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2010年9月

2010年9月30日 (木)

千円高速の旅8(富山市電環状線1)

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 富山には午後6時頃、到着。ホテルにチェックインすると、すぐ市電に乗りに行く。ホテルから1分ほどのところに停留所がある。

 富山の市電は昨年12月、丸の内・西町間0.9kmの区間を開業し、環状運転を始めたのだ。かつての市電は各地で環状運転を行っていたが、今ではここを除くと松山の市電しかない。

 車両は2両連結の低床タイプで、いわゆるLRT(ライト・レール・トランジット)と呼ばれるものだ。車内は近郊型電車のように向い合わせの4人ボックスが中心だ。車両は発進もスムーズで加速もよく、乗り心地満点だ。

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 日暮れも近い時間だが、観光客や鉄道マニア風の人がたくさん乗っていて、皆写真を撮りまくっている。環状線を1周り半乗車し、グランドプラザ前で下車。夜7時くらいになり、街灯がともり始めた街を市電がゆっくり進んでいく。絵になる光景だ。

 これで私は鉄道全線完乗者のタイトルを奪還した。開業から9ヶ月も経つので、私としては致命的なのだが、昨年から今年にかけて、いろいろな資格試験を受けたりしていたので、旅に出る時間があまりなかったのだ。

 

2010年9月29日 (水)

千円高速の旅7(北陸本線廃線跡)

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 筒石駅の見学を終え、今夜の宿泊地富山に向う。駅を出て、筒石の集落を進むと左手にレンガ造りの橋が見える。事前の予備知識はなかったが、北陸本線の旧線だと直感した。頸城トンネルができるまでは、きっとここを列車が走っていたのだろう。

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 車を停めて、築堤を駆け上がる。ちょうど線路の幅くらいの遊歩道が続いている。あいにくの猛暑であまり歩き回ることができなくて残念だが、丹念に巡れば、かつての鉄道の痕跡が見つかったかもしれない。

 家に帰って調べてみると、やはり廃線跡だった。

2010年9月28日 (火)

千円高速の旅6(筒石駅2)

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 これも筒石駅ホームで、列車が通過するときは、このような状況になる。特急列車はほとんどスピードを落とさず通過するので、時速120kmは出ているだろう。私も体をしっかり壁に押し付け、風圧で飛ばされないように注意しながら撮影する。こんなところで吹き飛ばされて死亡したら会社の連中の笑い者になるだろう。こんなスリル満点な駅はかつての春日野道駅(島式ホームで、ホームの幅が2mくらいしかなかった駅)くらいしか思いつかない。

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 ホームの撮影を終えて、階段を上る。土合駅と違い、最初から地上の明るさが見えるので、上るのにもがんばれる。

 階段の隣にはスロープがあり、エスカレーター設置用のスペースにも見える。かつてはそんな計画もあったのだろうか。

2010年9月27日 (月)

千円高速の旅5(筒石駅1)

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 道の駅を後に、北陸本線筒石駅に向う。カーナビの指示に従い、国道からわき道に入り、集落を抜け、急坂を進むと駅入り口を示す標識があった。車1台がやっと通れる幅の道を抜けると、駅前に到着した。

 なぜ、この駅に来たかというと、この駅が頸城トンネル内にあるトンネル駅として知られている有名な駅だからだ。駅舎はご覧のとおり地上にあるが、ここから290段の階段を下りて、ホームに向うのだ。かつてはホームは地上にあったのだが、北陸本線高速化のため、トンネルが掘られ、その結果地上駅が廃止され、トンネル内に駅が設けられたのだ。

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 階段を下りてホームに出るには、ご覧のような引き戸があり、それを開ける仕組みになっている。トンエンル内を列車が通過する時、強風が吹き荒れるので、その防御用だ。

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 ホームはこのような狭さで、トンネルの壁にへばりつくように設置されている。ところどころに安全用の鉄柵が設けられている。地下水の関係で濡れて滑りやすくなっているので要注意だ。

2010年9月26日 (日)

千円高速の旅4(北陸新幹線)

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 野尻湖を後に、国道18号線を北上する。新潟県に入ると北陸新幹線の工事現場を頻繁に見かけるようになる。工事はかなりの進捗状況で、高架橋が完成している区間も多い。

