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伊豆急下田駅からは16時05分発のスーパービュー踊り子号で帰路に着く。今回も前回同様先頭車の1番CD席がゲットできている。AN氏はビデオカメラの撮影に余念がない。スーパービュー踊り子号は登場から20年を経過し、外装も錆が浮き出るなど老朽化は否めないが、内装はリニューアルされていて古さは感じない。
我々は駅でおつまみとビールを買い込み、発車とともに宴会を開始した。今回もAN氏はビール用のタンブラーを用意してきた。プレミアムモルツを48本飲み、インタネットでシリアルナンバーを入力すると全員に当たるらしい。このタンブラーを私は彼から1個プレゼントされた。
さっそく二人で乾杯となる。やはり缶で飲むのとはうまさが違う。わざわざタンブラーを用意してビールを飲んでいるのは、はたから見ると不思議な二人だが、うまさには変えられない。
展望席での運転士の操作を眺めながら飲むビールは格別だ。あっという間にロング缶を開け、車内販売でビールを買い込む。彼はかっぱえびせんも買っていて、昔の「♪やめられない、とまらない、カルビーのかっぱえびせん」のCMを思い出す。私がハンカチで手の汚れをぬぐっていると、彼も私と同じハンカチを持っていてお互い驚く。
伊東でJRの運転士に交代し、熱海の手前で伊東線から東海道線への渡り線を進む。熱海からは日も暮れて外もよく見ないが、それでも先頭車の楽しみは減らない。
AN氏は運転士が乗務中に眠くならないか心配している。先ほどから時々EB装置が作動していることを教えてあげる。EB(emergency brake)装置とは、運転士が1分間何の操作もしないと警報ブザーが鳴り、5秒以内に確認操作をしないと非常ブレーキがかかる仕組みのものだ。鉄道車両は乗用車と違って、いったんスピードが出ると惰行で何kmも走ることができるので、1分くらい何の操作もしないことはよくあり、それで居眠りしないような仕組みが備わっている。
そんな居眠り防止装置も客席の我々には無縁で、ウォーキングの疲れとお酒でいつしか眠ってしまい、いつの間にか横浜を過ぎていた。
私は新宿で下車し、彼と別れた。今回も完歩を見届けていただき感謝します。
(これで第10回伊豆急全線ウォークは終了です)
今井浜海岸で完歩したわけだが、この駅では完歩の商品が受け取れないので15時07分の電車で伊豆急下田駅まで進む。この車両は黒一色に塗られた黒船電車で先頭車は展望車になっているが、中間車両は海に向かって座れるようになっている。我々はそこに座って疲れをいやす。
私は前回は818人目の完歩者だったが今回は何番目になるのだろう。二人でその順番の当てっこになって、彼は236番、私は353番と予想した。前回はウォーキング終了に近い4月下旬、今回は1月中旬という時期の違いを勘案しての予想だ。正解者には缶ビール1本が無料になることになった。
伊豆急下田駅には15分ほどで到着。さっそく駅事務室に入る。散策シートを示し、完歩の手続きを終えると私は348人目だったことが判明。ピタリ賞ではないが、ニアピン賞の資格はあるだろう。私は今回のウォーキングでは硬券入場券セットを買って参加したので伊豆急全線ウォーク10周年記念缶バッジももらえた。
完歩した人は今年は伊豆急下田の駅にネームプレートが掲げられるようになっていた。私はさっそく自分の名前を実名で書き込み、完歩の余韻に浸った。
ようやく下り勾配になるが、なぜかこの地では山の斜面に墓地が多い。これではお墓参りも不便だろう。国道135号線に出て、しばらく国道沿いを進み、地平に降り切ったところで今井浜の海岸に至る。サーフィンをしている人もいて、真冬なのにご苦労なことだ。サーファー向けのシャワーは温水で1回300円らしい。我々も一風呂浴びたい気分だ。たしか去年まではこの近くにサンシップ今井浜という日帰り温泉施設があったのだが、今回通ると建物は取り壊されていた。
コースから外れるがせっかくなので今井浜の海岸に出てみた。右手には東急のホテルが見える。彼は三脚も持ってきていて、海をバックに二人でツーショット写真を撮る。
14時45分、今井浜海岸駅着。ここで第10回の伊豆急全線ウォークを完歩した。その瞬間もビデオカメラに収めてもらう。
