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2014年8月

2014年8月31日 (日)

知られざる鉄道決定版

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 神保町の書泉グランデで購入した本です。日本各地に存在する正規でない鉄道の紹介本です。遊園地によくある遊覧鉄道、個人で作ったミニ鉄道、鉄道車両が設置されている飲食店など、鉄道に関する諸々が300も取り上げられています。私の知らなかったものもあり、このブログの「怪しい鉄道」で取り上げるべく、行ってみたくなりました。

2014年8月30日 (土)

第11回伊豆急全線ウオーク

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 9月1日から第11回の伊豆急全線ウオークが始まります。今回も伊東から伊豆急下田まで約80kmを歩きます。ルールも基本的には今までどおりですが、消費税増税のため、入場券が170円となりました。

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 それとともに今回の賞品は、ご覧のようなオリジナルワッペンシールに変わりました。まだ現物を見ていませんのでなんとも言えませんが、今までの金属製のバッジと比べると、軽くて薄っぺらい感じがして、ちょっとがっかりという感じです。

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 しかし、賞品はともかく、伊豆急沿線を歩く楽しみはそれを上回るので、また行くことになるでしょう。

2014年8月29日 (金)

緑井駅

緑井駅
広島の大規模土砂災害では、甚大な被害が出ていて、今なお行方不明の方もいらっしゃって、安否がとても心配です。

そんな中報道される映像で鉄道の線路にまで土砂が押せ寄せているものがあります。JR西日本の可部線です。可部線は私が国鉄全線完乗した線で大変思い入れがあります。

線路自体が流されているわけではないようですが、復旧の見込みがどうなるか気になります。

画像は6年ほど前に訪れた時の緑井駅の様子です。災害現場にほど近い駅です。のどかな住宅街の駅でした。可部線の早期の復旧を祈ります。

2014年8月28日 (木)

北陸新幹線、来年3月14日開業

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 北陸新幹線の開業が来年3月14日と決定されました。東京-金沢間が約2時間半で結ばれることになりました。大阪に行くのとおなじ感覚で金沢に行けるわけです。昔は夜行列車で行ったこともある場所なので、そんなに近くなるとは感動モノです。

 しかし、列車の愛称が今回3つも増えるので、その違いを理解するのも一苦労です。こういう趣味を持っている私ですら「みずほ」と「さくら」の区別が付きません。あさまも引き続き残るのでしょうか。

 それとともに同日に平行在来線もJRから切り離されるはずなので、そちらへの乗車も楽しみです。往路は新幹線で行って、帰りは在来線で帰って来ようかと思っています。

あと、7ヶ月指折り数えて待つようです。

2014年8月27日 (水)

ハイウェイSA・PAスタンプ・ブック

 1991年5月4日のゴールデンウイーク、新車を購入したばかりのミスターANさんと渋滞覚悟でドライブに出かけました。東名高速道路を西に進み、途中で所々で休憩や食事をしながらの旅でした。初日に観光したのは三保の松原だけでした。

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 ゴールデンウイーク中にもかかわらず、宿の予約をしていなかった我々は、無謀にも静岡駅前にあるJR系のホテルアソシア静岡に予約の電話を入れてみましたが当然満室でした。その後いくつかのホテルに電話してもいずれも満室でした。その時私はなぜか時刻表を持っていて、巻末のホテル一覧で順次電話を入れ、ようやく空いていたのが、藤枝パークホテルという藤枝駅近くにあるホテルでした。その晩は夜9時ころ到着し、駅近くの居酒屋で一杯やりました。

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 翌日、浜名湖まで西進しようとした私たちは、最初に立ち寄った牧の原SAで無料でスタンプ帳が配られているのに気付きました。鉄道の駅にもスタンプがあり、そういうものを収集していた時期もありましたが、しばらくご無沙汰していました。さっそくそのスタンプ帳に押印してみました。駅のスタンプと違い、日付が入るタイプでいい記念になりそうです。

