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13時ちょうど発の電車で福島に戻る。車内の案内では福島駅の一つ手前の曽根田駅が「昭和17年開業、赤い屋根のレトロな外観が印象的な駅舎で、待合室は天井が高く、明り取り用の木枠窓がとてもおしゃれです」と紹介されていたので途中下車してみた。
天井は高く木枠窓もシンプルなデザインだ。時間がある人は降りたほうがいいだろう。
次の電車は25分後になるが福島駅までの距離は500mほどなので歩くことにした。あいにくの暑さだが福島駅までの間はビルやショッピングストアの中を抜けたりできたのでそれほど汗をかかずに福島駅に着いた。
ここから13時56分のやまびこ46号で帰路につく。新幹線の自動改札で「大人の休日倶楽部パス」と新幹線指定券が同時に入れる。2枚の切符をどういう順番に入れても必ず乗車券が上になって帰ってくる。これから乗る席番を確認する人が多いはずなので指定券を上にして出した方が便利だと思うが、他社の新幹線でもそうなっている。改善の余地があると思う。
やまびこはほぼ満席の状態で、14時58分に大宮に到着した。今回の旅では「大人の休日倶楽部パス」に大活躍いただき快適な旅ができた。計算はしていないが、東京・盛岡を新幹線で往復するだけで3万円くらいするから、定価15,000円の5倍くらいは乗ったのではないかと思う。利用シーズンは限られているが、また次の機会でも利用できれば楽しい旅ができそうだ。
これで「2018年大人の休日倶楽部パスの旅PARTII」を終わります。
結局予定していた11時45分発の列車には乗れず次の12時10分に乗ることにした。福島交通に乗るのは1983年12月以来35年ぶりだ。一日乗車券を購入する。ホームページは一日乗車券について告知がなく駅で発売を知った。毎月1日、11日、21日のみの発売となっているが、ちょうど今日は1日なので使用できる。
元東急の改造車両で、車内には温泉ののれんがかかっていたりしていい雰囲気だ。
車内は空いているが私は運転席の後ろに立って線路を眺めることにした。途中駅はほとんど無人駅で集札のためラフな格好をしたアルバイトのような車掌が乗務していた。福島交通ではIC乗車カードの導入を始めたが、過渡期なのかまだ利用が浸透していないのか、車掌を乗務させていて二重投資のようだ。
終点の飯坂温泉には12時33分に到着した。この線の休日日中の運転間隔は25分ヘッドになっている。全線の所要時間は23分なので終点に着くとすぐ折り返すダイヤになっていて、なかなかあわただしい。いっそ30分ヘッドにしたほうがダイヤも覚えやすく利用者も便利だろうと思うが、少しでも運転間隔を縮めたほうが利便性が増すとの判断なのだろう。
私はすぐ折り返す電車には乗らず一本遅らせた。駅前に出てみたがあまりの暑さで温泉街を歩く気力もなく駅前をちょっと見ただけで駅に戻った。駅の改札は発車直前に開く方式で、それまで私は冷房付きの待合室で時間調整をした。
車両基地内のイベントをザッと見て10時52分の列車で帰ろうとするとTさんとすれ違った。こういうイベントでよくお目にかかる方だ。7月29日の秋田港クルーズ列車のイベントにも行かれるようで次回の再会を約束した。
帰りの列車はガラガラで今回も後部運転台から線路の様子を眺めた。
梁川駅前では阿武隈急行開業30周年の記念式典が開かれていて、おエライ方が多数参列していた。式典の司会の方は車両基地イベントで入場規制がかかっていることを繰り返し放送していたが、入場規制というよりシャトル列車の行列が長くて乗れないだけで入場規制自体はかかっていない。この時点でもシャトル列車の行列の終わりは相変わらず見えなかった。
ここから11時12分発の列車で福島に向かう。列車は5分遅れでやってきた。阿武隈急行は単線で今日は普段よりずっと多い客を乗せているので乗降に時間がかかっているようだ。
福島に着いた後は福島交通に乗る予定をしている。福島駅での乗り換え時間は2分しかないが阿武隈急行と福島交通は福島駅のホームを共用しているから2分もあれば十分と踏んでいたのだがなかなか遅れが回復しない。
結局5分遅れのまま福島駅に到着したが、福島交通は接続待ちをしてくれていなかった。阿武隈急行と福島交通の乗り換え客はほとんどいないから接続待ちを取ろうという発想はないのだろう。
