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2015年8月

2015年8月31日 (月)

北海道マイカードライブ(道の駅おびら鰊番屋)

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 増毛駅の観察を済ませ、そこから約1時間、8時40分に道の駅おびら鰊番屋に到着。小平(おびら)はかつてニシン漁で栄えた町で、その象徴がこの鰊番屋だ。

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 その番屋の隣に道の駅も併設されていて、観光客で賑わうスポットとなっている。建物は黒く重厚で、かつての繁栄をしのばせる。今朝フェリーを下りてから、朝食がまだだったので、ここで済ますことにした。

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 朝から鮭いくら丼にした。旅の初日で贅沢な朝食だ。鮭は生の刺身ではなく焼き鮭をカットしたもので量も多い。食べているうちに9時になり、朝食タイムが終了したようだ。少し来るのが遅いと朝食を食べ損ねるところだった。

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 食事を終え、道の駅裏手にある斜面を登る。線路や枕木は残っていないものの、各種情報を総合すると、どうやらこれがかつても国鉄羽幌線の築堤らしい。

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 こちらは道の駅から見た日本海。穏やかな海が広がっている。北海道に来てよかったという感覚がこみ上げてくる。

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 ライダーやチャリダー(自転車の旅行者)も多い。今回の旅行でいくつかの道の駅に立ち寄ったが、おすすめはここだ。食事のおいしさ、施設のきれいさ、そして目の前の日本海の光景、前後の道路の快適さ、どれもが最高水準だった。

 私は国鉄羽幌線がまだ廃止される前にこの区間を乗車し、この海も眺めたはずだが、記憶が全くない。乗車した列車は記録に残してあるのだが、それ以上のことはしてこなかった。当時は今のようにブログを書いたりするようにして、旅の様子を記録することをしなかったのが悔やまれる。

 

2015年8月30日 (日)

北海道マイカードライブ(増毛駅)

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 私は増毛駅には国鉄時代の昭和61年に最初に訪問し、その後JRになってからは平成18年に来ている。最初の訪問からは30年も経っている。当時も今も無人駅だが、当時は簡易委託の形態で切符の販売は行われていた。扱いとしては無人駅なので入場券は販売されておらず、最短区間の乗車券を購入した。

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 駅舎は小ぶりの木造で廃止されるという目で見ているせいか味わいがある。高倉健主演の「駅」という映画の舞台になった駅のひとつでもある。

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 先ほど通ってきた雄冬の町はかつては増毛から道路が通じておらず、船で渡るしかない陸の孤島で、高倉健は雄冬に渡る船を待つため、増毛駅前の風待食堂で風が収まるのを待つ間、そこの店の倍賞千恵子と知り合うのだった。

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 そんな思い出に浸っていると、7時20分、深川からの一番列車が到着した。単行のディーゼルカーだ。列車からは10人前後の鉄道ファンと思われる人間が下車してきた。この列車に乗るには深川を5時44分に乗らないといけないので相当に早起きな連中だ。私も人のことは言えないのだが、廃止になると分かると急に訪問客が増える風潮はいかがなものか。

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 こちらは増毛駅の入場券。増毛駅は今は簡易委託も行われていない無人駅なので、入場券は駅前の旅行案内所か留萌駅で販売している。この時間は旅行案内所は開いていないので、私は留萌駅に立ち寄り購入したのだ。

2015年8月29日 (土)

北海道マイカードライブ(増毛駅まで)

 今日最初の目的は増毛(ましけ)駅訪問だ。JR北海道が留萠本線の留萌駅から増毛までの路線の廃止の方針を打ち出し、日本全国の増毛(ぞうもう)を願う人から、存続の声が上がっているらしい。私はおかげさまで今のところ「ぞうもう」のお世話になる必要はないのだが将来に備えて訪問しておくことにした。

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  フェリーを降りて、まず日本海沿いを北に進む。銭函駅の前を通るので、駅舎の写真を1枚撮っておく。高倉健の「駅」の舞台の一つで北海道らしい駅舎だが、中に入ると自動改札があり、外観とミスマッチだ。

 その後国道231号線を北上するルートだが、小樽市内、石狩市内付近は少し内陸を走るのでまだ海は見えない。このあたりの道路は4車線で走りやすい。北海道のコンビニ「セイコーマート」は通常は24時間営業ではなく、6時営業開始なので、道路沿いのコンビニは開店していない。こういう光景は本州ではめったに見かけない。

 厚田ビーチセンター付近からは海が近くなり、キャンプ場もあり、多くのテントが張られている。キャンプの人気も相当なものだということを知らされる。

 雄冬付近はかつて陸の孤島と呼ばれたところで、陸路が整備されておらず、増毛から船が唯一の交通機関だった時代がある。実際に車で走ってみると、岩山が海岸までせり出していて、非常に険しい地形だ。断崖絶壁を繰り抜いてトンネルを掘り、トンネル以外の区間はほとんど海岸線で波も荒々しい。今はトンネルが整備されているが、それでもトンネル内部の補強工事が今もいたるところで行われていて、数ヶ所で工事で片側交互通行になっていた。

 そういう区間が25kmも続く雄冬を過ぎ、7時15分増毛駅に到着した。

2015年8月28日 (金)

北海道マイカードライブ(下船)