 我々はすぐにその虜になり、スタンプの旅を始めました。その日押したのは、牧の原SA、日本平PA,、富士川SA、足柄SA、海老名SAでした。港北PAにもスタンプがあるはずでしたが、上り線にはなく、下り線のみでした。

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その後、このスタンプ帳はドライブの必須アイテムになりました。

2014年8月26日 (火)

DC王国からEC天国へ2

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 以前ご紹介した「DC王国からEC天国へ」の後編です。千葉の国鉄の電化の推移をまとめたものでrailwayさんが鉄道ピクトリアル1974年12月号に寄稿したものです。

 特に興味を引いたのが、千葉県のニュータウン計画で、有名な千葉ニュータウン、海浜ニュータウンの他、成田ニュータウンや千葉東南部ニュータウンもあり、4大計画のようでした。それに伴い、鉄道の建設計画も進展し、京葉線の旅客線化されました。

 まだ、日本全体に活気があり、いろいろなプロジェクトが動いていた時代です。鉄道も輸送力増強に追われていた時代で、良き時代でした。

近年は鉄道の新規開業は全国で、数年に1度ということで、寂しい限りです。

2014年8月25日 (月)

写り込んでいた山線鉄橋

写り込んでいた山線鉄橋

 以前北海道を旅行した時に立ち寄った支笏湖の写真です。左手のトラックの奥に赤い鉄橋のようなものが見えています。その時は気づかなかったのですが、railwayさんのホームページを見て、これが王子製紙の専用鉄道の湖畔橋だったことを後で知りました。湖畔で見かけた時、鉄道風の橋だなとは思いましたが、まさかこんな山中に鉄道が走っていたとは想像もしませんでした。遠くから見るだけで、渡りもしませんでした。下調べは大事だと改めて思いました。

2014年8月24日 (日)

しもうさ号大宮行き

しもうさ号大宮行き

西船橋駅から武蔵野線から貨物線経由で大宮駅に直通する「しもうさ号」です。1日に3往復運行されています。これは西船橋駅発19時20分発の列車です。貨物線を経由する楽しさとともに、乗り換えが少なく、所用時間も短いので、稲毛と大宮の実家を往復する時、よく利用しています。

2014年8月23日 (土)

大清水からフロムアクア

大清水からフロムアクア
 稲毛駅の自販機です。ミネラルウォーターのフロムアクアが発売30周年のようです。まだ国鉄の時代、上越新幹線の大清水(だいしみず)トンネルから湧き出る湧水を販売したのが始まりです。当時は大清水(おおしみず)というネーミングでした。おおしみずと読ませたのは、おいしい水を掛けたと言われています。ペットボトルではなく、缶飲料でした。

 私は発売当初に買って飲んでみましたが、当時はミネラルウォーターを飲む習慣がなかったので、お金を払って水を買うという行為がとてつもなく無駄に感じました。しかし、時代は代わり、こういうモノも生活に根付くようになりました。

2014年8月22日 (金)

京成線連絡通路に屋根ができた

京成線連絡通路に屋根ができた

 JR船橋駅から京成船橋駅までの通路、エスカレーターは基本的に屋根付きなのですが、JR船橋駅近くの一部だけ、駅ビル工事に伴ってか屋根が撤去されていました。わずか10mほどの距離なのですが、雨の時は傘を差さないといけませんでした。ところが、最近屋根が復活しました。工事がある程度進んで屋根を設けても支障がなくなったのでしょうか。ありがたいことです。

2014年8月21日 (木)

水飲み場

水飲み場
毎日利用している稲毛駅の水飲み場が撤去されていました。蛇口をひねると真上に吹き上がるタイプの水道です。昔は水道の水をそのまま飲みましたが、そういうことも少なくなり、撤去されてしまったのでしょう。

私が高校生くらいの時には学校の水道で水をガブガブ飲んでいましたし、数日前にもご紹介しましたが、ハイキングの途中で沢の水をそのまま飲んだりしました。

今は学校の生徒に限らず、皆水筒やペットボトルを持参しているので、こういう設備も不要となったのでしょう。懐かしい昭和の遺跡がなくなりました。

2014年8月20日 (水)

