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2009年12月

2009年12月31日 (木)

2009年を振り返って

200902hokkaido_018_small  2009年も残すところ1日、1年間お付き合いいただきましてありがとうございました。

 今年1年の鉄道界は新線開業が、阪神なんば線、門司港レトロ観光線、富山市内電車環状線の3つと少なく、そのうち富山市内電車は乗車を来年に持ち越すことになるなど、新線開業については恵まれない年でしたが、一方レアな乗りものに関しては、池島炭鉱の斜鉱人車、瀞流荘トロッコ、飛鳥山公園スロープカーなど充実していました。

 また、国鉄時代には国鉄全線完乗を果たしていましたが、JR移行後に今度はJR全線完乗を果たすこともできました。来年は東北新幹線が八戸から新青森まで延長されるので、その際は速攻で乗車したいと思っています。

 いずれにしても、線路は続くよどこまでも、終わりのない趣味の道は続きます。

(写真は今年1番人気があった急行はまなすのカーペットカーです)

2009年12月30日 (水)

走れ!ケー100

 昭和48年に放映されていたテレビ番組「走れ!ケー100」です。蒸気機関車の形をした水陸両用車ケー100で、大野しげひさ演じる主人公が全国を旅する道中記です。

 元は北海道の炭鉱で働いていた小型の機関車という設定で、鹿児島のスクラップ工場でよみがえり、ゴムタイヤに付け替えられ、現役当時の機関士に会いに行くというストーリーです。当然行く先々でいろいろな出来事が待ち受けています。

 ゴムタイヤなので道路を走るのはもとより、階段を上ったり、海の上を走行したりします。また自分自身でも意思を持っていて、主人公の思惑と別の単独行動に出たりもします。

 今こうやってネットで画像が見られるとはとても便利な時代になったものです。『発車オーライ! 走れ!ケー100』というホームページまでありました。

2009年12月29日 (火)

イオン越谷レイクタウン

イオン越谷レイクタウン
イオン越谷レイクタウンで見かけた店内遊覧用のミニSLです。ショッピングセンター内を子供を乗せてゆっくり走ります。線路があるわけではなく、ゴムタイヤの車両なので、鉄道の範疇には属さないので私の乗車対象にはなっていません。子供には人気があって順番待ちになっていました。

2009年12月28日 (月)

星飛雄馬はグリーン車で甲子園に行った

 巨人の星で青雲高校が甲子園に出発するときの東京駅でのシーンです。ホームのはずれで飛雄馬の父一徹が、飛雄馬に向かい勝利のVサインを送る感動的なシーンです。

 ところがこのシーンにはいくつか不可解な点があります。まず当初のホームのシーンでは列車は17番線にいるのですが、一徹がVサインを送るのは18番線です。また、飛雄馬を乗せた新幹線は新大阪に向って右側のホームを発車するのですが、姉明子が見送るシーンでは左側のホームになっています。

 そして一番解せないのが車内の様子です。新大阪に向って左側の席が二人掛けになっているのです。普通車は新大阪に向って左側が三人掛けですから、この車両はグリーン車のはずです。高校生がグリーン車で移動したのでしょうか。座席の色もゴールデンイエローなのでグリーン車に違いありません。当時の普通車はブルーとグレーの生地でした(この新幹線の座席のグレーの生地が後のシルバーシートに転用されたという俗説があります)。青雲高校は東京のブルジョア(この言葉も死語ですね)学校なので、グリーン車で移動したのでしょう。

 そのように贅沢に甲子園に移動したのですが、決勝戦で花形満率いる神奈川の紅洋高校に破れ、帰りは普通列車の夜行で帰ってくることになりました。悲喜こもごもです。

(その他にも新幹線のまくらぎが木だったり、ホームの発車案内板の時刻と実際の時刻がくい違っていたり、短いシーンの中でも我々がチェックすると結構いい加減なところがあります。作者も何十年か後にネットでこんな指摘を受けるとは思ってもいなかったでしょうm(__)m)