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 直江津からは海沿いを行くようになる。「うみてらす名立」という道の駅では海を間近に眺められる。風力発電装置もあるが、風はそれほど強くない。海がきらきら光ってとてもきれいだ。

2010年9月25日 (土)

千円高速の旅3(野尻湖)

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 戸隠神社をあとに山を下り、 道の駅「しなの」に立ち寄る。ゆでたとうもろこしが150円で販売されていたので、それを昼食とする。

 道の駅を出て、しばらく進むと、野尻湖の近くを通る。土曜日のお昼というのに人がほとんどいない寂しい湖畔だ。

 観光遊覧船が空しく客待ちをしている。こういう観光船は各地で見かけるが、現地で組み立てるのだろうか。「地下鉄をどこから入れるのか考えると夜も眠れない」という地下鉄漫才があったが、湖の遊覧船も同じようなものだ。

 野尻湖はナウマン像の化石でも知られるところで、そんなオブジェもロードサイドにあった。

 

2010年9月24日 (金)

千円高速の旅2(戸隠神社)

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 佐久平Pを出ると左手に佐久平が広がる。よく晴れているが、高原のため気温は26度となっている。猛暑も信州の高原には及んでいないようだ。東松山インターを乗ったときは33度だったのだ。

 約30分ほどで長野インター到着。ここで高速を降りる。ETCの料金表示は「割引1000円」となっている。通常料金が4000円だから相当におトクだ。

 長野市内を通過しながら、戸隠バードライン経由で戸隠に向う。戸隠バードラインはかつては有料道路だったが現在は無料だ。途中料金所の遺跡を通過する。七曲という区間があり、急カーブが連続する。落石防止ネットの中を進むので、鳥かごの中を行くようだ。バードラインの名前の由来は、そんなところから来ているのかもしれない。

 七曲を過ぎると、道幅の広い区間に移る。気温も低くなってきて、窓を開けて高原の風を感じながら走り、11時30分、戸隠神社到着。ここで「ケータイ国盗り合戦」の領地獲得のため、携帯電話を操作する。これで今回の旅の目的の一つはクリアした。

 戸隠神社は2千年以上の歴史があると言われる由緒正しい神社のようだ。樹齢700年以上の杉の木も有名だ。

 一方、そばも有名なところで神社の入り口にある店は有名店らしく行列していた。


2010年9月23日 (木)

千円高速の旅1(佐久平PA)

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 高速道路がどこまで乗っても千円になって1年以上になるが、今までそれを利用したことがなかった。この政策に疑問を持っているということもあるのだが、昨年稲毛に引っ越してから、車を実家に置きっ放しにしてあることもある。しかし、政策に疑問があるとしても、これを利用しない手もないので今回遠出をしてきた。

 今回の旅の目的は大きく分けて2つある。一つは2年前から楽しんでいる「ケータイ国盗り合戦」で、長野県の戸隠が鉄道だけではゲットできない地域でそこに行く必要があること、もう一つは昨年12月に開業した富山市電の環状線にまだ乗っていないのでそれに乗ることだ。戸隠の件はともかく、富山の市電が未乗だったのは鉄道全線完乗者たる私としては痛恨の極みだ。そういうわけで、9月4日、5日の土日を利用して旅に出ることにした。

 9月4日朝7時、大宮の実家を出発。まず関越自動車道の東松山インターを目指す。実家からちょうど1時間で東松山インター到着。ETCゲートをゆっくり通過する。

 関越自動車道は意外と空いていた。夏休みが終わった直後ということもあるだろうが、高坂SA近くで事故渋滞があったようで、そこに渋滞が集中していたのかもしれない。

 順調に走り、藤岡JCTから上信越自動車道に移る。上越新幹線を下をくぐるとき、12両編成のE1Maxが通過していった。

 この付近からはカーブと上り坂になるので慎重な運転が必要だ。ちょうどバイクのツーリンググループがいて、総勢100台くらいの隊列を組んでいる。走行車線を時速80kmlくらいで走っているから、暴走族ではないようだ。その脇を私は時速100kmくらいで追い越していく。

 9時30分、佐久平PA到着。まだ疲れはないのだが、実家を出てから休憩なしで走ってきたのでここで一休みする。

 

 

 

2010年9月22日 (水)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅24

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 岡山駅には21時16分に着いた。これで寝台特急瀬戸に間に合うことになった。この列車が今回の最後の列車だ。昨日、新見駅で変更したものだ。

