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海沿いにあるおびらにしん番屋で少し早めのお昼を食べた後、今度は一転して内陸の美瑛にある「青い池」に向かった。ここはマックのノートパソコンの壁紙に採用された有名な池なのだ。青い池に立ち枯れた樹々が並ぶ幻想的な光景のようだ。
留萌の先の留萌大和田インターで深川留萌自動車道に乗り、深川経由で向かう。留萌自動車道はここから深川西インターまでが無料区間となっていてありがたいのだが、そのおかげでJR留萌本線は苦戦を強いられている。高速道路が無料になるということは税金が投入されている訳で、こういうものと競争しなければならない民間事業者はとても太刀打ちできない。
片側1車線のカーブの少ない高速道路を進み、深川西インターからは一般道路経由で午後2時頃青い池に到着した。マックの壁紙のおかげでここは一大観光地になっていて駐車場に入るのに大渋滞していた。
クリームソーダのような色をした湖面に、立ち枯れた樹々が何本も立っていて神秘的な光景を醸し出している。ただ何枚も写真を撮ってみたが、日中のせいか、それともカメラマンのスキルのせいか、見映えは今ひとつだ。
それと中国や韓国などからの観光客があまりに多く、静寂な雰囲気にはほど遠いのもマイナス要因だ。ここに来るならば人気(ひとけ)の少ない早朝に限るのだろう。
売店で売っていた青い池ソフトクリーム。ソーダ味のソフトクリームでなかなかおいしい。
青い池の見物を終えて、駐車場を出ようとしたところ、駐車場内が大渋滞でいっこうに動く気配がない。私の前には大型観光バスが止まったままだ。あまりに動かないので車を降りて様子を見に行ってみると、なんとそのバスがバッテリー上がりで動けずに止まっているのだ。どこからかブースターケーブルを持ってきて、他のバスから充電していた。
私は待ちきれず何度か切り返しを行い、観光バスの脇をすり抜け、何とか駐車場を出ることができた。この駐車場には監視員や誘導員がいないことも混乱に拍車をかけている。駐車場を拡大するなど美瑛町としても手は打っているようだがオーバーツーリズムの状態で、しかも観光客も日本人より外国人のほうが断然多い。
増毛駅観察を終えて、日本海沿いを北上する。海沿いを走るこの道は国道232号で別名日本海オロロンラインと呼ばれている。ルートの途中の羽幌町の鳥がオロロン鳥なのでそういう愛称が付いているようだ。左手に海を眺めるシーサイドコースでこんな素晴らしい道は内地では見かけない。
かつての羽幌駅のあったところに立ち寄ってみる。駅跡は大きな空き地になっていて、その一角には沿岸バスのターミナルがある。空き地には鉄道駅跡を懐かしむ句碑があった。「童心に 還る駅跡 赤とんぼ」と詠まれていた。
羽幌駅跡から今度はオロロンラインを南下し、道の駅おびらにしん番屋に到着。
おいしい海鮮系丼と日本海のきれいな景色が眺められるところで4年前にも立ち寄った。ライダーも大勢ここで休憩している人気スポットだ。
夜半に津軽海峡沖を通過した際には揺れが大きくなったが、その後は穏やかな航行で進んだ。小樽港には定刻4時30分に着岸した。
新日本海フェリーの下船は着岸前から車両甲板に下りて、同乗者も含めて乗車して待機することができる。太平洋フェリーや商船三井フェリーでは着岸まで車両甲板に入れないのとは対照的だ。フェリーは会社によって乗船下船の仕組みがかなり異なっている。
着岸後はタラップの取り付けなどの準備があり、私が実際に下船したのは4時45分頃だった。下船は乗用車、バイク、大型車の順番で行われ、乗船とは逆になる。
私は自衛隊のジープに続いての下船となった。船内で迷彩服の自衛隊員を数名見かけたし、以前も別のフェリーで自衛隊員を見かけたことがあったから、本州と北海道を行き来する自衛隊の任務は多いのかもしれない。
スロープを降りるといよいよ北海道だ。この最初の一歩がなんとも言えない。丸一昼夜かけてここまでやってきた実感をかみしめる。
これから日本海沿いに増毛まで進む。4年前に来た時は警察のお世話になるという失態を演じたが、今回はしっかりと交通法規を守って無事故無違反で行きたい。
