なごり雪
イルカの名曲「なごり雪」です。「♪汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる」。東京から離れてしまう君との別れの場面に汽車がさりげなく登場します。1975年のヒット曲です。「汽車」とはいい響きです。ちょっと寂しげな雰囲気があるので、別れの歌にマッチするのでしょう。汽車と別れ、チューリップの心の旅もそうでした。この曲もカラオケでよく歌う曲です。
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イルカの名曲「なごり雪」です。「♪汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる」。東京から離れてしまう君との別れの場面に汽車がさりげなく登場します。1975年のヒット曲です。「汽車」とはいい響きです。ちょっと寂しげな雰囲気があるので、別れの歌にマッチするのでしょう。汽車と別れ、チューリップの心の旅もそうでした。この曲もカラオケでよく歌う曲です。
チューリップの名曲「心の旅」です。「♪あー、だから今夜だけは君を抱いていたい、明日の今頃は僕は汽車の中」という歌詞が印象的です。この曲が流行ったのは今から35年も前の話で、まだ「汽車」と言う言葉が使われていました。しかし「汽車」は必ずしも蒸気機関車を意味せず、広く鉄道車両という意味で使われています。電車ではまったく味気がありませんが、「汽車」だと遠く旅に出るという意味合いが自然に出てきます。愛の終わりと旅立ち、対照的なシチュエーションを見事に歌い上げています。わたしがカラオケでよく歌う歌でもあります。
おなじみの「びゅわーん、びゅわーん」で始まる新幹線の歌です。当時は超特急とも呼ばれていました。試験運転で時速256kmを出したので、歌詞にも織り込まれています。すべるような走り、飛ぶようなスピードで全国民が熱狂しました。開業当時の丸いボンネットの0系新幹線はもうありませんが、やはり超特急といえば0系しかありません。鉄道博物館に里帰りしましたが、この車両を見るとこの歌を思い起こします。
昨日宮脇俊三さんの「終着駅」という書籍をご紹介しましたので、宮脇さんの話題をもう一つ。「時刻表2万キロ」で著者が国鉄全線完乗したとき、会社の友人たちが祝賀会を開いてくれたとき、その最後に参加者全員で合唱したのがこの曲です。全線乗り終えた著者に対して、まだまだ線路は続くよと励ましてくれたのでしょう。
この曲はアメリカ民謡でまさにアメリカ開拓時代を彷彿とさせてくれます。どこまでもどこまでの続く線路の果てに希望が広がる、そんな夢にあふれた歌で、鉄道好きでなくてもわくわくする歌です。
平成15年になくなった宮脇俊三さんの単行本未収録の作品がこのたび「終着駅」というタイトルで単行本化された。特にデビュー作1978年の「時刻表2万キロ」と1979年の第2作目「最長片道切符の旅」の間に歯科技工士向け専門誌に掲載されていた連載エッセイは、私自身も存在を知らなかったものだ。
本書の内容は大半が今から30年も前に書かれたものであるが、古さをまったく感じさせない。再び宮脇エッセイをまた読むことができ、本当にうれしい。シンプルな文章、ほのぼのとしたユーモア、それでいて正確な描写、これが一体となって、自分自身も旅をしている気分に浸れるのがその特長だ。
本人自身は生前、作家の死後に家族が遺稿を発表するのを皮肉っていたようだが、家族としては逆にそうすることが故人への務めでもあるのだろう。あとがきで娘の宮脇灯子さんが、当初は迷いもあったがよい作品を集めることができてこの作品を世に送り出せてよかったと書いている。その通りだろう。
昨今の鉄道ブームで鉄道書の量はおびただしいが、宮脇さんの文章に魅かれてこの世界に入った私には、どれも文章力に乏しく、旅の魅力を十分に伝え切れていないことを苦々しく思ってきたので、この本で味わいのある文章に接することができた。しかし、これが本当に宮脇エッセイの「終着駅」になるのだろう。さびしい気もする。