 

2009年12月27日 (日)

新幹線公安官

 西郷輝彦主演の刑事ドラマ「新幹線公安官」です。東海道・山陽新幹線に乗務する鉄道公安職員が車内で起こる数々の事件を解決していく刑事ドラマです。1977年から78年にかけて放映されていました。

 現在の鉄道警察隊は各都道府県警察本部の傘下にありますが、当時の国鉄では、国鉄自体に中に警察組織がありました。つまり鉄道公安職員は国鉄職員だったのです。そういった人々の活躍を描くドラマでした。

 スピード感あふれる内容で、0系新幹線の姿も美しいです。鉄道が前面に取り入れられていて、私にとってはとても楽しい番組でした。

 

2009年12月26日 (土)

新幹線大爆破

 高倉健主演の映画「新幹線大爆破」です。1975年の映画で新幹線が博多まで延長された直後の時期です。

 高倉健が演じる犯人は、列車の速度が80km/hを下回ると爆破する特殊な爆弾を新幹線に仕掛け、身代金を要求します。停車できずに途中駅を通過するため、車内は大パニックになります。

 犯人追跡と爆弾発見、早く見つけないと新幹線が終点までついてしまい列車が停止せざるを得なくなるという極限状態のなか、警察と国鉄当局の対立。

 ようやく犯人に身代金を引渡し、爆弾の解除方法が指示された図面のありかを教えてもらいますが、その図面が保管されている喫茶店が不慮の火災に会い、図面もろとも燃えてしまいます。いったいどうなってしまうのかと手に汗握ります。

 キャストは他に宇津井健、丹波哲郎、千葉真一、渡辺文雄、志穂美悦子など豪華メンバーです。皆様も機会があればぜひ一度ご覧ください。

2009年12月25日 (金)

消息・松任谷由実

 松任谷由実の「消息」です。PEARL PIERCE というアルバムに入っている曲です。

向かい側のホームに別れた彼がいるのに気付くが、声をかけられずに電車に乗り込み、二人の距離が再び離れてしまうと内容の歌詞です。竹内まりやの「駅」と同じようなシーンです。駅は出会いと別れの場です。アーティストはそのシーンをうまく切り取り、詞や曲につなげます。

 「私の背中を発車の笛が押した」という歌詞は、車掌の無粋な発車合図の笛を感じさせないきれいな詞に仕上がっています。鉄道の味わいを音楽で表現したすばらしい作品だと思います。

2009年12月24日 (木)

クリスマスイブ・山下達郎

 JR東海のクリスマスエクスプレスのCMです。今から20年くらい前のものです。曲は定番の山下達郎の「クリスマスイブ」です。当時、国鉄が民営化された直後だったこともあり、今までにない斬新なCMが放送されていました。それまでは鉄道が舞台になるおしゃれなCMなどありませんでした。

 2階建新幹線100系も活躍の場を広げていた時代で、CMにもしっかり登場します。20年経っても色あせないいいCMです。

 

2009年12月23日 (水)

MY HOME TOWN・小田和正

 小田和正の「MY HOME TOWN」です。これは小田の実体験なのか詞の中の世界なのか分かりませんが、「できたばかりの根岸線で君に出会」い、通学途中の電車がくるまでの短いのデート、小田の歌唱力が場面を引き立てます。

 根岸線は1964年5月桜木町~磯子間が開業しました。小田が17歳のときです。根岸線の山手駅が最寄り駅になった聖光学園高校に通う小田にとって、高校時代の大きな出来事だったでしょう。

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 ただ、小田の通学経路がどうだったかは気になります。京急の金沢文庫駅近くの薬局の息子である小田少年は、どこで京急から国鉄に乗り換えたのでしょうか。京急と国鉄の乗換駅は横浜駅しかありませんから、わざわざ横浜まで出たのでしょうか。あるいは根岸線は利用していなかったのでしょうか。

