ただいまの時間

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2010年6月

2010年6月30日 (水)

食べテツの男16

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  ニューデイズで見かけた新商品を紹介する食べテツの男コーナー、今回はウインナーカレーロール160円です。カレーソースがかかったウインナーが2本、ロールパンにはさまれています。真ん中には玉子サラダの少量のっています。カレーはそれほど辛口ではありません。ウインナーはちょっと細めでボリューム感に欠け、全体的に今ひとつです。

2010年6月29日 (火)

食べテツの男15

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 ニューデイズで見かけた新商品を紹介する食べテツの男コーナー、今回はハムカツロール160円です。マヨネーズがたっぷり塗られたハムカツがロールパンにはさまれています。濃厚な味わいで今までのシリーズの中で最高です。ハムカツのチープな感じが、ぼそぼそロールパンによくマッチしています。

2010年6月28日 (月)

南紀家族旅行12

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 京都駅でお土産を買うなどの時間をすごした後、17時29分のひかり26号で帰途に着く。私たち家族は、5号車の1番A席からE席までの横1列の席だ。席に着こうとすると私たちの席に老夫婦が二人座っている。「指定券をお持ちですか?」と父が声をかける。5号車は自由席車の隣なので、満席の自由席車から勝手に移ってきて座っていたようだ。

 デッキには新幹線の時刻表が掲げられていた。自分の乗った列車が、ひかり26号であることや博多から来た列車であることが、簡単に分かった。時刻表は難しいものと思っていたし、そもそも時刻表というものを見る機会もなかったが、意外と分かりやすいものだなというのが最初の印象だ。

 当時から新幹線は16両で運転されていた。端から端まで400mもあり、下の妹と二人で探検に出かけた。食堂車をチラッと覗いたり、グリーン車では空いている席にちょっと座ったりした。行って帰ってくるだけで、10分以上かかったはずだ。

 この時刻表は、1時間あたりひかり4本、こだま2本の4-2ダイヤと呼ばれるもので、現在の1時間あたりのぞみ、ひかり、こだまが12本運転できるダイヤからするとだいぶゆとりが感じられる。新横浜駅に停車するひかりがないのも特徴的だ。

 終点東京駅には20時20分に着いた。新幹線の改札を抜け、乗り換え通路を行くと、東海道線の発車案内に4日前に乗った「紀伊」が表示されていた。

 このようにして我々家族の南紀旅行は終了した。今考えると、父は今回の旅行を通して私に対していろいろなことを期待したり、感じ取ってもらいたいと考えていたように思うが、それとは裏腹に息子は鉄道の道に足を踏み入れてしまったのだ。

 

2010年6月27日 (日)

南紀家族旅行11

 疎開先の周辺を父に案内してもらった後、親戚の家で焼肉をご馳走になる。わざわざ奈良まで肉を買いにいってくれたようだ。

 昼食を済ませると、親戚の人が車まで駅まで送ってくれることになった。笠置駅から乗っても良いのだが、隣駅の大河原駅からも遠くないので、父は大河原駅まで送ってくれるよう頼んだ。

 大河原駅は列車の発車時刻前にならないと改札口が開かないタイプの駅で、田舎の駅ではよくあるタイプなのだが、国電の駅しか知らない私には驚きだった。トイレが改札内にしかないので、母は勝手に改札口を通り抜けて利用していた。のどかな駅だ。

 奈良駅で下車し、奈良公園を散策し、鹿を眺めたりして過ごす。

 その後、近鉄で京都まで行った。国鉄の奈良線を利用するという方法もあったのだが、当時は非電化で本数も少なく、所要時間もかかったので、父の選択肢には最初から入っていなかったようだ。

2010年6月26日 (土)

南紀家族旅行10

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 大阪で一泊した我々は、京都府の笠置まで向う。まず、天王寺駅から関西線で奈良まで向う。奈良までは電化されているが、そこから先は非電化となる。奈良駅からはどの列車に乗ったかの記録はないのだが、おそらく笠置着10時11分の列車だと思われる。 この日は4月1日エイプリルフールなので、下の妹は車中でつまらぬ嘘を言っては一人喜んでいる。

