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昭和53年7月、臨海学校の時の写真です。伊豆半島の突端、弓ヶ浜海岸で開催されました。確か4泊5日くらいの日程でした。この臨海学校は私の高校の伝統でした。臨海学校に備えて、体育の授業では5月から水泳の練習が始まり、臨海学校までは水泳以外やりませんでした。私は後列右端にいます。控えめですね。私の古いアルバムからの写真です。
この弓ヶ浜では湾内を遠泳しました。「溺れるものはわらをもつかむ」という言葉がありますが、自分も引きこまれて溺れてしまうので、溺れそうな人がいたら決して助けてはいけないと教わりました。この教えは今でも守っています。
宿泊したのは南伊豆ホテルという、ホテルとは名ばかりの民宿風の旅館でした。冷房もなく、窓は開け放たれていました。我々の高校は全部で10クラスあったので、クラスごとにいくつかの旅館に分宿しました。こちらの写真はミスターOH氏からの提供です。
ホテルの前に横付けされているは我々の乗って来た国際興業バスです。伊豆急全線ウォークではこのバスで通った国道135号を歩くことが多いのですが、当時の沿道の様子はまったく覚えていません。35年以上も前のことなので、記憶がないのも無理もありません。逆にあの時自分が将来この沿道を歩くことも想像だにしていませんでした。
かつて国鉄下河原線というのが国分寺駅から分岐していました。武蔵野線開業に伴って廃止されましたが、その跡が遊歩道として利用されています。
コースの途中にあるモニュメント。電車ごっこの像とあります。昔の子供は縄跳びのひもを結んだりして、こんな感じで遊んだものです。私もそうでした。
枕木を利用した柵です。遊歩道のところどころに、鉄道の線路を偲ばせるものがある。
まっすぐ進んでいるのが本線で多摩川に向かっています。左に分岐するのが東京競馬場行きの線路です。
廃止から40年以上も経つので、線路跡を示すものは少ないですが、ゆるやかなカーブがその跡をしっかり示しています。
ところで、この下河原線は途中で京王線と交差するのですが、立体交差していたのでしょうか。橋脚を示すようなものはありませんでした。
名古屋では新幹線の発車まで10分ほどあり、お昼は赤福だけだったので、
きしめんを食べ終え、
いつもならば品川駅で下車し、総武快速線直通列車に乗るのだが、
東京駅で乗り換えると、
(市川駅の積雪の様子。快速の通過線は線路もほとんど埋まっている)
しかたなく、
今回の旅はいろいろな渡り線や新型車両に乗れ、
iPad miniを利用したことにより、今回の旅行中にブログの文章をほとんど完成することができた。家に帰ると、すぐにでもブログをアップする体制が整っているのはありがたい。しかも、iPadminiは軽くて、旅行中もその重さを感じることもなかった。技術の進歩は素晴らしい。
(これで関西私鉄乗り歩きを終了します)
伊勢神宮の参拝を終えて、いよいよ帰途に着く。
それとは違うが、
これから乗る列車は、
インターネット予約で2階席の窓側が予約できている。
二階建て車両はドアが車両の中央部にあり、そこから階段で階下席、階上席へと進む。
先ほど買った赤福を食べながら、二階席旅を楽しむ。
西日を浴びて、列車は快走し、
つどいの旅を楽しんだ後、伊勢市で下車し、伊勢神宮に参拝することにしてある。
私の旅は鉄道中心だが、せっかくここまで来たのだから、たまにはこういうところも訪れないと周りから変人扱いされてしまう。
伊勢神宮は外宮と内宮があり、参拝の順序は先に外宮という習わしになっている。外宮は伊勢市駅から徒歩5分と近い。他の観光客とともに参道を進む。
入り口に着き、10分ほど歩き、正宮に到着。参拝するところは撮影禁止となっている。お賽銭を投げるのも苦労するほど混んでいる。
外宮の参拝を終えて、次は内宮に向かう。外宮前からバスでの移動となる。客が多いのでバスは臨時便を出して随時発車している。私が乗ったのは観光バスタイプで、途中ノンストップで乗車時間10分弱、運賃は410円だからいい商売かもしれない。
内宮は外宮以上ににぎわっていた。宇治橋から五十鈴川のきれいな流れを眺め、正宮に向かう。手水舎で手を清めたが、五十鈴川に降りて手を清めている人もいるので真似をしてみた。バランスを崩すと川に落ちそうになるので慎重に手を清める。
