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西武秩父駅の硬券入場券です。入場券や乗車券のよいところは、買った日付がそのものに記されていることです。同じコレクションでもオレンジカードやテレホンカードなどでは、いつどこで買ったかはそれを見てもわからないのですが、切符の場合は一目瞭然です。
この入場券は、秩父鉄道でSLパレオエクスプレスの運行が開始された1ヶ月くらい後で、SLを見に行った時に買ったものです。この時、私は秩父まで車でやって来ました。西武秩父駅周辺に路上駐車をして、SLを眺めて、車に帰って来てびっくり、事件が起きていました。車のキーをロックしていたのです。その事件の日が昭和63年4月24日だったわけです。
今思えば、JAFを呼ぶとか、近所のガソリンスタンドに頼むとか、対処方法はいろいろあったのですが、その時私は家に電話をし、妹にスペアキーを持ってきてもらうことしか思いつきませんでした。当時我が家は浦和にあったので、秩父まで電車を乗り継いでくるとたっぷり3時間はかかったと思われます。妹が来るまでの時間つぶしで三峰口駅まで往復してみたりしました。それでも時間がつぶれず、西武秩父駅の土産物売り場などで過ごしました。
あれから26年の時を経て、1枚の切符に記された日付と場所から、忘れていたことをいろいろ思い出しました。
6月19日夜、小田急の相模大野車両基地で入れ換え電車が脱線しました。私は以前相模大野駅近くに住んでいたことがあり、駅の西側の小田原線と江ノ島線の分岐地点に広がっている車両基地の場所もピンときました。詳しい原因はまだ公表されていないのですが、どうも本線に向かう途中ポイント上で待機していた電車が、その途中でポイントが操作され、電車が前と後ろに泣き別れになり、脱線したようです。
ところで、この事故とは関係ないのですが、小田急では駅の放送などで「入れ換え電車」という言葉をよく聞きます。他の鉄道会社では一般に「回送電車」と呼ばれますが、小田急では「入換電車」と呼ばれます。車庫に入ったり、車庫から出てくる電車や、折り返し用の中線に取り込まれたりするときに使われているようです。
小田急ではそのほか「分割案内板A」というのもよく聞きます。車両が4両と6両に分割できるタイプが多く、その分割地点を示す用語で、ここを境に行き先が変わったりします。かつては「分割案内板B」というのもあったらしいですが、今はありません。したがって単に「分割案内板」と言えばいいものを律儀に「A」を付けています。いずれも、小田急独特の用語だと思います。
広島県にある国鉄可部線の終点三段峡駅です。私は1987年1月18日、この駅で国鉄全線完乗しました。国鉄はこの年の3月31日で終了となったので、それまでに国鉄全線に完乗する必要がありました。当時社会人1年生であった私は自由に休みが取れる身分ではなかったので、月2回の週休2日を利用して、最後に残った線を乗り歩いていました。
沿線の様子や三段峡駅の様子などほとんど記憶に残っていないのは残念なことです。ただ、最後に三段峡駅に着いて、席から立ち上がろうとすると、疲れてもいないのになぜか体から力が抜けてフラフラとしたことだけは記憶に残っています。
この旅では東京から往復グリーン車でやって来ました。初めてのグリーン車でした。
トワイライトエクスプレスが来春で運行終了になることが決まりました。今年4月に高岡駅で見かけたトワイライトエクスプレスは相当に老朽化しており、それが運行終了の原因のようですが、一方でJR西日本では超豪華な寝台列車の運行を決定しており、ちぐはぐな気もします。誰もが気軽に乗れる定期列車の運行は鉄道事業者の責務と考えます。
ところで私はトワイライトエクスプレスに1回だけ乗ったことがあります。1992年の11月のことです。もう20年以上も前のことになります。この列車は大阪始発なので、わざわざ新幹線で大阪まで行って乗車しました。
B寝台の個室に乗車しましたが、サロンカーもあり、くつろげる車両でした。日本海に沈む夕日は見られなかった気がします。
翌朝は食堂車で洋朝食を食べました。北海道の雄大な景色を眺めながらの朝食は最高でした。
こちらは車内で買ったテレホンカードです。