 この寝台は2段式のため、天井に頭をぶつけずに済む。寝台料金は高いが、それ以上の快適さがある。

 今日で4日目の夜行列車だが、寝台車はやはり快適だ。疲れがたまっていたので、ほとんど熟睡してしまい、寝台列車の乗り心地を楽しむ余裕はなかった。

 翌日は7時25分、東京駅着。5日間に渡った私の旅行も終了した。九州まで行って帰ってくる大旅行だった。途中、体調を崩しかけたこともあったが、無事帰ってきた。旅行前の準備時間が短く、行き当たりばったりの部分もあったが、それはそれで楽しいものだった。

 合格発表までの不安な時期ではあったが、思い出深い旅となった。そして、この旅行から帰った3日後に大学の合格発表があり、希望大学に合格できたのだった。

 

2010年9月21日 (火)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅23(山陽新幹線)

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 広島駅からは新幹線に乗り換える。20時19分発のひかり60号新大阪行きだ。短区間だが指定席を取った。車内はガラガラで、わざわざ指定席を取るまでもなかった。

 途中福山駅停車し、57分で岡山駅着。さすがに新幹線でスピードが全然違う。

 しかし現在は同区間を42分で走破する。当時は0系しかなく、最高速度が100km/hも違い、今思えば随分ゆっくりした走りだ。しかし、普通列車ばかり乗ってきた身には、所要時間の短さは、信じられないほどだ。

 

2010年9月20日 (月)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅22(山陽本線)

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 博多で大場久美子の思い出にふけり、福岡市民会館に行ったりしたので、このまま普通列車だけ乗り継ぐと、今夜乗る予定の岡山駅発の寝台特急瀬戸には間に合わなくなってしまった。

 そのため広島駅から岡山駅までは新幹線を利用することになった。小倉駅では乗車券と新幹線特急券を購入した。

 小倉駅で、広島駅発の乗車券を購入しようとしたから、窓口氏が『広島まではどう行くの』と聞く。青春18のびのびきっぷを見せると、『のびのびきっぷ? 大変だね』と呆れられた。

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 15時17分発の列車で関門トンネルをくぐり、下関着15時40分。下関では9分で広島行き普通列車に乗り換える。4時間以上かけて、広島駅に到着。20時ちょうどだった。

2010年9月19日 (日)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅21(鹿児島本線)

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 鳥栖で鹿児島本線の普通列車に乗り換え、博多には11時32分に到着した。

 3年前に大場久美子のコンサートを見たのを思いだす。それが急に懐かしくなって、福岡市民会館まで往復してみた。大場久美子はその後歌手活動を止め、女優業に専念していて、私の関心も薄れていった。

 その当時女性歌手で人気のあったのは福岡出身の松田聖子で、ちょうどこの時期は『赤いスイートピー』が流行っていた。春色の汽車とはどんな汽車なのだろうかと思いをはせたものだ。

 感傷に耽った後、博多駅に戻り、構内のレストランで昼食を取る。ハンバーグステーキを食べた記憶がある。ステーキ用の鉄板ではなく、白いプレートに乗って出てきた。

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 博多駅13時40分の列車で、小倉駅に向う。14時44分着。

2010年9月18日 (土)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅20(長崎本線)

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 長崎には6時40分に着いた。青春18のびのびきっぷの第4日目が始まった。今日は最終的に岡山駅から寝台特急瀬戸に乗り、家に帰ることになっている。

 青春18のびのびきっぷは5日間有効なのだが、きっぷは4枚構成で、最後の1枚は2日間有効となっている。

 せっかく長崎に着いたのに、わずか20分の滞在で、7時02分発の普通列車で鳥栖に向う。長崎本線は電化されているのだが、私が乗った列車はディーゼルカーだった。当時は各地で電化が進んでいたが、まずは特急列車から電車化されていたので、普通列車は電化区間でもディーゼルが多かった。

 有明海を右手に見ながら進む。天気は晴れだ。

 

2010年9月17日 (金)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅19(ながさき)

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 門司駅では5分の乗換えで、長崎行き夜行列車『ながさき』に乗る。この列車は隣の門司港駅始発で、またも旧型客車だ。昨日の『はやたま』同様、寝台車を連結している。寝台券販売の関係で普通列車にもかかわらず、列車名が付いている。

