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2009年1月

2009年1月31日 (土)

アイアンホース号

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 2008年6月、北海道の小樽市総合博物館に来ました。ここは北海道開拓時代の鉄道、歴史が学べる博物館で、北海道鉄道開通起点の碑が示すように、すでに廃止になっていますが北海道鉄道発祥の路線手宮線の一部区間を取り込んで設置されています。かつては小樽交通記念館と名乗っていた通り、園内には北海道で活躍した数々の列車が静態保存されています。ただし、大半の車両が野ざらしの状態で展示されているので、保存状態はよくありません。

 それはともかく、その園内にアイアンホース号という蒸気機関車が運行されているのです。博物館に入るには400円の入場料金がかかりますが、これに乗るのは無料です。中央駅と手宮駅の間、約300mほどを1往復します。先頭の蒸気機関車は1909年アメリカ、H.K.ポーター社で製造されたもので、カウキャッチャーもついていてアメリカ開拓時代を感じさせるものです。炭水車にコカコーラのプレートが貼られているところからすると、同社がスポンサーになっているようです。

 発車時刻を知らせる放送があると、園内の見学者の大半が乗り場に集まってきました。牽引する車両は、屋根つき車両1両、オープン客車2両という構成で、大半の乗客はオープン客車に乗ります。大きな音で汽笛を鳴らし、出発します。蒸気機関車の魅力は、物悲しく聞こえるこの汽笛の音にあると私は思っています。距離が短いのでスピードはでませんが、線路を確かめるかのように、しっかりと走ります。あっと言う間に手宮駅に着きます。ここで機関車の付け替え作業を行います。機関車だけ切り離され、転車台で回転し、機回し線を通って反対側に連結されます。この間、乗客は安全確保のためいったん車両から降ろされますが、皆車両をバックに記念撮影にいそしんでいます。

 再び、汽笛とともに出発し、中央駅に戻ります。乗っている時間はわずか5分ほどですが、古きよき北海道開拓時代を感じさせてくれる楽しい鉄道でした。

2009年1月30日 (金)

函館市電ハイカラ号

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2008年5月、函館市電のハイカラ号に乗りに来ました。1918年から函館市電で働き、その後ササラ電車(除雪車)として活躍し、引退した車両を当初の形に復元したレトロ調の車両です。車体は新造されましたが台車は当時のままです。ご覧の通り大正ロマンあふれる車両で前後には事故防止のためカウキャッチャーを備えています。車内も木目調で赤いモケットシートも往時を感じさせます。女性車掌が乗務し、乗車券の販売を行っています。運賃は通常の市電と同じですので、乗らない手はありません。ただし、1台しかないので、運行時刻はあらかじめ調べておく必要があります。通常の市電は台車が前に一つ、後ろに一つあるのですが、ハイカラ号は台車が車両中央部に一つしかないので、ピッチングをしながら独特の動きをする不思議な車両でした。しかし、函館の街並みとよくマッチする魅力的な車両です。地元の客はあまり利用しないのか車内はすいていましたが、函館を訪れたときははずせない車両です。

2009年1月29日 (木)

踏切事故

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EF55のお別れ運転を見た後、私は前橋駅に向かいました。以前、定期券の項目で紹介したとおり、前橋には3年ほど生活していたことがあり、もう一度行ってみたくなったからです。前橋で降りて、駅前や以前住んでいたアパートのあたりを散策して、両毛線に乗りこもうとしたところ、駅に踏切事故を知らせる掲示がありました。手書きの掲示板自体はよくあることですが、その下に踏切事故の現場写真が添えられていました。この写真ではよく分かりませんが、電車にしっかり食い込んだ乗用車が写っています。現場で担当者が撮影したものを伝送し、駅でプリントアウトしたものでしょう。リアルな映像で現場の様子を知らせる仕組みがあるようです。このような写真があれば、一般の乗客も事故の規模もつかむことができ、自分なりに回復の見通しも推測できるので、いい手法だと思います。今回の事故では、乗用車の運転者にどれくらいの被害があったのかは分かりませんが、写真を掲示できる状況なので無事だったのではないかと勝手に想像しています。踏切事故の現場では必死の対応を行っているにも関わらず、その状況が一般の乗客に伝わらず、なぜ復旧にそんなに時間がかかるのか不満が蓄積するものですが、こういうものがあれば若干は和らぐでしょう。今回は乗用車の踏切事故でしたが、飛び込み自殺のような人身事故の場合は映像を添付するわけにはいかないですが、こういった場合でも状況を何らかのかたちで正確に伝える方法があれば乗客の不満も違ってくるでしょう。

