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撮影会が終わり、鮮魚列車が回送で明星駅3番線に入ってきた。15時08分に発車する。途中いくつかの駅で運転停車をしながら名古屋に戻る。
ところで私の前に座っている男性はご覧のような荷物を持っている。カートに発砲スチロールの箱を乗せている。今回の鮮魚列車ツアーにふさわしいように自分でこういうアイテムを用意して参加したらしい。箱の中身は鮮魚ではなくビールで、このツアーは禁酒ではなかったのかと気にかかるが、特に添乗員のおとがめはなかった。
かつて近鉄がJRの線路を渡り越すために使っていた高架橋の残骸。
列車は17時23分に名古屋駅に戻ってきて、ツアーは解散となった。
今回の旅行では、おおさか東線開業日に乗車でき、鉄道全線完乗記録を維持できたのが大きな収穫であるが、近鉄鮮魚列車という珍しい車両にも乗車できたのも大きな収穫だった。これからも鉄道系の珍しいツアーに参加してきたいと思っている。
湯の山温泉駅での撮影会が終了し、近鉄名古屋線、山田線と進み、13時07分明星駅に着いた。この駅には車両基地が隣接していて、そこで再び撮影会が開催される。雨はほとんど止んできた。車両基地は駅に隣接しているのに、我々一行はいったん駅を出て、車両基地と反対側の道路を歩き、踏切を渡り、裏側から車両基地へと入った。安全確保のためだろうが、職員用通路を通れば1分もかからないのに、大回りした我々は15分も歩くことになった。参加者の中には高齢者や子どももいるので一考いただきたい課題だ。前回の菰野駅3号線見学も同様だった。
鮮魚列車は客を降ろした後回送で車庫に入ってきた。客を乗せたまま入線してもらえばなおよかったのだが。
ヘッドマークを付けての撮影も行われた。
車両基地内には、クラブツーリズム専用のかぎろいという車両も留置されていた。
サボを回したり、ヘッドマークを取り換えたりして、撮影会は1時間以上にも及んだが、私は15分もすると撮るものもなくなって、早々に駅に引き返した。
湯の山線に入り、少し早いお弁当を食べながら、湯の山駅へと向かう。いつしか雨が降ってきた。このところの旅行で3回連続雨となっていて、雨男になったかもしれない。11時10分、湯の山温泉駅2番線に入る。このホームは普段は使われていないので、貴重な体験だ。
画像では分かりづらいが、結構しっかりした雨が降っている。しかも気温もかなり低く、そのせいか構内のトイレはかなり行列している。今回のツアーは9割方男性なので、男子トイレだけが行列している。
そうこうしているうちに後続の営業列車が1番線に入線してきた。2両並びでしかも1両は鮮魚列車という滅多にみられない光景で大勢の客がシャッターを切っている。傘を差さずに撮っている人も多く、高級カメラが傷まないかと他人事ながら心配になる。
湯の山温泉開湯千三百年というヘッドマーク付きだ。奈良時代にはすでに存在した由緒ある温泉のようだ。
西枇杷島駅の観察を終えて、近鉄名古屋駅にやって来た。ここには2週間前つどいのツアーで来たばかりである。その時見かけた人や以前の乗り鉄関連のツアーで見かけた顔もある。向こうもそう思っているだろう。今回はSさんとご一緒する。Sさんは昨年の秋田港クルーズ列車のツアーで初めてお目にかかり、以降何回かお会いしている方だ。
受付では、今日一日禁酒となりますのでご了解くださいという注意がなされた。今までのツアーでこういう注意はされたことがない。車を運転するわけでないのにごたいそうなことだ。
参加者がそろい、ホームで到着を待つ。最初主催者の指示で4番線側で待っていたが、それは誤りで3番線に移動する。3番線は降車ホームになっているが、臨時列車の客はそこから乗車する仕組みになっているようだ。前回のつどいの時もそうだった。
列車は3両で、名前の順で乗る車両が決まっていて、Sさんとは別車両になった。
