ただいまの時間

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2017年2月

2017年2月28日 (火)

初めてのカメラ

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 私が初めて買ってもらったカメラは「ハリーナ」という香港製のカメラでした。小学校3年の時です。カートリッジ式のフィルムを使用し、単焦点レンズでピント調整もなく、巻き上げも手動でした。しかし着脱式のフラッシュも付いていました。このフラッシュは1個のキューブの4面に発光部があるのですが、それぞれ1回発光すると使えなくなるシロモノでした。

 今思うとおもちゃみたいなカメラでしたが、小学校3年生にしてはぜいたくなおもちゃでした。学校の遠足などには必ず持っていきましたが、クラスでもカメラを持ってくるのは数人でした。できあがった写真はご覧のような真四角のものでした。

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 買ってもらってうれしくていろいろ写真を撮ったはずですが、撮った写真はいつのまにかどこかへ行ってしまい、残っているのは数枚です。こちらは小学校4年生になる時の家族旅行の写真です。東京駅から初めて新幹線に乗る時で右は父です。




2017年2月27日 (月)

初めてのステレオ

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 私は高校の入学祝いでステレオを買ってもらいました。もうモノはなく当時の写真も残っていないのですが、取扱説明書だけは残っていました。

 ミニコンポなどない時代で、各デバイスを自分で選択する仕組みで、システムコンポと呼ばれていました。私のチョイスはアンプとチューナーがパイオニア、プレーヤーはテクニクス、カセットデッキはソニー、スピーカーはダイヤトーンでした。ずいぶんと凝った選択です。中学2年のときNHKの教育テレビで「オーディオ入門」という番組が放送され、それを欠かさず視聴し知識を蓄えていたのです。また大宮の塾に通っていたので、その行き帰りに大宮のデパートの家電売場でカタログをもらったりして、どれを買ってもらおうかと計画を練っていたのです。

 ステレオは自分の部屋に置かせてもらいました。さっそくレコードを聞くと、部屋の中いっぱいに音が広がる感じで、音質の素晴らしさに感動しました。それまではモノラルのラジカセで音楽を聞いていたので無理もありません。

 家に遊びに来ていた祖母にも聞いてもらいました。聞いてもらったのは井上陽水の「氷の世界」 のアルバムです。祖母に井上陽水について説明すると、「この人、大麻で捕まった人だろ」と言われました。井上陽水はその数年前に大麻を吸って逮捕されたのでした。情報通の祖母でした。

 

 

 

2017年2月26日 (日)

初めての腕時計

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 私は小学校6年の誕生日に父に腕時計を買ってもらいました。中学への入学祝いを兼ねていたと思います。セイコーのファイブアクタスという時計で値段は13000円くらいでした。せっかく買ってもらった腕時計なのですが、小学校にしていってはいけなかったので、家に帰ってくるとすぐに着用しました。夜寝るときもしていました。同級生でも時計を持っている子はそれほど多くなかったのでとてもうれしくて、わざわざ祖母の家まで見せにいったりもしました。

 この時計は自動巻きでした。腕の動きによって時計の中に入ったゼンマイが自動的に巻かれて、それによって時計が動くという動力不要の究極のエコモードの時計です。まだ電池式の腕時計などほとんどない時代で、当時の腕時計は大半が自動巻きでした。自動巻きは時計を装着している時間が短かったたりすると、ゼンマイの巻きが不十分で時間がだんだんに遅れていきます。したがって何日かに1回はテレビや117で時刻を合わせる必要がありました。またカレンダーは31日まで表示されますが、小の月の場合は自分で1日進める必要があったのも懐かしい思い出です。

 この時計は確か大学4年くらいまでは使っていたと思います。それまでの間、私の人生を常に見守ってくれた時計です。受験の時もこの時計でした。その後新しい時計を買ったりしていつの間にか使わなくなり、最後はどこかに行ってしまったようです。大切に取っておけばよかったのにと後悔しています。

(この画像はweb上から探し出したものです)

2017年2月25日 (土)

初めてのカラーテレビ

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 我が家に初めてカラーテレビが来たのは1970年、私が小学校2年の時です。当時はカラーか白黒かによって玄関に張られたNHKの受信契約のシールが異なっていたので、その家のテレビが白黒かカラーかひと目で分かったのです。子供心に早くうちもカラーにならないかと願っていたのです。

