武州鉄道廃線跡
かつて埼玉県の蓮田市と川口市の神根というところまで16.9km結んでいた武州鉄道という路線がありました。1924年に開業し、わずか12年後の1936年に廃止になりました。先日その廃線を見てきました。
道路を渡った反対側。民家が道路に対して斜めに建てられている。
こちらは東武野田線との交差部分。武州鉄道のほうが先に開業したので、東武野田線が上をまたいでいる。交差部分がプレートガーター橋になっている。当時は単線の築堤だったはずだが、その後複線の高架橋になったときも交差部分だけはプレートガーター橋のまま残っている。
そこを南下すると、「武州鉄道の小径」という標識が現れる。ここが廃線跡であることを示している。幅からすると単線だったようだ。
今は倉庫として使用されている。
今から80年ほど前に廃線になったので、ほとんど遺構はないが、それでも廃線跡らしき雰囲気が残っているところもあり、楽しい探検だった。
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廃線跡をたどる探訪記、大変興味深く拝読しています。私も本格派ではありませんが、廃線となった鉄道をたどることに興味があります。廃線は身近にたくさんあるものですね。我が家の前には、旧日本軍・鉄道第1連隊(津田沼~千葉)の廃線跡の道路が走っており、時々歩いています。最大の遺構は京成電鉄との交差(実籾~八千代台間/京成の方が上)で、「軍用線橋りょう」と呼ばれています。鉄道第2連隊の方は新京成電鉄になったので実見できますが、第1連隊は忘れ去られようとしています。
投稿: railway | 2017年2月 8日 (水) 17時03分
railwayさん、こんばんは。
自宅の前が廃線跡とはすごいですね。京成が上ということは、しっかりした遺構が残っていそうですね。いつか鉄道連隊の跡をたどってみたくなりました。
投稿: ミスターK | 2017年2月 8日 (水) 21時30分
ミスターKさん、こんばんは。
私も15年間、鎌ケ谷大仏に住んでいたのと20年ほど習志野市に通勤していたので、鉄道連隊のことは、ある程度調べました。一番有名な遺構は、JR総武線に向いた千葉工業大学の正門にある煉瓦の門柱ですね。習志野市内の廃線跡は片側の歩道が広い「マラソン道路」となって残っています。現在50代になる、かつての同僚の話では昭和40年代までは線路が残っており、そこで遊んだということです。
総武線と離れるあたりから「マラソン道路」が終わり花見川を越えるあたりまでは道路として残っていますので地図でもたどれます。
新京成線の方は、二和向台~初富と五香~八柱、(上本郷~千葉大園芸学部)で大幅な線路の付け替えを行っており、、二和向台~初富には撤去したかったが壊せない橋脚も残っています。
いつでも、ご案内いたします。
railwayさんが沿線にお住まいとは、親近感がわきました。
投稿: 京葉ライン | 2017年2月 8日 (水) 22時07分
京葉ラインさん、こんばんは。貴重な情報ありがとうございます。
鉄道連隊という軍の組織があったことを知る人も少なくなりましたね。それでも今でも鉄道の痕跡がわずかに残っているようで、鉄道のしぶとさを感じます。廃線巡りの奥深さですね。
投稿: ミスターK | 2017年2月 8日 (水) 23時06分
ミスターKさん、京葉ラインさん、こんにちは。
鉄道連隊の件で思いのほか盛り上がりましたね。まだまだ沿線いたるところに痕跡が残っていてあきません。第1連隊の施設は昭和40年代まで、千葉~千葉公園~千葉経済大付近まで線路が残り、国鉄のレールセンター(いまは越中島?)が置かれて、DD13がレール運搬をやっていました。写真撮ってます。
千葉経済大の構内には煉瓦作りの建物が今も残っていて(内部は非公開)、立派な遺構です。千葉経済大から先、花見川を渡る花見川大橋は近年架橋されたものですが、道路がない時代に橋脚などの遺構がないか探したことがあります。結局見つけられませんでした。
京成との立体交差は、もともと北総台地を走っていた鉄道連隊の線路を昭和になって成田延長に備えた京成電軌が作ったものですので、平地に築堤を建設して鉄道連隊線を乗り越えていました。今も鉄橋の塗装票に「軍用線橋梁」と表示されています。
習志野市内は「マラソン道路」と呼ばれる道路に転用されていますが、レールなど大きな遺構は発見できません。ところどころに財産区分コンクリ製の杭が残っています。いまは桜並木になって、これからが一番美しい季節です。
津田沼の連隊設備は、戦後京成第二工場、大栄車両が置かれて、主として国鉄~京成間のいまでいう甲種車両輸送の際の受け渡しに使われていました。都営地下鉄5000系もここから搬入されています。
新京成電鉄になる連隊遺構は本格的に探訪したことがないのですが、小学生のころ二和向台に住んでいたので、北総台地の軍隊の遺構は、鉄道連隊関連だけでなく、軍馬を放牧していた野馬止あと(馬が逃げないような堤防のような形状の囲い)、小学校の校舎は陸軍通信隊の木造校舎でした。
詳しい方が遺構をHPなどで公表されているようですので、ご参照ください。ともあれ、廃線跡めぐりはマニアックですが、奥深いですね。また情報交換をお願いします。
投稿: railway | 2017年2月 9日 (木) 13時13分
railwayさん、こんにちは。
詳細な情報ありがとうございます。遺構は探すと結構残っているものですね。ホームページにアップしている人も多いですね。いくつか見てみましたが、その労力たるや相当のものがあります。
これからも情報交換よろしくお願いします。。
投稿: ミスターK | 2017年2月 9日 (木) 14時12分