富士急行線に成田エクスプレスが乗り入れることになりました。季節限定の運行ですが、成田エクスプレスが私鉄に乗り入れるのは初めてです。伊豆急では成田エクスプレスの車両を使用したマリンエクスプレス踊り子号が運行されていますが、これは東京駅からの運行なのです。今回は成田空港からの直通列車が走ることに意義があります。
こちらは1983年に撮影した河口湖駅です。この時初めて訪れました。
こちらは2012年に訪れた時の写真です。かつては4番線まであったようですが、今は3番線までです。屋根の形は変わっていません。
建て替えられて別の駅になっていました。
成田エクスプレス乗り入れにより、ホームの様子も変わるのでしょうか。
宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」は私のバイブルで、昭和53年に発売されて以来何百回読み返したかわかりません。単行本1冊、文庫版2冊をまさに擦り切れるほど読んできました。シンプルな文章と正確な描写力で、私をこの世界に引き込んだ著作です。
今回、その時刻表2万キロを「自炊」してみました。「自炊」とは本や雑誌を自分でスキャナーで読み取って電子書籍とし、スマホやタブレット端末で読めるようにする作業です。こうすれば自分のお気に入りの本を常に持ち歩く事ができて便利であるとともに、自炊した本は処分してしまえば保管のスペースも要らなくなるという、一石二鳥になります。私は新たに一冊「時刻表2万キロ」を買い、自炊用にすることにしました。
自炊をするためには、まず本を裁断する必要があります。このようなカッターとマットで、まずだいたい40ページくらいになるように分割します。
分割しただけだと、本の端に糊がくっついているので、まだスキャナーで読み込めないため、続いて、このディスクカッターという装置で本の端を切り落とします。
これをスキャナーで一気に読み込みます。このスキャナーは1分間に25枚の速さで両面読み取りができる高性能機で自炊派に人気です。
読みとったものをiPhoneで見るとこんな感じです。これで会社への行き帰りでも、荷物がかさばることもなく「時刻表2万キロ」を読めるようになり大満足です。
なお、このセット一式にかかる費用は5万円を超えるのでそれなりの出費となりますが、他の本もどんどん自炊していけば本棚のスペースも削減できるので十分価値があると思っています。
2016年3月開業予定の北海道新幹線の駅名が決定しました。本州側の駅は「奥津軽いまべつ(おくつがるいまべつ)」、北海道側の駅は「新函館北斗(しんはこだてほくと)」です。地元へのいろいろな配慮で駅名が長ったらしくなるのは、このご時世やむをえないでしょう。新函館北斗駅のある場所は函館市ではなく、北斗市なのです。
私は1983年2月20日に初めて函館に行き、そこで1泊しました。上野発の夜行列車「十和田号」と青函連絡船の羊蹄丸を乗り継ぎ、17時間もかけてたどり着いたのです。画像は青函連絡船から眺めた函館山です。本当に♪はるばる来たぜ 函館へという思いがしたものです。
その時はまさか33年後に新幹線でここまで来れるとは思っても見ませんでした。当時は東北新幹線が盛岡まで開業した直後で国鉄が大赤字の時代だったので、そこから先の延長はないと誰もが思っていたのです。
しかし、その後鉄道を巡る社会経済状況も改善し、ようやく新幹線が北海道まで上陸することになり、函館の人もどんなにか喜んでいることでしょう。開業すると東京から4時間10分で行けるようになるので、2年後の開業が楽しみです。
なお、今回信号場の名称も発表されています。新中小国信号所と湯の里知内信号所です。信号所は単線区間で駅以外で列車の行き違いを行うための設備で、一般の人は乗降できないのですが、新幹線の信号所とはどんな設備なのでしょう。こちらも気になります。
根室にある納沙布岬です。2006年3月に根室駅からバスでやって来ました。かつては根室拓殖鉄道の路線があったのですが、私の生まれる前に廃線になったようです。根室駅から納沙布岬までの沿道は風が強いのか、樹木がまったく生えていないのが印象的でした。本当に寂しげなけしきでした。
「日本最東端」ではなく「本土最東端」となっているのは北方領土を意識してのことと想定されます。今思い返すと、ここまで来たバスの停留所が本土最東端のバス停のはずでしたが、そこの写真は撮り忘れました。