ロマンスカーカフェ

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  小田急線新宿駅にあるロマンスカーカフェです。イートイン形式のカフェです。ホームに発着するロマンスカーが間近に見られます。鉄道ファンにオススメのカフェです。

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  私は、三代目たいめいけんのメンチカツサンドとホットココアにしました。720円とちょっとお高めですが、それなりの価値はあります。

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  ちょうど7000形LSEが入って来ました。ロマンスカーにもいろいろなタイプがありますが、これぞロマンスカーという車両です。

2014年8月19日 (火)

夏が来れば思い出す10

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 昨日お伝えしたやまびこ荘へのルートは次のようなものでした。我々はまず大宮駅に集合し、8時22分の高崎線普通列車で9時53分に高崎に着きます。高崎からは上信電鉄に乗り換えます。赤茶けたみすぼらしい色の電車でした。高崎駅での国鉄から上信電鉄への乗り換えは、当時はノーラッチでした。乗り換えた電車の時刻は記録に残っていませんが、そんなに待った記憶はないので、古い時刻表が見つかれば分かるでしょう。

 途中駅では数年前に上信電鉄に投入された新型車両とすれ違います。運転席の窓が大型で、白い車体のモダンな電車でした。また、終点の下仁田駅に一つ手前が南蛇井(なんじゃい)という変わった駅名でした。

 高崎から約1時間で終点の下仁田です。国鉄の乗車券しか持たない我々は下仁田で運賃を精算しました。ノーラッチとは言え、高崎駅で運賃の精算くらいできたはずですし、上信電鉄の車中でも精算できたはずですが、そうしませんでした。

 帰りに乗った上信電鉄の時刻も記録に残っていませんが、高崎発12時12分の普通列車で大宮には13時49分に到着しました。時刻からすると高崎で駅弁でも買って車中で食べたのでしょうか。記憶は残っていません。

 ところで、私は上信電鉄にこの時の往復以来乗っていません。この時以前に乗った鉄道には、その後すべて乗りなおしているので、私が乗ったことのある鉄道の中で一番古いのがこの鉄道です。

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 上の写真は、前橋勤務の頃に訪問した時のものです。駅舎は高校の時訪れたままの古めかしい木造でした。昭和の時代がそのまま残っている駅舎でした。

2014年8月18日 (月)

夏が来れば思い出す9

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 夏が来れば思い出すシリーズ第9回は、高校2年生の夏休みです。2泊3日で群馬県上野村にある山びこ荘という国民宿舎にやって来ました。一番右がミスターOH氏、その隣が私です。ここを選んだのはミスターOH氏です。なぜここに決めたのかは聞いたことがありません。我々は高校生4人組でうるさいと思われたのか、離れのような部屋を割り当てられました。

 場所は上信電鉄の下仁田駅から送迎のマイクロバスで小一時間ほどかかるところで、途中の山道は対向車が来たらすれ違いできないだろうというくらい険しい山道でした。

 旅館の周囲は何もなく、本当に秘湯という感じで、周辺を遊び歩くこともできません。我々はカードゲームなどに興じました。ミスターOH氏は旅館にあったインベーダーゲームにも熱中していました。

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 着いた翌日は塩ノ沢峠へのハイキングへ行くことになりました。旅館から歩いていける名所だったようです。地図を見ると、下仁田駅からここに来る途中に通ったところのはずで、そんな名所はあったかなという気になったのですが、とにかく行ってみることにしました。しかし、塩ノ沢峠に来てみると、やはりそこはただのトンネルでした。我々は仕方なく引き返し、来る途中に見かけた天狗岩に登山することになりました。これはその登山口の入口です。左から2人目がミスターKです。Tシャツの裾をしっかりとジーンズの中に入れているセンスのない高校生です。左端はミスターOH氏で、セルフタイマーに間に合わず、横向きで写っています。彼は足は速くなかったです。

