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5月25日に開催された大宮総合車両センター鉄道ふれあいフェアで185系電車による試運転線試乗会が開催されました。9時半開場なので9時ころ行ってみましたがすでに1000人以上が行列していました。入場開始から実際に入場できるまでは10分ほどかかりました。さっそく試乗会の整理券配布場所に向かい、10時30分発の2便をゲットできました。
スタート地点は大栄橋のたもと付近で0.4kmを示すキロポストがありました。ここから高崎線、川越線に沿って走ります。
鉄道博物館の脇を抜けたところが試運転線の終点で2キロを示すキロポストがありました。約1.6kmの距離を走りました。普段は乗れない区間に乗れました。この試運転線は最高時速70kmまで出すことができ、蒸気機関車の試運転を行うこともあるそうです。
赤城で折り返し再び太田駅に戻ってきたて、今度は伊勢崎まで向かう。クラブツーリズム担当者によるアナウンスのほか、東武の車掌もアナウンスに加わった。かつては伊勢崎からバスで尾瀬に向かうルートがあり大変賑わったことや、伊勢崎で国鉄と貨物の受け渡しがあったことなどが紹介された。
伊勢崎は20年前に来た時はまだ地平でJRとはノーラッチで乗り換えが可能だったが、今は高架化され当時の面影はない。
伊勢崎で折り返し、太田駅に戻り乗りつくしの旅もラストの区間になる。ここから足利市経由で館林に戻り、これで東武鉄道ほぼ乗りつくしの列車旅は完了した。今回のツアーで東武線完乗を達成した人もいたとのこと。
スカイツリーラインを南下し久喜でJR線をまたぐと、右手から四季島が接近し、こちらの列車と並走し始めた。全員がカメラを向ける。この並走は大塚さんによれば、クラブツーリズムによるサプライズ企画とのこと。
そんなこんなで楽しい1日は終わり浅草に戻ってきた。クラブツーリズムでは今後もさまざまなイベントを企画しているとのことで楽しみにしたい。
太田では6番線に停車し、17分間停車する。太田駅付近にはかつて仕事で来ることがあったので懐かしい。 12時21分桐生線に入る。太田駅を横断する形で桐生線に入った。
赤城山などを間近に見ながら進んでいく。新桐生を通過すると桐生車両基地を見下ろしながら進む。かつてここに入る臨時列車があったが、都合が悪くて乗れなかった。
相老でわたらせ渓谷鉄道に接し、赤城の手前で上毛電気鉄道と並走し、赤城駅に12時53分に到着した。
赤城駅は東武鉄道、上毛電気鉄道ともに1面2線で、ちょうどこのタイミングでその全てのホームに列車が入線した。相当な広角レンズでないと全部を写すのは困難だが、その情景をしっかり収めようと皆ワイワイと楽しそうにシャッターを切っている。
館林駅5番線を11時20分に発車し、小泉線に入る。小泉線は館林から東小泉を経由して西小泉に至る線と東小泉から太田に至る線の2本で構成されている。まず西小泉に至る線に入り、終点の西小泉駅に11時42分に到着する。
この周辺は外国人労働者も多く居住している関係で、駅の案内表示は英語、中国語、韓国語の他、スペイン語、ポルトガル語でも表記されている。
西小泉駅はここから利根川を渡って、東武熊谷線を結ぶ計画が戦前にあった。これが実現していたら、北関東から熊谷を結ぶ鉄道ルートができて、交通体系も変わり、熊谷線も廃線になることがなかったかもしれない。この駅の近くには中島飛行機の工場があったりしたので、かつては旅客や貨物の発着も多かったことが想定され、つかわれなくなったホームも見える。
西小泉では6分の折り返しであわただしく、東小泉駅に戻る。小泉線は通常2両編成で運転されいるが、このスカイツリートレインは4両編成で、東小泉駅には4両の場合の停止位置目標がないため、駅員が手旗信号で停止位置の合図をしており珍しい。
