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書泉グランデで「尺別駅と直別駅」という小冊子を手に入れました。昨年春のダイヤ改正で廃止された根室本線の尺別駅と直別駅についてまとめられた40ページほど図録で、釧路市立博物館で開催されたミニ展示をもとにしています。それぞれの駅の歴史や当時の写真、地元の人のインタビューなどがまとめられています。
尺別駅は1920年の開業で当初は貨物のみの営業で、同駅に隣接した尺別鉄道からの石炭輸送が中心でしたが、便宜的に旅客列車を停車させ、旅客輸送も行っていました。1930年には正式に旅客駅となり、1959年には年間乗降客数10万人、貨物発着トン数21万トンを記録しましたが、炭鉱の閉山で旅客、貨物とも取り扱いが減少し、1963年には貨物取扱廃止、旅客も平成20年代後半は1日あたり0.6人となりました。
直別駅は根室本線全通の1907年の開業で、旅客営業が中心でしたが、一部貨物の取り扱いもあり、1959年には年間乗降客数約3万人、貨物発着トン数1万トンを記録。しかし直前では1日あたり1人以下という状況が続きました。
両駅とも利用者の激減で廃止されることとなりましたが、この冊子を読むと当時の状況が手に取るように分かります。釧路市立博物館では道東の鉄道に関して積極的に取り上げていて、私も何度か訪れたことがありますが、これもその中の一つの作品でとても参考になる内容です。私が買った冊子は第3刷となっていましたので、評判もいいのではないかと思います。
第16回伊豆急全線ウォークはコロナの影響で途中でいったん中止となり次回の開催に引き継がれる予定でしたが、ご覧の告知の通り、打ち切りとなりました。完歩途中の人は、伊豆急下田駅に行って未走破の区間の入場券を買えば、歩かなくても記念のバッジや完歩賞のボックスがもらえることになりました。今回限りの特例です。
私はまだ全体の3分の1しか歩いていないので、歩かないのに完歩扱いしてもらえるのは、これはこれでありがたい措置なのですが、気になるのは次回第17回は開催方法を見直した上で実施されるとのことで、現時点ではいつどのように開催されるか未定ということです。コロナの影響で無人駅が増えているのが大きな要因のようです。今までは伊豆大川、伊豆北川、稲梓だけだった無人駅が、城ヶ崎海岸、片瀬白田、今井浜海岸、蓮台寺も窓口営業休止になり、バッジの受け渡しができる駅が半分くらいになってしまい、一駅歩いてバッジを一つもらうというルールが難しくなり、またバッジの授受自体に感染リスクもあることも影響しているでしょう。
気になるところですが、伊豆に行くのが毎年恒例になっていて形を変えても継続されることを望みます。
先日渡哲也さんが亡くなられたという報道がありました。精悍な顔立ちと真面目な人柄で多くのファンがいました。私もその一人です。
私が中学生、高校生の頃は渡さんが刑事ドラマで大活躍していた時代で、「大都会」や「西部警察」などをよく見ていました。「大都会」はパート1からパート3まであり、特にパート1が普通の刑事ドラマと違い、印象に残っています。正確にはパート1ではなく、「大都会 闘いの日々」と呼ばれていましたが、渡哲也扮する警視庁捜査四課(マル暴)の黒岩刑事が、城西警察署を拠点に暴力団壊滅作戦を進めるストーリーで、刑事ドラマにありがちな派手なアクションは少なく、社会派ドラマの側面が大きかったです。捜査方針、家族、現場、マスコミの中で苦悩し翻弄される渡さんが描かれていました。石原裕次郎さんが城西警察署記者クラブの詰める麻雀好きな新聞記者のキャップというのも面白い設定でした。
その後、パート2、パート3、西部警察と進む中で、派手なアクションやカーチェイスが多くを占めるようになり、作風は大きく変わりました。それはそれで若い頃の私には楽しい部分も多かったですし、以前お伝えした「北九州コネクション」などは路面電車を利用したアクションもので、今の時代にはもう撮れない貴重な映像でした。
大都会の中で私が気に入っているシーンが、番組のエンディングで犯人の逮捕が終わると、他のメンバーと別れひとり現場を離れ、たばこを吸いながら歩いて街中に消えていく渡哲也さんです。大都会の中で起きる様々な事件に疲れ、ひとり安らかな気持ちになりたい刑事の姿が印象的でした。このシーンはパート2の途中から定番となり、その時にかかっていたのが、「ひとり」でした。渡さんの素朴な歌唱が魅力です。
私が若いころから親しんだ俳優や著名人がだんだんにこの世を去る時代になり寂しいものがあります。
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