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2020年4月

2020年4月30日 (木)

柴田宗宏先生の思い出

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 昨日新入生歓迎マラソン大会で前田校長に追い抜かれた話をしましたが、校長の後ろを走る生徒が大勢いて嘆かわしいと言っていたのが、担任の柴田宗宏先生でした。担当は体育で浦高サッカー部の監督をしていました。先生は浦高OBで、地理の新田先生の話によれば高校3年生の柴田君を見て「なんと足の速い生徒がいるのか」と驚いたそうです。しかし我々が驚いたのはそれではなく先生の年齢です。新田先生の話によると新田先生が浦高に着任したのが1964年で、そこから逆算すると我々の担任をしていた当時は32歳くらいの計算になり、当時から髪が薄かったのでもっと年だったと思っていたからです(大変失礼しました)。それはともかく先生は生徒時代から高校生トップレベルのサッカー選手で高校ユースの代表に選ばれるほどでした。

 先生はサッカー部の監督であるとともに埼玉県教員チームの選手兼監督でもあり、教員チームの試合で遠征するときは授業が休みになりました(浦高では休講になることをマルトといいました。図書館で自習するの略)。先生は東京教育大の出身で大学卒業後新聞社に勤務した後に教員になった経歴の持ち主で、ネット情報によると読売サッカークラブの創設にもかかわったようです。また高校3年の時には前回東京オリンピックの聖火ランナーも務めたようです。この話は生徒の時には聞いたことがありませんでした。

 その記事にもありますが先生の奥様は浦和一女の生徒でした。高校1年の夏に行われた臨海学校のバスの中で先生は浦高ツンツン節というのを披露され、その中で奥様とのなれ初めを歌ってくれました。

 それと先生の思い出で記憶に残っているは先生の自家用車です。当時の浦高には北浦和駅の西口に校長用の官舎があったのですが、前田校長が浦和在住で官舎が空いていたので柴田先生がそこを借用していて、そこからマイカーで通勤していました。その車がいわゆるハコスカと呼ばれた日産スカイラインで、今計算すると車齢10年ほどなのでそれほど古くはないはずですが、当時かなりポンコツの車に見えました。浦高通りを走る先生の車を見てもっといい車に乗れないのかなあと思っていました。その後、そのハコスカは廃車となったらしく、先生は途中からミニバイクで通勤されるようになりました。

 そんな思い出のある柴田先生ですが、お元気のようでなによりです。これからもご活躍を期待します。お世話になりました。

2020年4月29日 (水)

前田耕平校長の思い出

 昨日、浦高の同窓会誌を取り上げましたが、今年の4月に浦高に新しい校長が着任しましたことが記されていました。この人は以前教頭として浦高に勤務し、再び校長として浦高に勤務することになった非常に優秀な方のようです。会誌の巻頭部分には着任のあいさつがありました。それを読むと第16代校長の前田耕平先生のもとで生徒として在校していたと書かれていました。そう思って卒業年次を見ると高32とあり私の1学年上の人でした。

 私は高校1年と2年の時にその前田校長のもとで生徒でした。前田校長はたいへん気さくで明るく温厚で、しかしまた東京大学法学部政治学科卒の経歴でしっかりとした識見のお持ちの方でした。まさに校長の中の校長、浦高の校長になるべくしてなった方でした。

Dsc_2372  浦高では毎年4月の終わりに全校生徒が参加する新入生歓迎の10kmマラソン大会が開催されます。浦高の伝統行事で今も行われています。4月の体育の授業はそれに備えてずっとマラソンの特訓になります。その特訓は30分間走と呼ばれ、学校の回りの一般道路を30分間ひたすら走るのです。担任の柴田先生によれば、その新入生歓迎マラソンには前田校長も参加され、校長より遅い生徒がずらずらいるとの話でした。いくら何でも60くらいの老校長に負けるはずはないと思いましたが、4月1か月間練習を積んだのにも関わらず私は途中で前田校長に追い抜かされてしまいました。当時の前田校長はおそらく今の私とほぼ同じ年齢ですが、今私は10kmも走り切る体力はありません。

 先生はまた演技派でもありました。始業式や終業式などのあいさつの時に歌を歌うことがありました。力強い歌で、確かドイツ語の歌だったように記憶しています。校長が全校生徒を前に歌を歌うのは後にも先にも他にいませんでした。

 そんな思い出の名校長でしたが、今もご健在なのでしょうか。

2020年4月28日 (火)

