夏が来れば思い出す
夏が来れば思い出すと言っても尾瀬ではありません。先日ミスターK一家の南房総旅行の話をしましたが、ミスターK一家では夏に必ず海に行きました。父の会社の海の家が逗子の森戸海岸にあり、そこに一家で行くのが恒例でした。今から40年くらい前のことです。東京駅から横須賀線で逗子まで行きます。当時は113系で、既に冷房車の運行も開始されていました。逗子からはさらにバスに乗り換えます。
右の石碑が「森戸の夕照」の碑です。ここは夕焼けがきれいなところです。左側は石原裕次郎の石碑です。当時はこの2つの石碑はありませんでした。画像ではよく見えませんが、裕次郎の碑の上に富士山が見えています。
こちらが海岸の様子です。この海岸に大きなビーチパラソルを立てて、海水浴を満喫しました。夜は花火などをしました。
このような狭い路地を登ったところに海の家がありました。この一帯はまさに軒並み各会社の海の家でした。民家を改造した保養所で、混んでいると他の家族を一緒になりますが、空いていると一軒家を貸切状態でした。懐かしい夏の思い出です。
「鉄道雑感」カテゴリの記事
- 山本厚太郎先輩、ご逝去される(2022.07.19)
- 安倍首相、凶弾に倒れる(2022.07.11)
ちなみにミスターOH一家は夏になると伊豆の網代温泉に常宿がありまして、みんなで一日中泳いでいた記憶があります。
東京から網代までの伊東線で思い出に残っているのは183系特急「あまぎ」と、113系急行「伊豆」でしょうか。湘南色が懐かしいです。
今はどの程度なのかわかりませんが、当時もお盆時期の指定席争奪戦はすさまじく、小学校高学年頃には旅行日の1か月前になると朝早く、自転車でみどりの窓口へ予約用紙を出しに行っていたのを覚えています。
たまにその宿を訪れると昔とあまり変わっていなくて、ふと若いころのみんながロビーで談笑している光景が頭をよぎったりして、ちょっとしたタイムスリップ気分を味わえるのです。
投稿: ミスターOH | 2014年8月 9日 (土) 18時11分
ミスターOHさん、おはようございます。
今もほとんど変わらない旅館も珍しいですね。スリッパが入り口にズラリと並んでいたり、ロビーに古いソファーが置かれていたりするのでしょうか? 昭和の旅館ですね。
ところでツッコミを二つ、急行伊豆は165系あたりが使われていたはずです。113系は普通列車用です。どちらも色は湘南色です。
それから当時の指定券発売は、一部の旅行代理店を除き、一週間前でした。マルスの容量が少なかったのです。
楽しい旅の思い出をぶち壊す無神経な男でした。
投稿: ミスターK | 2014年8月10日 (日) 07時00分
ご指摘ありがとうございます (*´v゚*)ゞ
指定券の事前申し込みのほうは、時によって十人以上の大移動でしたので何とか全員分を確保せねばとの使命感を帯びて、朝焼けの中をチャリで走ったのを覚えています。
懐かしい思い出です。少しヒリヒリしますけど。そして何かと慌ただしかったような。
あの頃は日本という国が、何度目かの「夏」と言う季節の中にいたのかもしれません。
投稿: ミスターOH | 2014年8月10日 (日) 19時24分
ミスターOHさん、こんばんは。指摘魔のミスターKです。
でも10人分以上ともなると、使命感は相当なものだとお察しします。高度成長の余韻がまだ残り、日本に一体感があった時代ですね。価値観の多様化もいいですが、一体感もまた必要な気がします。
投稿: ミスターK | 2014年8月11日 (月) 21時13分