先ほどの外宮もそうだったが、内宮も参拝する場所が非常に狭い。横に5人くらいでいっぱいになってしまうから、渋滞している。これで外宮、内宮とも参拝を終え、伊勢神宮を後にする。
伊勢神宮の目の前は、土産物屋や飲食店が立ち並ぶおはらい横丁ですごい数の観光客だ。まっすぐ歩けない状態だ。そこを少し行くと、おかげ横丁で、ここもすごい混雑だ。午後2時くらいで一番混む時間帯かもしれない。
どの店も混んでいて、入る気力もなくなったが、結局、私は赤福の内宮前支店で行列をしてお土産用の赤福を買った。2個パッケージというのもあり、自分用に買った。
前回伊勢神宮に来た時はゴールデンウイークだったが、こんなに混んでいた印象はない。赤福の店でもすんなり買えたような記憶だ。時代が移り、伊勢神宮はますます栄えているようだった。
今日の第一の予定は、近鉄の観光列車「つどい」に乗ることだ。
賢島に10時10分に到着。すでに列車は入線していたが、まだ
車内は窓に向かって座れる座席配置になっていて、
発車すると観光協会によるあおさ汁の振る舞いが始まった。
席に帰ってさっそく試食。
おいしいものにありつけて、満足な思いで車窓を堪能する。
以前津に来た時は食事の場所を探すのに一苦労した津であるが、あれから20年、駅前には居酒屋チェーンがいくつもできて、そのほか駅前のビル内にもいくつも食べるところできて、飲食に苦労はなかった。
ちょうど地元ラーメン店があったので、そこに入ってみた。カウンターが20人分、テーブル席が5つくらいで、先客は7~8人で、この時間帯にしてはまずまずの入りだ。
私はつけ麺750円にした。生味噌を使用した濃厚なつけ麺で、食べ終わった後に使う割りスープがあらかじめ、一緒に持ってきてある。スープをはねないように気をつけて食べる。
注文してから気が付いたが、この店は海苔ラーメンというのが人気のようだ。普通の焼き海苔とともに、佃煮風の海苔も入っているようだ。
会計を済ますと次回割引券をくれたが、有効期間内にまた来ることはないだろう。
今日のホテルは駅前にあるホテルサンルート津だ。インターネット予約でシングル4700円という安さで朝食も付く。私が鉄道旅行に本格的に取り組み始めた昭和50年代後半は、ビジネスホテルチェーンといえば、このサンルートが代表的だった。料金が比較的安く、しかも主要な都市にあり、チェーンということでどこも同じ水準のサービスを受けられたから、安心して泊まることができた。
今はその他にも多くのビジネスホテルチェーンができた。この津のサンルートホテルは今から20年以上前にも泊まったことがある。友達との旅行で伊勢神宮の帰りだった。ちょうどでゴールデンウイークの時期で、夜ホテルに着いて食事をしようと街に出たがホテル周辺に食事をできる店がなく困った記憶がある。県庁所在地の駅前で夜8時頃にやっている店がなかったのだ。
仕方なく、隣の津新町に行ってみたがここも同じで、我々は再び津に戻った。結局、ホテルのレストランで食事を取ったような記憶がある。
部屋はさすがに古めかしく、ユニットバスも狭いが、手入れはキチンとされている。空調が風量調節のみで温度調節ができなかったり、洗面所の蛇口が温水と冷水の二つあり、自分で水量を調節して、必要な温度にするなど昭和の設備だ。しかし、テレビは液晶式だし、トイレもウオッシュレットだ。いずれにしても私の場合、夜は疲れてすぐ寝てしまうので設備はあまり関係ない。
翌朝は無料の朝食が付く。ただし、ほかのホテルチェーンと違って、フロント前の棚にドリンクとパンが置いてあって、それを自分の部屋に持って帰って食べる仕組みになっている。こういうのは初めてだ。お一人様ドリンクは一つ、パンは2個でお願いしますとなっている。ドリンクの他にホットコーヒーもあり、これは数には含めないようだ。私は律儀にそのルールを守った。パンはチョコレート系のものが中心で、甘くないものはなかった。もう少し種類を工夫した方がいいだろう。
新宮でバス旅を終え、今夜の宿泊地、津に向かう。
この辺りは駅の周辺に入江があり、
そのうちに日が暮れてくる。iPad miniを取り出し、今日の旅の様子を書き込む。
多気着19時19分。当初の予定では約30分後に到着する快速に乗る予定だったが、かなり寒くなってきた。早く目的地に着きたくなったので、先発の特急ワイドビュー南紀8号に乗ることにした。津までは特定特急券で310円で乗れる。