2009年1月28日 (水)

定期券(横浜⇔新横浜)

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 ミスターKの現在の定期券です。前橋から横浜に転勤になり、電車通勤に戻りました。新横浜まで買ってありますが、実際は片倉町までです。電車の所要時間はわずか7分、乗りではありませんが、東京の地下鉄ほどは混まないのもありがたいです。毎日横浜の香りを感じながらの通勤です。前橋時代の徒歩通勤とは雲泥の差で、水を得た魚、生き返った思いがしました。よく考えると地下鉄通勤は初めてです。楽しい通勤ライフを楽しんでいます。

2009年1月27日 (火)

定期券(前橋)

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 平成16年から3年間、ミスターKには冷たい仕打ちが待っていました。なんと前橋に転勤を命じられ、電車通勤と縁を切ることになったのです。借り上げのアパートから会社までは徒歩15分ほどで、朝遅くまで寝ていられるメリットはあるのですが、電車通勤とは絶縁されさびしい思いをしました。線路際にアパートがあったので電車の音が聞こえることだけが唯一電車との接点でした。電車に乗らないことにより、世間の動きから取り残された感じすらしました。自動車王国の群馬県のため、車がないと買い物にも行けず、ミスターKらしくなくマイカーでの移動が大半でした。

2009年1月26日 (月)

定期券(大宮⇔青梅街道)

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 この時期、ミスターKは西武多摩湖線の一橋学園駅付近に勤務になりました。定期券は一駅先の青梅街道駅まで買ってあります。この一橋学園駅は大宮方面から通うと非常に不便な場所にあります。正規のルートでは、武蔵野線経由で西国分寺まで行き、中央線に乗り換え一つ目の国分寺で下車、そこからこの西武線で一つ目一橋学園駅に至ります。要するに一駅乗っては乗り換え、一駅乗っては乗換えを2回繰り返すわけで非常にロスタイムが多いのです。そのため、裏ルートとして、武蔵野線の新小平駅で下車し、6~7分歩いて西武線の青梅街道駅まで至り、そこから一駅乗って一橋学園駅に至る方法があります。このほうが電車1本分早く着くので、そのルートを利用することもありました。

 西武多摩湖線は西武鉄道の発祥の鉄道で、堤康次郎は一橋学園駅付近の分譲地開発を進めました。現在は一橋学園駅と名乗っていますが、以前は同駅の南北に一橋大学駅と小平学園駅があり、その2駅を統合し、中間付近に現一橋学園駅ができました。そのため、一橋学園駅は駅前広場もない、変わった形態になっています。

2009年1月25日 (日)

定期券(海老名⇔町田)

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 この頃相模大野に住んでいました。定期券は平成11年11月11日まで有効の1並びです。この日付を狙って購入したわけではありませんが、結果としてこの日付になりました。当時の小田急の駅は各駅に硬券入場券が常備されていたほかに、何かイベントがあると記念のD型硬券(大型の硬券)が発売されました。ちょうど相模大野駅が建て替えられた時期で、関東の駅百選にも選ばれました。中線2本は通過線となっており、2面6線を有するダイナミックな配線で、小田急の駅の中でもっとも華やかな駅です。中線をロマンスカーが通過して行く様は迫力があります。写真のカプセルプラレールは3100形で当時引退しました。

2009年1月24日 (土)

定期券(南林間⇔海老名)

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 この時期神奈川県に転勤になりました。小田急江ノ島線と相鉄本線を利用しての通勤でした。小田急江ノ島線は車両の編成が短く、たいてい4両が6両で混雑していました。南林間駅は当時は2面4線で急行停車駅で、街の規模に比較して破格の待遇を受けていました。

 相鉄線の車両は窓がパワーウインドーになっていて、スイッチ一つで開閉できるのが特長です。また、一部の車両にクロスシートが設けられているなど、他の私鉄とは一味違った魅力があります。また各駅に硬券入場券が備えられているのもファンにはうれしく、私は相鉄全駅の入場券を持っています。写真は海老名駅の入場券で私が転勤した初日のもので、ちょうど鉄道記念日の日付です。

2009年1月23日 (金)

定期券(成増⇔朝霞台)

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 この時期、成増まで通っていました。定期券は成増⇔朝霞台となっていますが、これとは別に北朝霞⇔大宮の定期券を併用していました。朝霞台と北朝霞は同じところにありながら、別の駅名を名乗っていて、当時は通しの定期券が発売されていませんでしたので、2枚の定期券を持っていて、自動改札に入れ間違えないよう注意したものでした。