新橋駅近くにある旧新橋停車場鉄道歴史展示室で「特急”燕”とその時代」という企画展が平成21年11月23日まで開催されています。
燕は戦前の最高速列車で、昭和5年に運行が開始されました。東京~大阪間を8時間20分で結びました。それまでの特急より2時間22分も短縮したのですから、相当なものです。その後丹那トンネルが開通し、さらに20分短縮され、8時間の運転になりました。
この展示で目を引いたのはスピードアップの歴史はもちろんですが、あわせて展示されている昭和初期の諸々の品々です。洗濯機や冷蔵庫、当時の食堂車のメニュー、領収書、お菓子の箱などです。よくこんなものが保存されていたものです。私の親たちもこういったものを食べていたのかもしれません。
私の持っているコレクションもいつの時代にか、貴重なコレクションとなって博物館に展示されるかもしれません。
京浜東北線王子駅前に飛鳥山公園というのがあります。小高い丘になっていて、都電もその公園の脇をカーブを描きながら登っていきます。その公園に今年の7月からスロープカーというものが運行されています。モノレールと言ったらよいのか、ケーブルカーと言ったらよいのか、斜面を登るために敷設された小ぶりな車両なのです。最近各地に建設されています。本物のモノレールやケーブルカーは国土交通省の所管ですが、これはあくまで私有地内を走る私有の乗り物と定義されているため、免許もどうなっているかよくわかりません。斜行エレベーターの一種と理解されているようです。こういった正規の鉄道でない乗り物は私の守備範囲外なのですが、そうは言っても近くにこういう乗り物があると乗りたくなります。
ご覧のような1両の乗り物が斜面を行ったり来たりするだけです。所要時間は2分、距離は100mもない感じです。バリアフリーも意識されていて、車椅子でも乗れそうでした。運賃は無料でだれでも乗れます。朝10時から夕方4時までの運行で、木曜日は点検のため運行停止になる時間帯があるようです。
ちょうど都電のレトロ車両が通りかかりました。飛鳥山公園の山上からは新幹線の高架橋も良く見え、鉄道を楽しむ穴場であることに気付きました。
みなとみらい線の日本大通駅の上に横浜市都市発展記念館というのがある。ここには横浜港の開港前後からの横浜の発展の様子を知ることができる貴重な資料が展示されている。昨年はここで「横濱ステーション物語」というのが開催され、横浜駅や神奈川の鉄道の歴史を知る展示会なども開催された。
今回ここで「映像でたどる昭和の横浜 第2巻 都市の交通」というDVDが発売された。戦後の横浜の交通の歴史を、いわゆるニュース映画で紹介するもので、とても価値のあるものだ。
ワンマンバスの導入、路面電車の新路線開通・廃止、トロリーバスの登場、有料道路の開通、根岸線の工事の様子・開業、市営地下鉄の工事の様子・開業、金沢シーサイドラインの開通など随分といろいろなトピックスがある。
映像は最初は白黒で、昭和40年代からカラーになり、ナレーターの声やBGM、市民の服装や髪型も時代を感じさせる。
録画時間は115分、値段は1500円なので大変お値打ちだ。皆さんもこの記念館に行く機会があればぜひ購入してみてはどうでしょうか。期待は裏切らない内容だと思います。
武蔵野線の越谷レイクタウン駅です。平成20年3月に開業した直後に訪問したことがあるのですが、再びやって来ました。前回は開業直後だったので、駅以外は何もなかったのですが、それ以降イオンのショッピングモールができたので、今回はショッピングモール見学で行ってきました。
その広さには驚きました。行けども行けどもお店が途切れることがありません。ただし、若い女性向けの洋服や雑貨の販売のお店が大半で、私のような人間が楽しめる店はほとんどありませんでした。
そんな帰りがけ、3階の一角に模型ショップがあるのを発見しました。入り口にはイギリスの名車ミニクーパーが展示されています。模型ショップなので鉄道以外の模型もありました。店の入り口に乗用車が置かれていることから、車の模型が充実していました。
