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2016年2月 3日 (水)

受験の思い出5

 私立大学の受験に失敗したものの、まだ国立大学の受験があるので、落ち込んでいるわけには行きません。第一志望の大学は共通一次試験の得点で足切りラインが設定され、私の点数では二次試験を受けることができませんでした。私はやむなく足切りラインが設定されていなかった名古屋大学を受験することにしました。

 高校で学割証を発行してもらい、北浦和駅で名古屋までの往復乗車券を購入しました。名古屋までの片道硬券乗車券に、「往復」のゴム印を押したものでした。今ならマルス券を発行してもらうところですが、当時の北浦和駅にはみどりの窓口がなかったのです。

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 試験日の前日、1981年3月3日東京駅11時48分発のひかり171号で名古屋に向かいました。0系新幹線です。当時は0系しかなかったので、単に新幹線と呼ぶだけで、0系という言い方はしていませんでした。私は自由席車の窓側A席に座りました。東京駅を出て田町駅を過ぎると、新幹線は父の勤めていた会社の脇を通ります。進行方向左側に建つ白いビルでした。

 当時はまだ新幹線品川駅はなく、在来線の品川駅付近を過ぎ、しばらく進むと横須賀線と平行して走り出しました。以前は東海道線と横須賀線は線路を共用していたのですが、1980年10月から横須賀線は通称品鶴線経由となり総武線と直通運転を開始したのです。そういう知識は持っていたのですが、品鶴線が新幹線の隣を走っているとは知りませんでした。

 私の隣のB席、C席には二人連れの会社員が座っていましたが、食堂車の営業が始まると連れ立って食事に行きました。この新幹線は新大阪止まりですが、こんな短時間でも食堂車の営業を行っていました。私は自分が食事をどうしたのかは記憶がありません。

 車内では英文解釈の参考書を読み明日の受験に備えましたが、車窓が気になってしっかり勉強できたかどうかは自信がありません。13時49分、定刻に名古屋に到着しました。名古屋に下りるのは初めてでした。

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コメント

 こんにちは。受験の話題ではないのですが、時刻表をながめると、このころの新幹線食堂車の充実ぶりは目を見張るものがありますね。日本食堂だけでなく、帝国ホテル、ビュッフェとうきょう、都ホテル。それぞれメニューが違っていて、食べ比べをした思い出があります。発車時の営業開始アナウンスも独特でした。私は都ホテルが好みでした。唯一食べなかったのは、丸玉給食。新大阪~博多間に1往復だけビュッフェで営業していました。N700系後継車で復活しないかななどと妄想を抱いています。

railwayさん、こんばんは。

私は新幹線の食堂車は、100系で2度ほどしか利用したことがないので、うらやましく感じます。

新大阪までの運用でも営業していたのは、それだけ需要があったのですね。

今はゆったりした旅がしにくいので少し残念ですね。

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