ちょうどお昼時なので伊豆稲取駅構内の待合室でお昼にする。彼はおにぎり3つ、私はおにぎり二つとパン一つという簡単なものだ。待合室で食事を取っていると、別の男性が入ってきた。手にマップを持っているからウォーキングの参加者のようだ。
12時30分、伊豆稲取の駅をスタート。今日の最終区間だ。この区間もCランクとなっている。国道135号線の下をくぐり山道が始まる。この辺りは石の産地なので家々の石垣が立派だ。しかし、石の産地とは言え、この山道に石を持ち上げて作業するのは結構大変だろう。
そういう急斜面を軽トラックが我々を次々と追い越していく。声をかけて荷台に乗せてもらいたいような衝動に駆られる。
稲取駅から約30分で山神社に至る。山にあるから山神社なのだろうか。この先にクイズポイントがあり、しっかり記録しておく。
ここでいったん上りは終了するがまだ30分ほどアップダウンが続く。農作物をサルから守る獣の鳴き声をスピーカーで聞きたりする。途中、目の前に鷹が突然現れたりして、野趣は満点だ。
交通量が少なく、1台の車ともすれ違わなかった白田トンネルを抜けると、コース最高地点の標高290mに到達し、ここからは下り勾配になる。右手には風力発電施設も見え、左手には伊豆アニマルキングダムの大きな観覧車も見える。
彼はところどころでビデオカメラを回して景色を撮っているが、家族への証拠映像がないと彼も困るだろうから、私がカメラを借りて彼を撮影してあげる。
下り勾配がかなり急で膝を痛めないように慎重に下っていくが、せっかく蓄えた位置エネルギーを放出してしまうのはもったいない。
国道135号線の下をくぐり、パトカーとすれ違う。こういうところの勤務は事件も少なく楽だろう。海沿いを行く区間になり、遠く稲取の温泉街が見えてくる。彼はここの銀水荘という有名旅館に社員旅行で泊まったらしく、その時の思い出を語っている。泊まった翌日は船で伊豆大島に渡ったらしい。
稲取の漁港を過ぎ、12時ちょうど伊豆稲取駅に到着した。runtasticの計測では距離は8.85km、所要時間1時間53分、平均時速4.69kmとなっているが、伊豆急のマップでは距離7.8kmとなっている。どちらが正解だろうか。
伊豆稲取の駅前には大きな石が置いてある。重さ3.4tで綱が取り付けてある。大人6人で引いてくださいと説明があるが、我々二人で引いてみる。さすが二人では無理で、石はピクリともしない。
片瀬白田で小休止したのち、今日最大の難関、伊豆稲取までの区間に挑む。AN氏はビデオで駅名をしっかり撮っている。
国道135号を横断歩道で渡るといきなり急坂が待ち構える。これが1時間続くので彼にしっかり言い聞かせる。坂を上ること5分ほどで東京理科大の研修寮を過ぎる。窓が大きく、庭も広く、眺めも良さそうで、立派な施設だ。しかし、まだ山道の10分の1くらいしか進んでいない。
周りにミカン畑が広がる中を登っていく。ミカンは大きめで皮も厚そうで、種類はポンカンのようだ。こういうミカン畑で作業するときに使ういわゆる「みかん山モノレール」もところどころで見かけられる。
行けども行けども急坂は終わらない。慣れている私でも息が切れてくる。彼と会話をしながら登っているのだが、返事もとぎれとぎれになる。このような山道では蛇は今は冬眠中らしいが春になると現れ出るらしいが生返事をするのがやっとだ。
AN氏は大学時代ハイキング同好会で足腰を鍛えていたので、私のペースに遅れることなく上っていくのはさすがだ。彼はiPodを取り出し、音楽の選曲を始めた。収録している曲は山下達郎、小田和正、八神純子など昭和のニューミュージック系が中心のようだが、石川さゆりの「天城越え」をかけ始めた。彼は50才を過ぎ、演歌の心も理解するようになったようだ。スピーカーで音楽を流しても他に誰もいないので迷惑は掛からない。山道を石川さゆりに励まされながら進んでいくが歌を口ずさむ余裕はない。
片瀬白田から約30分で、この区間のクイズのポイントに到着する。水道施設の名前を答えるものだ。ここで小休止をして再び上りにかかるが、今までの区間よりは勾配は緩やかだ。気温は高くないはずだが汗をかいてきて、ジャケットを手に持って歩く。この付近からは大島もきれいに見えた。
伊豆熱川の駅を9時30分に出発。彼はビデオカメラで駅や駅前の源泉から吹き出す湯気の様子を収めている。源泉100度の高温らしいので湯気の迫力は相当だ。
今回は駅前の坂を下りながら海岸沿いのルートを行く、気持ちのよいコースだ。川は温泉のおかげで熱くて、それが熱川の名前の由来になっている。