 駅からはタクシーに乗り、父の親戚の家まで行った。父は終戦前後、一家で東京からここに疎開していたのだ。京都府といっても奈良県の県境に近く、古都の趣はまったくない山村の集落だが、自然に恵まれ、のどかなところだった。

 親戚の家についた後、父は周辺を案内してくれた。山で炭を焼いては、「炭はいらんかねー」と言いながら、奈良の町で炭を売り歩いたり、関西電力の水力発電所に勤務していたりしたらしい。父は昭和3年生まれなので、疎開時は16歳からの数年だったと思われる。旅行当時の私と、そう違わない年齢だったわけだ。そんな自分の青春時代の一時期を息子に見せて、何かを感じてもらいたかったのだろう。今思えば疎開当時のことをもっといろいろ聞いておけばよかったと悔やまれる。

 発電所の上司に「君はこんなところ(山奥の発電所)で仕事をしている人物ではない」と助言を受け、父は再び東京に戻り、東京で労働基準監督署の職を得たようだ。その後、民間の会社に転職し、母と知りあい、私を含む三人の子供を得た。

 余談になるが、父が年金を受け取れる年齢になってからしばらくして、この発電所に勤務していた時代の年金記録がしっかり残っていることが判明し、年金額が10万円ほど増えたらしい。終戦前後の混乱期にわずか2年ほどしか勤務しなかったにもかかわらず、よく記録が残っていたものだ。父は「消えた年金」の影響は受けなかったのだ。

 

2010年6月25日 (金)

南紀家族旅行9

 今回の旅行で私はポータブルラジオを持参していた。ポータブルといっても、結構大きいもので、縦10cm、横15cm、奥行き5cmほどで重さも結構ある3バンドラジオだ。当時の私は、深夜放送のファンで受験勉強の合間によく聞いていた。この日は、山本コータローのパックインミュージックが最終回だったので聞き逃したくなかったのだ。

 当時、山本コータローのパックインミュージックは、自分の失敗談を全国に放送してもらう「恥のうわぬり」やHな逆さ言葉の扱った「たいこめコーナー」など抱腹絶倒のコーナーがあり、中学生の私はとても楽しみにしていた。合格校と氏名を読み上げてくれる「パック合格掲示板」というコーナーもあり、この2週間ほど前の放送では、私の入学高校名と私の名前も読み上げられたりもした。

 その当時は、文化放送のセイヤング、ニッポン放送のオールナイトニッポンなど、どの放送局も競って若者向けの深夜放送を放送していた。その中でも私はTBSのパックインミュージックが大好きだった。パーソナリティは月曜日が小島一慶、火曜日が林美雄、水曜日が愛川欽也、木曜日が野沢那智、白石冬美、そして金曜日が山本コータローだった。

 そして、この山本コータローの金曜パックが今日が最終日だったのだ。ところが、旅のつかれか、眠りこけてしまい、肝心の放送を聞き逃してしまった。その後、金曜パックは川島英五に代わったことを後から知った。

2010年6月24日 (木)

南紀家族旅行8

 大阪の街をぶらついた後、郵便貯金会館に戻った。ここはホテルタイプの宿泊施設で、私はこういうところに泊まるのは初めてだった。今までの家族旅行では、日本風の旅館しか泊まったことがなかったのだ。

 部屋は二部屋用意されていた。両親で一部屋、子供たちで一部屋という部屋割りになった。私たちの部屋は3人なので、エキストラベッドが1台入って若干窮屈だ。

 部屋にはユニットバスがあるが、入り方もよく分からないので、私は父と一緒に大浴場に行った。ここはホテル形式だが、大浴場もあったのだ。上の妹はユニットバスを利用してみたようだ。

