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10時54分になり、列車はスタートした。先ほどグループ分けした3班のうちEXEα班になった人がまず呼び出され先頭車両で車庫内での展望を楽しめるようになっていた。MSE班は成城学園前から新宿まで、GSE班は新宿から成城学園前までの展望を楽しめるのだが、私は本線上の展望より、車庫内の展望のほうがいいのは言うまでもない。
車内ナウンスによると3回方向転換してから出庫するようだ。まずバックで車両基地内を進む。
洗車機を通過した後、先ほどの建屋内の別の線に戻る。
ここから再びバックで建屋を出て待機となる。この間に車内でジャンケン大会が行われ、小田急グッズなどが全員に行き渡ったが、私はほとんど負け続けたので、最後にメモ帳をいただいた。
受付を済ませGSEに乗車する。先頭車で小田急の社員による記念撮影が行われる。ピット線なのでかなり低い位置からの撮影になり珍しい。タラップを上がり我々は5号車に着席する。
私はGSEには既に何度か乗っていておなじみだが、railwayさんは初めてのようでいろいろ観察をしている。荷棚が小振りなのに気を止めていた。私は通勤利用が主なので小さなカバンだけだが、キャリーケースなどを乗せるのには確かに狭そうだ。
参加者全員が集合すると、各号車担当の方から今日の行程や諸注意が行われる。5号車担当は2名で女性の運転士と小田急の運輸営業課の男性だ。女性運転士は若くて可愛い人で運転士にしておくのはもったいない。
参加者は4両に分乗し、各車両とも30人程度の人数である。座る場所は車両の片側半分くらいに指定されている。まず参加者のジャンケンによりグループ分けが行われ、私はGSEグループになった。その他にMSEグループ、EXEαグループに分かれたが、後から判明したが私のような人間はEXEαグループが良かったようだ。
4月に参加した小田急の特急ロマンスカーモバイルスタンプラリーのコンプリート賞に当選し、GSE特別ツアーに参加できることになった。このツアーはGSEに乗車して、喜多見車両基地を出庫、新宿駅で折り返し、新百合ヶ丘から多摩線に入り、唐木田車庫構内で解散となっていて、普段乗車できない線に乗れるので貴重な列車だ。
開催日は7月6日で、同じ日に近鉄で車庫線に入れるイベントがあり、既に予約済みだったが、当選の難しさを勘案し、近鉄はキャンセルし、こちらに参加することにした。
本ツアーは2名で参加できるので乗り鉄仲間のrailwayさんにお声掛けしたところ快諾をいただき、ご一緒できることになった。railwayさんと喜多見駅で待ち合わせ、そこから3分ほど歩いた喜多見車両基地に向かった。
受付で首から下げる名札と参加賞をいただいた。参加賞はGSEのクリアファイルとエコバッグだけでちょっと物足りないが、景品規制法の関係もあるだろうからやむを得ない。 当選できただけでもありがたい話である。
なおスタンプラリーの告知では唐木田車庫構内解散となっていたので、列車自体が唐木田車庫まで乗り入れるのかと思っていたが、送られてきた案内を読むと、唐木田駅でGSEを下車し徒歩で車庫に行き、そこで解散ということだった。告知に誤りはないが誤解を招く表現だ。
京急では「葉山女子旅きっぷ」というものを発売しています。京急各駅から新逗子までの往復乗車券、逗子・葉山エリアの京急バス乗車券、逗子・葉山での食事券、おみやげ券がついて、品川からだと3,000円という料金設定です。品川・新逗子の往復運賃が1,300円ほどで、食事、おみやげ付きですから、とてもおとくです。食事は20店舗、おみやげは10店舗で利用できるようになっています。
そして驚きなのが「女子旅きっぷ」と言いながら、男性も使えるのです。なぜ「女子旅きっぷ」と名付けたのか不思議です。女子旅風の旅をお楽しみくださいといった趣旨なのでしょうか。青春18きっぷが18歳でなくても使えるのと同じ意味合いでしょうか。
パンフレットやHPの記載で小さく「女性限定のきっぷではありません」とありますから、男性も使えるのは間違いありませんが、アルバイトの担当者まで周知徹底されているかどうかは分かりませんから、男性はお店で恥ずかしい思いをするかもしれません。