 しかしそれはどうでもいいことです。とても昭和の思い出を歌った歌とは思えない普遍性があります。名曲とはそういうものです。

2009年12月22日 (火)

タワー・サイド・メモリー 松任谷由実

 松任谷由実の「タワー・サイド・メモリー」です。これも昨日紹介した「ビュッフェにて」と同じアルバムに入っている曲です。神戸の街「ポートアイランド」での出会いと別れを歌った曲です。

 この曲に出てくる「最終モノレール」は厳密に言うとモノレールではなく、「案内式軌条」です。「最終案内式軌条」では歌になりません。もちろんポートライナーのことで、ポートピア開業に備えて開業した新交通システムの走りです。そういえば、ポートピアの主題歌はゴダイゴが歌っていました。

 松任谷由実にかかると、モノレールも「東の空を流れ」るステキな乗りものになります。未来都市ポートアイランドによくマッチした曲です。

2009年12月21日 (月)

ビュッフェにて・松任谷由実

 松任谷由実の「ビュッフェにて」です。昨晩お会いしましょうというアルバムに入っている曲です。このアルバムが発売されたのは1982年で、「ビュッフェ」となっていますが、ビュッフェは立食形式ですから、曲の雰囲気からしておそらく食堂車という意味でしょう。

 女友達と失恋を癒す旅に出た女性が主人公で、遠くを流れていく山の景色を見ながら食堂車で紅茶を飲み、別れた彼への捨てきれない気持ちをつづったものです。「食堂車にて」では曲になりません。この曲に出てくる城下町とは金沢のようです。

 現在は食堂車の連結されているのは、北斗星、トワイライトエクスプレス、カシオペアしかありませんが、当時は新幹線をはじめ、在来線の長距離列車にはたいてい連結されていました。私が初めて食堂車を利用したのは1983年2月21日の北斗3号で、大沼公園あたりの雪景色を眺めながら朝食をとりました。のんびりした旅が楽しめたいい時代でした。

 100系新幹線の2階席の食堂車や北斗星、トワイライトエクスプレスなどの食堂車も利用したことがあります。朝食でも1500円くらいするなど料金が高めで、その割りに味や応対が今ひとつなのですが、今となっては希少価値もあり、利用してよかったと思います。ゆったりとした旅が楽しめる食堂車が末永く活躍することを期待します。

 

2009年12月20日 (日)

木綿のハンカチーフ・太田裕美

 太田裕美の「木綿のハンカチーフ」です。1976年のヒット曲です。

 「♪恋人よ、僕は旅立つ。東へと向う列車で〜」。この曲も赤いスイートピーやさらばシベリア鉄道と同じ松本隆の作詞です。鉄道系のヒット作が多いようです。

 東へと向う列車ってどの列車でしょう。新大阪発なのか、博多発なのか、札幌発か、日いずる方角へ向う列車は夢膨らみます。

 しかしこの歌は太田裕美の明るい歌声とは正反対に、都会へ旅立った彼が(新しい彼女ができたのか)都会に染まってしまい、その結果彼女が涙をふく木綿のハンカチーフをねだる悲しい歌です。

2009年12月19日 (土)

駅・竹内まりや

 竹内まりやの「駅」です。1987年の曲です。

 駅で突然見かけたモトカレに声をかけたくなるが、過去の思い出がこみ上げてきて、声をかけられず、遠くから見守る女性の気持ちを歌ったものです。

 「♪ひとつ隣の車両に乗り、うつむく横顔見ていたら」この表現は同じ車両に乗りたくても乗れない気持ちがうまく表現されています。詩人です。曲調も心の高ぶりにあわせてだんだん力強くなっていきます。

 駅は出会いの場です。このような情景は意外とよくあるかもしれません。そしてラッシュの人ごみに紛れて見えなくなってしまします。いいエンディングです。

2009年12月18日 (金)