 思いのほか混んでいて、私は4人掛けのボックス席の通路側に座る。このボックスには私も含めて、一人旅の男性が3人いた。みな同じくらいの年齢だ。そのうち一人は慶応大学の学生で、問われもしないのに自分の大学名を口に出している。慶応の学生は自己主張が強いようだ。この人は何度も長崎を訪れていて、もう一人の男性に長崎の魅力について熱心に語っている。

  実は私は今回慶応大学に不合格になったばかりだったのだ。その慶大生から話を振られると嫌なので、私は寝たふりをしていた。国立大学の受験結果が急に気になり、落ち着かない夜を過ごす。

 この列車は長崎本線経由でまっすぐ進むと早く着きすぎるので、大村線周りで長崎まで進む。今思うと随分回りくどいルートを進んでいる。

 

2010年9月16日 (木)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅18(山陽本線)

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 広島駅ではわずか5分の乗換えで、山陽本線の下り列車に乗り換える。ちょうど通勤帰りの客で混んでいる。外は暗く景色は楽しめない。この電車は下関まで行くのだが、各駅停車なので4時間以上もかかる。退屈な状態で真っ暗闇の中を進む。

 下関では12分の乗換えで門司まで進む。この列車は山陰本線の豊岡駅を朝の5時04分に発車して、延々と山陰本線を進み、ようやく下関までたどり着いた列車なのだ。そういう長丁場の列車の最後の一駅だけ乗車することになった。しかも山陰本線は非電化なのに、最後の一駅だけは関門トンネルを進むので当然電化区間で最後の一駅だけのために、機関車がディーゼルから電気に付け替えられる。今思えば非効率なのだが、当時はそういうことも厭わず行われていたようだ。

 普通列車の乗り継ぎだけで3日間で九州にやってきた。青春18のびのびきっぷの威力はすごい。22時55分門司駅着。

2010年9月15日 (水)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅17(芸備線)

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 新見駅で寝台券の乗車日を変更してもらったのち、12時56分発の芸備線普通列車に乗り込む。ちょうどこの時間に、伯備線では上り特急やくも6号岡山行きが到着した。ディーゼル特急の181系という大馬力の車両だ。芸備線のホームにいる私にも、耳をつんざくようなエンジンのアイドリング音が伝わってくる。この181系車両も今年の11月には運行を終了する。

 芸備線は新見駅から広島駅まで中国山地の山中をのんびり走るローカル線だ。雨は止んだが、沿線の木々はまだ濡れたままで趣がある。

 二晩連続の夜行列車で睡眠不足の私は居眠りをし、気がつくと備後落合駅に停車していた。この駅で17分ほど停車する。ちょうど目の前に駅そばのスタンドがある。こんな山中のローカル駅にも立ち食いそばのスタンドがあるのだ。私はさっそく、ここでそばを食べた。

 ここからは三段式スイッチバックで知られる木次線が分岐する芸備線の主要駅で、当時の時刻表で調べると、この駅を発車する列車は28本もあった。現在は13本しかない。この駅は現在は無人駅になっているが、当時は駅そばが営業できるほどの利用客があったのだ。ローカル線の衰退は相当なものだ。

 広島駅には18時20分に到着。

2010年9月14日 (火)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅16(伯備線)

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 姫路駅では寝台券を買ったり、駅そばの朝食をとったりして、時間調整をした。今夜、岡山駅発21時40分の寝台特急瀬戸に間に合えばよいので、それまでこの周辺の列車を乗りまわろうと思った。

 ここから岡山まわりで伯備線、芸備線、山陽本線と乗り継ぐと、21時36分に岡山駅に戻ってくることができ、瀬戸に間に合うので、そのルートで一回りしてくることにした。

 岡山駅に10時03分に着き、10時11分発の伯備線普通列車米子行きに乗る。伯備線は現在では電化され、カーブでもスピードを落とさず走れる振り子式の381系特急が走っているが、当時は非電化でディーゼルカーだった。

 倉敷、備中高梁と進むうち、気温も上がってきたのか、体調も回復してきた。姫路で食べた駅そばの効果もあったのだろうか。今日の夜、東京に帰ろうと思っていたが、もう一晩がんばれそうだ。私はスケジュールを組みなおし、今晩は長崎行きの夜行普通列車『ながさき』に乗ることに変更した。

