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今回のコースはまず羅漢山まで進む。そこまでの区間は、いくつかの寺を回りながら進んでいくことになる。天正寺、正龍時、善導寺、少林寺というお寺を経由する。お寺の入り口には、それぞれのお寺のいわれが書かれた看板が立っているが、書かれた内容の違いがよく分からない。どの寺も非常に由緒あるお寺であることは間違いない。
少林寺の手前からは急坂になったが、伊豆急全線ウオークで鍛えた足なので、苦もなく登れる。
少林寺という拳法のようなの名前の寺を過ぎると舗装がなくなり、山道を登っていくようになる。道の脇には五百羅漢が並んでいる。これが羅漢山たる由来だろう。
五百羅漢がなくなると羅漢山の頂上になるが、山頂というのに木々が生い茂っていて眺望が利かない。山頂を極めたという達成感に乏しい。
そういうわけで、4月8日第1回目の秩父鉄道フリーハイキングにやってきた。私が今回選んだのは「ちちぶプチ名山」の3番目のコース「寄居駅から羅漢山・金尾山」にした。
稲毛駅を6時前に乗り、東京、国分寺、拝島、高麗川と乗り換え、9時11分寄居駅についた。高麗川から寄居間ではディーゼルカーになるので、旅に出た感じがしてくる。
伊豆急の場合は駅にポスターが貼られ、パンフレットもたくさん設置されているので、ウオーキングに力を入れているのがよくわかるが、この寄居駅にはポスターが1枚あるだけだ。
窓口でまずこの駅に入場券を買う。フリーハイキング用の専用硬券入場券で電気機関車の図柄だ。きっぷの裏を見ると、30のナンバリングが振られている。この駅からスタートした30人目であることを示している。フリーハイキング開始から1ヶ月ほど経つので、1日あたり1人しか参加していない計算だ。
入場券とともに、パンフレットと地図をもらおうとしたが、駅員はパンフレットしかくれない。「このほかにマップがあるのだ」と説明すると、しばらく駅の中を探したり、仲間に聞いてようやく地図が出てきた。
この駅は、JRと東武鉄道と秩父鉄道の共同使用駅で、駅業務は秩父鉄道が行っているのだが、自社のイベントに対してこの対応では情けない。
出だしからいろいろあったが、ようやく段取りが整い、寄居町役場のある駅北口からスタート。駅前には昔ながらの赤くて丸い郵便ポストがあった。
私が毎年伊豆急全線ウオーキングに参加しているのは皆様ご存知の通りだが、たまたま秩父鉄道のホームページを見ていたら、同じようなウオーキングイベントが開催されているのに気付いた。「フリーハイキング」となっている。数年前から開催されているようだ。
伊豆急のように一駅ごとに歩いて全線を踏破するのではなく、秩父鉄道のある駅を起点に、札所めぐりをしたり、近隣の名山に登山するようになっている。全部で16コースある。1日に参加できるのは1コースだけなので、全部踏破するのには16回も行かなければならないのが難点だが運動不足の解消には最適だろう。
1コース歩くと缶バッジがもらえるようになっている。札所めぐりのコースはアニメのキャラクターの図柄なので興味はないが、名山コースは鉄道車両のバッジなので、とりあえずこちらの7コースを巡ろうかと思った。
そういうわけで、これからしばらくは秩父鉄道をめぐることになるかもしれない。
富士で4分の待ち時間で東海道線熱海行きに乗り換え、熱海着19時52分。
30年前は熱海駅で駅弁を購入し、ホームのベンチでそれを食べたのだが、この時間の熱海駅の売店は、既に売り切れのようだ。私はやむなくホームのニューデイズでビールとカレーパンとチーズ竹輪を購入し、それを夕食とすることにした。
20時18分発の熱海始発で、今回はグリーン車ではなく、ノーマルのボックス席だ。窓外を流れ去る街の灯りを肴に飲むビールは最高だ。30年前は未成年だったので、車内でビールを飲むこともなかった。
平塚駅の手前でブレーキがかかり、緊急停車する。車内アナウンスでは戸塚の貨物線で人身事故が発生したとのこと。最近は人身事故でダイヤが乱れることが多い。
平塚駅の手前でいったん停止したものの、ほどなく動き出し、平塚駅に入線。隣には先行の湘南新宿ラインも抑止されている。運転再開される場合、先行列車から運行されるはずなので、私は湘南新宿ラインの車両に乗り換えておく。
平塚に着いたのが21時10分頃で、運転再開は21時40分頃と言っている。車内保温のため4ドアのうち1つを残してドアが閉められる。3月下旬で夜はまだ冷え込む。残念ながら私の最寄ドアは開いたままだ。
運転再開時刻になっても、その気配も感じられない。携帯電話で運行情報を確認しても、再開見込み時刻を過ぎている。車内放送では「お客様の救護を行っている」とのことだが、貨物線のお客様とはいったい何なのだろう。