 それにしても8月のハイキングなのに、我々は手ぶらで水筒も持たずに山歩きをしています。無謀で常識知らずの高校生です。さすがに天狗岩登山の途中で喉が渇き、沢の水を飲んで喉を潤しました。35年前の夏の思い出でした。

2014年8月17日 (日)

夏が来れば思い出す8

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 夏が来れば思い出すシリーズ第8回目は1992年7月の四国ドライブです。この夏は車で瀬戸大橋を渡り、四国まで行ったのでした。この写真は瀬戸大橋のたもと、与島PAで撮影したものです。車はミスターAN氏のもので、彼がこの前年に買ったばかりのものです。カッコいい角度で撮影するため、パーキングの駐車ラインを無視し、斜めに停めています。この当時から彼は写真の撮り方にはこだわりを持っていました。モデルは私です。だいぶ肥満体型でした。

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 この時の旅行は、ひたすら高速道路を走り、交代で車を運転し、四国を往復してくるものです。宿泊先は特に決めず、日が暮れかけてから、どこに泊まろうかと相談し、予約の電話を入れて宿を取りました。結局、姫路、松山、宇多津、神戸に泊まり、4泊5日で帰ってきました。交代で運転するので距離の割には疲れませんでした。

 瀬戸大橋が主目的でしたが、その他に姫路城、道後温泉、土佐の皿鉢料理屋、大歩危峡、倉敷、神戸などを訪れました。姫路城ではアメリカ人にシャッター押しを頼まれ、道後温泉ではそのお湯の熱さに驚き、高知では土佐の皿鉢料理を堪能し、大歩危峡では川下りを楽しみ、倉敷ではおみやげをどっさり買い込み、最後の神戸の夜では、神戸で働くAN氏の先輩を訪ね、ステーキをごちそうになるなど、いろいろ楽しい旅でした。

 私の旅は鉄道旅行が主で、予めきっちり決めたスケジュールで旅をするのが通例ですが、こうした行き当たりばったりの旅もまた楽しいものです。

 

2014年8月16日 (土)

夏が来れば思い出す7

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 前回、塾の夏合宿のアルバイトで大金を手にした話をしましたが、その翌年の夏は、そのお金を元手に運転免許を取得するため、教習所に通いました。自分で稼いだアルバイト代を全部つぎ込んで免許を取得しました。教習所への通学は基本的には冷房付きのマイクロバスでしたが、夏の暑い時期でしたので体力を消耗しました。

 私は学科は無事終了しましたが、実技が不得手で免許取得まで5時間オーバーでした。結局、夏休み中に取得しようと思っていた免許は約3ヶ月かかり、夏の思い出では済まなくなってしまい、免許の取得日は昭和58年10月6日となっています。

 しかし、その後は安全運転に徹し、運転歴30年は超え、走行距離も20万キロを超えていますが、幸い現在まで無事故で来ることができました。

 こちらは親に買ってもらった新車のホンダシティです。当時人気のあった車種です。新車を買ってもらえるとは贅沢な大学生ですが、我が家には車がなかったので家族サービスにも努めました。父親を駅に送り迎えしたり、家族の買い物に付き合ったり、山中湖まで行ったりしました。高校生、大学生前半と家族と疎遠がちだった私が、家族との絆を深めてくれた車でもありました。

 

 

2014年8月15日 (金)

夏が来れば思い出す6

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 夏が来れば思い出すシリーズの6回目です。これは志賀高原の画像です。前回浪人時代の話をしましたが、その翌年、首尾よく大学に合格し、アルバイトで志賀高原にやって来たのです。と言っても旅館の住み込みのアルバイトではありません。塾講師の夏合宿のアルバイトです。志賀高原のホテルに1週間泊まりこみ、小学生高学年向けに主に社会科と国語を教えていました。去年までは夏季講習を受ける立場の人間が、1年経つと一転して教壇に立っていたわけです。