鮮魚列車は、三重県の漁港で取れた魚介類を奈良や大阪に運ぶために運行され、60年ほどの歴史を持つ行商専用列車だ。行商専用列車はかつては京成線などでも運行していたが、現在は近鉄だけとなっている。外見は一般の車両とほとんど変わらないが、運転席下に2本の白いラインが入っているのが特徴だ。車内はロングシートで特別な設備はない。床が汚れていたり、魚くさいということもなく、よく手入れされた車両だ。
9時35分、近鉄名古屋駅を発車。記念品の配布などが始まる。左が硬券の乗車証明書。右が鮮魚列車のレプリカサボ。クラブツーリズムのツアーではこのレプリカサボが付くことが多い。
枇杷島分岐点の観察を終えて、西枇杷島駅へとやって来た。
この駅は大都市近郊では珍しい列車別改札を実施している駅なのだ。列車別改札とは列車の発車時刻が近づかないと改札を開けない方式で、北海道やローカル駅で見かけるものだ。
なぜそんな列車別改札を実施しているかといえば、ご覧のようにホームが非常に狭く、ホーム上で通過列車を待つことが非常に危険なためだ。ホームの幅は広いところでも2mくらいしかない。ここをパノラマカーなどが通過していくのだ。
ホームの長さ自体もギリギリで、後部がホームからはみ出ている。
発車5分前になり、ホームに移動する。この駅は無人駅扱いだが、踏切の監視要員として駅員が常駐していて、その駅員の指示に従い、ホームに向かうようになっている。
ホームはこんな感じ。
姫路に宿泊したのは、姫路駅始発の上りののぞみが下りホームの12番線から出発するという情報がウィキペディアに出ていたからだ。1日1回しかない下り線から上り線に転線する珍しい運用が体験できるので期待してやって来た。ところがホームの案内板を見ると、始発ののぞみは上りホームから発車する表示になっている。これはがっかりだ。姫路に泊まった意味がない。がっかりしながら、のぞみ102号に乗り込む。昨日のダイヤ改正時から運用が変わってしまったのか、それとも今日だけの特殊事情なのだろうか。運用が変わったとすると、逆に姫路止まりの最終ののぞみが上りホームに入線するはずで、その運用に乗ってみたいと思う。
名古屋駅には7時40分に到着。鮮魚列車ツアーの集合は9時15分なので少し時間がある。この時間を利用して名鉄の2つの珍しいスポットを訪れてみたい。
まずは枇杷島分岐点の観察に行ってみた。最寄駅の西枇杷島駅は1時間に2本程度しか停車しないので、一つ先の二ツ杁まで行って、そこから戻ってきた。歩いても5分ほどしかかからない。
ここは名鉄本線と犬山線が分岐する信号所で、なおかつその間に連絡線が設けられ、デルタ線になっているのだ。画像は右が本線、左が犬山線に向かう連絡線。
連絡線上には警報機も遮断機もない踏切が設置されていた。連絡線を通る列車はほとんどないので、これでも問題ないのだろう。
踏切上から犬山線方面を眺めたところ。
さらに進んで、下小田井側の踏切上から。左が犬山線、右が連絡線。
同じ踏切上から下小田井方面を眺めたもの。この連絡線を走る臨時列車を運行してほしいものだ。
おおさか東線の初乗りを終えて、今夜の宿泊地姫路に向かう。新大阪発16時08分発の新快速に乗車。次の大阪で空席ができて窓側の席に座れた。
西日を浴びながら快調に運転を始めたところ、立花駅付近で緊急停車した。車内放送によれば9号車で非常ボタンが作動したとのことで、その後、急病人が出たことが判明したが、運行に支障がないことから運転が再開された。しかし、芦屋駅停車直前に再び非常ボタンが作動し、緊急停車し、芦屋駅でしばらく停車することになった。車掌がトラブル対応をしており、代わりに運転士から状況説明のアナウンスがあった後、7分遅れで芦屋を発車した。運転士による車内アナウンスは珍しくいが、車掌と運転士の連携が取れている証拠でもあり、好もしい対応だ。
芦屋を7分遅れで出発したにもかかわらず、姫路には2分遅れまで回復した。関東地方ではJRも私鉄もいったん遅れが出るとほとんど回復運転ができないことが多いから、この回復運転は驚異的だ。
今夜の宿は姫路駅南口にある東横インだ。