AN氏はウォーキングのところどころで映像を撮っている。遠くに大島や利島なども見える。大島の三原山は山上が白く見える。積雪なのだろうか。
磔(はりつけ)の松を過ぎて、白田川に架かる橋の名前がこの区間のクイズになっている。前回まではコース上の立て看板にクイズが示されていたのだが、今回は現物の名前を答えるようになっている。
10時05分、片瀬白田駅着。2.75kmを32分1秒で歩き、時速5.13kmで進んだ計算になる。楽勝区間だった。
熱海で8時25分発の伊豆急下田行きに乗り換える。リゾート21の車両で先頭が展望車になっている。今回も運よく展望席がゲットできて、前から3列目の眺めのよい席に座る。
運転席と客室は完全には仕切られていない構造なので、運転席から列車無線の音がよく聞こえる。JR東海管内の東田子の浦駅での停電の影響で東海道線が運転を見合わせているようだ。今日1月18日は大学入試センター試験の日で、交通機関の遅れなどで受験生の影響が出ないといいと思う。ところで我々はセンター試験の前の「共通一次試験」の世代で、時の速さに改めて驚く。
運転席の真後ろの席には幼稚園生ぐらいのこどもが父親と一緒に座っている。その幼稚園生が運転士が女性であることに気づき、「わあ、きれいなお姉さん!」と喜んでいる。大きめのマスクをしているのできれいかどうかはわからないはずだが…。
定刻に発車し、海を左手に見ながら進む。先ほど新幹線の中から雪景色を見たので今日の天気を心配したが穏やかそうな天候だ。
前方を眺めているとAN氏が線路際で点滅する緑の信号に気付く。前回来たときは見かけなかったと言っている。私は鉄道の構造物には弱いが、どうも工事区間の周辺に設置されているのでその関連の設備のようだ。家に帰って調べてみると、「列車接近警報表示装置(LED型)」と呼ばれるもので、現場の作業員の安全性向上のために設置されているようだ。
伊東で運転士が交替し、伊豆急線に入る。川奈駅ではホームに椿がいくつも植わっている。季節になればきれいだろう。
富戸駅を発車するとAN氏は右手の坂に注目する。前々回で彼と歩いた区間だ。1回しか歩いていないが、その時の記憶が残っていたようだ。
伊豆高原でまた運転士が交替し、伊豆大川、伊豆北川と過ぎ、定刻9時25分伊豆熱川に到着した。
伊豆急全線ウォークの第3回目は1月18日の土曜日になった。前日、会社で送別会があったのだが、今日に備えセーブしておいた。
今回はブログにコメントを寄せてくれるミスターAN氏と一緒に歩くことになっている。東京駅東海道新幹線改札前で集合だ。私が先に着いて待っていると彼はビデオカメラを回しながらニコニコしながら近づいて来た。今回はビデオでウォーキングの様子を記録するようだ。彼は新幹線改札の電光掲示板を収めながら改札を抜けている。
第一列車は東京駅7時26分発のこだま635号名古屋行きで、ホームで食料を調達し列車に乗り込む。AN氏が付いてこないと思ったら、私が列車に乗り込む様子を撮っているらしい。
5号車の進行右側の2人席をキープ。こだまなので空いていて3人席はどれも空席だ。
発車して、すぐに朝食になる。私はメンチカツサンドとポタージュスープ、彼はとんかつサンドとコーヒーというチョイス。彼はこれからのウォーキングに備えてしっかり朝食を取ると言っている。たしか前回もとんかつサンドだったはずだ。
新横浜を発車すると急にスピードが上がってきた。iPhoneのアプリで確認すると時速265kmが出ている。相模川を渡ると雲が出てきて、雪も舞っているようだ。
小田原駅で後続ののぞみを待避し、発車しかけるとドアの異常を知らせる警報で緊急停車する。わずか1mほどしか走っていない。調査の結果、異状がないことがわかり、6分遅れで小田原を出発。これ以上遅れると熱海での乗り継ぎが心配だったのでホッとする。
今回は下田から特急で帰る。乗るのはマリンエクスプレス踊り子号で、普段は成田エクスプレスとして運行されている車両だ。成田エクスプレスは通勤時に少なくとも1日に1回は見かけているから、今まで少なくとも1000回は見ているはずだが、乗ったことは1回しかない。そういう列車に乗るのだが、前回乗ったときは普通車だったが、今回はグリーン車にしてある。
この列車の発車は15時14分だが、その5分前に185系の踊り子が運行されていて、2車種が並んでホームに停まっている。