 フェリーの小樽着は午前4時30分だ。私は3時頃目が覚め、早めに身支度を整える。間際になると洗面所が混み合うと思ったからだ。すでに早起きの人たちで洗面所は思いの外混んでいた。
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 携帯は圏外になったり、電波を受信したりを繰り返しているが、余市町の沖を航行しているようだ。

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 3時40分、アナウンスがあり、定刻の航行中とのこと。小樽の天候は曇り、気温は19度らしい。外はまだ暗いが小樽の街の夜景が見える位置まで来ている。

 4時20分、アナウンスに従い2階の車両甲板に下りる。

船の入港は4時30分定刻だったが、いろいろ段取りがあるので鉄道のようにすぐに下船できるわけではない。エンジンを掛けたまま、車の中で待機する。

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 私の停めた場所は入り口の近くだったので割とすぐ出られた。4時50分、順番が来て船を出る。いよいよ北海道の地に足を記した。カーナビは自分の位置を確定するのに戸惑っている。昨日、新潟港で乗船してからGPS信号を受信していないから当然だ。自分の位置を把握するまで3分ほどかかった。

今日は一気に稚内まで進む。北海道の道は制限速度がない道が多いので、スピードの出しすぎに注意していく。

2015年8月27日 (木)

北海道マイカードライブ(食事)

 フェリーの船内ではカフェテリア方式で食事ができるスペースがある。いっぺんに100人以上は入れそうだ。

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 こちらはお昼のタレカツ丼。せっかくだから生ビールもいただく。タレカツ丼は新潟の名物で、ヒレカツが3つにウスターソースのようなタレがかかっている。

 朝が早かったのとビールのせいで、ランチのあとベッドでしばらく昼寝をする。鉄道の座席でうたた寝するのと違ってぐっすり休める。

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 こちらは夕食。ビーフシチューとイカ刺し、それからサッポロクラシック。イカ刺しはヌメッとしていて、いい感じだ。

 私は今回2食ともカフェテリアで食べたが、お昼は食事を持ち込んで食べるのも悪くない。船内に飲食スペースはあるし、私のような個室であれば部屋でも食べられる。お湯も用意されているのでカップ麺持参という人もいた。

2015年8月26日 (水)

北海道マイカードライブ(ゆうかり船内2)

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 フェリーは客室以外の部分も充実している。こちらは先頭のフォワードデッキ。前がよく見える。

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 こちらは後部デッキ。夏場はジンギスカンができるようになっている。ヘリコプターが着陸できるスペースもある。

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 シアタールーム。ビンゴ大会が開かれている。

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 お風呂。出港直後から入れる。私は食事の後に入ったが、お湯が熱々で、30秒が限界だった。

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 フリースペース。勝手知った客が食料を持ち込んで酒盛りをしていたりするので、早く押さえないとダメだ。

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 3階エントランス。階段で上のフロアーに上がれる。客室は3階、4階、5階で、車両は2階に格納されている。

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 おみやげコーナー。北海道のおみやげが中心だ。

 なお、少ない人数で売店、レストラン、おみやげコーナーなどを担当しているので、それぞれの営業時間が細かく決められているので利用には注意だ。


2015年8月25日 (火)

北海道マイカードライブ(ゆうかり船内)

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 私の船室はツーリストSという1人用ベッドルームで、チケットに部屋番号が記されておらず、船内フロントで指定される仕組みになっている。S1-78番という部屋を割り当てられる。

 窓と洗面台がないが、寝台特急の富士やはやぶさに連結されていたA個室よりも広い。ただ、部屋の入口がカーテンだけで鍵がないのと空調のコントロールができないのとライトが枕元に一つだけで部屋が薄暗いのとが難点だ。

 自分の部屋の場所を確認し、船内散策に出かける。

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こちらは雑魚寝部屋。一人ひとりのスペースは一応区画されている。

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 こちらは個室の通路。4階と5階はホテルの廊下のようだ。

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 デッキで出航を迎える。10時30分、汽笛とともに港を離れる。岸壁では従業員が手を振って見送ってくれる。その昔の船の出航風景というと紙テープで別れを惜しむというのがスタイルだったらしいが、今は見かけない。その代わり多くのカモメが船の周りを飛び交っていて、旅を祝福してくれているかのようだ。

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 こちらは出航1時間後の海の様子。よく晴れていて、波も穏やかだ。速力は時速で約40kmで意外と速い。

2015年8月24日 (月)

北海道マイカードライブ(乗船)

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 8時30分、フェリーターミナル着。船は既に入港している。船名は「ゆうかり」で全長199.9m、旅客定員は892名となっている。北海道に行くぞという気持ちが高まってくる。

 フェリーの乗船手続きのため、車をいったん下り、ターミナルビルに向かう。夏休みの後半ではあるせいか利用者は意外と少ない。

 窓口でインターネット予約の番号を告げるとアッと言う間に発券される。代金は予約時に精算済だ。かつては乗船名簿の記入や車検証の提示があったが、それもなかった。ずいぶんと楽になったものだ。待ち客が少ないのはそれもあるかもしれない。

 再び車に戻り、乗船まで待つ。この時間を利用し、車の車体を拭いてきれいにする。新潟市内は先ほど突然の大雨だったのだ。

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 大型車、バイクの順に乗船が始まり、一般の乗用車は9時45分頃からいよいよ船に乗り込む。スロープの下で係員にチケットを示すとバーコードを読み取ってくれ、乗船が許可される。

