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2020年4月30日 (木)

柴田宗宏先生の思い出

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 昨日新入生歓迎マラソン大会で前田校長に追い抜かれた話をしましたが、校長の後ろを走る生徒が大勢いて嘆かわしいと言っていたのが、担任の柴田宗宏先生でした。担当は体育で浦高サッカー部の監督をしていました。先生は浦高OBで、地理の新田先生の話によれば高校3年生の柴田君を見て「なんと足の速い生徒がいるのか」と驚いたそうです。しかし我々が驚いたのはそれではなく先生の年齢です。新田先生の話によると新田先生が浦高に着任したのが1964年で、そこから逆算すると我々の担任をしていた当時は32歳くらいの計算になり、当時から髪が薄かったのでもっと年だったと思っていたからです(大変失礼しました)。それはともかく先生は生徒時代から高校生トップレベルのサッカー選手で高校ユースの代表に選ばれるほどでした。

 先生はサッカー部の監督であるとともに埼玉県教員チームの選手兼監督でもあり、教員チームの試合で遠征するときは授業が休みになりました(浦高では休講になることをマルトといいました。図書館で自習するの略)。先生は東京教育大の出身で大学卒業後新聞社に勤務した後に教員になった経歴の持ち主で、ネット情報によると読売サッカークラブの創設にもかかわったようです。また高校3年の時には前回東京オリンピックの聖火ランナーも務めたようです。この話は生徒の時には聞いたことがありませんでした。

 その記事にもありますが先生の奥様は浦和一女の生徒でした。高校1年の夏に行われた臨海学校のバスの中で先生は浦高ツンツン節というのを披露され、その中で奥様とのなれ初めを歌ってくれました。

 それと先生の思い出で記憶に残っているは先生の自家用車です。当時の浦高には北浦和駅の西口に校長用の官舎があったのですが、前田校長が浦和在住で官舎が空いていたので柴田先生がそこを借用していて、そこからマイカーで通勤していました。その車がいわゆるハコスカと呼ばれた日産スカイラインで、今計算すると車齢10年ほどなのでそれほど古くはないはずですが、当時かなりポンコツの車に見えました。浦高通りを走る先生の車を見てもっといい車に乗れないのかなあと思っていました。その後、そのハコスカは廃車となったらしく、先生は途中からミニバイクで通勤されるようになりました。

 そんな思い出のある柴田先生ですが、お元気のようでなによりです。これからもご活躍を期待します。お世話になりました。

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鉄道雑感」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
スカイラインですか、車が好きなのですね。
その頃、年式はほぼ同じでも、トヨタ車は綺麗なのに日産車は下回りの水滴が最後まで残りそうなところが錆びて穴が開きそうになることもありましたね。
トヨタ車は綺麗でもエンジンが壊れて走れなくなる、日産車はボディが無くなっても走り続ける、なんて言われていたような。
これはトヨタと日産に鋼板を納入する会社の違いだ、と聞いた記憶があります。当時の鉄鋼メーカーは八幡製鉄と富士製鉄でしたっけ。40年も前のことですね。

京葉ラインさま、こんにちは。

トヨタ車と日産車の違い、興味深いですね。今はそれほど違いがないのでしょうが。

鉄鋼会社も合併が進み、富士、八幡が新日鉄になり、新日鉄住金になり、今は日本製鉄で、変化に着いていけません。

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