仙台から乗ってきた列車の混み具合からも推定はされていたのだが、梁川駅の改札を出ると想定外の光景が広がっていた。シャトル列車乗車の行列がザッと数えて200人はいたのだ。出発の40分も前に来れば余裕だろうと思っていたが、これでは1番列車乗車は無理かもしれない。
私は小走りに列に向かった。列の最後尾には担当者が手書きで最後尾を知らせる紙を持っていたが、専用のプラカードではないのだ。これほどの行列を想定していなかったのだろう。乗り歩き仲間のrailwayさんもこれから来るはずでこの事態を急いでメールで知らせておいた。
まだ9時過ぎなのだがガンガン照りで参加者に配られたうちわがとてもありがたい。1番列車の発車は10時なのでまだ40分は待たないと行けない。これはかなりキツイ。私の後ろにはさらに行列が延び終わりが見えなくなった。
そうこうするうちに福島方面からの列車が到着し、また大勢の客が下りてきてその中にはrailwayさんもいらっしゃった。あいさつもそこそこにrailwayさんは列の後ろへと向かった。
10時近くになりようやく列が動き出した。担当者の話では1列車に200人乗せるようで私のあたりがボーダーラインだが何とかギリギリ乗り込むことができた。直通列車の混み具合を見ていた担当者が「ヤバイっす」と改札係に連絡し、私が改札を通った直後に乗車が打ち切りとなった。
列車は2両編成で伊達政宗のラッピング車両だがじっくり観察する余裕はなかった。「ヤバイっす」という話だったが、実際に乗り込んでみると後部車両はかなり余裕だった。私は後部運転台越しに線路の分岐を見ることにした。
今日7月1日は阿武隈急行開業30周年記念イベントで運行される梁川車両基地直通列車に乗るのが最大の目的である。車両基地へのシャトル列車は朝10時から11本も運転されるのでまさにシャトル列車だ。私は10時ちょうどの1番列車に乗る予定にしている。これに乗るには仙台発7時53分のホリデー宮城おとぎ街道号に乗れば梁川駅まで乗り換えなしで行けて9時16分に着くので便利だ。
発車10分ほど前に仙台駅のホームに降りると4両編成の列車はイベントに行くと思われる乗客でボックス席はすでに満席の状態で私は車端部のロングシートに座った。定刻に仙台駅を発車し駅ごとに阿武隈急行のイベントに行くと思われる客が乗ってくる。予想外に盛況である。阿武隈急行では今まで車両基地イベントがほとんど開かれていなかったし、今回は梁川車両基地への直通列車も運行されるとあって大人気のようだ。
この列車は槻木まではJRの線路を走る。運転士はJRだが車両は阿武隈急行だ。運転士はこの車両に慣れていないのか停車直前のブレーキの抜きがうまくいかず、つんのめるように停車している。
槻木の手前でJRから阿武隈急行に転線する。この渡り線は1日に数本しか通らない。
槻木で運転士と車掌が交代する。出発信号機は青に切り変わったがなかなか出発せず5分遅れで発車した。
阿武隈急行にはその前身の国鉄丸森線の時代の1983年8月に丸森まで乗り、阿武隈急行として全線開通した翌月の1988年8月に乗車した。
阿武隈急行線内でも各駅でイベント参加者が乗ってきて通路までいっぱいになった。阿武隈急行では一日乗車券を車内でも販売している。この一日乗車券は600円ととてもお得なのだ。私は仙台から直通列車でやって来たので車掌から購入するつもりだが、先頭車に座っているので車掌がなかなかやって来ない。
ようやく梁川の一つ手前で車掌がやって来た。一日乗車券というからにはちゃんと印刷されたきっぷを予想していたが車内補充券を渡された。よく見るとフリーきっぷの欄もある。一日乗車券が車補とは初めてだ。
定刻より3分ほど遅れて梁川駅に着いた。この駅は1面2線の島式ホームで跨線橋はなく、改札を出るには構内踏切を渡るようになっている。しかしその構内踏切には警報機はあるが遮断機はなかった。これも珍しい。列車発着時は駅員が安全確認を行うようだ。普段ならこれで問題ないのだろうが今日は数百人の客が下車したから駅員が4人くらいで通せんぼをしている。
宮古駅からは18時10分発の列車で盛岡に行き、そこから新幹線で仙台に行って泊まる予定である。宮古駅にはキヨスクがあり、そこで発車直前に冷えた缶ビールを買って山田線の車内で飲もうと思っている。待合室でこれからの行程を確認したりしていると、キヨスクの出入り口がガラガラと音を立てて閉っていくではないか。なんと17時30分で営業が終了するのだった。仕方なく私は駅近くのコンビニまで向かい、そこでビールなどを調達した。
盛岡行き列車はキハ110形1両編成で20人ほどの客を乗せて発車した。私は2人がけのボックス席を確保し、発車とともにひとりビールで乾杯する。
