« 新百合ヶ丘駅のポイント | トップページ | 東横フラワー緑道 »
二子玉川園から砧本村までの2.2km玉電の砧線が結んでいました。昭和44年に廃線になりましたが、その跡が遊歩道になっています。これがかつての電車道です。廃止から45年も経つので、当時の物件はほとんど残っていません。
しかし、遊歩道のとことどころにかつての跡が分かるようなオブジェがあります。ここは二子玉川から1駅目の中耕地駅があったところです。
マンホールにも玉電の車両が描かれています。
ガードレールにも線路が使われています。
吉沢橋にも電車のプレートが取り付けられています。
右側が玉電の廃線跡です。ここを今はバスが走っています。
ここが玉電の終点砧本村です。電車時代のホームの屋根がバスの待合所として活用されていました。これが今も残る一番古い物件かもしれません。
連日の訪問ですみません。30年ほど前から砧本村へは毎日曜日に通いました。バス停から徒歩1分の多摩川河川敷にある球技場に行くためでした。玉電砧線の遺構はずいぶん探しましたが、これといったものはありませんねえ。画像で飲物自販機があるあたりに、まだ有人の「駅売店」があり、電車駅時代から営業していたと店のおじさんが言っていました。バス回転場の裏にある小公園の砂場あたりにホームがあったとのことでした。 砧線には乗ったことはないのですが、渋谷-三軒茶屋間の路面区間には何度か乗りました。また撮影もしましたが、高速道路がない時代だったので、246号線は広々としていました。今は新玉川線という呼称もなくなり、玉電は歴史の彼方へ消え去ろうとしています。
投稿: railway | 2013年12月26日 (木) 12時15分
railwayさん、こんにちは。
砧線は廃線めぐりとしては比較的人気がありますが、肝心の物件はほとんど残っていないですね。都会の街中で40年の歳月を経ればしかたないですね。それでも廃線跡の路地を歩いていると、自分が電車になってような感じがしてきました。道路の幅が中途半端に狭いからでしょうか。
投稿: ミスターK | 2013年12月27日 (金) 03時38分
名前:
メールアドレス: (ウェブ上には掲載しません)
アドレス(URL):
内容:
この記事へのトラックバック一覧です: 玉電砧線廃線跡:
連日の訪問ですみません。30年ほど前から砧本村へは毎日曜日に通いました。バス停から徒歩1分の多摩川河川敷にある球技場に行くためでした。玉電砧線の遺構はずいぶん探しましたが、これといったものはありませんねえ。画像で飲物自販機があるあたりに、まだ有人の「駅売店」があり、電車駅時代から営業していたと店のおじさんが言っていました。バス回転場の裏にある小公園の砂場あたりにホームがあったとのことでした。
砧線には乗ったことはないのですが、渋谷-三軒茶屋間の路面区間には何度か乗りました。また撮影もしましたが、高速道路がない時代だったので、246号線は広々としていました。今は新玉川線という呼称もなくなり、玉電は歴史の彼方へ消え去ろうとしています。
投稿: railway | 2013年12月26日 (木) 12時15分
railwayさん、こんにちは。
砧線は廃線めぐりとしては比較的人気がありますが、肝心の物件はほとんど残っていないですね。都会の街中で40年の歳月を経ればしかたないですね。それでも廃線跡の路地を歩いていると、自分が電車になってような感じがしてきました。道路の幅が中途半端に狭いからでしょうか。
投稿: ミスターK | 2013年12月27日 (金) 03時38分