また東小泉駅では2番線に入ったが、通常西小泉からの列車は1番線に入るのでこれも貴重だ。
東小泉で進行方向を変えて太田に向かい、12時01分太田駅6番線に到着した。
北千住を通過し列車は北越谷まで複々線区間になる。今から30年くらい前に越谷に勤務していたので高架複々線から眺める街の変貌ぶりに驚く。
北越谷からは地平に下りて複線となり、9時33分、 駅員の歓迎を受ける中、館林駅3番線に到着した。
館林からは佐野線に乗り入れる。前に乗ったのが1983年だから35年以上経過している。
9時41分、3番線を発車。左の車両は4番線切欠きホームに停車中の小泉線。
ここで伊勢崎線(スカイツリー線)から佐野線への渡り線を通る。ここを通るのはおそらく佐野線直通特急りょうもう号特急だけだろう。そんな貴重な区間であるが、その様子を先頭車から眺めているのは私だけだった。
右が佐野線、中が伊勢崎線、左が館林車両基地線。
佐野線最初の駅渡瀬を過ぎると北館林荷扱所脇を走る。かつての貨物線で今は車両解体所として使用されている。過去にここに入る臨時列車があったので、今回もひょっとしてと期待していたが、残念ながらそれはなかった。
佐野線は貨物輸送も担っていたので、交換駅での有効長が長いのが特徴だ。
クラブツーリズム主催で東武鉄道ほぼ乗りつくしの列車旅というものが発売された。北関東の東武線を完乗できるツアーで、3月30日、31日の2日間に渡って開催される。私は2日目の行程のみに参加した。乗り入れる路線は佐野線、小泉線、桐生線、伊勢崎線で、北関東の東武鉄道は今から35年以上前に完乗しているが、今回各線に乗り入れる際、普段は使われない渡り線を通過する可能性があるので参加を決めた。使用される車両はスカイツリートレインと呼ばれるもので、この車両には前に乗ったことある。
集合は浅草駅前となっている。駅構内が手狭なので屋外集合となっている。昨夜来の雨は止んでいるが、雲は低く垂れ込め、明日から四月にもかかわらずかなり肌寒い。
今回のツアーも2週間前に参加した近鉄鮮魚列車と同様、大塚さんというクラブツーリズムの乗り鉄向けツアー企画者によるものでだ。また前回の近鉄鮮魚列車のツアーで車内アナウンスを担当していた男性が今回も同行している。この方は鮮魚列車で近鉄についてかなり詳しいアナウンスをされていたので、名古屋所属の方だと思っていたが、そうではないようだ。今回のツアーでも車内アナウンスを担当されていて、その内容の正確さから鉄道知識が相当に深い方とお見受けした。
列車はスカイツリートレイン4両編成で浅草駅4番線から発車する。浅草駅はホームが湾曲していて最大6両編成までしか入れず、それより長い編成は北千住や曳舟から地下鉄線に入るようになっていて輸送上のネックとなっている。
2人掛けと1人掛けの席で構成され、私は1人席を指定されていた。
8時09分、定刻に発車し、隅田川鉄橋を渡る。早朝で花見客は少ないが、満開に近い状態だ。隅田川を渡りスカイツリーを見上げながら北進する。
西武鉄道の新型特急ラビューがゴールデンウイーク中、本川越・飯能駅間で臨時運行されました。丸っこい前面スタイルが特徴的です。
窓も大きく、座席シートより下まで広がっています。黄色いシートが印象的です。
この列車は所沢駅構内で池袋線と新宿線との間の渡り線を通ります。飯能発本川越行きは所沢駅の手前で渡り線に入り、所沢駅1番線に入線することが分かったので、それに乗車してきました。所沢駅4番線から本川越方面の渡り線は前に乗ったことがあります。
こちらが転線の様子です。
よく見ると画像に顔が写り込んでいます。
今井浜海岸駅で完歩となり、バッジを引き換え、15時06分の電車で伊豆急下田駅に向かう。完歩の手続きは伊豆急下田駅でしか行えないからだ。今回は980番目の完歩者となった。去年はほぼ同じ時期に来て970番だったから、毎年同じくらいの参加者がいるようだ。記念撮影をミスターAN氏にお願いする。以前はあった完歩者がコメントを書けるボードはいつしかなくなってしまったようで少し残念だ。
