「新緑の道東鉄路 歴史探訪2日間」の旅(北進駅)
上茶路駅から再びバスで移動した我々はかつての北進駅があった近くにやって来た。私が8年前に来た時は白糠町二股のT字路のバス停付近を捜索したのだが結局駅跡を見つけられなかった。実際はそこからもっと東に行き、砂利道のS字カーブを下った谷底にあった。集落の中心部から10分ほど歩いたところで地元の人も坂の上り下りで不便だっただろう。この先足寄方面へ線路を伸ばす計画だったから、それを踏まえての駅配置だったのかもしれない。
開業当時の写真などを総合的に勘案するとこの位置が北進駅跡になるようだ。宮脇俊三さんが時刻表2万キロの中で「コンクリートの片面ホームと片屋根の物置があるだけの駅で、人家もなにもない」と書いているとおり当時ですら何もなかったから、廃線から34年も経てばそのホームや物置はおろか、線路、まくらぎ、バラストなども跡形もなくなっている。
草むらのなかに境界標がひとつだけ見つかった。「工」の表示があるから鉄道関連の標識に間違いない。
廃線跡らしい未舗装路が南に向かって伸びているのでみんなで進んでみる。道幅は単線にしては意外と広い。
第23茶路川橋りょうが現れた。橋りょうはコンクリートで舗装されていて両側に手すりもあるので歩くのに問題はない。
橋の上からはきれいな景色が広がっていて、本当に気持ちのいいウォークだ。数日前の天気予報では今日は雨だったのが信じられないほどの好天になっている。
手前のオレンジの服の人がANAセールスの添乗員の方で、先月下見に来たときには吹雪いて何も見つけられなかったでの今回どうなるかと不安だったと言っていたが、駅跡を見つけられてホッとしていた。
私も廃線跡とは言え乗り損なった白糠線跡を歩くことができて、34年間の無念さもようやく晴れて本当に満足できた。
白糠線の廃線跡は今でも多くの橋りょうやトンネルが残っていて、自然も豊かで穏やかな地域なので廃線と自然の両方を満喫できる施設や取り組みができれれば、きっと白糠町の活性化にもつながるだろう。
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コメント
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白糠線の線路の終端に行けて良かったですね
周囲の光景は昔も今も全く変わってないと思います
私が乗った当時は写真を撮る習性がなかったのが残念(苦笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/59476964.html
投稿: LUN | 2017年6月11日 (日) 16時38分
LUNさん、こんにちは。
国鉄で唯一未乗だった白糠線の廃線跡を歩けて満足でした。周囲はLUNさんの手書き線路図にもある背後の山と草原があるだけのところで、何のためにここに駅を作ったのかという感じで、第1号の廃止も止むを得なかったのでしょう。
投稿: ミスターK | 2017年6月11日 (日) 17時03分