 私の受け持ちの授業は午前中2時間、午後2時間、夜は生徒の自習のフォローです。授業のない時間帯は基本的にフリーでしたが、山奥で出歩くところもないので、授業中の生徒や先輩の先生を横目にゆったりと温泉につかっていました。こう書くと結構楽なアルバイトと思われるかもしれませんが、合宿の現場でいきなり教材を渡されて、すぐ授業なのです。ずいぶんといい加減な塾ですが、埼玉県下ではトップクラスの実績を誇る塾で、私も中学生の時に通っていたのです。

 また、夜の自習のフォローは10時過ぎまで及び、それが終わっても、夏合宿を成功させようと諸先生がたが熱い議論を交わす職員会議が深夜12時ころまで繰り広げられ、アルバイトの私もそれに参加させられました。私は何の発言もせず黙っていましたが、合宿で一緒になった私より1年上の先輩アルバイトの人は教師志望で、その議論に積極的に参加していました。

 しかし、そんな苦労とは裏腹に、合宿期間中のアルバイト代は、3食付いて1日1万円くらいもらえました。この合宿以外でも夏季講習でも1ヶ月ほど教えていたので、夏休みの間に15~6万円くらい稼ぎました。アルバイト代が現金支給だったので、今までに手にしたこともない分厚い封筒を抱え、用心しながら家に帰りました。

 ただ、この合宿の鉄分は全くなく、往復ともバスでした。バスは川中島バスという長野県の会社でした。バスガイドがつかず、男性の運転士2名による運行なのが残念でしたが、それでもアルバイトとはいえ私は一応「先生」なので一番前の席に座らせてもらい、特等席からの景色を十分堪能しました。そんな思い出の志賀高原でした。

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ところで、こんな写真が出てきました。中学校2年時の志賀高原の林間学校です。上述の夏合宿の6年前になります。ミスターKは中列左端です。この時はまだ背も低く可愛らしい少年でした。ちょうどコマネチが活躍していた時期です。

 

2014年8月14日 (木)

夏が来れば思い出す5

 1981年8月の夏の思い出です。私は浪人し、それまで自転車通学だったのが、電車で御茶ノ水まで通学するようになりました。当時の国鉄は国電区間の冷房化率がだいたい7割くらいでした。10両編成の京浜東北線の場合、7両が冷房車で3両が非冷房車という割合で、だいたい中間の3両あたりに非冷房車が組み込まれていました。したがって、乗る位置によっては非冷房車が来るわけで、電車に乗り込む前に屋根の上を見て、冷房ユニットの有無を確認していました。当時は線区ごとの冷房化率が新聞記事になる時代でした。今となっては懐かしい思い出です。

 その浪人時代、夏季講習に通う頃に流行っていたのが、松任谷由実が歌う「守ってあげたい」でした、。薬師丸ひろ子主演の映画「ねらわれた学園」の主題歌で、当時は角川映画全盛の時代でした。予備校の講師で角川春樹と親交のあった人がいて、角川春樹のカリスマ的魅力を語っていました。この曲を聞くと、そんな暑い夏に通った夏季講習のことを思い出します。

2014年8月13日 (水)

夏が来れば思い出す4

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 夏が来れば思い出すシリーズの4回目は伊豆修善寺です。中学校2年の夏休みのことです。東海道線の普通列車で三島まで行き、伊豆箱根鉄道で修善寺まで向かいました。東海道線は4人ボックス席で窮屈なはずでしたが、普段はロングシートの車両にしか乗ることがなかった私はそれだけでも嬉しかったものです。伊豆箱根鉄道の記憶はあまりありません。

 修善寺ではサイクルスポーツセンターで変り種自転車にたくさん乗りました。また、修善寺町営プールで水泳を楽しんだりしました。

 泊まったのは「修善寺ロイヤルコテージ」というホテルで、コテージという名前がとてもおしゃれに感じました。このホテルは5階建てくらいの建物でしたが、変わった構造をしていました。山の斜面を利用して建てられていて、1階と5階にそれぞれ入り口があるのです。つまり山の上側からも下側からも入れるのです。私が5階の入り口から入ろうと山道に分け入って行くとまだ4歳だった私の妹は心配して、「お兄ちゃん、そっちに行っちゃダメだよ」と大声で叫んでいました。しかし、5階の入り口から下って来て再び合流すると、妹はびっくりしていました。

