ただいまの時間

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

『ミスターKの乗り鉄日記』の過去の記事はここから調べられます

ミスターKの乗り鉄旅日記ランキング

アクセス情報

無料ブログはココログ

« 2017年5月 | トップページ

2017年6月

2017年6月23日 (金)

納涼ビール電車

201705240932086835201705161115386968

 長崎電気軌道では「納涼ビール電車」を運行しています。この電車も昨日の岡山電気軌道と同様にトイレ休憩で浦上車庫に入線するのではないかと思われます。ビール電車にトイレ休憩は付きもののようです。休憩にはある程度の時間を要するので臨時電車を本線上に停車させるわけにもいかないので、こういった対応が必要なのでしょう。今夏の募集はすでに終了しているようで、とても人気のあるイベント列車のようです。これにもいつか乗ってみたいと思います。

2017年6月22日 (木)

MOMO de ビアガー電

Beergarden2017

岡山電気軌道ではビール電車「MOMO de ビアガー電」を運行しています。このチラシだけだとよくわからないのですが、リンクをたどっていくと、どうやらこの電車はトイレ休憩と車庫内の見学のため、乗客を乗せたまま車庫内に入るようです。これに乗れば普段は乗れない路線に乗れるのではないかと思われます。乗り鉄と呑み鉄の両方を満足させる電車で、いつか乗ってみたくなりました。

 

2017年6月21日 (水)

トラベラーズファクトリー

7781_r_2

 東京駅丸の内口地下で見つけたお店です。以前動輪の広場があったところに新しく物販施設ができていました。

7786_r

その中でトラベラーズファクトリーという店に寄ってみました。東京駅や北斗星、アメリカの機関車などをモチーフにした鉄道関連の小洒落たグッズが販売されています。

7788_r

 東京駅の巾着袋です。旅行グッズを入れるのにちょうど良さそうです。

2017年6月20日 (火)

国鉄コンテナ型ラバーパスケース

7772_r

 大宮駅の「ジェネラルストアレイルヤード」で買った国鉄コンテナ型ラバーパスケースです。JNRマークや「戸口から戸口へ」というフレーズも懐かしいです。国鉄分割民営化から今年で30年ですが、今も国鉄は人気です。

 鉄道趣味の中でも、乗り鉄や撮り鉄といったジャンルの他に、「国鉄」というジャンルもあるようです。昔懐かしい国鉄型の車両や国鉄時代のグッズを懐かしむ人々を言うようです。私もかなり「国鉄」の要素が強いかもしれません。レトロな昭和を懐かしむ風潮と通じるところがあるかもしれません。

 このパスケースもE5系やトワイライトエクスプレスの他に489系や583系もあったので、まさに「国鉄」です。

 値段は1300円もするのでちょっとお高いかもしれませんが、通勤が楽しくなることは間違いありません。

2017年6月19日 (月)

東北新幹線開業35周年硬券ラリー

7773_r_4

 大宮駅では東北新幹線開業35周年に併せて、硬券ラリーが開催されています。大宮駅周辺の店舗13ヶ所で無料で配られているレプリカの硬券乗車券を集めて回るイベントです。6月17日から25日まで開催されているのでさっそく行ってきました。

7774_r_2

 コンコース西寄りにある「ジェネラルストアレールヤード」で台紙をもらい、各店舗を回って硬券をもらってきます。日付は全て「29.6.23」となっています。あらかじめ印刷されているのですが、ダッチングマシーンと同じ字体でよくできています。また切符の地紋は硬券を配ってある場所にちなんでいて、たとえば高島屋で配っている硬券は高島屋の地紋になっています。

7775_r

 裏側も配布場所に関連する図柄になっています。

 この硬券ラリーは店舗によっては配布される日が限定されているので、最低3日に分けて回らないとコンプリートしないようになっているので注意が必要です。

 またマルイではエポスカードを持っていると記念ポストカードがもらえるのですが、たまたま持参しておらずもらうことができませんでしたが、これから行く人は忘れずに持っていってください。

 この日10枚集めましたが、約1時間ほどでした。ちょっとした運動になるので皆さまもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

 



2017年6月18日 (日)

