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2009年11月

2009年11月30日 (月)

長崎県島巡りの旅17(浅茅湾渡海船3)

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 湾内を15分ほど走ると、外海に出た。東シナ海だ。とたんに波が荒くなってきた。小型の船なのでかなり揺れる。速度をだいぶ落とした感じだ。前面ガラスにも大きな波が打ち寄せる。

 湾内を走っているときは波も穏やかで快適だったが、この波では船が遅れるのも止むを得ない。というより無理に間に合わせてくれなくていいから、ゆっくり走ってよという気がしてきた。

 そんな状態が5分ほど続いて、再び湾内に入った。するとまた別人のように海は穏やかになった。

 船員は波が穏やかになると、子供を操縦席の左にある助手席に招きいれ、前を眺めさせている。こんなに開放的な操縦席は初めてだ。そもそもこの船には操縦席と客席を仕切る扉もないようだ。

 貝鮒、嵯峨、佐志賀という船着場に寄るがどれも乗降客がないので、着岸せず、近くまで行って折り返す。

 貝口という船着場は本来この便は寄港しないのだが、先ほど東シナ海が荒れていて、加志々、水崎という港に寄港できなかったので、この船着場に臨時寄港し、ここから軽ワゴンで乗客を送迎するらしい。船員自らが運転して送り届けるとのこと。そういえば先ほど船から携帯電話で乗客の家族に連絡を取っていた。海が荒れる時期はこういた対応が良くあるとのこと。この港で客は全員下船し、私一人になった。写真は貝口港で軽ワゴンを待つ間に撮影したもの。

2009年11月29日 (日)

長崎県島巡りの旅16(浅茅湾渡海船2)

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 渡海船の乗り場には出航の40分前に着いた。まだ時間があるので、船の写真を撮ったりして時間をつぶした。待合室で待っていると船員らしき人が来て「船ですか、バスですか」と聞く。船だと答えると、もう乗ってもらって結構ですとのこと。まだ20分ほどある。

 帰りの便で、この船着場でバスの乗り継ぎがわずか1分だが間に合うか心配だったので聞いてみると、今日は時化ているので数分遅れるから無理かもしれないという。普段も接続を取っているわけではなさそうだ。その場合はタクシーを呼ぶしかないとのこと。タクシーの電話番号は案内板に書かれていた。渡海船の終点の仁位から最寄バス停への所要時間も聞いてみるが、歩いて30分くらいかかり、しかもこの船便に合うバスはないとのこと。随分親切にいろいろ教えてくれる。

 船内に入ると既に大人3人、子供2人の先客がいる。船内は前側が座敷席、後ろ側が椅子席となっている。私は後ろの椅子席にした。

 船員はもう一人いて先ほど案内してくれた人が親切にもその人に帰りの接続を聞いてくれている。年長らしいその人は「間に合うでしょう」と落ち着いている。プロの腕を信じることにした。

 定刻に出航。若い人が操船し、もう一人の年長の人が船内を回ってきて、切符を販売してくれる。昔ながらの黒のかばんを首からぶら下げ、パンチで穴を開けながら、「どちらから来ましたか」と聞かれる。「千葉県からだ」と答えるととても感激してくれ、記念に切符を1枚くれた。

 船の後部のデッキは出てもらってかまわないとのことで、さっそく写真を撮る。時化ているとの話とは裏腹に、波も静かで快適なクルージングだ。リアス式海岸なので砂浜はまったくなく、山がそのまま海に落ち込んでいる。入り江が無数にあって、よく道に迷わないものだ。

  

 

2009年11月28日 (土)

長崎県島巡りの旅15(浅茅湾渡海船1)

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 対馬の旅行を計画したとき、インターネットのサイトなどを参考にぜひ行ってみたいと思ったのが、浅茅湾(あそうわん)の渡海船の乗船だ。対馬はリアス式海岸で多く島、入り江からなっている。特に対馬中央部にある浅茅湾はそれが顕著で、その湾内を地元の人の生活のために渡海船が結んでいるのだ。それに乗ればその景観を十分堪能できると考えたのだ。