駅で買ってきたビールやおつまみで、今日の行程を肴に飲む。おおさか東線は旧型車両を使用しているせいか、新線にもかかわらずホームドアの設置もなく、また開業初日にもかかわらず、ホーム上での駅員や警備員のホーム監視はないなど、安全面で最近の新規開業路線と比較するとちょっと見劣りがした。
駅で手に入れたJR西日本のパンフレット。おおさか東線の路線図があるが、南吹田駅が東海道線の上側に描かれているが、実際は本線を渡り越した下側にあるので、これは大きな誤りだ。デフォルメされた路線図とはいえ、位置関係くらいは正確に描写してもらいたいものだ。
城北公園通駅を発車すると、淀川に架かる鉄橋を渡る。この鉄橋はかつては単線の線路と人道が併設されていたが、旅客線化に伴って、複線になった。この人道橋の部分を渡ったのは、今から6年前でrailwayさんに初めてお会いした「大阪市交通局日帰りバックヤードツアー」の帰りだった。
鉄橋を渡り終え、JR淡路駅に到着する。ここから5分ほど歩いたところに阪急の淡路駅がある。乗り換え客も相応にいると思われるのに、阪急淡路駅へのルートを示す標識や地図が全くないのは不親切だ。一応駅の改札目には液晶式の大型ディスプレイがあり、それをタッチすると地図も表示されるだが、何度かタッチしないと必要な情報が出てこないので不便だ。
JR淡路の次は南吹田駅になる。この駅の前後は城東貨物線からの転用ではなく、新たに敷設された区間なので、駅前広場も含めて一体で整備されているので、ようやく新線開業らしくなってきた。
放出までの新線区間を乗り通し、今度は新駅を一駅ずつ下車してみた。まずはJR野江駅で降りてみる。相対式ホームで、新線区間ではあるがホームドアの設置はない。
京阪の野江駅と区別するためにJR野江と名乗っていて、両駅間は徒歩2分ほどの距離だ。市街地を走る既存の貨物線が旅客線化され、急に駅が設置されたので駅前広場は全くない。改札前にある喫茶店は今日から突然駅前喫茶店になったわけで、急に繁盛するかもしれない。
続いて隣駅の城北公園通で降りる。駅名は「じょうほくこうえんどおり」ではなく「しろきたこうえんどおり」と読む。こちらも駅前広場などなく、いきなり住宅街が広がる。駅前では多くの住民が写真を撮りあっている。
改札前には俳人与謝蕪村の像が設置されていた。ここは与謝蕪村の生誕地らしい。「菜の花や 月は東に 日は西に」という句が直筆のレリーフで飾られている。
これから乗るおおさか東線は城東貨物線を旅客線化したもので、淀川にかかる人道併用橋(赤川仮橋)が閉鎖されることをかつてお伝えしたが、その橋が複線に改修され、今回の路線の一部になっている。既に久宝寺・放出間は2008年に開通しており、今回の新大阪・放出間はその残りの区間となる。
新大阪駅2番線に停車中の車両は201系で、JR西日本は分割民営化から30年以上も経つのに未だに国鉄時代の車両を使っている。
初乗りの客や鉄道ファンで、立ち客も出る混雑ぶりである。今回の開業区間では新駅が4つ設置されたが、それらの駅は後で見学するとして、とりあえず放出まで乗り通してみる。乗車したのは13時56分発久宝寺行き普通列車である。
まず東海道線を京都方面に進み、東淀川駅を過ぎてから、東海道線を渡り越し、最初の停車駅南吹田に止まる。そこを発車すると左手からは吹田操車場からの線が合流してきた。これが本来の城東貨物線である。今回の開通区間の内、新大阪からここまで区間は城東貨物線の転用ではなく、純粋に新線区間である。
ここから先が城東貨物線の転用区間となり、バラストや線路脇のフェンスや駅ホームなどは新しいが、沿線の風景は古びた街並みとなっていて好対照だ。
JR淡路、城北公園通、JR野江と過ぎ、鴫野の手前で学研都市線に合流する。ここから隣の放出までは複々線区間となる。鴫野駅は線路別複線で、次の放出では方向別複線になる。
放出には14時12分に到着し、これで新線乗車は完了した。