帰路も東海道線の普通列車に乗る予定でしたが、三島から乗ろうとした東海道線の列車が混んでいたので、予定を変更して新幹線で帰ってきました。私はこの時が2度目の新幹線でした。予期せず新幹線に乗れて大満足でした。

2014年8月12日 (火)

夏が来れば思い出す3

 夏が来れば思い出すシリーズの3回めです。私が小学校5年の夏休みは三浦海岸での海水浴でした。例年は逗子でしたが、この年は父の会社の保養所の確保の関係か、三浦海岸になったのです。当時京浜急行のCMでは銀座から直通で三浦海岸まで行けることを盛んに宣伝していました。浮き輪を持った青年が銀座を海水パンツで走るCMでした。近さをアピールしていたわけです。私はその三浦海岸まで行けることが楽しみでした。電車の記憶はほとんどありませんが、品川から京浜急行で行ったことは間違いありません。

 海の家は三浦海岸駅から山側に5分ほど歩いたスイカ畑のなかで、窓からは高架駅の三浦海岸駅に発着する京浜急行の電車がよく見えました。当時は三浦海岸駅が終点で、下り電車が到着すると1~2分で上り電車が発車していく光景がよく見え、規則正しいダイヤだったことをよく覚えています。

 当時、私の下の妹はまだ1歳で、海の家を飛び出してはスイカ畑で遊びまわっていました。逗子の海の家は山道の途中にありましたが、ここは畑の中で子供心にあまり風情がないと感じました。

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 この写真はその海水浴から2ヶ月後、学校の旅行で三浦を訪れた時のものです。当時の世田谷の小学5年生は1泊2日で三浦移動教室に行くことになっていました。海水浴で訪れた場所の近くに再び来ることができ、私は三浦に親近感を持つようになりました。

 

2014年8月11日 (月)

夏が来れば思い出す2

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 先日は逗子での夏休みについてお伝えしましたが、山中湖の別荘に行くこともありました。と言ってもミスターKの別荘ではなく、親戚のです。私はここに合計5回訪れました。小学校1年、3年、4年、その後しばらく間が開いて大学3年、4年です。

 小学校1年の時に訪れた時は早朝に都内の家を出て、中央線、富士急行と乗り継ぎ、富士吉田駅からタクシーで来ました。帰りは山中湖から新宿行き中央高速バスでした。中央高速はまだ、調布以西しか開業しておらず、そこから先は甲州街道を進みます。一般道に下りたバスはミスターK一家の自宅のすぐ近くを通過し、「ここで降ろしてくれたら」と思ったものです。

 小学校3年の時は親戚の車で行きました。前回と異なり、夜出発しました。その時は東名高速経由で、途中サービスエリアで食事をした記憶があります。おそらく海老名サービスエリアです。サービスエリアでの食事は初めてで、感激した記憶があります。

 その次の年はまた夜の出発でしたが、この時は途中で食事をした記憶はありません。父の会社の人の車2台に分乗しました。私だけシートベルトをしっかり締められ、「みんなが死んでも君だけは助かる」と父の会社の人に変な気休めを言われます。当時(1972年ころ)はシートベルトをする人はほとんどいなかったようです。父はせっかくの別荘なのに会社の人たちと麻雀三昧でした。父が麻雀を楽しむのと引き換えに、私は途中からおたふくかぜにかかり、頬がパンパンに膨れていました。予定を早めて帰ったはずです。