 テレビを買いに最寄り駅近くの電気屋さんに家族みんなで行きました。買ったのは日立キドカラーポンパで、画面のサイズは20インチでした。当時はおそらく20インチが一番大きな画面だったと思います。スイッチを「ポン」と入れるとすぐに画面が「パッ」と出てくるので「ポンパ」と呼ばれていました。それまでのテレビはスイッチを入れてもテレビが温まるまで映像が出てこなかったのです。

 このテレビを買った人にはご覧のようなSLの置き物が景品として付いてきました。運転台のところには洋酒の瓶があって、それを持ち上げるとオルゴールの曲で♪今は山中、今は浜~と流れました。カウキャッチャーの上の部分にはグラスが3つ乗っていました。

 我が家に設置された日は平日で、母親に「僕が一番に見るんだから学校から帰るまで絶対に見ちゃダメだからね」と念を押して学校にいきました。家に帰って確認すると、母親は約束を守ってくれてまだ誰も見ていないとのこと。今思うと電気屋さんが設置した時に映るかどうか確認するので、私が一番乗りのはずはないのですが。

 それはともかく、私がそのカラーテレビで最初に見た番組は東京六大学野球でした。たまたまスイッチを入れたらそれが出たのですが、なぜかはっきりと記憶に残っています。しかし、カラーテレビが来てから私はテレビっ子になり、急激に視力が悪くなり、4年生のときには眼鏡をかけるようになりました。隣で一緒に見ていた妹は目が悪くならなかったのが不思議です。

 

 

2017年2月24日 (金)

初めてのラジオカセット

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 こちらが私が初めて買ってもらったラジオカセットです。中学1年の時、今は閉店になりましたが北浦和にあった朝日無線で父から買ってもらったのです。まだラジカセという省略形の言葉がなく、単にラジオカセットと呼ばれていました。日立のパディスコというブランドです。AM、FMの2バンドラジオ付きで、これでいろいろな音楽を録音しました。一番最初に録音したのはカーペンターズでした。当時ニッポン放送では夜10時から30分間洋楽を聴ける番組があり、それを録音したのです。特にカーペンターズに興味を持っていたわけではないのですが、ベイ・シティ・ローラーズ、クイーン、キッスなど若干洋楽かぶれしていた時期だったのです。モノラルなので大した音質ではなかったはずですが、そんな違いを聴き分ける能力は中学生の私にはありませんでした。

 そういった録音を楽しんでいた一方、このラジオカセットでもう一つハマっていたことが、放送局のベリカード集めでした。ベリカードは放送を聞いてその放送局に受信報告書を送ると、お返しにいただけるカードのことです。ベリカードは日本国内だけでなく、全世界の放送局で発行されています。

 わたしはこのラジオカセットで夜な夜な神経を集中し、遠隔地の放送局の放送を聞いていました。ダイヤルの針を慎重に回し、アンテナを放送局の位置と直角になるようにするのがコツで、北海道から九州まで結構いろいろな放送局が聞けました。 

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 これはモスクワ放送のベリカードです。モスクワ放送の周波数は1250キロヘルツで、ニッポン放送が1240キロヘルツだったので結構混信しました。モスクワ放送の日本語放送は冷たい低音の男性の声だったことをよく覚えています。そのほかにも北京放送やラジオ韓国の日本語放送なども受信できました。当時は海外の情報を入手する手段もなかったので、こういった放送を聞くことにより、海外通になった気分になりました。

 今はラジオを聞くこともほとんどなくなりましたが、古いベリカードが見つかったので、またラジオを聞きたくなりました。

2017年2月23日 (木)

初めてのウオークマン

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 こちらは私が大学2年生のとき初めて買ったウオークマンです。WM-20というタイプで、カセットケースと同じ大きさというのがウリでした。実際にテープを聴くときには本体を下側にスライドさせる仕組みなので、聴くときにはカセットケースより大きくなるのですが、厚さはカセットケースと同じでした。またそれまでの機種は単3乾電池2本が必要でしたが、これは1本で動作しました。