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船の後部に入り口があり、そこへの急坂を上っていく。

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 船内に入り、係員の誘導で駐車位置を指定される。車が隙間なく停められている。しっかりとパーキングブレーキを使用するように指導はあるが、車自体を固定するようにはなっていない。ドアミラーをたたむように指示され、荷物を取りまとめ階段をのぼり、船内フロントへと向かった。

2015年8月23日 (日)

北海道マイカードライブ(新潟まで)

  8月22日土曜日朝3時50分。大宮の自宅を出発。まだ日の出前で暗いが、星が見えないから曇りのようだ。気温は26度で蒸し暑い。まず小樽行フェリーに乗るため、新潟港へと向かう。

  車の少ない土曜日の朝の道を東松山インターまで向かう。配送用のトラックが多い。朝早くからお疲れ様だ。日中ならば1時間以上かかるところだが約50分で到着した。外はまだ暗い。

  ETCレーンを通過し、下り線に入る。交通量は多くない。車の調子も問題なさそうだ。

  嵐山付近から小雨が降りだし、本庄児玉インター付近で明るくなってきた。

 高崎ジャンクションでは、「宇都宮」という行き先表示が出てきて、ちょっとびっくりする。北関東道経由で宇都宮に行けるのだ。以前、前橋に住んでいたので前橋インターまでの区間は懐かしい。

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 前橋インターから先は上り勾配となる。赤城高原SAでまず1回目の小休止。ここで10分ほど仮眠し、すっきりする。

 沼田インターの手前で大きな谷を渡る。片品川が形成した河成段丘だ。地形マニアでもあるタモリさんもここがお気に入りだ。

 関越トンネルをくぐり、リゾートマンションが並ぶ中を快調にすすむ。

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 栄PAで再び15分ほど休憩する。この先新潟まで渋滞や交通規制はなさそうだ。水田地帯の中、右手に上越新幹線の燕三条駅が近づいてくる。

 新潟西インターで高速を下り、一般道を30分ほど走り、途中で給油し、9時30分新潟港フェリーターミナルに到着した。

2015年8月22日 (土)

北海道マイカードライブ(音楽)

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 レンタカーでドライブする場合の難点は自分の好きな音楽が聴けないことだ。レンタカーではCDプレイヤーが付いていないことが多く、また仮についていたとしてもわざわざCDを持参するのもわずらわしい。 慣れないレンタカーでは音楽を聴かずに運転に集中したほうがいいのだが、さすがに北海道のように長距離を走る場合は音楽を聴きたい。

 今回は自分の車で走るので聴き放題だ。 私の好きな音楽はすでに皆様もご存知だろうが、ZARD、オフコース、チューリップ、井上陽水、松任谷由実、森高千里などで、昭和のニューミュージック系と平成初期のビーング系が中心だ。そういったメンバーのお気に入りCDを自分で作ってみた。昔はこういうものはカセットテープで作ったものだが、今はiTunesでCDを製作した。

 カセットテープだと製作に要する時間は音楽の再生時間以上かかるが、今は1枚のCDを焼くのに数分だ。便利な時代になったものだ。こういった曲を聴きながら、北海道ドライブを楽しんで来ようと思う。

2015年8月21日 (金)

北海道マイカードライブ(ツーリングマップル)

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 今回の北海道旅行は鉄道の要素があると言っても、ドライブの要素のほうがずっと多い。観光地や見どころの情報は北海道のガイドブックやインターネットでも手に入るのでそれらも参考にするのだが、私が一番役に立つと思っているのがこのツーリングマップルだ。ライダー向けの地図だが、景色の良いところやオススメの店などが地図上にしっかりと記述されていて評判がよく、ライダーのバイブルのような地図なのだ。コンパクトなのもありがたい。

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 口コミのようなコメントも多く、同様の情報はインターネットでも当然手に入るが、あちこちのサイトに飛ばなくても情報が入る本の一覧性にはかなわない。これを枕元に置き、夜な夜な計画を練っている。

2015年8月20日 (木)

北海道マイカードライブ(初めに)

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 8月の下旬に夏休みが取れることになったので北海道に行って来ようと思う。私は大学1年の時に初めて北海道に行って以来、1〜2年に1度は北海道に行っている。その魅力は景色の雄大さだ。都会であくせく仕事をしていると、たまには命の洗濯が必要になってくる。北海道の雄大な大地を眺めていると、定年後はここに永住しようかと思うくらいだ。今回も北海道を存分に楽しんでこようと思っている。

 私の旅は鉄道が中心だが、今回は自分の車で行って来ることにした。過去の北海道旅行では現地でレンタカーを借りることが多かったが、今回は丸々1週間休めるので自分の車を北海道を走らせてやりたいと考えたからだ。私は前に乗っていた車では2度北海道に行っているのだが、今の車に乗り換えてからはまだ一度も行っていない。

 自分の車で行くので北海道の雄大な景色の中を思いっきり走ってくるつもりではあるものの、鉄道の要素も多分にある。廃線跡を楽しんだり、静態保存の車両にあいさつをしようと思っている。

 今回の主なポイントは次の通りだ。まず新日本海フェリーで小樽に行き、そこから廃止が近いと噂される留萌本線の増毛駅訪問、羽幌線跡の探索、稚内桟橋駅跡の探索、道の駅おこっぺ、道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯、計呂地交通公園、道の駅あいおいなどにある静態保存車両の観察などだ。最後は苫小牧からフェリーで仙台に帰ってくる予定だ。 そのほかにも現地で思わね発見があるかもしれない。