私はテツの中でも、乗りテツに分類される人間で、模型は素人に近いのですが、Bトレインショーティーだけは、たまに買っては組み立てて飾っています。東武の旧塗装の8000系とキハ58系があったので、それぞれ昔懐かしくて買いました。どちらも私が学生時代の頃の車両です。
これはこの店で1500円以上買った人向けのおまけでした。店の入り口に飾ってあるミニクーパーの模型でした。
千葉県の私鉄、流鉄に乗りに行きました。かつては総武流山電鉄と称していて、そのほうがなじみが深いかもしれませんが、2008年に現在の社名に変更になりました。常磐線馬橋駅と流山駅間5.7kmのミニ私鉄です。
沿線には観光地もなく、地味なところを走ります。私は25年ほど前に一度乗ったきりです。今回再び乗りましたが、沿線の記憶はほとんどありませんでした。唯一、終点の流山駅のたたずまいだけが、かろうじて記憶に残っていました。この線は、PASMOや自動改札とは縁もなく、いまだに改札口に駅員が立って、切符の収受を行っています。
この鉄道の特長は、各車両の先頭に「流星」「青空」「若葉」などの名前が付けられていることです。「流星号」などと聞くと、昔のアニメ番組「スーパージェッター」で主人公が乗る近未来風の空飛ぶ自動車のことを思い出します。主人公が腕時計を開くとそれが無線装置になっていて「流星号、流星号、応答せよ」と呼びかけると、無人の「流星号」がやってきて主人公を乗せて現場に急行するのです。しかし、この「流星号」はのろのろと走り、空を飛んだりしません。
鉄道喫茶「あびこ道」で残念な食事をとった後は、17時40分の新大阪始発の新幹線で帰るだけだ。昼食が遅い時間だったのでまだお腹は空いていないが、途中で食べたくなるだろうから買っておいた。買ったのはチキン弁当だ。東京駅のチキン弁当は以前紹介したことがあったが、大阪でも発売をはじめたようだ。ちょっとパッケージが違うようだが。
買ってから良く見ると、JR東海パッセンジャーズの製造だ。東京駅のはNREだから名前は同じでも別弁当のようだ。唐揚はしょうが味とカレー味の2種類があり、どちらも味がちょっと濃い感じ。ご飯は固め、ポテトもふかふか。東京駅のチキン弁当とは大違いで、もう一度買うことはなさそうだ。
今回の旅行では食事には恵まれなかったが、それでもトキや金山、583系寝台車や水陸両用車など、珍しいものに接することができ、楽しかった。わずか2日間で佐渡と大阪を巡るのはまさに私の旅ならではだろう。
浜寺駅前まで乗り終えた後、同じ阪堺電車の我孫子道駅前にある鉄道喫茶「あびこ道」に来た。店内に鉄道模型のレイアウトが設置され、それを楽しむことができるのとともに、自分の車両を持ち込んで運転することもできるのだ。こういった鉄道を楽しめる飲食店は全国にいくつかあり、そんな一つとして前からここに来てみたいと思っていた。
じっくり楽しもうと思って、昼時の時間帯を外して、午後2時頃に来た。店の看板は駅名票を模していて入る前から心が弾む。
さっそく店に入る。入り口近くに大きなレイアウトがあり圧倒される。ところが、店に入るとがっかりすることばかり。私としては模型レイアウトの前に座って食事をしながら楽しもうと思っていたのだが、半分くらいは空席なのだが、帰った客の食器が下げられておらず、レイアウト前に座ることができないのである。
仕方なく、もう一つの小ぶりなレイアウトの隣のテーブルにつく。このレイアウトは車両は運転されていなかった。
店員が注文を取りにきたので、メニューのお肉屋さんのハンバーグ850円を指差すやいなや、
店員「今ライスが切れていますので少々お時間をいただきますが」(ライスがないなら先ほどメニューを持ってきたときに言えよ)
私「少々ってどれくらい?」
店員「マスター、どれくらいかかりますかあ?」(自分で少々お待ちくださいって言っておきながら、そんなことも分からないのか)
店員「20分くらいかかります」
私「パンならあるの?」
店員「バターロールになりますが」
私「じゃあ、それで」
店員「・・・」注文も復唱せず無言で去る。
私(このメニューは和風か照り焼きか聞くはずなのにおかしいなあ?)
