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2008年9月

2008年9月30日 (火)

伊豆急全線ウオーク9(伊豆熱川→伊豆北川)

Hokkawa

伊豆熱川駅では約10分ほど休憩する。エアーサロンパスを足に吹き付けるが、まだ特段痛みや疲れは感じない。今度の区間は、ここから伊豆北川(いずほっかわ)駅までの2.8kmで難易度はAランク、歩きやすい区間となっている。駅を出るとすぐ急な上り階段があり、これが国道の下をくぐり、出たところにファミリーマートがあった。まだ11時なのでおなかはすいていないが、昼食を購入しておく。

リゾートマンションが立ち並ぶ区間を抜け、さびしい山道を行く。せみの鳴き声も聞こえるが、日差しはなく、Tシャツ1枚でちょうどいい。前からウオーク参加者が現れ、どちらからともなく、「こんにちは!」と声をかけながらすれ違う。

伊豆北川駅の手前で、ものすごい下りの急坂があり、滑らないよう慎重に降りる。山間の谷底にある伊豆北川駅に11時35分着。この駅は築堤上にあるのだが、駅舎はわざわざ築堤をくぐった向こう側にあった。築堤の向こう側は斜面しかないのだから、わざわざくぐらず手前側に駅舎を設ければいいのにと思うが、そうすると狭い駅前広場がますます狭くなっていまうので、現在のような形に落ち着いたのかもしれない。

切手のデザインは、アルファ・リゾート21(赤)だった。

2008年9月29日 (月)

伊豆急全線ウオーク8(片瀬白田→伊豆熱川)

Atagawa

本日第2のルートは、片瀬白田駅から伊豆熱川駅までの2.6kmである。10時15分スタート。まだ疲れはまったくないが、エアーサロンパスを吹き付けて筋肉痛を予防する。この駅の周辺は区画がきちんと整っていて、気持ちがいい。駅をでるとちょうど185系踊り子103号が通過していった。

はりつけの松の脇を抜け、海岸沿いを行く。風は強いが寒さは感じない。遠く大島の島影も見えている。ほとんど平坦で、専用の歩行者用のボード上を行くので快適な区間だ。

ほっとぱぁーくという足湯を過ぎ、クイズの問題がある太田道灌の銅像の場所に来た。熱川の名前の由来は、その名の通り、温泉のおかげで熱い川が流れているわけだが、ここから駅に向かう上り坂沿いには急流が流れている。この川が熱川なのかは分からないが、あまり温かそうには見えない。

10時45分、改築工事中の伊豆熱川駅着。切手のデザインは1000系電車だった。

2008年9月28日 (日)

伊豆急全線ウオーク7(伊豆稲取→片瀬白田)

Sirata

平成20年9月28日、第2回目の伊豆急全線ウオークにやってきた。前回は最後にへばってしまったので、今回はあまり飛ばさず少しゆっくり目に歩こうと思う。

最初のコースは、伊豆稲取駅から片瀬白田駅までの8.2kmでレベルCと難易度最高の区間だ。8時35分スタート。今日は最高気温の予想が23度と少し涼しそうだ。駅をでてしばらくは、稲取の漁港を見たり、海岸沿いを行く。海からの風が強く、長袖のシャツを着てきたが、もう1枚上着がほしいほど寒い。しまったなと思いながら、駅から15分ほど歩くと突然急坂が現れた。国道135号線をくぐり山間部に至る急坂で、斜度は目測では30度はありそうに思えた(実際にそんなにはないだろうが)。そんな坂を10分ほどかけて登ったので、急に息が切れてきたのとともに、汗をかきはじめて、結局Tシャツ1枚になってしまった。

その後も急坂は続き、最初からこのハードさでは先が思いやられるなと考えながら、結局ほとんど上り一方で、トンネル入り口まで駅からちょうど1時間かかって歩いた。この区間のクイズは、トンネルを出たところにある大倉橋の竣工年月を答える問題で、トンネルを出たところにすぐ橋があったのでその橋かと思ったら、橋の名前が違うのである。もう少し歩くと、大倉橋が現れた。ひっかけ問題なので皆さんも要注意。

