ただいまの時間

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2012年6月

2012年6月26日 (火)

西浦和駅経由大宮行き

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 西浦和駅3番線に停車中の大宮行きです。西浦和駅は島式ホーム1面2線の駅ですが、2番線と3番線という割り振りになっています。その両側に貨物線があり、ホームはないのですが、それが1番線と4番線という役目になっているのでしょう。

 この電車は昭和58年の夏から期間限定運行された武蔵野線から大宮駅に直通する電車です。前年に東北・上越新幹線が大宮開業し、多摩地域から大宮駅へのアクセスを改善する列車として運行されました。

 現在武蔵野線の西国分寺方から大宮駅に直通する電車は西浦和駅の西側で貨物線に転線し、西浦和駅はホームのない線(4番線)を通過するのですが、当時は西浦和駅に停車してから貨物線に転線していました。これがその当時の写真です。

 西浦和駅停車のほうがより利便性が高いと思いますが、いつの頃からかそれが行われていません。以前の状態に戻してもらいたいものです。

2012年6月23日 (土)

東北新幹線開業30周年

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 東北新幹線は今日6月23日で開業30周年になります。昭和57年6月23日に開業したのです。当時は大宮-盛岡間のみの運行で、上野-大宮間は185系特急車両使用の「新幹線リレー号」が運行されました。

 私は翌昭和58年2月に北海道からの帰りに乗りました。200系という車両で、どっしりとした走りが印象的です。この写真は盛岡駅に入線するやまびこ14号です。朝の8時30分発で大宮着は11時47分ですから、今よりはやぶさより1時間以上余計にかかっていますが、在来線の特急なら6時間かかっていたので、大幅な短縮でした。

 その東北新幹線も開業30周年とは、時の速さに驚くばかりです。

2012年6月22日 (金)

盛線吉浜駅

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 国鉄盛線の終点吉浜駅です。昭和58年8月に訪れました。こざっぱりした駅舎がありますが無人駅でした。当時はこの駅が終点でした。

 その後、国鉄から三陸鉄道南リアス線に転換し、この盛駅から釜石駅まで延長され、駅舎も新しくなりました。

 東日本大震災では、海から離れていて、この地区の被害は少なかったようです。しかし、他の駅や路線の被害が大きく、現在も南リアス線は普通の状況です。

 

2012年6月21日 (木)

南部縦貫鉄道野辺地駅

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 昭和58年12月の南部縦貫鉄道野辺地駅です。東北本線の野辺地駅が起点で、七戸駅が終点でした。ご覧の車両はレールバスという車両で、普通の鉄道の半分くらいの大きさです。 普通の鉄道と違って、クラッチ操作で加速していきます。

 スピードが出ると、今まで乗ったどの鉄道車両より、震動と騒音が大きかったです。毎日利用している人は苦痛だったでしょう。

 この線は平成9年に廃止されましたが、毎年5月に旧七戸駅構内で復活運転されています。

2012年6月20日 (水)

新潟交通県庁前駅

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 昭和58年7月に乗車した新潟交通の県庁前駅です。この県庁前駅と燕駅間38.1kmを結んでいました。路面電車でもないのに最初の一駅間だけ、路上を走ります。バックに乗用車が見えるのはそのためです。

 私は16時09分発の電車に乗りました。夏の夕方で非常に暑く、駅構内に喫茶店があったので涼もうと思い、中に入ったら、冷房がほとんど効いておらず、がっかりした記憶があります。乗車した車両も非冷房でこたえました。

 この線は平成11年に廃止になりました。

2012年6月19日 (火)

蒲原鉄道村松駅

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 信越本線の加茂駅と磐越西線の五泉駅間21.9kmを結んでいた蒲原鉄道です。ご覧のような無骨な車両でした。

 路線は、加茂-五泉間となっていますが、実際の運行は中間駅の村松を境として、分かれていました。私の乗った列車も、村松でしばらく停車していました。その間に撮ったのが、この写真です。

 昭和60年にまず、加茂-村松間が廃止され、平成11年に村松-五泉間が廃止され、全線が廃止になりました。

 私が乗ったのは昭和58年7月でしたが、暑さだけが印象に残る線でした。

2012年6月18日 (月)

日中線熱塩駅

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 昭和59年に廃止された日中線です。喜多方と熱塩間11.6kmを結んでいました。私は昭和58年8月14日に乗車しました。ご覧のような旧型客車が1日3往復していました。相当に老朽化した車両です。既に廃止が取り沙汰されていた時期なので、記念乗車の客が多かったような記憶があります。西日が厳しい午後の列車でした。