 夜の食事は、ホテルの食堂を利用した。何を食べたか記憶はないが、こういったところでは、たいていハンバーグを食べるので、このときもおそらくそうだったのだろう。

 この日は昭和53年の3月31日金曜日で、食堂のテレビでは、「太陽にほえろ」がを放映されていた。ということは、8時前後に食事をとっていたようだ。

 当時は刑事ドラマ全盛の時期だったのだ。見逃せない番組なので、部屋に戻ってからも「太陽にほえろ」の続きを見る。

2010年6月23日 (水)

南紀家族旅行7

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 白浜で一泊した後、白浜駅発9時25分の急行きのくに3号天王寺行きに乗車した。この列車は二つ先の椿駅が始発で、ほとんどがらがらの状態でやってきた。時刻表を見ると、グリーン車も連結されている。当時は急行列車でも、たいていグリーン車が連結されていた。

 私は、また家族と離れた席に座る。駅ごとに乗客が増えてくるので、今回は妹もフラフラ遊びに来るわけには行かない。12時18分、終点の天王寺駅着。約3時間の旅だった。天王寺駅の紀勢本線のホームは、頭端式と呼ばれる行き止まり式のホームで趣きがある。

 ここからは地下鉄で一駅、四天王寺前(夕陽ヶ丘)駅近くにある郵便貯金会館に宿泊することになっている。まだチェックイン時間前なので、フロントで荷物を預けて、大阪城見物に出かけた。

 そのあと、どこかの繁華街を家族でぶらついた。その場所はアーケードのある商店街という以外記憶はない。

 父は家族連れにもかかわらず、パチンコ店を見つけて店に入り、しばらく大阪のパチンコを楽しんだ。まだ電動式ではなく、手ではじくタイプだ。小さい頃は私も父と一緒にパチンコ店に入り、少し打たせてもらったこともあったが、高校生になろうという私は、大阪に来てまでパチンコでもなかろうと、ちょっと冷ややかだった。

 

 

2010年6月22日 (火)

菅首相、小田急ロマンスカーに乗る

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 6月20日の首相動静です。町田で街頭演説があったので、新宿から小田急のロマンスカーに乗ったようです。新宿発13時10分のはこね25号で、乗車車両はEXEです。JRだけでなく私鉄のこういう列車にも乗るようです。首都圏の移動は、首相と言えども鉄道での移動が便利に違いありません。街頭演説ともなれば、主要駅の駅前が舞台となりますから、鉄道利用がベストでしょう。

 しかし、町田から横浜へは、一般人であれば横浜線利用となるところですが、さすがに通勤型車両に首相が乗るわけにも行かず、乗用車で移動したようです。

 これから参院選を控えて、ますます街頭演説が活発になるので、首相の動静には目が離せません。

2010年6月21日 (月)

菅首相、総武線快速電車に乗る

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 菅首相の6月19日(土)の動静です。大宮駅と千葉駅で街頭演説を行うため、鉄道を利用して移動しています。実は、首相が大宮と千葉で街頭演説を行うのはあらかじめ知っていたので、どのようなルートを通るのか、気になっていたのです。

 まず、東京駅から新幹線で大宮駅に移動します。この短区間でも首相は新幹線で移動します。私も大宮に住んでいたので、この区間だけ新幹線を利用することもありましたが、贅沢な乗り方です。

 大宮駅の東口で街頭演説を終えた後、次の目的地は千葉駅です。我々が移動すると武蔵野線経由というルートもあるのですが、首相はいったん東京駅に戻り、総武線の特急で千葉駅に向いました。15時24分に東京駅に着いた後、16分の移動時間で地下ホームに移動しました。新幹線から総武線への乗り換え標準時間は15分となっているので、余裕を持って乗り換えられたと思います。

 東京駅からはしおさい9号に乗りました。この列車はグリーン車が連結されていません。こんな列車でも、スケジュールの都合で首相が乗車することもあるようです。ただ、当日だけ臨時の運用で別車両が充当された可能性はあります。