大型レイアウトの方をちらちら眺めながら、料理が出てくるのを待つ。その間レイアウト前の席がいくつか空くが、食器はさげられる気配はない。厨房一人、店内一人という状態でそこまで手が回らない様子だ。
20分ほどして注文が出てきた。20分かかるなら結局ライスでも同じではないか。しかもこのバターロールはなんだ。焦げてるじゃないか。それにしても850円にしては豪勢なハンバーグだなあ。味もまずまずだと思いつつ食べる。ところがふとある疑問がよぎる。メニューには店長おすすめハンバーグ定食1500円というのがあるのだ。先ほどの店員は私がメニューを指差した瞬間に「ライスがない」と言ったので私が何も指したのか見ていなかったのだ。もう食べ始めてしまったし、今さら店員を呼び止めるのも大人気ないので食べ進む。
食べ終えるとドリンクの注文を取りに来た。私がアイスコーヒーを頼むと、これまた無言で去る。どうも仕事の基本というのができていないようだ。結局レイアウト前の席は私が帰る頃ようやく食器の片づけが始まった。マスターはくわえタバコで食器洗いを行っていた。
せっかく楽しみしていた鉄道喫茶もレイアウト前には座れないし、注文は間違えられて高い料金を請求されるし、踏んだり蹴ったりだ。もう2度と来たくない。私の別ブログ「ミスターKのグルメランチ日記」なら☆がつかない店(失敗の評価)だ。前日の佐渡の食堂といい、今回の旅行では食べ物に恵まれない。
水陸両用バスに乗り終えた後、私は阪堺電車に乗りに行った。大阪の天王寺と浜寺駅前を結ぶ路面電車だ。1日乗車券600円を購入。3回乗り降りすれば元が取れる。これでとりあえず終点の浜寺駅前まで行ってみる。
天王寺駅前の様子。古めかしく重量級の車両だ。最近ライトレールトランジット(LRT)という軽快電車が各地で走っているが、ここではそういうものはなさそうだ。
一般道路との併用区間も多い。路上駐車の車があると、軌道敷きの中に車が入ってくる。
路面電車の終点は南海電鉄の浜寺公園駅だ。南海の浜寺公園駅はご覧のような豪壮で古めかしい駅だが、それもそのはず、東京駅や日銀本店の設計を行った辰野金吾博士の手になるものだからだ。かつてはこの駅近くの海水浴場はにぎわっていたらしいが、駅の造りに栄華が感じられる。
再び陸上に上がり、一般道を行く。国道1号線の終点まで行き、そこから御堂筋を南下する。有名なブランドショップがいくつも並んでいる。窓がないので外の景色が良く見える。ガイドの女性がテンポ良く、案内を続ける。道頓堀のグリコの看板の脇を過ぎ、今度は堺筋を北上する。
乗る前は一般道を走るのは最小限にして、なるべく船の区間を多くしたほうが良いのではと思っていたが、バスから眺める大阪の街も悪くない。11時15分、終点に到着。
乗り終えた後、今度は外からバスを撮ってみた。結構車高が高い。
この車は水陸両用タクシー。今にも沈没しそうな感じ。同じ会社が運行している。
これが水陸両用バス。後方の巨大なアヒルは、「フローティングダック」というもので何かのイベント用オブジェのようだ。
毎年10月14日の鉄道記念日の前後に日比谷公園で開催されている鉄道フェスティバルに行ってきました。今年は10日、11日の2日間で私は11日に行きました。ちょうど12時頃に着きましたが、相変わらずにぎわっています。今年は、東京メトロと京成電鉄の行列が長かったようです。もう10年以上も来ているので、どの会社がどこにあるのかも分かってきています。
以前人気のあったプリペイドカード類は廃れてきてJR四国だけが一生懸命販売していましたが、Bトレインショーティーやカレンダーなどは長い行列ができています。
これは山万の硬券入場券です。山万で硬券があるとは思ってもいませんでした。日付は入っていませんが、イベント用かもしれませんがこんなもの用意されているようです。これを買ったら、山万の無料乗車券の引換券が付いてきました。11月15日に現地に行けばただで乗れるみたいです。
これはJR貨物で見つけたスーパーレールカーゴのネクタイピンです。ちょっと見には鉄道車両らしく見えないので、会社にしていくこともできそうです。