石狩川を渡ると海沿いを走るようになり、時々海水浴場やキャンプ場を眺めながら進んでいく。早朝にもかかわらず大勢の利用者がいる。
小樽港から一般道を走り続けること2時間半、7時15分旧増毛駅に到着した。駅跡に着くと大型観光バスが2台停車していて、そのほかにも多くの乗用車が停まっている。廃駅巡りもここまで市民権を獲得したのかとびっくりしたが、ここから札幌観光に出かける人だちの集合場所として利用されているのだった。一行は日本ハムファイターズの試合の応援に行くようだ。
駅舎は現役時代よりもキレイにリニューアルされていた。時間が早いので中には入れなかったが、駅舎内には増毛駅や留萌線に関する資料が展示されているのが見えた。
ホームには車輪を利用したオブジェが設置され、駅名標は昔のまま残っていた。
しばらく撮影しているとライダーが現れ、私と同じように写真を撮り始めた。早朝にもかかわらずその後も写真を撮りにチラホラと人が現れたから人気スポットには違いないようだ。
おみやげコーナー
後部デッキ。ヘリポートがドッグランを兼ねているようだ。
船首部分にあるフォワードデッキ。
フェリーでは時間の余裕がある。部屋で昼寝をしたり、早めのお風呂に入ったりして、のんびりと時を過ごす。外国航路のクルーズ船には足元にも及ばないのだろうが、私にとってはぜいたくな船旅だ。
新潟港乗船時には一時的に雨が降ったが、その後は回復し、波も穏やかで船旅日和だ。秋田沖を航行中の19時少し前に後部デッキに出てみるとちょうど日没時間帯で、他の乗客とともに海に沈む夕日を眺める。太陽はかなり小さく見えていて肉眼で見てもまぶしさを感じない。私は海に沈む夕日を見るのは初めてかもしれない。
船内のカフェで、カレーライスとピザを買い、サッポロクラシックで夜の乾杯をする。明日の朝は4時半に小樽港着岸なので、夕食を済ませると早々に眠りについた。
このフェリーは「らべんだあ」という名前で前にも乗ったことがある。私の船室は6階にある個室で、トイレ、シャワーも備わっていてビジネスホテルと同じ構造になっている。
出港時刻になると乗船口でドラがなりひびき、ほどなく岸壁を離れた。車両の積み込みに時間がかかり、定刻より5分遅れでの出港となったが、船長アナウンスでは定刻の出港と言っていた。船では5分、10分の遅れは気にしないようだ。岸壁では新日本海フェリーの作業員が船に向かって手を振ってくれている。
新潟港を出はずれると右手に武蔵野線の車両が見えている。おそらくインドネシアに輸出するため待機している車両だろう。JR東日本の新津工場まで回送される際にはインドネシアという行き先を掲げていたようだ。
湾を出て日本海を北上する。あらかじめ調達しておいた食料で部屋飲みする。新潟限定ビールだ。隣の部屋には元気のいい子供がいて、はしゃいでいる声や部屋の中を飛び回る音が聴こえて閉口したが、昼のビールのおかげで食後にすぐ眠ってしまった。新日本海フェリー名物のビンゴ大会開催の放送にも気付かなかったのは残念だ。
ビンゴ大会が終わった後に目が覚め、エントランスではジャズのライブが始まっていた。派手めな化粧の女性が熱唱していた。
売店では新日本海フェリーのロゴ入り帽子を売っていたので自分用のおみやげとして買った。伊豆急全線ウォークの時にかぶろうと思う。
ここまでは晴れていたのだが、フェリーターミナルに到着すると突然雨が降ってきた。乗船手続きのためターミナルビルまで雨の中、小走りに進む。
新潟港からは新日本海フェリーで小樽に向かう。新日本海フェリーではGOGO割引というのを実施している。55歳以上だと運賃が25%オフになるありがたいサービスだ。私は哀しいかなこの要件をクリアしている。年齢確認のため運転免許証を提示し、乗船券を発行してもらう。
他のフェリー会社で求められる車検証の提示もなく、乗船手続きはすぐ終わり、乗船まで車の中で待機する。雨は降ったり止んだりを繰り返していて、北海道での天候が気になる。
乗船は大型車、バイクの順に行われ、乗用車は最後になる。バイクは4~50台は止まっていた。11時40分頃になりようやく乗用車の乗り込みが始まった。少し時間がかかっているようだ。
鉄板でできたゴツゴツしたスロープを上り船内に入り、係員の誘導に従い停車する。