ここからは下り坂になるので楽になってきた。海が見えるところもあり、前回歩いたときに見かけた「はりつけの松」も遠めに見えた。

伊豆稲取駅から6.1km地点に水道タンクがあり、ここからわき道に入り、今までにも増して急な下り坂になる。せっかく蓄えた位置エネルギーを無駄に放出してしまう。大またで歩くと足に負担がかかるので、歩幅を狭め、そろりそろりと斜面を下る。

10時10分、駅前に広々としたロータリーのある片瀬白田駅着。駅員が駅構内の清掃中という札が、窓口に立てかけられていたが、待つほどもなく駅員が現れ、きっぷをゲット。マリンとレインだった。

2008年9月27日 (土)

横浜ステーション物語

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みなとみらい線日本大通駅にある横浜都市発展記念館で開催されている「横浜ステーション物語」という特別展示に行ってきました。横浜駅の変遷を当時の写真や資料をもとに紹介するイベントです。

皆様もご存知のように、日本の鉄道は明治5年(1872年)10月14日新橋~横浜間で開業したのがその始まりです。そしてその当時の横浜駅は、現在の桜木町駅の位置にあったことも割と知られています。しかし、その後2度の変遷を経て、現在の地に移転しているのです。それは開業当初の横浜駅の位置では、西に進むのに不便でスイッチバック運転を余儀なくされていたからです。そのため、それを解消するため、大正4年(1915年)に高島町付近に移転、レンガ造の堂々たる駅舎が完成しました。ところが、せっかくの新駅舎も、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失してしまったのです。そのため、昭和3年(1928年)現在の横浜駅の位置にコンクリート造のシンプルな駅舎が建築されました。

現在の横浜駅は、今回の展示会の副題にもあるように「そこは、昔、海だった・・・」のです。内海だったところを明治時代から埋め立てて、昭和のはじめには完全に陸地になり、そこに3代目の横浜駅ができたのです。私の現在の勤務地も横浜駅西口付近なのですが、海だった面影はまったくありません。

現在の横浜駅は、西口の方が栄えていますが、開業当初は東口がメインでした。当時の写真でも、今の東口と同じように、崎陽軒の店舗が写っていたのが印象的でした。

今回の写真の1枚目は、記念館の入り口です。鉄道の展示会を意識した訳ではないと思いますが、なぜか湘南電車風の塗り分けになっています。地下鉄の出口と直結していますので、雨に濡れずに行けます。皆様も一度いかがでしょうか。

2008年9月26日 (金)

ケータイ国盗り合戦

今「ケータイ国盗り合戦」にはまっています。携帯電話の位置情報システムを利用したスタンプラリーで、全国を600の国に見立て、実際にその場所に行って携帯電話を操作すると、その国が統一(獲得)できるものです。私はまだ始めたばかりなので29国しか統一できていませんが、すでに600国全部統一した人もいるようです。10万人が参加していて、私は統一した国のランキングでは5万人目くらいです。北海道から沖縄までがエリアで、しかも本島だけでなく、石垣島や佐渡島、伊豆大島なども含まれていますから、私はとても制覇できそうにありませんが、できるところまでやってみたいと思います。またラリーとあわせて、戦国武将に関する歴史クイズもあり、勉強にもなります。パケット通信料以外は無料で楽しめますので、皆さんもぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

2008年9月25日 (木)

かえるポスト

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これは何だと思いますか。大宮駅改札内に設置されている郵便ポスト「かえるポスト」です。大宮駅開業120周年を記念して、2005年に設置されました。鉄道の街大宮を示すように鉄道車両の部品を使用して作られています。足元は本物の車輪、頭はテールランプです。もちろん、実際の郵便ポストとして使えますが、東京駅の郵便ポストのようにここで投函しても風景印の消印はつきません。

2008年9月24日 (水)

私の好きな駅6 大宮駅

200809sagamisen_044 

私の好きな駅第6回目は、大宮駅です。大宮駅は私の実家の最寄り駅です。駅舎自体は何の変哲もない駅ビルスタイルの駅で特段の魅力はありませんが、エキナカは優れものです。デパチカがそのまま駅の中に入ってきた感じで、飲食やお菓子、お土産、惣菜等の店舗が全部で71店あり、たいていの用事はこの中で済ませることができます。発車案内表示機がなければ、誰も駅の中と思わないでしょう。最近は他の駅にもエキナカができていますが、規模と店舗の質ではどこにも負けないでしょう。私は大宮駅のエキナカに慣らされてしまっているので、他のエキナカを見ると物足りなさを感じます。

