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2019年10月24日 (木)

京阪電鉄ほぼ乗りつくしの旅(近鉄奈良線列車暴走追突事故慰霊碑)

Dsc00224_r  大阪城公園からは鶴橋駅経由で近鉄奈良駅へと向かう。私は河内花園駅で一旦下車した。この駅の高架下には近鉄奈良線列車暴走追突事故の慰霊碑が設置されているからである。終戦間もない1948年生駒トンネルを走行中の近鉄電車のブレーキがきかなくなり暴走し、河内花園駅を発車しかけた電車に追突し、多数の犠牲者が出るという事故があった。

 本来停車する石切駅を通過したため駅員が異変を察知、連絡を受けた瓢箪山駅では先行電車を瓢箪山駅待避線に逃し、この駅での被害は免れた。しかしその後も列車は暴走を続け、石切駅には連絡が取れず、そこで追突事故となった。終戦後の物資不足で整備がままならない中で発生した傷ましい事故だ。近鉄の事故と言うと青山トンネルでの衝突事故を思い出すがそれ以前にこのような事故も起きていたことを私は最近知った。

 我々が安全に旅ができるのもこういった犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。

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コメント

 生駒トンネルの追突事故の慰霊碑が河内花園駅にあるとは初めて知りました。高校のころ、トンネル内でプレーキが効かなくなったのなら、最終手段として主幹制御器を逆転位置に入れれば少しはスピードが落ちるのではないかと、大学で電気工学に進む同級生と論争!!したことがあります。でも、パンタが棄損してそもそも電気が通じていなかったようで、この策は採れませんでしたね。
 この事故について「近鉄100年史」に目を通しましたが、さらりと書かれているだけで、参考になりませんでした。

railway様、おはようございます。

100年史にさらりとしか書かれていないのは残念です。

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