発車すると左窓には虹が見えてきた。2本も見える。車掌もそれに気付き車内アナウンスを行ない乗客は一斉に写真を撮り始めた。
並走する国道は106号線で「106急行バス」が見えてきた。ここには岩手県北バスの都市間バスが1日18往復も運行されていて山田線のライバルとなっている、というより山田線はまったく歯が立っていない。
茂市を過ぎ山間部に入るとホイッスルを鳴らして速度を落とし始めた。線路内に鹿が入り、それを追い払っているがなかなかどかないようだ。
川内駅で下り列車と交換し、あたりはだいぶ暗くなってきた。盛岡に近づくと東北本線の北上・一関間で大雨で運転を見合わせているとの放送が入ったが、これから乗る東北新幹線は通常通り運転されているようでホッとする。ほぼ同じところを走っているが規制値が異なるのであろう。盛岡では20分の待ち時間でこまち42号に乗り換え、約45分で仙台に着いた。
浄土ヶ浜観光を終えて、宮古駅に戻る途中山田線の復旧状況を少し見てきた。山田線のうち宮古・釜石間は東日本大震災の影響で不通になっているが、その区間がJR東日本から三陸鉄道に移管されることになり、来年3月の開業に向けて現在復旧工事が進んでいるのだ。
こちらが宮古駅の隣の磯鶏(そけい)駅。バラストやまくらぎが入れ替えられたりしている。元から無人駅のためか、あまり大きな変化はなかった。駅前には陸軌車と呼ばれる道路と線路の両方を走れる車両が駐車していた。
続いて宮古駅近くの踏切。現在は鉄道車両が来ない区間なので踏切で一時停止しなくて良い。
踏切上から宮古駅方面を眺めたところ。
宮古駅近くのレンタカーの営業所で車を返却する。177kmを走って8リッターの給油だから燃費は22kmほどの計算になる。
駅へ向かう途中、このような表示があった。東日本大震災の津波を高さを上回る高波が1948年のアイオン台風の時に襲来していたようだ。
レールバイクの乗車を終えて、浄土ヶ浜へと向かった。浄土ヶ浜は宮古市にある景勝地でここから1時間ほどで行ける。
途中茂市駅に立ち寄ってみたが、今年の4月に無人駅になっていた。駅舎寄りの1番線は岩泉線の線路だがレールは途切れていた。
さらに車を進め浄土ヶ浜に着いた。駐車場に車を停めて10分ほど歩いたところにある。
遊歩道がキレイに整備されているから震災による津波の後に修復したのだろう。ここには今から25年前の1993年に来たことがある。その時は確か宮古駅からタクシーでやって来たはずなのだが、こんなに歩いた記憶はない。タクシーだと近くまで来られるのだろう。
これがその時の写真。ミスターAN氏との東北旅行の時の写真だ。その時は山形新幹線、奥羽本線、北上線と乗り継ぎ盛岡に泊まり、翌日東北本線、八戸線、三陸鉄道を経由し、宮古に至り、山田線、東北新幹線で帰って来た。当時あったハートランドフリーきっぷというJR東日本全線特急自由席乗り放題のきっぷを利用した。
中里駅に着くとそこに転車台があって乗車したまま担当者が転換してくれる。折り返し地点では何の案内もなくすぐに引き返しとなった。行きはバイクが先行したが、帰りは私が先行となる。
帰りは緩やかな上り勾配になる。上り勾配といっても最高で1000分の12程度の緩やかな勾配なのだが意外ときつく感じる。電動アシストをマックスにしギアも1番軽い3速にしたが、それでも結構息が切れる。以前にも同じような勾配の大館や神岡のレールバイクに乗ったが、その時は楽勝だったが今回は随分とハードに感じる。カンカン照りなのも影響しているかもしれないが、ここのところで急激に足腰が弱くなったのだろうか。喉がカラカラになり飲み物を持って来れば良かったと後悔する。
後ろから担当者のレールバイクが近づいてきているので後押してもらいたいくらいの気持ちになる。他の利用者も同じ状況だろうから、発着駅を逆にしたら行きが上り勾配で帰りが下り勾配になるから、そのほうが楽でいいと思う。
そんなことを考えながらこげども進まぬレールバイクに格闘しながらゆっくりと進んでいく。それでもなんとか往復6kmの道のりを走り終えてスタート地点に戻ってきた。そこでスタート時に撮影してもらった写真をいただく。
こういった記念写真は大館のレールバイクでもあった。どうやら大館や神岡のレールバイクを実際に見学し、そういったことを参考にしたらしい。
写真をいただき、この場を後にする。ちょうど乗り場の反対側に自販機があったので冷たいドリンクを買い一気に飲み干した。