 旅に出る時はこれを必ず持っていきました。カセットテープはたくさん持っていくとかさばるので、だいたい3本くらい持っていきました。レコードから録音するだけでなく、FM放送から録音する場合もありました。これは当時エアチェックと言われていました。旅の前に厳選した曲を入れたお気に入りカセットを作るのが楽しみでした。今はスマホに何百曲も入れられるので、技術の進歩はすばらしいです。

 カセットの中身は、オフ・コース、ハイ・ファイ・セット、松田聖子、ゴダイゴ、井上陽水などが中心でした。昼間は車窓に集中しているので、音楽を聴くのは夜が中心でした。走り去る街の灯りを眺めながら、ひとり音楽を楽しんでいました。昭和の懐かしい思い出でした。

 

 

2017年2月22日 (水)

初めてのコンタクトレンズ

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 昨日初めての車の話をしましたが、その免許取得に先立ち、私はコンタクトレンズを初めて使いました。私は小学4年生から眼鏡を使用していてかなりの近視なのです。

 初めて装着しての感想は、見えすぎるくらいに本当によく見えて、目がいい人はこんな風に見えているのかという驚きでした。矯正視力で楽に2.0近くまで見えました。目の前の人の顔のシワまでよく見えました。しかも眼鏡だとレンズの外側は当然の事ながらぼやけるのですが、コンタクトレンズだと上を見ようが下を見ようが、どこまでも境目なしにクリアに見えるのです。慣れれば装着している感覚もほとんどありません。

 しかし、当時のハードコンタクトレンズは長時間の使用ができなかったので、就職してからはほとんど使用しませんでした。装着や手入れが面倒だということはありますが、あのクリアな視界は魅力です。またいつかコンタクトレンズに戻る日があるかもしれません。

2017年2月21日 (火)

初めての車

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 こちらは私が運転免許を取って初めて運転した車です。大学2年生、1983年10月のことで、今から30年以上も前のことです。運転免許を取るのに思ったよりも手間取り、免許取得よりも1週間も前に納車されました。車種はホンダシティで、新車ですからピカピカです。1200ccで67馬力、値段は諸費用も込みで90万円くらいでした。親と祖父母から買ってもらったのでした。

 私の車種は一番ノーマルの「R」というものでしたが、100馬力のターボエンジンを積んだシティターボやオープンカーのシティカブリオレというのも出てバリエーションも豊富でした。特にシティターボは小型の車体に高出力エンジンを積んでいたので、高速道路などでスポーツカーに負けない走りを見せていました。この車は価格的にカローラやサニーといった当時の大衆車よりも安かったので若者に大人気でした。当時のCMは今でも記憶に残っています。YouTubeにも動画がありました。

 免許取りたての頃は、日曜日の朝だと道が空いていて運転しやすいので「朝練」と称して、まだ小学生だった妹を一緒に乗せてはあちこちに出かけていました。当時はカーナビもない時代ですから、妹によく地図を見てもらって、曲がる交差点などを指示してもらったりしました。ときどき首都高での「特訓」も行いました。首都高は今もそうですが、スピードが速く、カーブやアップダウンも多く、かつ合流車線も短いなど、初心者でなくても運転が難しい路線ですが、運転技能向上のため、そういったところで武者修行もやりました。

 またちょうどこの時代はコンビニがあちこちにでき始めた頃で、「朝練」の途中でセブンイレブンなどに立ち寄って休憩をしたり、おにぎりを買って食べたりしました。今でもドライブの途中にコンビニに立ち寄ることが多いですが、そんな時若いドライバーを見かけると若かりし頃の自分を思い出します。

 

 

2017年2月20日 (月)

初めてのテレホンカード

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 こちらは私が初めて買ったテレホンカードです。テレホンカードはかつての電電公社が1982年に発売を開始した公衆電話専用のプリペイドカードです。それまでの公衆電話は硬貨専用で、ちょっとでも長く通話しようとすると10円硬貨をたくさん用意する必要がありました。100円硬貨も使える公衆電話もありましたが、お釣りが出ないとういうボッタクリ電話でした。そういった使い勝手の悪さを改善するために登場したのが、このテレホンカードでした。

 私は1984年12月に初めて買いました。大学の生協で売っていました。キャッシュカードのようなプラスチックのカードを想像していた私はペラペラなカードを渡され、これで本当に電話がかけられるのだろうかと不安になったものです。

