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2011年3月12日 (土)

帰宅困難者

 今回の大地震で被災された方にはこころからお見舞い申し上げます。

 ところで、私はその3月11日、たまたま会社の休みを取っていて、その時間帯に羽田空港にいました。2月に新しくできた国際線ターミナル駅の様子をよく観察したかったからです。

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 東京モノレールの国際線ターミナル駅は段差のないフロアーで国際線カウンターに移動できる利用しやすい駅、空港でした。

 ところがこの写真を撮った直後に、ものすごい震動に襲われました。最初は上下にふわふわゆれて、その後長時間の横揺れが続きました。最初はなぜ揺れているのかよく理解できないほどでした。私が今までに経験したことのない規模の揺れです。

 この駅はターミナルビルと一体の構造物で、最近できたばかりなので倒壊することはないだろうと安心はしていましたが、しゃがみこんで頭をしっかり抑えて、揺れの収まるのを待ちました。体感的に震度5〜6はあるなとその場で感じました。ゆれの周期と時間の長さから、かなり遠いところで発生した地震だと自分なりに判断しました。

 この駅に進入しようとしていたモノレールは駅の手前で急停止し、その後最徐行で駅に入ってきます。しかしターミナルビルは停電もせず、機能は維持しているようです。警察官と警備員がすぐに警戒に当たっています。

 この揺れでは、交通機関の復旧は相当に時間がかかるなと直感しました。ちょうどモノレール乗り場のすぐ近くにセブンイレブンがあったので、私は水、お菓子、携帯の充電器を購入し、長期戦に備えます。

 モノレールの乗り場は3階ですが、1階ロビーのソファーで待機することにしました。余震の規模も大きく、なるべく下のほうが安心だと思ったからです。

 携帯電話で家族や会社に連絡を取りますが通じないので、携帯のメールで連絡を入れます。幸い、家族、会社とも問題ないようです。

 携帯のワンセグで情報を仕入れると、その被害の大きさに驚かされます。充電器を買ったのが役に立ちます。2階フロアーに大型テレビがあるのもわかり、より詳しい情報が入ります。それによると首都圏のJRは今日の復旧はないことがわかりました。とすると私もここで一晩を明かさざるをえません。帰宅困難者の一人となりました。

 1階フロアーにはローソンがあり、客が行列しています。私もそこに加わり、食料をプラスアルファで調達します。無秩序に店に入れると収拾がつかなくなるので、一定人数ごとに店内に入れています。特にパニックになることもなく、皆店員の指示に従っています。お弁当やおにぎりは早い時間になくなりましたが、ドリンクやカップ麺はなくなる気配がありません。常時4〜50人の客が深夜まで行列してもなくならないので、すごいストックの量です。

 また成田空港が閉鎖されて羽田に着陸している飛行機が多く、深夜になっても到着客が次々やってきます。横になることもできず、つらい体制で夜を過ごします。しかし、テレビ報道では津波や停電で避難者が大変な思いをしているのを知り、こんな苦労は何でもない気がしてきました。ここは暖房も効いていて、毛布もあり、しっかりしたソファで、コンビにも営業していて、トイレも温水便座式で、いたれりつくせりです。翌朝にはJALの社員が無料でおにぎりを配ってくれました。

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 東京モノレール、京急は始発から運行を開始しました。しかし、この国際線ターミナルだけでも1000人以上待機していて、国内線ターミナルではそれ以上の客がいるはずで、運行開始直後の列車は混雑が予想されたので、8時過ぎにスタートしました。京急、都営三田線、都営新宿線、JRと乗り継ぎ、12時前に稲毛に帰り着きました。どの電車も「帰宅困難者」と思われる人がたくさん乗車しています。会社に泊まった人も多かったのでしょう。

 私は、今回の被害が大きかった東北の三陸沿岸は、今年の2月や3年ほど前に訪れたところで、とても他人事とは思えません。不明者の生存を祈るばかりです。

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コメント

お疲れ様でした。自分も東京の会社で雑魚寝で過ごしました。ミスターKの言うとおりコンビニや店は営業してるし、トイレも暖房もあったし、被災地の方々の苦労が忍ばれます。
東京の中心が震源地だったら、と思うとゾッとします。しかし絵空事ではありませんものね。怖い話です。

ミスターOHさん、こんばんは。
羽田空港では皆、被災地の人の苦労を理解したのか、文句や不平を言っている人はいませんでした。
今回は単に交通機関のストップだけでしたが、ライフラインや食料調達に影響が発生したら、こんなにスムーズにはいかなったでしょう。「天災は忘れたころにやってくる」肝に銘じたいです。

アノ瞬間、本当にすぐ近くにいたのですね(驚)。
私は京急の地下駅ホームに降りた瞬間で、地上への脱出であせりました。
空港も安全そうでしたが、取り残される危険性があるので早々に路線バスで避難しました。
あの時は。こんなに被害が広がっているとは想像できず・・・

お休みだったのに、帰宅難民になってしまって大変でしたね。

私も会社に泊まって翌日お昼頃家に戻りました。

友人が岩手の宮古に住んでいて連絡が取れずとても心配しています。


私もいつ災害にあってもおかしくないと本当に思いました。
怖いですね。

LUNさん、こんにちは。
地下での被災では相当不安だったでしょうね。
でも路線バスは動いていたのですね。無事帰宅されて何よりです。

AKB61さん、こんにちは。
私の苦労は、現地の人に比べると、苦労でも何でもありません。本当に信じられない災害です。
宮古の友人はとても気になりますね。無事を祈るばかりです。

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