遠くで汽笛を聞きながら・アリス

 アリスの1976年のヒット曲「遠くで汽笛を聞きながら」です。

 遠くから聞こえる汽笛はふるさとにつながっているのでしょう。「何もいいことがなかったこの町で」、ふるさとを思いながら生きていくしかない男の人生が浮かんできます。

 電気機関車でも汽笛はなりますが、こういうシーンではやはり蒸気機関車の汽笛でないとイメージがふくらみません。人間の息遣いが感じられます。

 

2009年12月17日 (木)

ホームにて・中島みゆき

 中島みゆきの「ホームにて」です。シングル「わかれうた」のB面で1977年の曲です。

 駅長のやさしい声に振り返ると、ふるさと行きの列車はドアが閉まりかけていて、ドアをたたくけれども、結局乗れず、ふるさと行きの乗車券がたまっていくというなんとも不思議な内容の歌詞です。帰りたいけど帰れないふるさとへの思いを綴った歌なのでしょう。ゆったりとしたメロディーが切なさをかきたてます。

 JR東日本では今冬、1000円高速に対抗して「ふるさと行きの乗車券」という名の帰省者向け切符を発売しますが、この曲にも「ふるさと行きの乗車券」というフレーズが出てきます。もちろん、この歌が元祖です。

 それにしても鉄道は味わいがあります。「1000円高速」と「ふるさと行きの乗車券」の言葉を比べてみても、それは一目瞭然でしょう。歌と一体となってノスタルジーを感じさせます。鉄道っていいですね。

2009年12月16日 (水)

銀河鉄道999・ゴダイゴ

 ゴダイゴのヒット曲「銀河鉄道999」です。今から30年くらい前、私が高校生の頃の曲です。松本零士原作の漫画を映画化する際に作られたのがこの曲です。永遠の命を手に入れるべく、宇宙空間を走る列車「銀河鉄道999号」に乗り込んだ星野鉄郎少年の旅の物語です。

 この曲もその映画とともに大ヒットしました。ゴダイゴは当時、ガンダーラ、モンキーマジック、ビューティフルネームなどのヒット曲を出していてまさに全盛期でした。

 リードボーカルのタケカワユキヒデは私の出身高校の先輩なので、高校在学中に先輩が次々とヒット曲を飛ばすのをうれしく思っていました。

 また、ゴダイゴの歌は英語の歌詞も多いので、英語の勉強にもなりました。

2009年12月15日 (火)

バスストップ・平浩二

 平浩二の「バスストップ」です。鉄道の歌が続いたので、今日はバスの歌にしました。バス停で最後の別れをする女性の気持ちを歌った歌で、「逃避行」と同じく千家和也の作詞です。

 バス停では何の風情もありませんが、バスストップならば情緒が出てきます。曲調はいかにも昭和のムード歌謡と言った感じで、たまにカラオケでこんな曲を歌ってみるのも悪くはありません。

2009年12月14日 (月)

逃避行・麻生よう子

麻生よう子の「逃避行」です。1974年の曲です。

男性と駆け落ち(←この言葉も古いですね)するため駅に朝5時に来たのに肝心の男性は現れず、何台も汽車を見送ったけれども結局一人旅立つことになった女性の気持ちを歌っています。この頃はまだ「汽車」という言葉が歌詞の中にもよく登場します。ノスタルジックな雰囲気にさせてくれるいい言葉です。

2009年12月13日 (日)

喝采・ちあきなおみ

 ちあきなおみが歌う「喝采」です。1972年に日本レコード大賞を受賞した曲です。別れた恋人の訃報を受け取りぼう然とするが、再びステージに立ち、恋の歌を歌う女性の気持ちを歌ったものです。

 それと同時に気になるのが、「動き始めた汽車にひとり飛び乗った」という歌詞です。今の時代では考えられませんが、ドアが手動の列車もあったので、動き始めた汽車に飛び乗ることも不可能ではなかったのです。昭和の懐かしい鉄道の情景が浮かびます。