同窓会誌

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 毎年4月に母校の同窓会誌「麗和」が送られてきます。今はDMで送られてきますが、私が在校していた時代は新入生が発送の手伝いをさせられました。今なら学業と関係ないことをさせたと大問題になるところでしょうが、当たり前に作業を行いました。

 今回は高校ラグビー全国大会でベスト16まで勝ち進んだラグビー部をたたえる記事が中心です。花園初勝利、2回戦突破、強豪桐蔭学園との決戦について、OB、監督、主将など8名の方が記事を寄せています。写真はスポーツライターのOBの方がピッチで撮ったと思われる臨場感あふれるものです。

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 こちらはかつて浦高ラグビー部の元監督だった小畔先生のコメント。小畔先生は私が高校2年の時の体育の先生でした。この記事によれば着任当初は部員が足りず、他から応援を借りてしのいだとのこと。今回の花園大会のラグビー部主将の松永選手は、会誌の中で「ラグビーをやるために浦高に入った」と言っているので時代は変わりました。こういった気概あればこそ、今回の結果につながったと思います。今後の後輩の活躍に期待するとともに、我々もいい後ろ姿を見せられるよう頑張りたいと決意を新たにしました。

2020年4月27日 (月)

痛みを分け合う

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 先日の日経新聞東北版の記事です。私は日経電子版の契約をしていて、その契約者はすべての地方版を読めるのでとても便利です。その中でこの記事を見かけました。JR東日本の関連会社で、東北地方で駅ビルやホテルの経営を行う仙台ターミナルビルの社長の談話です。

 コロナウイルス感染防止のため営業を自粛し駅ビルの休館を行っているなか、仙台ターミナルビルはテナントの賃料を免除するというのです。各地で行われている営業自粛でテナントが営業できず賃料の減免や猶予を求める動きが強まっていますが、賃貸側(大家)からこうした免除の発言が出ることは珍しいです。JRのような大企業の場合、契約を盾にそういうことを認めないようなことが多そうです。

 ビルの所有者は国からの要請に基づき休館にしているだけで賃料を免除する何の義務もないわけですが、「テナントに支えられてきたので、痛み分けして危機を乗り越えたい」と発言しています。仙台ターミナルビルの場合、国鉄時代から所有する物件が多く、財務的な余裕があるかもしれませんが、なかなかできることではないと思います。

 今国民に求められているのはまさに「痛みを分け合う」こととにより、この危機を乗り越えていくことではないでしょうか。自分の立場を守ることも必要ですが、自分だけ生き残っても何の意味もありません。単なる地方版の一つの記事に過ぎないですが、今の日本に求められていることが表現されているのではないでしょうか。

 

 

2020年4月26日 (日)

シングル盤

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 昨日LPレコードの話をしましたが、今日はシングル盤レコードです。押入れを捜索して発見しました。LPレコードが直径30㎝に対して、こちらは17cmと小ぶりで、LPが10曲前後収録されているのに、こちらは表裏に各1曲ずつです。値段は600円から700円くらいで高校生の私でも無理せず買える金額でした。レコードの中央部に丸い大きな穴が開いているのでドーナツ盤とも呼ばれていました。

 レコードは静電気でほこりを吸着しやすいので、専用のクリーナーでほこりをふき取ってから聴きました。これを怠ると雑音がするので、いつも慎重に取り扱ったのも懐かしい思い出です。そのため、レコードからカセットに録音し、カセットで聞くことが多かったです。

 こちらは大場久美子のテレビドラマ「コメットさん」の主題歌のレコードです。「コメットさん」は愛を求めて宇宙からやってきた大場久美子扮するコメットさんが、お手伝いさんとして住み込む家庭で巻き起こる様々な事件を、バトンをクルクルと回して魔法で解決する子供向けドラマでした。彼女は埼玉県鳩ケ谷市(今は川口に合併)の八幡木中学出身で、高校1年の時私の後ろの席に座っていたK君も同中学の出身で、演技の下手さ加減を酷評し「大場久美子は八幡木中学の恥さらしだ」とよく言っていたのを苦々しく聞いていましたが、ナチュラルな可愛さで人気はありました。このジャケット写真からも感じられます。

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 石野真子は私が高校1年の時にデビューしました。こちらがデビュー曲の「狼なんかこわくない」で、阿久悠作詞、吉田拓郎作曲という新人歌手には破格の布陣でした。

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 こちらは薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」です。同名の映画の主題歌です。私が浪人していた時期に映画が公開され、こちらは受験勉強で忙しくて映画どころではないのに、家族はこの映画を見に行っていました。立ち見になるほど混んでいたとのことでした。