多度駅で記念品の引き換えを済ませ、大垣へと戻り、大垣からは東海道線で新大阪に向かう。11時42分大垣始発の4両編成で、青春18きっぶのシーズンなので混雑していて立ち客も出ている。
しかし米原から乗り換えた新快速は12両編成で、乗り換え客は全員が座れる状態だ。東海道線を快調に西進していたが、京都駅の手前で緊急信号を受信し停車した。「ピピピピッと聞こえている音が緊急信号です」と 車掌は車内放送でわざわざその信号音を流している。この信号音は奈良線での踏切立ち往生と分かり、東海道線は運転を再開した。
新大阪に到着し、1・2番線ホームのおおさか東線に移動する。ホームに降りるとちょうど1番線にパンダの塗装が施されたくろしお18号「パンダくろしおSmileアドベンチャートレイン」号が入線してきた。座席までパンダ柄になっていて、子どもたちが集まって大はしゃぎしている。
養老鉄道に乗りに来たのは、養老鉄道と京急が共同でスタンプラリーをやっていて、そのスタンプを押すためだ。スタンプ設置駅は大垣、養老、多度の3駅で、既にゲットしてある京急の3駅と合わせるとコンプリート賞がもらえるのだ。関東と岐阜が舞台となるのでハードルは高い。
大垣駅で一日乗車券1,500円を購入し、大垣駅のスタンプを押印する。スタンプはシャチハタ式でインクを付ける必要がないのは便利なのだが、インクが薄くてスタンプの図柄がよく分からない。これはスタンプラリーの事業者として不合格だ。
大垣で押印を済ませ、養老駅に向かう。養老駅は昨年、一昨年とツアーで訪れていて懐かしい。
養老駅の次は多度駅になるが次の列車まで時間があるので一日乗車券のメリットを活かして、いったん烏江駅で折り返してから多度駅に向かった。
多度駅での押印でコンプリートとなり、記念品をもらう。
賞品はトートバッグかマグカップのどちらかを選べる。私はマグカップにした。
近鉄には宇治山田始発で大阪上本町まで、魚の行商人だけが乗れる鮮魚列車というものが運行されている。今回その鮮魚列車に一般の人も乗車できるツアーがクラブツーリズムで企画された。近鉄名古屋始発で湯の山線を経由し、明星駅折り返しで近鉄名古屋駅に戻ってくるルートとなっているので、本来の鮮魚列車のコースではないがその行程の中で普段は乗れない渡り線などを通過する可能性があるので、乗ってみることにした。ツアーは3月17日なので、その前日におおさか東線が延伸開業するのでそれと合わせて乗って来ようと思っている。
まず、3月16日朝、新横浜6時ちょうどのひかり493号でスタートする。このひかりは新横浜始発で、東京始発や品川始発ののぞみに抜かれることなく早く新大阪に早く着けるので知る人ぞ知る人気列車である。
新横浜始発の時点では2割程度の乗車だが小田原、静岡と停車し、5割程度の乗りになった。名古屋に7時24分に到着し、東海道線の快速に乗り換える。曇り空で3月中旬だが少し肌寒い。8時08分大垣着。ここで養老鉄道に乗り換える。
4月11日の日経新聞1面に宮脇修三さんの時刻表2万キロの一節が引用されていました。札幌での宿探しの苦労で、公衆電話に10円玉を積み重ねて、時刻表の巻末の一覧表で片っ端から電話するが、どこも満室で予約が取れずに往生する場面です。昔は宿の予約は直接電話するか旅行代理店に頼むしか方法がなかったわけですが、平成になってからインターネットの普及で宿の予約はWEBが中心になりました。私も最近は100%ネット予約で宿を確保しています。真夜中でも予約できたり、料金順の一覧が出たりするなど本当に便利です。
列車の予約も、昭和の時代は一部でプッシュホン予約がありましたが、ネット予約で大変便利になりました。チケットレス予約や座席指定の予約もできるようになったのも利便性が増しました。
一方、便利さの陰で被害を蒙っている方もあるようです。予約サイトが優越的地位を濫用し、ホテルの値決めを妨げている実態も見え隠れするようです。また、それまでは鉄道関連の情報を得るのは、基本的には鉄道雑誌が中心で、私も鉄道ジャーナルを1981年4月号から30年間欠かさず買っていましたが、いつの間にか買わなくなってしまいましたし、時刻表も年1回程度しか買いません。そういった業界の人は売上不振で困っているでしょう。