マリンエクスプレスは通常の成田エクスプレスの車両に、いかりをかたどった専用のステッカーが貼られている。車内に入ると、シートカバーにも同じ図柄が採用されている。
かつての253系成田エクスプレスのグリーン車は1-2の座席配置だったが、E259系は2-2になっていてちょっと窮屈だが、シートピッチはゆったりしている。シートも革張りなので、いい香りがする。
今日のお昼は簡単に済ませたので少し空腹気味で、まだ早いが一人宴会を始める。駅前のローソンで買ったおつまみで一杯やるわけだ。
窓外には先ほど歩いた区間がちらちら見える。苦労して歩いた区間があったいう間に過ぎ去るのは複雑な心境である。ビールを飲み終えると、いつの間にか眠りについて、伊豆高原を気付かず、南伊東駅の直前だった。
伊豆多賀駅では、来宮駅に停車中の先行列車が急病人の救助を行った関係で、10分遅れでの出発となった。
熱海を約10分遅れで出発。ここでグリーン車も含めて満席となった。私の隣にもご婦人が座ってきた。家族と離れ離れになっているようだ。
ところで、このE259系は6両編成なのにトイレのついた車両が、先頭車と最後尾とにしかないので混雑しているようだ。車掌がお詫びと注意喚起の放送を行っている。こういうことは乗ってみないとわからないことだが、6両中2両しかないとはちょっと不便だ。
横浜で半数の客が下車した。私の隣のご婦人も下車した。結局、この列車は東京駅まで遅れを回復することなく12分延着したが、乗りここちは良かった。たまにはグリーン車の旅も悪くない。
ロープウェイ乗り場は駅から2分くらいのところにある。下田には今まで何度も来たのだが、このロープウェイには乗ったことがなかった。ロープウェイは私の乗りつぶしの対象になっていないからだ。ロープウェイは法律上は索道といい、鉄道の一種になるので人によっては乗りつぶしの対象にしている。ただ、ロープウェイを対象にするとスキー場にあるロープウェイなども対象になり、したがってスキーができない私は完乗ができなくなってしまう。だから私はロープウェイを乗りつぶしの対象にしていない。ご都合主義のようだが、趣味の世界なので自分で自分のルールを作ればよいだろう。
そんなルールはともかく、せっかくだから乗ってくることにした。料金が往復で1000円で、通常は15分間隔での運行だが、今日は客が多いので随時運行しているようだ。
ちょうど私の前で定員となり、悔しい思いで次の便を待つ。5分ほど待たされ、改札開始。私は先頭を切ってロープウェイに乗り込む。座席が12人分、立ち客を含めて20人くらいでいっぱいになりそうだ。
発車するとみるみる高度をかせぎ、伊豆急下田の駅があっというまに小さくなる。3分30秒で山上駅に到着。
山上が公園になっていて、下田の湾が眺められる。こじんまりとした入り江で、自然の良港を形づくっている。幕末にはこの山上から外国船を接近を監視していたらしい。
また、山上には伊豆急開業を記念した五島慶太の碑も立っている。このロープウェイは伊豆急と同じ年に開業したのだ。下の動画もご覧ください。
蓮台寺から伊豆急下田までは平坦で楽勝区間だ。13時10分出発。稲生沢小学校前の歩道橋前の道路標識がこの区間のクイズになっている。しっかり撮影しておく。
13時45分、伊豆急下田駅着。バッジを引き換えるため駅の事務室に入る。他の駅は出札窓口でバッジの引き換えを行うのだが、ここだけは駅の事務室で行うことになっていて、待遇が違う。
伊豆急下田駅には駅前に足湯がある。普段は混んでいるのだが、この時は誰もいなかったので、さっそく利用してみる。ちょっとぬるめだ。そうやってウォーキングの疲れを癒していると通りすがりの人が「湯加減はどうですか」と声をかける。「ちょっとぬるいです」と私。「下田市役所がケチだから、お湯がちょっとしかでないからね」と地元の人が教えてくれる。
そんな足湯に浸かってぼんやり景色を眺めていると、下田ロープウェイが目につく。帰りの電車まで1時間以上あるので、そのロープウェイで山上まで行ってくることにした。
次の区間は距離16.5kmで難易度はCで、全コース中で最もハードだ。
前回までは稲梓の駅が終着となるルートで、それだけでも長い区間だったのだが、
ただ、何れにしても注意しておかなければならないのが、