ようやく22時過ぎ運行を再開した。このペースだと稲毛に着くのは0時を回ってしまうだろう。明日は仕事だというのに・・・
大船で先行の東海道線に追いつき、それに乗り換え、横浜で横須賀線に乗り換える。
東京駅では、先行の総武線がダイヤ乱れの影響で運転士の手配が付かず、その到着待ちで遅れていた。結局家に着いたのは12時半くらいだった。最後の後味が悪い「青春18のびのびきっぷ30周年記念の旅」だった。
この30年間、鉄道も世の中もいろいろ変化があったが、それに引き換え人間としての成長が私にあったのか、気になる旅でもあった。
身延線の車両は2両編成のセミクロスシート車だ。ワンマン運転で無人駅での乗降は先頭車両で行うようになっている。通路を隔てたボックス席では女子高校生が携帯電話でおしゃべり中でうるさい。こういう光景も、当然30年前はなかった。当時は、車内でタバコを吸う高校生が問題になったが、今は基本的にすべての車両が禁煙車になっているので、こういうことも問題になりようがない。
この線は集中豪雨で路盤が崩れ、一部区間で半年以上バス代行が行われていたのだが、10日ほど前にようやく復旧したのだ。近年は異常気象の影響か、豪雨で鉄橋ごと流されるケースが頻発している。こういうことも以前はなかったことだ。
身延で日が暮れ、19時06分富士駅着。
甲府駅では乗り換え時間が20分ほどあったので、駅前を少し散策する。30年前に来たときは、駅近くの本屋で立ち読みをした記憶があったが、その本屋は既になかった。
駅に戻り、ニューデイズでドリンクとサンドイッチを購入。30年前は駅にあるのはキオスクだけで、コンビニなどの設備もなかった。そもそも街中でも、ようやくコンビニができはじめたばかりのころで、スーパーなどと比べて価格も高く、まだそれほど浸透していなかった。
また30年前はペットボトルのドリンクもないころで、ドリンクといえば缶入りだけで、ふたを開けると飲み残すこともできず、全部飲むしかなかった。また、のどが渇けば、駅の水呑場で生の水を飲んだものだ。
そんな感慨にふけりながら、身延線のホームへと向かう。甲府駅はJR東日本の駅だが、身延線はJR東海の線で、身延線だけ遠く離れたところに所在している。しかし、その途中にかつて甲府駅で使われていた釣鐘が復元されて展示されていた。「かふふ来(幸福)の鐘」と名付けられている。少しこじつけの感がある。
駅そばを食べ終えて、小海線に乗り換える。当時は小諸から小淵沢まで直通だったが、今回は中込で乗換えとなっている。車両も当時とは異なり、キハ110系で明るく、快適な車両だ。
12時06分に小諸発。2両編成で50%くらいの乗車率だ。12時22分に佐久平駅着。この駅は新幹線開業と同時にできたので、当時はなかった。乗降客が多い。
中込で乗り換えた車両は、キハ111-111ですべて1並びになっている珍しい車両だ。
小海線の各駅は、駅舎がリニューアルされている駅が多く、ペンション風のものが多い。
野辺山の手前では、線路内にビニールシートが入って、その除去のためしばらく停車する。結構風が強くなってきた。
清里では大学生の男の集団が乗り込んできて、騒がしくなってきた。パソコンを開いて、なにやら操作している人もいる。30年前はノート型パソコンなんて存在しなかった。
清里を出るとますます風が強くなり、樹林の中でいったん停止する。線路上に倒木があるとのことで、これも運転士が撤去する。ワンマン運転なので大変だ。当時は国鉄ではまだワンマン運転を実施していなかったが、今ではローカル線では当たり前の光景だ。
小諸駅に着いたのが11時31分で、ちょうどお昼時だ。30年前にここに来たときも、駅のホームで立ち食いそばを食べたので、もしあれば食べて見たいと思っていた。
するとホームの中央部に昔ながらスタンドがあるではないか。古めかしい建物で、私が30年前に食べた店と同じに違いない。年配の女性が一人で切り盛りしている。
食べたのは天ぷらそば450円だ。メニューでは、この天ぷらそばと肉そばだけが赤字で表示されていて、おすすめなのかもしれない。30年ぶりの再会ではあるが、味までは覚えていなかった。その当時はうまい、まずいの感想もなかったが、30年を経て食べてみると、その間に舌が肥えたのか、どちらというとあまりおいしくないそばだった。しかし、これも30年間の私の食生活の変化を表しているのかもしれない。何しろ、その当時は外食といえば、予備校の食堂かマクドナルドくらいしか行ったことがなかったから、味覚も発達していなかったのだろう。
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