ただいまの時間

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2010年2月

2010年2月28日 (日)

別府鉄道別府港駅

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昨日に続き別府鉄道の紹介です。別府鉄道は野口線と土山線の二つの線からなっており、その乗り換え駅がこの別府港駅です。この鉄道の中心駅でもあります。しかし、このような木造の寂しい駅です。日の丸が掲げられているのは、この写真が元日に撮られたからです。昭和59年のことです。鉄道ファンには盆も正月もありません。

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 土山線は1両のディーゼル機関車が1両の客車を牽くもので、こんな古典的な車両が運行されていたのです。車内はロングシート式で、窓も小さく、外がよく見えなかった記憶があります。午後4時頃撮影したので影が長く伸びています。

 この後、西明石駅から新幹線で新神戸駅まで行き、途中下車して牛肉弁当を買い、再び新幹線で東京に向いました。その際西明石から新神戸まで乗ったこだま404号の車内に定期券を忘れてしまいました。帰りの東京駅で申し出ると定期券は無事確保されており、後日赤羽駅まで取りに行きました。紛失した定期券は本来発行駅に戻るはずなのですが、定期入れの中に現金も入っていたので、返却駅が限定されていたようです。

 後日赤羽駅に取りに行った定期券は、小包のように厳重に梱包されていました。

2010年2月27日 (土)

別府鉄道野口駅

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 昭和59年1月に廃止された兵庫県の別府(べふ)鉄道の野口駅です。国鉄高砂線の野口駅と同じ駅です。一つのホームのそれぞれ片側を使用していました。国鉄と私鉄の乗換駅ですが、無人駅でした。

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車両はこのような1両のディーゼルカーです。廃線寸前なので塗装も精彩を欠きますが、乗っておいて良かったと思います。

2010年2月26日 (金)

さようなら魚沼線

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1984年3月31日、国鉄魚沼線の最終営業日の写真です。魚沼線は信越本線の来迎寺と西小千谷間を結んでいたローカル線です。朱色のディーゼルカーが国鉄を思い出させます。廃止される当日は混乱が予想されるので基本的には出向かないのですが、このときはちょうど自宅に帰る経路上にこの線があったので立ち寄りました。

私はこの線に乗った後、徒歩で西小千谷駅から信濃川にかかる橋を渡って上越線の小千谷駅まで向いました。宮脇俊三さんもその経路を取ったことが「時刻表2万キロ」に記述されています。

2010年2月25日 (木)

22年後の三保駅

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静岡県にあった国鉄清水港線の三保駅です。昭和59年1月1日に撮影しました。この線は1日1往復しか運転されず、朝の一番列車に乗るためには東京駅から新幹線に乗らないと行けませんでした。駅名票は手書きのようです。この3ヵ月後に廃線になりました。

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こちらはそれから22年後の平成16年2月に撮影した三保駅跡です。公園になっていました。当時の面影はまったくありませんでした。

2010年2月24日 (水)

東北新幹線

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 昭和58年2月、北海道旅行に帰りに乗った東北新幹線です。その前年6月に大宮-盛岡間で開業したばかりです。盛岡駅の様子で車両は200系です。当時はこの200系しかありませんでした。最高時速も210kmしか出さないので、盛岡駅を8時30分に出て大宮着は11時47分です。3時間17分もかかっています。

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いっぽうこちらはE2系で最高時速275kmです。同じ新幹線とは思えないほど洗練されています。

2010年2月23日 (火)

稚内駅

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 日本最北端の駅稚内駅です。初めて北海道に行った昭和58年に撮影しました。札幌発21時35分の夜行列車の急行利尻で朝6時22分に到着したときのものです。約9時間かかりました。まだ薄暗い時間帯です。

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 いっぽうこちらは平成21年2月に撮影したときのものです。札幌発8時30分のスーパー宗谷で13時28分に到着しました。所要時間は約5時間です。相当なスピードアップです。もちろん急行利尻は夜行で途中の時間調整もあるので、そのまま比較することはできません。

 所要時間の違いはありますが、昔も今も日本最北端を示す案内板は変わっていません。

2010年2月22日 (月)