それはともかく、逗子・葉山を楽しめるきっぷですので、男性の方もぜひ利用してみてください。
京都鉄道博物館には今から4年前に来たのでひと通り見学しているが、今回企画展「鉄路を翔けた鳳凰」が開催され、お召し列車や貴賓室に関する展示が行われることになった。
お召し列車の装飾品。その他に1号御料車の図面や貴賓室に飾られたシャンデリア、お召し列車の画像などの展示が行われた。
併せて特別公開されたマロネフ59形寝台車。こちらは2等寝台で、お付きの人が乗車したようだ。
2段式で上段を下したところ。
こちらは1等寝台。普段は見られない寝台の設備などを見学でき興味深かった。
今回の旅では近鉄ビール電車がメインであったが、びわ湖疎水船も思いのほか良かった。正味1日のあわただしい旅ではあったが、密度濃くいろいろ楽しめた旅だった。
これで「近鉄ビール電車の旅」を終わります。
叡山電鉄を乗り終え、京阪、市営地下鉄経由で二条駅に到着。かつての二条駅は現在、京都鉄道博物館に移築されている。現在はこんな感じのモダンな駅舎になっていた。
外観は金属的な建物だが、内側から見ると木材を使った屋根になっていた。ここから嵯峨野山陰線で梅小路京都西駅に進む。今年3月のダイヤ改正時に設置された新駅で京都鉄道博物館の目の前にある駅である。
その梅小路京都西駅は東海道線と山陰本線とを結ぶ連絡線との合流地点にある。
この線は今から20年ほどに臨時列車で乗ったことがあるが、その後レールがはがされ、直通列車は運行できなくなった。
現在はその廃線跡が歩道橋になっている。かつて線路だったことを示すように歩道部分にレールの模様が施されている。 途中にはわざわざ距離票や勾配票などが残されていた。
廃線跡が遊歩道やサイクリングロードになるのはよくあるケースだが、歩道橋は珍しい。
びわ湖疏水船の乗車を終えて、叡山電鉄の出町柳駅までやって来た。窓口で一日乗車券を購入し、10時52分発の列車に乗る。「ひえい」という車両で、1両編成で車内はロングシート、正面の楕円形窓が特徴的だ。新車かと思っていたら、昭和63年製の武庫川車両製造の車両を昨年川崎重工で改造したものだった。しかしグッドデザイン賞とローレル賞を受賞している。
側面の窓も丸くて特徴的だ。車内はほぼ満席で、外国人観光客も多い。わすか14分で終点の八瀬比叡山口駅に到着。ここからケーブルカーに乗り換えると琵琶湖側に行ける。
駅は緑色の屋根で周囲の緑とよく調和している。この駅の正式な名称は八瀬比叡山口だが、開業当初は八瀬を名乗っていた。駅舎の看板には昔の八瀬駅を掲げていた。実際の駅名と看板が異なるのは珍しい。幌舞駅の看板を掲げる幾寅駅のようだ。
疏水の沿道は昨日の大雨で木々が洗われてきれいだ。沿道には散歩やジョギングをする人がいて、お互い手を振りながら船は進んでいく。船の速度は歩く人よりは速いがジョギングの人よりは遅いスピードだ。
こちらは緊急遮断ゲート。阪神大震災を契機に設置された。
疏水の周辺には神社寺院などの歴史的な施設もあり、ガイドの方がユーモアを交えながら説明していく。
船は約1時間で終点の蹴上に付き、目の前にある水道ポンプ室の建物を見学し、解散となった。雨に洗われた木々は美しく、ガイドの方の説明は面白く、楽しいクルーズだった。お値段は一人片道5,000円とお高いが乗る価値は十分にある。皆様におすすめしたい。
降りたところが蹴上のインクラインになる。ここから先は582mで36m下る急こう配で、かつては船をケーブルカー(インクライン)に乗せて上下させた。
こちらはねじりまんぽと呼ばれるトンネル。上をインクラインが通っている。
全員が着席すると船はスタートした。平均斜度は1000分の0.5パーミルだが、川の流れは意外と速い。出発するといきなりトンネルに入る。このトンネルは長さ2,436メートルで、完成当時は日本一長いトンネルだったらしい。トンネルの入り口には伊藤博文の揮毫による「気象萬千」という扁額(文字の彫り込まれた額)が掲げられている。千変万化する氣象と風景の変化はすばらしいという意味らしい。