対星館ケーブルカー乗車券

3396

 おととい対星館のスロープカーの廃線跡についてご紹介しましたが、こんな乗車券が出てきました。対星館のケーブルカーの乗車券です。厳密に言うと乗車券ではなく、対星館にあった足湯・庭園散策の利用券ですが、ケーブルカーに乗らないと足湯や庭園散策ができないので、実質的に乗車券と行って良いでしょう。ただ乗車券と言ってしまうと、運賃を取って乗客を乗せることになり鉄道営業法違反となってしまうのであくまで利用券なのです。

 1000円でケーブルカーに乗れるのが高いのか安いのかは判断の分かれるところかもしれませんが、足湯の利用券としてはとても高いでしょう。

 当日限り有効とありますが、発行日が記されておらず、これではいつでも利用できそうです。実際に乗ったのは2005年12月24日でした。

 

2017年6月17日 (土)

東北新幹線開業35周年

2_32

 東北新幹線は今年の6月23日で開業35周年となります。当時はまだ東京-大宮間が工事中で大宮が始発でした。上野と大宮の間は185系の新幹線リレー号が30分間隔で運行され、原則として新幹線利用者のみが利用できることになっていたのですが実際には一般の客も利用していました。途中駅ノンストップの特急車両に普通運賃だけで乗れるので大盤振る舞いの列車でした。

 私が東北新幹線に初めて乗ったのはその翌年の2月、北海道からの帰りでした。札幌20時ちょうど発の北斗8号、青函連絡船羊蹄丸、はつかり2号と乗り継ぎ、盛岡には翌朝の7時15分に到着しました。12時間近くかかったわけです。

 この写真は盛岡駅に入線する8時30分発のやまびこ14号です。今はなき200系です。E5系などから比べるとずいぶん丸っこい車両ですが、これでも0系よりはボンネットが長くて高かったので、「ロングノーズの鼻高美人」と呼ばれたものです。3人がけの席はまだ回転しないタイプで、車両の中央部を境に背中合わせで座る集団離反型の座席配置でした。

 盛岡-大宮間は3時間17分もかかりました。仙台までの各駅と福島、郡山、宇都宮に停車したからですが、今は1時間45分くらいで走るので驚きです。

2017年6月16日 (金)

対星館スロープカー廃線跡

Stai1

 箱根の宮ノ下の対星館にあったケーブルカーです。谷底にあった旅館までこのケーブルカーで下っていきました。このケーブルカーは老朽化に伴って、数年前にスロープカーに取り替えられました。

Dsc01176_r_2

 ところが残念なことにその後旅館自体が休業してしまいました。リニューアルオープンの噂はあるようですが、再開の話は聞こえてきません。

 対星館の隣のホテルから見えたスロープカーです。旅館の休業とともにスロープカーの運行も停止したのですが、車両自体は山上駅に停車したままでした。山下駅に停車させていたほうが転落の危険もなく何かの時に安全なような気がしますが、どういう事情かこのような状態でした。

7034_r

 真上から眺めたスロープカーの廃線跡です。1本のレールが谷底へと続いています。旅館が早く復活して、このスロープカーに乗れる時が来るのが楽しみです。

2017年6月15日 (木)

福知山線脱線事故で歴代社長に無罪判決

Trvell_067

 

 20054月に発生した福知山線の列車脱線事故で、歴代の社長3人が業務上過失致死傷罪で起訴されていた事件で無罪が確定されました。乗客106人の命が奪われるという痛ましい事故にもかかわらず、誰ひとり刑事責任を問われない結果となりました。必要な注意義務を社長が怠っていたかという法律上の議論になると今回の結末は予想されたものですが、遺族にしてみれば何ともやりきれない結論だと思います。 

 

 私は事故発生後3ヶ月ほどしてから現地を訪れてきました。その時点では事故現場は片付けられ事故の様子をうかがい知ることはできませんでしたが、献花台が備えられ、そこで黙祷を捧げてきました。 

 

 あれから12年、日々鉄道を利用し、鉄道を趣味とするものとして、事故の犠牲者のご冥福を祈りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

2017年6月14日 (水)

釧路・根室の簡易軌道

Img_3809_r_2

 昨年から釧路市立博物館で「釧路・根室の簡易軌道」展が開催されていました。簡易軌道とは、北海道で春の融雪期に道路がどろどろになり、交通が困難な状況になるのを打開するために敷設された鉄道で、戦前は内務省北海道庁(国)が所管し、「殖民軌道」と呼ばれました。1924(大正13)年に厚床~中標津が開通、その後、釧路・根室地方では鶴居、標茶、浜中、別海の各町・村営軌道が敷設されました。