 私が大学生になってからは自分で車を運転して行きました。3年の夏はまだ初心者マークを付けての運転でした。

 ここはお風呂が五右衛門風呂で、薪でお湯を沸かすのです。風呂釜に触れないように、体を固くして入りました。湯加減が難しいのですが、それも楽しい思い出です。別荘の持ち主は材木屋さんなので、燃料には事欠きませんでした。また、夜は結構寒くなり、冷房いらずでした。富士登山の人のライトが遠くチラチラと見えたりしました。暖炉もあって、夏だけでなく、冬も楽しめるようになっていました。

 上の写真は私が大学4年の時のものです。雨戸が閉めっぱなしなのは、湿気で木材が膨張し、開閉できなくなっていたためです。

 鉄道での思い出は乏しいですが、それでも楽しい夏の思い出です。大学4年生以来私はここに来ていませんが、築45年以上になるのでおそらくもう現存していないでしょう。_002(こちらは湖畔の様子。両親がくつろいでいます)

2014年8月10日 (日)

ソノシート

ソノシート
ソノシート
東北・上越新幹線の上野駅開業記念入場券です。昭和60年のものです。当時の東北・上越新幹線は車内の停車駅案内で、地元に因んだ民謡が短くかかりました。その音源ソノシート付の記念切符です。当時は雑誌の付録などでたまにソノシートが付きました。赤いペラペラさが懐かしいです。今はプレーヤーを持っていないので、再生することができません。技術の進歩はありがたいのですが、レコード、フロッピーディスク、ビデオテープなどが、中を見ることができなくなり、不便になりました。

2014年8月 9日 (土)

夏が来れば思い出す

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 夏が来れば思い出すと言っても尾瀬ではありません。先日ミスターK一家の南房総旅行の話をしましたが、ミスターK一家では夏に必ず海に行きました。父の会社の海の家が逗子の森戸海岸にあり、そこに一家で行くのが恒例でした。今から40年くらい前のことです。東京駅から横須賀線で逗子まで行きます。当時は113系で、既に冷房車の運行も開始されていました。逗子からはさらにバスに乗り換えます。

 右の石碑が「森戸の夕照」の碑です。ここは夕焼けがきれいなところです。左側は石原裕次郎の石碑です。当時はこの2つの石碑はありませんでした。画像ではよく見えませんが、裕次郎の碑の上に富士山が見えています。

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 こちらが海岸の様子です。この海岸に大きなビーチパラソルを立てて、海水浴を満喫しました。夜は花火などをしました。

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 このような狭い路地を登ったところに海の家がありました。この一帯はまさに軒並み各会社の海の家でした。民家を改造した保養所で、混んでいると他の家族を一緒になりますが、空いていると一軒家を貸切状態でした。懐かしい夏の思い出です。

2014年8月 8日 (金)

ラ王袋麺屋

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渋谷駅山手線内回り線ホームにある「ラ王袋麺屋」です。ラ王が食べられる店です。袋麺をその場で作ってくれる店のようです。トッピングもしてくれて258円です。なかなか珍しい趣向の店ですが、猛暑日の日だったので食欲がなく、店には入りませんでした。季節が変われば入ってみたくなるかもしれません。皆様も一度ぜひどうぞ。

2014年8月 7日 (木)

マクドナルド渋谷店

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渋谷駅近くにある「マクドナルド渋谷店」です。この店の2階からはちょうど山手線が見えます。鉄道ファンにはオススメのスポットです。窓に面した席は5人分くらいしかないので競争率は高そうです。以前秋葉原にも線路が見えるマクドナルド があることを紹介しましたが、他にもいくつかあるようなので、マック巡りも楽しいものです。

こちらは動画です。

2014年8月 6日 (水)

特急わかしお号

1_r_2(railwayさんの写真です)

 昨日、railwayさんが鉄道ピクトリアル誌に投稿した記事を紹介しましたが、それを見ていてちょうどその時代、家族で房総半島を旅行したことを思い出しました。

 昭和49年の3月のことで、私は小学校5年生でした。東京駅からわかしお号に乗りました。まだ京葉線がない時代ですから総武地下ホームからの出発です。ミスターK一家は5人家族で、自由席に乗りました。春休み中なので母が座れなかった時のことを心配すると、父はその場合にはグリーン車にすれば必ず座れると母を安心させていました。その心配は杞憂で、家族全員自由席で座れました。外房線に入るので海が見えるように進行方向左側に座りました。