そういうことも踏まえトイレにしっかり行ってから、9時50分に河津駅をスタート。河津は早咲き桜でにぎわうところだが、まだ1月なのでその気配もない。駅を出て10分ほどで上り坂が始まる。ここから約一時間上りっぱなしになる。気温はそれほど高くないのだが、たちまち汗をかく。上着を脱ぎ、手に持って歩く。
「小さなフランス」というキャッチフレーズのある伊豆バガテル公園の近くで少し坂が緩やかになったのもつかの間、再び急坂が待ち受ける。
マラソン選手のように、吸う息と吐く息をリズムを取りながら坂を上っていく。そんな急坂の途中に河津町学校給食センターという施設が現れる。寄りによってこんな急坂の途中に作らなくてもいくらでも場所が便利な場所があるだろうといつもながら思う。
峰山トンネルの中に入り、ようやく上り坂が終了し、ここからは下り一方になる。しかし、ここから次の駅までは12km近くある。里山らしい風景が続き、こころは和んで来て、汗も引いてきて再び上着を羽織って歩く。
ところでこの区間は駅間距離が長いことから、その間トイレに行けるところがないのだ。約4時間くらいかかる距離なので、途中水を飲みすぎると大変なことになる。したがって私はここまで水を飲まずにやって来た。しかし、ウォーキングの途中で水分の補給を怠ると、体にも悪いので加減が難しい。そんなことを考えながらも、のどが渇くので結局適宜水分を補給しながら歩いていく。今朝東京駅で買ったポカリスエットだ。
水分補給とともに大変なのが食事だ。この区間は休憩できるような場所がないのだ。ちょうど12時ころになったとき、道路の縁石で腰かけやすい石があったので、そこで昼食を取る。これも東京駅で買ったおにぎりだ。
お昼休みもそこそこに再び歩き出す。途中からは歩道もなくなり、車に気を付けながら慎重に進む。
ようやく稲梓駅入り口に着く。前回まではここを左に曲がり、急階段を上って駅舎に向かったのだが、今回からは直進する。
ここからも歩道がないので引き続き注意が必要だ。その後川沿いの区間を行くようになり、13時ちょうど約3時間で16.5kmで蓮台寺駅に到着。休憩時間も含めた平均時速は5.52kmだから、結構速足だった。
1月4日土曜日、伊豆急全線ウォークの2回目を始めることにした。今年は曜日の並びの関係で正月休みがなかなか終わらないので、この機会にウォークを進めておこうと思う。
今日が2回目なので本来ならば前回の続きから始まるべきところであるが、ブログ仲間のミスターAN氏とウォーキングを同行する予定があり、その時にコース最難関の片瀬白田ー伊豆稲取ー今井浜海岸を歩く予定にしているので、今回はそこを外した区間になっている。したがって、今井浜海岸から伊豆急下田までの区間を歩こうと思っている。
前回は行きに新幹線を利用したが、今回は在来線のみで行く。まず、稲毛発4時49分の横須賀行きでスタートする。冬の朝で寒いのでグリーン車にしたが、他に誰も乗っていない。
前の席をこちら側に回転させて、ボックスを一人で占領する。朝のグリーン車はアテンダント以外に警備員も同乗している。アテンダントの身に何かあってはいけないとの配慮だろうか。
しかし警備員はアテンダントのすぐ後を付けて歩いているので、制服を着ていなければストーカーにしか見えない。
東京駅で東海道線に乗り換えるが、これも空いていたのでグリーン車をボックスで一人占めする。この列車にも警備員が同乗していた。
根府川付近で相模灘の静かな海を眺める。宮脇俊三さんもここから眺める景色が日本の鉄道の車窓の中で最高だと言っているがまさにその通りだろう。
熱海で伊豆急下田行きに乗り換え、9時6分、今井浜海岸駅に到着した。
ANA636便は定刻16時10分発のところ、
誘導路を何回も曲がり、滑走路の南端まで進む。この間、10分以上はあっただろうか。
機内は帰省の流れと逆なので空席が目立つ。
着陸のための降下を始めると、左手に富士山が見えてきた。
伊豆半島から房総半島上空を経て、羽田空港に着陸した。
今回の旅では母校の応援が主目的で、残念ながら敗退してしまったが、
また合わせて渡り線も幾つか乗れたことも私なりに意義が大きかっ
岩国錦帯橋空港は1年ほど前に米軍の岩国基地に民間航空機を乗り入れるようにして開業した空港だ。ガラス張りの建物で白を基調とした明るい印象だ。ターミナルビルはこじんまりとしていてみやげ物コーナーと展望デッキくらいしかない。しかもその展望デッキは100円の入場料を取るのだ。100円くらいなら無料にしてもよさそうだが、その割りに眺めが良さそうでなかったので展望デッキに入るのはやめにした。保安検査場を抜け、待合室に入ると、ちょうど折り返し羽田行きとなるANA機が入ってきた。待合室の目の前に止まったので、折り返しの様子がよく見える。