 当初はレールの上を馬が車両を引くものでしたが、その後ディーゼル機関車やガソリンカーの運行も行われました。

 戦後は運輸省ではなく農林省が所管することになったことからも分かるように、いわゆる鉄道や軌道とは異なり、農地の開拓や農作物の輸送のための輸送機関という位置付だったようです。

 本書はその記録集で、おそらく展示の内容を1冊の本に凝縮したものと思われます。全135ページに及ぶ力作で、各種の資料や写真、関係者の証言などで構成され、昭和30年代、40年代の写真もカラーが多く、とても貴重です。この内容で値段が750円と安いのも驚きです。

 私はこの記録集を「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」に参加した際、案内人の星さんから買い求めました。星さんはこの記録集の編者にもなっています。

Dsc00398_r

 私は昨年の北海道旅行の時、鶴居村営軌道の車両を見かけましたが、まだ他にも当時の簡易軌道の面影が一部に残っているところもあるようなので、機会があればそういったものも見てみたいと思いました。

2017年6月13日 (火)

トレインビューレストラン

Img_3793_r

 大宮駅西口JACK大宮ビルの18階にある中国料理レストラン「東天紅」からの眺めです。大宮駅屋上駐車場と、その南側に伸びる新幹線と在来線の線路が一望できます。

 ちょっと距離がありますが、駅に発着する列車が見えて飽きないポジションです。E7系は屋根が青く塗られているので、ここからもよくわかりました。

 

 

 

2017年6月12日 (月)

コンプリート「エビスビールエル特急ヘッドマークチャーム」

Img_3796_r

 以前ご紹介した「エビスビールエル特急ヘッドマークチャーム」がコンプリートしました。全部で18種類あります。当初は全部集めるつもりはなかったのですが、勤務先の人から半分くらいもらい、その時にお礼を言った時にうっかり「全部集めようと思っているんですよ、助かります」などと言ったら、その人からその後進捗状況の質問を受けるように結局全部集めることになりました。

 エル特急の絵入りヘッドマークは1978年10月のダイヤ改正の時に、後にJR東海の社長になる須田寛さんの発案で始まったもので、それまでは単に列車名が黒い文字だけで表示されているだけでした。当時の車両は電車だと485系が大半で、今となっては懐かしい車両ですが、全国どこに行っても似たような車両ばかりで、こうした絵入りのヘッドマークが、車両に変化をもたらしていました。

 今回のラインナップに入っていない列車もあるので次回を期待したいものです。

 

2017年6月11日 (日)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​終りに)

7693_r

 やまかんでの夕食を終えた我々は公民館前からバスに乗り込む。ここで白糠町役場の方と別れる。今日一日我々のツアーを支えていただき感謝だ。ここから釧路空港へと向かう。

 空港には18時10分ころに到着した。今回のツアーは基本は2日間だが、もう1日フリーで滞在することもできて、そういう人が2名いた。私もそうしたかったが、月曜に休みを取ると周囲からひんしゅくを買いそうなのでやめておいた。

 ANA総研の方の話では空港で厚岸のおいしいソフトクリームが食べられるとの話だったが、先ほどのやまかんさんで食べすぎて別腹にも入りそうもない。次回の楽しみにしようと思う。

 乗る飛行機は19時10分発のエアドゥ74便で1時間ほどある。釧路空港にもラウンジがあり利用しようと思ったのだが、羽田のようにゴールドカード利用者やプレミアムクラス利用者が無料で利用できるものではなく、誰でもお金を払って利用する方法しかないという珍しいタイプだった。利用料は1人500円となっているから羽田の半額だ。

 帰りの飛行機もほぼ満席だったが、後ろから2列めに座った私の隣だけ運良く空席で3人がけをひとりで占領できた。とっくに日没時刻は過ぎているが西の空にはかすかに夕焼けが見えている。

 帰りの飛行機では、やまかんさんで飲んだビールと焼酎のおかげで爆睡し、機内のドリンクサービスも気づかなかった。

 

 