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 こちらは柏原芳恵の「春なのに」で大学1年の時の曲です。中島みゆき作詞作曲の卒業ソングです。今上天皇もこの曲のファンとのこと。

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 こちらは中森明菜の「セカンド・ラブ」で同じ時期の曲です。デビュー当時の中森明菜は可愛かったです。髪型も昭和風でいいです。

 アイドル系のレコードが中心になりましたが、昭和の懐かしい思い出です。

2020年4月25日 (土)

LPレコード

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 コロナウイルス感染防止の外出自粛要請で鉄道乗り歩きを控えており、ネタ切れの状態です。今回は鉄道とは関係ない記事になります。先日、大林宣彦監督の死去について取り上げた際、監督初作品の「HOUSE/ハウス」に触れました。私がこの映画を見たのは映画公開の2年後の1979年でした。大林監督に特段興味を持っていたわけではなく、当時私はこの映画に出てくる大場久美子のファンだったからです。まだ月刊誌だった「ぴあ」で、上映している映画館を調べ、東武東上線上板橋駅近くにあった上板橋東映に見に行きました。150円だったぴあを持参すると映画料金が200円程度割引になる「ぴあ持参者優待割引」、通称まるぴという制度があり、1回見ると元が取れるお得な仕組みでした。この映画館はいわゆる封切館やロードショー館のような最新の映画は取り扱わず、古い邦画の上映を主に行っていました。

 この映画を見て初めて、音楽担当がゴダイゴだったことを知りました。ゴダイゴは当時、モンキーマジック、銀河鉄道999、ビューティフルネームなどのヒット曲を連発していました。そのボーカル、タケカワユキヒデさんは高校の先輩になります。ゴダイゴのメンバーも一瞬映画に出ていた記憶があります。

 映画音楽にも興味を持ち、そのレコードも購入しました。直径30㎝のLPレコードで、ジャケットの中には映画のあらすじや出演者の感想なども寄せられていました。レコードの価格は2,500円で、1か月のお小遣いが5,000円だった私には大きな出費でした。レコード屋でレコードを買うとそのお店オリジナルの紙袋に入れてもらえます。LPレコードを小脇に抱えて街を歩く姿も懐かし情景です。今はレコードプレーヤーを持っていないので、これを聞くこともできないですが、このレコードジャケットを見て昔の記憶がよみがえりました。

 映画を見終えて乗った東武東上線の各駅停車は床が木製の電車でした。

 

 

 

 

 

 

2020年4月19日 (日)

グリーンプログラム特典利用期間延長

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 JR東海エクスプレス予約のグリーンプログラムの特典利用期間が延長されます。エクスプレス予約で新幹線を利用した人に付与されるポイントがたまると追加料金なしでグリーン車に乗れるサービスで、ポイントの有効期限が毎年6月末となっているのです。新型コロナウイルスに伴う外出自粛の影響で、新幹線に乗りたくても乗れない人を救済する動きです。

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 1000ポイントたまるとのぞみのグリーン車に乗れるのですが、私は890ポイントたまっていてもう少し乗れば特典を利用できるところでしたが、自粛要請でどこにも出かけられず困っていたところでした。今回の措置で1年間延長になったので、それまでにはコロナウイルスも収束し、新幹線に乗れる日も来ると期待しています。

2020年4月18日 (土)

第16回伊豆急全線ウォーク開催中止

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 第16回伊豆急全線ウォークが4月30日で中止になることが決定しました。新型コロナウイルスの感染防止のためです。今回のウォークは台風19号の影響で開始が遅れたこともあり、実質5か月ちょっとの開催期間となりました。私も先月に1回行っただけです。

 告知によると次回も同内容で開催され、今回の続きの位置付けになり、3月に歩いた分は無駄にはならないようでホッとしました。

 次回の具体的計画は未定のようですが、緊急事態宣言が解除され、感染防止に目途が付かないと再開はないと思いますので、かなり先のことになるのでしょう。コロナウイルスの沈静化を祈ります。

 

2020年4月17日 (金)