2008年9月23日 (火)

横浜線開業100 周年記念イベント

横浜線開業100<br />
 周年記念イベント
ミスターKの地元横浜を走る横浜線が今日で開業100周年になりました。八王子から生糸を横浜港に運ぶため敷設されました。それを記念して今日小机駅でさまざまな記念イベントが開催されています。
私は限定発売の記念駅弁に狙いを定め、朝10時に小机駅に来ました。すでに駅弁をはじめ各種グッズ販売の列はかなりの長さになっていました。結局11時すぎにようやく買えました。目当ての崎陽軒のお弁当はすでに売り切れでNREのお弁当になりました。
写真は小机駅停車中の記念ヘッドマーク付205系電車です。

2008年9月22日 (月)

駅弁 鎌倉ハムサンドウヰッチ(大船駅)

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前回に続いて大船駅で大船軒が販売している駅弁「鎌倉ハムサンドウヰッチ」です。サンドイッチの駅弁は非常に珍しく、おそらくここ以外ないでしょう(コンビニのサンドイッチならいくらでもありますが)。鎌倉ハムを使用したシンプルな味わいです。明治32年から販売されているとのことで、「鯵の押寿司」より、歴史があります。パンが多少ぼそぼそしていますが、それも明治時代を感じさせるもので、かえって素朴さをアピールしています。

なお、この写真は茅ヶ崎駅の相模線ホームのベンチで撮影しました。いまだに木製の長椅子が現存していました。

2008年9月21日 (日)

駅弁 鯵の押寿司(大船駅)

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大船駅で販売している大船軒の「鯵の押寿司」です。大正2年発売のロングセラー商品です。掛け紙には、湘南名物と書いてあります。脂ののった鯵(あじ)と寿司飯が見事な味わいをかもしだしています。私はどちらかというと鯵があまり好きでないほうですが、この駅弁は一度食べて虜になりました。鯵は、焼き魚で食べることが多く、押し寿司になってこんなに肉厚な食感とは知りませんでした。長く親しまれている理由もうなづけます。皆さんも一度ご賞味いただきたいと思います。

2008年9月20日 (土)

昭和の鉄道の思い出6 キヨスク

昭和の鉄道の思い出5  <br />
 キヨスク
昭和の鉄道の思い出、第5回目はキヨスクです。今はキオスクと言うようですが、いずれにしても昔はかなりローカルな乗り換え駅にもキヨスクがあり、駅弁や食事にありつけない場合にに、キヨスクでパンやお菓子を調達し、飢えをしのいだものです。
当時はコンビニも出来始めの頃で今のようにどこにでもあるという時代ではありませんでした。
ただローカル駅にあるキヨスクでは必ずしも品揃えが充実しているわけではないので、パンといってもクリームパンみたいなのしかないことも多く閉口しました。しかし、その地域のおみやげが厳選されて置かれており、重宝しました。
今はコンビニに取って代わられつつありますが、コンパクトに凝縮された店舗、意外に多い品揃え、店員の素早い暗算術はいつまでも廃れないでほしいと思います。

2008年9月19日 (金)

伊豆急全線ウオーク6(今井浜海岸→伊豆稲取)

Izukyu_009

当初の計画ではこの今井浜海岸駅で終了する予定だったが、まだ時間があり、少し疲れは出てきたが、昼食をとれば回復しそうな気がしたので、次の伊豆稲取駅まで進むことにした。マップによれば伊豆稲取駅までは、10.7km、標準所要時間は2時間45分となっている。今までのケースでは、特に無理をしなくても標準所要時間よりかなり早めに着いてきたので、まだ14時前だし、ゴールの17時までには、多少ゆっくり歩いても十分間に合うだろうという計算だった。しかし、すでに23kmほど歩き、実はかなり体力を消耗していることに、このときは気づいていなかった。