 新見着12時18分。この駅で、姫路駅で買った寝台券を翌日に変更してもらった。指定券は1回だけ無料で変更できるのだ。

2010年9月13日 (月)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅15(山陽本線)

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 青春18のびのびきっぷの旅、3日目は天王寺駅から始まった、天王寺駅に早朝に着いた私は大阪駅に向う。大阪駅発5時45分の福知山線周り出雲市行きに乗ろうと思ったからだ。この列車も旧型客車の車両だ。

 ところが、実際に乗り込んでみると、客が一人も乗っておらず、旧客のオンボロ車両で、しかもまだ早朝で薄暗く、雨も降っていて、急に乗る気が失せてしまった。なんだが地獄行きの列車のように思えたのだ。

 結局、大阪発6時ちょうどの姫路行きに乗ることにした。東海道線のほうが明るく気が滅入らないと思ったからだ。急にスケジュールを変えても、乗車券の変更をしなくていいのが、青春18のびのびきっぷならではで、ありがたかった。

 それにしても二晩列車の夜行列車の旅で、かなり疲れている感じだ。姫路行きは昨日乗った新快速用の車両が使用されていて、疲れた体にはありがたかった。

 姫路駅に8時23分に着く。雨が降っていて寒さが増してきた。体力も限界になってきたようで、私は今日で旅を打ち切ろうと思った。姫路駅のみどりの窓口で今日の夜の寝台特急瀬戸の寝台券を買った。今日1日はなんとか持ちそうだったので、今晩の夜行で東京に戻ろうと思ったからだ。

 

2010年9月12日 (日)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅14(はやたま)

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 亀山駅で17時21分発の天王寺行き普通列車に乗り換える。この列車は名古屋始発で新宮周りで天王寺まで行く夜行列車なのだ。今では考えられない長距離を走るのどかな列車だ。しかも旧型客車だ。

 そろそろ日暮れの時間帯で、しかも車内の照明が蛍光灯ではなく電球なので、もの寂しい雰囲気が漂っている。

 松阪駅の手前では左手から近鉄の特急電車が近づいてきて、警笛とともに私の列車をあっという間に追い抜いていく。旧型客車でのんびりいくのも悪くはないが、こうもあっけなく抜かれると人生の落伍者のような気がしてくる。受験の結果が急に気になる。

 新宮からは寝台車が増結される。普通列車で寝台車が連結されているなど、現在では想像もつかないが、当時は『山陰』や『ながさき』という列車にも連結されていた。

 昨夜の大垣夜行は混んでいたが、この夜行列車『はやたま』はがら空きだった。私は一人でワンボックスを占領し、一夜を過ごした。

 翌朝5時、まだ真っ暗な天王寺駅に到着した。

2010年9月11日 (土)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅13(関西本線)

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 大阪の私鉄を乗り歩いた私は、再び国鉄の旅を再開した。大阪駅から大阪環状線の西九条周りで天王寺駅に至り、天王寺駅14時30分の関西線快速電車に乗る。これは103系の通勤型車両で山手線と同じ黄緑色をしていた。

 奈良駅に15時05分に到着し、15時20分発の関西本線の名古屋行き普通列車に乗り換える。この線は今から4年前父の疎開先の笠置に行くときに乗った線なので懐かしい。

 その時利用した、笠置駅や大河原駅を通ると親近感を覚えた。大河原駅から先は私にとっては未乗区間だ。車内外ともローカル線の雰囲気で、車掌は車内をこまめに周り、車内の暖房を適宜調整していた。

 そんな中、短距離切符で長い乗り越しをする客が現れ、『キロ程を調べ後でお持ちします』と答えていた。車掌室で計算して乗り越し切符を発行するのだろう。『キロ程』とは初めて聞く言葉だが、運賃計算に必要な営業キロのことだろう。

 そういったやり取りを聞きながら、京都のマクドナルドでテイクアウトにしたチーズバーガーを食べる。17時15分、亀山駅着。

2010年9月10日 (金)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅12(京阪電鉄)

 京都まで阪急で来た私は、高校の修学旅行の時に来た新京極通などをぶらついた後、京阪の三条駅までやってきた。現在の京阪三条駅は地下にあるが、当時はまだ地上にあった。

 今度は京阪に乗って大阪に戻るつもりだ。京阪の車両はテレビカーといい、車内にテレビが設置されているのが特長だった。まだ薄型テレビもワンセグもない時代で、ブラウン管式のテレビが車端部に設置されている。どういった放送を見たのかも記憶がないが、車内全員に聞こえるようにするには、結構大きな音量が必要だっただろう。