 これで「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」を終ります。今回の旅行では、私の念願の白糠線廃線ウォークに参加できたことが一番の収穫でしたが、各地の見学場所で接した多くの人がそれぞれ皆親切で分かりやすい説明をしてくれたり、地元のことを多くの人に知ってもらおうと休日返上で応対してくれたりして、本当に熱い思いを感じました。ツアーの参加者は少なかったですが、内容は濃く、良いツアーに参加できたと思います。

 なお今回のツアーに参加されたニーコさんという方が旅行記をアップされています。私のような説明口調のブログではなく、旅の楽しさがそのまま伝わるような旅行記で、そちらもぜひお読みいただければと思います。

 また、釧路製作所を訪問した際の様子が同社のHPに掲載されていましたので併せてご紹介いたします。

2017年6月10日 (土)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​やまかん)

7680_r

 今回のツアーは夕食付きになっている。白糠の水産加工会社が運営する「やまかん」というお店で、なかなか予約が取れないらしい。それもそのはず完全予約制で1日に一組しか入れないそうだ。したがって今日は我々一行だけの利用となる。16時半ころに着いたのでかなり早めの夕食になる。

 店内は最大60人が入れる大部屋一つだけで、床は体育館のような板張りになっている。その広い大広間の中央部にポツンと我々用のテーブルが用意されている。

 まずはお刺身の盛り合わせ。マグロ、ホタテ、タコなどがあるが、特にサバがおいしく、私はたぶん他の人の分まで食べてしまったに違いない。

7682_r

 続いて海鮮鍋。キンキ、あさり、カキなどが入ってダシがきいていておいしい。

7683_r

 こちらはウニの茶碗蒸し。上にウニが乗っているだけでなく、茶碗蒸し自体もウニ色をしている。クリミーな味わいでプリンのようだ。こんな茶碗蒸しは今まで食べたことがない。

7685_r

 こちらは白糠産のシシャモ。白糠沖は暖流と寒流が交わるところで、いいシシャモが取れるらしい。我々が普段食べているのは実はシシャモではなく、たいていがカラフトシシャモというシシャモに似ているが全く別の種類の魚らしい。ANA総研の方は、白糠産シシャモをもっと積極的にアピールすることを求めていたが、そのとおりだろう。一つは普通にいただき、もう一つはチーズが乗っている。こういう食べ方は初めてだ。どちらも頭から丸ごと食べられる。

7686_r

 こちらは白糠のシソ焼酎鍛高譚。シソの香りがさわやかだ。町役場の人が我々のためにと差し入れてくれたもので、これまた一民間のツアーの参加者に対して破格の待遇だ。

7684_r

 締めはいくらご飯。ホカホカご飯で、これも最高だ。新鮮な海鮮料理に皆満足し、満腹になつた。

 

2017年6月 9日 (金)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​道の駅しらぬか恋問まで)

Dsc00495_r

 白糠線の北進駅を後に帰路へ着く。白糠町中心部に戻る国道沿いに「酪恵舎」というチーズ工房があり、そこに立ち寄る。店の入口が閉まっていて、用のある方は電話してくださいとの表示。町役場の方が電話すると2分くらいで担当者がやって来た。常時客が来るわけではなさそうなので、普段は工房にいるのだろう。我々一行はここでお土産用のチーズを買い求めた。

 白糠駅で案内人の星さんがこれから別の仕事があるとのことで下車した。地元の鉄道に関する知識が豊富なことはもとより、行政などと接点を持ちながら、鉄道を通じた町の紹介、発展をサポートされていて、本業多忙な中、本当に頭の下がる思いで、単に鉄道や廃線跡を歩いて楽しんでいる私などは、星さんを見習いたいと思った次第だ。

 星さんはFM釧路で鉄道番組も担当されていて、ポッドキャストで聴けるのでぜひこちらもお楽しみください。

Dsc00500_r

 白糠駅で星さんと別れた我々は白糠町の西庶路コミュニティーセンターに立ち寄った。

Dsc00499_r

 ここには白糠炭田石炭資料室があり、白糠炭田の歴史を知ることができる。しっかりした内容だが、ネット上ではヒットしない施設で、せめて白糠町のホームページには載せてもらいたいものだ。

Dsc00501_r

 その後は道の駅しらぬか恋問に立ち寄り、そこでお土産タイムとなる。私は先ほどの酪恵舎でチーズを買ったのだが、ここでも追加で購入した。それから白糠産の焼酎鍛高譚も買った。