トンネルの中に入ると100mおきに距離標が現れる。また壁面にはロープが張ってあり、上り方向の船は昔はこのロープをたぐって船を進めたらしい。途中には「JR」という標識も現れる。この上を湖西線が通っているらしい。
こちらはトンネル内部にある琵琶湖疏水を提唱した第3代京都府知事北垣国道の扁額。「寶祚無窮(ほうそむきゅう)」と書かれている。皇位は永遠であるという意味らしい。
トンネルの中間地点には天井に穴が空いていて、一瞬だけ空が見える。このトンネルを掘る際に両側から掘り進めるとともに、中間地点に立坑を掘り、そこからも左右に掘り進め工期を短縮したらしい。掘り進めた出合いの部分の段差はわずか6センチほど誤差だというから、明治初期においても日本には素晴らしい土木技術があったようだ。
出口が見えてきた。天候が良いと入り口から出口が見えるとのことだが、この日はトンネル内部に霧が立ち込めていた。トンネルを出ると京都市に入るが、琵琶湖疏水は滋賀県側の施設も含めてすべて京都市の所有とのこと。
トンネルと出ると、山縣有朋の扁額がある。「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」と書かれている。悠久の水をたたえ,悠然とした疏水のひろがりは,大きな人間の器量をあらわしているという意味らしい。
びわ湖浜大津で乗り換え、次の三井寺で下車する。ここから2分ほど歩いたところにびわ湖疏水船の乗り場がある。出発は9時ちょうどだが、乗船に先立って説明があるので8時30分集合となっている。琵琶湖疏水に関するビデオ視聴や担当者による諸注意が行われた。
びわ湖疏水は、明治になり東京に遷都され活力を失った京都を琵琶湖の水を京都に引き入れ、灌漑や水車を動力とした産業の育成を図ることで復興させようとした事業で、3代目京都知事北垣国道の発案で計画された。実際の工事は、工部大学校を卒業し京都に派遣されたばかりの23歳の青年技師田邉朔郎が責任者となり総工費125万円、工期5年で完成した。疏水の距離は約8km、高低差わずか4m、0.5パーミルの斜度で、非常に高い精度の測量と施工の技術が必要だったが、外国人技師に頼らず日本人の力だけで完成した事業として近代土木史上も特筆され、田邉は後年英国土木学会から琵琶湖疏水事業でテルフォードメダルを授与された。
乗船時刻が近づくと、待合室から移動して乗り場に向かう。昨日の西日本は大雨が降ったので、増水で疏水船が運休になるのではないかと危惧していたが、琵琶湖からの水量を毎秒8.5トンに調整しているので、その心配はないとの説明があった。一般に川の水は山から流れて来るのに、ここでは山に向かって流れているので奇異に感じる。
船は12人乗りで、左右に6人ずつ背中合わせに座るようになっている。片側の客だけ先に乗ると船が横転する危険があるので左右の席でバランスするよう順番に座っていく。座席にはライフベストが用意されていて、これをしっかりと腰に巻く。着水すると自動で膨らむらしい。
三条で京阪特急を下車し京都市営地下鉄東西線経由で三井寺まで向かう。地下鉄なのに4両という短い編成だ。先頭車は片側1列ともう片側2列のクロスシートなのも珍しい。山科で地上に出て京都市営地下鉄の運転士から京阪の運転士に交代する。京都市営地下鉄の運転士は乗務員用のカバンなどを持たず手ぶらで降りていった。
運転席の後ろには千葉県の成田山のお札が掲げられていた。京都にもいくらも神社仏閣はあるのに、なぜに成田山なのだろうか。
山科からは地上区間になり、滋賀県との県境の山越えになる。さっきまで地下鉄を走っていた車両が今度は山岳区間を走るので、非常に変化に富んでいる。
山越えが終わると、上栄町からは今度は路面を走るようになり、びわ湖浜大津に到着した。1本の電車で地下鉄、登山鉄道、路面電車の3つを楽しめる珍しい電車だった。
ビール電車で飲みすぎ、その晩はホテルに戻るとすぐに眠ってしまった。翌朝はまず淀屋橋から京阪電鉄で京都まで行く。大阪市役所と日銀大阪支店を眺めてから、地下ホームに向かう。