上砂川駅

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 昭和58年2月撮影の上砂川駅です。函館本線の砂川駅から上砂川駅まで7.3kmの上砂川支線の終点駅です。この線区自体には名称がなく、日本国有鉄道線路名称上は名無し線となっています。

 駅舎を撮影しようとしたら、駅前の道路を馬そりが通りかかりました。北海道らしい光景です。観光用ではなく、地元の老人が「運転」していました。こういうものを利用している人が当時はまだいたようです。右側に停まっているスカイラインにも時代が感じられます。この駅は平成6年に廃止されました。

2010年2月21日 (日)

25年後の札沼線新十津川駅

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 1983年2月に撮影した札沼線の終点新十津川駅です。札幌発10時35分の列車でこの駅には13時21分に着きました。乗用車の形式の古さが時代を感じさせます。この後国鉄バスで滝川駅に抜けました。

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 こちらは2008年6月に訪れたときの写真です。駅舎の壁は塗り替えられていますが、駅舎の形自体は変わっていません。屋根に煙突が突き出ているのは北海道らしい姿です。同じく札幌駅から乗車しましたが、札幌発16時40分の列車でこの駅には18時56分着です。前回と所要時間が30分も違います。沿線の記憶はほとんど残っていませんでしたが、この駅の駅前からまっすぐに伸びる道にはわずかに記憶がありました。このときもバスで滝川駅に抜けました。バス会社は北海道中央バスでした。所要時間は13分です。

2010年2月20日 (土)

網走駅湧網線ホーム

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 網走駅湧網(ゆうもう)線用0番線ホームの写真です。0番線は1番線よりさらに内側にあるホームにつけられます。車両は1両編成のキハ22で、朱色の国鉄色に塗られています。昭和58年2月25日朝、急行大雪5号で網走駅に到着した後に撮影したものです。

 湧網線は網走駅から中湧別までオホーツク海沿いに走る線区です。季節によっては車窓から流氷を眺めることができます。私はそれを眺めたくてこの線に乗りに来ました。

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 一面流氷に埋め尽くされた海です。こういった車窓が高台を走る線路から眺めることができました。今の時代であればノロッコ号のような観光列車の1本でも走るはずですが、当時はそんなこともなく、1両の車両にほぼ満席の鉄道ファンの乗せての運行でした。

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 そんな湧網線も昭和62年3月、国鉄民営化の直前に廃線になりました。ここは旧卯原内(うばらない)駅付近の廃線跡で現在ではこのようなサイクリングロードが続いています。

2010年2月19日 (金)

音威子府駅

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 前回さくらやで買ったカメラで撮った写真をご紹介しましたが、今日もその続きです。宗谷本線の音威子府駅です。北海道の駅らしい屋根の形、大きな一枚板の手彫の駅名板、地面が見えないほど積もった雪、どれも北海道を実感させてくれます。初めての北海道で何を見ても新鮮な気持ちにさせてくれました。

 この駅には有名な駅そばの店があり、そのとき食べました。黒くて太いそばだったような記憶があります。写真を見ると、写っていないことまで思い出されてきます。

2010年2月18日 (木)

さくらやで買ったカメラ

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 カメラのさくらやが閉店することになりました。船橋にあるさくらやも最近ビックカメラに衣替えしました。私が初めて買ったカメラもさくらやで買いました。大学1年の冬、北海道に旅行するために新宿のさくらやまで行って買いました。ピントも巻き上げも手動のカメラでしたが、確か2万円くらいした記憶があります。今使っているカメラは7代目にあたりますが、やはり最初のカメラはいろいろ思い出があります。

 そのカメラを携えて、冬の北海道に乗り込みました。この写真は日本一の赤字線として知られた美幸線の仁宇布駅の写真です。昭和58年2月24日のことで、軒にはつららが下がっています。木製の駅名プレートも素朴です。当時はまだ地球温暖化も始まっていない時代で、もこもこのダウンジャケットで渡道しました。

 当時は国鉄の赤字ローカル線の廃止が決定した時期で、どのローカル線に乗っても、必ず乗りテツがいたものでした。この写真にもそれらしき人が写っています。

 

2010年2月17日 (水)

NHKブラタモリで紹介された銀座の地下鉄入り口

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 東京メトロ銀座駅の入り口です。今にしてはずいぶん狭い入り口で上に屋根もついていないので、この日のような雨の日は人の流れがスムーズにいきません。