 終点の安房鴨川で下車し、鴨川シーワールドに向かいました。駅から鴨川シーワールドまではバスですが、そのバスが無料でした。無料でバスに乗れたことに対し、子供心にすごいサービスだと感心しました。今も無料なのでしょうか。

 その後、旅館に向かいましたが、下車する駅を一駅間違えて、家族5人で寂しい道路をとぼとぼと歩いて向かいました。今思うと旅館に迎えに来てもらうとか、タクシーに乗るとかいろいろ方法があったと思いますが、なぜか歩いて向かいました。その様子を不審に思ったのか、地元の人が親切にも我々一家を車に乗せて旅館まで運んでくれました。

 翌日は久里浜金谷航路で東京湾を横断し、久里浜から横須賀線で帰りました。春休みの1泊2日東京湾1周の旅でした。そんなことを突然思い出させてくれたrailwayさんの投稿記事でした。

2014年8月 5日 (火)

DC王国からEC天国へ

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先日、船橋駅特別写真展の様子を載せたところ、いつもブログにコメントを寄せていただくrailwayさんから、鉄道ピクトリアルの記事をご紹介いただきました。昭和49年のもので、DC王国と呼ばれた千葉の国鉄が電化されて行く時代を線区別に詳細に記した記事で、railwayさんご自身が大学の鉄研時代に同誌に寄稿されたものでした。

  タイトルは「DC王国からEC天国へ」というもので、一大学生がよくここまで調べ上げたものと感心しました。写真もrailwayさんが撮影されたものでした。私も大学生の時に鉄道活動を本格化した者ですが、乗り歩きが中心で著作物など全くありません。ブログを書くようになってから分かったことですが、文章に残すことは並大抵の作業ではありません。

 当時の千葉は電化や複線化、高架化など話題に事欠かなかったようです。通勤輸送やレジャー輸送で乗客もうなぎのぼりだったようです。鉄道にまだ活気がある時代でした。しかし、それとともに同誌の巻末には、当時の国鉄各線区の収支係数の記事が出ていました。昭和48年度の国鉄は新幹線、山手線、高崎線以外の線は全て赤字線で、したがって千葉の国鉄もすべて赤字線で、国鉄全体の赤字は4400億円に達していました。

2014年8月 4日 (月)

東海道新幹線開業50周年記念ばかうけ

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 東海道新幹線開業50周年記念モノは缶ビールだけではありません。栗山米菓の「ばかうけ」も、50周年記念バージョンがありました。袋には東海道新幹線の駅名や簡単な路線図が描かれています。

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 袋の中には小袋が4つ入っていて、それぞれ0系、100系、300系、N700系が描かれています。

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 パッケージのデザインは異なりますが、中身は同じです。

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 今後もいろいろな50周年記念モノを発掘していく予定です。




2014年8月 3日 (日)

東海道新幹線開業50周年記念缶ビール

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東海道新幹線開業50周年記念缶ビールです。50周年は10月ですが、すでに記念商品の発売は開始されているようです。メーカーによってデザインがかなり異なります。サントリーは富士山をバックに走るN700系で日本的風情です。サッポロは0系とN700系で、新旧車両により50周年を強調しています。キリンは東京タワー、富士山、名古屋城が小さく描かれています。アサヒビールはまだありませんでした。

2014年8月 2日 (土)

東海道新幹線開業40周年記念缶ビール

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 東海道新幹線開業40周年記念缶ビールです。色違いですが、デザインは各メーカー同じです。よく見ると700系がデザインされているようです。

2014年8月 1日 (金)

東海道新幹線開業30周年記念缶ビール

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 東海道新幹線開業30周年記念缶ビールです。0系、100系、300系の車両が描かれています。

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こちらはシンプルなイラストです。

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