ここから6時39分発の出町柳行き特急に乗るが、私はプレミアムカーを予約してある。京阪の特急は基本的に無料なのだが、1両だけ特別シートのプレミアムカーを連結している。予約制になっていて、私はインターネットで予約してある。料金は乗車区間にもよるが最大で500円となっている。駅で買う場合、チケットは券売機ではなく窓口で買うようになっていて少し不便である。
専任のアテンダントが乗務している。座席は片側1列、もう一方が2列で、ヘッドレスト付きの大型シートになっている。
淀屋橋発車の時点でプレミアムカーには私を含め3人しか乗っていない。土曜日の早朝なので一般車でも十分座れるのでわざわざ500円を払う人は少ないのだろう。予約した席に座っていれば検札は省略される仕組みで、アテンダントは車内を回りながら、ブランケットなどの必要を尋ねている。1人で1両を担当しているので、この程度の乗りであれば手持ち無沙汰だ。
列車は京橋からは複々線区間を行く。急行線は内側になっている。昨日来の雨は止んでいるが曇り空である。ひらかたパークを右手に見るうちにいつのまにか居眠りをしていて、気がつくと四条に停車していた。アテンダントのあいさつに送られながら次の三条で下車する。快適な乗り心地とゆったりとしたシートで、たまに乗るには悪くない。
橿原神宮前駅を発車して、これから帰路になるが、来た道をそのまま引き返すのではなく、大和西大寺から奈良線に入るルートとなっている。大和西大寺は京都線、橿原線と奈良線が平面交差する駅で、橿原線上りから奈良線難波方面へ分岐する定期列車はないから、この渡り線も貴重な乗車だ。ビールの提供は大和西大寺までで終了するので、私は最後の4杯目をもらった。
生駒トンネルを抜けると、大阪市内の夜景が一望できる石切駅に差し掛かった。車内アナウンスでもそれを知らせている。日本の鉄道三大車窓に匹敵する絶景だ。
鶴橋駅手前で徐行し、奈良線から大阪線への渡り線を通る。この分岐も定期列車がないから貴重な体験だ。
ビール電車はお酒好きを楽しめるのはもちろんのこと、渡り線、連絡線マニアにも楽しめる列車で、私にとっては一石二鳥の列車だった。また機会があれば乗ってみたい。
今回ビール列車に乗ったのは、それ自体も目的の一つなのだが、橿原神宮前での降り返し時に通常は乗れない引上げ線に乗れるからだ。列車は大和八木に近づくとスピードを落とし始めた。これから大阪線から橿原線への渡り線を通るためだ。この渡り線には6年前に乗った。今回は夜なので窓外ははっきりは見えないが、もう一度しっかりと目に焼き付けておきたい。私の席は運転席のすぐ近くにあるので好都合だ。
この分岐の様子を眺めているのは私の他にもう一人いた。ビール電車なので鉄道ファンは少ないと思われたがそうでもないようだ。大和八木駅の手前でいったん停車したのち、右に分岐しながら下っていく。その人が「これから列車無線を切り替えますよ」と教えてくれる。橿原線への合流部分の手前の信号で停車した時に、運転士が車内のボックスを開けて列車無線の切り替えを行った。
そこから5分ほどで橿原神宮前駅に停車する。車内アナウンスでは、この駅で15分間トイレ休憩することと、降りたホームと乗るホームが別になることをしきりに放送していた。
私は当然のことながら下車せず、車内にとどまる。列車はトイレ休憩の客を下車させるとすぐに発車した。構内踏切を渡り、左に分岐しながら引上げ線に入り停車した。
ここで方向交換するので運転士は車両を降りて、車外から反対側に移動した。私は車内から移動し、反対側の運転台に移動した。
これから入るホームには特急車が止まっているため、すぐには入線できない。
特急電車が発車すると、誘導信号機が出発に切り替わり、1番線に入線した。これで私の目的は達成した。
ホテルに荷物を置いてから大阪上本町駅へと移動する。集合場所は上本町駅1階改札外コンコースで、受付は18時20分からとなっている。受付で名乗ると座席番号が書かれた紙片を渡された。私は3号車2番Aで、3両編成の先頭車らしい。
発車まで少し時間があるので近鉄百貨店におつまみを買いに行った。このビール電車はおつまみ付きだが持ち込みも可になっている。私は串カツ、ポテトチップ、チーズなどを調達しておいた。
発車は8番ホームからで、18時45分発の松阪行き特急が発車した後、入線してきた。
