乗車し、道の駅もてぎに向かい、休憩とおみやげタイムとなる。
自衛隊の部隊も休憩中だった。
ツアーのガイドもすすめていた道の駅名物とちおとめアイスを賞味。その場ですりつぶしたとちおとめが入ったアイスだ。同行のSさんと一緒にいただく。Sさんはお昼のおにぎりの棚田米まで買っていた。出張先から参加したのでパソコンなどの荷物もある上に、お米も買って重くて大変だろう。
道の駅での買いもの兼休憩が終わり、茂木駅に戻りそこで解散となった。ツアーガイドの人がていねいな説明をしてくれたので長倉線の概要がしっかりと把握できた。ひとりで散策していたら知ることもないようなことも教えてもらいとても有意義だった。
私はここから14時11分の列車で真岡に行って鉄印を収集する予定だ。Sさんは14時26分発のSLもおか号で帰るとのこと。SLもうか号はコロナの関係で事前予約制になっていて、Sさんはメール画面を見せながら乗車整理券を購入していた。席は指定されていないようだ。Sさんとはここで分かれる。
柿畑を過ぎると5.5kmを示すキロポストとともに、停車場起点の標識も現れる。未成線の終点・下野中川駅の駅構内を示しており、最近設置されたようだ。
ここから100mほどのところが下野中川駅跡になる。茂木駅から休憩時間も含め約3時間で到着した。駅名標も設置されている。ここで代わる代わる記念撮影を行う。
裏側にも表示があり、右から「しもつけなかがわ」と表記されている。ツーリング中のバイクチームも現れ、ツアーガイドからおこぼれの説明を受けていた。
ここで未成線ウオークは終了し、帰路はバスに乗車する。
バスから未成線跡を眺めたところ。列車が走っていればいい鉄道写真が取れただろう。
こちらがお昼休憩をした築堤。下を県道が通っていて後郷(うらごう)拱橋と呼ばれる。
ここまでのコースは一般の人でも散策可能だが、この大峯山トンネルは普段は閉鎖されていてツアー参加者だけが特別に歩ける区間になっている。入り口でヘルメットとライトを渡されトンネル内に進入する。路面はぬかっていて足を取られないように注意が必要だ。コウモリがいるので天井は照らさないようにと指示がある。今から80年も前のトンネルとは思えないほど状態がいい。一度も列車が通ることがなかったから煤けていることもない。内壁の最終仕上げは施されなかったのでコンクリート打設時の木枠の跡が残っている。
トンネルは長さ180mと短いがS字にカーブしているので途中からかなり暗くなる。その暗さを利用して中間地点で動画視聴を行う。長倉線の計画、陳情から建設、築堤やガードの取り壊しに至る流れをスライドにしたもので、ノスタルジックな雰囲気にまとめられていた。
このトンネルは今は原則通行止めとなっているが、かつてはそんなに厳しくない時代もあり、地元の高校生が近道に使っていたらしい。県道だと遠回りになるからだ。
トンネルを抜けると切り通し区間となり、緩やかにカーブしながら下っていく。路面にマンホールがあり、未成線下に後から水道管が通されたとのこと。
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