 そのテレホンカードを実際に初めて使ったのは旅先の豊橋駅からでした。カードを差し込むと「50」というデジタル表示の数字が現れ、不思議な気持ちになりました。家族にテレホンカードでかけていることを得意になって説明しましたが、テレホンカードでかけようが、硬貨でかけようが通話品質には変わりなく、こちらが感動している割にはあまり相手にされなかったことを覚えています。

 当時はまだテレホンカードが使える電話が少なかったのですが、このテレホンカードが思わぬところで役に立ちました。その冬、妹の大学の合格発表が同日に2校であり、そのうち一校を私が見に行くことになったのです。当時は携帯電話などない時代ですから、合格掲示板の近くの電話はどれも行列ができていたのですが、1台だけ行列がない電話がありました。それがテレホンカード専用の公衆電話だったのです。私はさっそくテレホンカードを取り出し、周囲の好奇の目を感じながら、テレホンカード専用電話で合否の連絡を待つ家族にタイムラグなく知らせることができました。

 そんなテレホンカードも今では使われることもすっかりなくなりましたが、このカードを見ると昔の思い出がよみがえってきました。

2017年2月19日 (日)

イーグルバス夜行バス

イーグルバス

 私はだいたい朝6時半頃に大宮駅東口に着きます。この時間帯は秋北バスの夜行バスジュピター号池袋行きが停車していることが多いのですが、最近イーグルバスの夜行バスををよく見かけるようになりました。イーグルバスという会社自体を知らなかったのですが、埼玉県川越市に本社がある路線バス業者で、高速バスや空港バスなども運行しているようです。

 夜行バスはムーンスター号というネーミングで、大宮、川越、若葉という行き先を掲げています。こんな路線があったかなと気になって調べてみると、従来は大阪、京都と新宿、秋葉原、川越を結んでいたのですが、1月31日から大宮と若葉にも停車するようになったようです。大宮で降りる客も多く、この停留所新設は効果があったようです。

 朝の出勤時の楽しみが一つ増えました。これからも注目していきたいと思います。

 

 

 

 

2017年2月18日 (土)

鉄分少なめ大阪旅行(のぞみ244号)

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 551で豚まんとちまきを購入した後、地下鉄で新大阪へと向かった。新大阪発16時50分ののぞみ244号で東京に戻る。車両はN700系だった。

 豚まんを新幹線で食べると車内に匂いが充満してまわりに迷惑をかけるので、ちまきだけを食べた。いい味付けだ。

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 こちらが阪急うめだ本店で買ったバトンドール。VSOP味でほんのりとブランデーの香りがする。

 新幹線は8割程度の乗車で、少し早い夕食を楽しむ人で車内にはまったり感が漂っている。車内販売を利用する人も多く繁盛しているようだった。

 東京駅で東北新幹線に乗り換え、20時過ぎに帰着した。今回は鉄分は少なめだったが、それでも一応新線区間に乗ったり、珍しい建物やSLの見学ができ、収穫は大きかった。

2017年2月17日 (金)

鉄分少なめ大阪旅行(道頓堀)

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 阪堺電車の新線区間を乗り終え、地下鉄でなんばへと向かった。こちらは道頓堀のグリコの看板前。このあたりで写真を撮っているのは大半が中国人だった。皆記念撮影に忙しい。

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 心斎橋筋商店街の様子。この日は平日にもかかわらずものすごい歩行者の数で、大半が中国人だ。春節を利用してやって来たのだろう。ただ爆買いして大きな荷物を持っている人はほとんど見かけなかった。

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 551蓬莱の本店。ここでお土産を買った。ここは意外と行列していなかった。

2017年2月16日 (木)

鉄分少なめ大阪旅行(阪堺電車廃線跡)

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 阪堺電車の天王寺駅前電停はあべのハルカスの目の前にあった。超高層ビルと路面電車が同じ場所にあるとは東京では考えられない。

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 線路の移設は昨年完了したが、旧線の撤去は現在進行中だ。

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 横断歩道から阿倍野電停方向を眺める。Dsc00119_r

 こちらはその反対側。天王寺駅前電停を眺めた。

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 新旧の線路が4本並んでいる。これもいずれ見納めとなる。

2017年2月15日 (水)

鉄分少なめ大阪旅行(阪堺電車移設区間)