車両は3月にも乗った「つどい」の車両で、アサヒビールのヘッドマークが付いている。今回はアサヒビールなのだが、次回はキリンビールとなっていて、1回ごとに交代している。
車内に入るとすでに各席にビールが置いてあり、まだ泡が消えていないから入線直前に入れたようだ。ビールの下には今日の日付入りのつどい乗車記念の専用コースターが敷いてある。金曜日ということもあり、車内は満席で会社帰りに仲間と来ている感じの人が多い。
発車3分ほど前になると乗車が完了したようで、アサヒビールの担当者から挨拶があり、発車を待たずに乾杯となった。吞み鉄の流儀では発車前に飲み始めるのは禁止されているのだが、空気が読めない大人になってはいけない。今日は特別だ。私も見ず知らずの人と乾杯をして飲み始めた。
列車は19時ちょうど発のはずだが、定刻の10秒ほど前に発車した。早発は珍しい。この列車は3両編成でホームの奥に停まっているから、出発信号機を超える頃には定時になっているから問題ないのだろう。
列車はいくつかの駅で待避線に入り、後続車をやり過ごす。この車両は窓に向かって座るタイプなので、ホームの客から視線が直に注がれる。
ビールは飲み放題になので、アサヒビールの担当者に声掛けすれば、すぐに届けてくれる。車内で注ぎたての生ビールの飲めるのはめったにないことでうれしい。
新大阪に15時33分に到着。ビール電車の集合時刻は18時50分なので余裕がある。その間を利用して心斎橋にある住江織物という会社のショールームに立ち寄った。この会社は鉄道座席などの生地であるモケットを製造している会社で、「鉄道車両内装の歴史展」という企画展が6月28日まで開催されている。ビルの4階がショールームで、その一角に鉄道用モケットのコーナーが設けてあった。
当社は1883年創業のじゅうたん・カーテン等のメーカーで、1899年に当時の鉄道院の鉄道車両にモケットを納入、その後京都、大阪市電、南海、京浜電鉄、朝鮮総督府鉄道、南満州鉄道などにも納入され、あじあ号のシートにも当社のモケットが採用された。現在ではJRや各民鉄に納入を続けている。
国鉄0系新幹線や南海ラピート、近鉄アーバンライナー、小田急ロマンスカーEXEなどのモケットなども展示されていた。
近鉄では毎夏ビール電車を運行している。「つどい」という団体用の車両を使用して、車内でビール飲み放題になるうれしい列車なのだ。大阪上本町を19時に発車して、橿原神宮前、大和西大寺を経由し、21時20分に再び大阪上本町に戻ってくるコースになっている。昨年までは木曜日の運行だったので乗りにくかったが、今年は金曜日運行に変わったのでありがたい。
この列車はビール飲み放題になるという点以外に、橿原神宮前駅で引き上げ線に入ること、鶴橋駅の手前で奈良線から大阪線への渡り線を通ることで普段乗れない線に乗れるという点でもありがたい。私にとってはまさに一石二鳥の列車である。そういうわけで6月7日金曜日、午後半休を取って大阪に行ってくることにした。
まずは東京発13時ちょうどののぞみ229号に乗車する。この日の関東地方は朝から雨で、関西地方も集中豪雨で先行きが心配される。せっかく大阪まで行っても肝心のビール列車が運休になるかもしれない。車内は8割方席が埋まっていて、私は通路側C席だが、運良く隣は誰も乗ってこなかった。
関ヶ原までの間はほとんど雨だった。窓ガラスの雨滴が絶えず横に流れる状態で本降りが続いている。
名古屋からは車内の巡回に大阪府警鉄道警察隊が乗務してきた。大阪府警鉄道警察隊の管轄はよく知らないが、名古屋あたりまではやって来るようだ。
大阪に着く頃には雨も止み、15時33分定刻に新大阪駅に到着しと。
清水港線の廃線跡を楽しんだ後、東海道線を上って岳南電車に乗りに来た。かつては岳南鉄道と呼ばれていたが、富士急の傘下に入り、岳南電車を名乗るようになっている。私は1984年に初乗りしたが、それ以降乗っていないので35年ぶりの乗車になる。吉原駅西方にある階段から乗り換える。
JR用の自動改札があり、そこを出たところが岳南電車の乗り場である。自動券売機すら無い駅で全て手売りだ。令和の時代になったが、ここにはまだ昭和が残っていた。この窓口で一日乗車券を購入する。