岩泉線の廃線廃駅の見学を終えて岩手和井内駅にやってきた。岩泉線の廃線跡を利用して、岩手和井内駅と中里駅との間約2.8kmで2年前からレールバイクの運行を開始したのだ。このレールバイクの存在はあまり知られておらず、私は昨年訪れた大館小坂鉄道レールバイクで担当者に教えられて知ったのだ。
運行は予約制で土日休日に10時から1時間ごとに15時まで6回行われる。私は13時からの回を1ヶ月前に予約しておいた。大雨の場合は運休になるので電話でお知らせしますとのことだった。乗車は2人からとなっていたが、二人分の料金を払えば一人でも乗車可能だった。当日の天候が不安で1週間前から宮古地方の週間天気をチェックしていたが降水確率が50%から60%と高く気を揉んでいたが実際に来てみれば気温33度のカンカン照りだった。
10分前に受付を済ませてくださいとのことだったので余裕を見て12時40分頃に到着した。受付は旧岩手和井内駅を改造したものらしく、駅舎にはまだ岩手和井内駅の看板が出ていた。
受付で申込書の記入と料金の支払いを済ませ、乗り場に向かう。車両は電動アシスト付き自転車で、アシストの強弱やブレーキの操作方法を教えてもらう。
13時からの便は私だけだったので、記念撮影の後定刻前の出発となった。担当者のレールバイクに続いて走行する。中里駅で折り返しが発生するので担当者が先行する必要があるからだ。担当者のレールバイクは自転車ではなくディーゼルエンジン付きだ。
行きは緩やかな下り勾配となるので快調な走りだ。区間によっては全くこがなくても進んでいく。天気も良く、景色ものどかで楽しいサイクリングだ。
折り返し地点の中里駅跡には約15分で到着した。
浅内駅を出て岩手大川駅に向かうあたりから道も細くなり慎重な運転が必要になってくる。時々災害復興関連の大型ダンプなどとすれ違う。
すでに鉄道は廃止されたのに岩手大川駅入り口を示す道路案内板は残っていた。駅舎はなくホームだけが残っていた。
続いて押角駅へと向かう。鉄道はここからトンネルとなるが、道路の方は山道を進む。道幅はほぼ1車線でところどころにすれ違いスペースが設けられている。この狭い道路のおかげで岩泉線は廃線を免れてきた。
一般に鉄道路線を廃止する場合、並行道路に代替バスを走らせることが可能であるかどうかが争点の一つになる。国鉄時代から輸送量は少なく数字的な基準に照らせばとっくに廃止になってもおかしくなかった。しかしこういった道路ではマイクロバスが辛うじて通れる程度の幅しかなく、カーブも多いので所要時間は鉄道の何倍もかかりそうである。こういったことが要因で廃線を免れていたが、2010年の災害により不通区間が生じ、復旧に費用がかかるので廃止となった。現在岩泉線の押角トンネルを拡幅する形でトンネルを整備中のようだ。
こちらは押角駅と思われる場所。線路は川の対岸にあり、駅舎も対岸にあったと思われるが対岸に渡る橋は流出しており、駅舎も見えない。
その次は岩手和井内駅と中里駅になるが、この駅はレールバイクの乗車で訪れるので通過し、岩手刈屋駅に向かう。こちらは駅舎はなくホームと思われるスペースが残る程度だった。
岩泉駅の観察などを終えてこれから岩泉線の廃線、廃駅を巡っていこうと思う。まだ11時前だというのに気温は30度を超えて非常に熱い。
まず向かったのは隣駅の二升石駅だ。この付近の岩泉線は昭和47年開業なので、ところどころで見られる橋梁はまだ新しく、また立体交差で建設されている。
二升石駅はバスの待合室のような建物が残っており、ホームも残っている。
ホーム自体は立ち入り禁止になっている。ホームに通じるスロープは舗装もされていない。おそらく現役時代もそうだったのだろう。
続いて浅内駅へと向かう。その途中では2016年8月の台風10号により発生した土砂災害の復旧工事が行われている。その背後には岩泉線の廃線も見えた-.。
浅内駅は駅舎が残っており駅舎内には駅ノートもあったので私も記入しておいた。
給水塔のような構造物も見えた。岩泉線はここまでは1957年の開業なので蒸気機関車が運行されていたのだろう。
岩泉線に初めて乗ったのは国鉄時代の1985年9月で就職が決まった直後だった。その時の写真がこれ。とても暑い日で岩泉駅でアイスクリームを買った記憶がある。当時は駅構内に売店があったのだ。
その後JRになってから2008年8月に乗車した。山田線が運休し、タクシーで宮古から茂市まで移動し、茂市始発の岩泉線に乗りかえた。その時の代行輸送の記事はこちら。その後土砂崩れで不通になり長らく運休していたが今から4年前に復旧することなく廃線になってしまった。