 千葉駅での演説を終えた後、再び東京駅に戻ります。なんと総武線の快速電車の乗りました。ちょうど、この時間帯は特急列車が運転されておらず、快速での移動となったようです。快速停車駅に停車しながら東京駅に戻ったわけで、私の利用している稲毛駅や船橋駅もチラッと目に入ったのでしょうか。いずれにしても、首相の動静には目を離せません。

 

2010年6月20日 (日)

南紀家族旅行6

 白浜駅からは、千畳敷と呼ばれる当地の景勝地を訪れる。駅から離れているので、バスかタクシーを利用したはずだが、どのように行ったのかは記憶に残っていない。

 千畳敷は、畳千畳分もある大きな岩盤で、波に侵食されてなめらかになっている。海に近いところなので、風が強かった。

 ここから、今夜宿泊する旅館までは歩いて行った。旅館の建物は、目に見える位置にあるのだが、意外と遠くて歩けど歩けど建物が近づいてこない。

 泊まった旅館は温泉旅館で、仲井さんに連れられて部屋に入る。父は仲居さんに、寝台特急紀伊に乗って、今朝紀伊勝浦に着いたことを得意になって話している。

 その晩は、前の晩の寝不足のせいで早く眠りについた。しかし、その晩、喘息の軽い発作が起き、夜中に目が覚めた。当時の私は小児喘息で、春先や秋口の季節の変わり目や旅行で場所が変わるとよく発作が起きたのだ。幸い軽い発作で、翌日以降の行程に影響はなかった。

2010年6月19日 (土)

南紀家族旅行5

 紀伊勝浦駅前で朝食を済ませた後、8時33分発の普通列車で白浜に向う。紀伊勝浦に来たならば、那智の滝ぐらいは訪れるのが普通だが、そのまま先に進んだようだ。ディーゼルカーらしく、排気ガスが吹き出ている。

  途中、串本の駅では13分ほど停車し、後続の急行列車に追い抜かれる。周遊券を持っているので急行にも乗れたのだが、のんびり旅を選んだようだ。

 がら空きの普通列車で、私は家族とは離れた別のボックス席で一人景色を楽しんでいた。5人家族なので誰かは別のボックスになるのだが、そういう時は私が離れて座ることになる。

 下の妹は時折り家族の席から離れて私の席に遊びに来たりする。通路を飛び回っているうちに、自分が座っていた席と私の席の位置関係が分からなくなって、離れた席に座っている母親の後ろ姿を別人と勘違いして、「お兄ちゃん、お兄ちゃん、あそこにママと同じ靴下をはいている人がいるよ」と小声でささやく。母親はしましまの特徴的な靴下をはいていたのだ。

 そうこうしながら、10時59分、白浜駅着。

2010年6月18日 (金)

南紀家族旅行4

 一夜を過ごした寝台特急は終着紀伊勝浦駅に定刻に到着。もっと乗っていたい気がするが、終点なので仕方ない。寝台特急の到着にあわせて、何軒かの駅前の食堂は営業を開始したようで、店頭では客引きが行われている。

 我々一行は、その中の1軒の食堂で朝食をとった。簡素なテーブル、コンクリートむき出しの床で、ちょっ寒々とした雰囲気だ。そんな食堂で、私は中華そばを食べた。朝食にラーメンでもなかろうが、他に気に入ったメニューはなかった。他の家族は何を食べたか記憶はないが、同じようなものを食べたのだろう。

 朝食を終えると、次の列車までは時間があったので、駅前の跨線橋で列車を眺めたりして時間を過ごした。ちょうど新宮始発のディーゼル特急くろしお1号が入線してきた。ボンネット型のキハ81系で、ブルドッグのような顔つきをしている。先頭にひらがなで大きく「くろしお」と書かれていて、下の妹はそれを大声で読み上げている。

 時刻表で確認すると、この列車には食堂車が連結されている。今は食堂車の連結されている列車は、北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスしかないが、昭和53年当時はこんなローカル特急にも食堂車が連結されていたのだ。