帰りは伊豆急下田発16時07分発のスーパビュー踊り子号に乗車する。先頭車の前から2列目が予約できている。今回もミスターAN氏はグラスを持参していて、発車とともに乾杯する。ウォーキング中にずっとリュックに背負っていてくれていたわけで、いつもながら感謝だ。
おつまみやお弁当を買いこんでミニ宴会が始まる。伊豆急全線ウォークは歩き終わった後のお酒こそが本当の楽しみだ。伊豆急下田で買ったビールだけでは足りず、車内販売で追加で購入する。お弁当は金目鯛の押しずしで、半額セールになっていた。
窓外はいつしか豪雨に変わっていたが、これがウォーキング中でなくて良かった。普段の行いがいいせいだろう。その雨も熱海を過ぎると止んで、相模灘には虹がかかっていた。
家に帰り、ゲットしたピンバッジを専用ケースに入れてみた。
これで第15回伊豆急全線ウォークを終わります。ご同行いただいたミスターAN氏には感謝申し上げます。
ベンチでお昼休憩を終えて今井浜海岸駅へ進む。しばらくアップダウンが続いた後、ようやくサミットを超え、ここから先は下り一方になる。それをミスターAN氏に告げるとホッとした様子を見せる。
このあたりは犬を飼っている家が多いようで、あちこちで吠えられながら、坂を下っていく。
国道135号線に出るとほどなく伊豆オレンジセンターが現れる。ここで前回も飲んだウルトラ生ジュースを飲む。「飲んだら3年長生き?」という怪しげなキャッチフレーズとは裏腹にとてもおいしいジュースだ。
ウルトラ生ジュースを買った客にはおまんじゅうの50円引き券が付いていたので、ミスターAN氏ともどもお土産に一箱買っておく。
毎回見かける廃車になったベンツの脇を通って斜面を下っていく。国道から離れ、今井浜の漁港への脇道にそれる。GW中にもかかわらず、仕事をしている人も多いようで、営業車の中で休憩(仮眠)を取っている人も少なからず見かけた。
このあたりは民宿も多いが今の時期はほとんど客もいないようだ。
今井浜海岸駅に近づくと、急に雨が降りだし、ミスターAN氏の傘に入れてもらい、相々傘で駅に到着した。
記念のバッジはリゾート21だ。
次の今井浜海岸までは距離8.6km、コースレベルは前区間と同様Cとなっていて、難コースの連続になる。国道135号線の下をくぐり、上り坂が始まる。駅を振り返ると大島もかすかに見える。
このあたりも斜面に墓地が建っていて、伊豆の特徴なのだろうか。また、石垣が立派な家が多いのも特徴だ。
墓地と石垣を眺めながら上ること30分、いつも目印にしているコカコーラの自動販売機が現れ、その前にあるベンチで休憩となった。なぜこんなところにベンチがあるのか不思議だが、ありがたく使わせていただく。
約束していたわけでもないのに二人ともセブンイレブンのおにぎりを持参していたのも不思議だ。ベンチでお昼を取りながら休憩していると太った二人連れのウォーカーが前を通り過ぎていく。マップを手にしているので伊豆急全線ウォークの参加者に違いない。
お昼を食べ終えるころになるとポツポツ雨が降り出してきた。スマホで雨雲の様子を調べると、このあたりから北が雨の境い目になっていて、熱海や伊東のあたりはかなりの降水量のようだ。
しかし、その雨もほどなく止んで、今井浜海岸に向けて再び出発した。
白田トンネルを抜け、下り勾配となる。前回ミスターAN氏と歩いたときは直進したルートを今回は左折し下っていく。その先で時ならぬ大渋滞に遭遇した。どうやらこの近くで音楽イベントが開催されていて、そこへ向かう車列のようだ。車だけでなく路線バスの中にも立ち客いる混雑ぶりだ。急斜面での渋滞なのでオートマチック車でも坂道発進が大変そうだ。あとから調べてみると、レインボーディスコクラブという音楽フェスが東伊豆クロスカントリーコースで開催されていたようだ。