これも時代の流れで仕方がないことだと思いますが、アナログの時代には時間の流れも人間のスピードだったので、それはそれでよっかたのでしょう。
なお、日経新聞の春秋にはときどき宮脇俊三さんの古い著作が引用されていて、筆者も鉄道ファンかもしれません。
小田急で5月6日までの日程で「特急ロマンスカーモバイルスタンプラリー」を開催しています。紙ベースではなく、スマホを利用し、スマホの中に画像を集めていく仕組みになっています。新宿、成城学園前、町田、大和、秦野、小田原の各駅でモバイルスタンプをゲットします。集めたスタンプの数によってスマホ用の壁紙がゲットできます。またこの6駅以外にシークレット駅があり、スタンプを集めるとヒントが一つずつ増えていくので、どの駅がシークレット駅がだんだんに分かります。私は一つ目のヒントですぐにシークレット駅が分かりました。
それとコンプリート特典で、7月6日に開催されるGSE特別ツアーに応募できます。内容は以下の通りで、とても魅力的です。抽選で75組に当たるようで、倍率は高そうですが、幸運に期待したいです。
品川のキャノンギャラリーで「お召し 平成に仕えた車両たち」という写真展が開催されています。平成の残すところわずかとなりましたが、鉄道写真家が撮影した平成の時代のお召し列車が30点ほど展示されています。EF58やE655系だけでなく、しまかぜやわたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車などもありました。どれも磨き上げられた車両ばかりで、お召し列車の名に恥じないものばかりでした。5月13日までの開催ですので興味のある方はお早めに。
平成になってから劇的に変わった一つがスイカなどのIC乗車券の普及でしょう。これにより、切符を買わずに乗れたり、乗り越し運賃の精算が自動的に行われるようになったりしてとても便利になりました。その昔、鉄道ジャーナルでJR東日本か鉄道総研でそんな研究をしているという記事を読んだことがありましたが、仕組みが複雑すぎてそんな夢物語は実現しないだろうと思っていましたが、コンピュータ技術の進歩で実用化されました。
この登場により、チャージさえしておけば運賃を知らなくても鉄道に乗れるので、運賃表を見上げる習慣がなくなった人も多いでしょう。
また、鉄道運賃だけでなく、電子マネーとして使用できるので、買い物に便利になりました。私が普段利用するコンビニやスーパー、量販店ではほぼ100%スイカが使用できるので財布から小銭を探す必要がなくなりました。レジで前の人が財布の中の小銭を探すのにモタモタしていると、なぜ電子マネーを使用しないのだろうイライラするようになるほど便利なものです。話が飛躍しますが、こういう電子マネーは民間の事業者ではなく日銀がやればもっと便利だろうにと思います。
今やなくてはならないIC乗車券ですが、キセル乗車による運賃取り漏れがなくなり、鉄道各社の収益に貢献したという事業者側のメリットもあるようです。
平成最初の鉄道との接点は、東京駅で買った入場券です。JR東海東京駅の新幹線窓口で売られていた入場券で、左下にマルニとあるのでJR東海の委託を受けた日交観の発行でしょうか。元号が変わった最初の日付です。当時すでに硬券の入場券は減らさる傾向にありましたが、東京駅のような駅でもまだ発売されていました。
関東地方では、小田急、京急、相鉄などでは今から20年くらい前までは各駅に硬券入場券が常備され、それを買い求めるため私は全駅を訪問したこともあります。
今では硬券を発売する鉄道事業者も少なくなりましたが、それでも地方に行くとまだ販売しているところもあるので、見かけると必ず買っています。これは先日訪れた近鉄明星駅の硬券です。活字で印刷された切符には味わいがあるものです。令和の世の中にも残してもらいたい鉄道アイテムです。