 紀勢本線はこのときは非電化であったが、その半年後には電化が予定され、紀伊勝浦駅にもすでに架線が張られていた。

2010年6月17日 (木)

南紀家族旅行3

 寝台特急「紀伊」は名古屋で、「いなば」と分割される。深夜帯なので旅客の乗降はできない。これを運転停車という。下の妹は「なごや」の駅名をしっかり目撃したようで、通路をうろついていた私に教えてくれた。

 ここでEF58電気機関車からDF50ディーゼル機関車に付け替えられるとともに、進行方向が逆になる。関西本線は当時は電化されていなかった。

 亀山で再び進行方向を変えて、今度は紀勢本線を南下していく。私は新鹿(あたしか)駅の手前で目を覚ます。新鹿湾の入り江を行く。寝台の進行方向左側の大きな窓からはきれいな入り江が見えている。大画面のテレビで紀行番組を眺めているようなすばらしい景色が印象が残っている。

 熊野市駅では、駅名が「熊野駅」でなく「熊野市駅」となっているのが不思議な気がした記憶が残っている。7時18分、終点紀伊勝浦着。

2010年6月16日 (水)

南紀家族旅行2

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 私たち家族は、まず東京駅発20時40分の寝台特急「紀伊」に乗りこんだ。この列車は客車3段式B寝台で、名古屋までは「いなば」に併結される。このタイプの寝台は、幅が70cm、高さが下段73cm、中段75cm、上段79cmで、寝台料金は3000円となっている。この他に特急料金が2400円かかる。

 寝台の割り振りは私と父が上段、母と上の妹が中段、下の妹が下段となった。家族間で話し合いがもたれたのか、その場の成り行きでそうなったのか記憶はないが、妥当な結論だ。

 上段に上るにはハシゴを使う。屋根裏部屋に寝るような感じだが、カーテンを引くと独立の空間ができ、秘密基地のようでもある。下の妹は、夜中にトイレに行き、帰りに自分の寝台が分からなくなり、通路をうろうろしていた。

 わくわくしながら、眠れない楽しい一夜を過ごす。私はこの旅行にあわせて、角川文庫から出ている森村誠一の「新幹線殺人事件」という推理小説を持参していたので、寝台の揺れにあわせ、旅の気分に浸りながら、小説を読み進めた。

2010年6月15日 (火)

南紀家族旅行1

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 昭和53年3月29日、ミスターKは、両親、私、妹二人の5人で家族で南紀旅行に出かけました。その旅行の模様を時刻表を中心にお伝えします。

 この年の4月から私は高校に進学することになり、また私の二人の妹がそれぞれ中学1年生、小学1年生に進学することになったので、それぞれの入学祝いを兼ねて、家族で旅行することになった。旅先は南紀白浜、大阪、京都の笠置で、最終の目的地の笠置が父のメインの旅行先のようだった。父は戦争中、父の母方の出身地笠置に疎開していたのだ。その懐かしさもあったのだろう。

 高校生くらいの男子は誰でもそうなのだが、自分の親と出歩くのが格好悪くて、私も最初のうちは旅行に出るのを渋っていたのだが、そういう私でも、新幹線だ、寝台車だと父から話を聞かされるとだんだん行きたくなってきた。

 写真はこの旅行で使用した南紀ワイド周遊券で、当時交通公社では周遊券を購入すると、このような表紙をつけてくれた。現在はこういった周遊券は廃止されてしまったが、このような地域の鉄道が乗り降り自由という乗車券はとても便利なので、復活することを切に望む。料金は10,200円。有効期間は10日間、急行列車の自由席は無料で乗れることになっている。右下に半円形の改札鋏の痕が残っている。これは紀伊勝浦駅のものだ。

 父の勤務先が田町にあったので、田町の交通公社で購入している。私が使用した周遊券は最後に回収されてしまったが、父が使用したものは、父が定期券で出場したので、このように手元に残っている。このように印刷された乗車券は、昔は当たり前だったが、いつの頃からか、コンピューターで発券された感熱紙の乗車券になってしまい、味わいがなくなってしまった。

