受験の思い出11
1年間の浪人生活で受験勉強に励んだ私は、まず1982年1月に共通一次試験を受けました。幸いにも自分の母校での受験となり、落ち着いた雰囲気で受けることができました。家に帰ると合格したわけでもないのに豪華なケーキが用意されていました。一年の浪人生活の効果は顕著で去年は足元にも及ばなかった第一志望大学の足切りラインは軽くクリア、現代国語は満点でした。
しかし、この油断がいけなかったのでしょうか。私立大学の試験の直前に私は高熱を発しました。医者で薬はもらったものの熱が下がらず、そのままの状態で中央大学を受験しました。去年は何事もなく登れたヒルトップ隧道も、今年は途中でフラフラになり、坂を登り切ることができないくらい体力を消耗しました。何とかトンネルを抜けることはできましたが、去年は絶景に感じた多摩丘陵を見る余裕もありません。試験の途中ではお腹が痛くなり、冷や汗もタラタラ、最後の最後で体調を崩し、この1年間の苦労は何だったのだろうかと試験の最中で悲しくなりました。母が作ってくれたお弁当も全部は食べきれませんでした。
その後、明治大学、慶応大学、早稲田大学などを受験しました。だんだんに体調は回復していったものの本調子ではありませんでした。しかし、幸いにも一番体調の悪い時に苦労して受けた中央大学は合格、明治大学も合格、慶応大学は一次筆記試験は合格、二次面接で不合格、早稲田大学は不合格という結果になりました。
慶応大学は二次試験が面接で会場は日吉校舎でした。慶応の面接試験ということで、それなりの格好で臨まないと試験官に好印象を与えられないと考えた私は、直前に急いでブレザースーツを買ってもらい、それを着込んで面接に臨みました。しかし周りの受験生を見ると大半は全くの普段着でした。当たり前ですが服装と試験の結果はまったく関係なく、私は二次面接で不合格となりました。ただ面接のできが悪く不合格となったわけではなく、筆記試験の結果と面接の総合点で合否が判定されたようで、ボーダーライン上にあったのは間違いないはずです。
それにしても1年前は手も足も出なかった入試でそれなりの結果を残すことができました。残すは3月4日から始まる国立大学の入試です。
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