 この出入り口は、NHKの「ブラタモリ」というタモリの街歩き番組でやっていたので、確認に来ました。ご覧のように地下鉄の出入り口と車道との間に微妙は空間が開いています。当初地下鉄の出入り口ができたときは、歩道の端いっぱいに出入り口があったのですが、都電廃止に伴い、歩道が拡幅されて出入り口の脇に中途半端なスペースが開いたらしいのです。

 都電が廃止されて40年は経つので、歩道の部分に痕跡を見ることはできませんが、こういうところにも歴史は隠されているのです。

2010年2月16日 (火)

500系のぞみ2

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 当日の人ごみはこんな感じです。列車到着直後はまともな写真は撮れません。男性の含有率が99%です。年齢層は10代、20代が中心ですが、わたしのようなものも結構います。鉄道ファンのパワーにはいつもながら感心します。この力をもっと別の分野にも振り向けられないのでしょうか(自戒も含んでいます)。

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 ホームには柵がありますが、みんなで寄りかかったら崩れ落ちるかもしれません。

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 18番線ホームにある十河信二元国鉄総裁のレリーフも踏み台にされています。どんな思いで見守っているのでしょうか。

2010年2月15日 (月)

500系のぞみ

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 500系のぞみが今月28日で東海道新幹線から引退するので、最後の写真を撮りに、東京駅まで行きました。2月13日、ちょうど12時頃です。時折り雪が舞い散る非常に寒い日でしたが、多くのカメラマンが既に待機していました。

 この500系は1日1本しか東京駅に入線しません。12時13分にのぞみ6号として17番線に入線し、12時30分にのぞみ29号として折り返していきます。わずか17分しか東京駅に滞在しないわけです。17番線に入線するのですが、私は18番線側で待機しました。反対側のほうが広い角度で写真が撮れるからです。

 ロケットのような車体でスタイル抜群で、N700系などと比べると雲泥の差です。これが見納めになるとはちょっと残念ですが、栄枯盛衰、仕方ありません。

2010年2月14日 (日)

心の旅、サボテンの花・チューリップ

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 昨日、西鉄宮地岳線の花見駅についてご紹介しましたが、今回はその宮地岳線線の廃線を免れた区間=貝塚線の車内で放送されているメロディーのご紹介です。

 貝塚駅到着時・花園前駅到着時にはチューリップの「 」が、西鉄新宮駅到着時・花園前駅到着時には「 」が放送されるのです。チューリップは福岡の出身なのです。

 オルゴールの曲でどこか哀愁が漂っていますが、通勤時、こんなノスタルジックな曲が聴ける福岡の人がうらやましいです。

(曲名をクリックすると音楽が流れます)

2010年2月13日 (土)

東へ西へ・井上陽水

 昨日、嵐山光三郎さんの「新廃線紀行」をご紹介しましたが、その中で西鉄宮地岳線が取りあげられていました。西鉄宮地岳線は2007年に一部区間が廃止されたのですが、その中に「花見駅」という駅がありました。その「花見駅」が実は井上陽水の「東へ西へ」の中に登場していたのです。1972年にリリースされた陽水Ⅱセンチメンタルというアルバムの中に収録されています。

 「♪花見の駅で待ってる君にやっと思いで逢えた」という歌詞です。私は今まで「花見の駅」とは花見客でにぎわう駅という一般的な名称かと思っていましたが、実は固有名詞だったのです。今までまったく気付きませんでした。

 この曲には、「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ」とか「電車は今日もすし詰め、延びる線路が拍車をかける」など、いかにも陽水らしい詞があふれているので、「花見の駅」も実在しないものだと勝手に理解していました。井上陽水の世界は奥が深いです。

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(宮地岳線車内の中吊り広告、西鉄バスのイメージソングCDの宣伝でした)

 

2010年2月12日 (金)

新廃線紀行・嵐山光三郎

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 嵐山光三郎さんの「新廃線紀行」です。北は北海道ちほく高原鉄道から南は鹿児島県鹿児島交通まで22の廃線を巡る紀行文です。取り上げられた路線はここ数年に廃止されたものから40年以上前のものまで様々で、私も乗らずに廃線になったものも9つありました。