2010年6月14日 (月)

時刻表1978年4月号

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 時刻表1978年4月号です。私が高校に入学したときの時刻表で、私が自分で買った初めての鉄道グッズです。今の時刻表は1152ページ、1150円ですが、この時刻表は640ページ、450円です。ページ数が少ないので、持った瞬間、軽さを感じます。

 この時刻表を買った1ヶ月ほど前、家族で南紀地方を旅行し、寝台車や新幹線に乗せてもらった私は、自分の乗った列車を確認したくて、この時刻表を買ったのでした。この世界に入るきっかけの時刻表です。

 これを見ていると、当時のことが思い起こされてきます。これから数回に渡って、当時の鉄道の思い出を語りたいと思います。

2010年6月13日 (日)

カプセルプラレールパート1 400系つばさ

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 これもカプセルプラレールで、山形新幹線用の400系つばさです。このタイプの車両は先日引退しました。シルバーメタリックの車両が人気でした。ミニチュアなので芋虫のようですが、それがかえって愛らしいです。カプセルプラレールの魅力でもあります。

2010年6月12日 (土)

カプセルプラレールパート1 500系のぞみ

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 ゼンマイで動くカプセルプラレールです。今から10年位前にゲットしたもので、トミーの関連会社ユージンのガチャガチャで買えました。ガチャガチャなので何が出てくるか分からず、セットでそろえるのは大変苦労しました。

 当時はネットオークションもまだ普及していない時期だったので、カプセルプラレールのホームページを作っている人にメールで連絡し、物々交換で手に入れたりしました。

 これは500系のぞみで、今では東海道新幹線からは引退し、山陽新幹線で8両編成に短くされて、こだまの運用についています。10年一昔、時の流れは速いです。

2010年6月11日 (金)

IC乗車券不正使用

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 JR東海の社員がIC乗車券を不正使用して、自分が支払うべき運賃をちょろまかしていたという事件です。懲戒解雇になった社員もいるようです。金額の多寡に拘わらず、不正は許されるべきではないでしょう。

 ところで、このIC乗車券は実は不正乗車防止のために作られたのです。以前の紙ベースの定期券だと、いわゆるキセルがし放題でしたが、これに変わってからはそれができなくなりました。従来鉄道会社の運賃取りこぼしは相当な金額に達していたようです。

 せっかく客からの運賃取りこぼしがなくなったのに、身内からこのような事件が発生しては元も子もありません。しっかりと対策を施してもらいたいと思います。

2010年6月10日 (木)

ニューなのはな

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 平成22年6月8日朝出勤途上、船橋駅でジョイフルトレインの「ニューなのはな」を目撃しました。485系特急車両の改造車で、団体列車として運行されています。車内をのぞくと地元の高校生か中学生の団体のようです。快速線の上りホームに停車していましたが、どこまで行くのでしょうか。

 私の通っていた高校では、年1回神奈川県の湘南高校と運動部の定期交歓会があり、全校生徒が応援のため、大宮駅から臨時列車を仕立てて、藤沢駅まで遠征しました。車両はこのような贅沢な車両ではなく、165系急行電車でした。

 当時は上野駅と東京駅の間に、東北本線と東海道線を結ぶ連絡線があり、その線を通ったのも懐かしい思い出です。

2010年6月 9日 (水)

東船橋駅の表示

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 東船橋駅のホームの案内板です。普通、方面表示は近い順になると思いますが、ここのは、なぜか隣の駅がそれぞれ最後に表示されています。当たり前すぎて表示しなかったら、意外と間違える人が多かったということでしょうか。

 これと少し違いますが、高速道路の入り口の表示には注意が必要です。たとえば、東名の厚木インターなどは、「東京」と「名古屋」しか表示がありません。地元の人なら自分の行く方向がどちら方面か分かりますが、たまにしか利用しない人はこれでは役に立ちません。