 この写真は1995年9月に初めて北海道に車で行った時にサロベツ原野にある北緯45度線上のモニュメントで撮影した写真で、Nの文字が45度に傾いているのが特徴だ。今回もここを通る予定で、日程は8月22日から8月28日、仕事で突発事故が起きて、行けないことにならないことを祈っている。

2015年8月19日 (水)

高速夜行バス事故多発

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 昨日、大阪から仙台に向かう近鉄の夜行バスが車両火災を起こし、全焼しました。エンジンルーム付近から出火したようです。幸い死者は出ませんでしたが、一歩間違えば大惨事になるところでした。

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 7月にもウィラーエキスプレスの夜行バスが東名阪道で転落事故を起こしたばかりです。

 また、3年前には関越道でやはり夜行バスがフェンスに激突し、多くの死傷者が出ました。

 私は乗り物好きで、高速バスもよく利用し、その利便性や快適さを理解しているのですが、このように事故が多いと利用をためらわざるを得ません。

 もちろん、一般の乗用車やトラックと比べれば事故の発生率は大幅に低いと思いますが、それでも鉄道や航空機の比ではありません。鉄道や航空機では複数の安全装置が併用されていますが、バスの運行は基本的には人間の注意力のみに委ねられているので、利用する側も運賃の安さのみにとらわれずに総合的に判断する必要があるでしょう。

 と言っても、JRの夜行列車がほとんどない状態ではそれも難しいかもしれません。とにかく自分の命は自分で守るようにしないといけません。

2015年8月18日 (火)

デュアル・モード・ビークル

 JR北海道で行われていたデュアル・モード・ビークル(DMV)の開発が見送りとなりました。事故多発を受けて、そういった投資費用を安全対策に振り向けるという方針だそうです。

 DMVとは、マイクロバスを改造し、鉄道の線路上と道路の両方を走れるようにした車両で、線路を走るときには鉄の車輪を下ろして走ります。 私は以前、このDMVに乗ったことがあります。

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 1回目はJR北海道の苗穂工場で行われたイベントの時で、この時はDMVの車両がただ工場内の道路を走るだけで物足りませんでした。

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 もう1回は釧網本線を走るもので、往路は鉄道線路上を、復路は一般道路を走りました。

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 インターチェンジという特殊な設備を介して、道路から鉄道線路上に乗り入れる仕組みで、こちらがその様子です。通常の鉄道車両は台車が2軸なのに対してDMVは1軸なので、継ぎ目音が「タン、タン」という間延びした音でした。

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 ただ、線路上を高速で走れなかったり、道路から鉄道線路に乗り入れる際には、信号確認などで時間がかかったりで、試運転に乗った時にも、こういう車両を開発しても実用化は難しいのでないかと思ったものです。鉄道の大量高速輸送とバスのきめ細かい運行を両立するのは困難なのでしょう。JR北海道は安全投資への傾注としていますが、当初から結論は出ていたように思います。目の付け所は面白かったと思いますが。

2015年8月17日 (月)

旅の記録の整理

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 私が鉄道旅行を本格的に始めてから30年以上になるが、その間のコレクションが相当にたまっていて、これが悩みの種でもある。従来は切符は切符、カードはカード、チラシはチラシ、駅弁は駅弁というようにモノの種類による分類保管を行っていた。

ところが元来整理整頓が苦手な性格で、未処理のグッズがたまりがちであった。この難局をどうにかしないといけないと考えてたどりついたのが、「そのまんま格納法」だ。

 キングジムで発売している「取扱説明書フィル」に、旅先で得た資料、グッズをそのまましまうのだ。各ページは奥が大きな資料を収納するスペース、手前が小さな資料を収納するスペースになっていて、ページにマチがついているので、少し厚みがあるものも難なく収納できる。このファイルは本来は家電などの取扱説明書と付属品などを保管するためのものなのだが、私は鉄道資料、コレクション収納用に利用させてもらっている。切符やカード類など一覧性が要求されるモノは従来の方法を継続している部分もあるが、今は基本的にこの方法に統一している。

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 この方法の最大のメリットは、旅から帰ってこのファイルに格納するだけで、一瞬で整理が完了することだ。それとともに、旅ごとに記録が1ヶ所に保管されているので、後から見返した時に時系列で立体的に記憶が蘇ってくることもありがたい。単に突っ込んでいるだけだというご意見もあり、実際そのとおりだが、この方法によりいくらか部屋の散らかりが軽減されたようだ。皆様の参考になればと紹介させていただきました。

2015年8月16日 (日)

正しい発音

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 先日、カーフェリー「さんふらわあだいせつ」の事故の話をしましたが、それを知らせるNHKのニュースを聞いて、発音に違和感を覚えました。船名の「だいせつ」は私の感覚では、「だ」のところにアクセントが来るのですが、放送では「だ」にアクセントが置かれず、平板に「だいせつ」と発音されていました。「彼氏」を「か」にアクセントを置いて読む年配風の発音か、若者風に平板に「かれし」と発音する違いと同じです。