駅のベンチでさっき買ったランチパックを食べ、足腰に特段痛みのないことを確認し、13時50分今井浜海岸駅を後にした。

しばらく海岸沿いを行くコースになる。サーファー風の人が歩いていたりする。結構日差しが強くなってきて、今井浜海岸駅からいくらも歩いていないのに、だいぶばててきたのを感じる。やっぱりさっきの駅でやめておけばよかったかなという思いも出てきた。

田尻海岸というバス停を過ぎると、向こうから中年の男女がやってきた。いかにもウオーキング参加者という風体だ。前回参加した時は伊東から下田まで片道を行くルートだったので、他の参加者を追い抜いたり、追い抜かれたりすることはあっても、すれ違うことはなかったが、今回はそれがあるのだ。

すれ違うとき、向こうから声をかけてきた。「今年のルートはアップダウンがきついですよ、私たちは今日片瀬白田の駅から来ました、この先やぶ蚊が多いので気をつけて」等々、誰も話し相手がいなかったのか、夫婦ともども機関銃のように話しかけてきた。私も「あと15分くらいで今井浜海岸の駅ですよ、私は下田から歩いてきました、お気をつけて」と愛想よく答えてあげた。

国道に出ると、急な上り坂になった。乗用車もシフトダウンして登っていく感じだ。そんな上り坂が15分ほど続き、だいぶこたえてきた。坂の途中にオレンジセンターというバス停があり、たまたまそこにベンチがあったので、そこで小休止。お菓子を食べて5分ほど休む。筋肉痛の症状も出てきた、ひざの裏側や足首が痛くなってきた。このあたりで伊豆稲取駅までの行程の3分の1くらいの地点なので先が思いやられる。今井浜海岸駅での安易な選択が後悔されてきた。

途中の自販機でサントリーウーロン茶を購入。まだ河津で買った爽健美茶は残っていたが、これからに備えておく。

長野というバス停から国道を離れ山道に入るとともに、当然上り坂になってきた。ときおり農作業の軽トラックが傍らを行く。ヒッチハイクして乗せていってもらいたいくらい。

仲ヶ野というバス停でマップ上は直進するように書かれているように見えるがよく見ると右に曲がるようになっていて、ここから一段と急坂になってきた。樹木がうっそうと繁っているので、日差しは強くないが腕を見ると真っ赤になっている。おそらく顔も同じだろう。

急坂の途中で道の脇に大きな岩があったので、そこで2回目の小休止。ここで爽健美茶を飲み干す。筋肉痛はますます激しくなってきた。その間何台かの車が通り過ぎる。助けを求めたいくらいだが、ここであきらめては意味がないので、ぐっとこらえる。

再びスタートする。歩みはきわめてゆっくりになってきて、エベレスト登山の人々はどんな気持ちで登っているのだろうか、引き返す勇気とはどういうものだろうかなどと考えながら、腰に手をあてながら、斜面を登っていく。

伊豆見高入谷高原温泉の前を通過。ここが問題の回答があるところ。しっかりデジカメに収める。ここがスタート地点からちょうど6kmで、1時間20分かかっている。のこり5kmでゴール時限の17時までは1時間50分ある。ここからは下り中心なのでなんとかいけそうではあるものの、足の筋肉は相当に疲労している。

入谷公民館を過ぎると、急な下り勾配になり、ちょうど石垣があり、腰をかけるのに好都合だったのでそこで3回目の休憩。残りは3kmちょっとのはずだか、休まずにはいられない。休んでいると地元の小学校低学年の男の子たちが5、6人全速力で坂をかけおりていく。よく転ばないものだとうらやましく眺める。

5分ほど休み、再スタート。腕をみるとパンパンに膨れ上がっている。日差しのせいもあるが、すでに3本のペットボトルを飲み干し、4本目も半分くらい飲んだので、その影響もあるのだろう。