 乗り心地は阪急よりは劣ったが、国鉄よりは良かった。関西の私鉄のサービスの良さはすばらしかった。

2010年9月 9日 (木)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅11(阪急電鉄)

 大阪駅に着いた私は、今度は阪急の特急電車に乗って見ることにしていた。国鉄の大阪駅から阪急の梅田駅は徒歩で5分ほど離れている。梅田駅は頭端式と呼ばれる行き止まり式のホームになっていて、京都線、宝塚線、神戸線の3線が乗り入れているから、9番線まであり相当大きなターミナルだ。

 阪急の車両はマルーンと呼ばれるこげ茶色1色の車両で、落ち着きある色合いで、これが戦前からの伝統だ。特急用車両は二人ずつ前向きに座れる座席で、始発駅では座席が手作業ではなく、自動的に転換する仕組みになっていた。折り返しの車内整備の時間に、乗車を待つ乗客の目の前で座席が転換するのだ。先ほど乗った国鉄の新快速にはそういった設備はなかった。関西私鉄の先進的なシステムに目をみはった。

 車内に乗り込むと、グリーンのモケットの座席、木目調の内装が目に付く。これは今でも変わらない。これも阪急の伝統だ。足元にはフットレストも装備されている。

 発車すると乗り心地もすばらしかった。まさにすべるような走りだ。保線状態も良いのだろう。車両面ではそれほど開きがないが、トータルのサービスでは国鉄の新快速とは雲泥の差だ。これでは国鉄は勝負にならない。運賃も国鉄が540円に対して阪急が280円なのだ。

 当時の国鉄は全国一律運賃だったので、大都市の区間では並行する私鉄に太刀打ちできなかった。その後、運賃が弾力的になり、私鉄を意識した運賃設定ができるようになったが、後の祭りだった。

 快適な走りのまま、京都河原町駅に着いた。

2010年9月 8日 (水)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅10(新快速)

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 大垣夜行は深夜帯は快速運転となるが、浜松からは各駅停車になる。ムーンライトながらの時代は豊橋から各駅停車だったから、朝早くからかなりきめ細かく客を拾っていたようだ。

 大垣夜行の夜は名古屋あたりで明けた。名古屋では降りる人も多く、車内は空いてきた。

 大垣には6時59分着で大垣始発7時15分の西明石行きに乗り換える。113系の近郊型車両だ。この列車で京都まで行き、京都始発の新快速に乗換えだ。

 この新快速は今回の旅行の一つ目的だった。京都-大阪-神戸間には国鉄と阪急、京阪、阪神の路線がそれぞれあって、どの会社もスピードとサービスを競っていた。国鉄も1~2年前に、この区間用に新型車両117系を投入していたのだ。従来は急行型のボックス席の車両だったのだが、特急列車風の二人ずつ前向きに座れる車両を投入したのだ。車体も流線型とまではいかないが、前面が傾斜したスピード感あふれるもので、クリーム色にチョコレート色の帯を配した従来の国鉄車両にはない色使いだった。

 新快速は当時は6両編成だった。私は窓側の席に座ることが出来た。今まで113系の窮屈なボックス席に座っていたので雲泥の差だ。この列車は京都を出ると大阪まで停まらない。乗り換え客が多いはずの新大阪駅すら通過し、この間を29分で走破する。この区間を走る特急列車よりも速かったのだ。このスピード感がたまらなかった。乗りに来てよかったと思った。

 

2010年9月 7日 (火)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅9(大垣夜行)

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 東京駅に23時11分に着いた私は、今度は東京駅23時25分発東海道線下り普通列車大垣行き345Mに乗り込む。大垣夜行と呼ばれた列車だ。

 列車は既に入線していて、結構混んでいる。車両は急行型のオールボックス席だ。私は男性二人組みで座っている若者に声を掛け、通路側の席に座る。発車間際になると、通勤帰りのサラリーマンも乗ってきて、4人ボックスは満席になった。