 終点の熱塩駅はとんがり屋根が印象的でしたが、無人駅のため、駅が荒れ放題になっていて、駅名票には「熱砂糖」と誰かがいたずら書きをしていました。寂しい末路を迎えた鉄道でした。

 

 

2012年6月17日 (日)

有田鉄道金屋口駅

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 平成15年に廃止された有田鉄道の終点金屋口駅です。私は昭和60年12月13日に乗りました。

 紀勢本線の藤並駅から金屋口まで5.6kmの短い線でした。列車の一部は、藤並から紀勢本線に乗り入れて、湯浅駅まで行っていました。

 車両も国鉄のディーゼルカーと同じでした。

2012年6月16日 (土)

紀州鉄道御坊駅

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 御坊駅の0番線に停車中の紀州鉄道の車両です。昭和60年12月12日に乗りに来ました。

 当時は、御坊から日高川まで3.4kmでしたが、平成元年に西御坊-日高川間が廃止になりました。

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 ほとんど手書きという感じの駅名票がありました。民家の裏側のようなところにある終着駅でした。

 当時から相当にオンボロなローカル私鉄でしたが、今も存続しているのが不思議なくらいです。

2012年6月15日 (金)

野上電鉄連絡口駅+登山口駅

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 平成6年に廃止された和歌山県の野上電鉄の「連絡口」駅です。昭和60年12月12日に訪れました。この線は国鉄の海南駅に接していて、乗換可能な駅です。

「連絡口」という看板が掲げられていますが、野上電鉄への「連絡口」という意味ではなくて、「連絡口」という名の駅なのです。とても紛らわしい駅名です。

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 こちらは、この線の終点「登山口」駅です。木造の古めかしい駅舎と、どっしりとした旧型車両がいい味を出しています。

2012年6月14日 (木)

南海和歌山港線水軒駅

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 南海電鉄の和歌山港線水軒駅です。昭和60年12月12日に乗車しました。

 和歌山港線は、今は和歌山港が終点ですが、平成14年までは、この駅が終点でした。和歌山港までは頻繁に運行されていますが、その先和歌山港〜水軒間2.6kmは1日2往復しか運転されていませんでした。そんな線なので、本来はもっと早く廃線になってしかるべきだと思いますが、なぜか平成14年まで存続していました。

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 1面のホームだけの無人駅でした。私は9時27分に着いて、5分の折り返しで9時32分の電車で折り返しました。どのくらいの乗客数だったか記憶はありません。

2012年6月13日 (水)

美祢線大嶺駅

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 美祢線の南大嶺駅から分岐し、一駅だけ進むと、この大嶺駅に着きます。距離は2.8km。私は昭和60年9月14日に乗りました。この線は平成9年に廃止になりました。

 沿線の様子は記憶に残っていませんが、石灰石の産地らしく、全体的に景色が白っぽいです。

 それとガードレールが黄色いのが山口県らしいです。

2012年6月12日 (火)

熊本電鉄菊池駅

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 熊本電鉄のかつての終点「菊池駅」です。昭和59年10月11日に来ました。現在は御代志が終点ですが、昭和61年2月まではここまで線がありました。バスターミナルに鉄道の駅が同居している感じでした。

 この駅での折り返し時間が18分しかなかったのに、私は何を血迷ったか、駅構内にあったハンバーガーショップに入り、コーヒーとハンバーガーを注文し、電車に乗り遅れそうになりました。あわてて調理させて、店員のオバサンには迷惑をかけました。

 

2012年6月11日 (月)

宮原線肥後小国駅

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 大分県、熊本県境を走る国鉄宮原(みやのはる)線の終点、肥後小国駅です。久大本線の恵良からここまで26.6kmを結んでいました。県境の勾配をゆっくりと進んでいく姿が印象的でした。

 私が乗車したのは昭和59年10月12日ですが、その乗車した列車の車掌のアナウンスで、その年に11月30日で廃止になることを知りました。廃止が近いことは知っていましたが、まだ期日は決まっていなかったのです。

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 廃止を知った寂しさと、廃線前に乗れた安堵感とが入り混じった複雑な秋の夕暮れでした。国鉄色ディーゼルカーの朱色が寂しさをいっそう強調しています。

 

2012年6月10日 (日)

下津井電鉄下津井駅

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 岡山県にあった下津井電鉄下津井駅です。児島と下津井間6.5kmを結んでいました。一般にどの鉄道もどこかの駅で他の鉄道に接しているものですが、この下津井電鉄は、どこの線とも接続しておらず、ポツンと存在する珍しい鉄道でした。そのため私は宇野線の茶屋町駅からバスで児島に向かいました。

