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2020年4月29日 (水)

前田耕平校長の思い出

 昨日、浦高の同窓会誌を取り上げましたが、今年の4月に浦高に新しい校長が着任しましたことが記されていました。この人は以前教頭として浦高に勤務し、再び校長として浦高に勤務することになった非常に優秀な方のようです。会誌の巻頭部分には着任のあいさつがありました。それを読むと第16代校長の前田耕平先生のもとで生徒として在校していたと書かれていました。そう思って卒業年次を見ると高32とあり私の1学年上の人でした。

 私は高校1年と2年の時にその前田校長のもとで生徒でした。前田校長はたいへん気さくで明るく温厚で、しかしまた東京大学法学部政治学科卒の経歴でしっかりとした識見のお持ちの方でした。まさに校長の中の校長、浦高の校長になるべくしてなった方でした。

Dsc_2372  浦高では毎年4月の終わりに全校生徒が参加する新入生歓迎の10kmマラソン大会が開催されます。浦高の伝統行事で今も行われています。4月の体育の授業はそれに備えてずっとマラソンの特訓になります。その特訓は30分間走と呼ばれ、学校の回りの一般道路を30分間ひたすら走るのです。担任の柴田先生によれば、その新入生歓迎マラソンには前田校長も参加され、校長より遅い生徒がずらずらいるとの話でした。いくら何でも60くらいの老校長に負けるはずはないと思いましたが、4月1か月間練習を積んだのにも関わらず私は途中で前田校長に追い抜かされてしまいました。当時の前田校長はおそらく今の私とほぼ同じ年齢ですが、今私は10kmも走り切る体力はありません。

 先生はまた演技派でもありました。始業式や終業式などのあいさつの時に歌を歌うことがありました。力強い歌で、確かドイツ語の歌だったように記憶しています。校長が全校生徒を前に歌を歌うのは後にも先にも他にいませんでした。

 そんな思い出の名校長でしたが、今もご健在なのでしょうか。

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鉄道雑感」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
10㎞マラソンですか。高校生より速いとはエネルギッシュな校長先生ですね。
私の高校でも長距離走がありました。陸上自衛隊の習志野演習場を走った記憶があります。浦和高校では広い公園に特設コースを作っているようですね。

京葉ライン様、おはようございます。

老校長に追い抜かされた情けない生徒でした。今は公園内のようなところを走っているようですが、当時は浦和市東部の丘陵地帯の一般道路を走りました。ズルをしないよう途中に関門があり、そこで手に赤い塗料を付けないといけない決まりでした。

前田さんは教頭のときもそんなこと言ってたな。競歩大会のまえに。

19回卒業生さま、初めまして。大先輩ですね。よろしくお願いします。

前田校長は教頭もやっていたのですね。その頃はもっと速かったでしょうね。

わたくしはスレ主のかたより,一学年下と思います。
前田校長の体育館での離任のあいさつ時(昭和55)
には,ご自身が最後に「別れの灯」を歌いましたが,
最後の数節は涙で続かなくなり,それを送る在校生が,
もちろん誰の指示もなく,咄嗟にみんなでフォローの
合唱をし,お送りしたという思い出があります。

サロマさま、初めまして。

昭和55年の離任式の時は、最後はそんな状況だったのですね。そこまでの記憶はありませんが、皆から慕われる広い心の持ち主でした。

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