Dsc00502_r

 道の駅の裏手にはなだらかな海岸線が広がるが、風は強いので長くは見ていられなかった。

2017年6月 8日 (木)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​北進駅)

Dsc00451_r

 上茶路駅から再びバスで移動した我々はかつての北進駅があった近くにやって来た。私が8年前に来た時は白糠町二股のT字路のバス停付近を捜索したのだが結局駅跡を見つけられなかった。実際はそこからもっと東に行き、砂利道のS字カーブを下った谷底にあった。集落の中心部から10分ほど歩いたところで地元の人も坂の上り下りで不便だっただろう。この先足寄方面へ線路を伸ばす計画だったから、それを踏まえての駅配置だったのかもしれない。

Dsc00457_r

 開業当時の写真などを総合的に勘案するとこの位置が北進駅跡になるようだ。宮脇俊三さんが時刻表2万キロの中で「コンクリートの片面ホームと片屋根の物置があるだけの駅で、人家もなにもない」と書いているとおり当時ですら何もなかったから、廃線から34年も経てばそのホームや物置はおろか、線路、まくらぎ、バラストなども跡形もなくなっている。

Dsc00459_r

 草むらのなかに境界標がひとつだけ見つかった。「工」の表示があるから鉄道関連の標識に間違いない。

Dsc00461_r

 廃線跡らしい未舗装路が南に向かって伸びているのでみんなで進んでみる。道幅は単線にしては意外と広い。

Dsc00463_r

 第23茶路川橋りょうが現れた。橋りょうはコンクリートで舗装されていて両側に手すりもあるので歩くのに問題はない。

Dsc00464_r

 橋の上からはきれいな景色が広がっていて、本当に気持ちのいいウォークだ。数日前の天気予報では今日は雨だったのが信じられないほどの好天になっている。

Dsc00466_r_2

 手前のオレンジの服の人がANAセールスの添乗員の方で、先月下見に来たときには吹雪いて何も見つけられなかったでの今回どうなるかと不安だったと言っていたが、駅跡を見つけられてホッとしていた。

 私も廃線跡とは言え乗り損なった白糠線跡を歩くことができて、34年間の無念さもようやく晴れて本当に満足できた。

 白糠線の廃線跡は今でも多くの橋りょうやトンネルが残っていて、自然も豊かで穏やかな地域なので廃線と自然の両方を満喫できる施設や取り組みができれれば、きっと白糠町の活性化にもつながるだろう。

2017年6月 7日 (水)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​上茶路駅での昼食)

Dsc00406_r

 上茶路駅ホームでの記念撮影を終え、ちょうどお昼時となった。道の駅「しらぬか恋問」で販売されている北海道の道の駅の駅弁第1号に認定された「この豚丼」を食べる。白糠町役場の人が我々のためにホカホカのできたてをわざわざ運んできてくれたのだ。一民間ツアーのお弁当を役場の人が運んでくれるとは都会では考えられないことだ。

Dsc00407_r

 私は駅構内の線路に腰を掛けて食べた。大ぶりの豚肉3枚に専用のタレと漬物がついているだけのシンプルな弁当だが、炭火焼きの肉と甘口のタレがとてもおいしかった。

Dsc00424_r

 食後は腹ごなしを兼ねて上茶路駅周辺の廃線跡を散策する。このあたりは線路が撤去されずにそのまま残っている。40キロレールが使用されているから結構しっかりしている。10年ほど前には何者かがこの周辺のレールの一部を持ち去る事件があり星さんは自分がその犯人に疑われかけたと笑っていた。

Dsc00427_r

 自然の中にいい感じで残っている線路だから、これを白糠町の活性化につなげられないだろうかと思う。

Dsc00429_r

 キロポストも残っていて25.5kmを示しているから、上茶路駅から300mほど北進寄りの位置になる。上茶路から先の区間は1972年に開業したが鉄道建設公団により工事はすでにその数年前に完成していた。当時「赤字83線」と呼ばれた既存ローカル線廃止が問題になっていて、開業しても赤字が増えるだけなので国鉄が引き受けを拒んでいたところ、佐藤内閣が退陣し田中内閣が誕生すると運輸大臣に北海道出身者が就任しわずか一週間で開業認可が下り、その2ヶ月後には北進まで延長開業した。さすがは田中角栄だ。いい悪いは別にしてこういう実行力がある政治家は今はいない。