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 神ノ木駅を出た阪堺電車上町線は専用軌道と併用軌道を繰り返しながら進んでいく。後部座席で逆かぶりを楽しむ。

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 阿倍野電停からいよいよ移設区間に入った。この工事は正式には「都市計画道路長柄堺線拡幅整備に伴う阪堺電気軌道上町線移設工事」となっていて、約1年半の工期で昨年12月に完成した。軌道は今はやりの芝生軌道になっている。各地で見かけるようになったがヒートアイランド現象に対していくらか効果があるのだろうか。

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 架線はセンターポール化されているので道路上空がすっきりしている。

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 天王寺駅前電停は単線になっている。これで移設区間の乗車が完了した。

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 奥には簡単な駅舎も設けられている。車止めの奥までは停車させないようだ。

2017年2月14日 (火)

鉄分少なめ大阪旅行(神ノ木駅まで)

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 昨年12月に阪堺電車の天王寺駅電停から阿倍野電停までの区間の線路が移設された。道路のセンターライン寄りに7~8m移設されたのだが、新しいレールが敷かれたわけで、広い意味で新線開業になるので一応乗りに来た。もっともこういうことを突き詰めていくと、線路が高架化されたり、鉄橋が架け替えられたりしても新線開業になり、乗り直さなければならないという話になってしまうので、あまり厳密に考えず乗れたら乗るという方針で対応している。

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 阪堺電車に乗るには天王寺付近を単純に往復することでも良いが、私は南海高野線の神ノ木駅経由で行ってみることにした。行きと帰りで変化を付けたかったからだ。南海なんば駅から高野線の準急行に乗車する。駅の発車案内板や列車の行き先表には「準急」と表示されているが、車内アナウンスでは律儀に「準急行」と言っている。

 阪堺電車と南海高野線は途中で交差しているのだが交差部分には駅がない。しかし300mほどしか離れていないので十分歩ける距離なのだ。

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 実際に歩いてみると3分ほどしかかからなかった。距離的には東京駅で中央線から新幹線に乗り換える程度の距離だろう。

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 阪堺電車の神之木駅は築堤上の相対式ホームだ。築堤上に踏切があるのは珍しい。えちぜん鉄道の新福井のようだ。

2017年2月13日 (月)

鉄分少なめ大阪旅行(ホテル阪急インターナショナル)

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 串カツ松葉で大阪を堪能してホテルへ戻った。今日のホテルは梅田と中津の間にある「ホテル阪急インターナショナル」という高層ホテルだ。私は27階の阪急梅田駅が見える部屋に通された。予備知識がなく予約したのだが、ここはトレインビューホテルだった。

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 ご覧の通り阪急梅田駅に出入りする列車を眼下に楽しむことができる。阪急梅田駅は京都線、宝塚線、神戸線の3線が発着するので列車の運行が途切れることがない。3本同時の発車も頻繁で見ていて飽きることがない。また大阪に来たらもう一度泊まってみたいホテルだ。

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 朝食は25階のレストランフロアで取ることになっている。洋食の「マルメゾン」と和食の「美濃吉」の2つがあるが、私は「マルメゾン」にした。

 ホテル名に「インターナショナル」が付いているせいか、レストラン内は大半は外国人だった。中国、韓国系が多いが、欧米人もいる。ここの朝食はバイキング形式ではなく、調理したものを席まで持ってきてくれる仕組みになっていた。バイキングだと好きなものばかり取ってきてブログの読者に栄養のバランスを指摘されたり、盛り付けが下手でいいビジュアルの写真が撮れなかったりするので、こういうほうがいい。

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 朝食は3種類の中から選べるが、私はエッグベネディクトブレックファーストにした。スープ、ヨーグルト、コーヒーなどが付く。朝食料金は宿泊代に込みになっているが、朝食だけ頼むと3500円もするようだ。メインのエッグベネディクトはマフィンの上にハムやサーモン、トマトが乗っていて、さらにその上に半熟たまごが乗っているので少々食べにくいが、おいしかった。

2017年2月12日 (日)

鉄分少なめ大阪旅行(串カツ松葉)

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 阪急百貨店うめだ本店で高級ポッキーを買った後、そこからすぐ近くの梅田食堂街、ではなく食「道」街にある「串カツ松葉」に寄ってみた。ここは3年前にも訪れたことがある立ち飲みの串カツ屋だ。