車両は元京王の5000系で、こどもの頃京王線沿線に住んでいたので懐かしい。運転席の窓ガラスがパノラミックウインドーと呼ばれカーブしているのが特徴だ。関東の私鉄で初めて冷房車を導入した車両としても知られる。車内はボックスシートに改造されていた。
11時20分に吉原駅を発車。京王5000系の加速はスムーズで乗り心地はソフトだ。車齢は50年くらいのはずだからすばらしい。岳南電車はどの駅からも富士山が眺められるのがセールスポイントだが、今日は曇り空で残念ながら富士山は見えない。列車は2両で20人ほどの客を乗せてガラガラで走る。後乗り前降りのワンマン運転である。
そんなこんなのところを走り、新幹線の下をくぐると終点岳南江尾に到着した。21分の乗車で、昨日グランシップで岳南電車の担当者が「全線乗っても21分。飽きる前に終点に着く」と言っていた言葉の通りで、退屈する前に終点に着いた。
折り返し11時56分発の電車で吉原に戻り、その後東海道線の普通列車で家路に着いた。
今回は西浜松貨物駅と静岡車両区に入線でき、貴重な体験であるとともに、静岡鉄道、岳南電車にも久しぶりに乗車できて懐かしかった。またスギテツの鉄道コンサートも思いのほか良く、趣味の範囲が広がった感じがした。これで「ホビーのまち静岡トレインツアー」を終わります。
静岡ホビーショーの見学を20分ほどで終えて、15分ほど歩いて静岡鉄道の春日町駅まで向い、9時23分発の新清水行きに乗車。新型車両のA3000形だった。長沼駅では静岡鉄道のイベントが開催されていた。
静岡鉄道は駅間距離も短く地元公共交通機関として利用されているようだが、日曜の午前中のせいか車内は閑散としていて経営的には安泰ではないような感じだ。
終点新清水で下車。ここから清水港線の廃線跡を見に行こうと思う。清水港線は東海道線の清水駅から分岐し三保に至る8.3kmの路線で、貨物列車運行が中心の線でかつては日本一の黒字線という時期もあったらしいが、次第に貨物、旅客とも運行が減らされ、最後は1日1往復のみとなっていた。私はは1984年1月に乗ったが、その年の3月には廃止された。
清水港線の乗り場は清水駅の外れにあり、地平に下りて構内踏切を渡って細長い通路を進むとようやく乗り場があった。宮脇俊三さんも時刻表2万キロの中で、清水港線の乗り場が分からず助役に尋ねると「発車まで8分もあるのに急いでください」と言われて驚く場面があるが、そんな駅外れに発着する路線だった。
廃線から35年も経過するのでの清水港線の乗り場は跡形も無くなくなっていた。広いスペースが残っていたから、おそらくこのあたりに清水港線の乗り場があったのだろう。
今日はホテルからバスで静岡ホビーショー会場に向かう。ツインメッセという大規模展示場を会場としていて、今回で58回目になるから相当に歴史と伝統があるイベントのようだ。
会場はホテルからバスで15分ほどのところにある。会場に着くと既に入場待ちの客で長蛇の列ができていた。我々ツアー参加者は静岡ホビーショーの一般開場時刻に先立って優先入場できるので心配はいらない。そのような特典があるのにもかかわらず、ホビーショー優先入場目当てでこのツアーに参加した人はいないように見受けた。入り口付近にはホビーショー協賛企業の名前が出ていて、私の勤務先も協賛していた。
我々一行に遅れること15分ほどでクラブツーリズムの参加者もやってきた。裏口にあるこの看板の前でしばし待機する。
8時45分になり優先入場が始まったが、一般客の長蛇の列への配慮で同時入場となった。先行入場のメリットは薄れたが、それでも我々は裏口から入れ、タミヤやガンダムの人気ブースに一番近かったので、がら空きの状態で入ることができた。
会場は物販コーナーと各人が制作した模型の展示場に分かれていたが、模型に興味のない私は会場を一通り眺めた後、すぐに会場を後にした。
年をとると眼が覚めるのが早くなる。朝5時前に目が覚めた私は朝食までの時間、静岡鉄道に乗りに出かけた。静岡鉄道には1984年1月に乗ったきり乗っておらず35年ぶりの訪問になる。これがその時の写真。