ワイドビューは4両編成でやってきた。土曜日の夕方の上りなので空いていた。床が通路より一段高くなったハイデッカーの車両で、カミンズ社のエンジンを搭載し、ディーゼル特急の概念を変えた車両ではあるが、登場から20年以上経ち、シートテーブルの変色など、車内の老朽化は否めない。
特急に約20分乗車し、19時52分津着。
十津川温泉での小休止を終えると、終点の新宮までの3時間休憩なしで進む。約10分ほどでホテル昴というところに止まり、ここで8人ほどが下車した。山奥に突然現れた大規模な温泉でびっくりする。駐車場も広い。
この辺りは何か工事をやっているらしく、ダンプカーとのすれ違いが多い。大型車同士でのすれ違いも困難なところが多く、道幅を見計らいながらバックをしたりしながら、すれ違う。たしかにこのあたりは道路が旧道に入ったり、新道に入ったりしているので、そういう関連の工事が行われているのだろう。
午後2時頃、奈良県と和歌山県との県境を越える。ここからは十津川が熊野川と名前を変えて太平洋に注ぐ。
それとともに、川幅の広がり、河原も広くなり、趣が変わる。空が広く見える。雨も止んできた。 お尻がだいぶ痛くなった頃、14時20分、熊野本宮大社に停車。ここで本宮詣でらしい人が下車するとともに、逆に本宮詣でを終えたらしい人たちが乗り込んできた。熊野本宮については世界遺産らしいことは知っているが、それ以外の知識はない。大きな鳥居などがあり、霊剣新たかな感じはする。
その後旧道に入り、湯の峰温泉、川湯温泉とひなびた温泉を抜けて行くが、乗り降りは全くない。
再び新道を熊野川沿いに行くルートとなり、バスは快走する。このあたりはいくつか停留所を飛ばしていて特急バスらしい。特急バスとなり停留所を通過するのは新宮側のようだ。
新宮市内に入り、バスは定刻に新宮駅前に到着した。所要時間は6時間30分で、乗り通した人にはA4版ラミネート加工の乗車証明書が運転士からプレゼントされる。
運転士も交代無しで新宮まで来たのでお疲れさまだ。バスを降りた客は皆バスの写真を撮っている。一人旅の人が大半なのでバスをバックに自分を一緒に写している人はいなかった。
今回私は八木から新宮への方向で乗車したが、初めて乗る人は逆方向よりこのルートのほうがいいだろう。というのも、八木を出てからしばらくは普通の路線バスと変わらない区間を走り、その後山道に入り、最後は熊野川沿いを快走するからだ。逆だと最後に普通の路線バスと同じ区間を走るので興冷めだからだ。
吊り橋見学を終え、再びバスに戻る。サミットを超えたらしく、
13時30分、十津川温泉着。3回目の休憩だ。ここで例のカップルは下車した。
ここのトイレは男女兼用になっているので、
バス停の前はご覧のようなダムになっていた。
10時30分、五條バスセンターを定刻に発車。次がJRの五條駅で、ここから日本人男性とアメリカ人らしい女性の若いカップルが乗ってきた。こんなローカルバスには似合わないきれいな女性だ。
それとは別に、このバスには女性のマニア風の人が2人乗っている。2人とも一人旅のようで、カメラで写真を撮ったり、電話で仲間と旅の様子をやりとりしている。
吉野川を渡ると登り坂になってきた。路面上の雪もシャーベット状になっている。これ以上の状態になるとチェーンを巻かないといけないだろうが、今降っているのは雪ではなく、雨なのでその心配はなさそうだ。
そうやって山道を登って行くと、突然鉄道の橋梁が現れてきた。予備知識がなかったが、これは国鉄時代に工事が進んでいた五新線に間違いないだろう。五條駅と新宮駅を結ぶ線で、国鉄民営化の影響で工事がストップしたままになっていたはずだ。コンクリート橋は意外と新しく見えたが、少なくとも今から30年は経っているだろう。その後運転士がアナウンスで五新線について触れていた。思わぬ眼福でバス旅ではなく、鉄道旅らしくなってきた。
そうこうするうちにも、だんだん山道が険しくなってきた。バスはスピードが遅いので、時々路肩に車を寄せて後続の車に道を譲っている。
上野地に12時ちょうどに到着し、ここでちょっとお昼休憩となる。このバス停の近くには吊橋があって、そこが観光名所になっている。長さ297mあり、生活用の吊り橋としては日本一らしい。客も全員そこに行く。昨夜来の雨と雪の影響で、吊橋の路面がシャーベット状になっていてスリップしそうで大変危険だ。しかも雨が降っていて風も吹いている。私は途中まで進んだが怖くなって引き返した。橋を往復した人は私の目視では2名だった。
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