 写真のテレホンカードは定期券の時期より前になりますが、営団成増~和光市駅間が開業したときの記念カードです。営団成増は今では地下鉄成増というなさけない駅名になっています。

 話は変わりますが成増はモスバーガー発祥の地なのです。1号店の店内には開業当時の写真などが飾られています。また、成増はポテトチップの湖池屋の本社もあります。とんねるずの石橋貴明の出身地でもあります。いろいろ有名なものがここから羽ばたいています。

2009年1月22日 (木)

定期券(大宮⇔田町)

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社会人になり、3つ目の職場への通勤定期券です。行き先が田町となっていますが、実際は東京駅まででした。当時の京浜東北線は、103系、205系、209系が混在しており、209系もまだ試作車の段階で、今のような洗練された車内ではなく、なんとなく薄暗い車内で,これが新車かとちょっとがっかりした記憶があります。

京浜東北線の大宮駅は始発駅なので朝は座って通勤できました。途中から新幹線が東京駅まで乗り入れるようになると、大宮から新幹線通勤することもありました。京浜東北線だと東京駅まで50分かかりますが、新幹線だと25分なのです。寝坊したときは大いに助かりました。

ちょうどJRにも自動改札が投入された時代なので、この定期券も磁気定期で自動改札でこすれた跡があります。

2009年1月21日 (水)

定期券(越谷⇔大宮)

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 社会人2番目の職場への通勤定期券です。まだ平成の時代になったばかりです。ちょうどこの定期券の発行日のころ浦和市から大宮市に引っ越しました。今ではどちらもさいたま市ですが、当時は別の市でした。

 東武野田線はまだ釣り掛け3000系が活躍していて、確か東岩槻駅から東側は単線でした。写真は伊勢崎線などで活躍していた8000系車両で、空気バネ台車で、座席のシートのクッションは厚みがあり乗り心地は当時の私鉄の中でナンバーワンでした。また発電ブレーキを装備していないので、ブレーキ時にブレーキシューのこげる臭いがして、これもまた最高でした。

 職場最寄り駅の越谷駅は、当時は地平のホームで2面3線で出口は東口しかなく、跨線橋は木造で人が通るとぎしぎし音を立てていて、いかにも田舎の駅の雰囲気をかもし出していました。現在はりっぱな高架駅に変わり、昔の面影はありません。

 

2009年1月20日 (火)

定期券(南与野⇔代々木)

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 社会人になって最初の職場への通勤用定期券です。代々木まで買ってありますが、実際は新宿まででした。まだ開業したばかりの埼京線に乗っての通勤で、当時は山手線のお古のウグイス色103系でしたが、赤羽-大宮間は新線で軌道もしっかりしていたので、103系の割には、そこそこの乗り心地でした。今は新宿駅埼京線用ホームは4番線までありますが、当時は1、2番線だけでした。写真のオレンジカードはまだ国鉄時代のもので、JNRマークもしっかりと印刷されている珍しいものです。昭和62年4月1日には国鉄からJR東日本に生まれ変わり、車両にいっせいにJRマークが貼り付けられました。

2009年1月19日 (月)

定期券(国立⇔北浦和)

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私の大学時代の定期券です。当時の武蔵野線は、新小平駅の前後にある長大トンネル対策用として難燃化工事が施され、武蔵野線専用に改造された101系1000番台車の4M2T6両編成で、車齢20年を超える車両が轟音をまき散らしながら95km/hで疾走していました。運転間隔は日中の閑散時には40分に1本しかなく、1本乗り遅れるとホームで次々に通過していく貨物列車を恨めしく眺めていました。現在は、VVVFインバーター制御の205系5000番台車の4M4T8両編成で、日中は12分間隔です。所要時間も南浦和~西国分寺間が当時は33分(武蔵浦和駅開業後)、現在は29分です。まさに隔世の感があります。大学の最寄り駅の国立駅は、三角形の屋根が自慢の私のお気に入りの駅でもありますが、高架化工事のために取り壊されてしまいました。駅から南に伸びる大学通りはおしゃれな並木道で、映画のロケなどが時折り行われており、原田知世を見かけたことがあります。

2009年1月18日 (日)

定期券(北浦和⇔御茶ノ水)

