1999年ケーブルカー完乗旅行(旅立ち)
新型コロナウイルス感染防止のため、外出を控えている今日この頃ですが、これからしばらく過去の旅行記をお送りしたいと思います。このブログを始める前に私はニフティが運営している鉄道フォーラムというパソコン通信のサイトに旅行記をアップしていた時期があります。今回はその中で、1999年2月の旅行記をお伝えします。その時は土佐くろしお鉄道宿毛線、ラクテンチケーブル、帆柱ケーブル、広島スカイレール、井原鉄道に乗車し、ケーブルカー全線完乗を果たしたのでした。当時はあまり写真も撮らず、画像でお見せできる部分は少ないのですが、20世紀の鉄道旅行をお楽しみいただければ幸いです。今とは時代環境も違うので適宜注釈を織り込みながらお送りします。
突然明日から2日間(1999年2月18日、19日)の休みが取れることになった。土日とあわせると4連休となるので未乗線区乗車にはもってこいだ。こんなこともあろうかと3日間あれば乗り潰せるスケジュールを事前に練ってあった。それを実行に移せる機会が現れたのだ。
それにしても休みが取れることが決まったのが遅かったうえに、明日休みだということで職場の上司や同僚に飲みに誘われて家に帰ったのが夜の11時頃。これでは予約も何もできない。明日は10時くらいに家を出ればよいので少しは余裕があるが、朝一番で予約を入れる必要や荷物の準備もあるので早く寝ることにしよう。お酒をだいぶ飲んだので風呂も入らず、目覚し時計を6時30分にセットしてすぐに眠りに就いた。
朝6時30分に目覚しをセットしたのはサイバーステイションで空席照会をするためだ(注:当時はインターネット予約はなく、空席照会のみだった)。初日の予定はとりあえず中村まで行くことなので、新幹線と乗り継ぎの特急南風の指定券を取りたい。乗りたいのはひかり117号と南風11号である。117号は喫煙席は△、禁煙席は○となっていた。南風は×。南風は普通車指定席が半車しかないのでこれはキャンセル待ちを狙っても難しいだろう。しかし南風には自由席が2両付いており、岡山での乗り継ぎ時間が45分あるので早めにホームに並べば大丈夫だろう。
宿泊地は中村と小倉を予定している。中村ではホテルサンルート中村、小倉ではステーションホテル小倉に泊まりたい。9時を待って電話をすると、両方ともすんなり取れた(注:当時はホテルもインターネット予約はなかった)。さすがに2月の中旬では旅行者も少ないのだろう。
町田駅のみどりの窓口に10時30分くらいに着く(注:この当時は相模大野に住んでいた)。南風の指定券はあきらめていたが、ひかり117号の指定券も普通車はいつのまにかすべて満席になっていた。朝6時30分の時点では空席があったのに、もたもたしているうちにとられてしまったようだ。こうなれば仕方がない。自由席で我慢するしかない。指定席がすべて満席ということは自由席もかなりの混雑が予想される。なんだか先が思いやられる。
新横浜に10時57分につき、小走りに2号車禁煙車の列に急ぐ。1号車も禁煙車だが座席数が少ないから並ぶのならば2号車だ。自由席はかなり行列しているのではと気をもんだが、先客は一人しかいなかった。これなら通路側かB席ならなんとか座れるだろう。かばんをおいて食糧調達に行く。新横浜駅定番のシウマイ弁当を買ってきた。
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