「ミラーをたたんで、サイドブレーキしっかり引いてください」という指示に従い、荷物を取りまとめて客室へと進んだ。
今夏も北海道ドライブに行ってきた。北海道の大自然の中を走り回ることと廃線廃駅などの鉄道遺産を巡ってくることが主な目的だ。日程は7月20日土曜日から27日土曜日までの8日間で、マイカーで行くため往復共にフェリーを利用する。
例年は8月下旬頃に行くことが多いが、意外と天候に恵まれないことが多かったので今年は7月下旬に行くことにした。事前の天気予報では北海道地方は概ね晴れで快適な旅が楽しめそうだ。
7月20日土曜日朝4時半頃に自宅をスタートする。関越道を走り、新潟港フェリーターミナルへと向かう。
土曜日であるが早朝なので関越道は交通量は多めだが渋滞は全くない。天候は晴れで申し分ない。まず上里サービスエリアで1回目の休憩を取る。昨日は仕事が遅くなり睡眠時間が短かったので、サービスエリアで眠気覚まし用のガムを購入しておく。
赤城山や榛名富士などを眺めながら北上していく。眠気を催してきたが先ほどのガムをかんで耐えていく。まずくてかみごたえのあるガムなので眠気防止の効果抜群だ。
関越トンネルを抜け新潟県に入り、越後湯沢のスキー場やリゾートマンションを左右に見ながら、六日町サービスエリアで2回目の休憩を取る。ここはサービスエリアの割りにこじんまりとしていた。
長岡ジャンクションを過ぎ、燕三条駅付近になると新幹線が近づいてくる。ほぼ同じ場所あるのに高速のインターは三条燕インターとなっていておもしろい。
新潟西インターで一般道に降り、市内を走り、フェリーターミナルの手前にあるシェル石油で給油をして、10時30分新潟港に到着した。
昨年9月に平山三郎さんの「実歴阿房列車先生」という本が中央公論新社から出版されました。1965年に刊行された単行本の文庫版です。平山三郎さんは内田百閒の鉄道紀行「阿房列車」に百閒の同行人として、ヒマラヤ山系という名で登場する国鉄本社の職員です。
国鉄部内誌に掲載する随筆の執筆を依頼することから近づきとなり、内田百閒の旅行に多く同行し、その様子は阿房列車の中でよく肴にされています。作家と編集者という関係を超えた師弟関係のようなものを感じます。
その平山三郎さんから見た内田百閒が書かれているのがこの著作です。二人の出会い以前の内田百閒の生まれた頃からの話から始まり、まさに「実歴」です。百閒が平山三郎さんを信頼してにいろいろな話をしていたことがわかります。
もちろん旅の様子も記述されていて、その上で阿房列車を読むとその時の旅が立体的、客観的に浮かび上がるような気がします(まだ阿房列車を読み返していないので軽率なことは言えないのですが)。
半世紀以上前の著作ですが、当時の鉄道風景を知る上でも貴重な著作です。ぜひ一度お読みいただければと思います。
先日書泉グランデに立ち寄った際に買い求めた「女子鉄アナウンサー久野知美のかわいい鉄道」という書籍です。フリーアナウンサーの久野さんの著作です。この方は今年5月に静岡で開催されたグランシップトレインフェスタ2019の鉄道トークショーで司会を務められていた方で、立命館大学出身のフリーアナウンサーで女子鉄の方です。
その方が女性目線で「かわいい」をテーマに鉄道を紹介されています。この著作を見ると最近はたしかに「かわいい」鉄道が増えています。ラッピング車両にイラストされたり、車内はもちろん駅や制服もかわいいものが増えています。
また、この人が開拓したジャンルにレイルネイルというものがあって、鉄道の車両をネイルアートにしたもので、女性ならではです。
新たな視点で鉄道の新分野を切り開く著作です。みなさまも一度ご覧になってはいかがでしょうか。
京急と養老鉄道のコラボスタンプラリーに参加し、6駅コンプリート賞をゲットしたことは以前お伝えしましたが、その賞にはさらに抽選で100名にオリジナルピンバッジが当たりるようになっています。そんなことを忘れかけていた10日ほど前にそのピンバッジが送られてきました。京急1000形と養老鉄道600系車両が各1個で、両者とも赤い車両がデザインされています。
先日、武蔵境駅にニューデイスの無人コンビニがオープンしました。人手不足対策の切り札として注目されています。