天気が良ければ肉眼で歯舞諸島が見えるらしいですが、この日は望遠鏡で見えた記憶があります。このアーチのように北方領土が日本につながる日が来るのでしょうか・・・
名寄本線の興部(おこっぺ)駅です。この駅もすでに廃止されていますが、私はこの駅で北海道の国鉄全線を完乗しました。1986年3月9日のことです。
北海道の鉄道全線に乗るのに、私は1983年、1985年と1986年と都合3回、合計約20日間北海道に行きました。当時の北海道は約3900kmの路線があったので、それくらいはかかったのです。
宮脇俊三さんは時刻表2万キロの中で、北海道の路線網の充実ぶりを「鉄道敷設を促進する要因はいろいろあろうが、人口比で見る限りよくもこれだけ敷いたものだ」と言っています。
その後廃線が進み、今残っているのはその3分の2の2400kmです。約1500kmもの路線が廃止になったのです。
1986年3月6日に訪れた根室駅です。急行ノサップ3号で15時30分に到着しました。日本の最東端根室にやってきたわけです。厳密にはこの駅の隣に東根室駅があり、そこが日本最東端の駅になりますが、そこは無人駅なので実質的にはここが国鉄の駅で一番東にあります。
画像では見えにくいですが、ひらがなで「ねむろ」と大きく表記されています。こういう駅名表記は珍しいです。写り込んでいる車がフェンダーミラーなのは昭和を感じます。
宮脇俊三さんは「最長片道切符の旅」で「根室の人はどこに行くにも遠いので荷物が大きい」と評していましたが、実際はどうだったか記憶はありません。
こちらは根室から釧路に戻るときに見た夕暮れ時の景色です。我ながらなかなかうまく撮れていると思うのですが、いかがでしょうか。
今日の最終列車は山形発17時05分発のつばさ154号東京行きだ。グリーン車をとってある。発車間際に飛び乗ったので、グリーン車がある先頭車まで通路を伝って歩いて行く。
新潟駅で買ったビールもあるのだが、やはり冷えたものを飲みたい。グリーン車なので車内販売は発車直後にすぐやって来た。ビールと笹かまぼこを買い、一人で乾杯する。この瞬間が旅の醍醐味だ。それから新潟で買った亀田製菓の柿の種も食べる。
そうこうしているうちに、米沢に着き、ケータイ国盗り合戦の「米沢」を獲得する。
おつまみを食べ終えて、駅弁に移る。この駅弁は山形に因んだいろいろな食材をコンパクトに詰め込んでいて、とてもおいしかった。二段重ねになっていて、上の段には、山形牛と椎茸の串焼き、タラの芽のベーコン巻き、そば団子、将棋もろこしなど、下の段には桜ご飯と牛肉ご飯、塩引き寿司、さくらんぼ酢漬けなどである。お値段は1150円とちょっとたかいがオススメだ。何の予備知識もなく買ったが、正解だった。
ゆっくりとお弁当を食べるうちに日も暮れかかり、福島で東北新幹線に合流した。福島から先はグリーン車に乗って来る人もなく、車内は静かだ。乗車率は5割くらいだから、まずまずの乗車だろう。。
東京駅に定刻に着き、総武線に乗り換え、今日の旅も終わった。乗車距離は短かったものの、信越貨物線に乗れた成果は大きい。新潟貨物ターミナル駅長の丁寧な解説アナウンスもよかった。それと山形で買った駅弁がおいしかったことも私としては特筆できる。いずれにしても、充実した日帰り旅行だつた。
赤湯で普通列車の山形行きに乗り換え、蔵王駅で「山形」を獲得する。
山形で左沢線に乗り換える。ホームでは輪行の男性が車掌と押し問答をしている。輪行の場合、自転車を折りたたんで、専用の袋に入れないといけない決まりなのだが、この男性は折りたたんだ自転車にレジ袋のようなものを巻きつけただけなのだ。これでは乗れないはずだ。そもそも、このは男性はどうやって改札を抜けたのだろう。発車時間も迫っており、どうするのか見ていると、車掌はこの自転車を使用していない運転席に乗せた。総合的に判断して、現場の判断で黙認したのだろう。この左沢線は4両編成なので、そういう対応もできたのだろうが、1両ならば無理だっただろう。
この騒動で発車遅れが心配だったが定刻に発車し、羽前山辺の手前で「寒河江」を獲得した。
羽前山辺では同じホームの反対側から上りが出るので、それに乗り移り、山形駅にもどる。途中の北山形で対抗列車が遅れたので、山形駅での乗り継ぎが3分しかなく、階段、ホームを小走りに進み、発車1分前につばさに飛び乗った。