 結局その晩は、ボックス席を3人で利用する形で、足も伸ばせず、窮屈な一夜を過ごした。相手もそうだっただろう。

 この列車の上り列車には1年前の3月に名古屋からの受験旅行の帰りに乗ったことがあったが、その時はがら空きだった。上り列車、下り列車の違いなのか、それとも青春18のびのびきっぷが発売されたせいなのかは分からないが、結構な人気列車だ。客層は大半が私のような若者だった。

2010年9月 6日 (月)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅8(身延線、東海道線)

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 甲府駅周辺を散策した後、17時00分発の身延線富士行きに乗車する。もう既にだいぶ日が暮れかけてきた。約40分ほど走って鰍沢口(かじかざわぐち)で日が暮れる。

 身延線は駅数が多く、ちょっと走ってはすぐ停まるのでもどかしい。19時49分、富士着。

 ここからは東海道線の上りで、まず熱海駅まで向う。20時51分、熱海駅着。夕食を済ませていなかったので、ここで駅弁を買い、ホームのベンチで食べる。

 駅弁を食べ終えた後、熱海駅発21時18分発の普通列車東京行きに乗る。この列車は特急踊り子号の間合い運用で普通列車にもかかわらず、185系特急車両が使用されている。

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 踊り子号は、その前年に投入された新型車両で、白い車体に斜めの緑のストライプが配された今までの国鉄には見られない斬新なカラーリングの車両だ。基本的には特急列車として運行されるのだが、朝晩は普通列車に充当されることもある。鉄道雑誌などでその間合い運用を知っていた私はその列車に狙いを定めていたのだ。

 特急車両なので二人ずつ前向きに座るタイプの座席が使用されている。ただ、座席はリクライニングするタイプではなく、特急としてはちょっと中途半端な車両だ。昔の0系新幹線の座席と同じだ。

 特急としては物足りない感もあるが、普通列車としては十分な設備で、静かで快適な旅を楽しむ。

 平塚駅の手前で『この列車は平塚駅を出ますと・・・』という放送が始まる。おや、まさか東京駅までノンストップになるのかと一瞬ドキリとしたが、『禁煙区間になります』という放送だった。当時の普通列車は、大都市近郊区間以外はタバコが吸えたのだ。

 

2010年9月 5日 (日)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅7(中央本線)

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 小淵沢駅に14時33分に着き、次に乗る中央線の上り列車まで35分ほど時間がある。今ならばちょっと駅前を散歩するくらいのことはするのだが、当時はそこまで活動的ではなかった。

 ホームで列車を待っていると、どこからともなく、チロリアンハットの帽子をかぶった老人が現れ、ハーモニカを吹き始めた。周りの客も面白そうに眺めている。のどかな時代だった。

 15時08分の普通列車で甲府に向い、15時52分甲府駅着。

 次の列車までは1時間以上あったので、駅前を散策。書店でレイルウェイライター種村直樹氏の『鉄道旅行術』を立ち読みする。

2010年9月 4日 (土)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅6(小海線)

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 小諸駅には11時23分に到着。次の列車まで30分ほど時間があり、ちょうどお昼時なので、駅のホームで立ち食いそばを食べる。数人の客がそばをすすっている。

 11時54分、小海線小淵沢行きに乗る。ディーゼルカーらしいブルブルとした乗り心地だ。しばらく信越本線に沿って走り、最初の駅東小諸に到着。小海線には駅があるが、信越本線には駅がない。この駅の構造をトリックに利用した西村京太郎の推理小説が、その数年後発売された。

 小海線は国鉄で最高地点を走る線で、高原列車の趣がある。ただし、この時期はまだホームにも雪が残る状態で、その趣はない。

 13時54分、野辺山駅着。この駅が国鉄で最も標高が高いところにある。駅のホームにもそれを示す案内板が立っている。1345m67cmとなっている。

 野辺山からは下り勾配になって快調に下る。14時33分、小淵沢着。

2010年9月 3日 (金)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅5(信越本線)

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 高崎からは信越本線で小諸まで向う。ここからは客車列車に乗車する。客車列車とは自分自身では動力を持たず機関車が牽引する車両で、以前乗った寝台特急の『紀伊』や急行『くにさき』『日南9号』なども同じ対タイプだ。しかし、それらが特急や急行用として製造されたのとは異なり、今回乗るのは『旧客』と呼ばれる普通列車用のものだ。