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 この日はカウンター席が満席で、壁際の席に案内された。カウンター席だと目の前のトレーに置いてあるものを勝手に取って食べるのだが、壁際の席の場合は店員に注文を伝えて持ってきてもらう方式になる。カウンター席だと適当に取るので何を食べたか分からないときもあるのだが、壁際の席だと注文したものが来るのでわかりやすい。

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 キャベツは食べ放題になっている。ソースの二度付け禁止は有名。壁にもその旨の張り紙がある。ウスターソースでサラッとしている。

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 上から、うずら、牛串、ウインナー。串の長さで値段の違いを表している。うずらは120円なので少し長い。食べ終わった串は赤い色をしたプラスチックのコップに投げ入れて、会計の時に本数を数えてもらう仕組みになっている。金属製のお皿もチープ感があっていい感じだ。ビールは松葉のネーム入りジョッキで出てきた。

 店内には外国人もいて国際的だ。壁のメニュー表で100円のメニューを指差し、「HUNDRED、HUNDRED」とはしゃいでいる。女性客もチラホラいるが観光客だろう。地元のサラリーマンにも旅行客にも親しまれている店のようだ。私は30分弱で10本ほど食べて、すっかり満足して店を出た。

2017年2月11日 (土)

鉄分少なめ大阪旅行(阪急百貨店うめだ本店)

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 玉造駅で103系もどきの建物を見学した後、天満橋駅に出た。この駅前はスクランブル交差点になっているのだが、対角線の横断歩道が途中で途切れていた。大阪らしい合理精神なのだろうか。最初は斜めに渡れるか不安だったが、歩行者用信号は斜めのものも設置されていた。

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 こちらは大阪市営地下鉄の自動改札。今回の旅行でも何回も利用したが、改札通路の下に点検用のフタが設置されている。他の鉄道会社では見かけないものだ。自動改札の配線などが格納されているのだろうか。少しペコペコしていて歩く時違和感がある。

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 いろいろ乗り継いで、阪急百貨店うめだ本店にやって来た。地下の食品売り場でここ限定のおみやげを買おうと思っている。グリコポッキーの高級バージョン「バトンドール」だ。

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 20本入りで1箱501円だから結構なお値段だが、夜6時ころに立ち寄ったところ10人ほど行列していた。ミスターOH氏も出張帰りにここで買っているということを以前教えてもらったことがある。

2017年2月10日 (金)

鉄分少なめ大阪旅行(玉造駅)

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 続いての目的は大阪環状線玉造駅の見学だ。と言っても駅舎の見学というよりは駅前にある103系もどきの建物だ。

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 こちらがそれで、建物がオレンジ色に塗られていてまさに103系だ。ビエラ玉造というショッピング施設で中はコンビニや保育園などになっている。

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 こちらはホーム上から眺めたもの。車両が地下トンネルに潜っていくような感じがする。

 この建物は2014年建築だから当面生きながらえるが、ホンモノの103系はもはや風前の灯火で廃車の危機が近いはずだ。

2017年2月 9日 (木)

鉄分少なめ大阪旅行(共栄興業SL)

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 今日の1つ目の予定は大阪市営地下鉄中央線九条駅近くにある共栄興業の訪問だ。この会社は先代の社長が国鉄から蒸気機関車の払い下げを受け、それを会社の敷地に静態保存している。静態保存というと野ざらしで傷みの激しいものを想像しがちだが、ここは屋根付きのショーウィンドウに保存されていて、とても状態がいい。 場所は九条駅から徒歩5分ほどのところにあり、大通りに面している。 ご覧のようにC57の機関車がガラス張りの建物の中に鎮座している。

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 事前のインターネットでの下調べでは、内部での撮影はできないが見学は可能とのことだったが、受付に設置されている電話で総務の人に申し出ると、なんと今は内部の見学は行っていないとのことでがっかりだ。推測なのだが内部で撮った写真を営利目的で使用する人が後を絶たないらしい。ガラス越しに写したので、乗用車が写り込んでいるがご容赦ください。壁面にはナンバープレートも大量に張り付けてある。民間の所有でこれほどていねいに保存されているのはとても珍しい。