主翼の下に脚立が立てられ、タンクローリーから延びたホースが手作業で給油口に差し込まれる。タンクローリーに入る程度の燃料の量で羽田まで行けるらしい。同時に手荷物が貨物室から一個一個手作業で取り出され、コンテナ車に乗せられる。手荷物はコンテナごと飛行機に乗せられていると思っていたのだが、そうではなかった。
それと並行して清掃作業員が機内に入り、次にこれから乗務するCAが乗り込み、最後に操縦士が乗り込む。乗務を終えたCAが後から降りて、その後操縦士が出てくる。最後に清掃作業員が出てきて、折り返し作業は終了した。間近でこういった作業を眺めたのは初めてだった。
広島電鉄のデルタ線やら変わった駅やらの見学を終えて、宮島口駅から山陽本線の電車で岩国に向かう。まだ115系が使われている。JR西日本は古い車両を大事に使っているが、一面黄色に塗られていてセンスを疑う。
岩国駅からはバスで岩国錦帯橋空港に向かうのだが、小一時間ほど待ち時間がある。
駅周辺を歩いてみたが、あまり活気が感じられない。気温も低くて、寒いので駅の中にあるミスタードーナツで過ごす。温かいものを食べたかったので、肉まんがあったので、それにしてみた。辛子としょうゆが付いてきた。ミスタードーナツで肉まんを食べるのは初めてだが、まずまずだった。
15時18分、空港行きのバスは10数名の客を乗せてスタート。前側がロングシート、後ろ側がクロスシートの新型車両だった。空港までは6~7分で到着。運賃は150円だった。
朝7時から乗り始めた広電の渡り線巡りも11時過ぎに終わった。あたりは風花が舞う寒さであったが、乗り継ぎに忙しく、寒さは感じなかった。
私はこの機会に平和記念資料館を訪問しようと思っていた。今から20年くらい前に訪れたことがあるが、だいぶ時間も経っていて、もう一度記憶を整理するためにやってきた。
今日は12月29日の日曜日で、私はこの日にたまたま訪れたのだが、例年だと12月29日は年末休みに入り休館で、今年に限り試行ということで年末の日曜日もやっていたようだ。運が良かった。
それはともかく、市民14万人がなくなり、爆心から半径2km以内の建物をすべて焼きつくした1発の原子爆弾は、今も後遺症に苦しむ人が多い。憲法を学んだものとして戦争の惨禍が再び起きないことを祈りたい。
今日の目的は八丁堀にある白島線への渡り線に乗ることだ。
午前中にこの区間を走るのは、江波発10時18分の電車だ。途中駅から乗ってもいいのだが、
江波電停は奥に車庫があり、複雑な配線になっている。
土橋、十日町、紙屋町と過ぎ、いよいよ八丁堀電停に着く。
この渡り線は複線になっているので、
帰りの線は下の動画をご覧ください。
これで往復乗車となった。なお、今回八丁堀の渡り線以外の紙屋町、皆実町6丁目、十日市町の各電停デルタ線で乗った記憶が定かでない区間も合わせて乗車してきた。
広島では駅から5分ほどのところにある東横インに泊まる。いったんホテルに荷物を置いて、小休止したのち夜の街に出かけた。まだ、先ほど食べたねぎ焼から3時間ほどしかたっていないが、広島に来たからにはお好み焼きを食べたい。駅ビルの2階にレストラン街があって、そこにいくつかのお好み焼きの店がある。
ここでは「麗ちゃん」という店が人気でいつ来ても行列している。今日も30人くらいは並んでいる。その次に並んでいるのが「第2麗ちゃん」で、これも15人くらい並んでいる。その他の店はすぐ入れそうだが、空いている店に入るのもどうかという気もしてくる。
駅前にはもう一つ大きなビルが建っていて、「エール・エール」と書かれている。調べてみると平成11年開業のようだが、今まで気付かなかった。地元百貨店の福屋の駅前店のようだ。その上にレストラン街があるようなので、そこにもお好み焼き屋があるだろうと行ってみた。
すると予想通り、「五エ門」というお好み焼き屋があった。客待ちは二人なので、これならすぐ入れそうだ。10分待ちくらいで店内に入る。カウンター席が15人分、テーブル席が10人分くらいの店で、カウンター席の前には大きな鉄板がある。この店はデパートのレストラン街にあるので、家族連れや女性のグループ客が多く、男性の一人客は私だけだった。