 地元の人向けに運行されているので、私のような観光客が利用しようとすると誠に不便になっている。乗り場が樽が浜という対馬の市外から離れたところで、しかも1日2往復しか運行されないのだ。渡海船の終点の仁位(にい)も最寄のバス停までは相当歩かないとダメらしい。したがって、インターネットで調べてもこの渡海船に乗船したことを記したものは見当たらなかった。

 そいういった特別天然記念物級の乗り物は、国鉄時代には清水港線を始め、ゴロゴロあったのだが、平成の時代では珍しい。そういった不便な乗り物に乗る闘志がよみがえってきた。

 今回私が乗るのは、樽が浜を13時00分に出航し、いくつかの港を経由し、仁位に14時25分に着く便と、その折り返し便だ。しかも、その折り返し便が樽が浜に戻った1分後に、樽が浜を出る終バスが発車するというきわどさなのだ。そのバスに乗り遅れると今日中に長崎に行けないのだ。

 まず、対馬の中心地厳原バス停を12時ちょうどに発車する赤島行きバスに乗る。バスの車内はお年寄りばかりだ。暖房が効きすぎていて気持ち悪いくらいだ。スピーカーからはなぜかNHKのラジオがかかっている。こちらではそういうサービスを実施しているようだ。

 アップダウンを繰り返しながら、約20分で樽が浜バス停着。ここで降りたのは私一人だ。

 目の前には入り江が広がり、既に渡海船「ニューとよたま」が停船していた。

2009年11月27日 (金)

長崎県島巡りの旅14(対馬市内観光)

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 フェリーを7時降ろされたが、まだ市内観光には早いのでフェリーターミナルの待合室で時間をつぶす。待合室はゆったりしたベンチとテレビがあるので退屈はしない。ケータイ国盗り合戦の「対馬国」もしっかり獲得する。これを忘れては何をしに来たのか分からない。これで600国中455国になった。

 9時になり、フェリーターミナルを後に散策を開始。風が吹いていて非常に寒い。炭鉱見学湯鬼持参した軍手が役に立つ。

 まず、フェリーターミナルから20分ほど歩いたところにある万松院にいく。対馬の宗氏の墓所になっている。日本三台墓所の一つらしい。そのお墓は百雁木と呼ばれる石段を登ったところにある。上の写真が百雁木だ。墓所自体は樹林に囲まれ、薄暗く、墓石も苔むしていて、荘厳さは感じられない。

 墓所の見学を終えて、今度は長崎県立対馬歴史民族資料館に行く。入場料は無料だ。対馬はその位置関係から昔から日本と朝鮮半島の文化の橋渡し役を務めてきた。朝鮮通信使絵巻などの資料が展示されている。そういった資料を眺めていると、韓国からの観光客の団体が大声をあげながら、私のことを通り越していく。今も昔も朝鮮半島の橋渡し役を務めていることを実感させられる。

 

2009年11月26日 (木)

長崎県島巡りの旅13(対馬行きフェリー)

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 かもめで博多駅についた後、西鉄の路線バスで博多ふ頭に向う。市内を走ること15分、21時50分頃フェリーターミナルに着く。ここからは博多湾内を行き来する市営の船と壱岐、対馬へ行くフェリーとが発着している。

 私の乗る船は23時50分発の九州郵船の船で、約2時間ほど待ち時間がある。待合室はゆったりしていて、まだ待ち客も少ない。普通、これくらいの時間帯になると売店は閉店しているのだが、ここのは結局この船が出る直前まで営業していた。

 23時30分頃に乗船が開始された。私の乗ったのは2等の普通船室、いわゆるザコ寝室だ。4区画あるがちょうど全員が横になれる人数でスペースがいっぱいになった。全部で80人くらいの乗船だろうか。貸毛布が1枚50円で貸し出されている。

 定刻に出航。出航前から横になり、うつらうつらと過ごす。博多湾を出ると波が荒くなってきた。かなり時化ているようだ。船酔いするほどではないが、酔っ払った時天井がぐるぐる回るような感覚になってきた。傾く角度はせいぜい10度程度なのだろうが、私は窓際に寝ているので上下に移動する距離は大きく感じる。