愛宕神社で左に曲がるところを気付かずに直進したため、少し遠回りをしてしまい、疲れに拍車をかける。足をさすりながら、稲取の街に入り、16時15分、日も傾きかけた稲取駅にようやくたどり着いた。しかし駅員に疲労困憊したさまを見られるのもカッコ悪いので、最後の力を振り絞り、窓口で切手を受け取る。切手のデザインは、ノーマルのリゾート21だった。3回も休憩し10.7kmを2時間25分もかかったが、それでも標準時間より20分ほど早かった。次回からはもう少しペースを落としたほうがよさそうだ。結局、今日1日で34kmも歩いたわけで、山手線1周くらいの距離になる。しかもアップダウンが相当にあったから、実際の距離以上のものがあるだろう。

帰りは途中伊東駅から東京行きの直通列車があり、グリーン車も連結されていたので、そのお世話になった。普通車でも十分座れたが、この選択は正解だった。横浜駅までの約2時間弱を、前の座席をこちら側に回転させてワンボックス占領し足を伸ばすことができ、筋肉痛をいたわることができたからである。しかも料金は750円のホリデー割引料金だ。伊豆稲取駅で買ったかわはぎロールというおつまみを肴にほろよい気分でいると、車掌が普通車の客に向かって「車内が混んでいるので座席に荷物を置かずに、一人でも多く人が座れるように協力してほしい」旨の放送を繰り返していた。

2008年9月18日 (木)

伊豆急全線ウオーク5(河津→今井浜海岸)

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河津駅に着いた私は疲労が出てきたので、しばらくベンチに座り、体を休める。さっき買ったアクエリアスもここで飲み干した。朝から500mlのペットボトルを2本空けたことになる。

駅構内の売店には、食事になるようなものがなかったが、前回歩いたときに、次の今井浜海岸駅の手前に、デイリーヤマザキがあったことを思い出し、そこで昼食を調達することにした。

13時15分、駅前の自販機で爽健美茶を購入し河津駅スタート。次の駅までは約2kmで先ほどの行程とは逆に今回のコースでもっとも楽な区間であろう。

海岸沿いを行くコースで太平洋の潮の香りをしっかりと感じられる。景色も最高だろう。一部砂浜を歩く区間もあり、短いながら変化に富んでいる。

昼食調達のため、今井浜海岸駅近くのデイリーヤマザキに入ったが、時間帯のせいか、お弁当やおにぎり、サンドイッチはまったくなく、店の照明も暗く、やっているのかいないのか分からない様子。さすがにヤマザキの店なのでランチパックはあったが、それも2個しかなく選択の余地はなかった。そのほか栄養補給用のお菓子も購入。

買いもものしたが、13時40分、山小屋風のおしゃれな駅舎の今井浜海岸駅に到着。

この駅の切手は、黒船電車にヘッドマークをつけた河津桜号だった。

2008年9月17日 (水)

伊豆急全線ウオーク4(稲梓→河津)

Izukyu_005

稲梓駅で10分ほど休憩の後、10時25分スタート。次の区間が今回のウオーキングの中でもっとも難易度が高い区間と想定される。距離は14.4kmもあり、アップダウンも多そうだ。心してかかる。

先ほどくぐった鉄橋を再びくぐり、国道に出る。ところどころ歩道のない区間があり、かなり気を使う。のんびりウオークとはいかない。

箕作(みつくり)交差点を右折する。マップでは直進するかのような図になっているが、よく見ると右折しなければならないことが分かる。この箇所に限らないのだが、ルートマップには分岐の具合の分かりづらいところが結構あり、よく地図を読み込まないと間違った道に行ってしまう。また一方、コース上にも道案内のようなものがほとんどないので、これにも要注意だ。

稲梓中学校を過ぎ、左手に自販機が見えてきた。家から持参したポカリスエットがまだ半分くらい残っているのだが、この先暑くなりそうだし、コンビニもなさそうなところを行くから、アクエリアスを1本買っておくことにする。こういうときはやはりスポーツ飲料系がいいだろう。

戸崎というバス停を過ぎると、今日3問目の問題がある。看板を見つければそこに答えははっきり書いてあった。

国道から外れ、目金橋を渡ると、未舗装箇所を行くようになる。石がごろごろしていて歩きにくい。マップではねぎしばしを渡ることになっていたのだが、ボーっと歩いていたため、ねぎしばしを行き過ぎ、だんだん道が険しくなってきて、道を間違えていたことに気がつき、300mほどロスした。