 また、先日京浜東北線で架線が切断され長時間に渡って運転見合わせになったNHKニュースでの発音にもまた違和感を覚えました。「架線」は私の感覚では特にアクセントを置かず、平板に「かせん」と発音するのですが、放送では「か」にアクセントを置いて読んでいました。つまり「河川」の発音と同じでした(架線は「がせん」と読むのが正しいというマニア的な話はここで抜きにします」。

 さらにさかのぼって1997年特急スーパーあずさが大月駅で脱線事故を起こした際のNHKニュースでは、「スーパーあずさ」の「ス」にアクセントが置かれていたので、あたかもあずさという名のスーパーマーケットのような発音でした。

 いずれも突発的な事故のニュースで、突然原稿を渡され、正しい指導を受ける暇もなかったのでしょうが、NHKがこれでは情けないです。アクセントやイントネーションにより、言葉の意味が変わる場合もあるので細心の注意を払っていただきたいと思います。

2015年8月15日 (土)

終戦の日

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 今日で終戦70年になります。幸いにもこの70年間、日本が直接戦争に巻き込まれることはありませんでしたが、その間も世界の各地で戦争や紛争があり、多くの人が未だに犠牲になっていることは悲しいことです。戦争を知らない世代が国民の大半を占め、平和の感覚が麻痺し、戦前に戻るような事態があるとしたら、日本国憲法の前文をもう一度読み返すといいと思います。押し付け憲法だという批判もあり、日本語としてこなれていない文章は確かにそうだろうと思いますが、平和を希求する当時の国民の願いが切実に表現されている文章でもあるとも思います。

 それはともかく、宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」や「時刻表昭和史」のなかでも終戦の日の記述が出てきます。宮脇俊三さんは山形県の今泉駅で終戦の日を迎えました。正午に重大な放送があるということで、今泉駅で父親とともに下車し、駅前でラジオ放送を聞いたようです。「ラジオが天皇であるかのように直立不動で頭を垂れた」「黙ったまま誰ひとり言葉を交わす人はいなかった」「勅語調の文案は理解しにくかったが集まったひとは大意を理解した」といった記述は日本の転換点を簡潔に示しています。

 一方そういう状況にもかかわらず列車はいつもと変わらず運行されていて、逆にそれが宮脇少年の心に強く印象に残りました。変わるものと変わらぬもの、鉄道を視点に見ると、そういったものが明らかになるのかもしれません。

 終戦の日を迎え、何を言いたいのかはっきりしない文章ですが、要は宮脇俊三さんの文章を通して平和の意味を考えましょうということでした。

2015年8月14日 (金)

阿川弘之さん、ご逝去される

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 8月3日に作家の阿川弘之さんが逝去されました。94歳とのことで、天寿を全うされたと思います。私は阿川さんの文学的な作品は1冊も読んだことがない人間なのですが、阿川さんにはもうひとつの側面があって、大の鉄道ファンなのです。その代表作が南蛮阿房列車です。同じく作家の内田百閒が各地の鉄道を乗り歩く「阿房列車」という作品を世に出していたのに倣って、南蛮阿房列車というシリーズを世に送り出していました。そういった作品は全て読破しました。

 内田さんが国内の鉄道オンリーだったのに対して、阿川さんは海外の鉄道乗車記が中心なので「南蛮」なのです。イギリス、フランス、アメリカ、カナダ、台湾、タンザニアなど各地を乗り歩いておられます。私が特に興味を感じたのが、「アガワ峡谷紅葉列車」でカナダにある「AGAWA」駅を訪問した時の旅行記です。AGAWA駅は無人駅で、下車させてもらえたのは良いが、帰りに乗る列車はフラッグストップという方式で、列車に向かって旗を振って停める方式で、その様子はハラハラしました。

 その作品の中では、北杜夫さん、遠藤周作さんなど作家仲間がよく登場し、その時のやりとりが滑稽で、作家らしい感性を感じるとともに、文章のシンプルさにも目を見張ります。

 また、阿川さんは宮脇俊三さんとも親交があり、宮脇さんがまだ中央公論社の編集部員だったころ、阿川さんの鉄道エッセイ「お早く御乗車願います」を出版しました。宮脇俊三さんは阿川さんの文章、文体を気に入っており、「大河小説だ、思想だと言っても、詰まるところ文章の質だ。粗雑な文章を並べ立てたものは作品として意味がない」という趣旨のことを言って、阿川さんを評価していた。

 これで鉄道文学の世界での三巨頭である、内田百閒、阿川弘之、宮脇俊三の三氏が皆他界され、文学作品としてレベルの高い文章が新たに読めなくなり、悲しいことになりました。

2015年8月13日 (木)

さんふらわあ だいせつ火災

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 商船三井フェリーの「さんふらわあ だいせつ」が航行中に火災を起こし、二等航海士1名がお亡くなりになるという事故がありました。あれだけの火災にもかかわらず乗客が無事避難できたのも、犠牲になった乗組員を始め、多くの乗客乗員の適切な対応があったからだと思います。

 不幸中の幸いなのが、このフェリーが実質貨物船で乗員23名に対し乗客が71名しかおらず誘導が比較的容易であったこと、乗客もトラックドライバーのような人が多く、危機に際し一体感が取りやすかったこと、日没前であったことなどではないかと思います。

 それとともに周辺海域に同じく苫小牧港に向かっていたシルバークイーンやすずらんというフェリーがいて、それらの船が救助にあたることができたことも大きかったのではないでしょうか。船乗りの団結を感じました。