 午前2時50分、途中壱岐の郷ノ浦港に立ちよる。こんな夜中におろされるほうも迷惑だろうが、乗客の半分が下車する。

 壱岐を出ると再び波が強くなる。定刻では5時35分に対馬の厳原港に着くのだが、港内の船の出入港の手順に手違いがあったらしく、6時20分くらいの着岸となる。大半の客が下船したが、この船では7時まで船内で休憩できるようになっている。この時間に島を降りても行くところもないので、そのまま待機する。そのような客は私のほかには2人しかいなかった。

2009年11月25日 (水)

長崎県島巡りの旅12(かもめ)

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 池島炭鉱見学ツアーを終えた後、フェリーとジャンボタクシーで18時45分長崎駅に戻ってきた。今日の予定はこれで終わらない。ここからJRで博多駅まで行き、夜行フェリーで対馬まで向うのだ。ケータイ国盗り合戦の領土獲得するためだ。今日は既に、佐世保、雲仙・島原、長崎、時津・長与、西海の5国を獲得している。したがって何か対馬の観光に対して具体的な目的があるわけではない。しかし、まだ行った事がない地だけにそれなりに楽しみはある。

 駅ビルで角煮まんじゅうや中華まんなどのおつまみを買い込み、19時25分発の「かもめ46号」に乗り込む。車両はいわゆる白いかもめで、流線型の車体も特長があるが、内部は普通車でも本皮シートという贅沢な車両で、ゆったりした旅を楽しめる。私もビールを傾けながらほろよい加減で列車に揺れに体を任せた。

2009年11月24日 (火)

長崎県島巡りの旅11(池島6)

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 坑道内の見学を終えて再び斜鉱人車で地上に戻る。地上に出たところで記念撮影。

 斜鉱人車は坑口を出たところで終点だが、反対側を見ると線路がずっと先まで続いている。この先に巻き上げ機があるのだろう。構内には遮断機もない踏み切りのようなものもあった。

 再びマイクロバスに乗り込み、見学用復元坑道に移動する。ここでは削岩機の操作や模擬発破操作などが体験できる。4枚目の写真は削岩機体験を終えた後、参加者に配られた本物の石炭だ。

 一通り体験を終えた後、装備を解いた。急に体が軽くなった感じだ。それにしても鉱山が廃鉱になっても研修施設としてこのように生きながらえているのは、関係者の並々ならぬ努力のおかげだろう。そういった思いを抱きながら島をあとにした。

 

 

2009年11月23日 (月)

長崎県島巡りの旅10(池島5)

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 斜鉱人車に乗り終えて、坑道内を見学する。内部は暗く、ヘルメットにつけたキャップランプが役に立つ。

 先端部を掘り進む機械が置いてあり、無数のドリルが付いている。ドリルの先端からは水が吹き出るようになっていて、粉塵を減らす仕組みになっている。このように掘り進むのとあわせて、落盤を防ぐため、掘り進んだ後すぐに鉄骨や材木で壁面を固めていくらしい。また通風用の空気管や送水管なども設備されている。

2009年11月22日 (日)

長崎島巡りの旅9(池島4)

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 いよいよ今回の旅行のメインイベント、斜鉱人車の乗車になった。先頭車にケーブルがくくりつけられていて、いわゆるケーブルカーの仕組みで車両が上下する。客車部分は3両で1両に4列ずつ座席がある。座席といっても板が渡してあるだけだ。

 体をかがめて乗り込んだつもりだが、それでも車体にヘルメットをぶつける。前の座席との間隔も短く体を横にしないと座れない。普通に座っても天井に頭がついてしまうくらい天井が低い。

 ブザー音がなって発車する。坑道をもぐっていくのだがバックで進むので、地獄へ落ちていくような不気味が感覚にとらわれる。ゴロゴロとした振動と騒音で乗り心地は最低だ。炭鉱夫の人たちは毎日こんな乗り心地の悪い列車で「痛勤」していたわけだ。

