上山田トロッコフェスタ
2007年10月、今月2回目の九州にやってきた。今回の目的は、旧国鉄上山田線の廃線跡を利用して運行されているトロッコに乗車することだ。このトロッコは年に1回だけ、毎年10月に運行されている。当日の10時から15時まで運行されるとのことで、一番乗車を目指し、前夜小倉に宿泊し、レンタカーでここまでやってきた。地域のコミュニティバスも運行されているようだが、時刻や路線が今ひとつはっきりせず、その後の行程も勘案し、レンタカーとした次第。
会場近くの熊ヶ畑小学校に着いたのが、9時30分頃で、乗り場に行くと既に15名くらいが並んでいた。先頭の3人くらいはいかにもご同業といった感じの人たちだったが、それ以外は地元の家族連れが大半。
チケットは大人200円と格安。チケットを見ると今年で12回目となっている。私がこのイベントを知ったのが、3~4年前だから、随分前からやっていたようだ。こういった地方のイベントはインターネットで検索してもなかなかヒットしなかったり、あるいはかなり直前にならないと分からないので苦労する。
先述のとおり、10時から運行開始だが、待ち客も増えてきたので実際には9時50分くらいから運行された。私は2便目の乗車となった。乗車を待ちながら、写真を撮ったり、駅名票などを楽しそうに眺めていると、ビデオカメラを手にした老人が話しかけてきた。「どちらから来ました?」「マニアの方ですか?」「よくトロッコを乗り歩いているのですか?」等々。こちらはそれどころではないので生返事で答えていると、乗り終わったらインタビューしますからよろしくと言って去っていった。老人が手にしていたカメラにはNHKのシールが貼ってあった。「インタビューしますから」とは随分思い上がったあいさつだ。普通なら「インタビューしますがよろしいでしょうか」だろう。天下のNHKだからインタビューに答えて当然といった態度で、これでは視聴者の信頼は勝ち取れない。
それはそれとして、1便の乗客が帰ってきて私の順番になった。このトロッコは3週間前に乗った門司港のトロッコとまったく同じものだ。こちらが本家で、門司港はこちらのトロッコを借りて運行していたのだ。ところが、ヘッドマークは門司港トロッコのときの「しおかぜ」号のものがそのまま使われていた。前回と同じく動力車のすぐ次の車両に乗る。最初はバックで進むので最後尾の車両となる。
駅名票の脇についている手製の鐘が打ち鳴らされ、出発。最初はゆるい下り勾配を行く。門司港の時よりもスピードも出ているようだ。風も気持ちよく、沿線にはコスモスも咲いている。築堤の上を進むので、沿線の道路より一段高いところを行き、見晴らしもいい。線路際の木々は手を伸ばせばとどきそうだ。宮脇俊三さんは「時刻表2万キロ」の中で、初めて上山田線に乗った時、既に日が暮れていたこともあって、「熊ヶ畑という駅名がこの線を象徴していた」と感想を綴っていたが、昼間にのるとのどかな農村地帯で、気持ちよい自然に囲まれている。
目測で800mほど進み、折り返し地点に到着。ビーとブザーがなり、今度は私の乗った車両が先頭になる。上山田線が廃線になってから、おそらく20年以上経つはずだが、線路の状態も悪くない。トロッコ車両用の専用の車庫も作られていて、車両の状態もよい。これからも末永く使用していくのだろう。
乗車が終わって、トロッコを降りると、先ほどの老人が待ち構えていた。カメラを持ったままで、その人が自分で質問する。先ほどと同じ質問をされ、同じように答える。気がつくと私はなぜかカメラ目線で質問に答えていた。インタビューに答えると何か記念品でももらえるのかを思ったが何もなし。名前も聞かれなかった。老人の風体からすると、NHKの正規の職員ではなく、地元の通信員もしくは定年退職した元職員で、こういった地元のイベントがあるとその映像を撮影し、ローカルニュースに提供しているのだろう。実際には放映されたのかどうかもわからない。
しかし、こういった形でも廃線が活用され、地元に欠かせない存在となっているのはいいことだ。11時頃には乗車待ちの人数は100人を越えていた。全国でこういった動きが広がっていくことを期待する。
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