現在の駅舎は商工会か何かの事務所として利用されているが、土曜日なので休みのようだ。駅舎の中には入れないが、その脇からホームに出られた。こんな感じで線路は撤去されている。
駅前には岩泉駅開業の記念碑があり、昭和47年2月と記されている。白糠線の延長開業も同年だから田中角栄の首相就任前後で列島改造ブームに沸き、赤字ローカル線の最後の開業が立て続いたようだ。
盛岡からはレンタカーで岩手県東部の岩泉まで行く。これから乗る予定の岩泉線レールバイクは公共交通機関のみでは非常に行きにくいところにあるのだ。
駅前のトヨタレンタカーに開店と同時の8時に入り手続きをする。今回借りたのは新型プリウスだ。プリウスは今までも何回か借りたことがあるが、今回乗るのは2年前にフルモデルチェンジされた最新型で乗ったことがなかった。
私は普段はトヨタマークⅡに乗っていて、今年の車検で15年目になる。トヨタの営業マンからは車検代もかさむようになるので新車を勧められている。なかでもプリウスは燃費がいいのはもとより安全に関する装備が充実していることを力説していた。今日はそれを体験してみようと思っている。ただ今の車に特段不具合もないので当面買い換えるつもりもなく、ディーラーで試乗車に乗ってしまうと断りきれないのでレンタカーで体験してみようと思ったのだ。
カーナビで目的地を旧岩泉駅最寄りにある岩泉消防署にセットする。岩泉線は4年前に廃線になったのでカーナビには岩泉駅が入っていないと思ったからだ。ところが岩泉消防署の隣に岩泉駅が出ているではないか。駅だけでなく線路の様子まで表示されている。うれしいことにデータは更新されていないようだ。これから岩泉線の廃線巡りもやろうと思っているので好都合だ。
市内を抜けすぐに山道になる。プリウスには道路の白線を読み取り車線を逸脱しそうになると警報音で知らせてくれる仕組みが装備されている。カーブで対向車線にはみ出し気味になると警報音とディスプレイで知らせてくれた。またオプションで逸脱時にハンドルを戻してくれる装置を付けることも可能のようだ。
また前の車と一定の車間を保って走行するレーダークルーズコントロールと呼ばれる仕組みもあり、車間が開くとアクセルを踏まないのに自動的に加速していったり、前の車が減速したり停車したりすると自動的にブレーキがかかるようになっている。アクセルを踏まなくても一定の速度をキープして走行してくれるので、北海道を走る時などついついスピードを出しがちだが、これをセットしておけば速度超過の心配もない。
今回は試さなかったがアクセルとブレーキの踏み間違い防止装置も搭載されている。
そんなこんなの機能を確認しながら快適で面白い走行を楽しんだ。特にアクセルを踏まなくても一定の速度をキープしてくれる仕組みはペダルの踏み込み負担を軽減してくれ、長距離ドライブにはありがたい装備と感じた。高速でアクセルを踏みっぱなしでいるのは結構ストレスなのだ。
盛岡駅から約2時間で旧岩泉線前に到着した。
大人の休日倶楽部パスの旅PARTIIは6月30日、7月1日の日程で岩手、福島方面へと向かう。まず6時ちょうど大宮始発の臨時列車はやぶさ101号でスタートする。この列車は新函館北斗行きで、多客期のみの臨時運行となっている。大宮駅の新幹線ホームは3面6線で13番線から18番線まである。この列車は通常はあまり使用されない15番線から出発する。
15番線ホームには売店がないことやはやぶさ101号では車内販売が行われていないことを、わざわざ人を配置して注意喚起している。
このはやぶさは早朝に出発するにもかかわらずほぼ満席の状態だ。大人の休日倶楽部パスの発売期間のためかミドル層の利用が多いような気がする。
列車は定刻に大宮駅を出ると東北新幹線上り線を少し逆走し、シーサスクロッシングで東北新幹線下り線路に移る。大宮駅新幹線ホームの北側にはシーサスクロッシングが3台、片渡りのポイントが2台設置され、配線上は東北新幹線であれ上越新幹線であれどのホームにも発着できるようになっている。
宇都宮からは最高時速320kmで快走したはずだが早起きしたせいもあって私は仙台までのほとんどの区間を寝て過ごした。仙台で多少の客の入れ替わりがあったが、ほぼ満席の状態をキープしていて、盛岡には定刻7時46分に到着した。この時間に着くなら盛岡の駅前の会社ならば大宮から新幹線通勤も可能だ。
小田急新宿駅のトイレが昨年リニューアルされたのですが、その時トイレの入り口に荷物を一時的に保管してくれる「Baggageport(バゲッジポート)」という装置が設置されました。交通系ICカードが鍵代わりになって、最長30分間荷物を預かってくれます。