2009年12月12日 (土)

シンデレラエクスプレス・松任谷由実

 松任谷由実の「シンデレラエクスプレス」です。以前、マイペースの「東京」を遠距離恋愛の走りの歌だと紹介しましたが、それの全盛期の時代がこの曲でしょう。前回は大垣夜行が舞台になっているのではないかと言いましたが、この曲の舞台は新幹線です。

 歌の主題は、遠距離恋愛だけれども必ず結ばれると信じる女性の健気で力強い気持ちです。列車のドアの閉まる音を「ため息ついてドアが閉まる」と表現するのはさすがに詩人です。

 この曲は流行ったのは今から20年位前で、日本全体も景気がよく、若者も今よりも贅沢な暮らしをしていました。人の行き来も活発で、東海道新幹線も将来客をさばききれなくなるとして、品川駅新設が持ち上がりました。

 今や世の中の景気も当時とは正反対ですが、それとともに音楽と時代とのつながりがなくなったような気がします。

2009年12月11日 (金)

雨のステイション・松任谷由実

 荒井由実の「雨のステイション」です。コバルトアワーというLPの中の曲で、卒業写真やルージュの伝言などの曲も入っています。

 この駅は青梅線の西立川駅がモデルになっています。別れた恋人に会える気がして、駅で待ち続ける歌です。西立川駅の駅の発車メロディーにはこの曲が使われています。また駅前にはこの曲の記念碑もあります。

 現在は昭和記念公園の玄関駅ですが、この曲の当時はまだ米軍の立川基地があった時代のようです。

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2009年12月10日 (木)

長崎県島巡りの旅27(京成成田行き)

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 羽田空港からは京浜急行で品川に出て、品川から総武線で稲毛に戻ろうと考えていた。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯なので、総武線はグリーン車に乗るつもりだった。

 ところが羽田空港駅に着くと、京成成田行きが停まっていた。このまま京成線に直通する車両だ。車内には空席が十分ある。座れるなら、このままこの車両で京成津田沼まで行って、京成稲毛駅経由で帰ろうという気になった。携帯電話で調べると、これで行っても、品川で総武線に乗り換えても、所要時間は10分しか違わない。品川で乗り換えるのと、京成津田沼で乗り換えるのとでは、乗り換えの便利さが格段に違う。京成津田沼は同じホームの反対側に移るだけで済むのだ。

 というわけで、京急、都営地下鉄、京成線と乗り進み、京成稲毛駅には19時42分に着いた。座り詰めで結構疲れたもののグリーン料金も払わずに済み、乗り換えも楽だった。

 今回の旅行はいろいろな乗り物に乗れて、興味深かった。筆頭は池島トロッコだが、ジェット機3回、プロペラ機1回、フェリー3回、鉄道2回、渡海船2回、ジェットフォイル1回、ジャンボタクシー1回、空港リムジンバス2回、路線バス2回だ。テツ旅日記ではなくなってきたかも・・・

2009年12月 9日 (水)

長崎県島巡りの旅26(JAL330便)

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 ボンバルディア機を無事乗り終えて、羽田に向う。今回の旅行では4回目の飛行機だ。テツ旅日記の割りに鉄道より飛行機の登場回数のほうが多い。

 今度乗るのは福岡空港発16時20分のJAL330便でボーイング777-200だ。この便にもJALの株主優待で乗るので半額だ。

 今回はクラスJが予約できた。鉄道でいうところのグリーン席で、シートの幅、前後の間隔とも普通席とは雲泥の差だ。しかもわずか1000円上乗せするだけでよい。

 離陸し、シートベルト着用サインが消えると、キャビンアテンダントがドリンクのサービスにやってきた。乗客名簿から名前が分かっているのか、「ミスターKさま、いつもありがとうございます」とわざわざ名前を呼んでくれるのだ。過去にも何度もクラスJに乗っているがこんなことは今回が初めてだ。また、クラスJの客にはドリンク以外にお菓子が付いている。今回はおかきだった。