新静岡駅はホテルから10分ほどのところにあり、こじんまりとした始発駅だがホームは3番線まである。35年前にも乗った1000系車両で柚木駅まで乗車する。ここに来たのはこの駅の近くに日本一長い名前のバス停があるからだ。
「曲金静岡視覚特別支援学校静鉄不動産静岡南店前(まがりかねしずおかしかくとくべつしえんがっこうしずてつふどうさんしずおかみなみてんまえ)」というバス停で全部で43文字もある。バス停の名前になっている二つの施設は道路を隔てて相対していて、それぞれに配慮をしたバス停名のようだ。
バス停を見学し、ホテルに戻ったのが6時55分頃で、朝食が7時から始まるのでちょうど良い。ツアーの参加者が既に順番待ちをしていた。私はほぼ1番で朝食会場に入ったが、それよりちょっと遅れてきた人たちは、食事を取るのに大渋滞していた。
夜の鉄道コンサートを楽しんだ後、我々一行は徒歩で東静岡駅に向かい、そこから19時26分発の普通列車で静岡駅まで乗車し、駅前のホテルアソシア静岡に宿泊した。ここはJR系列のホテルで、かつては静岡ターミナルホテルを名乗っていた。ターミナルという言葉は鉄道用語では終着駅という意味だが、一般的には人生の最期という意味もあり、それが縁起が悪いということになり、JR系列でターミナルホテルを名乗るホテルは全て改称した。
このホテルは国鉄時代からあるものでかなり古いが、メンテナンスが行き届いていて古さは感じられない。私の部屋は残念ながらトレインビューではなかったが、部屋によっては静岡駅側になるのでトレインビューが堪能できそうだ。
今から30年ほど前ミスターAN氏とのドライブ旅行でここに宿泊しようとして満室で入れなかった思い出がある。新車を買ったばかりのミスターAN氏と、行き先も決めずに西に進んで、三保の松原に立ち寄り、その夜に静岡駅前に着いたのだ。ドライブにもかかわらず時刻表を持参していた私は巻末に出ていた電話番号に電話したが、静岡を代表するホテルに予約も無しにゴールデンウィークの最中、泊まれるはずもなくあっさり断られた。結局、その夜は時刻表の巻末に載っているホテルに順番に電話し、藤枝にあるホテルに空きを見つけそこに宿泊したのだ。
トレインフェスタ2019の見学が終わると、その後17時30分からスギテツというクラシックデュオグループの夜の鉄道コンサートと夕食ブッフェが始まる。このデュオはピアノとバイオリンの演奏を主としているが、クラシック演奏家であるだけでなく、かなりの鉄道ファンのようだ。
バイオリンとキーボードで、鉄道車両の警笛や走行音、鉄道にちなむ音楽などを演奏した。またクラシックの演奏会では曲が終わると「ブラボー!」と掛け声を叫ぶのが習わしのようで、そんなことを知らなかった私はびっくりした。自分でやるには少々照れくさい。
鉄道ファンである東海ラジオの源石和輝アナが登場し、貨物列車の形式をスギテツの演奏に乗せて解説する曲があり、これも面白かった。
食事はバイキング形式でちょっと寂しいものだった。人数と提供されている料理がアンバランスで食べるものはあっという間になくなってしまった。
それでも約1時間半の夜の鉄道コンサートはあっという間に終わった。出口で販売していたCDを記念に買うと、サスギテツと源石アナがサインをしてくれた。
ショッピングモールで一休みして再び静岡車両区に戻る。ここから徒歩で東静岡駅に隣接するグランシップというイベントホールに移動する。そこで開催されているトレインフェスタ2019を見て回るのもツアーの目的の一つなのだ。まず、先ほどまで同行していた南田マネージャーと久野アナとのトークショーをの見学となる。我々一行には専用席が設けてあった。
トークショーは南田さんを中心に、静岡県内の鉄道事業者4社が参加して、各社の見どころなどをPRするもので、岳南電車、静岡鉄道、天竜浜名湖鉄道、遠州鉄道の各社が出席していた。このうち静岡鉄道は今年が100周年となっていた。
県内鉄道各社の物販コーナーや模型の展示が中心で、乗り鉄の私には時間を持て余した。
こちらが模型会場。体育館のような広いスペースが丸々模型スペースになっていた。
グランシップからの眺め。静岡貨物駅が隣接している。
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