ひろおばしのところで、ちょうど12時になったので、橋のたもとで小休止。ここでポカリスエットを全部飲み干した。やはりさっきドリンクを買っておいてよかった。朝食は、列車の中で済ませたので、まだ空腹感はない。歩きながら栄養補給のためチョコレートを食べてきたのも貢献しているかもしれない。特に足腰に痛みもない。順調な初日だと言えるだろう。

5分ほど休み、再スタート。ここから上りが急になってきた。国道に合流し、峰山トンネルに入る。トンネル内は歩道もあるが、車の音が反響するので、快適とは言えない。

トンネルを出ると結構急な下り坂になる。下り坂はありがたくもあるが、しっかりと足を踏ん張って、小またで歩かないとスピードが出すぎて足に負担がかかりそうだ。また歩道のない区間を行くようになったが、道幅がひろく、交通量も少なくなってきたので、それほど神経を使わなくても大丈夫だ。曇り空で日差しは強くないので、汗がしたたり落ちることはないが、ドリンクの減りが早くなってきた。河津バガテル公園という何だかよく分からない公園を過ぎ、下り坂を踏ん張りながら進む。

坂道が終わり、街中に入り、早咲き桜で有名な河津桜の遊歩道を過ぎると、河津駅が現れ、13時ちょうど到着。稲梓駅から14.4kmを2時間35分で歩いたから、時速5.6kmであるいたことになる。モデルプランはこの区間を3時間50分で行くことになっているから、結構速足で来ている。

この駅の切手は、8000系トランバガテル。バガテルは後で調べると、フランス語で「小さくて愛らしいもの」という意味で、河津バガテル公園はパリのバガテル公園と姉妹園になっていて、バラをメインとしたテーマパークとのこと。

2008年9月16日 (火)

伊豆急全線ウオーク3(蓮台寺→稲梓)

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蓮台寺駅で5分ほど小休止をしてから、次の稲梓駅に向かう。

10分ほど歩くと鯉のいる池を過ぎる。何のへんてつもない池であるが、マップの案内によれば米国総領事ハリスに仕えた唐人お吉という女性が身を投げた池らしい。今から150年も前の話である。

稲生沢川沿いの堤防上をいく気持ちのいいコースになる。まだそれほど暑くなく、日差しもほとんどない。

堤防から離れ国道に出る。途中から歩道のない区間になり、車を気にしながら進む。浄水場前というバス停があり、2問目の質問の答えが、バス停のとなりにある看板に書いてある。

稲梓の駅の手前で、谷をまたぐ高い鉄橋が見えてくる。目測で地上から20mくらいはありそうだ。餘部鉄橋からは比べるべくもないが、トラスもないシンプルな構造で、稲梓の駅を出た列車がすぐに渡り、渡り終えるとトンネルに進入する仕組みになっている。そのトンネルの下をくぐり、駅へ通じる長い階段を登り終えると稲梓駅があった。駅員は狭い駅前を清掃中であったが、私が近づいてくると私の出で立ちからウオーキングの参加者であることを瞬間的に察知し、さっと駅舎の入り私を迎えた。10時15分着。この区間もレベルAで難易度は低かった。私は特に急いだわけでもないのに、約4kmを40分で歩き、ここでも時速6kmの計算になる。

この駅の切手はフラワートレインだった。リゾート21をラッピングした車両だろう。

2008年9月15日 (月)

伊豆急全線ウオーク2(伊豆急下田→蓮台寺)

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伊豆急下田駅に8時48分に着いた。ウオーキングの概要やコースマップは伊豆急のホームページを見て概略は理解しているが、やはりきちんと印刷されたものを手に入れたい。駅構内を見渡すと、探すまでもなくすぐ見つかり、次の駅までのマップ、今回の全線ウオークの案内が書いてあるパンフレット、入場券を貼っていき全線完歩賞の時必要になる沿線散策シート等を手にいれる。こういったものをきれいに保管しておくために、私はいつもクリアファイルを持ち歩いている。