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 沿線の景色の記憶は残っていませんが、レールの幅が762mmというナローゲージなので細い車体が特長でした。

 下津井まで往復して、帰りは児島から倉敷までバスで向かいました。その後、平成2年に廃止されました。

2012年6月 9日 (土)

魚沼線西小千谷駅

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 昭和59年3月31日に廃止された魚沼線です。信越本線の来迎寺駅と西小千谷駅間12.6kmを結んでいました。この魚沼線は戦時中の不急不要路線として、昭和19年にいったん休止されたのですが、昭和29年に復活しました。そして、この昭和59年に廃止となりました。2度も廃止になった珍しい線です。こちらは来迎寺駅での写真です。ヘッドマークをバックに、交代で写真を撮りあっています。多くの鉄道ファン、地元の人々に見送られています。

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 こちらは廃止当日の西小千谷駅です。3月末とはいえ、結構雪深いです。

 私は西小千谷駅から折り返しの列車に乗らず、宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」のコースと同じく、魚沼線の西小千谷駅から上越線の小千谷駅まで約2kmを歩いて移動しました。

 鉄道の終端駅から別の駅まで歩くのは、意外と趣き深いものがあり、私は好きです。このときも小千谷駅に向かう途中にある旭橋から眺める信濃川が印象的でした。

2012年6月 7日 (木)

別府鉄道野口駅

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 清水港線を乗り終えた後、兵庫県の別府鉄道の野口駅に来ました。国鉄の高砂線の野口駅と山陽本線の土山駅を結ぶ私鉄です。昭和59年1月31日に廃止になりました。

 「だいたい野口だ、土山だと言われて、どこにあるか見当の付く人は少ないだろう」と宮脇俊三さんも「時刻表おくのほそ道」のなかで言っているとおり、一般の人にはわかりにくいところにあります。

 しかも会社名の読み方も「べっぷ」ではなく「べふ」と読みます。宮脇俊三さんも長いこと「べっぷ鉄道」と発音してきたと述懐しています。

 そんな影の薄い線ではありますが、廃止となれば乗っておかねばなりません。そいうわけで元日早々清水港線と合わせて、乗りにやってきたのです。

 車両はご覧のとおり、ペンキもはげていて、まさにローカル私鉄です。1ヵ月後には廃止になる線ですが、さすがに元日では客は少なかったです。

 (写真の左側の線路は国鉄の高砂線で、この線も廃止されました)

 

2012年6月 5日 (火)

清水港線三保駅

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 国鉄清水港線三保駅の昭和59年1月1日の写真です。乗りテツは元日そうそうこういった駅を訪問するのです。

 清水港線は東海道線の清水駅から、この三保駅まで8.3kmを運行していましたが、この年の3月末で廃止されました。その前に乗りに来たわけです。

 1日1往復しか運行されず、朝8時過ぎの清水駅発の列車に乗って、三保駅に着くと折り返しは、夕方4時の列車になります。始発列車が終列車という「国宝級」に珍しいダイヤでした。

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 私が乗ったときは旅客専用でしたが、以前は混合列車といって、旅客車両と貨物車両が1本の列車で運行されていたようです。宮脇俊三さんが「時刻表2万キロ」の中で乗車したときも混合列車で、「貨物列車かと思ってうろうろした」と言っていました。駅名票も手書き風ですが、行き先票も手書き風です。

 私は、夕方の上り列車に乗るほどの余裕はなく、バスで清水駅まで戻りました。

2012年6月 3日 (日)

美幸線仁宇布駅

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 しばらくぶりの更新です。これからしばらく、廃止になった線の話題をお送りまします。

 第1回目は、かつて日本一の赤字線として知られていた美幸線の仁宇布駅です。名寄本線の美深と仁宇布を結んでいました。私は昭和58年2月24日に訪問しました。今から29年も前のことです。既に廃止対象になっていたので、鉄道マニアが結構乗っていましたが、一般の客はほとんどいませんでした。

 美幸線の列車はたった1両で、宮脇俊三さんは「時刻表2万キロ」の中で、「たった1両で列車は変だが」と言っていたことを思い出しながら、純白の雪の中の行く列車に乗りました。

 駅舎はブロック造りのこざっぱりしたもので、暖房用の灯油タンクが外にあるのが、北海道らしいです。

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 この線は、その2年後に廃止になりましたが、その廃線を利用し、トロッコで線路をたどれる「トロッコ王国」というのができて、乗りに行きました。

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