こじんまりとした店内で、年齢確認が必要なお酒やたばこの販売は行われていません。
セルフレジで会計します。電子マネーがないと利用できません。
400円以上利用でペッパー君でくじが引けて、当たると景品がもらえます。400円以上買ったかのどうかのチェックは働いていないようです。私は2等でした。何を取っていいのか分からず、戸惑っていると奥から店員の人が出てきました。全くの無人ではなく、マジックミラー越しに店内を監視しているようです。
昔のキヨスクは熟練のおばさまが一瞬にして金額を計算し、お釣りの受け渡しも瞬時に終わり、神業でした。そういう話も過去のものとなってしまったようで寂しさもあります。
8月16日朝、小田急町田駅で6時26分発の特急ロマンスカーモーニングウェイ70号に乗車しようとしたときのことです。前夜に発生した踏切事故でEXE車両が損傷し、GSEで代走するとの放送がなされています。
その際渡されたのが、ご覧のような紙片です。ホームに出ている駅員に予約した席番を告げると、これが渡されました。モーニングウェイ70号はEXE10両で運行され、常に満席の列車なので、GSE7両に振り分けられるか不安に思いましたが、幸いお盆期間中で、GSEも半分程度の乗車でした。
ロマンスカーはEXE、VSE、MSE、GSEと4種類あり、代走による席番変更が生じうるので、このような座席変更券を簡単に発行できる仕組みがあるのかもしれません。
なお踏切事故による代走はしばらく広範囲に行われるようです。
西大寺車庫を出庫し、再び西大寺駅に戻り、16時23分近鉄奈良駅に向けてラストスパートする。線路の両側には平城京祉が広がる。
16時28分、近鉄奈良駅着。これで本日のツアーは終了となった。当初は4つの車庫に入る予定でそれだけでも満足だったのに、さらにサプライズで甲子園駅の引上げ線と尼崎車庫に入れたのも貴重だ。さらにSさんのご厚意で先頭車両に乗車でき線路の様子をつぶさに観察できたのもありがたかった。
三社直通ということで関係者の方々のご苦労もそれなりだったと察せられるが、このような企画を実現していただき感謝申し上げる。
近鉄奈良から17時ちょうど初の京都行き特急に乗車し、京都で18時02分発ののぞみ398号で帰路に着いた。
車内販売で期間限定のマンゴーアイスを食べてみた。例によってカチコチのアイスで最初の10分ほどは全く食べられずに溶けるのを待つだけだった。
これで3社車庫めぐりの旅を終わります。
東花園車庫から出庫し、再び奈良線を走り、石切で大阪平野のパノラマを見て、15時38分西大寺駅1番線に入線した。ここから西大寺車庫に入る。
西大寺駅は京都線、奈良線、橿原線が平面交差するだけでなく、西大寺車庫への入出庫線もあるので線路の分岐は複雑を極めている。ダイヤの調整は神業を要するだろう。
列車は奈良線と橿原線の間にある車庫線へ入っていく。
車庫内にはピット線もあり、その検修庫内に入っていく。左手には近鉄社員が合宿形式で鉄道のイロハを学ぶ研修棟や職員用野球場などがある。かつては駅対抗での野球大会などもあったとのこと。
ここで構内運転士と交代し、時速5km程度のゆっくりした速度で入線していく。
電動貨車やはかるくんと呼ばれる軌道検測車が停車中だ。
車庫の奥まで入線する。
阪神なんば線の桜川駅で近鉄の乗務員と交代する。阪神と近鉄の接続駅はなんば駅だが、なんば駅の西方に近鉄の引き上げ線があり、近鉄の回送列車が多いことから桜川駅で交代をしているとのこと。
近鉄区間ではジャンケン大会やクイズ大会ではなく、くじ引きでグッズ当選者を決める方式だった。私はまたも当選し、近鉄区間の運行表やメモ帳などがもらえた。
14時22分、東花園駅に到着し、ここでトイレ休憩となる。荷物は置いたまま全員が下車し、乗って来た列車はいったん東花園車庫に回送される。東花園駅は2面4線の駅だが、当駅止まりの列車も多く、車両を待避させておく余裕はないようだ。この間に我々は駅のトイレを利用する。約200人の客がいっせいにトイレ休憩となったので大行列ができ、知らない人は何事かと思っただろう。
東花園駅は5年前に母校のラグビー部が全国大会に出場した時に来て以来で懐かしい。あの時は下り線だけ高架だったが、今は全線高架化されている。