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私の浪人時代の通学定期券です。予備校に通うようになって初めて定期券と言うものを手にしました。これで御茶ノ水にあるS予備校に1年間お世話になりました。当時の京浜東北線は103系オンリーで、ちょうどATC運転を開始した頃で、山手線と同様に高運転台の車両が投入されていました。当時ですら私鉄では空気バネ台車が当たり前の時代でしたが、国鉄ではいまだにコイルバネ台車が幅を利かせていて、保線の悪さとあいまって乗り心地は最悪でした。当時は10両編成のうち、中間3両ほどが非冷房で、夏場は屋根上の冷房装置を確認して、冷房車を選んで乗車したものでした。今ではJR東日本ではどんなローカル線に乗っても冷房化率は100%ですが、当時は夏になると各線区の冷房化率が発表されていて、京浜東北線の70%の冷房化率というのは高いほうでした。

朝は時間を節約するため、浦和駅で東北線、高崎線の普通列車に乗り換えて上野まで向かいました。上野駅に8時頃到着する列車に乗っていたので、もっとも混雑する時間帯で車内では本当に身動きできない状態でした。東北線、高崎線の浦和駅は当時は日中は普通列車が通過していました。また、特急が通過する唯一の県庁所在地駅としても知られていました。

2009年1月17日 (土)

さよならEF55

さよならEF55

電気機関車のEF55が明日で最終運転となります。平成21年1月17日、最終日の前日の運転を見に行きました。臨時列車の指定券は取れなかったので、せめて最後の姿を見ようと上野駅にやってきました。たまたま私が待ち受けていた場所にEF55が停車する幸運に恵まれました。しかし、たちまち皆に取り囲まれ、身動きできない状態となり、本当に危うく圧死しそうになりました。
写真などでは何度も見ていますが、実はこの機関車を実際に見るのは初めてです。きれいに塗装しなおされ、ピカピカです。とても昭和11年製とは思えません。半流線型のフォルムは、ムーミンの愛称そのものです。昭和のはじめにはムーミンはいなかったのでしょうが、当時の設計者は現在のこの人気を見て、どんな思いを抱いているのでしょうか。なお、編成は補機にEF64-1001を従えていました。
私はその後上野発8時03分の高崎線の普通列車で、EF55を追いかけ、高崎、横川へと移りました。沿線のどこでも、撮りテツが大挙していました。写真は横川駅での様子です。

2009年1月16日 (金)

川口市立グリーンセンター

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埼玉県川口市にある川口市立グリーンセンターです。ここは植物園や公園がある川口市民の憩いの場ですが、そのほかに園内の施設としてミニSLが運行されています。1周300mくらいですが、レールは地面にしっかり固定されていて本格的です。レイアウトは馬蹄形で、戻ってきた車両は機関車が切り離され、転車台で方向転換するようになっています。トンネル、踏み切り、鉄橋もあり、変化に富んでいます。車両はSLだけでなく、E4系新幹線もあり、交互に運行されています。あまり大人が一人で乗るような鉄道ではありませんが、たまには良いでしょう。

2009年1月15日 (木)

成田ゆめ牧場

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 平成20年8月、千葉県の成田ゆめ牧場にやってきました。ここにはいわゆる観光牧場で、本来テツとは何の関係もないのですが、園内の一角に線路が敷かれ、軽便鉄道のトロッコ列車が運行されているのです。まきば線と名付けられているようです。通常はDLですが、月に1回程度はSLの運行もあるようです。実際の運行は羅須地人鉄道協会が行っています。

 最寄り駅は成田線の滑河で、ここからは無料の送迎バスで揺られること10分、牧場に到着します。牧場に入るには入場料金が1200円かかるので、単にトロッコに乗る割りには結構出費がかさみます。入り口から5分ほど歩いたところに乗り場があります。

 乗客が集まると適宜運行するスタイルのようです。係員に400円の運賃を支払います。特に切符はないようです。車両はDLを先頭に、オープンの貨車、屋根付の客車の2両編成です。1週約400mほどの円形のレイアウトを5分くらいかけてゆっくり走ります。当日は雨が降っていたので、屋根付の車両に乗りましたが、晴れていればオープンの貨車に乗ることもできます。

 途中鉄橋もあり、また車庫の脇を通ると、SLが整備中でした。乗り終えるとあっけないですが、牧歌的な雰囲気を楽しめる楽しい鉄道です。

2009年1月14日 (水)

