受験の思い出3
中学受験を失敗した私は地元の公立中学に通いました。中学2年からは大宮にあった山田義塾という塾に通い、高校受験に備えます。
まず受けたのは海城高校です。同じ中学から受験することになった数人とともに学校に向かいました。当時は埼京線も湘南新宿ラインもなく、京浜東北線、赤羽線、山手線と乗り継いで新大久保に至りました。新大久保駅から学校までの間にロッテの工場があり、ガムやチョコのいい香りがしてきました。午前中が学科試験で、午後が面接試験で、昼休みに一緒に受験した数人と新大久保駅近くの喫茶店「トゥモロー」でコーヒーを飲みました。その時新大久保駅と大久保駅がすぐ近くにあるのを知りました。
次に受けたのが慶應志木高校です。受験会場は志木高ではなく、三田の慶応大学でした。父が田町に勤めていたので試験場まで一緒に来てくれました。少し早めに着いたので、父とともに田町の駅前にあった森永ラブというハンバーガーチェーンでコーヒーを飲んで時間調整しました。森永ラブは森永製菓が運営していたハンバーガーチェーンで今はありません。
最後は第一志望の浦和高校です。自宅からバスで北浦和駅に出て、北浦和からは徒歩で10分ほどです。一人で試験場に向かいました。ここでの記憶はなぜかほとんどありません。翌日の新聞に入試問題の解答が出ていましたが、自己採点では満点でした。
結局、浦高と海城高校に合格、慶應志木高校は不合格でした。これで世田谷の団地を売って浦和に引っ越してきた両親の期待に応えられたのでした。そのご褒美で、私は高価なステレオセットを買ってもらいました。
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