トイレ内にスーツケースを持ち込むのは心理的に嫌がる人も多いでしょうから、便利な設備だと思います。普通のバッグなどは床置きになるのでちょっと使いずらそうですが、他にも広がるといいと思いました。
昨日会社の帰りに新宿駅で小田急ロマンスカーLSEの最終運行を見てきました。19時15分発のホームウェイ83号片瀬江ノ島行きです。
指定券は1か月前に発売と同時に売り切れになり、ゲットできなかったので、せめて最終運行だけは見届けたかったのです。
こんな感じでまともに写真を撮ることはできません。
しかし、ホームは意外と整然としていて大きな混乱はありませんでした。定刻より3分遅れで発車しましたが、最終列車に向かってお決まりの「ありがとう!」という掛け声をかけている人はわずかでした。ロマンスカーファンは紳士のようです。
定期運行はこれが最終ですが、臨時列車として今年度末までは運行されるようなので、どこか普段乗れない線に入る列車を企画してもらいたいものです。
昔よく見ていた刑事ドラマで「大都会」があります。渡哲也、石原裕次郎主演で、「大都会」「大都会PARTⅡ」「大都会PARTⅢ」とあります。その中で今も印象に残っているのが「大都会PARTⅡ」の第51話「北九州コネクション」です。1978年3月21日の放送です。
容疑者を追って北九州までやって来た渡哲也率いる黒岩軍団は、ようやく証拠をつかみ犯人を追いつめました。その中で圧巻が犯人の乗った路面電車を全力疾走で追いかけるシーンです。最初は渡哲也、松田勇作、神田正樹、峰竜太、小野武彦、刈谷俊介の6人で追いかけますが、まず渡哲也が脱落、続いて神田正樹、小野武彦、刈谷俊介が相次いで脱落。
最後まで残った松田勇作と峰竜太が全力で西鉄北九州線の路面電車を追いかけます。松田勇作のカッコよさは「半端ない」です。峰竜太も「サル」という愛称で俊敏でした。
ようやく追いつき窓越しに犯人と格闘します。当時はこんなロケが許されていたようです。この後車内に乗り込み、犯人を取り押さえます。
西鉄北九州線は現在は廃止されていますが、かつては門司から折尾までの本線と戸畑線、枝光線に分岐する線などがあり、大都市のメインストリートを延々と30kmも走る都市交通の要の路線で、私は1983年に乗車しました。今残る路面電車は中都市域内の交通を担うものが多いですが、西鉄北九州線は路面電車がメインの交通手段だった頃の日本を思い起こさせ、懐かしさがあります。
動画もありました。古きよき昭和の雰囲気がよく伝わってきます。
メルカリで不用品を売りに出していることは以前お伝えしましたが、併せてヤフオクでも出品を始めました。それから約半年経ちましたが、その間の成果は合計123件販売し、手数料、送料などを差し引き約43,000円の利益となりました。1件あたり350円という計算になります。買ったけれども結局使わなかったものが大半で、捨てればお金にならなかったわけで、いくらかは旅費の足しになりました。
その中で一番高く売れたのが、2017年1月に東武鉄道で運行された「ブルーバード号で行く!ママ鉄豊岡真澄さんと東上線全線の旅in寄居」で参加者に配られたブルーバード号の写真入り電波時計で、3,220円の利益がありました。参加記念でもらったものですが、私にとってはあまり価値のないもので、気に入った人に高く買ってもらいよかったです。
いっぽう、一番安かったものがJR東日本発足20周年新幹線スタンプラリーの商品の「はやてスリッパ」で1円でした。これも持っていてもかさばるだけで、捨てるよりは良かった思います。
儲けようとは思いませんが、まだまだ不用品はあるので整理していこうと思っています。
大宮駅にある鉄道グッズ専門店「GENERAL STORE RAILYARD」で購入したJR貨物コンテナのマウスパッドです。国鉄時代の貨物コンテナのマウスパッドがあればなお良かったのですが残念ながらそれはありませんでした。この他に水色のコンテナのマウスパッドもありました。どちらも540円です。
その他にカシオペアのマウスパッドもありましたが、そちらは1080円でした。カシオペアのほうがブランド価値が高いようですが、私にはJR貨物のマウスパッドのほうが価値があります。
会社で使うマウスパッドにする予定です。仕事がはかどるかかえって阻害要因になるかは私次第です。
なおこのお店で買い物をしたらニューデイズでおにぎり1個が無料になるクーポンがもらえました。