Dsc00438_r

 お昼休みが終り、上茶路駅を後にする。駅が廃止になっても駅に通じる道は「道道上茶路上茶路停車場線」となっていた。

2017年6月 6日 (火)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​上茶路駅まで)

​  再びバスに乗り込み少し行ったところからまた廃線ウォークが再開する。

Dsc00368_r

 今度はコンクリート橋で直下が見えないので怖さは少ないが、片側はサイドに手すりがないからあまり端に寄ると危ない。橋の上には鹿の骨があったり、動物のフンがあったりで、意外と野趣に富んでいる。

Dsc00372_r

 カーブをしながら道路と茶路川をまたぐ。

Dsc00384_r

 コンクリート橋を渡り終えると上茶路駅構内に入り、信号機や信号装置の跡が現れる。

Dsc00385_r

 この辺りは線路が残っていた。以前ここで廃線跡に乗れるトロッコが運行されていてその名残りらしい。レールや路盤はまだしっかりしているから、雑草を刈り取ってうまく整備すれば再びトロッコを楽しめそうでこのままにしておくのはもったいない。

Dsc00435_r

 上茶路駅に到着。白糠線は開業から8年間はここが終点だった。旅客用ホームは1面2線の島式でこの他に貨物用ホームが別にあったが、それは残っていない。今は樹木がうっそうと繁るだけのところだが、かつては炭鉱関係者などがこの周辺に住み、250戸ほどの集落を形成していたとのこと。ホームは頑丈にできていて我々全員がここに乗ってもビクともしない。このホーム上で駅名標をバックに全員の集合写真を撮った。撮影はANAセールス、白糠町役場、釧路新聞社によって行われ、それぞれの報告書などに添付されたようだ。

Dsc00402_r

 ホームに残る駅名標は数年前に盗まれて作り直したもので今回のようなイベントのときだけ町役場の人が設置するとのこと。

2017年6月 5日 (月)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(第7茶路川橋りょう)

Dsc00339_r

 トンネルを抜けてしばらく廃線跡を進んでいく。一部ぬかったところがあり、それを避けて歩く。舗装道路がない時代は雪解けの時期になるともっとひどい状態だったはずで、物資の輸送に苦労したことが容易に想像される。やはりインフラの整備は産業発展の要だ。

Dsc00342_r

 ここから茶路川にかかる第7茶路川橋りょうを渡る。白糠線はコンクリート橋が多いがここは鉄橋だ。昭和34年竣工とあるから完成してから開業まで5年間も待たされたようだ。竣工は昭和34年なのに昭和39年に設立された日本鉄道建設公団のプレートが添付されていた。

Dsc00346_r

 レールは撤去されまくらぎは朽ち果てている。我々が歩くところは線路上ではなく、その脇にある保線作業員などが通行する部分だ。路面は網目状になっていて下が透けて見えている。昨年明石海峡大橋を渡ったときよりも脇の手すりもずっと低いので、こちらのほうが転落の可能性がはるかに高い。

Dsc00350_r

 そんな鉄橋を渡り終えホッとし、斜面を上がると道路上から今渡った橋を見下ろせるところに来た。

Dsc00362_r

 いい鉄道写真が撮れそうなお立ち台だが、この道路は白糠線が廃線になった後にできたから、残念ながら現役時代にはここから写真を撮ることはできなかった。

2017年6月 4日 (日)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​縫別トンネル)

​  白糠インターからバスで少し行ったところにある縫別トンネルからいよいよ廃線ウォークがスタートする。

Dsc00308_r

 まず牧草地の中を歩き築堤を上る。牧草地は私有地なので今回のために所有者の許可を得ている。

Dsc00309_r

 鍵付きの鹿よけフェンスを開けて中に入る。

Dsc00310_r

 星さんの話ではこの時期は地面が雪解けでぬかっていることもなく、かと言って雑草も少ないので、北海道の廃線ウォークとしては一番歩きやすいとのこと。確かにその通りだ。それにこの日は気温は低いが、雨や風がなく日差しも弱いのもウォークにとっては好条件だ。

Dsc00311_r

 縫別トンネルに入る。長さ500mほどと短いが途中でカーブしているので少し歩くと中は真っ暗に近くなる。持参の懐中電灯で照らして歩く。この辺りの勾配は1000分の12.5くらいなので緩やかだ。白糠線は蒸気機関車も走っていたが勾配も緩やかなので、星さんが聞いた先輩たちの話では運転での苦労は少なかったとのこと。