地方の駅弁の販売も行われていて、公園の芝生で食べている人も多く、秋の一日を楽しめるイベントです。
桜之宮公園から大川に進入する瞬間。思いの外スピードをつけて斜面を下り、川に入った。水しぶきも上がる。
川に入ると陸上と違ってグッとスピードが落ちる。時速5kmほどになるようだ。いくつも橋をくぐる。この車両のナンバープレートは808なのだが、大阪八百八橋にちなんでいるとのこと。
川に入ったが、特に違和感はない。揺れも少なく、船の感覚とそうは違わない。
左手は京阪淀屋橋駅。出発地点の近くだ。ここでUターンする。
大川クルーズを終えて、桜之宮公園で再び陸上に上がる。陸上に上がる瞬間、クラッチがかみ合う感触があり、エンストしそうな音がしたが、無事上陸。乗客から拍手が起こる。船長から運転手に代わり、ここで5分間の休憩。ブレーキなどが濡れているのを乾かす時間で、法令上の制限のためとのこと。すぐに発車してはいけないようだ。
スクリューが後ろについている。陸上走行中は勝手に回転しないように、ベルトで固定される。
天保山登山を終えた後、地下鉄を乗り継いで、天満橋駅までやってきた。次の目的は水陸両用バスの乗車だ。大阪の川の駅「はちけんや」を発着点として100分のコースを楽しめるようになっている。陸上を走るときは普通のバスのようにタイヤで動き、川に入るとスクリューで進む。全国でもここを含めて3ヶ所しか運行されていない特殊な乗り物だ。シルバーウイーク期間中はほとんど満席だったのだが、最終日だけ空きがあったので、電話で予約しておいたのだ。
予約したのは朝の第1便9時30分発なので、9時少し過ぎに「はちけんや」に行く。既に乗車券の販売が始まっている。料金は3600円。ちょっと高めだが、こんな珍しい乗り物に乗れるのなら料金は関係ない。「9時25分に再びここに集まってください」と言われながら、乗車券を渡される。
定刻9時30分を数分遅れて出発。最初の30分は一般道路を行く。沿道の人たちから好奇の視線が注がれる。バスはご覧のような感じで、ちょっといかつく、戦車のようでもある。座席は42人分で満席となっている。車重を軽くするために窓ガラスがないので、風がもろに入ってくる。現在の気温は25度くらいだろう。ちょっと寒い感じがする。
運転士とは別にガイドの女性が添乗している。さきほどチケット売り場にいた人だ。沿線の様子やこのバスの仕組みについてなどいろいろ解説してくれる。乗客は半数が大阪の人だが、長崎、岡山、横浜などからも来ている。私のような物好きも結構いるものだ。
途中、NHK、大阪府庁、大阪城、太閤園などを眺めながら桜之宮公園まで進む。公園内の道路もないようなところを進み、いったん停止する。今までバスを運転した来た人が降りて、代わりに船長と称する人が乗り込んできた。免許や法令上の許可の関係で、運転できる区間が決まっているようだ。
公園の片隅に川に侵入できる斜面があり、いよいよ大川に進入する。
天保山渡船を降りるとそこは天保山公園で、その公園内に日本一低い山、天保山がある。標高は4.53m、国土地理院の地図に出てくる山の中で一番低い山なのである。上の写真は山上の三角点の写真でかたわらには天保山山頂と記されている。登山をしたという感覚はまったくないが、これでも山頂を制覇したことにはなる。下の写真赤い印が三角点のあるところで、左側の塔はまったく別の記念碑である。
今日は9時30分発の水陸両用バスに乗る予定だが、まだ時間があるのでちょっと寄り道をする。大阪は川が多く、その結果八百八橋と言われるくらい橋が多いのだが、場所によっては橋を作るとコストもかかるので、渡し船で代用しているところもある。道路の代用であることから、大阪市が運営者となっていて運賃は無料になっている。そんな渡船に乗ってみようと思う。
JR桜島駅から10分ほどの距離にその乗り場はある。簡単な待合室もある。船はご覧のとおり小ぶりなもので、窓もなければ座席もない。自転車と一緒に乗っている人が大半だ。川の対岸まで行くだけなので所要時間は2分ほどで、昨日の佐渡汽船とは違って、乗船名簿の記入もなかった。もしも何かあったときは私は身元不明者として処理されるだろう。