 17時55分、羽田空港着。機内のアナウンスではいつも必ず「東京国際空港、羽田」と伝えている。

 

2009年12月 8日 (火)

長崎県島巡りの旅25(ボンバルディア機)

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 五島市内散策を終え、五島福江空港に行く。空港連絡バスは結局私以外の人は誰も乗らなかった。

 五島福江空港からはオリエンタルエアーブリッジの36便で福岡空港に向う。乗る飛行機は事故が多くて有名はボンバルディア社の飛行機で機種はDHC8というプロペラ機だ。

 ボーディングブリッジなど元からない空港で、空港の敷地を自分で歩いて飛行機に乗り込む仕組みになっている。

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 もう1機ボーイングの737-500も停まっていた。こんな近くで見られるもの地方空港ならではだ。

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 機内は通路をはさんで両側に2人掛けがならぶタイプで定員は39名、観光バスのようだ。

 定刻の5分前には全員搭乗が完了した。おとといの羽田空港で30分も待ったとは雲泥の差だ。全員が乗り込むと定刻前だが離陸準備に入った。プロペラ機の割りに意外と加速よく、ジェット機と変わらない感じで離陸していった。

 機体が小さいせいか上空では小刻みに結構揺れて不安になる。今日は小雨模様なので気流の関係もあるかもしれない。

 しかし不安もつかの間、福岡までは距離が短いので35分で到着する。ジェット機だと自分の重さで高度を自然とさげていくような感じがするが、この飛行機は軽いせいか、頭から突っ込むような感じで着陸していく。しかし何事もなく着陸。

 今回の旅行で3回目の福岡空港に到着。タラップを降りて、またまた空港の敷地を自分で歩いてターミナルビルに向った。

 

2009年12月 7日 (月)

長崎県島巡りの旅24(福江島市内散策)

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 五島列島の福江島は五島市の中心の島だ。城下町でもあり、隠れキリシタンの里でもある。あいにくの小雨模様だが市内を散策してみようと思う。

 まずフェリーターミナルから10分ほど歩いたところにある城跡に行く。かつては三方が海に面した海城だったらしいが、現在は周辺が埋め立てられ、その面影はない。

 そのお城の敷地に一部が五島高校になっていた。見事な石垣や門構えがあり、こんな環境で勉強できるが生徒は幸せだ。学校の入り口で写真を撮っていると中から出てきた先生が「こんにちは」と私に声をかける。不審者と思われたのだろうか。2009_973_small

 高校から5分ほど歩いたところには武家屋敷跡がある。かまぼこ型の石垣が特徴的だ。

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最後は五島観光歴史資料館に行く。お城を模した建物で、先ほどの五島高校と同じく城跡内にある。福江島は遣唐使船の日本側の最後の港で、一行はここから先は東シナ海を10日ほど航海して唐に至った。遣唐使の初期の時代は朝鮮半島の海岸伝いに進む北路だったが、朝鮮半島との関係が悪化したので、南東路と呼ばれる福江島経由の航路が利用されるようになったらしい。そういえば日本史の教科書にもそんなことが書いてあった。空海や最澄もここから中国に旅立った。

 資料が充実していて、見学に1時間以上かかった。その間に小学校の生徒も見学に来てにぎやかだった。

2009年12月 6日 (日)

長崎県島巡りの旅23(ジェットフォイル)

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 元船遊歩道を見学した後はジェットフォイルで五島列島の福江島に向う。ジェットフォイルの乗り場は遊歩道からは2分ほどの距離だ。

 フェリーターミナルは新しくきれいな建物で福江島行以外にもいくつかの航路の発着点となっている。今日は月曜の朝で出張の客が多いのかスーツ姿の人が目立ち、ごった返していいる。想定外だ。予約しなくても十分乗れると高をくくっていたのだが、チケット売り場に行列を見て急に心配になったが、無事チケットをゲット。頼みもしないのに領収証まで出してくれた。高速船なので料金は6,630円と結構高い。

