初めてのカラーテレビ
我が家に初めてカラーテレビが来たのは1970年、私が小学校2年の時です。当時はカラーか白黒かによって玄関に張られたNHKの受信契約のシールが異なっていたので、その家のテレビが白黒かカラーかひと目で分かったのです。子供心に早くうちもカラーにならないかと願っていたのです。
テレビを買いに最寄り駅近くの電気屋さんに家族みんなで行きました。買ったのは日立キドカラーポンパで、画面のサイズは20インチでした。当時はおそらく20インチが一番大きな画面だったと思います。スイッチを「ポン」と入れるとすぐに画面が「パッ」と出てくるので「ポンパ」と呼ばれていました。それまでのテレビはスイッチを入れてもテレビが温まるまで映像が出てこなかったのです。
このテレビを買った人にはご覧のようなSLの置き物が景品として付いてきました。運転台のところには洋酒の瓶があって、それを持ち上げるとオルゴールの曲で♪今は山中、今は浜~と流れました。カウキャッチャーの上の部分にはグラスが3つ乗っていました。
我が家に設置された日は平日で、母親に「僕が一番に見るんだから学校から帰るまで絶対に見ちゃダメだからね」と念を押して学校にいきました。家に帰って確認すると、母親は約束を守ってくれてまだ誰も見ていないとのこと。今思うと電気屋さんが設置した時に映るかどうか確認するので、私が一番乗りのはずはないのですが。
それはともかく、私がそのカラーテレビで最初に見た番組は東京六大学野球でした。たまたまスイッチを入れたらそれが出たのですが、なぜかはっきりと記憶に残っています。しかし、カラーテレビが来てから私はテレビっ子になり、急激に視力が悪くなり、4年生のときには眼鏡をかけるようになりました。隣で一緒に見ていた妹は目が悪くならなかったのが不思議です。
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日立のポンパ、懐かしいですね。このテレビに日立は社運を賭けていたようで、当時国鉄が行っていたデイスカバージャパンキャンペーンと組んで、半年かけて稚内から鹿児島まで日本全国を周遊する日立商品見本列車「日立ポンパ」号を運行しました。C11-91+旧型客車改造5両で、C11は無動力で最後尾、牽引は各地のSL、DL、ELなどでした。各地で停車して車内が見学できました。1971年だったと思いますが、西千葉駅で何気なく総武線を見ていたらポンパ号が通過してゆきました。これは一大事と、学校から帰った夕方、千葉駅にいるのではないかと思って自転車で出かけた覚えがあります。ホームにはおらず、千葉-東千葉間の荷扱い線に終日止め置かれて一般公開(確か、抽選制)が行われていました。当然入れません。また荷扱い線なので近づくこともできませんでした。
ところで、このSLの置物はお持ちでしょうか? おもちゃとして10万円以上すると聞いています。
私の同級生で親子2代日立マンがいます。このテレビに触発されて大学は電子工学分野へ進み、当時夢の技術と思われていた壁掛けテレビを作りたいと日立製作所に入りました。
投稿: railway | 2017年2月25日 (土) 09時19分
railwayさん、こんにちは。
列車を仕立ててまで、全国で商品を紹介したとは、今の時代では考えられないことですね。本物のポンパ号見てみたかったです。
ところで、置物のポンパ号は長いこと我が家のサイドボードの上にありましたが、いつの間にかなくなってしまいました。今もあればお宝だったわけですね。画像はウェブから拝借しました。
投稿: ミスターK | 2017年2月25日 (土) 12時16分