新型コロナウイルスの感染防止で札沼線が本日前倒しで廃線

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 札沼線の北海道医療大学前・新十津川間が前倒しで本日4月17日に廃線となることが急きょ昨夜決定しました。新型コロナウイルスで全国に緊急事態宣言が発令された関係で、感染の拡大を防ぐ趣旨のようです。実はおととい4月24日を最終運行とするという通知が出たばかりでした。廃線となると多くの鉄道ファンや一般の利用者が集中し、3密状態になるのでやむをえない措置と思いますが、こういう形で最終運行を迎えることは極めて珍しいです。すでに代替バスの運行は始まっているので、本来の利用者には影響ないというのも前倒しの判断の要因になったでしょう。最終列車は本日10時新十津川発の列車です。この列車がクラスターにならないことを祈ります。

2020年4月13日 (月)

「時刻表2万キロ」と「ドクトルまんぼう航海記」

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 先日の土曜日の日経プラス1に「読めば家でも旅気分」と題して、不要不急の旅行が自粛される中、家で旅行気分に浸れる紀行文学のランキングが掲載されていました。その中で4位として登場するのが宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」です。この本はブログの中でもたびたび取り上げていますが、中央公論社の編集者であった著者が会社員時代に達成した国鉄全線完乗記です。旅行の内容は今から40年以上前のものですが、今読んでも旅の楽しさは色あせることはありません。この記事の中で鉄道に「興味がない人でも楽しく読める」とありますが、まさにその通りです。まだ読んだことのない人はぜひ購入されることをお勧めします。

 またこのランキングの中で第8位にランクされているのが北杜夫さんの「ドクトルまんぼう航海記」です。水産庁の漁業調査船の船医として乗り込んだ北さんの旅行エッセイで、ユーモアあふれる文章でこちらも楽しめます。この本の執筆を依頼したのが編集者だった宮脇俊三さんで、それが縁で宮脇さんは北さんの隣に引っ越して来ることになりました。

 外出が自粛される中、このランキングの本を読んでみるのもいいかもしれません。

 

2020年4月12日 (日)

大林宣彦監督、死去

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 映画監督の大林宣彦さんが10日夜に亡くなりました。82歳でした。大林監督は広島県尾道市出身で、尾道を舞台にした尾道三部作などで知られています。私は特に原田知世主演の「時をかける少女」が印象に残っています。筒井康隆さんの同名のSF小説が原作で、未来からやってきた青年が作ったラベンダーの香りがする薬品のにおいを嗅いだことにことにより、時間と空間を移動できる超能力を身に付けた少女と、その青年の出会いと別れの物語で、センチメンタルでノスタルジックな映画でした。

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 その映画の中で見られる尾道の細い路地に興味を持ち、実際にロケ地巡りをしたこともあります。今から30年近く前のことになります。こんな感じで人が一人通れるだけの狭い坂道の両側に人家が密集しています。再建築をする場合、建築確認が下りるのだろうかと心配になります。 

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 しかし、そんな坂道を上っていくと景色が開け、狭い尾道水道や向島などが見渡せ、映画の舞台にふさわしい街であることを実感しました。

 そんな大林監督の映画監督としてのデビューは1977年の「HOUSE/ハウス」というコミカルホラー映画でした。夏休みに田舎にある古い家に遊びに来た少女たちが次々とその家に食べられてしまうというストーリーで、池上季実子が主演で、デビューしたてで無名の大場久美子や神保美喜などが少女役で出ていました。古い家の主は南田洋子で、チョイ役で小林亜星や尾崎紀世彦なども出演していました。またデビューから日も浅いゴダイゴが映画音楽を担当し、私はそのLPレコードを買ったので今も押入れを探せば見つかると思います。主題歌はタケカワユキヒデが歌っていました。その後の時代を担っていく若い役者や音楽家が参加しているエネルギッシュな映画でした。

「時をかける少女」と「HOUSE/ハウス」、私にとって思い出となる映画の監督でした。ご冥福をお祈りします。

 

 

2020年4月11日 (土)

さようなら札沼線

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 札沼線は札幌の隣駅桑園を起点に新戸津川までの76.5kmの路線ですが、今年の5月6日を最終営業日として北海道医療大学・新戸津川間47.6㎞が廃止されます。特に末端の浦臼・新十津川間は1日1往復しか運行されない区間で、終列車が日本一早い区間として知られています。かつては新十津川から先、留萌本線の石狩沼田まで通じていて、その名の通り、札幌と沼田を結ぶ札沼線でしたが、その区間はすでに1972年に廃止されています。

