« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »
このところ東急関連の入場券の紹介が続きましたが、今回は東急ストア開業40周年記念の缶ビールです。平成8年11月7日に買いました。この時で40周年ですから昭和30年代前半の開業ということになります。図柄の東急電鉄最初のステンレスカーも昭和33年製造ですから、同じ時代にデビューしたわけです。日本が高度経済成長へ向かうなかで生まれたスーパーマーケットとステンレスカー、ともに時代の先端をいっていたのでしょう。両者は今では日々の生活に不可欠のものとなりました。
ここのところ、昭和の時代の北海道の切符を紹介してきました。それらの切符は、この北海道ワイド周遊券を利用した旅の途中で買い求めたものでした。冬季にこの周遊券を購入すると2割引きになる特典もあり、学割と相まって、定価35,000円の6割くらいの値段で買えました。東京からの往復切符と北海道内は特急自由席を含めて乗り降り自由でこの値段ですから、大変お得な切符でした。
有効期間は20日もあり十分すぎるほどですが、旅行者によっては、期限が近づくと別の旅行者に声をかけ、有効期間の残っている人と切符を取り替えて、さらに旅を続けている人もいました。乗車券の譲渡はもちろん違法ですが。
当時の北海道は札幌から釧路、網走、稚内、函館行きの夜行列車が走っており、こういった列車を宿代わりにして旅を続けたものです。2晩連続の夜行列車は、今の私なら敬遠しますが、当時はそれが常識でした。風呂に入れなくても何でもありませんでした。
今はこういった周遊券もなくなり寂しいものですが、私自身も北海道に行くときは往復とも飛行機だったりするので、これも時代の流れでしょうか。
万字線の終点「万字炭山」駅の乗車券です。万字線は岩見沢駅の隣の志文駅から南に伸びる23.8kmローカル線です。
昨日の様似駅と同様、(ム)の表示があるので無人駅で、委託を受けた地元の人が短距離乗車券を販売していました。入場券を買おうとすると、老人の窓口氏は「この駅には入場券はないのです」と説明してくれました。
日付も、ダッチングマシーンという硬券の乗車券に日付を入れる機械ではなく、ゴム印で捺されています。
当時の北海道のローカル線では、自分以外にも必ず乗り鉄(その当時は乗り鉄という用語は存在していなかった)の人がいましたが、この駅では鉄子の人がいました。当時は鉄子はとても珍しかったのです。
そんな線もこの2年後に廃止になりました。
日高本線の終点「様似駅」の乗車券です。昨日紹介した広尾駅から国鉄バスに乗って、えりも岬経由で様似に至りました。当時の北海道ワイド周遊券は国鉄線だけでなく、国鉄バスも乗れたのです。
えりも岬に向かうバスの中では自然と「えりも岬」の歌を口ずさみます。3月ですが、まだ春にはほど遠い時期で、まさに「なにもない春」でした。
この様似駅は国鉄職員が配置されていない無人駅で入場券はありませんでした。簡易委託という扱いで、地元の業者が短距離切符の販売を行っていたので、最短区間の切符を買いました。
切符の券面の様似の文字の前に(ム)の表示があるのは無人駅の意味で、下段の様似駅発行の前に、(簡)とあるのは簡易委託の略です。
この日高本線は今も廃止されずに残っています。
広尾線の終点「広尾駅」の入場券です。広尾線は帯広から南に伸びる84.0kmの線で、途中に幸福駅があったことで有名でした。宮脇俊三さんの「最長片道切符の旅」では、旅のスタート地点になる駅でした。
私は帯広から乗車し、広尾からバスでえりも岬を経由し、日高本線の様似駅に至りました。北海道の南部なので3月とはいえ、雪は少なめでした。
この線も私が乗った翌年に廃線になりました。
名寄本線の途中駅「興部(おこっぺ)駅」の入場券です。私はこの駅でこの日に北海道の国鉄全線を完乗しました。全線に乗るまで3回北海道に行きました。それぞれ1週間ほど滞在しましたので、全部に乗るまで3週間を要したわけです。今ならば1週間あれば完乗できるはずですから、どれだけの線が廃止になったかわかると思います。
この線もこの3年後に廃止になりました。全長140kmもある長大な路線ですが、廃止されました。
富内線の終点「日高町駅」の入場券です。会社へ就職する直前に行った北海道旅行で買ったものです。富内線は日高本線の鵡川から分岐するローカル線で、鵜川~日高町間82.5kmという距離で、行き止まり式の盲腸線にしては長い距離です。
苫小牧、鵡川と経由して日高町に至るルートだと同じ道を行って帰ってくることになるので、私は石勝線の占冠(しむかっぷ)からバスで日高町駅に向かいました。日高町営の小ぶりな路線バスで雪道を走ること30分で駅前に着きました。
日高町駅は街の外れにあって、寂しいところでした。バスを降りてから列車の発車時刻まで2時間ほど待ち時間がありましたが、待合室にはストーブが焚かれていて、意外と快適に過ごせました。私が乗った年の11月には富内線が廃止になり、この駅も同じ運命をたどりました。
国鉄士幌線の実質的終着駅「糠平駅」の入場券です。士幌線は帯広駅から北へ伸びるローカル線で、終点は十勝三股駅なのですが、昭和53年から糠平~十勝三股間はバス代行に変更になったのです。
路線が廃止になったのではなく、並行する道路をバスで運行するのです。実際に鉄道の車両に乗れないので私にとっては廃止同然ですが、扱いは災害時の代行輸送と同じで、鉄道の切符で乗れました。したがって、私は糠平駅で鉄道車両から下車し、マクロバスに乗り換え、十勝三股駅へと向かったのでした。一面の銀世界が印象的でした。
私が乗り鉄の世界に入ってから、乗らずに廃止になった数少ない線の一つが、この糠平~十勝三股間でした。
最近のコメント