 しかし、この人車の乗車時間はわずか1分ほどで終点だ。現役時代はもっと長い時間乗っていたのかもしれないが、見学ツアーではここまでだ。乗る前はもっと長く乗っていたいと思っていたが、乗ってみるとこれが限界かもしれない。

2009年11月21日 (土)

長崎県島巡りの旅8(池島3)

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 炭鉱のビデオを見た後はいよいよ斜鉱人車に乗るのだが、まだすんなり乗せてくれない。炭鉱の坑内に入るので炭鉱マンらしい格好をしないといけないのだ。これは法令上の決まりで省略することはできない。いままで乗ったトロッコはどれもヘルメットをかぶれば乗せてくれたが、ここのはもっとも重装備だ。

 まず一番右の白いのがヘルメット、その隣がキャップランプ、真ん中の緑のが一酸化炭素中毒防止用器具(85,000円もするので非常時以外に試しに使用しないよう注意される)、一番左が粉塵防止用マスク、上のオレンジ色がキャップランプ用バッテリー。その周りに細く見えるのがベルトで、バッテリーと一酸化炭素中毒防止用器具に通して腰に巻くようになっている。写真には出ていないが長靴も履く。

 係員の指示に従って、それらの器具をつけるのだが順番を間違えると正しく装着できないので注意が必要だ。全部身につけるとかなり重い。ヘルメットにキャップランプをつけるので頭がフラフラする。

 装備を整えて再びマイクロバスに乗り込み、いよいよ炭鉱に向う。

 

2009年11月20日 (金)

長崎県島巡りの旅7(池島2)

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 長崎市池島中央会館でビデオを見る。まず池島炭鉱の歴史を勉強するのだ。

 この炭鉱は1952年の創業で閉山は2001年で49年間の操業で、池島だけでなく海底部分まで坑道が延びていて、深さは600m、総延長は95kmにも達したそうだ。

 実際の坑道の最先端部に行くには片道1時間半ほどかかるので、斜鉱人車、高速人車、マンベルトなどが設けられ、移動時間を短縮していた。斜鉱人車はケーブル式トロッコ、高速人車は時速50kmで走るトロッコ、マンベルトは人間を乗せるベルトコンベアーだ。斜鉱人車はこれから乗ることになっている。

 閉山後はその採炭技術を伝承するために、インドネシアなどから研修生を受け入れているらしい。

 ビデオが終わると同じ部屋の中にある展示写真をみる。鉱山の内部の写真が大半であるが、昔の映画ポスターなども貼られていた。精悍な顔立ちの高倉健、渡哲也などがいた。

2009年11月19日 (木)

長崎県島巡りの旅6(池島)

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 池島に着くと三井松島リソーシスの案内の人が待っていた。炭鉱を運営する会社の人だ。実は今までの行程は運転手はいるものの案内人はいなかったのだ。

 マイクロバスが用意されていて、まず長崎市池島中央会館に向う。沿線には廃墟になった団地、民家がいたるところに見られる。こんなに寒々として荒廃した街は今まで見たことがない。

 道すがら案内の女性が島に関する解説をしてくれる。

ピークの人口は8000人だったが、今は340人くらいであること、廃墟になった団地は毎年2棟の割りで取り壊していること、空いている団地は長崎市営住宅として月6000円で借りられること、その市営住宅には風呂はないので銭湯を利用していること(1回50円らしい)、かつては島内の自家発電があったが現在は海底ケーブルで電気と水道が送られていること、8階建ての団地があるが別の団地の1階部分を渡り廊下で連結されているので、8階建てにもかかわらずエレベーターがない構造になっていることなどの説明がなされた。

 かつての栄華と現在の凋落があまりもはっきり対比され、胸が痛む。土曜日の午後というのに島を歩く人の姿はまったくいない。その代わりにいたるところに猫がいる。

 約5分ほどで長崎市池島中央会館に着き、そこで炭鉱を紹介するビデオを見ることなっている。

 

2009年11月18日 (水)