私はミックスそば入りと生ビールを注文。目の前で調理が始まる。その手際よい様子を眺めることもお好み焼きの楽しみだ。たっぷりのキャベツ、豚肉、イカ、タコ、ホタテなどが入って、10分ほどで出来上がる。1050円だ。
それを私の前の鉄板に置いてくれる。「お切りしましょうか」とのお声掛けに「お願いします」と答える。切ってくれたのは調理をしていた男性ではなく、アシスタントの女性だったが、この人は手際が悪く、6等分に分けられたお好み焼きは崩壊していた。
ソースとマヨネーズをかけていただく。味はまずまずだ。マヨネーズをかけすぎたので、ちょっと濃厚な味になってしまった。焼きそばも入っているのでボリュームもたっぷりだ。結構、お腹もいっぱいになって、満足してホテルへ戻った。
新大阪では30分ほど時間がある。昼食がまだだったので新幹線改札内にあったフードコート風の店で食べることにした。「大阪のれんめぐり」と書かれたフードコートで、タコ焼き、串カツ、うどんなど大阪風の店が5店舗ほど入っている。ちょうど空席があったので、「ねぎ焼やまもと」という店に入った。カウンターが5人分とこじんまりしているが、座れない場合には併設されたフードコートに持って行って食べることもできる。
私はすじねぎ焼850円にした。ねぎ焼は具がねぎのお好み焼きで、そこに牛すじが入っている。醤油とレモンで味付けしてるとのことで、ねぎのくさみが抑えられている。まずまずの味だが850円にしてはボリュームが物足りない。新幹線駅構内だから仕方ないだろう。
そうやって食べていると、私と同じくらいの年恰好の男性が同じ店に一人で入ってきた。彼も手に浦高小旗を持っている。もちろん竿に巻きつけられているので校名は読み取れないが、濃紺の旗なのですぐ分かる。彼は上りの新幹線で埼玉方面に帰るのだろう。
ねぎ焼の簡単な昼食を終え、ホームに上がる。私の乗るのぞみはまだ入線していないが、となりのホームには500系こだまが止まっている。8両編成と短くなったが、さすがにカッコいい。無理して混んだのぞみに乗るより、時間がかかっても500系こだまのほうが良かったと後悔した。
のぞみ113号は満席の状態でやってきて、窮屈な思いでB席に座る。しかし、次の新神戸でC席の人が下車し、岡山でA席に人が下車し、3人掛けを一人で占領する。こののぞみは広島止まりなので、岡山から先は他の席もガラガラになった。
浦高の敗戦を惜しみながら、近鉄花園ラグビー場を後にする。試合には負けたけれども、応援は負けなかったと、皆晴れ晴れとした思いで帰途についていたように感じた。手には浦高小旗がしっかり握られている。
ラグビーの観戦は初めてだったが、笛、太鼓、ブラスバンドなどの応援がないので非常に静かで、試合に集中できる感じがとてもよかった。さすがに紳士の国のスポーツだ。野球には野球の、サッカーにはサッカーの応援の仕方があるのだろうが、私はラグビー観戦が気に入った。
東花園駅の難波行きホームはまだ高架になっておらず、地平にある。島式ホームが1面だけのこじんまりした駅で跨線橋もなく、構内踏切を渡ってホームに上がるようになっている。鶴橋までは15分ほどだ。
鶴橋でいったん下車し、これから乗る新大阪から広島行きの新幹線指定券を買う。帰省シーズンなので予定していた列車は満席で、予定より30分後の16時29分発のぞみ113号のB席になった。
今から1時間半ほど時間があるので鶴橋駅周辺を歩いてみる。駅前からアーケードの商店街になっている。しかし、一般に見かけるようなアーケード商店街とは比べ物にならない通路の狭さだ。二人並んで歩くのがやっとという感じで、買い物客が店の前の商品を眺めているだけで渋滞ができてしまう。キムチやチジミなど韓国料理を扱う店が多い。
一方、駅の反対側には焼肉料理の店が並ぶ。まだお昼を食べていないのでどこかに入りたいのだが、各店の前に客引きの人が大勢いてゆっくり品定めもできない。結局すっと入れる店がなく、鶴橋をあとに新大阪へ向かうことにした。
(駅の出口とブックオフの入口が一緒という驚くべき構造になっている)
桂対岡谷工業の試合をメインスタンドで観戦した後、いよいよ我が母校の試合となった。応援席である11番ゲートに移動する。私は前の試合の応援団が帰ったら、入れ替わりに我々の応援団が入ると思っていたのだが、実は大半の人たちが前の試合から応戦席に陣取っていたようだ。