びっくりみそかつ

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平成21年1月12日、三連休を利用して、こども汽車、湯ノ口温泉トロッコ電車などを乗り歩いた後、名古屋駅から新幹線に乗って横浜に帰りました。ちょうど夕食時だったので、名古屋駅で買い求めた駅弁がこの「びっくりみそかつ」980円です。名古屋名物のみそかつがどーんと入っています。「びっくり」の由来はこの肉の大きさなのでしょう。駅弁の肉と言えば、一般的には食べやすくカットされているのが常ですが、この駅弁にはプラスチック製のナイフとフォークが付いていて、自分で肉をカットするようになっているのです。肉は、甘めの八丁味噌のソースがしみこんでいて、柔らかく仕上がっています。また、みそかつ以外に余計なおかずがほとんど付いていないのも好感が持てます。本体で勝負しようと言う意気込みが感じられます。私は名古屋に来るとエスカ地下街にあるみそかつの店「矢場とん」で食事をしたり、持ち帰り用の弁当を購入して新幹線で食べることが多く、それもお気に入りなのですが、それに勝るとも劣らないのがこの駅弁でした。また食べて見たい駅弁です。

2009年1月13日 (火)

サンド

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JR東海の新幹線ホームにある売店です。お弁当、サンドイッチ、ビール、飲物の販売スタンドです。どこにでもある光景なのですが、私はこの中で、「サンド」という言葉に違和感を覚えます。サンドイッチの省略形であることは言うまでもないのですが、私はどうもこういう省略形というものが苦手なのです。よくマクドナルドを「マクド」、ファミリーマートを「ファミマ」と言う人がいますが、私には真似できません。私は必ず、ケンタッキーと言い、セブンイレブンと言います。駅名でも西国分寺を「ニシコク」、千歳船橋を「チトフナ」と言ったりするのも私にはできません。省略したってたいして時間の短縮にもなりませんし、誤解が生じるだけです。こういった話は日常生活だけでなく、会社や学校の中で使われる専門用語、業界用語にもあると思いますが、こういう場合も同じです。なぜ嫌いなのかはわかりませんが、言葉は正確に使いたいものです。

2009年1月12日 (月)

ケータイ国盗り合戦2

ケータイ国盗り合戦2
以前一度ご紹介しましたケータイ国盗り合戦ですが、私は平成21年1月11日現在で、600国中316国を統一し、ランキングは143395人中1396位となり、上位1%に入ることができました。9月に参戦し、約4ヵ月で半分以上を制覇しました。この間、九州や四国に遠出することが多かったこともこれだけ稼げた要因です。私の場合、鉄道で移動することが多いので、たいていは列車の中からゲットします。本当はそれぞれの町に降り立ってこそ意味があるというものですが、ゲームと考え割り切っています。600国全部制覇するには、佐渡、隠岐、対馬、石垣島などの島々にも行かないといけないのでいつ完了するかもわかりませんが、すでに達成している人も49人もおり、私もいつかは達成したいと思っています。会員数も私が始めたときには、10万人もいなかったので1.5倍も増えた計算になります。それだけみんなに興味を持たれている証拠でしょう。列車内で地図と窓の外を見比べながら携帯を操作している男性がいたら私かもしれません。

2009年1月11日 (日)

湯ノ口温泉トロッコ電車

湯ノ口温泉トロッコ電車
平成21年1月11日、三重県熊野市紀和町の湯ノ口温泉にあるトロッコ電車に乗りにきました。ここにはかつて紀和鉱山があり、その坑内作業用のトロッコがあったのですが、鉱山が廃止されたあとそのトロッコが観光用に復活したのです。
ここは場所的に非常に不便なところにあり、紀勢本線の熊野市駅か阿田和駅から4、50分バスにゆられ、和歌山県、奈良県の県境近くまで行くのです。瀞流荘という温泉ホテルが起点となり、そこから湯ノ口温泉まで向かうのです。
私は9時55分の便に乗りました。客は私の他にもう一人テツらしい人がいます。トロッコ電車は、先頭車がバッテリーカーでその後ろに4両の木造の客車がつなっています。1両の長さが2mくらいしかなく、車内は一応ロングシートということになりますが、大人が3人も乗ればいっぱいで、立つこともできません。もっとも私は一人で1両を占領しましたが。
発車してすぐトンネルに入ります。トロッコらしいゴロゴロ、ガッツーンとした乗り心地で薄暗いトンネルの中を進みます。乗り心地を少しでもよくするため、座席には座布団が敷かれています。しかし窓枠がサッシでなく木組みなので、ガタガタときわめてうるさいのです。車内の注意書きには、大声を出さないでくださいとかいてありますが・・・。
トンネル内はぜいたくにも複線になっていて、途中一回外に出ますが、ほとんどトンネルです。約10分間で終点の湯ノ口温泉に到着しました。景色は楽しめませんが、鉱山の気分に浸るにはもってこいのトロッコでした。

2009年1月10日 (土)

