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2018年6月 1日 (金)

愛岐トンネルと明知鉄道の旅(急行大正ロマン1号)

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 私が乗る列車は恵那発12時25分の『急行大正ロマン1号』で1両編成だったが、日によっては食事のできる車両を増結して2両編成で運行されることもあるらしい。大正ロマン号と名付けられているのは終点の明智駅が大正時代の街並みで知られるからだが、列車自体は特に変わりはなく、ロングシートのみの構成になっている。立ち客でいっぱいになるほどの混雑で、私は運転席の後ろで前方を眺めた。通常の鉄道はドアを閉め警笛を鳴らしてから発車するが、ここはまず警笛を鳴らしてからドアを閉めそれから発車した。こういう手順は珍しい。

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 国鉄時代にはあった中央本線との渡り線は撤去されているようだ。駅を出るといきなり上り勾配が始まり、それが延々と続いた。前回乗った時の沿線の記憶が全くないのだが、こんな急勾配路線とは知らなかった。時速はせいぜい30km程度だ。

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 そのせいかこの線と交差する踏切は遮断機も警報機もないものが多かった。

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 途中の岩村で対向列車と行き違うとともに、大半の客は下車した。岩村は城下町として知られ、実践女子学園の創設者下田歌子の生地でもあるようだ。下車客は多かったが、乗る客もそこそこいて、私は引き続き先頭で前を眺めることにした。

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 このようなのどかな景色が続く。

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 終点の明智駅には13時19分に到着した。小1時間の退屈しない乗車だった。

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