位置エネルギーを放出しながら、急斜面を膝を痛めないようにゆっくりと下っていく。これをハイブリッド車のように、うまく蓄える仕組みがあればいいのにといつもながら感じる。
開校100周年の横断幕が掲げられた歴史ある稲取高校前を過ぎ、国道135号線の歩道橋の上から稲取漁港の写真を撮る。ミスターAN氏は20年くらい前に会社の社員旅行で稲取銀水荘に泊まったとのことで、前回歩いた時もそんな話をしていた。今は社員旅行も廃れて、私も15~6年前を最後に行っていない。
稲取の街中に入り、12時ちょうど伊豆稲取駅に到着した。記念のバッジはマリンエクスプレス踊り子号だった。
ちょうどお昼時でこの駅の待合室で昼食にしようと思っていたのだが、椅子がすべて埋まっている。少し様子を見ていたが、いっこうに空く気配がないのであきらめて今井浜海岸に向かうことにした。コースの途中にベンチがあるところを思い出したので、まずはそこまで進むことにした。
片瀬白田駅でピンバッジを引き換え、マップを手に入れ、お互いのカメラを交換して記念撮影をして、伊豆稲取へ向かう。距離は6.5km、コースレベルはCの難コースだ。駅前では外国人観光客がスマホを片手に何か調べている様子で、こんな片田舎の駅でも旅行客が来るとは驚きだ。
国道を横断し、本格的な上りになる。ミスターAN氏がこの区間を歩くのは2回目になる。この日は曇り空で気温は高くないが、上り坂で汗をかくのは分かっているので、2人とも坂の途中で服を1枚脱いで今後に備える。
東京理科大のセミナーハウスの脇を抜け、徐々に高度を上げていく。先ほど見かけた磔の松が見えている。この区間は全コース中の最高所に達するが、まだ全体の5分の1にも達していないだろう。この後も、私の感覚で、全体の標高の何分のいくつくらい上ったとミスターAN氏に告げながら、急な斜面を一歩一歩確かめながら上っていく。そのような斜面になぜか墓地が点在している。眺めはいいので仏様にとっては最高の場所だが、お参りするほうにとっては大変だ。
時々写真撮影と称して、休憩をとりながら、上っていく。車1台がやっと通れる急坂で日本人ですら運転に苦労するのに、外国人のドライバーが上って来た。もはやどんな田舎に行っても外国人を見かけないことはなくなった。
稲取系水道施設の手前の民家にはなぜか自転車が置いてあった。パナソニック製の電動アシスト付き自転車だが、ここまで上がって来るのは電動アシスト付き自転車といえども相当にハードだろう。
水道施設を過ぎて勾配は緩やかになったものの依然として上りが続き、白田トンネルを抜けるとようやくサミットを超え、下りになった。持参の万歩計を見るとちょうど1万歩に達していた。
伊豆急全線ウォークの3日目は伊豆熱川駅からスタートする。我々以外にもウォーキングマップを手にしてスタートの準備をしている人がいる。次の片瀬白田までは距離2.5km、コースレベルはAとなっていて楽勝区間だ。
駅前の川にはこいのぼりが渡してあり、インスタ映えする景色だ。さっそく投稿する。
駅から海沿いに通じる道は古めかしいお店が並んでいて昭和の雰囲気が漂っている。10連休の初日であるが、観光客もほとんど見かけない。
海沿いに出ると、風もあり気温も低く少し肌寒い。雲は低いものの雨が降りそうな気配は少ない。大島もはっきりと見えている。はりつけの松の脇を抜け、白田川を渡ると、もう片瀬白田駅に着いた。30分ほどの歩きで、ちょうどいいウオーミングアップ区間だった。
駅でバッジを引き換えていると、先ほど熱川駅で見かけた男性が少し遅れてやって来た。記念のバッジは8000系電車だ。
伊豆急全線ウォークの3回目を4月27日に行った。10連休の初日である。当初は4月10日に行う予定だったが、大雨のため本日に延期した。今回、完歩となるのでミスターAN氏が同行する予定になっている。