 要は昔ながらの旧型のオンボロ車両なのだ。車両の扉も自動ではなく、自分の手で開け閉めするものだ。走行中うっかりしていると、車両の揺れで、車外に振り落とされる恐れがあるのだ。

 高崎駅を9時49分、定刻に発車。車両のペンキも半分はげかけたブルーの車両で、5両か6両つながっている。床は木製だ。

 最初の停車駅は北高崎だ。ところが、駅についても電車のように完全には停止しない。連結器の関係か、ゆらゆら少しずつ動いている。これでは慎重に乗り降りしないと危険だ。これが旧客かと私は感心した。この列車に乗れて良かったと、妙に感激した。車掌は無線で運転士に発車合図を行っている。扉も手で開け閉めする車両なので、こうやって運転士に連絡するわけだ。

 横川からは碓氷峠超えになる。駅弁の峠の釜飯も売っているが、普通列車の客にはあまり熱心ではない。

 ここから1000分の67という日本一の急勾配を上る。鉄道の車両は1両25mあるので、1両の前と後ろでは1.6mの高低差が生じる。しかし、乗っているとそれほどの急勾配とは感じられない。

 勾配をゆっくり、ゆっくり進む。次の軽井沢駅までは所要時間は17分で、この区間は特急でも普通列車でも所要時間は変わらない。

 

2010年9月 2日 (木)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅4(高崎線)

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 そういう訳で3月13日、いよいよ旅に出ることになった。以前九州一人旅をしたときは、スポーツバッグで出かけたが、今回は予備校の通学用に使用していたショルダーバッグだ。それに時刻表と洗面道具、若干の着替えを詰め込んだ。回りから見るととても旅行者に見えなかったかもしれない。

 まず1番最初の列車である浦和駅発7時46分の高崎線前橋行きに乗る。ホームは通勤客でごった返している。つい1ヶ月ほど前までは、私も上り列車にのり、予備校に通っていたのだ。満員の上り列車を横目で見ながら、下り列車に乗る。ただし、下りと言えども座れるほどの乗車率ではない。

 浦和駅の東北線、高崎線ホームは今は普通列車は全列車停車するが、当時は朝と夜の通勤時間帯しか停車せず、日中はホームが閉鎖されていた。

 篭原で後続のとき3号に抜かれるとともに、前4両を切り離す。深谷、本庄と進むにつれて、上州の山々も近くに見えてきて、広い関東平野の中を快調に進む。

 神流川、鏑川、烏川の鉄橋を渡り、9時22分高崎着。高校時代、友人たちとこの駅から上信電鉄に乗り換え、上野村まで旅行に行ったことを思い出す。

2010年9月 1日 (水)

元祖『青春18のびのびきっぷ』の旅3(スケジュール)

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 切符の意義や特長は理解できたので、次はプランニングだ。普通列車しか乗れない切符で日本全国を巡ろうというのだから、なるべく夜行列車を活用したい。

 昭和57年当時はまだ、普通列車の夜行列車も全国各地に残っていた。北から順に上げると、函館-札幌間、上野-長岡間、新宿-長野間、東京-大垣間、名古屋-天王寺間、京都-出雲市間、高松-中村間、門司港-長崎間だ。結構たくさんあったのだ。結局今ではすべて廃止されてしまい、一部は季節列車になっている。いずれにしても、こういった夜行列車を軸に、切符の有効期間ぎりぎりに出発地に戻ってきたい。

 いっぽう日中に乗る列車もなるべく特長のある列車に乗りたい。私が乗りたいと考えたのは、次のようなものだった。

①横川-軽井沢間の碓井峠を客車列車で越える

②日本最高地点を走る小海線に乗る

③特急踊り子号の185系車両が使用されている普通列車に乗る

④大阪の新快速117系に乗る

⑤阪急、京阪の特急電車に乗る

上記の条件を満たすこと自体はそれほどでもなかったが、なるべく遠くまで行って5日間で戻ってくるルートを見出すのが、意外と難航した。1年間の浪人生活で時刻表を読み込む力が落ち込んだのだろうか。結局、大阪までのコースは出来たのだが、それから先は現地で決定することにした。行けるところまで行って、帰りは新幹線か寝台特急で帰ってくることにした。正月にもらったお年玉もほとんど手付かずの状態で、手元資金が充実していたこともあったかもしれない。

 3月12日、浦和の交通公社で切符を購入し、いよいよ3月13日旅に出ることになった。

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