 この写真は私が1983年2月に札沼線に初乗りした時の写真で、新十津川駅舎の後ろには国鉄色のキハ40形が見えています。

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 こちらは2008年6月に再び乗車した時の新十津川駅舎です。後ろにはJR北海道色に塗られたキハ40形が停車しています。いずれの時も新十津川で下車し、バスで滝川駅に向かいました。最初は時は国鉄バス、2度目は北海道中央バスでした。両駅は石狩川をはさんでバスで10分ほどの距離にあります。

 この5月で廃止になることからお別れ乗車をしようと、航空券やホテルの手配もしたのですが、新型コロナウイルスの緊急事態宣言発出に伴い乗車をあきらめました。私にとっては重要なイベントですが、外出自粛を求められているこのご時世、首都圏から北海道への廃止線旅行は不要不急の旅行に当たるのは明らかです。今回は残念ながら行かないことにしました。鉄道は廃止になっても廃線跡を巡る楽しみもあるので、その楽しみを次回にとっておくことにしました。札沼線、お疲れさまでした!

2020年4月10日 (金)

経堂駅渡り線

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小田急線下り線で経堂駅の手前には緩行線と急行線の双方に移れるシーサスクロッシングがあります。先日千代田線からのメトロホームウェイ号に乗車した際、その渡り線を通過しました。メトロホームウェイ号は通常は代々木上原を出るとすぐに急行線に移るのですが、その時はダイヤ乱れでそのまま緩行線を走り、経堂駅の手前で緩行線から急行線への渡り線を通過しました。緩行線を走るロマンスカーと経堂駅渡り線の2つを同時に楽しめる貴重な体験でした。

2020年4月 6日 (月)

窓開け運転

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 新型コロナウイルスの感染防止のため、通勤電車で窓開け運転がされています。車内換気のためです。JRの車内放送では駅でドア開閉があるため窓は開けなくても大丈夫ですと放送していたので、鉄道会社が推奨しているというより、乗客が率先して開けているようです。まだこの時期は朝晩はかなり寒いので窓が開いているとありがため迷惑な気もします。

 また通勤電車もかなり空いてきた印象です。いままで座れなかった電車が余裕で座れるようになり、移動が大幅に減っている印象です。早く終息に向かってほしいですが、その兆しが見えず不安です。

2020年4月 5日 (日)

千駄ヶ谷駅新ホーム完成

 千駄ヶ谷駅は従来は島式ホームの両側に線路がある1面2線の構造の駅だったが、国立競技場最寄駅でオリンピック時の旅客増加に対応するため、もう1面ホームを増設し先日から運用が開始した。

Img_4123 こちらがそのホーム。

 この駅には前回の東京オリンピック時に設置された臨時ホームがあったが、その位置に再びホームが設置された。今回は臨時ホーム扱いではなく、新宿方面ホームとして恒常的に利用されるようだ。

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 こちらがホームへのアプローチ。

 ところが残念なことに、オリンピックが延期されたため、せっかく作ったホームが威力を発揮するのは先になってしまった。来年完全な形でオリンピックが開催されることを祈ります。

2020年4月 4日 (土)

第16回伊豆急全線ウォーク(伊豆稲取→今井浜海岸)

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 伊豆稲取駅ベンチで昼食を取った後、12時45分今井浜海岸へと向かう。距離8.9km、急坂の多い難関区間だ。駅を出てすぐから上り坂が続く。この周辺は江戸城の築城石の産地で、道路脇の石垣も立派なものが多い。

 急坂とともにアップダウンも多く、体力を消耗する。日差しも強くなってなり、水分の取りすぎか、手の甲や指先がむくんできた。今までは休憩することもなく上れた坂道も、途中で息を整えないと上れなくなり、体力の衰えを感じる。

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 ようやくサミットを越えて下り一方になると、道の両脇に菜の花畑が展開し、遠く式根島も見える区間になり、気持ちも楽になってきた。

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 国道135号線に合流し、伊豆オレンジセンターに立ち寄る。飲んだら3年長生きというキャッチフレーズのウルトラ生ジュースで栄養補給する。今回はブルーベリーにしてみた。

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 ウルトラ生ジュースで体力を回復し、下り坂を進んでいく。国道わきの民家の駐車場には私が伊豆急全線ウォークを始めた時から置きっぱなしなっているベンツがあるが、今年もそのままだった。

 国道からそれて、今井浜の漁港の脇を抜け、14時50分今井浜海岸駅着。駅前の階段を手すりにつかまりながら上る。だいぶ足腰に来ているようだ。次の河津までは近いので、もう一区間歩こうかと思っていたが、とても歩ける状態ではなく、今日のウォーキングはここまでとした。今日は伊豆大川からここまで約24kmを歩いたことになる。