2010年6月 8日 (火)

稲毛駅駅長交代

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 JR稲毛駅の駅長が交代し、その掲示が自動改札脇に出ていました。6月1日付けで、菊地駅長から村山駅長に代わったようです。JRでは駅長が代わると、その紹介をしているようです。親しみが持てる取組だと思います。

2010年6月 7日 (月)

ロングシートで眠る男

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 平成22年6月6日朝7時の総武線各駅停車三鷹行き電車内の映像です。 稲毛駅から乗り込むと前の席に男性が熟睡中でした。飲みすぎて酔っ払っている感じです。この電車は千葉駅始発ですが、その前からすでに何往復かしているはずです。かばんはしっかり抱えていますが、座席の下には彼のものと思われる帽子が落ちています。

 休日の朝で空いているので、皆横目で見ながら別の車両へと移っていきます。私は代々木まで約1時間乗車しましたが、結局この男性はそのときも寝たままでした。無事目的地に着けたのでしょうか。

 車内マナー上は許されない行為ですが、ここまで飲まなければならない事情があったのでしょうか。同情します。

 

2010年6月 6日 (日)

食べテツの男14

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 ニューデイズで見かけた新商品を紹介する食べテツの男コーナー、今回は「チーバくんチョコ餅」315円です。チーバくんは今年千葉県で開催される国体のイメージキャラクターです。これはその協賛商品のようで、パッケージの右上には財団法人日本体育協会の証紙が貼られています。肝心の商品はチョコがまぶしてあるぎゅうひ餅で、甘さおさえめの商品です。

 なお、このチーバくんは千葉県の形をしているらしいです。とすると、鼻のあたりは野田市付近でしょうか。

2010年6月 5日 (土)

食べテツの男13

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 ニューデイズで見かけた商品を紹介する食べテツの男コーナーです。今回は「ナポリタンロール」120円です。ロールパンの中にナポリタンが入っているだけの簡単なもので、前からあるような商品の気がしますが、新商品のラベルがしっかり貼られています。昔懐かしいナポリタンがぼそぼそしたロールパンに入っているレトロな味わいでした。

2010年6月 4日 (金)

出雲大社駅

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 昨日紹介した「RAILWAYS」は島根県の一畑電鉄をモデルにしています。その一畑電鉄の中心駅出雲大社駅の硬券入場券です。ただし、写真ではよく分かりませんが、通常の硬券よりちょっと薄くボール紙のような材質です。昭和60年と言う日付が入っていて、今から25年も前の切符です。

 ここから、出雲大社駅まではすぐで、縁結びの神様として知られています。私もお参りしたことがありますが、効き目はありませんでした。

2010年6月 3日 (木)

RAILWAYS

中井貴一主演の映画「RAILWAYS 49歳で電車運転士になった男の物語」です。私と同じ世代なので気になる映画です、会社の人からもこの映画を見たか聞かれました。その人は既にその映画を見ていて、映画のパンフレットを頂きました。

 ストーリーは、エリート社員の中井貴一が同僚の死や母親の病気などを契機に、子供の頃の夢である電車の運転士になることを決意し、実現する物語です。自分と重なる部分も多そうなので、早く見たいと思っています。

2010年6月 2日 (水)

食べテツの男12

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 ニューデイズで見かけた新商品「チャーシューエッグロール」150円です。薄いチャーシューが一枚と、玉子サラダ、パスタが入っています。チャーシューが中途半端にロールパンからはみ出ています。チャーシューとエッグの組み合わせの必然性もよくわかりませんが、玉子サラダはいい味を出しています。

2010年6月 1日 (火)

食べテツの男11

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 ニューデイズで見かけた新商品「チキンカツロール」170円です。2分の1にカットされたチキンカツが3つロールパンにはさまっていて、バターが塗られていてそれだけです。キャベツもありません。チキンカツは柔らかめで、甘いソースがきいています。シンプルでニューデイズらしい商品です。

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