長崎県島巡りの旅5(フェリー)

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 夕陽ヶ丘道の駅そとめで20分ほど休憩した後、神浦港からフェリーで目的地の池島に渡る。ここまで乗ってきたジャンボタクシーはフェリーに乗らず、瀬戸港に回送し待機する。池島からの帰りのフェリーは運行ダイヤの関係で瀬戸港に戻るからだ。

 ところで今回のツアーの参加者は私を含めて8名なのだが、ここでようやく全体の構成が分かった。一人で参加しているのは私と20代後半くらいの女性で、そのほかは30代くらいの夫婦もしくはカップルが2組、60代くらいの男性の二人組みだ。女性の一人客は珍しい。炭鉱に興味があるのだろうか。なお、年齢は私の見立てで、実際は±10歳前後のずれがあると思います。もしこのブログを見ていたらごめんなさい。

 フェリーは1階部分ががらんどうで、客室は3階部分にあって自分自身で階段を上がる。座席は60人くらいだろうか。ツアー客以外は10人もいないくらいだ。デッキに出て景色を眺めたりするが時化ていて風が強く長い時間はいられない。

 所要時間15分ほどでいよいよ池島着。

2009年11月17日 (火)

長崎県島巡りの旅4(ジャンボタクシー)

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 池島炭鉱のトロッコ列車のツアーの待ち合わせ場所は長崎駅改札口脇の観光案内所前となっている。ところが集合時刻の5分前にそこに行ったのだが誰もいない。あわてて観光案内所の人に聞くと、さっきまでそこにいたのですがという。心配になって主催者に電話しようとすると旗を持った男性が現われた。私以外の人を先に車に誘導していたらしい。

 事前の案内では移動はバスとなっていたが、参加者が私を含めて8人なのでジャンボタクシーになっていた。すでに他の客は車の中で待っていて、最後に着いた私は助手席に座ることになった。

 私を乗せると発車。車はいわゆるワゴン車で前からの眺めはよい。道は渋滞はないものの交通量の多い状態で、その中を車線変更を繰り返しながら進む。

 炭鉱は車で2時間半ほど走って、神浦港でフェリーに乗り換えて、ようやく着くところにある。本体の見学時間より移動時間の方が長いのだ。

 その間が長すぎるので行きは休憩を兼ねて、黒崎教会と夕陽ヶ丘道の駅そとめの2ヶ所に立ち寄る。

 黒崎教会は、その宗教的な意味は分からないが、レンガ造りの落ち着いた建物だ。

 一方、夕陽ヶ丘道の駅そとめは、東シナ海に面する高台に位置し、夕陽がきれいなところらしい。遠藤周作もこの地を気に入り、そのため彼の死後、遺志に基づき、ここに遠藤周作文学館が設けられた。

2009年11月16日 (月)

長崎県島巡りの旅3 (リムジンバス)

長崎県島巡りの旅3<br />
 (リムジンバス)
羽田空港の離陸に手間取った後、長崎空港までの空路は、ベルト着用サインが神戸上空まで消えなかったこと以外は順調だった。瀬戸大橋、瀬戸内海の島々などを見下ろしながら飛行した。

長崎空港には10時45分に着陸。海に浮かぶ空港なので海上に不時着するような錯覚に陥る。スポットには大韓航空の飛行機も見えた。国際線も乗り入れているようだ。

ここから長崎駅まではリムジンバスを利用する。15分間隔で運行され、長崎駅までは約50分かかる。一台乗り遅れると、長崎駅に12時までに着かないかもしれない。12時までに着かないと、炭鉱トロッコ列車のツアーに間に合わないのだ。

前から4列目なのでドアが開くのとほぼ同時に機外に出られた。トイレに行きたいのも我慢し、バス乗り場に小走りに進む。バス乗り場に着くと一台のリムジンバスが待っていた。運転手に「長崎駅に行きますね」と尋ねながら乗り込む。私の後にもう一人男性が飛び乗ると、バスのドアは閉まった。同じ飛行機に乗っていてこのバスに間に合ったのは、この男性と私の二人だけだっただろう。時刻は10時53分だった。