後からゆっくり応戦席に行った私は最上段付近の席しかなかった。ほとんど空席のない状態で立って見ている人もいる。年齢構成も様々で、私より年上の人も多い。女性が少ないのは男子校ならではだが、それでも夫婦や子供連れ、選手の母親と思しき人たちもいて、ほんとうに老若男女が集っている。
試合前に校歌斉唱もあり、懐かしく歌った。我々は入学すると応援団による校歌指導があり、歌えないと厳しい指導を受けるのでみなしっかり歌えるのだ。隣のおじいさんも大声を張り上げていた。斉唱の時は高校野球などと違ってブラスバンドの演奏もなく、肉声だけで歌っているのも新鮮だった。笛や太鼓もなく、せいぜいメガホンくらいなので試合を集中して見ることができそうだ。
前半は先に光泉に先行されたが、追いつき、5-5で終了。同点に追いついたトライでは観客席は総立ちになった。
後半は2トライを決められ、一時22-5となったが、終了間際に1トライを決め、また全員総立ちになった。最終的に22-12でノーサイドとなったが、平均体重で10㎏も違うので、正直、もっと差が付くかもしれないと思っていたが善戦した。
選手は皆よくがんばり、スタンドも惜しみない拍手を贈っていた。私は今回の出場を逃すと、次はいつここに来られるかわからないと思っていたが、来年も大いに望みがあると感じた。今年観戦できなかったOBはまだチャンスがあるので、その時はぜひ応援に行ってほしいと思う。
ところで会社での雑談の中で私の部下が今回の対戦相手の光泉高校出身であることが判明し、お互いに驚いた。光泉は監督が東芝府中出身らしく、ここ数年実力を上げてきているらしい。彼には試合直後にメールを送ったが、光泉が勝ったことにより、今後私から厳しい仕打ちを受けることを恐れていた^^
試合開始までは少し時間があるので、
そろそろ第一試合の桂高校と岡谷工業の対戦が始まる時間になって
第一試合は岡谷工業のキックオフで始まった。高く上がったボールをキャッチした桂高校の選手に岡谷工業の選手が猛然と飛び掛かる。相当な迫力だ。あんなにぶつかられたら、一般人はひとたまりもないだろう。実はラグビーの試合を生で見るのは初めてだ。
ラグビーをするのも高校時代の体育の授業の時が最後だ。私のクラスは45人でちょうど3チームできたので、2チームが試合をし、1チームが応援だった。母親が作ってくれた手作りのヘッドギアを付けてプレーをしたのだ。私は足が遅く、当時は体重が今より10㎏以上軽かったので、ラグビーでふさわしいポジションはなかったのだが、フォワードでフランカーをやっていた。
試合を見ているうちにルールも少しずつ思い出してきた。会場アナウンスで反則の名称を放送してくれるのも助かる。オーバー・ザ・トップ、ノット・リリース・ザ・ボール、オブストラクションなどだんだん思い出してきた。
そんな第一試合は桂高校の勝利で終了した。いよいよ次は我が母校の対戦だ。メインスタンドから応援スタンドに移ることにする。
駅からラグビー場までは5分ほどだ。正確には近鉄花園ラグビー場といい、近鉄の運営だ。
会場に着くと、各校の応援団が大きな幟を立てている。
記帳を済ますと、応援用の小旗とスポーツタオルがもらえる。
会場を見回すと、
鶴橋からは近鉄奈良線に乗り換える。
約15分ほどで東花園駅着。難波行きのホームは地平だが、
なんとか改札をくぐり出て、新しい駅舎を眺める。
みなさん、あけましておめでとうございます。昨年中はいろいろお世話になりました。
昨年は新線の開業もなく、乗り鉄としてはさびしい年でしたが、近鉄の八木連絡線、大阪市交通局の鶴見検車場工場連絡線、九州新幹線熊本車両基地への連絡線など貴重な線に乗れました。
また、ブログを通じて、railwayさんやtakehopeさんと知りあえたことも大変うれしいことでした。
来年も引き続き、こまめにブログを更新し、情報発信に努めていきたいと思います。
さて、新年第1回の話題は、平成14年12月31日から平成15年1月1日の深夜にかけて、有楽町線桜田門駅から千代田線霞が関駅への連絡線に乗車できる臨時列車が運行されました。この硬券はその時の乗車記念でもらったものです。今は季節運行で小田急のロマンスカーで、この区間を乗車することもできますが、当時はそういう列車はありませんでした。ちょうど連絡線内で日付が変わったはずです。
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