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 長崎発7時45分、私は前から2列目の席だ。運が良い。ただし、これから雨が予想される天気なので外はあまりよく見えない。

 出航してからはしばらくは湾内をゆっくり走る。長崎湾をまたぐ橋をくぐるあたりからスピードをあげ、浮上走行を開始した。車内にスピードメーターが設置され、時速は80kmをコンスタントに維持している。昨日浅茅湾の渡海船で東シナ海に出たときは大揺れになったのだが、海が凪いでいるのか、それともこの船の性能なのか、揺れはほとんど感じない。

 前方に五島列島の島影が見えてきて、9時5分福江島着。携帯電話を操作し、「ケータイ国盗り合戦」の五島の領地を獲得。今回の旅の領地獲得はこれで終了だ。

2009年12月 5日 (土)

長崎県島巡りの旅22(元船遊歩道)

 かもめ43号で長崎に着いたのが20時25分。今夜のホテルは「アパホテル長崎駅南店」だ。駅からは徒歩7分くらいの距離でちょっと歩くのだが、明日乗る五島列島行きジェットフォイルの乗り場には近い。

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 ホテルに行くには路面電車が通る表通りより一本海側の道を行ったほうが便利だ。薄暗く街灯も少ないその道を歩いていると、ある直感がよぎった。この道の中途半端な狭さ、両側に立つ建物の道に面しているのに裏口のような感覚、そうこれは鉄道の廃線跡が醸し出す風情だ。暗くてもそんな気配が感じられる。

 ホテルに入り、携帯で検索してみるとどうやら元船遊歩道というらしい。

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 翌朝、ジェットフォイルに乗る前に周辺を散策してみると、鉄道の車輪が置かれているところなどもあり、臨港鉄道の長崎港駅に通じる線路であることが判明した。思いもかけずいいものに巡り合ったものだ。

2009年12月 4日 (金)

長崎県島巡りの旅21(福岡空港経由長崎駅)

 対馬空港を離れ、浅茅湾を眺めた後、福岡空港に向う。所要時間はわずか30分でこんな短時間の飛行機に乗るのは初めてだ。ベルト着用サインが消えても、ドリンクのサービスはなく、客室乗務員が飴を配るだけ。それもつかの間、5分ほどで着陸態勢に入り、再びベルト着用サインが点灯した。

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 福岡空港からは地下鉄で二駅隣の博多駅に出る。乗車予定は18時21分発のかもめ43号長崎行きだ。これは昨日乗った白いかもめタイプの車両ではなく、一世代前のハイパーサルーンと呼ばれるものだ。カラフルなカラーリングで、車両の中央部に入り口があり、1両の車両が2つの区画に分けられていて、他のJRには見られない珍しい車内構成になっている。

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 博多駅では、九州男(くすお)弁当という駅弁を買い、車内で味わう。揺れる車内で撮ったのでピンボケだがご容赦を。中身はご飯の上には高菜、牛肉、明太子、そのほか煮物等で、結構おいしかった。特に明太子はさすが本場の味だ。

2009年12月 3日 (木)

長崎県島巡りの旅20(対馬空港)

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 樽が浜のバス停できわどい乗り継ぎしたバスは、わずか5分で対馬空港に着く。ここから飛行機で福岡空港まで向う。離陸した飛行機が先ほどの浅茅湾の上空を経由して福岡に向う可能性があるので、飛行機からそれを眺めて見たいと思ったのだ。今夜の宿泊地は長崎なので、ここから長崎空港行きの飛行機に乗る方法もあるのだが、長崎行きの便は日が暮れてからの出発なので、福岡行きに乗るしかないのである。

 私は対馬空港発16時45分のANA4938便の進行右側の窓際20Eを予約してある。ボーイング737-500で通路をはさんで両側に3人掛けが並ぶ地方路線用機種だ。定員は126席で私は後ろから2列目だ。