韓国人旅行者の多いバスで日本人の方が少ないくらいだ。ただバスは渋滞もなく快調に進み、11時45分長崎駅着。ほっとした。

2009年11月15日 (日)

長崎県島巡りの旅2 (JAL1841 便)

長崎県島巡りの旅2<br />
 (JAL1841<br />
 便)

羽田空港発8時05分発のJAL1841便で長崎空港に向う。バスが早く着いたので出発まで1時間ほど余裕がある。既に保安検査場のところは結構行列が出来ている。ここで時間がかかって乗り遅れては元も子もない。
自動発券機で航空券を購入。私はJALの株主なので株主優待割引券を使用し半額で購入。半額といっても長崎までは距離があるので19,550円もする。
保安検査場を過ぎ、出発ゲートに向かう。6番ゲートで少し遠い。それでも早く来たから待合スペースはまだがらがらだ。出発を待つ間ソファーで朝食をとる。
7時55分機内に入る。当初は19番Kという座席をインターネットで予約していたのだが、その後機材の変更でいつのまにか4Aに変更されていた。前側のいい席を割り当ててもらったわけだ。これが後で運命を分けることになるとはその時は知る由もなかった。
機種はジェットエンジンが一番後ろについているMD91で、新幹線のように片側が二人席、もう一方が三人席という小振りなタイプだ。
定刻になっても出発する気配はない。飛行機ではよくある話だが、アナウンスによると保安検査場の混雑でまだ20数人が乗っていないとのこと。これでは私が朝5時起きした意味も帳消しだ。機内から怒りのため息がもれる。CAを問い詰める人もいる。機長は出発が相当遅れるのでしばらくの間連絡のため携帯電話を使用てもよいとの許可を出した。この写真はその時撮影したもの。
長崎空港到着後のスケジュールは十分余裕を持っていたつもりだったが結構きわどいことになってきた。結局全員乗り込んだのが30分遅れの8時35分になった。遅れて乗り込んだ人達は我々の不満とは裏腹に、間に合った安堵感から声高に談笑している。
その後離陸の順番待ちでまた30分待ち、最終的に離陸したのは9時05分だった。MD91らしく急角度で上昇していく。

2009年11月14日 (土)

長崎県島巡りの旅1 (羽田空港行)

長崎県島巡りの旅1<br />
 (羽田空港行

 平成21年11月14日から16日にかけて長崎県を旅することになった。主目的は長崎県池島にある炭鉱のトロッコに乗ることであるが、その他にケータイ国盗り合戦の領地獲得の関係で、壱岐、対馬、五島列島を訪れることもある。2泊3日の慌しい旅だが、これらの島々は鉄道がないので今まで訪れたことのない地であるのでどんなところか楽しみだ。
 今回の旅行は日程が限られているので、飛行機での移動が中心になる。まず羽田から長崎空港に向かう。そのため今日最初の乗り物は羽田空港行リムジンバスだ。自宅の最寄駅稲毛駅を朝6時ちょうどに出発する。まだ夜明け前で薄暗い。バスは定刻から5分ほど遅れてやってきた。このバスは四街道の方からやってくるので稲毛始発ではない。空港バスは空港に向う便は事前予約制になっている。出発の前々日に電話予約した。乗車券はあらかじめ買い求める必要はなく、乗車時に予約番号と名前を告げて乗り込む。土曜日の朝で遠出する人が多いのか、1台のバスは稲毛発時点でほぼ満席だ。定刻から10分遅れて出発。ここから羽田空港まではノンストップだ。穴川インターから高速に入る。京葉線、新幹線大井車両基地、東京貨物ターミナルなど鉄分の多い地域を過ぎて道路は渋滞もなく、7時ちょうど羽田空港着。

2009年11月13日 (金)

東京

 マイペースの「東京」です。「♪東京へはもう何度も行きましたね~」というフレーズが印象的です。君の住む美しい都、東京。遠距離恋愛の走りの時代でしょう。昭和49年のヒット曲です。