いったん車庫に引き上げたツアー車両が、14時53分に回送されてきて、再び乗り込む。またまた点呼があり、Sさんを名乗った。
ここから東花園の車庫に入線する。高架を左に分岐し下っていく。カーブがきついのでレール摩耗防止で散水されていた。カーブを曲がり切ったところに車庫があり、本線に対して線路が直角になっている。車庫線の奥まで進み、奥に留置されている車両の直前まで進んで停車した。連結する訳でもないのにこんなに接近するのは珍しい。
石屋川車庫でのトイレ休憩を終えて出発する際にも再び点呼があり、Sさんに成りすまして返事をする。
車庫を出発すると阪神電車クイズが始まった。全部で5つの質問に〇×で答えるもので、最初の2つはサービス問題、あとの3つが難しい。阪神、山陽、近鉄で冷房化100%を最初に達成したのはなど阪神である(〇)であった。
クイズ大会が終わると甲子園駅に到着した。ここで事前の案内にはなかったが甲子園駅の引き上げ線に入ることになった。この引き上げ線は甲子園球場で帰りの臨時列車を待機させておくために利用されている。13時ちょうどに入線し、13時10分に再び甲子園駅に戻った。
サプライズはこれだけかと思ったら、尼崎駅でもサプライズがあった。尼崎車庫線内を走行するのだ。 尼崎駅1番線に停車すると運転士が交代することなくすぐにバックで引き上げ線に入った。両サイドに運転士を乗務させ折り返し時間を短縮するのを阪神では二丁ハンドルと呼んでいるとのこと。
高速神戸で山陽電鉄の担当者は下車し、代わって阪神の担当者が乗ってきた。
阪神ではトイレ休憩を兼ねて石屋川車庫に入る。この車両は通勤車両なのでトイレが付いていないのだ。
石屋川駅で停車し、11時27分バックで車庫に入っていく。
下り本線を横断する。右手に見える線路は車庫からの引上げ線で本線には接続していない。
職員の歓迎を受けながら入線する。この石屋川車庫は車両の検査施設はなく留置のみとなっていて15本の線がある。高架上にある車両基地は全国的にも珍しい。阪神大震災の時には高架が車両もろとも崩落し、多くの車両が廃車となった。
1本だけ簡易ホームの付いた線があり、ドアコックで扉を開けて下車する。 車両の床面よりホームが高くなっているのは珍しい。
職員用トイレを拝借させていただく。利用者に対して数が少ないので大行列となったが、時間が十分あったので全員利用できた模様だ。トイレ付きでない車両でのツアーではトイレの確保が意外と難しい。
点呼を無事切り抜け、ツアー列車は9時10分定刻に出発した。各車両には山陽電鉄の社員が3名ほど乗っていて、かなり手厚い態勢だ。発車するとジャンケン大会が始まった。先日の小田急GSEツアーでは負け続けたので心配だったが、今回は勝ち残り、本日の運行表などをゲットした。
車掌からは随所で沿線の案内が入り、東へと進んでいく。
東二見駅4番線に9時34分に到着し、ここで方向転換し2分後にバックする形で車庫に向けてスタートした。駅舎脇では歓迎幕によるお出迎えだ。
ピット線を抜けて車庫内で一番本線よりの線に停車した。
ここで山陽電鉄の部長から車庫内に停車しているいくつかの車両について解説がなされる。また廃車になる車両にはその1週間くらい前からヘッドマークを付けての運行になり長年の労をねぎらうのが山陽電鉄の伝統とのこと。最近は廃車になるまで50年くらい使用し、運行距離は500万から600万キロになるとのこと。
ピット線に入り、通電中の表示がある1番線で再び待機する。
誘導信号機に従い、10時08分東二見駅4番線に入る。
右側が4番線、左が臨時ホームの5番線。当駅で車両交換を行う場合などに使用するらしい。
本日のツアーは山陽電鉄姫路駅に8時45分集合となっている。姫路駅南口の東横インに宿泊した私はゆっくり朝食をとってから、8時30分頃集合場所に着いた。このホテルはトレインビューならぬステーションビューホテルだった。
受付で手続きを済ませると、乗車する車両の号数の入った缶バッジを渡された。私は5号車だった。
こういう乗り歩きツアーでよくご一緒するSさんも当選されていてあいさつを交わす。前回お会いしたのは5月のホビーのまち静岡トレインツアーの時だったから、お久しぶりですと声を掛けると、向こうは「毎日私のブログを見ているので、久しぶりという感じはないです」とのこと。