平成の鉄道の思い出の3回目は新幹線網の充実です。それまでの新幹線は東海道、山陽、東北、上越のみでしたが、その後、東北新幹線の延伸、北海道新幹線、秋田、山形のミニ新幹線、長野新幹線、北陸新幹線、九州新幹線と、この30年間でずいぶん開業したものです。田中角栄が日本列島改造論の中で唱えた新幹線の多くが開業しました。鹿児島から函館まで新幹線で結ばれる時代が来るとは想像もできませんでした。
スピードアップも図られ、国鉄時代は最高時速が220kmでしたが、300系のぞみが登場し270kmになり、500系が300kmを出し、現在はE5系が320kmを出すようになり、これも30年間の進歩です。
まだこれからも北海道新幹線、中央リニア新幹線、北陸新幹線、長崎新幹線の計画が進行中で、それぞれ工事が進行中で楽しみではありますが、自分の寿命も短くなっていて、生きているうちに乗れるかどうかのほうが問題になってきました。
宮脇俊三さんも「時刻表2万キロ」の結びの中で、「もう私は若くはない。開通させる気が本当にあるのなら、早くしてくれないと困るのである」と述べていますが、まさにその通りです。
(画像の特急券はのぞみ運行開始1番列車のものです。前日の夜おそく、ダメもとでたたいてもらったら、キャンセルが出ていて買えました)
平成の鉄道の思い出、第2回目はJRの躍進です。国鉄が分割民営化されたのは昭和の終わり、1987年4月ですから、ほぼ平成と時代を同じくしていると言っていいでしょう。それ以前の国鉄は大赤字の火の車の企業で赤字の補填に毎年1兆円もの国費が投入され、職員のモラルは低下し、事故、トラブルも頻繁に発生していました。
それが分割民営化され、経営の自由度が増したり、赤字ローカル線の廃止問題も一段落し、本州や九州の会社は上場し収益のあげられる会社になりました。学生の就職希望人気ランキングでもJR各社は上位に連なるようになり、私の時代にはそもそも新卒の採用を行っていなかったので、隔世の感があります。
世の中では国鉄を知らない世代も増えてきて、うっかり「国鉄」などと口走ったりすると年齢がバレてしまう時代になり、私もいつのまにか高齢者の仲間に入ってしまったようです。
なお私のスマホでは、「国鉄」と入力すると次の変換候補に「スワローズ」と出てきます。その昔国鉄スワローズという球団があったことを知る人も少なくなったでしょう。
新しい元号も令和と決まり平成も残り1ヶ月を切り残りわずかとなりました。これから不定期で平成の鉄道の思い出をお伝えしたいと思います。特にランク付けはせず、思いついたものを順不同でお伝えしていきます。
まず1回目は自動改札です。自動改札自体は昭和の頃からありました。祖父の家の最寄駅祐天寺では1971年から使用されていましたし、国鉄武蔵野線では1973年から使用されていましたが、首都圏で本格的に稼働が始まったのは1991(平成3)年のイオカード導入時です。鈴木保奈美がCMをやっていたのをご記憶あるでしょうか。
自動改札時代前は改札口には大勢の駅員がいて、改札鋏をカチカチとリズミカルに鳴らしながら、切符に切り込みを入れていました。定期券の人は券面を駅員に見せて改札を通過していました。
定期券利用者は定期入れから定期券を取り出して自動改札に投入しなければならなかったので不便でしたが、ICカードが導入されてからはそれも不要になり便利になりました。またICカードでは運賃精算機能も備わっているので乗り越し精算の手間もなくなり、ますます便利になりました。新幹線用の自動改札も導入され、複数の切符を投入することもできるようになりました。一方で地方のローカル駅に行くといまだに有人改札のところも多く、味わいを感じます。
昔はこうだったと話ができるようになったのと歳を取った証拠でしょうが、平成の鉄道を象徴するアイテムでしょう。