 また報道によれば、さんふらわあの船長が海上保安庁に促されて最後に下船したという話があり、当たり前の話ではありますが、船乗りの責任を全うした男らしさを感じます(最近沈没した韓国や中国の客船は船長が早くに救出されたという話もありましたので)。

 細部に渡ればいろいろな問題点はあったと思います。フェリーはガソリンを輸送しているようなものですから、スプリンクラーの能力に問題はなかったのか、防火扉の性能はどうであったか、当時の乗客の誘導はどうであったか等々。

 お亡くなりになった乗組員の方のご冥福をお祈りするとともに、これらを教訓に事故のない公共運送機関を目指していただきたいと思います。

2015年8月12日 (水)

日航ジャンボ機墜落事故から30年

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 本日で日航ジャンボ機墜落事故から30年になります。私は当時大学4年生でちょうど現在の会社に就職が決まった直後の話でした。当時の就職活動は大学4年生になるとOB訪問を始め、夏休みに就職が決まるというパターンで、昨今のように3年生ころから「就活」を始める時代ではありませんでした。

 そういうなか就職が決まり、ひと安心していた時にこの事故が起こりました。なかなか墜落場所が特定できず、皆テレビにかじりつくように情報を待ちました。最終的に群馬県上野村と判明したのが墜落から10時間も経過した翌朝でした。あれだけの大型旅客機が墜落炎上したのにもかかわらず10時間もその場所を特定できないとは考えられない話ですが、当時はGPSも携帯電話もパソコンも一般に普及していない時代でした。そして、その墜落場所は高校2年生のとき、友人たちと訪れた上野村であることに再び驚きました。

 あれから30年も経ったのですが、毎年この時期になると未だに特集や特番が組まれたりしますが、それだけ日本人の心に大きな影響を及ぼした事故だったいうことでしょう。昭和史を語る上では外せない事故の一つだと思います。たまたま乗り合わせた乗客に壮絶な運命が待っていたわけで、その人たちの人生が未だに語られています。

 航空機の安全運航を改めて要望するとともに、被害に会われた方のご冥福を改めてお祈り申し上げます。

2015年8月11日 (火)

浜工新幹線の旅(こだま668号)

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 浜松駅に戻ってきたのが16時33分で、乗るべきこだま号が17時20分なので、この時間を利用して帰りの車中で食べる食料を調達する。駅構内1階にあるお弁当、お土産物コーナーを覗いてみると、これがものすごい行列だ。レジに30人位は並んでいるだろうか。これでは列車に乗り遅れてしまいそうだ。私は駅前の遠鉄百貨店の地下食料品売場で買ってくることにした。デパ地下ならば、そこそこの物があるだろう。実際に行ってみると、賑わってはいるものの、行列しているほどではない。ここに来て正解だった。

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 買い物を済ませ、発車20分ほど前に新幹線ホームに上がる。浜工新幹線に乗った人たちは帰りの新幹線が3本くらいに限定されているので、ホームは相当混んでいるだろうと想像していたが、それほどでもない。私は座席数の多い2号車に狙いを定め、行列に加わった。10人位並んでいる。しかし、実は大半の客は先発の17時11分ひかり474号に乗る一般の客で、結局私は前から二番目になった。余裕で座れ、車内はガラガラだった。他の参加者はズルをして、指定された列車より早い列車で帰ってしまったのだろうか。それともJR東海ツアーズで予約した人はこの時間帯だが、ほかの旅行会社で予約した人は別の列車に乗ったのだろうか。

 そんなことを気にしながらも、ビールを飲むとどうでも良くなってきた。浜松餃子と天むすの食事を楽しんだ。

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 東京駅には19時17分に到着し、28分発のやまびこ219号に乗り換え、大宮駅に到着した。

 今回の旅では浜松工場への回送線に乗るというまたとない機会に恵まれ、おそらく今年最大の収穫になるだろう。また、インクラインの跡も感動モノだった。浜松での滞在時間が長すぎたのには、暑さも加わり閉口したが、そのおかげで転車台ツアーに参加できたのもいい経験だった。これで浜工新幹線の旅を終ります。

2015年8月10日 (月)

浜工新幹線の旅(浜松駅まで)

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 天竜二俣駅のツアーを終え、浜松駅に戻るが、このまま遠州鉄道経由で帰ると早く着きすぎるので天竜浜名湖鉄道の新所原経由で浜松駅まで戻ることにしている。

 天竜浜名湖鉄道はかつては国鉄の二俣線で、私は昭和58年3月に飯田線と合わせて乗車した。その後昭和62年3月15日に天竜浜名湖鉄道として開業し、その開業初日に乗車した。それ以来だから28年近くご無沙汰している。

 14時43分天竜二俣駅発の単行ディーゼルカーに乗車。冷房が効いているが、炎天下のツアーに参加した人間には物足りない。浜松工場でもらったうちわを併用し、体を冷やす。

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 天竜浜名湖鉄道は浜名湖の北岸を走るので、ところどころで湖がチラチラと見える。のんびりとしたいいローカル線だった。15時58分新所原着。駅構内にはうなぎ弁当の販売窓口が併設されているという珍しい駅だ。

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 JRの新所原駅は改築中で仮駅舎での営業だった。16時10分発の浜松行きは4両編成のクロスシート車で快適だったが、窓が汚れていて、これはいただけない。しかし、保線状態はよく快適な乗り心地であっという間に浜松駅に着いた。