Sさんは1号車だったがSさんからありがたいお申し出で私と車両を代わってくれるという。先頭車の方が写真が撮りやすいからという配慮で、ありがたくお受けさせていただいた。いっぽう5号車は弱冷房車だったようで、冷房が苦手のSさんは逆にありがたかったとのこと。
使用される車両は阪神のもので、3社を直通するには阪神の車両でないとダメなようだ。鉄道車両は線路の幅が同じならどこにでも乗り入れられるというわけではなく、信号システムや列車無線の種別などさまざまな制約があるので、こうなるのだろう。
兵庫、大阪、奈良の名所が描かれたユーモラスなイラストの車両だ。
出発は9時10分だが、車内で諸注意などを行う関係で9時には車内に入るようアナウンスがされている。車内では乗車確認の点呼が行われた。私はSさんの時に「ハイ」と返事をした。替え玉受験のようでドキドキしながら返事をした。いっぽうSさんが「Kさん」の時ちゃんと返事をしてくれたかが気になった。Sさんもしっかりやってくれなければ替え玉がバレてしまう。
今回のツアーは約800人の募集があり、4倍の抽選を勝ち残って参加できたようでかなり強運だった。
門司港駅や周辺を散策して、これから今夜の宿泊地姫路に向かう。
まず小倉発19時36分発のこだま762号に乗車する。500系こだまで6号車を予約してある。この号車だけ旧グリーン車の車両を使用しているのだ。そのためこれを狙って予約する人が多く、この時も8割程度の混み具合だった。
駅限定発売の能古島甘夏チューハイというのがあったので、それを買ってみた。甘夏の甘さがよく出たおいしいチューハイだ。能古島(のこのしま)は博多湾に浮かぶ小島で甘夏の産地らしい。井上陽水の曲で「能古島の片思い」というラブソングがあったことを思い出す。
昼間のこだまに乗ると、通過待ちのためかなり長時間停車することが多いが、この時間帯ではそれほどでもない。
今日の旅の思い出に浸り、各駅に停車しながら23時05分新神戸に到着した。今夜は姫路に泊まるのに新神戸まで来たのは、下りの最終姫路行きのぞみ135号に乗車するためだ。こののぞみは姫路駅の上りホームに入線するから、それを体験したいのだ。
新神戸で30分ほど待って、23時39分発の最終姫路行き新幹線に乗る。降りる客は多いが乗る客は私の他に1名しかいなかった。
新神戸から約15分、姫路駅が近づいて減速が始まり、上下線の間のポイントを渡り、上り13番線ホームに停車した。この渡り線を通るのはこの1本だけで貴重な体験ができた。ホームには明日の折り返し運転に備え清掃作業員が待機していた。
宇部興産の踏切を見学した後、宇部新川駅に戻ってきた。本来はこの駅で下車するはずだった。小振りだが端正な顔立ちの駅で記憶があった。ここから山陽線経由で門司港まで進む。門司港の駅舎が最近復原工事が完了したのでそれを見に行くのだ。
宇部、下関、門司で乗り換え、17時21分に門司港に着いた。ホームには看板や広告などが全くない。ベンチすらない。駅名標が線路と直角に設置されているのも珍しい。
6年前から復原工事を行い、本年3月に完成した。1914年竣工の大正ロマンあふれる駅舎と内装で、国の重要文化財にも指定されている。
1階部分右手はスターバックスコーヒー、左手はみどりの窓口になっている。
2階は貴賓室とみかど食堂(下)になっている。
最近建築される駅は機能を重視した造りになっていて、それはそれで便利でいいが、100年後の人が見て美しいと感動するのだろうか。門司港駅や東京駅を見ているとそんな気持ちになる。
宇部興産本社前交差点を左折すると、かつての貨物線跡と思しき道が現れた。道路との交差具合やその幅などからおそらく間違いない。
ここから先は道路の両側に宇部興産の工場が立ち並んでいる。今日は日曜日だが、各工場から稼働音が響いている。宇部興産は宇部港と美祢地区を結ぶ自社専用道路を保有している。かつては国鉄を利用して貨物輸送を行っていたが、ストライキによる不安定な輸送を回避すべく、専用道路を建設してしまったのだ。その専用道路と一般道路の交差部分に道路の踏切があるのだ。