Dsc00315_r

 線路やバラストは撤去されている。懐中電灯に照らされて地面がキラキラ光って見えるが、これは地面が凍結しているためらしい。

Dsc00324_r

Dsc00323_r

 トンネルの天井が一部剥落してコンクリートの大きな塊が落ちているところがありヘルメットは必須だ。というよりこんなものが落ちてきたらヘルメットがあっても助からないだろう。

Dsc00327_r

 地圧によってトンネルの側面が内側に膨らんでヒビ割れしているところもあり、自然の威力に驚かされる。廃線トンネルを歩ける今回のような機会は珍しいが、トンネルのメンテナンスは大変そうだから、このトンネルを歩けるのもそう長くはないかもしれない。

Dsc00332_r

 トンネルを抜け出たところ。廃線から34年経過し苔むしたトンネル出口を眺め、一同感慨深く現役時代に思いを馳せる。

2017年6月 3日 (土)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(縫別トンネルまで)

Dsc00283_r

Dsc00293_r

Dsc00300_r

 白糠駅を出発し根室本線をまたぎ進路を北に取る。すると右窓に白糠線の築堤やトンネル、橋梁などが続々と見えてきた。白糠線は昭和39年開業なので基本的には踏切はほとんどなく道路と立体交差になっている。コンクリート橋も多く見え、まだ国鉄が黒字だった時代に計画された線のためか意外とぜいたくな構造になっている。

 白糠線はまず上茶路まで開業したが、その当時は上茶路炭鉱からの石炭輸送が大きな役割だった。昨日紹介した白糠線の開業ポスターにも「開発の動脈」というフレーズが見える。

 この白糠はあまり知られてはいないが石炭の産地として歴史が古く、石炭岬という地名もある。1854年に日米和親条約が締結され下田、函館の2港が開港し、そこで米国船へ薪水、食料、石炭などの供給が始まったが、函館において提供された石炭がこの白糠の石炭だったのだ。ここから海路で函館まで運んだらしい。一方下田港で提供された石炭はどこのものなのかネット上を調べてもヒットする情報はなかった。

Dsc00303_r

 道東自動車道の白糠インター入り口に除雪ステーションがあり、そこが簡易パーキングエリアになっていて廃線ウォーキング前のトイレ休憩となった。新しくてとてもきれいなトイレで、ドライブでの利用価値も高そうだ。

Dsc00304_r

 今回のツアーでは釧路臨港鉄道の会の星さんが案内人になっているが、もうひとり同会のメンバーで、バスには乗らず自分の車で同行しているSさんという方がいる。今回のツアーはバスの運転手も知らないような道を行ったり路上に駐車したりするので、観光バスの誘導などを行うためにサポートをしてくれているのである。

 そのSさんの車には北進のサボが飾ってあった。国鉄末期の増収策で販売されたレプリカとのこと。このSさんも星さんと同じく国鉄OBで昭和62年4月の分割民営化で釧路からJR東日本に移り、中央線の乗務員を経て八高線電化時のダイヤ作成に関わったのちJRを退職し地元に戻り郵便局で働いているとのこと。話の内容からするとどうも私と同じ年のようだ。ボランティアで今回のツアーを支えてくれている人で感謝申し上げたい。

2017年6月 2日 (金)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(​​​白糠駅まで)

Dsc00270_r

 本日は国鉄白糠線の廃線跡を巡ることになっている。白糠線は根室本線の白糠を起点とし北進までの33.1kmを結ぶローカル線で、1964年10月に上茶路までの25.2kmが開業し、その後1972年9月に北進まで延長された。その後も池北線の足寄を経由して根室本線の新得までの計画線もあったが、その実現はなく1983年10月には国鉄の赤字ローカル線廃止第1号となってしまった。白糠線は白糠町内だけを走る路線だったので、調整の当事者が少なくあっという間に廃止が決まってしまったようだ。廃止になるという情報は1ヶ月ほど前には知っていたが、大学2年の時なので今のようには資金力がなく急に思い立って北海道に行くこともできなかったので指をくわえて廃止になるのを見送った