坂町からは米坂線で今泉まで向かう。1両のDCだが、新型で四人がけボックスが6つ、二人掛けボックスが6つという構成で、明るい暖色系でまとめられている。外は小雨が降っているが、車内は暖房がよく効いている。
左手には川を見ながら、心地よい走りでたちまち眠る。目が覚めて気が付くとすでに山形県に入っている。しかし、分水嶺はまだらしく上りが続く。引き続き雨が降っていて、そのせいで、樹々が本当に青く見える。いい景色が続く。
今泉でフラワー長井線に乗り換える。JRとはノーラッチでつながっている。乗り換え階段にはJRの職員がいて、切符の点検を行っている。無断流出防止のためだろう。
フラワー長井線のホームは古びていて、屋根の柱は昭和初期を思わせる。この線も1両だが、先ほどの米坂線よりは混んでいる。年配の女性客が多い。
15時19分終点赤湯着。運賃は車内で払う。この駅はJR側とフラワー長井線側と二つあるので、フラワー長井線側に降りてみた。ログハウス風の駅舎があるだけで駅前には何もない。
駅で記念に入場券を買う。硬券で140円だった。記念の入場券セットもすすめられるが、これは1000円もするのでパスした。
この列車は新崎で折り返しとなる。この間を利用し、ジャンケン大会となる。買った人にはJR貨物駅長からプレゼントがある。私は一回目ですぐに負けてしまった。
お腹も空いてきたので、ここでお弁当もいただく。タイトルは「SLばんえつ物語弁当」だが中身は特に工夫のない普通のお弁当だった。
11時51分、新潟に向けて出発。今日の3回目の方向転換だ。先ほど来た新潟貨物ターミナルの脇を抜け、12時02分、新潟着。
新潟駅では、今回の旅行者特典で午後の紅茶が無料でもらえるので、それを受け取りに行く。売店の中をのぞくと、ビールで鉄道図柄の物があったので、それも買う。
いなほ5号は7両編成で自由席は後ろの2両だ。新潟発は12時29分で、自由席でも5割くらいの乗車率だ。かつてのフレッシュひたちのリニューアル車両で、485系よりずっと快適だ。先ほど通った新潟貨物ターミナルをあっという間に過ぎ、時速も120キロで快走する。白新線でこんなにスピードを出すとは思わなかった。
坂町には13時09分に到着。ここでも久しぶりにケータイ国盗り合戦の領地「村上」をゲット。領地獲得はほぼ1年ぶりだ。
いよいよオタクな人たちを乗せて列車はスタートする。放送で今日の行程の案内などが行われ、各車両にはキハ40の紹介ポスターなどが張り出されている。 まず、白新線で新発田に向かう。途中交換待ちなどを行い、新発田に10時05分着。ここで折り返しのため5分ほど停車する。 ここから羽越本線で新津に向かう。途中、水原で貨物列車の行き違いのため運転停車し、新津に10時44分着。ここでも方向転換のため、5分ほど止まる。 ここから信越本線で越後石山に至り、いよいよ貨物線の旅となる。
越後石山駅を通過し、まず信越本線の上り線に転線し、その後さらに転線し、信越貨物線に入る。
そのあと白新線をまたぐ。そして新潟貨物ターミナル駅に停車する。東新潟と同じ場所にある。
新津駅から乗り込んだJR貨物の新潟貨物ターミナルの駅長が沿線の案内をしてくれる。これがなかなか適切で分かりやすくためになる。貨物輸送に使命を感じていることがよく伝わって来る。
この列車はちょうど貨物ターミナルの荷役線の前で停車したのだが、その目の前でトップリフターを使用し、コンテナの積み込み作業を実演してくれる。これは思いも掛けない演出だ。
ナンバープレートが付いていない軽自動車が何台も留置されていて、これは水島から到着した三菱の軽自動車とのこと。1日50台くらいが到着しているらしい。
新潟では紙の輸送が盛んで、上沼垂からここを経由する貨物列車が2本設定されている。菓子の輸送も行われていて、ブルボン、越後製菓などが主な荷主のようだ。そんなことを案内してくれる。
臨時列車「ぐるり新潟DC号」は新潟駅8番線から出発する。新潟駅は高架化工事のため、一部ホームの移設が行われたようで、8番線は1番線の奥の外れのような位置にある。
その8番線に行こうとすると、4番線で蒸気機関車の煙が上がっている。SLばんえつ物語号だ。この列車は登場からだいぶ経つはずだが、相変わらずの人気だ。
(これが駅弁の掛け紙です)