 最終電車で東京を離れ、また電車で東京に行く。何度も、何度も。しかし、そんなにも生活もいつしか終わりが来て、東京へ向っていた時代を切なく思い出す。なぜ別れたのかそんなことは歌詞に出てきませんし、それはどうでもいいことです。

 ところでこの「最終電車」は「大垣夜行」ではないでしょうか。マイペースは名古屋を拠点に活動していたので、「大垣夜行」ならぴったりです。その後ムーンライトながらに改称し、現在では不定期列車になってしまいましたが、夢を乗せて走る列車、いいものです。

2009年11月12日 (木)

愛の国から幸福へ

 芹洋子の「愛の国から幸福へ」です。北海道の広尾線に幸福駅をいうのがあり、その駅を歌った曲です。駅名ブームで最高に人気のあった駅です。同じ広尾線に愛国という駅もあったため、「愛の国から幸福へ」という曲になったわけです。私は1985年の3月にこの広尾線に乗りました。沿線の様子も幸福駅の様子も忘れてしまいましたが、芹洋子の高く明るい正統派の歌声を聞くたびに、昔を懐かしく思い出します。

2009年11月11日 (水)

函館の女

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 北島三郎の名曲「函館の女」です。津軽海峡を渡るとそこは函館です。♪はるばる来たぜ函館へ~。青函連絡船に乗ること3時間50分、本当にはるばるやって来たとの思いが募ります。

 下の写真は青函連絡船から眺めた函館山で、1983年2月のことです。私が初めて北海道を訪れたときのものです。いかにも寒々とした情景で、「函館の女」のような明るさは感じられません。しかし、初めての北海道旅行の私は、函館に来ただけでもわくわくしていました。四半世紀前のことです。

2009年11月10日 (火)

津軽海峡冬景色

 石川さゆりの大ヒット曲「津軽海峡冬景色」です。私が青函連絡船に始めて乗ったのは1983年の2月で、上野発の夜行列車「急行十和田」で青森まで行き、青函連絡船に乗り込みました。青森駅が雪だったか、連絡船に向う人々が無口だったかは忘れてしまいましたが、あとから振り返ると歌詞の通りの情景が浮かんできます。

 私が青函連絡船に乗った5年後には青函トンネルが開業し、連絡船は廃止されました。今ではこの曲のように津軽海峡を旅する人もいないわけですが、それでもイメージは鮮明に伝わってきます。さすが阿久悠の作詞です。

2009年11月 9日 (月)

私鉄沿線

 野口五郎のヒット曲「私鉄沿線」です。1975年頃の歌です。国鉄沿線では何の味わいもありませんが、私鉄沿線となると風情が出てきます。大手私鉄のこじんまりした駅が浮かんできます。

 自分の前を離れてしまった恋人の帰りを待ち続ける男の想いを綴った歌です。私鉄沿線の駅前で繰り広げられた君との日々が思い浮かびます。伝言板といった懐かしい言葉も使われています。まさに昭和の時代の歌謡曲です。

2009年11月 8日 (日)

鉄道唱歌

 鉄道唱歌です。「♪汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり〜」で始まる歌です。1900年の曲でもう1世紀以上経つのです。鉄道沿線の名所、旧跡を織り込んでいて、とても勉強になる歌詞ですが、2番以降の歌詞を知っている人はほとんどいないでしょう。かつては日本一歌詞の長い曲だったようです。

 国鉄時代には車内アナウンスの始まりに、この鉄道唱歌のオルゴールがかかったものです。今では品川駅の発車メロディーとして使用されています。

2009年11月 7日 (土)

ちかてつ

 NHKのおかあさんといっしょでおなじみの「ちかてつ」です。とってもノリのいい歌です。地下鉄の楽しさを子供にも分かるように元気よく歌っています。おそらく40年くらい前の曲のはずです。私が子供の頃からありました。当時は路線数も少なかったですが、今では全国各地に線路が延びています。

2009年11月 6日 (金)