2015年8月 9日 (日)

浜工新幹線の旅(天竜浜名湖鉄道転車台ツアー)

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 西鹿島駅で13時32分発の天竜浜名湖鉄道掛川行きに乗り換え、二つ目の天竜二俣駅に行く。この天竜浜名湖鉄道は、昭和の鉄道遺産が数多く残る鉄道として、全線が国の登録有形文化財に登録されている。特にこの天竜二俣駅には、扇形車庫や転車台、給水塔など昭和の遺物が残っていて人気がある。

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 その施設を案内してくれるツアーが毎日開催されている。この日も30人くらいの参加者で炎天下にもかかわらず予想外の盛況だ。ツアー参加料金は200円、所要時間は40分となっている。

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 こちらの給水塔は数年前まで洗車用水道水タンクとして現役で利用されていたが、ポンプが故障し、今は設備だけが残っている。

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 こちらは職員用の浴場。今は使われていないが、なぜかヘッドマークがたくさん展示さている。

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 こちらは鉄道資料館。

 こちらは転車台の回転風景。こういう実演は通常車両を1回転させるものだが、ここは30度ほどしか回転させず、ちょっと物足りない。

 しかし、古い施設が状態もよく保存されていて説明も手際よいので、人気があるようだ。まだの人にはぜひおすすめしたいミニツアーだ。

2015年8月 8日 (土)

浜工新幹線の旅(遠州鉄道)

 浜松駅に着いたのが11時45分で、乗るべき新幹線が17時20分発なのでだいぶ時間が余っている。この時間を利用してまず遠州鉄道に乗ろうと思う。ちょうどこの時期の毎土曜日に3往復だけ、30形モハ25号と呼ばれる旧式の車両が運行されているのだ。 この後の行程も踏まえ、遠州鉄道と天浜線の共通フリーきっぷを購入する。1450円だ。

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 こちらは新型の車両。目的の電車は新浜松駅発12時24分なので少し時間があるので、フリーきっぷを活用して曳馬まで往復してみる。私は昭和59年に遠州鉄道に初乗りし、その後遠州馬込駅のスイッチバックが廃止され、新浜松駅から助信駅まで高架化された昭和60年12月にもう一度乗ったきりなので30年ぶりだ。以前は高架区間は助信までだったが、いつの間にか上島まで延長されていた。私の乗りつぶしルールでは地平が高架になっても乗り直す必要はないので問題ない。

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 目的の赤電は昭和53年製造で、釣り掛け車両だ。この時代でもまだ釣り掛け車両が製造されていたとは知らなかった。車両内外とも鉄道マニアが多い。

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 自動車学校前駅の手前で地平に降りる。

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 こちらは終点の西鹿島駅。昔風のドライブインのような造りだ。

2015年8月 7日 (金)

浜工新幹線の旅(遠州鉄道バス)

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 工場見学を終え、会場から浜松駅までは遠州鉄道のバスに乗る。無料シャトルバスだ。まだ11時過ぎなのでこの時間で帰る人はほとんどおらず、バスは10人ほどの客を乗せて出発した。

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 駅までの道は意外に渋滞していて、15分くらいで着くと思っていたが、30分以上かかった。歩いたほうが速いくらいだが、この炎天下では無理だ。冷房バスはありがたい。

2015年8月 6日 (木)

浜工新幹線の旅(浜松工場)

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 ドクターイエローの車体吊り上げ実演見学を終え、工場内を見学して回る。興味を引くものはなく、暑い中サッと見て回る感じだ。

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 グッズコーナーもあまり欲しくなるものはない。以前だとオレンジカード類をたくさん買ったものだが、ICカードの時代になり、販売もしていない。

 私は結局EXカードを持参した人だけが参加できるクジ引きではずれてウェットティッシュをもらったのと、来場者向けアンケートで全員がもらえるドクターイエローのパソコン画面クリーナーをもらった。

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 一方、私がこういった工場見学をするときに興味を引くのは労働災害や作業ミス防止の注意喚起の標語やポスター類だ。生産管理や労働基準法、労働安全衛生法などを学んだことがあるからだが、私の職場でも応用できるものがないかという視点でも見てしまう。

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 社員食堂が解放され、新幹線食堂車のカレーが300食限定で販売されていたので、それを食べてみた。500円だ。新幹線食堂車のカレーは食べたことはなかったが、これがその味だとすると、新幹線のカレーはあまりにひどすぎるということになる。

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 それはともかく、こういった工場イベントで職員食堂が開放されてるときはなるべくそこで食べてみることにしている。雰囲気を味わえるからだ。

2015年8月 5日 (水)

浜工新幹線の旅(ドクターイエロー)

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 今回の旅の最大の目的である工場回送線の乗車を終え、満足して工場に着いた。号車ごとに順番に下車するが、私は1号車だったので一番先に降りることになった。

 発見デーの正規の入場は10時からだが、浜工新幹線の客だけは先に入れ、ドクターイエローの車体吊り上げイベントを先に見ることができる。全員が集まってからイベントが始まるので、早く新幹線を降りても結局待たされる仕組みで、早く降りても立ちん坊だ。グリーン車のお客様は後から来ても最前列は見られるというメリット付きだ。