それから肝心のこの駅の入場券を券売機で購入。これを忘れてしまっては、せっかく歩いても何も報われない。首からさげるチケットフォルダーにこの入場券をしっかりしまう。

この駅まで来るとき、伊東あたりでは小雨が降っていて心配になったのだが、こちらは曇り空ではあるものの降っていない。駅前広場に南国らしくシュロの木が植えられている駅をあとに9時ちょうどにスタート。

今回第5回目のウオークでは、各駅間のルート上に存在するものに関する質問が用意されていて、現地で現物を確認して問題を解くようになっている。全線完歩して、この質問にも全問正解すると抽選でリュックサックがもらえるのだ。実際に現地に行かないと解けない問題ばかりである。

今回の第1問目の問題は、伊豆急下田駅から100mほど離れたところにある神社の名前に関する質問。行けばすぐ分かるようになっている(ネタバレになるのでこのブログではお伝えしません)。

国道に出てほぼ平坦な道を進む。このウオークの各ルートには、難易度が示されているがこの区間はレベルAと一番やさしいことになっているが、その通りだろう。まだ暑くはないが結構湿度が高いようで、私は上に羽織っていたものを脱ぎ、Tシャツ1枚になった。Tシャツは鉄道ウオークにふさわしいように、名鉄の空港特急車両がさりげなくデザインされている電車図柄のものにした。

自然の風や鳥のさえずりなどを感じながらのウオーキングを期待してきたが、ここは国道沿いを歩く区間なのでひっきりなしに行きかう車の騒音でそういったものを楽しむことはできない。仕方ないのでⅰPODを取り出し、音楽を聞きながら進む。マップ上は国道の右側を歩くように指示があるが、途中から右側の歩道がなくなったので、左側に移る。トンネルを抜けると、広々とした空間が広がり、9時30分、白壁の駅舎の蓮台寺駅到着。マップでは2.9km、所要時間45分とあったが、特に早足で来たわけではないが、30分で到着。時速6kmで歩いた計算になる。

駅で伊豆急下田の入場券を渡すと、蓮台寺駅のスタンプを押してくれ、それとともに切手を1枚もらう。黒船電車のデザインだった。

2008年9月14日 (日)

伊豆急全線ウオーク1

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今年もまた伊豆急全線ウオークの季節がやってきた。このイベントは伊豆急全線を徒歩で歩ききるウオーキングイベントで今年で5回目になる。私は以前第3回目に参加したことがある。一駅歩くとその区間ごとに異なった伊豆急の電車のピンバッジがもらえるのでそれが楽しみだ。
従来は、伊東から伊豆急下田まで片道を歩くイベントだったが、今年はラウンドトリップと銘打たれ、下田行きと伊東行きの2コースが設けられ、幸か不幸か往復あわせて160キロも歩くことになっている。しかも今年は伊東行きの場合はピンバッジでなく、伊東急の電車の切手がもらえるのだ。ピンバッジの図柄も毎回変わっており、今年は切手まであるということであれば、鉄道グッズコレクターの私とすれば参加せざるをえない。
参加にあたって特に申し込みは不要で、各駅で入場券を購入し、それを持って次の駅まで歩き、駅で示すと賞品がもらえるのだ。しかも一駅ごとの賞品とは別に入場券を全部取っておくと全線完歩賞としてピンバッジを入れるケースや切手アルバムその他がもらえるのだ。期間は来年の3月まで。
そういうわけで、今日から休日を適宜利用して完歩を目指したいと思う。
まず1回目は伊豆急下田駅からスタートし、今井浜海岸駅まで約23キロを歩いてみようと思う。

2008年9月13日 (土)

宮脇俊三と鉄道紀行展2

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世田谷文学館で開催されている宮脇俊三と鉄道紀行展に今日(平成20年9月13日)再び行ってきました。今回は鉄道写真家の真島満秀さんがお見えになって、写真を交えながら宮脇さんの思い出を語っていただく会があわせて行なわれました。

そのなかで、宮脇さんとの初めての取材の後に酒を飲み明かしたことや終着駅で宮脇さんだけ犬に吠えられた話、宮脇さんとの最後の取材になった餘部鉄橋の話などいろいろなエピソードを語られていました。真島さんは「写真家は人と会うときまず目を見る、宮脇さんは優しい目をしていた」とも言っていました。