あかずの踏切

井上陽水の楽曲です。アルバム「氷の世界」の第1曲目の歌です。昭和48年の発売で「氷の世界」はLPレコード(この言葉も古いですね)で始めてミリオンセラー(100万枚)になったアルバムです。私が初めて買ったLPレコードもこれでした。

 曲の内容自体は、あかずの踏切を行き交う電車を前に心に浮かぶ様々なことを支離滅裂につづった曲で、主題というものは感じられませんが、いかにも井上陽水らしい曲です。踏み切りの向こうに恋人がいて、食事の時間をのばしてほしいといったり、子供が踏み切りのむこうとこっちでキャッチボールをはじめたりと何の脈絡もない歌詞の連続です。

 でも実際に各地に存在している「開かずの踏切」で、それを開くのを待っている人々の心の中の総和は実はこんなところかもしれません。私はこの曲を意外と気に入っています。

 

2009年11月 5日 (木)

さらばシベリア鉄道

 大滝詠一のヒット曲「さらばシベリア鉄道」で、太田裕美も歌っています。この曲の作詞は赤いスイートピーと同じ松本隆です。松本隆は鉄道系の作詞に長けているのでしょうか。

 分かれた恋人からロシアからの手紙が届き、再び会いたい気持ちを伝えたい男性の優しさを歌った歌です。シベリア鉄道という言葉から寒々とした印象が伝わりますが一方で力強さも伝わってきます。

2009年11月 4日 (水)

2億4千万の瞳

 郷ひろみのヒット曲「2億4千万の瞳」です。日本の人口が1億2千万人に達したことが曲のタイトルに反映しています。1984年の曲で国鉄の最後の旅行キャンペーン「エキゾチックジャパン」のテーマソングになっています。郷ひろみが国鉄のキャンペーンソングを歌ったのは、彼の父親が国鉄職員だったことも関係しているかもしれません。

 曲自体は旅行キャンペーンとあまり関係ない内容ですが、ノリのいい歌で国鉄の末期状態を微塵も感じさせない歌となっています。

2009年11月 3日 (火)

いい日旅立ち

 山口百恵の大ヒット曲「いい日旅立ち」です。1978年のヒット曲です。私は高校1年生でした。この曲は当時の国鉄のキャンペーンソングでした。国鉄の財政状態が最悪の頃で年間1兆円くらいの赤字を出していたときで、山口百恵にキャンペーンソングを歌ってもらえるだけの予算がよくあったものです。

 自分探しの一人旅に出る女性の気持ちを歌ったものです。鉄道は出てきませんが、国鉄のキャンペーンソングですから、おのずと鉄道がイメージされます。今でもJR西日本の新幹線では車内のメロディーにこの曲が使用されています。

2009年11月 2日 (月)

あずさ2号

 狩人のヒット曲「あずさ2号」です。今から30年くらい前の曲です。「♪8時ちょうどのあずさ2号で私は私はあなたから旅立ちます」。新宿駅8時発の中央線の特急あずさ2号で信州に旅立つ女性を歌っています。現在では列車の号数は下りが奇数、上りが偶数ですが、この曲がヒットした当時は上りも下りも1号から順に列車号数を割り振っていたので、新宿発の下りあずさにも2号があったのです。しかし、この曲がヒットしてから1年後、国鉄では上記のような列車号数の変更を行い、8時ちょうどあずさ2号はなくなってしまいました。

 別の男性と一緒になる女性の気持ちを歌った歌で、鉄道がからむ歌はあまり明るい歌がないようです。この曲はカラオケで一緒に歌ってくれる男性がいるときに歌う歌です。

 

2009年11月 1日 (日)

赤いスイートピー

 松田聖子の名曲「赤いスイートピー」です。今から30年近く前の曲です。「♪春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ~」の出だしが印象的です。この曲にも「汽車」が出てきますが、心の旅やなごり雪のような寂しさはありません。春色という言葉と結びついているからでしょうか。春色の汽車ってどんな汽車なのでしょう。ピンク色の汽車でしょうか。海に行ける線ってどの線でしょう。この曲を聴くたび、イメージが膨らみます。

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