運行間隔は朝のラッシュ時は15分間隔、日中は30分間隔となっている。日中は利用しにくいかもしれないが、橋のあるところまで遠回りするよりは便利なのだろう。地元に根付いている感じがした。大阪にはこのほかにも7本の渡船があるので、全部乗ってみたくなった。
急行「きたぐに」の車内の様子だ。一番上の写真はB寝台の様子で、通路を挟んで両側に3段式の寝台が並んでいる。中段、上段はハシゴを登る。
2枚目の写真は座席車の様子。寝台を巧妙に格納するとこのような座席車に変身する。長距離を運行する列車の場合、走行中に寝台から座席車に、あるいは座席車から寝台に転換する列車もかつてはあった。そのような作業が見たくて、わざわざ新大阪と西鹿児島を結ぶ特急「なは」(既に廃止)に乗ったこともあった。大学生の頃で今から25年も前の話だ。途中駅から作業員が乗り込んできたが、素人目にも大変手間と体力のいる作業だった。
3枚目が私が乗った上段の内部の様子。幅70cm、高さ68cmで、寝台の中では体を起こすこともできない。壁や天井に頭や腕をぶつけながら、尺取虫のような要領で浴衣に着替える。宮脇俊三さんも『時刻表2万キロ』の中で「窮屈な3段式では頭がつかえて、お酒がのみにくい。前かがみで無理にのもうとするとシーツにこぼれるし、のけぞってのむと襟元に流れこむ」と書いているが、まさにその通りだ。
このような狭さの寝台にもかかわらず、寝台料金が5250円もする。カプセルホテルのほうがよっぽど居住性がよい。このような人気のない車両が40年も生きながらえてきたのは不思議だ。今回は連休中のため、ほとんど満席のようだったが、平日はがら空きに違いない。いつ廃止にされるかもわからないので、乗れるだけでもありがたい。
長岡までは起きていたが、途中はほとんどぐっすり眠った。寝台だと眠れない人も結構いるようだが、私は揺れがここちよいのか、よく眠れる。定刻6時49分、大阪駅着。
今回の旅の一番の目的は、この急行「きたぐに」の乗車である。今やJRでは急行列車が激減していて、「きたぐに」以外は「はまなす」「能登」の2本しかない。以前このブログで急行「つやま」が廃止になったことをお伝えしたが、現在残る3本の急行はすべて夜行列車である。
いずれの急行も、北陸新幹線や北海道新幹線の開業により、あるいはその前に廃止される恐れが強いので、それまでに乗っておきたいと思っていた。それとともに、この「きたぐに」に使用されている車両は583系電車寝台でこの車両自体も登場から40年くらい経つ骨董品もので、新幹線の開業よりこの車両の寿命が方が早く来て、「きたぐに」が運行停止に陥る可能性も十分考えられる。まさに鉄道界の絶滅危惧種なのである。
そんなわけではるばる乗りに来たわけだ。急行「きたぐに」は新潟と大阪の間を約8時間で結ぶ夜行寝台電車で、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車が連結された10両編成の車両で、かつては大阪と青森を結んでいた時代もあった。昭和47年には北陸トンネルで列車火災事故が起きて、多くの人命が失われるような事故にも遭遇している。
また「きたぐに」に使用されている車両は583系で、夜は寝台特急、昼は寝台を折りたたんで昼行特急として運行されていた時代もあった。東北線、常磐線のはつかり、みちのく、はくつる、ゆうづるなどはそうした列車だった。
新型成田エクスプレスに乗ったあと、その足で横浜駅東口ポルタ地下街で行われている「YOKOHAMAトレインフェスティバル2009」に来た。これは鉄道の日の記念イベントの一つで、鉄道グッズの即売会だ。関東地方の私鉄各社が10月3日と4日の2日間に出店する。もう10年以上続いているイベントのはずだ。
10時開場なので10時5分くらいに着くと、既に大行列が出来ている。こんな時簡に来る人はお呼びでないようだ。東急、京急、相鉄、横浜市営地下鉄などの地元のほか、ひたちなか海浜鉄道、銚子電鉄、秩父鉄道などもはるばるやってきている。今年は新型スカイライナーの関係で京成電鉄が大行列になっていた。