愛知こどもの国 こども汽車

愛知こどもの国 こども汽車
平成21年1月10日、愛知こどもの国にあるこども汽車に乗りにきました。名鉄蒲郡線こどもの国駅から山道を登ること10分くらいのところにあります。入り口からさらに10分はど坂道を登ると、このこども汽車の乗り場に着きます。こども汽車は愛知県が運営する遊園地内にある遊戯施設に過ぎないのですが、普通の遊園地などにある外見だけの蒸気機関車ではなく、本当に石炭を焚いて蒸気を沸かし、その圧力で走る正真正銘の蒸気機関車なのです。
乗り場付近には鉄道に関する豆知識が書かれた案内板などもあり、この汽車が鉄道として大切にされているのかよくわかります。
私は11時ちょうどの汽車に乗りました。こども汽車といっても大人でも乗れます。動輪2軸のB型蒸気機関車を先頭に5両の客車が連なっています。ただし客は少なく、私の他には家族連れが一組しかいません。5両ではもったいないくらいですが、いちいち切り離したり、増結するのもわずらわしいらしく、ヒョーという物悲しい汽笛とともにそのまま発車します。
スピードは最高でも10km/hなのできわめてゆっくり走りますが、山の頂上付近を走るため眺めはよく、三河湾や渥美半島、それから先ほど降りたこどもの国駅などが眼下に広がります。最後にトンネルを抜けると一周1kmの線路は終点です。列車を降りると、機関士が頼みもしないのに、写真を撮りましょうかと声をかけてくれたので記念撮影をお願いしました。鉄道ファンを大事にしてくれる気持ちがあらわれていてうれしくなりました。

2009年1月 9日 (金)

チョロQ HONDA CITY

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 前回、キュートレインという鉄道チョロQを紹介しましたが、今回は本家自動車のチョロQです。テツ旅のブログにはふさわしくないかもしれませんが、私は鉄道だけでなく乗り物全般に興味があります。

 この車は、昭和年56年に ホンダから発売された初代CITYです。1470mmの背の高いフォルムと3380mmの短い全長で、本物の車ですらチョロQのように見えました。私はこの車に学生時代の昭和58年から社会人の昭和63年にかけて5年間乗っていました。1200cc、67馬力のエンジンを積み、キビキビとした走りっぷりが自慢でした。私が乗っていたのもこの写真と同じ赤いCITYでした。運転免許取立てのときに、ぜいたくにも親から買ってもらったのです。赤い車体と黄色、緑の初心者マークが絶妙の配色を見せていました。私に運転の楽しさを教えてくれた、いろいろな思い出が詰まった車です。今ではもう見かけることもありませんが、もしまだ大切に乗っている人がいたら、お会いしたいものです。

2009年1月 8日 (木)

Q TRAIN

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タカラトミーから販売されているQ TRAIN(キュートレイン)です。Nゲージサイズの鉄道模型ですが、車両に動力が内蔵されていて自走します。写真では線路上においてありますが、線路がなくても、コントローラーで左右に回転し、床の上でも走行することが可能です。チョロQの鉄道版で車両がコンパクトにデフォルメされています。写真の車両は、国鉄色の485系特急電車で、雷鳥のヘッドマークをつけています。昔の特急はどこに行ってもこの色で、新鮮な印象はありませんでしたが、今はこの色をまとう特急も数少なくなり、逆に人気が出てきています。私はいわゆる乗りテツに分類される人間で、鉄道模型の分野にはほとんど興味がないのですが、こういった昔の国鉄を思い出させてくれる車両は大好きです。

2009年1月 7日 (水)

プルバックトレイン

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 JRのコンビニ、ニューデイズ限定で、朝の茶事という伊藤園のお茶を購入すると、このようなプルバックトレインがついてきます。全部で4種類ありますが、私はカシオペアとEF81を選びました。平べったくデフォルメされているので、かわいらしさはありませんが、おまけにしては良くできていて、写真では見えませんが、北斗星のヘッドマークにはちゃんと北斗七星が7つ、ひしゃく型に描かれています。ただし、同梱の説明書には、24系北斗星とありますが、厳密には24系は機関車に引っ張られる客車の方で、機関車自体はEF81です。ニューデイズ限定にしては手抜かりがありました。ただ、ニューデイズではドリンクに鉄道関係のフィギュアが付いていることが多いので見逃せません。

 

2009年1月 6日 (火)

