受験の思い出12
私立大学の受験を終え、体調もようやく回復し、1982年3月4日、5日の2日間、国立大学の入学試験となりました。最寄り駅は国立駅ですが、当時はこの三角屋根の特徴的な建物に気付く余裕は全くありませんでした。記憶に残っているのは学校案内には駅から大学まで徒歩10分とあったのに5分ほどで着いたことくらいです。この駅舎は中央線の高架化に伴ない、今から10年ほど前に取り壊されてしまったのが惜しまれます。
大学には武蔵野線経由で国立に向かいました。武蔵野線は中央線のお下がりの101系に難燃化対策を施した101系1000番代車が投入されていました。当時は6両編成で運転本数も今より大幅に少なかったです。一方、中央線は101系、103系、201系の3種類の車両が運転されていて格の違いを感じました。
入学試験の手応えは何とも言えませんが、自分の印象では数学が思いの外よくできたような感じがしました。入学試験後合格発表までの間、私は当時発売されたばかりの「青春18のびのびきっぷ」を利用して旅に出ました。このきっぷを利用して普通列車だけで長崎まで行ってきました。
旅から戻り、3月20日が合格発表日です。再び武蔵野線に乗り、学校に向かいます。こういう合格発表は、試験結果に自信のある人は発表前から現場に行って待っているのでしょうが、私は発表時刻を過ぎて30分くらいしてから見に行きました。
当時は携帯電話などない時代なので大学の正門付近には臨時の電話機が多数設置され、既に合否が判明して自宅などに連絡を取っている人が見えます。私はその脇を抜けて掲示板を見に行きました。
今まで私が経験した合格掲示板は受験番号のみの表示だったのですが、ここのは番号の他に名前がカタカナで表示されていました。掲示板を見た瞬間に私の番号と名前が目に飛び込んできました。さっそく特設電話で家に電話したのは言うまでもありません。
« 受験の思い出11 | トップページ | ウルトラマンスタンプラリー(TAC) »
「鉄道雑感」カテゴリの記事
- 山本厚太郎先輩、ご逝去される(2022.07.19)
- 安倍首相、凶弾に倒れる(2022.07.11)
コメント