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2017年3月 2日 (木)

さようなら松原団地&松原団地駅

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 東武伊勢崎線松原団地駅は今年4月1日に「獨協大学前〈草加松原〉」に改称されます。私は1歳から3年間、この松原団地に住んでいました。当時は東洋一のマンモス団地と呼ばれていました。1961年から入居が始まり既に半世紀以上前の建築物なので順次建て替えが行われ、松原団地もあと数年でなくなってしまうようです。団地がなくなってしまったら、松原団地駅を名乗るわけにもいかないので駅名も改称されることになりました。この駅名標もあと1ヶ月で見納めです。

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 こちらは建て替えが進んだ新しい団地です。コンフォール松原という名称です。

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 取り壊しが済んだ団地跡地。公園になっています。

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 こちらが私が住んでいたD-58号棟。まだ取り壊しは始まっていませんが、空き家が目立ちます。私が住んでいた頃は家賃が月9400円で、その時の父の月給が3万円で、給料の3分の1も家賃を払っていると皆に驚かれたようです。今は相当に老朽化していてタダでも住みたくない感じですが、当時はかなりの高級団地だったのです。抽選に当たらないと入居できず、父はいろいろな団地に応募し、ようやくここに当たったとの話を聴きました。団地が憧れの的だったのです。間取りは3DKで、洋式トイレ、風呂付きでした。それまで6畳一間で風呂もない家に住んでいた我家に文化的な生活が始まりました。

 そんな団地も半世紀を経て老朽化が進み、建て替えとなりました。私はここの記憶はほとんどありませんが、それでも親から当時の話を聞くとなぜか懐かしさがこみ上げてきます。駅名がなくなる寂しさはありますが、新しい街並みができて、新しい生活が始まるわけで、それも素晴らしいことだと思います。

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コメント

中学高校と一緒だった友人が松原団地に住んでいました。私の家には何度も遊びに来てくれていて、一度だけ電車で彼の家に遊びに行った事があります。

病弱な妹さんが横になっていて最初は静かにしていましたが、そのうち妹さんも起きだしてゲームなどを一緒に遊んではしゃいでいました。帰りに駅まで送ってくれる途中、「家に呼んだのはOH君だけだよ」と彼はポツリと呟きました。

翌日「妹がやっぱり夜に熱を出しちゃってさ」と笑いながら言われて、悪かったなあと答えたら「あんな幸せそうな顔を久々に見たよ」とマジメな顔で私を見つめました。
現在は神奈川県に住む彼とは今でも年賀状のやりとりが続いています。

ミスターOHさん、こんばんは。

その方は私と同窓でもあるのですね。

それにしても妹さんもさぞかし楽しかったことでしょう。なんだかほっこりとこころ温まる話です。昭和の団地は温かい心があった時代ですね。

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