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 C57の148号機で1940年に三菱重工業で製造されたらしい。1972年に廃車になり、その後1974年にこの会社に払い下げられたとのことで、ここに来てから既に40年以上を経過しているが、このまま鉄道博物館に持っていってもすぐに展示できるほどの状態で、たいへん手入れが行き届いている。

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 こちらは会社裏手の駐車場にある動輪。これは野ざらしなのだが、やはり手入れが行き届いていてサビひとつない。

2017年2月 8日 (水)

鉄分少なめ大阪旅行(明石焼き)

​ 新大阪で新幹線を降り、市営地下鉄で中津へと向かう。今夜は中津にあるホテル阪急インターナショナルに泊まるので先に荷物だけ預けるためだ。 7134_r

 ホテルに荷物を置いて、地下鉄の梅田駅に向かう途中、阪急の高架下にある「明石焼き ぶぶ亭」という店で軽くお昼にする。中央に大きなテーブルがあり、周りを4人がけのテーブルが囲むように配置されている。

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 私は明石焼きと明石焼きグラタンを注文。明石焼きは出汁に付けて食べるもので、フワフワで柔らかく、出汁に付けるととろけていく。明石焼きグラタンはチーズグラタンの中に明石焼きが4つ入っていて、濃厚でおいしかった。

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 こちらはその後立ち寄った堺筋本町にあるホリーズカフェ。関東地方では見かけないカフェチェーンだが、メニューを見るとウインナーコーヒーやクリームソーダなどソフトクリーム系が充実しているようで、私はソフトマンゴージュース400円を選んでみた。たっぷりソフトクリームが乗っている。外は真冬だが、こういうものを食べるのも悪くない。

2017年2月 7日 (火)

鉄分少なめ大阪旅行(のぞみ309号)

​  2月2日から1泊2日の予定で大阪に行って来た。今回は直前に休みが決まり、スケジュールのできが悪く、鉄分も少なめの旅になっている。 まずのぞみ309号新大阪行きでスタートする。今回は新横浜からの乗車となった。

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 新横浜の下りホームから眺める駅前の様子は北口とは大きく異なり、ローカル駅のようだ。おそらく土地の用途地域が異なり高いビルが建てられないのだろう。

 のぞみ309号は今では少なくなったノーマルの700系だった。車両性能的にはそれほど見劣りするものでもないがコンセントが付いていないので、今の時代には物足りなさを感じる。そのせいか新横浜発車の時点で乗車率は6割程度だ。ただ、東海道新幹線でののぞみ・ひかりの700系運用は3月のダイヤ改正で終了するので最後の貴重な体験ではある。

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 相模川を渡ると右手に富士山が見えてきた。さいたま市あたりから見るのと比べてとても大きく見える。

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 丹那トンネルを抜け、新富士駅付近からはさらに大きな富士山が見えてくる。

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 名古屋で3分の1ほどの客が下車する。

 関ヶ原付近はそれほどでもなかったが滋賀県内に入り、米原を過ぎたあたりから一面の銀世界となり、少し雪も降ってきた。線路上には積雪はないので徐行運転するほどではないようだ。

 京都の手前で雪はなくなり、新大阪には定刻11時20分に到着した。

2017年2月 6日 (月)

武州鉄道廃線跡

 かつて埼玉県の蓮田市と川口市の神根というところまで16.9km結んでいた武州鉄道という路線がありました。1924年に開業し、わずか12年後の1936年に廃止になりました。先日その廃線を見てきました。

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蓮田駅付近の駐車場。ここが廃線跡らしい。

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 道路を渡った反対側。民家が道路に対して斜めに建てられている。

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 こちらは東武野田線との交差部分。武州鉄道のほうが先に開業したので、東武野田線が上をまたいでいる。交差部分がプレートガーター橋になっている。当時は単線の築堤だったはずだが、その後複線の高架橋になったときも交差部分だけはプレートガーター橋のまま残っている。

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 そこを南下すると、「武州鉄道の小径」という標識が現れる。ここが廃線跡であることを示している。幅からすると単線だったようだ。

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 こちらは旧浮谷駅を移築したとされる建物。

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 今は倉庫として使用されている。

 今から80年ほど前に廃線になったので、ほとんど遺構はないが、それでも廃線跡らしき雰囲気が残っているところもあり、楽しい探検だった。

 

2017年2月 5日 (日)

