受験の思い出1
今、世間はちょうど受験シーズンで、このブログの読者やご家族に受験生を抱えている人もいるかもしれません。これから何回か、私の受験の思い出をなるべく乗り物にからませてお伝えしたいと思います。
第1回めは幼稚園の受験の話です。私が幼稚園に入園したのは昭和42年4月で、その前年の12月に世田谷区北烏山(当時は烏山町)の団地に引っ越してきました。この団地は東京都住宅供給公社の分譲住宅で、抽選の補欠で購入することになったのです。分譲価格は3DKで330万円、私の父は親からも借金したりして自己資金を用意し、35年ローンで購入したそうです。当時の団地は国民の憧れの的で抽選に当たらないと買えなかったようです。この団地の周辺の一戸建ては500万円くらいしたので割安だったのでしょう。
補欠で当選するとは思っていなかったので前に住んでいたところで幼稚園の入園手続きを済ませ、入学金まで納めてあったようです。12月に引っ越してきて引越し荷物もほどかないまま、母は新天地で幼稚園探しを始めたのですが、どこも既に入園を締め切っていて、ようやく人づてに見つけたのが国学院大学附属幼稚園でした。この幼稚園も既に入園手続きが終わっていたのですが、幼稚園に頼み込んで試験を受けさせてもらうことになりました。私は同じような境遇の子5人とともに試験を受けました。
当時は「お受験」という言葉もなく、入園試験といってもおそらく名前を言ったり、きちんと受け答えができるかどうかという程度の簡単な試験だったようです。試験中はお利口にしていた私ですが、試験が終わって会場を出ると緊張の糸が切れたのか、とたんにぐずりだし、そういう様子を先生に見られては大変と、母は私を引きずるように連れ出して幼稚園を後にしたらしいです。後日連絡があり、一緒に受けた5人は全員「合格」しました。5人全員が合格したのは、誰かを落とすのは忍びないという幼稚園の配慮だそうです。入園手続きが終わった後に特別に頼み込んだ人を入園させてくれるとは随分温情的な計らいですが、まだ昭和の時代でいろいろと融通が利く時代だったのしょう。これが私の人生初の受験経験だったのです。
親がそんな苦労をして入園させたという事情はその当時は知る由もありませんでした。その幼稚園での一番の思い出はバス通園です。大人の足で徒歩20分ほどのところにあったのでバスでの通園となりました。私の住んでいた20号棟にちょうどバスが停まり、そこから私の他にEちゃん、Mちゃん、Hちゃんが一緒に乗りました。幼稚園の子がレディーファーストなどいう言葉を知っているはずもなく、バスが来ると私は女の子を差し置いてまっさきに乗り込み、一番前の席に座りました。バスの構造は通路を挟んで左側が二人がけ、右側が三人がけで、私はいつも三人がけの通路側に座りました。既に最前列の二人がけはO君、T君が座っていて、三人がけの窓際は双子のH兄弟が座っていました。誰がどこに座るかは暗黙のうちに決まっていたようです。
ハンドルをぐるぐる回す腕さばきや、他のバスをすれ違うときに運転手同士が軽くあいさつするしぐさなど、一番前に座ってバスの運転手の様子を観察するのが楽しみでした。所要時間10分ほどのバス通園は私の楽しみでした。今でもバスや電車で最前列に座りたがるのは、その時の体験が大きく響いているでしょう。
« 北海道新幹線試乗会開催される | トップページ | 受験の思い出2 »
「鉄道雑感」カテゴリの記事
- 京王百貨店鉄道フェスティバル(2022.08.15)
- 夏休み奥行臼トロッコまつり(2022.08.14)
- 山本厚太郎先輩、ご逝去される(2022.07.19)
ミスターKさん、おはようございます。
今から約50年前、私の住んでいた田舎町では幼稚園に行かない子供もいた時代、受験の経験をされていたとはビックリです。さらに幼稚園バスの記憶はすばらしい。座席の配置や座っていた人や位置までよく覚えておられますね。当時、自家用車のある家は少なく、乗り物に乗る機会も少なかったためか、私の場合、徒歩通園だったので幼稚園バスには憧れのようなものを感じていました。
投稿: ミスターAN | 2016年1月30日 (土) 07時24分
ミスターANさん、こんばんは。
バスの前の席に座るのが何よりの楽しみでした。今思うと小さなマイクロバスで、乗り心地も悪かったと思いますが、楽しい思い出が浮かんできます。最近のことより昔のことのほうがよく覚えているのは年をとった印ですね。
投稿: ミスターK | 2016年1月30日 (土) 18時03分