8番線に行くと列車はまだ入線していない。回送列車が出た後に入るのだろう。ホームで駅弁の引き換えを行う。事前の案内では専用掛け紙付きとの話だが、掛け紙はお弁当とは全く分離されていて、別の用紙を1枚いただき、それが掛け紙だった。コレクションにはこれでも良いが、味も素っ気もない。お弁当は通常の市販のSLばんえつ物語弁当だった。さっそくそのお弁当をホームで食べている人もいた。
9時25分、入線。4両編成で前2両が朱色、後ろ2両がクリーム色と赤の塗り分けで国鉄色だ。
車内はおなじみのボックス席で、目新しさはない。私は1号車12番Cを指定されている。すでにボックスには二人の男性が座っている。そこに私も加わる。いかにもこの道のプロといった人だ。向こうも私のことをそう思っているに違いない。
そこにさらに1名加わり、我々のボックスは満員になった。男4人で窮屈だが、放送によるとロングシート部分は空席になっているとのことで、私はそこに移動した。こちらのほうがゆったりできる。
信越貨物線の旅の列車は新潟を9時31分に発車する。そのためには東京駅7時00分発の上越新幹線に乗るのがちょうど良い。 私は稲毛発5時57分発の総武線快速でスタートした。前日飲み会があり、寝過ごさないように目覚ましを二つセットし、万全を期して乗り込んだ。
今日の新潟地方は降水確率午前が70%と高く、一方気温は13度と低いので、少し暖かめの格好をしていく。
総武線はこの時間帯でも15両編成の列車が稲毛発の時点でほぼ満席で、辛うじて空席を見つけて座る。東京駅には6時31分に到着し、駅構内で朝食を調達する。おにぎりを2個買うと30円引きだったので、明太子とオムライスのおにぎりを買う。
新幹線ホームには6時40分に上がる。自由席は3両で、すでに各入り口に15人くらい並んでいる。このMAXは8両編成で、平日は自由席が4両だが、今日は3両になっているのも影響しているようだ。
私はできれば、2階席の進行方向左側をゲットしたいと思っているが、ハードルは高そうだ。私は座席数が多い2号車に狙いを定め、並んだ。MAX時は303号新潟行きは定刻6時46分に入線する。回送列車なので入線と同時にドアが開く。列に横入りする人がいてイライラしたが、無事希望の席をゲットできた。今日はグリーン車も含め、指定席は全て満席のようだ。
隣のホームにやまびこが入線すると入れ替わりに、この列車がスタートする。
MAXに乗るのは久しぶりだが、眺めの良さには感心した。在来線でも2階建て車両はあるが視点の高さが全然違う。今日は晴天で遠くまでよく見えるのも良い。富士山もくっきり見える。大宮で自由席も満席となった。
大宮を出るとスピードを上げ、時速240キロを出す。左手には秩父の峰が遠く見える。熊谷、本庄早稲田を高速で通過し、高崎では先行のあさまを追い抜く。
越後湯沢で3分の1くらいの客が下車する。辺りは小雨が降っている。長岡でも下車する人がかなりいるが、一方乗って来る客のほうも多い。ここでは雨は止んでいるようだ。
燕三条でも若干乗って来て、定刻8時58分に新潟に到着する。
5月17日に信越貨物線に乗れる列車が運転されることになった。さっそく新潟のびゅうプラザでインターネット予約したところ、無事取れたので行ってくることになった。
私はこの列車を単独で予約したが、往復新幹線の乗車券が付いたプランもある。前後のスケジュールを勘案し、私は列車単独での予約とした。
チケットは宅配で1週間ほど前に到着した。ツアーの正式タイトルは「ぐるり新潟DC号で行く信越貨物線の旅」となっていて、専用掛け紙付きのお弁当込みで2900円となっている。
行程は新潟駅を9時31分に発車し、新発田、新津を経由し、越後石山駅から信越貨物線に入り、新潟貨物ターミナルに至り、白新線の赤崎で折り返し、新潟駅に12時02分に戻るというものだ。貨物線に乗るまで随分と引っ張り回されるのは気に入らないが、これはやむを得ないだろう。
なお、この日は新幹線の新潟車両基地でイベントが開かれ、その会場行きの新幹線臨時列車も運転され、それにも乗りたかったのだが、こちらは抽選に外れてしまった。 ということで、とにかく日帰りで新潟方面に行ってくることになった。
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