昭和の鉄道の思い出7 ホテルの予約

 今回の正月北陸旅行では、12月31日に富山のルートイン富山駅前、1月1日に金沢のホテルエコノ金沢駅前にそれぞれ一泊しました。楽天トラベルでインターネット予約して、両ホテルとも朝食つきで4,000円ちょうどでした。どちらのホテルも建物自体は昭和50年代風のつくりで、室内の備品もちょっと古めかしいものでしたが、私のように夜遅くホテルに着いて朝早く出立する乗りテツにとっては、特段問題になるレベルではありません。ホテルでくつろごうという考えがないので、シャワーが使えればバスが狭くても気になりませんし、ベッドが硬かろうが柔らかかろうが、関係ありません。

 富山のルートインは朝食が元旦ということもあり、重箱に入った豪勢なおせち料理で、お雑煮もついていました。この朝食だけでも普通のホテルなら少なくとも1,500円くらいは取られそうなものです。結構分量もあり、私は煮物を少し残してしまうほどでした。金沢のホテルエコノは、普通のホテルの無料朝食らしく、パン、ご飯、スクランブルエッグ、納豆、ウインナーなどでしたが、やはりお正月ということもあり、お雑煮がサービスされていました。どちらも4,000円では申し訳ないような感じです。

 以前のホテルの予約というと、ビジネスホテルのガイドブックを参考に、自ら直接ホテルに電話して空室の有無を確認して、空いていれば予約を入れ、部屋のランクも相手の言いなりでした。安い部屋が空いていても高い部屋に誘導されていたかもしれません。他のホテルと比べる術もほとんどありません。ホテルの水準もガイドブックではよく分からないので、安心のために、たいていはサンルートやワシントンホテル、東急インといったチェーンホテルを選んでいました。

 しかし、今はインターネットで同じ地区のホテルが一覧でき、料金の水準はもとより、利用者の声まで掲載されていて、サービスが悪い場合にははっきりと苦情が書かれていたりします。その結果競争が厳しくなって、私は4,000円という低料金で泊まれたわけですが、料金が抑えられたのと引き換えに安全という部分で水準が下がっていたとしたら元も子もありません。安い料金でなくても、そこそこの値段で結構ですから、安全だけは犠牲にしないでというのが私の希望です。

 

2009年1月 5日 (月)

焼きかにめし

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 正月休みを利用した北陸旅行中もう一つ駅弁を買いました。福井駅の焼きかにめし1350円です。売り場には、「ギャル曽根も食べた」という手書きのキャッチコピーが添えられていて、ちょっと高いかなと思いながらも、せっかくの正月旅行だし、購入することにしました。かにの形をした赤いプラスチックの容器に入っていて、かにの足が4本、そのほかむき身が若干添えられてます。焼きかにめしというくらいですから、かには焼いていますが、かにのみずみずしさがなくなってあまり旨さというものは感じません。しかも最悪なのが、ご飯のほうです。駅弁のご飯ですから冷めているのはやむをえないとして、ご飯をとろうとすると、ご飯全体が持ち上がってしまうのです。箸で少しずつ切り取りながら食べましたが、いままで何百回も駅弁を食べていますが、このような経験は初めてです。昨日食べたますのすしは押寿司なのでご飯は固まっていますが、ご飯全体が持ち上がるようなことはありませんでした。この駅弁会社の人は、出来上がってから数時間たった駅弁を試食したことがあるのでしょうか。キャッチコピーに誘われて購入しましたが失敗した感じです。ギャル曽根には罪はありませんが・・・(写真は越美北線の車中です)。

2009年1月 4日 (日)

富山ますのすし

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富山に来ると必ず買う駅弁が「ますのすし」です。私はいつも一人用の小振りなものを購入するのですが、1年半ぶりに買ってみたら、包装が変わっていました。前は水色っぽいパッケージでしたが、今回はワインレッド色で、小箱という言葉が添えられています。
しかし、外は変わっても中身は変わっていませんでした。ますの新鮮な味わいとしっかり押し込められた酢飯が、シンプルですが飽きのこない駅弁に仕上がっています。おかずの多さを競う駅弁が多い中、素材の良さを引き出した数少ない駅弁で、私のナンバー1駅弁です。さすがは老舗です。ただし、値段は750円に上がっていました。

2009年1月 3日 (土)