水戸では15分ほどの待ち合わせでひたち22号に乗車する。常磐線の特急は以前はスーパーひたちとフレッシュひたちというペアで速達タイプがスーパーひたち、停車駅が多いのがフレッシュひたちという住み分けだったが、3年前から前者がひたち、後者がときわと改められた。
それとともに全車指定席となり自由席は廃止され、座席未指定券という制度が導入された。座席未指定券を持っている客は指定席の空いている席に座れるのだが、どの席が空いているかが網棚の下のランプで示されているのだ。普通列車のグリーン車と同じようなランプが網棚の下に設けられていてグリーン車の場合は自分でスイカをタッチするとランプの色が変わるが、こちらはタッチ不要で指定券の発売状況に応じてランプの色が自動的に変わる仕組みになっている。
発売済みの席は緑で、未発売の席は赤となっている。座席未指定券を持っている人は指定券が発売されていない赤ランプの席に座ればいい。赤ランプの席に座っていると車掌が来て特急券の確認が行われ、緑ランプの下に座っていれば検札は省略される。しかも赤ランプの席に座っていて次の駅から指定券を持った人が乗ってくる場合はランプが黄色に変わり誰かが乗ってくることがあらかじめ分かるようになっている。したがって黄色のランプの下に座っている人は他の席に移動しなければならないことが分かる。
列車に乗り込み、自分の席を探すと緑のランプが点いている。その隣のランプは赤なので指定券が売れていないことが分かる。この列車は水戸を出ると上野まで停まらないので、これから1時間ちょっとの間1人で2人分の席を占領できるのが分かる。なかなか便利だ。
水戸発は17時27分でまだ夕食には早いが今日の目的は全て達成したので、ビールと駅弁で夕食とする。鳥料理を中心とした茨城の食材のお弁当でビールのつまみにもよく合うお弁当だった。
E657系に乗るのは初めてだが、快適な走行で上野まで1時間10分で走破し表定速度はちょうど時速100kmだった。
これで「2018年大人の休日倶楽部パスの旅PARTⅠ」を終わります。
磐城棚倉の駅前は小さくバスは駅の真ん前に横付けされると同時にこれから乗る水郡線の列車がホームに進入してくるのが見えた。高校生3人がたて続けに運賃を支払い私もそれに続いた。高校生がダッシュし、私もその後を追う。ホームは島式で跨線橋を渡らねばならない。高校生は1段抜かしで階段を駆け上がっていく。あっという間に差が開いてしまった。階段を駆け上がるだけで体力を100%消費してしまった。脚が上がらず走れない状態だ。高校生はとっくに私の視界から消えている。
フラフラと跨線橋を下りていくと下車した客が階段を上がってきた。もうダメかと諦めかけたが、なんとか車掌の目に止まり、列車に間に合った。幸いにも転倒するようなことはなかった。こんなところで転んで大ケガをしたらミスターOH氏の笑いものだ。駆け込み乗車はいけないのだが、これを逃すと2時間待ちだったので私も必死だった。席に着いてからもしばらくは息が荒かった。
これがその跨線橋。私が何とか乗り込んだ車両はキハE130の2両編成でエンジン音がかなりうるさい。そんなエンジン音とは裏腹にのどかな那珂川に沿ったり離れたりしながら、約1時間ほどで常陸大子駅に到着した。この列車はこの駅が終点で、ここから先は20分ほどの待ち合わせで水戸行きに乗り換える。少し時間があるのでいったん改札を出てみる。
駅前にはC11が静態保存されている。1938年日車名古屋工場の製造で大半が九州の機関区に所属していたが、引退の数年前に水郡線に移ってきたようだ。かなりの遠隔地転勤だ。
駅舎の一角は本来は商売がたきであるはずのデイリーヤマザキの店舗になっている。JR東日本の駅にもかかわらずニューデイズではないのだ。ここではニューデイズも採算が取れないのだろう。
常陸大子駅からの列車は4両編成で私の車両は客は私だけだった。その後水戸駅に近づくにつれて少しずつ客は増えていき定刻17時14分水戸駅に到着した。
新白河で下車し、JRバスで磐城棚倉に向かう。白河と磐城棚倉の間にはかつて白棚線という鉄道省の路線があったが1944年に廃止され、その廃線跡を利用して1957年に国鉄バスの白棚線として生まれ変わった。 かつては廃線跡を走る区間も多かったが周辺道路の整備に伴い、現在では関辺・磐城金山間と表郷庁舎前・三森間のみが専用道区間となっている。