17時23分、つどい号は近鉄名古屋駅に到着し、本日の行程は終了した。伊勢中川、白塚車庫、川越富洲原駅での入換体験でいくつもの渡り線を通れ、満足できる旅だった。railwayさんとはここで別れる。
名古屋発18時33分発ののぞみ42号に乗車するが、少し時間があるので待合室で、今朝東横インでもらった中日新聞に目を通す。太平洋フェリーの北海道航路で今春新造船がデビューするが、それに伴い引退する「きたかみ」の記事が出ていた。東日本大震災発生時に仙台港に停泊していた「きたかみ」は津波から船を守るため地震と共に沖合に出航する決断をし、沖合で高さ10mの津波に遭遇した。その際の貴重な画像が掲載されていた。船首部分は水没寸前の状態だ。津波や原発の被災者にばかり注目が集まり、こういった事実はあまり知られていないが、その場の判断で適切に危険を回避した人たちの苦労ももっと注目されていいだろう。
名古屋発18時台ののぞみのいくつかの列車では、サントリーとのコラボで、神泡サーバーで注いだビールを飲める企画を期間限定で行っている。売り子は名古屋駅から乗車し、8号車のグリーン車から販売を始めるので、私は11号車普通車を予約してある。人気があるのかなかなか売りに来なくて冷や冷やイライラするが、18時55分ようやく販売員がやって来た。野球場などで売りに来るタンク式のビールサーバーを背負う方式ではなく、昔の駅弁屋さんスタイルで首からぶら下げた前かごに缶ビールとおつまみが満載されている。それを女性の販売員が担いでいるから結構重労働だろう。
500円でビールとおつまみが付いてくる。カップに7分目くらい注いだ後、缶に装着した神泡サーバーの振動で泡が発生し、車内で生ビール風のビールが飲める仕掛けになっている。缶で飲むより数段おいしいビールで、旅の楽しさも増すというものだ。ほろ酔い加減で旅の終わりを楽しんだ。
これで、「つどいで行く白塚車庫洗車体験と菰野駅3号線さよなら撮影ツアー」を終わります。
四日市から湯の山線に入線し、今日の最終目的地・菰野駅に到着した。この菰野駅はそれまでは2面3線で、3号線まで線路があったのだが、今般その3号線が廃止になり、その様子を見学するのがこのツアーのウリなのだ。列車は2号線に到着し、その隣が3号線になる。線路はまだ残っているが本線との合流部分はレールが撤去されていた。列車は我々を下したあと、回送で湯の山駅に引き上げた。
その様子を観察するにはいったん改札口を出て、踏切を渡った先にあり、歩くと5分程度かかる。あいにくの雨の中、我々一行は傘をさして、湯の山方にある踏切を渡って、列車が入らなくなった3号線の線路を歩く。
ここが本線との合流部分。すでにレールは撤去されている。
本線との境にはロープなどもなく、近鉄職員による目視の監視となっている。伏屋駅高架化ツアーの時もロープ1本で隔てられたすぐ脇を列車が通過したが、意外と緩い規制である。
3号線の見学は往復の時間も合わせても15分ほどで終わり、帰りの列車の到着まで30分以上待たねばならなかった。これで今日の予定はすべて終わり、近鉄名古屋へ向けて16時15分菰野駅を後にした。帰りの車中では運行票、缶バッジなどと共に、今回廃止となった3号線の撤去したレールのスライスが記念品として参加者に配られた。
鈴鹿線を往復した後、伊勢若松駅に戻り、14時01分今日の最終目的地菰野駅へと向かう。近鉄四日市の手前で減速が始まり、湯の山線ホームに入線すると思いきや、上り本線副本線4番線に入線した。5番線ホームには列車が停車中だ。
四日市でいったん停車した後、さらに名古屋方面に向けて出発し、川越富洲原で折り返すと放送があった。
川越富洲原駅は2面4線の構造で、4番線に停車した。こういう駅があることすら知らなかった。
ここで進行方向を変え、ここから近鉄四日市に向けて折り返した。
近鉄四日市で上り本線を横断し、湯の山線ホームのある5番線へ進んだ。
ダイヤ上の制約だろうが、ずいぶん遠回りをして四日市に戻ってきた。
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