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2020年11月22日 (日)

走るレストラン~食堂車の物語~

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 旧新橋停車場鉄道歴史展示室で来年2月3日までの予定で「走るレストラン~食堂車の物語~」が開催されています。食堂車の歴史について、展示やポスターで紹介した展示です。

 食堂車の始まりは1899年(明治32年)に当時の山陽鉄道(現在の山陽本線)で食堂車を連結したのが始まりで、その後官設鉄道やほかの私設鉄道にも普及していきました。当時は富裕層向けのサービスだったようです。その後、太平洋戦争の激化に伴い、食堂車の連結も廃止されます。

 戦後は経済成長の発展に伴い、多くの特急列車や寝台列車、新幹線に食堂車が連結されるようになりました。しかし、鉄道の高速化や夜行列車の減少に伴い、その役割は終わり、現在は観光列車やリゾートトレインにおいてのみ食事が提供されようになり、だれでもいつでも利用できる食堂車はなくなりました。

 私の食堂車利用は数えるほどしかありません。初めて利用したのは1983年2月に函館から乗車した特急北斗3号でした。大沼や駒ケ岳を眺めながら食べた洋朝食は楽しい思い出です。その列車での食堂車の利用客はかなり少なかったですが、検札を終えた車掌が食堂車の片隅でコーヒーを飲みながら休憩していたことは覚えています。今では大問題になるような話だと思いますが、国鉄時代の当時はそういう慣行があったのでしょうか。

 北斗星やトワイライトエクスプレスでも朝食の時に何回か利用しました。夜は高くて利用できないのでせめて朝食でもという思いでした。朝食ならば安いといっても1,500円くらいはしました。日常生活で朝食に1,500円も出すことはないので、私としてはかなり奮発したのです。

 100系新幹線の食堂車は1回だけ利用したことがあります。人気があり、混んでいて途中から相席になりましたが、2階席から景色を眺めながら取る食事は最高でした。

 駅弁もそれなりの良さはありますが、誰でも利用できる食堂車はいいものでした。時代の流れとはいえ寂しいものがあります。

 

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