 嵐山さんの紀行文の特長は、鉄道そのものを取り上げるだけでなく、食べ物や温泉、旅館などもあわせて伝えてくれるので、旅全体のイメージがよく伝わってきます。また、地元の人との会話や同行の編集者たちとのやり取りも楽しいです。

 宮脇俊三さんの死去後、本格的な鉄道エッセイを書く人がおらず、寂しい思いをしてきましたが、この本はそれを幾分か慰めてくれるものです。ただ、嵐山さんは鉄道ファンではないので、記述の中でディーゼルカーを電車といったりしているのはご愛嬌です。

 単に鉄道廃線跡を巡る旅行記ではなく、時代を見つめさせてくれる好著です。皆さんもぜぜひご一読ください。

2010年2月11日 (木)

武蔵野線まるごと探見

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 武蔵野線の解説本「武蔵野線まるごと探見」です。書店で見かけて面白そうだったので買い求めました。武蔵野線の各駅の様子や歴史が紹介されています。貨物主体で計画された武蔵野線が、旅客輸送で発展してきた様子が記述されています。私は学生時代4年間、会社に勤めてから8年間お世話になりました。学生時代は今から30年近く前の話で、当時は1時間に1本しか運転されない時間帯もあり、乗るのに苦労しましたのも昔語りになりました。武蔵野線利用者必見の書です。

2010年2月10日 (水)

水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン

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 水戸岡鋭治さんは、JR九州の列車デザインを手がけている方です。JR九州の車両はどれも非常に個性的で独特の色使いをしていますが、それらはすべて水戸岡さんの手になるものです。乗ることにわくわくする車両ばかりです。

 そんな水戸岡さんの鉄道デザインの真髄が語られているのがこの本です。その中で印象に残ったのが、鉄道のライバルは、自動車や航空機ではなく、リゾートホテルだという部分です。列車の窓から移りゆく景色を取り入れることによって、リゾートホテルを上回る空間を演出できるというのです。

 私の旅はまさに景色を眺める旅で、移り行く見知らぬ景色を眺めているだけで退屈しません。その空間をリゾートホテルのようにしてくれるので、私はわざわざ九州まで出かけていって、わくわくする思いでそれらの車両に乗車するのです。他の鉄道会社ではわざわざ乗りたくなるような車両はめったにありませんが、JR九州にはそれがたくさんあります。

 水戸岡さんのデザインとそれを採用したJR九州、この二者の協力がなくして、水戸岡車両は生まれません。これからも新しい車両をどんどん世に送り出していただきたいと思います。

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2010年2月 9日 (火)

東京スカイツリー

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 東武業平橋駅のすぐ隣で、「東京スカイツリー」の工事が行われています。この写真は業平橋駅のホームから撮りました。ホームはちょっとした撮影スポットになっていました。平成22年1月31日で281mの高さでしたが、最終的に634mになるようです。まだ半分に満たない状況ですが、それでも相当高いです。完成したらどんな眺めになるのでしょうか。

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 ホームの南側はかつて東武鉄道の本社があったところです。古めかしい歴史を感じさせる建物でしたが、今は解体されて更地になっていました。ここに再び本社ができるのでしょうか。

 

2010年2月 8日 (月)

東武博物館4

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 東武博物館の展示車両で、デラックスロマンスカーの1代前の特急車がこの5700系です。1951年のデビューで湘南型の前面スタイルです。銀色三本の帯が猫のひげに見えるので「ネコひげ」の愛称もあったそうです。ヘッドマークは取り外し式でなく、最初から「けごん」の愛称が取り付けられています。

 車内は転換クロスシートで、白い座席カバーが清楚で落ち着いた感じを醸し出していて、素敵です。

2010年2月 7日 (日)

東武博物館3

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 東武博物館にはウオッチングプロムナードという面白いスポットがあります。窓ガラス越しに線路が見えるのです。この博物館は高架下にあり、ちょうどホームの下の位置から、線路や台車の様子を見ることができます。線路マニアや台車マニアにはたまらない場所でしょう。

 この駅の時刻表が脇に掲示されているので、あとどれくらい待てば電車がくるか分かるようになっているのもありがたいです。ただし、平日の時刻表しか掲示されていないので、日曜日に行った私には役に立ちませんでした。