新白河発の14時ちょうどの磐城棚倉行きに乗車した。このバスは白河始発なのですでに下校の高校生などで満席となっていた。私は1番前に立って前方を眺めることにした。最初はしばらく一般道路を走り、関辺で右折して専用道路に入った。
道路の幅は車1台しかなくところどころにすれ違いスペースが設けられている。路線廃止から70年以上経っているので遺構らしきものは全く見られない。
路面の整備が十分でないらしく一般道路よりも揺れが大きい。そんな中をバスは時速60kmくらいで進行する。この路線ができた1957年頃は一般道路の整備の方が遅れており、専用道路を速いスピードで走るこのバスは高速バスでもないのに「白棚高速線」と呼ばれていたが、今は周辺道路のほうが快適そうだ。
しかし、細く長く続く路面を見ていると戦前の白棚線の時代に想いを馳せることができる。
ところで専用道路を走るこのバスは一般には定時運行ができそうに思われるが私が乗った便は高校生の利用も多く乗降に時間がかかり、途中のバス停で最大10分の遅れになっていた。私はこれからこのバスの終点で水郡線に乗り換えるのだが、乗換時間は8分しかない。それに乗り遅れると2時間待ちになってしまうのだ。同乗の高校生も「ヤバくない」と言っている。ヤキモキしながらバスは8分遅れの14時50分に磐城棚倉駅前に到着した。これから乗る水郡線の発車も14時50分なのである。
郡山からは13時39分発のなすの276号で新白河に向かう。郡山駅の新幹線ホームは2面5線の構成で下りホームは島式で両側に線路があり、中線2本が通過線、上りホームは1面1線となっている。上り列車は基本的に上りホームから出発するのだが、郡山始発の上りなすの号だけは下りホーム11番線から発車するようになっている。
郡山始発のなすの号は1日に何本かあり、階段脇に乗り間違え防止の注意喚起がなされている。
なすの号はE5系でガラガラの状態で発車した。進行方向左側に座り合流の様子を確認する。ポイントをすぐに渡り終え、上り線に合流した。
新白河にはわずか13分で到着する。ガラガラと思っていた車両からはおよそ30人くらいが下車した。意外と短区間の利用者が多い。高校生の利用者もいた。
新潟駅に戻り、ここから郡山に向かう。まず9時19分発の会津若松行きに乗車する。2番線ホームからの発車だ。新潟駅はまだ高架化工事が完了しておらず、現在はこの2番線ホームが一番端になっているが、今後8番線、9番線が高架化され、2番線ホームの隣に設置されるようだ。ホームの屋根が仮の屋根なので、折りからの雨の打ち付ける音が響いている。
車両はキハ110の3両編成で座席の半分が埋まる程度の乗車だ。
新津に着くと隣のホームが四季島が停車していた。ホームでは何かセレモニーが行われている。
新津からは磐越西線に入る。磐越西線の新津-喜多方間に乗るのは23年ぶりだ。
五泉では蒲原鉄道線の廃線跡でも見えるかと目を凝らしたが何も見えなかった。蒲原鉄道には1983年の8月に乗りにきた。
Suicaの利用エリアの端にある五泉を過ぎ乗客もぐっと減って阿賀野川沿いを上っていく。今日の新潟地方はあいにくの雨模様だが、水面に靄が漂い幻想的な風景になっている。車内は1両に10人は乗っていない寂しい状況だが、こういうガラ空きのローカル線でワンボックスを占領し前の席に足を伸ばせるのは最高だ。グリーン車に乗るよりもよっぽどぜいたくを味わえる。
会津若松には11時54分に到着し、隣のホームに停車している郡山行きに乗り換える。2両編成でワンマン運転になっている。客が意外と多く、座席はほぼ埋まり立ち客も出る状況だった。電車で乗り心地も良く、大半の区間を寝て過ごし、郡山には13時11分に到着した。
いなほ1号は8時22分に新潟駅を発車した。右手には車両基地へ通じる新幹線の高架橋が続く。
いなほ1号は8時35分に豊栄駅に着く。私の主目的は終わったので、ここから8時47分発の電車で新潟駅に戻る。
新潟駅の一部高架化は今年4月に行われ、その際の工事関連ダイヤで、白新線上り線で東新潟駅を通らず、大形駅から新潟貨物ターミナル、上沼垂信号場を経由し、新潟駅に入る列車が運行されていたようだが気付かずにいた。当ブログにコメントをいただく「ふぉ」様の動画で知った次第だ。高架化に伴う運転変更があるのは認識していたが、そこまで読み込んでいなかった。高架化工事はもう1回あるはずなので、その時に同様の列車が運行されることを期待する。
再び新潟駅に到着した。在来線側から新幹線ホームを眺めた様子。
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