愛岐トンネルと明知鉄道の旅(明知鉄道)
恵那に11時55分に到着し明知鉄道に乗り換える。明知鉄道はその昔は国鉄明知線で私は国鉄時代の1984年に初乗りし、明知鉄道になってからは1989年2月24日金曜日に乗った。この日は昭和天皇の大喪の礼で急きょ休日となった。
当時の青春18切符は春季分が2月20日から使用できたのでそれを利用して乗りにきた。大喪の礼の日で国民は喪に服していたので利用者は少なかったが、私はそんな時でも乗り鉄の旅に出ていた。明知鉄道に乗り終えた後は愛知環状鉄道に初乗りし、その後大垣夜行の折り返しで東京に戻ったが、ワンボックスを1人で占領できるほどの乗車だった。そんな思い出のある明知鉄道で、約30年ぶりの乗車となるわけだ。
明知鉄道の駅はJRの隣にあり、券売機1台、窓口1つのこじんまりした駅だ。一日乗車券を買おうと窓口で声をかけるが老齢の窓口氏は帳簿の整理に忙しく「少々お待ちください」と言ったまま自分の仕事を続けている。
ようやく仕事が終わり、一日乗車券と硬券入場券を買うと、たった2枚の切符なのに運賃計算にあたふたしパニックになっていた。私の後ろには既に10人くらいの行列ができていたので窓口氏は大丈夫だったろうか。一日乗車券は岐阜県出身者が主人公の設定のNHKの連続テレビ小説「半分、青い」にちなむものだった。
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