私は比較的空いていた京浜急行や千葉都市モノレールのブースなどで小型のカレンダーや硬券乗車券などいくつか購入した。昔はパスネットの類などを2~3万円ほども買ったものだが、最近はスイカの時代でカード類はほとんど見かけない。Bトレインショーティーが人気が高いようだ。
今年が山手線という名称ができてちょうど100年なので、それを記念して山手線に昔のチョコレート色をした電車が走っています。山手線自体はそれ以前から走っており、別の名称が付いていましたが、この年に山手線という名称が付与されました。ただ現在のような環状運転が始まったのは1925年からです。当時の省線電車(当時は鉄道省が運行していたのでこう呼ばれる)はこげ茶色をしていたので、それを模して、このような車両が期間限定で運行されている訳です。チョコレート色なので、明治チョコレートとタイアップしています。
今は「やまのてせん」と言っていますが、かつては「やまてせん」と呼ばれていた時代もありましたが、1971年に国鉄が線名の読みを統一してからは「やまのてせん」となりました。
私は上野駅で写真を撮りました。私のほかにも5人くらいが撮影していました。大人気でした。
左側は山手線命名100周年のおにぎりのパッケージです。東京駅で売っていました。チョコレート色をしていればもっと良かったのですが。久しぶりに明治チョコレートも買ってみました。定番の味でした。
佐渡からの帰りはフェリーにした。ジェットフォイルだと所要時間は1時間だが、フェリーだと2時間20分かかる。しかし、運賃はジェットフォイルだと6090円のところが、フェリーだと2190円とだいぶ割安だ。時間にも余裕があるのでフェリーでも問題ない。
改札は出航の20分前から始まる。改札口で乗船名簿を手渡しする。船の旅行ならではだ。もし遭難した場合、これに基づいて氏名の発表が行われるのだろう。ただし、記入欄は、氏名、年齢、性別、住所だけで、住所も都道府県だけを記入する簡単なもので、これではいざというときに役に立たないだろう。
18時40分、両津港出航。2等の船室はじゅうたんが敷かれた座敷で、空いていたのでゴロンと横になる。よその子供がうれしくて飛び回ったりしてちょっとうるさいが、30分くらい仮眠できた。やはり船の旅は快適だ。しかもジェットフォイルと違ってシートベルトもいらない。ほとんど揺れもなく闇の中を進む。
ちょっと船内を探検する。階段がホテルのエントランスのような雰囲気で贅沢な感じだ。デッキに出ると遠く新潟の街の明かりが見えた。定刻21時ちょうど新潟港着。
佐渡金山の見学を終えて、両津港のフェリーターミナルに戻ってきた。今日は乗り継ぎが良すぎて、実はまだ昼食を取っていなかったのだ。フェリーが出るまでは、1時間弱時間があるのでその間に食事を済まそうと思う。
両津港のフェリーターミナルにはレストランや土産もの売り場などが併設されている。ところが、どの店もあまり流行っている感じがなく、入りたくなるような店がないのである。しかし、お昼も食べていないので、やむを得ずその中の1軒の入ることにした。看板には「そば、うどん、ラーメン」と書かれているが、肝心の店名はどこにも出ていない。セルフサービスの店のようだ。
私はいろいろ迷った挙句、カレーライス530円を注文した。宮脇俊三さんも「中央構造線の旅」という紀行文のなかで、「何でもあるのにどれもまずそうな店で食事をする場合、比較的無難なのはカレーライスである」と記していたのを思い出した。
カレーは非常にこってりしていて、ご飯も固め。私の「ミスターKのグルメランチ日記」という別ブログなら☆が付かない店(失敗の評価)になりそうだ。しかも私が入った時間がちょうど午後6時で、その直後から店員が閉店の準備にかかって落ち着かない。客も私のほかに一人しかいなかった。そそくさと食べて店を出る。
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