 ほぼ定刻に離陸。期待通り浅茅湾に向って離陸し、右旋回で対馬をあとにした。浅茅湾をなめるようにしてゆっくりと離陸していく。先ほど乗った渡海船も折り返しこの湾内のどこかにいるはずだ。先ほどの船員もこの飛行機を眺めているかもしれない。本当にたくさんの島、入り江があるものだ。船からも眺めもいいが、飛行機からの眺めも最高だ。

http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.32543729495879&lon=129.3202099953667&z=13&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=34.320097264499&hlon=129.26988460169&layout=&ei=utf-8&p=

2009年12月 2日 (水)

長崎県島巡りの旅19(浅茅湾渡海船5)

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 おしゃべりな船員は嵯峨を出ると操縦を代わった。私を樽が浜発15時46分のバスに間に合わすため、プロの腕を見せるのだろう。巧みな操船で波が低くなったところを縫うように進む。

 私も助手席の乗せてもらって前を眺める。最近、関門海峡で自衛隊の船が衝突事故を起こしたり、沖縄行きのフェリーが横転したりする事故が相次ぎ、そのたびに監督官庁から注意喚起の通達が来ていると話をしていた。安全運行に徹しているという意味だろう。

 船員は時折り腕時計を気にしながら、「うん、大丈夫だ」とうなずいた。定刻より1分前に樽が浜港着。さすがプロだ。船員にお礼を言いながら船を飛び降りる。

 まだバスは来ていないと思うまもなく、2分ほどの遅れでバスはやって来た。ほっとしてバスに乗り込み、年甲斐もなく私は二人の船員に大きく手を振った。向こうも同じように手を振ってくれた。感謝、感謝。本当に楽しい渡海船の旅だった。もっとバスとの接続が良くなると観光客の利用も増えるのだろう。今後に期待したい。

 

2009年12月 1日 (火)

長崎県島巡りの旅18(浅茅湾渡海船4)

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貝口での乗客送迎が終わった後、船は卯麦を経由して終点仁位に向う。仁位の手前に和多都美神社という神社があり、海中にまで鳥居が存在しているのだ。全部で確か5つの鳥居があり、ちょうど一直線になるところで船を停めてくれた。客は私しかいないので大サービスをしてくれる。海を守る神様とのこと。

 仁位港着は14時35分で10分遅れだ。あの湾の時化ぐあいからすると帰りも遅れそうだが、命のほうが大事だから、帰りのバスに間に合わなくても止むを得ない。

 出航は定時の14時40分だ。帰りの船には乗る客もいない。客がいないので年長の船員は私にいろいろ話してくれる。いろいろ話してくれた内容はどれも興味深いものだった。

・この地域は1週間くらい前が紅葉の見ごろだった。

・自分は倭寇の末裔らしい。

・今日は日曜日で病院が休みなので乗る客が少ない。

・ゴリラの顔をした珍しい山がある。

・この湾では真珠の養殖が盛んだ。内海で塩分濃度の関係で真珠の養殖に適しているらしい。

・よく猪が海を泳いでいるところに出くわす(地元の豊玉高校の写真部が撮った写真を見せてくれる)。鹿やイルカも見ることがある。

・湾の名前は浅茅とかいて「あそう」と読むが、浅茅山は「あさじ」と読む。浅茅山は万葉集にも詠まれた山だ。

・最近はマグロの養殖も行われている。

・対馬は平らな土地がほとんどないので対馬空港は山を切り開いて作った。

・午後の2便に乗るときれいな夕焼けが見られる(自分の携帯電話で撮った写真を何枚も見せてくれる)。

・私が今日、日帰りすると言うと、樋口一葉の記念館には行きましたか、対馬は見所が多いので1日ではとても見切れない、3日は必要だとのアドバイス。

船内にはこの渡海船関連の新聞記事や写真も備えおかれ、大きな地図なども示して乗客を飽きさせない工夫がされている。

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