2010年2月 6日 (土)

東武博物館2

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 東武博物館の展示車両の中でもう一つ気になる車両があります。日光軌道と呼ばれるこの車両です。日光にもかつて路面電車が走っていたのです。日光駅前からいろは坂の下あたりまで、約10kmの距離で運行されていましたが、1968年に廃止されました。

 連接台車式の2両編成でユーモラスの顔つきです。内装もウッディ感覚にあふれています。今でも走っていたらいいのにと思います。

2010年2月 5日 (金)

東武博物館

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 東向島駅高架下にある「東武博物館」に来ました。東武鉄道の歴代の名車が展示されています。展示車両はバラエティに富んでいて、蒸気機関車、電気機関車、貨物列車はもちろん、ロープウェイやバスなどもあります。

 そのなかで私が一番気に入っているのが、この写真の車両です。東武の特急車両で1720系デラックスロマンスカーです。日光行き特急として昭和35年のデビューで当時流行っていたボンネット型車両です。デラックスという言葉も昭和を感じさせます。

 車内にはジュークボックスなども設置されていたようで、当時としては時代の先端を行っていたわけです。鉄道車両でジュークボックスが針飛びもせず、演奏できたとは信じがたい気もしますが。

 それはともかく、せっかくの車両も半分にカットされて展示されているのは残念です。

 

2010年2月 4日 (木)

亀戸天神と亀戸水神は違います

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 亀戸駅から東武亀戸線に乗りました。曳舟まで3.4km、途中駅は亀戸水神、東あずま、小村井の3つです。曳舟駅に着くと、乗り換え通路にこのような表示がありました。

 亀戸天神に行こうとして、車内放送につられて亀戸水神駅で下車してしまう人が多いのでしょう。私はこういう注意喚起のポスターが大好きです。間違える人が多いから、このような表示があるわけで、人間臭さを感じさせてくれます。

2010年2月 3日 (水)

東武亀戸駅

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 東武亀戸駅です。ここに来るのは26年ぶりです。沿線や駅の様子などまったく記憶がありませんでした。1面2線のホームで2両編成の列車が停車しています。いつの間にかワンマン運転が実施されているようです。

 ホームはこのようにスロープになっていて、そのまま階段なしで街中につながっています。右側には車椅子用のスロープがあるところからすると、かつては階段があったのでしょうが、その階段もスロープ化され、車椅子用通路は意味を成さなくなってしまったようです。駅に歴史ありという感じです。

2010年2月 2日 (火)

亀戸駅ひな人形

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 先日船橋駅でひな人形を見かけましたが、1月31日(日)亀戸駅でも同じものを見かけました。どうやら「かつうらひな祭り号」という列車が運行されるので、その販促用のひな人形でした。

 2月20日から3月3日までの間、勝浦市内では市内随所に約30000体のひな人形が飾られるイベントが開かれるようです。そのための臨時特急が運行されるので千葉支社管内の駅では多くの駅でこれがあるのかもしれません。ちなみに地元の稲毛駅では見かけませんでした。

2010年2月 1日 (月)

鳩山首相、中央線特急に乗る

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 平成22年1月30日の鳩山首相の行動です。新宿駅12時ちょうど発のスーパーあずさ15号で甲府に向いました。この列車はグリーン車が1両しか連結されていないので、一般客と一緒に乗車したようです。乗り合わせた客はラッキーでした。サインか、せめて握手でもお願いできたのでしょうか。列車だと一般客と至近距離になるはずですが、それでも車より列車のほうが、時間も正確で、警備もしやすいのでしょう。甲府駅着は13時29分となっているので、定刻より1分遅れのようです。

 その後甲府市周辺でスケジュールをこなした後。石和温泉発19時01分発のかいじ122号で新宿の戻りました。この列車はグリーン車が半室分しかないので貸し切りにしたのでしょうか。車内では駅弁やビールでも楽しんだのでしょうか。鉄道には食事は欠かせません。

 新宿着は定刻でした。中央線はよく人身事故で遅れが発生しますが、この日は大丈夫だったようです。首相の乗った列車でも、先日新幹線の架線事故のように数時間も車内に缶詰になることがあったかもしれません。

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