東新川駅から50分ほど歩いてようやく宇部興産の踏切に到着した。線路はないのに遮断機が設置されている。基本的に一般道路側が開いている状態になっているが、宇部興産専用道路側に車両が来ると一般道路の遮断機が降りる仕組みになっている。
運行は頻繁で、2〜3分に1回は踏切が閉まるようだ。今日は日曜日だが、あまり関係がないようだ。
宇部興産道路を走る車両は私有地を走るので道路交通法の適用を受けない専用の車両だ。トレーラーの後ろに2両連結したダブルストレーラーと呼ばれる特殊なもので公道は走れない。踏切を通過するスピードは結構速い。目測だが時速60kmくらいは出ている感じで非常に迫力がありダイナミックだ。
新山口発13時12分の宇部線で宇部新川に向かう。ここから宇部市内にある宇部興産道路の踏切を見るためだ。
私の乗車券は山陽本線経由だが、乗車券の経路と異なる路線に乗れる選択乗車という制度があり、宇部線経由でも乗れるようになっている。途中下車も可能なので、宇部新川駅で乗越精算なしで降りられる。
途中で草江駅に停車する。この駅は山口宇部空港の最寄駅で、歩いて10分もかからず空港ターミナルビルに着ける知る人ぞ知る空港乗り換え駅で、私は今から10年くらい前に実際に利用したことがある。この日もキャリーバッグを持った旅行者が1名下車し、1名乗車したのでそれなりに利用者はいるようだ。
そんな様子を眺めて、少しウトウトしていると周りの人が一斉に下車しだした。宇部新川に着いたようだ。私も反射的に立ち上がり下車した。宇部新川は前に来た時より寂しい駅でいつのまにか無人駅になっていた。それにしても前に来た時より変化が激しい。おかしいと思ってよく見ると、この駅は宇部新川ではなく東新川だった。周りの人につられて降りたが、二つ手前の駅だったのだ。今まで寝過ごしたことはあるが、起きていて別の駅で降りてしまったのは初めてだ。
次の電車までは1時間以上あるので、仕方ないのでここから宇部興産道路の踏切まで歩こうと思う。グーグルマップで調べると50分ほどかかるようだが、伊豆急全線ウォークに比べれば何ということもない。小雨の降る中、歩き出した。
途中でアーケード商店街が現れ、雨宿りを兼ねて歩いてみる。ちょうど商店街の夏イベントのようなものが開催されていて、昼からビールを飲む人などで賑わっていた。
鉄道車両陸送イベントの見学を終えて下松駅に戻り11時21分発の列車で徳山に戻る。最近は市町村合併が進み、徳山市は周辺市町村と合併し、いつのまにか周南市となっていた。駅には周南市立徳山駅前図書館が設置されていたが、蔦屋書店とスターバックスコーヒーが同居する最近はやりの図書館だ。
3階建ての施設で3階の自習スペースからは山陽線が見下ろせる。
続いて徳山発11時56分の下り列車で新山口に向かう。徳山駅の発車メロディーは「一年生になったら」だった。調べてみると周南市出身のまどみちおさんがこの歌の作詞家だった。
山陽本線を西進し、大道駅前にある高校ではスポーツ大会での同校の実績が垂れ幕で紹介されているのとともに、同校から大学に合格した生徒の名前も垂れ幕にフルネームで紹介されていた。大学合格者の氏名を垂れ幕で紹介する学校は珍しい。
新山口駅に12時36分に着き、ここから宇部線に乗り換える。すこし時間があるので途中下車する。
新山口駅はリニューアルされていて緑を生かした自由通路をが設けられていた。通路の床をよく見ると線路が埋め込んである。
そして数字やSという表示がされている。下を走る山陽本線や宇部線のホーム番号や側線(Side TracK)を示しているようだ。
下松にある日立製作所笠戸事業所では鉄道車両の製造が行われていて、日本の新幹線はもとより海外に輸出される車両の製造も行われている。今回英国に輸出される車両が日立製作所から下松港下松第2埠頭までの約2kmを陸送されることになった。鉄道車両の陸送は各地で時々発生するのだが、通常は交通に影響を与えないよう夜間に行われる。しかし、今回は下松市市制施行80周年のイベントの一環として日中に行われる。日立製作所を10時に出て、下松駅前は10時25分頃となる。私は10時18分に下松駅に着いたのでギリギリのタイミングだ。駅前交差点に来るとちょうど先導車が通過し、白バイが続いて、その後に鉄道車両が見えた。