 今井浜海岸発14時56分の電車で帰路に着く。車両は金目鯛電車だった。

 

2020年4月 3日 (金)

第16回伊豆急全線ウォーク(片瀬白田→伊豆稲取)

 片瀬白田から伊豆稲取までの区間は例年とは異なるルートになっている。例年は国道135号沿いにある神社脇から急坂を上るルートだったが、今年は白田川寄りルートから白田トンネルに至るルートとなっている。このルートは久しぶりで、距離はあるが勾配は緩やかになっているので歩きやすい。

Img_4074  駅を出ると右手に進み、白田川親水公園の脇を通り、白田川から少し離れた道を緩やかに上っていく。コースマップではT字路となっているのに実際は十字路になっている交差点を左折する。肝心なところの表示が誤っていることがあり、今までも何度も泣かされた。

Img_4076  従来ルートよりは急坂ではないが、それでも呼吸が乱れ、時々水分補給と小休止をしながら坂を上っていく。従来ルートとの合流地点にある稲取系水道施設を過ぎ、いつも写真を撮る地点で今回もまた写真を撮る。片瀬白田駅が小さく見え、遠く伊豆大島も見える絶景スポットだ。

 白田トンネルを抜けると伊豆急全線ウォーク中最高所を過ぎ、そこからは下り一方になる。稲取高校を過ぎ、稲取の漁港を見下ろし、伊豆急の線路をくぐる。

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 サフィール踊り子と同時デビューしたE257系の踊り子号。かつて中央線のかいじなどで使用されていた車両をリニューアルしたもの。老朽化した185系を置き換える目的で投入された。かつては157系や185系などの新型が投入されてきた伊豆方面の特急に、リニューアル車両が投入される時代になったようですこし寂しさを感じる。

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 12時30分、伊豆稲取駅着。

2020年4月 2日 (木)

第16回伊豆急全線ウォーク(伊豆熱川→片瀬白田)

 熱川駅手前で乗車駅証明書をなくしそうになるハプニングはあったものの、無事バッジをゲットし、10時15分片瀬白田へと向かう。平日ということもあるのか、それともコロナウイルスの影響があるのか、熱川温泉街に人はまばらだ。

Img_4068  ここから片瀬白田までは距離2.5km、海岸沿いを行くコース屈指の絶景区間だ。穏やかな海が広がり、大島や式根島がはっきり見えている。

Img_4070  コース途中の道路案内標識。前は見かけなかったものだ。下田へ28km、伊東へ27kmとあるので、ここが道路の距離としては伊東と下田のほぼ中間地点のようだ。

Img_4073  10時40分、片瀬白田着。伊豆北川で見かけた金目鯛電車が下田から折り返して、ちょうど片瀬白田駅に入線するところだった。

 

2020年4月 1日 (水)

第16回伊豆急全線ウォーク(伊豆北川→伊豆熱川)

 伊豆大川駅も無人駅なので乗車駅証明書を取っておく必要がある。乗車駅証明書には時刻が印字されているが、機械の仕組み上、実際に自分が取った時刻ではなく、前の券が抜き取られた直後の時刻になっている。したがって私が取った時刻は923分だったが、印字された時刻は843分となっていた。

Img_4063  駅前の急坂を上り、伊豆熱川へと向かう。角度的にはここの坂が伊豆急全線ウォーク中で一番急だろう。急坂を上り終えると県道に合し、緩やかなアップダウンが続く。

Img_4064  リゾートマンションが見えてくると熱川駅も近い。駅近くにあるファミリーマートでお昼を調達しておく。この先食料の調達可能なところは少ない。地下道で国道135号をくぐり、駅でスムーズにバッジの引換ができるよう、乗車駅証明書と入場券をポケットから取り出す。すると乗車駅証明書がポケットから落ちて風に舞い上げられ5mくらい飛ばされてしまった。急いで取りに行くがさらに風に巻き上げられ、歩道脇の側溝に落ちてしまった。側溝は歩道と段差があり50cmほどある。大ピンチだ。乗車駅証明書がないと歩いたことが認められないのだ。もたもたしているとまた風でどこかに飛んで行ってしまうかもしれない。何とか側溝に下りて乗車駅証明書を取り戻した。側溝に水が流れていなかったのも幸いした。むき出しでポケットに入れていた自分の愚かさを嘆いた。

Img_4065  そんなこんなはあったものの無事バッジの引換を完了した。伊豆高原からの分も含め3つゲットした。

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