 その後、北海道旅行でたまたま沿線を車で走った時、築堤や橋りょうが意外と新しい感じで残っているのに驚き、いつか廃線跡をたどって見たいと思うようになっていた。そんな折、このツアーが発売されたのですぐさま申し込みをした次第である。

 数日前の天気予報では降水確率は60%だったが、今朝の予報では10%に下がっているから雨の心配はなさそうだ。しかし今日も予想最高気温は8度だから寒い1日となりそうだ。

  クラウンヒルズホテル釧路を出発したバスはANAクラウンプラザホテルで残りのメンバーをピックアップして再び全員がそろった。

  車中ではANA総研で白糠町の活性化をサポートしているMさんから資料を交えて白糠線について説明を受ける。Mさんによると白糠線の終点北進駅がどこにあったか分かっておらず、今日白糠町役場の人とともに探すことになっているという。私も8年前に北進駅跡を探そうとして見つからなかったのだが、廃止から35年も経つと所在すら分からなくなってしまうのだろうか。地元でも所在を知る人がいないということなのだろうか。秘境探検の様相を呈してきた。

Dsc00273_r

 国道を進むこと30分で白糠駅に着いた。その隣にあるバスターミナルは白糠線廃止の転換交付金で建てられたようだ。ここで星さんとともに白糠町役場の担当者も2名合流した。一民間のツアーに町役場の人が休日に2名も同行してくれるとは破格の待遇だ。星さんも町役場の方も長靴姿なのでまさに秘境探検だ。

Dsc00260_r

Dsc00261_r

Dsc00262_r

 白糠バスターミナルの中は白糠線の写真や資料が張り巡らされていて、立派な白糠線資料館になっている。それを星さんがていねいに説明してくれる。

Dsc00268_r

 その中でも秀逸だったのが白糠線の開業を告知するポスターだ。シンプルだが洗練されたデザインで、こんな無人の待合室に飾っていたら誰かが持って行ってしまうことはないのだろうかと心配になるほどの素晴らしさだ。

2017年6月 1日 (木)

「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(ホテルクラウンヒルズ釧路)

Dsc00251_r

 今夜の宿は釧路駅前にある「ホテルクラウンヒルズ釧路」だ。 このホテルはかつては東急インだったが、後発の東横インの知名度が上がったせいなのか、東急インというブランド名はなくなってしまい、一部の東急インは別のホテルに譲渡されたようだ。ここはブリーズベイホテルチェーンになった。

7665_r

 かつての東急インはビジネスホテルチェーンの中では比較的高めな料金設定だったので、私は若い頃にはあまり泊まることがなかった。ここは昭和の頃からあるホテルなので設備の古さは感じるが特段問題ないレベルだ。ただユニットバスがとても小さく、シャワーを浴びるだけでも難渋しそうだ。地下に大浴場があるということなので、そこに行ってみた。洗い場が5人分しかない大浴場だったが、それでも混んでいなかったので気持ちよく入れた。

Dsc00241_r

 小さな大浴場から戻り、部屋で一人乾杯をする。先ほどの泉屋では飲まなかったのだ。銘柄はサッポロクラシックでやはり北海道に来たからにはこれを飲みたい。この日は朝4時起きだったこともあり、ビールを飲むとすぐに爆睡した。

7675_r

 ホテルの朝食は10階の「ピリカ」という店で食べることになっている。ピリカはアイヌ語で美しいという意味でかつて瀬棚線に「美利河」という駅もあった。

 エレベーターに乗り込もうとすると昨日の添乗員の方から「おはようございます」と声を掛けられる。顔を覚えてくれていたようだ。朝食会場は混んでいてテーブル席はふさがっており奥の座敷に案内された。バイキング形式で好きなものを適当に取ると、いつものようにバランスの悪い内容になっている。

 隣のテーブルにはワンピース姿の30歳くらいの清楚な女性がひとりで食事をしている。彼女は目の前で手を合わせて「いただきます」と言って食べ始め、食べ終えたときにも目の前で手を合わせて「ごちそうさまでした」と言っていた。若いのに珍しく礼儀正しい女性で、なぜ釧路のホテルにひとりで泊まっているのかとても気になる。
 
7676_r

 そのきれいな女性を横目でチラチラと眺めながら食事を進める。カレーライスがあったのでそれも食べてみたので朝からすっかり満腹になってしまった。

 

 

 

« 2017年5月 | トップページ