トレーラーに引かれてゴムタイヤの仮台車に乗せられ、ゆっくりと進んでいく。線路を走るわけではないのでガタンゴトンという音もない。
沿道で見ている方も特に歓声を上げるでも拍手をするでもなく、また撮り鉄の怒号もなく、意外と静かに進んでいく。陸送される車両は2両で、どちらも先頭車両になっている。
追いかけながら写真を撮る。
埠頭へ向かう道路。この先は混雑して前へ進めなかった。
小雨降る中、短時間のイベントだったが、ふだん見ることのできない鉄道車両の陸送を見ることができ満足できた。
なおこのイベントを鉄道系ユーチューバーのスーツ氏が動画にしていたので、あわせてお楽しみください。
『阪神・近鉄つながって10周年記念「3社車庫めぐり」ツアー』というものが7月15日に開催されることになった。このツアーは山陽電鉄姫路駅を出発し、山陽電鉄二見車庫、阪神電鉄石屋川車庫、近鉄東花園車庫、西大寺車庫にそれぞれ入線し、近鉄奈良駅で解散するという行程になっている。普段入れない車庫にまとめて4つも乗れるとても魅力的な線である。約4倍の競争率を突破し当選したので、7月14日から1泊2日で行ってくることにした。
その他に山口県下松市で開催される鉄道車両陸送見学イベント、山口県宇部市にある宇部興産道路の踏切、リニューアルした門司港駅見学などにも行ってこようと思っている。
まず7月14日、のぞみ99号でスタートする。JR東海のエクスプレス予約のポイントが貯まっていたので今回はその特典でグリーン車に乗車した。本来7,650円かかるグリーン料金が無料になるのでありがたい。このグリーン車特典は乗車する区間にかかわらず1乗車分のグリーン料金が無料になるのでなるべく長い距離を乗ったほうがお得だ。
7月に入ってからの関東地方は曇りや雨の日が多くこの日も雨模様のスタートとなった。3連休の中日の早朝なので、グリーン車は3割程度の乗りで空いている。朝食はセブンイレブンの7pay導入記念でもらったクーポンのおにぎりで、これも無料だ。
窓外はどこまで行っても雨か曇天だ。本州を東西に走る東海道・山陽新幹線なので、普通はどこかで天気が変わるのだが今回はその気配がない。
福山でハローキティ新幹線とすれ違い、10時3分曇り空の徳山駅に到着した。
多摩ニュータウンへの鉄道は小田急と京王があるが、かつては京王の独壇場だったが最近は小田急も直通運転を増やしてきた。多摩ニュータウンは入居が始まって、そろそろ50年くらいになる。当初は小田急も京王も開業しておらず、聖蹟桜ヶ丘からバスで連絡しており、そのバスが混雑しているのをテレビで放送していたのを覚えている。
唐木田駅3番線に到着し、ここから唐木田車庫までは徒歩になる。
ゆっくり歩いて7〜8分ほどのところにある。この車両基地には残念ながら列車から乗客を下車させる設備がないので徒歩での連絡となっている。谷底のようなところにあり、検修庫などはなく、車庫だけが広がっている。
そのほかにホームドアを輸送するための列車が1編成停車してあった。ホームドアが通常の車両に乗せて運搬されるのをテレビで見たことがあるが実際に見るのは初めてだ。
唐木田車庫での撮影会後は適宜解散となった。
(これで小田急GSE特別ツアーを終わります)
喜多見車両基地入出庫線を走破し、成城学園前駅から新宿駅に向かう。グループ分けのMSE班が先頭車両に移動し展望を楽しむ順番になる。12時27分新宿駅に到着。ロマンスカー専用の1号線に入る。すぐ隣は総武線各駅停車のホームで、そこからもロマンスカーがよく見えるようになっている。
12時40分、新宿駅を折り返し発車。今度は我々GSE班が先頭車両に移動し展望を楽しむ番になった。 新宿駅1号線はホームの有効長を確保するため、ホームがS字にカーブしており、ゆらゆらと揺れながら出発する。
新宿駅は地上3線、地下2線の立体構造の駅で、地上線と地下線は南新宿駅の手前で合流する。
その後、美人運転士と記念撮影をして席に戻った。
新百合ヶ丘駅では13時03分、3番線に停車し、30秒停車の後、多摩線に入る。本線上り線をまたぐとき、保線車両の引き込み線を見下ろす。新百合ヶ丘駅開設に伴い線路が移設されるまでは本線だったところである。
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