城端(じょうはな)線城端駅

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 城端線城端駅です。平成21年1月2日、この駅でJR全線を完乗しました。私は国鉄時代に国鉄全線を完乗しているのですが、JRになってからは敢えて乗り直してはいません。そうはいっても民営化後20数年経つといろいろな機会であちこちの線を乗り直していて、乗っていない線も一つになっていました。そこで今回の旅行で最後に残った城端線に乗ってしまおうとやって来たわけです。
 なぜこの線が最後になってしまったかは、特に理由はないのですが、城端線には申し訳ないがなんとなく乗りたくなる魅力に乏しく、また行き止まり式のローカル線なのでこれに乗って他に抜けることもできないことも理由かもしれません。
 実際に乗ってみても特にこれといった特長がなく、また沿線にも記憶に残っているものがまったくなく、ちょっとがっかりです。JRでは城端(じょうはな)を常花と当て字をして、フラワーラインとPRしているのですが、さすがにこの季節は雪しか見えません。別の季節に乗れば良さが見つかるかもしれません。
今年は東北新幹線が新青森まで開業したり、阪神と近鉄の相互乗り入れが始まったり、見逃せないイベントがありますので引き続き旅を続けていきますので、当ブログをお楽しみください。

2009年1月 2日 (金)

北陸鉄道石川線

北陸鉄道石川線
 平成20年12月31日、正月休みを利用して石川県にある北陸鉄道石川線に乗りにきました。この線は末端区間の鶴来ー加賀一の宮間が平成21年に廃止される予定で、そのお別れ乗車に来たのです。前回この線に乗ったのは今から25年も前のことで、その時は終点がもっと先の白山下という駅でしたが、だんだん線が短くなってきています。
 まずこの線に乗るには、この線の起点の野町駅まで行かねばなりません。野町駅は他の鉄道線と接していないので、金沢駅からだとバスを利用するしかありません。野町駅はなぜこんなところに駅があるのかと不思議に思うような住宅地の中に忽然と現われます。駅前商店街もありません。
 この線を利用するには一日フリー乗車券が便利です。1000円です。このきっぷでこの石川線と北陸鉄道のもう一つの線(浅野川線)の両方に乗れるのです。石川線を単純に往復するだけでも、もとがとれるといううれしさに加えて、さらにきっぷに金箔が施されていて、ゴージャスな雰囲気が醸し出さ、コレクションとしても優れています。
 野町駅発12時27分発の加賀一の宮行きに乗りました。私の他にもう一人テツがいて一生懸命写真を撮っています。前回乗った時は、加速時に車内の照明に電気が回らず、車内がいったん薄暗くなるというおよそ通常の鉄道ではありえない変わった現象が起きる老朽化した車両に乗りましたが、今回はステンレス車両2両の立派なものに変わっていました。
 発車してから二つ目の新西金沢はJRとの接続駅になっていて、ここからは7、8人テツが乗ってきました。小学生テツもお父さんと一緒に乗って来ました。廃止までまだ一年近くあるのにこの行動力には感服いたします。2両編成の車内は一般の乗客よりテツの方が多い状態で鶴来駅に到着。
 ここから先が廃止される区間で2駅、時間にして5分ほどです。ジリジリと鳴る昔ながらの発車ベルを聞きながら鶴来駅を発車。鶴来駅を出てすぐ短い鉄橋があり、この鉄橋の補修費用が賄えないのが廃止の理由らしいです。その鉄橋をノロノロと渡り、カーブをくねくね曲がって進みます。左手の山が迫ってくると終点加賀一の宮です。
 駅に着くとテツたちは皆車両や駅の写真を撮り始めました。私も同様です。駅舎は木造瓦葺平屋建ての古めかしいものですが、白山比羊神社の入り口駅らしい風格もあります。
 折り悪しく雪が舞ってきたので写真もそこそこに車内に戻りました。
その後私はフリー乗車券を活かして浅野川線にも乗りに行きました。

2009年1月 1日 (木)

新年あけましておめでとうございます

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 皆様あけましておめでとうございます。「ミスターKのテツ旅日記」をご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、今回は1月1日ということで、1月1日付の切符を探してみました。これは昭和59年1月31日に廃止された別府(べふ)鉄道の別府港駅の入場券です。今から25年前も前のことで、私は大学生でした。別府鉄道というのは、兵庫県の山陽本線土山駅とすでに廃止された高砂線の野口駅を結んでおり、機関車が1両の客車を牽いて走るのどかでかわいい鉄道でした。

 このときは、新幹線新春初旅フリーきっぷというものが発売され、東京・博多間の新幹線自由席が一日乗り放題で12000円くらいだったと思います。今でも同種の切符が発売されていますが、まだ国鉄の時代なので博多まで通しで乗れました。 私はこの切符を使って、一日一往復しか運行されていなかった清水港線、撤去が決まっていた阪急西宮北口駅の神戸線と今津線の平面交差の見物、そしてこの別府鉄道に乗りに行ったのでした。

 

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