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 いよいよ実演開始。私の後ろではテレビ朝日の人が取材を始めた。よく見かけるTアナウンサーで、ドクターイエローが宙に浮かんでいると実況している。実際には浮いているのではなく吊り上げられているわけで、大げさな表現だ。ひょっとすると私がニュースに写り込んでいたかもしれない。

 こちらのYouTubeの動画もご覧ください。

 ところで今回の旅の本題とは関係ないが、ここまで来る間、京都駅で入場する際チケットに入鋏を受けた以外、それ以降チケット類のチェックが全くなかった。こういうことをする人はいないのだろうが、仮に京都駅から入場券で入場し、この新幹線に勝手に乗り込み、車内の空いた席に適当に座って、素知らぬ顔で浜松工場まで来ることも可能だ。しかも「お弁当」が配布された時にもお弁当のクーポンの提出を求められることがなかったので、無料で朝食にありつくことも可能だ。以前のツアーでも、勝手に潜り込もうと思えばいくらでも潜り込めるツアーがいくつもあったので、主催者側をおおらかにさせるだけの実績が参加者側にあるのだろう。

2015年8月 4日 (火)

浜工新幹線の旅(浜松工場回送線)

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 浜松駅上り2番線でしばらく待機した後、出発した。しかし、ちょっと走ってまたすぐ止まった。すでに構内運転士に交代したと思っていたら、ここで交代したのだ。5月に鷹ノ巣駅の渡り線に乗った時にも運転士交代の厳密さに驚いたが、ここでも細かい取り決めがあるようだ。

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 再び出発し、最徐行で進む。分岐の具合からすると、新幹線の下り線からもこの浜松駅上り2番線に入線できるようになっていた。

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 単線の狭軌線路が近づいてくる。東海道本線から浜松工場への引込線のようだ。浜松工場は100年の歴史があり、東海道新幹線ができる前は当然ながら東海道線の車両工場だったわけで、こういう線路もあるのだろう。

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 いよいよ新幹線の踏切があるところまで来た。運悪く踏切に引っかかった車が見えるが、一方この浜工新幹線を一目見ようとする人の数も多い。

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 工場の職員が手を振って出迎えてくれるなか、そろりそろりと工場の建物内に進入していく。職員の笑顔がとても素晴らしい。昔の国鉄なら、こんなことはありえないだろう。

2015年8月 3日 (月)

浜工新幹線の旅(浜松駅上り2番線)

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 豊橋駅を発車した列車は浜松駅近くになり、徐々にスピードを落とし、本線から分岐した。車内放送によれば、ここが浜松駅上り2番線(ふたばんせん)と言うらしい。私は最後部にいるので分からないが、おそらく先頭部分には乗務員交代用の簡易なホームがあるのだろう。

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 ここで通常の運転士から構内運転士へと引き継がれる。私は本線の運転士がそのまま運転して工場内に入るかと思っていたがそうではないのだ。

 ここから工場までは踏切があったりするので、その安全確認などで25分ほどの時間を要した。その間に本線側では何本も新幹線が通過していった。

2015年8月 2日 (日)

浜工新幹線の旅(ひかり490号)

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 いよいよ浜松工場回送線に乗れる日がやってきた。ホテルを6時45分にチェックアウトし、京都駅に向かう。ホームに上がると既に家族連れがチラホラ集まっている。私は1号車3番D席で、1号車は京都からの客に割り当てられているようだ。

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 客層は小さな子供を連れた家族が9割以上を占め、私のような人種は見た感じでは1号車には4人くらいしかいない。私の隣のE席の男性もその一人だ。彼は京都を出ると朝からいきなりビールを飲み始めた。

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 そうこうしているとスタッフの人が、なるほど発見デーのパンフレットとサンドイッチ、お茶を配り始めた。このツアーはお弁当付きだが、朝食も出るとは知らなかった、サービスがいいとひとり喜んだが、後で気がついたのだが、お弁当とはこのサンドイッチのことを言うのだった。私が今まで参加した鉄道系のツアーではたいてい昼食用のお弁当が付いていて、専用の掛け紙まで用意されていることも多く、今回もてっきりそうだと思い込んでいたのだ。浜松工場に着いた時にお弁当の案内がなく、不審に思って行程表を見ると確かに朝食のみとなっていた。そう考えるとずいぶんショボい「お弁当」だ。

 名古屋からはこの車両には誰も乗ってこなかったので、空いていた窓際の3番A席に移動する。

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 三河安城を通過すると最高時速285kmを出してくれた。東海道新幹線では3月のダイヤ改正から一部ののぞみ号で最高速度が時速285kmに引き上げられたが、この列車はひかり号ではあるものの特別サービスをしてくれたようだ。

 豊橋で7分停車し、後続ののぞみに道を譲るが、団体列車なのでドアは開かない。新幹線での運転停車は珍しい。

2015年8月 1日 (土)

浜工新幹線の旅(英國屋)

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 四条駅から地下鉄で京都駅に戻る。京都駅は階段の両サイドにビルが広がる独特の構造になっていて、わたしのお気に入りの駅だ。外国人観光客も多く、みな写真を撮っている。

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 こちらは最上階にある展望デッキ。手前がホテル近鉄京都駅で、奥が新都ホテル。

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 この階段の途中にオープンカフェがあり、お酒も飲めそうだったので、ここで夕食とした。猛暑の中、街歩きをして、すっかりのどがかわいたので、ビールがおいしい。

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 ビールとおつまみ2種で1290円なのでお得だ。

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