この日の朝も雨模様で心配になるが、電車に乗っているうちに止んできてホッとする。東海道線のグリーン車でミスターAN氏と合流し、朝食を取りながら伊豆を目指す。10連休の初日だが、東海道線の混雑はそれほどでもない。来る途中で見た東名高速は大渋滞だった。
国府津駅の隣の建物には国鉄労働組合国府津支部の看板が掲げられている。国鉄が民営化されても、労働組合は相変わらず国鉄を名乗っているようだ。昔は春闘の時、ストライキで電車が何日か止まったりしたのも、今となっては昭和の懐かしい思い出だ。
小田原で先行の普通列車の追いつき、乗り換える。早川を過ぎると相模灘を高台から見下ろせる区間になり、ミスターAN氏はしきりにシャッターを切っている。毎回そうなので、彼が撮ったこの区間の写真は相当な枚数になっているはずだ。
熱海で伊豆急下田行きに乗り換える。リゾート21の先頭車に乗りたいので、到着とともに階段を駆け下り、駆け上り1番線に進んだ。ミスターAN氏は階段を1段抜かしで軽快に駆け上がっていく。足腰は私よりはるかにしっかりしているようだ。走った甲斐もあり展望席をゲットできた。
ところで車中で、ミスターAN氏からインスタグラムについて質問を受けた。たまたま私は最近インスタグラムを始めたばかりだったので登録の仕方などを教えてあげた。mktabi55というIDでやっているのでよかったら皆様もみてください。
伊東で伊豆急の運転士に交代した。運転士は客席に向かって一礼してから運転席に着いた。こういう挨拶は珍しい。
9時24分、伊豆熱川駅到着。
昨日は天皇陛下をお見かけしたことをお伝えしましたが、街中や旅先で有名人を見かけることが時々あります。私が今まで見かけた有名人は順不同に以下の通りです(いずれも敬称略)。羽田孜元首相(軽井沢駅)、ジャガー横田夫妻(旭川から羽田への飛行機内)、松木安太郎(前橋市内)、山田花子(新宿区内)、楠田枝理子(羽田空港国際線ターミナルビル)、元関脇逆鉾(東京駅改札前)、原田知世(国立駅前での映画ロケ)などです。どなたもテレビで見るのと変わらない姿で、特にサングラスや帽子でカモフラージュすることもなく素顔でした。
ジャガー横田夫妻は旭川から羽田へのJAL便で私の席の右斜め前に座っていました。赤ちゃんを抱いていて、機内に入るなり、鋭い視線で客席を見渡してから席に着きました。まさに野獣を狙うジャガーの目で近寄りがたい雰囲気でした。夫(木下医師)に頼んでCAからミルク用のお湯をもらっていました。
逆鉾関は新幹線に乗り遅れそうだったのか、「おい、間に合うのかよ」と付け人を怒鳴りつけながら、小走りに改札を抜けていきました。
(画像は街頭演説会に現れた小泉元首相。郵政解散の時で気力が充実していました)
今日から令和となり、新しい天皇が即位されました。今回即位された浩宮さまに、私は一度至近距離で遭遇したことがあります。たぶん平成3~4年の頃だったと思います。昼休みにたまたま東京駅構内を歩いていると警察官が多数配置されているのに気付きました。これは誰かが来るなと直感するのもつかの間、駅長を先頭に警備陣に周囲を囲まれながら、当時は皇太子であった浩宮さまが現れました。テレビで見るのと同じ顔でした。距離は5mくらいのところです。大勢の人が手を振りながら歓声をあげるなか、殿下はにこやかな笑みを浮かべながら通り過ぎて行きました。そのあと、新幹線に乗って公務に向かわれたと思われます。ほんの一瞬のできごとでしたが、すがすがしい気持ちになりました。天皇になると国民との距離感も今までとは異なってくるでしょうが、国民とのふれあいを大切にしていただけることを期待しています。
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