西武大宮線橋台跡

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 昨日紹介した西武大宮線の唯一の遺構が川越市古谷の郊外に残っています。セブンイレブン古谷上東店の脇の道を入ります。

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 ここを路面電車が走っていたはずです。

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 水路の両側にレンガが積まれています。これが当時の橋台だったらしいです。民家の間に突然出現します。

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 100年の風雪に耐え、よくぞ残っていたものです。


2017年2月 4日 (土)

西武大宮線久保町駅跡

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 かつて西武大宮線という路線がありました。最初は川越電気鉄道と呼ばれた線で1906年に開業し、1941年に廃止になった路面電車です。大宮駅西口から川越市の川越久保町駅まで12.8kmを結んでいました。路面電車の廃線なので遺構はほとんど残っていません。こちらは終点の川越久保町駅跡で、現在の川越市中央公民館があるところです。

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 隣には街中なのに火力発電所もあったようで、そこからの電力で路面電車の運行を行っていました。 

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 ここは線路がループ状になったようです。貨物列車もあったようです。

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 ここが廃線跡らしいです。この幅からすると単線の専用軌道だったのでしょうか。



2017年2月 3日 (金)

駅の宅配ロッカー

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 大宮駅にも駅の宅配ロッカーが設置されていることに気付きました。東武野田線への連絡通路脇にひっそりと設置されています。自宅で宅配の受取が困難な人がここを受取場所に指定することにより、荷物を受け取ることができます。

 写真の左側部分はコインロッカーで別物です。宅配ロッカーは右側3分の1くらいで「PUDO」と表示があります。ここが幾つかのブースに区画されているので、実際の収容能力はそれほど大きくはなさそうです。

 それでも帰りが遅い人は駅で受け取れるのは利便性が高いと思います。私も実際に利用して、使い勝手を試してみたいです。

2017年2月 2日 (木)

行田古代蓮の里

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 埼玉県行田市にある「古代蓮の里」に行ってみました。ここは蓮の花を中心とした公園で、地中深くに眠っていた今から2000年ほど前の蓮の種子が、40年ほど前に再び芽を出し花を咲かせたことを記念してできた公園です。

 それとともに高さ50mの展望タワーが設けられ、関東平野が一望できるようになっています。入場料は400円ですが、ホームページのクーポンを提示すると200円で入れました。

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 展望タワーからの景色です。赤城山です。

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 日光男体山です。

 午後3時ころに訪れましたが、筑波山、さいたま新都心、秩父連山なども見えましたが、東京都心や富士山は視界が悪くて見えませんでした。早朝や午前中ならば本当に関東平野が一望できると思います。元日には早朝営業もやっていて人数限定で初日の出が拝めるらしいです。あまり有名でないスポットですが、訪れる価値は十分あります。

2017年2月 1日 (水)

本庄早稲田駅

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 上越新幹線の本庄早稲田駅の近くを通りがかったので、ちょっと立ち寄ってみました。この駅は2004年3月の開業で、私は開業初日に行ってみました。これがその時の写真です。当時は駅前はまだ整備中で何もありませんでしたが、今はロードサイド店舗が立ち並んでいて様変わりです。

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 こちらが現在の様子。

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 この駅は総工費115億円で、全額地元負担で建設されました。駅構内に出資者の名称が記載された看板が設置されていました。埼玉県が3分の1、本庄市が3分の1、周辺市町村が6分の1で全体の6分の5を負担し、残りを民間が出資したようです。その筆頭は早稲田大学で7億円も拠出していましたが、私の勤務先もかなり上位に出資していることを知りました。

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 駅の裏手の丘陵地帯は駅名の通り早稲田大学と早稲田大学本庄高等学院のキャンパスになっています。大学が駅を誘致したり、大学の利用者の便を図って駅が設置されることは昔からありました。大学名を冠した駅名は、駒場東大前、東大前、一橋学園、学芸大学、都立大学、東海大学前、中央大学・明星大学、六会日大前、船橋日大前などです。この中には既に大学は移転しているのに駅名だけが残っているものもあります。やはり大学のネームバリューはステータスが高いのでしょう。

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 大学のキャンパスには近未来的な研究施設の建物が点在していました。結構アップダウンがあるので、ここで学ぶ人は足腰が鍛えられそうです。

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