宮脇さんの言葉で真島さんが一番印象に残ったのが、「本のタイトルで、『と』は使ってはいけない」というのがありました。「AとB」というのは、対象が絞り切れていないからだめだということです。その通りだと思いました。二兎を追うものは一兎をも得ず。真島さんはその言葉を聞いてから、写真にそれを活かすようになり、いくらか写真がうまくなったと言っていました。今日のブログで「と」が入っているのは、もともとそういうタイトルなので悪しからず。

この垂れ幕の写真は真島さんが餘部駅で撮影した写真で、前述の通り、宮脇さんとの最後の仕事になったものです。この直前に餘部鉄橋上で宮脇さんが何かを指差しながら、真島さんに話しかけたそうですが、それが聞き取れなかったのが心残りのようでした。

2008年9月12日 (金)

昭和の鉄道の思い出5 改札口

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昭和の鉄道の思い出、5回目は改札口です。ステンレス製のボックスの中に駅員が入り、パンチと呼ばれる改札鋏をカチカチとリズミカルに打ち鳴らしていました。大きな駅ではずらりと駅員が並んで、その迫力に圧倒されました。きっぷを差し出すと、さっと切り込みをいれ、ぱっと返してくれました。だから、改札口の周りにはいつもきっぷの切りくずが散乱していました。駅によっては改札鋏の下側に、カメラのプラスチック製のフィルムケースを取り付けて、切りくずが下に落ちないようにしていました。改札鋏は駅によって切り込みの形が異なり、またきっぷに入れる切込みの位置も時間帯によって異なったりして、不正乗車防止を図っていました。1分間にさばく人数も今の自動改札以上だったと思います。もっともどこまで性格に乗車券をチェックしてたかは不明です。

今回の写真は、消える魔球を投げる星飛雄馬です。土ぼこりが舞っているのが消える秘密です。

2008年9月11日 (木)

昭和の鉄道の思い出4 缶ジュース

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昭和の鉄道の思い出、4回目は缶ジュースです。昭和の時代は、缶入りドリンクと言うと、コカコーラやファンタなどの炭酸飲料か缶コーヒー、バヤリースオレンジなどの果汁飲料が中心でした。まだ一部ビン入りドリンクもあり、窓際のテーブル下には栓抜きがついていたりしました。缶やビンなので一度開けると一気に飲み干すしかありませんでした。

今はウーロン茶や緑茶系飲料、スポーツドリンクなどもあり、選択の範囲が大幅に広がりました。ウーロン茶や緑茶飲料がでたときは、こんな薄味なものにお金を払うなんてなんて無駄なことだと思いましたが、今ではなくてはならない飲料になりました。またペットボトルも普及したため、ふたをすれば一気に飲み干す必要もなくなり、旅行での持ち歩きにも便利になりました。

最近は旅先で2リットルのペットボトルを持ち歩いている人をよく見かけますが、確かに500ミリリットルのペットボトルより割安ですが、ぬるくなってしまい、鮮度も落ちるのでどうかと思います。

写真は、自動車レースに優勝したルパン三世です。優勝カップはこの数秒後に爆発します。

2008年9月10日 (水)

昭和の鉄道の思い出3 ウオークマン

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昭和の鉄道の思い出、3回目はウオークマンです。基本的には列車に乗っている時は聞かないのですが、ローカル線の乗り換えの長時間の待ち時間などには音楽を聴きます。

私が鉄道旅行を始めた時期は、まだウオークマンが登場してからまだ3~4年くらいの頃です。私が持っていたのは、カセットテープのケースと同じくらいの大きさで、単3乾電池1本で動くものでした。当時としては最小サイズだったと思います。1本の電池で7~8時間程度動いたのではないかと思います。旅行に持参するのは、お気に入りの曲だけを録音した90分テープが3~4本でした。もっとたくさん持って行きたかったのですが、他の荷物の分量との兼ね合いでこれくらいが限界でした。当時よく聴いていたのは、オフコース、松任谷由実、ハイファイセット、チューリップなどニューミュージック系でした。オートリバースではなかったので、テープが終わると自分でひっくり返さなければなりませんでしたし、電池のもちも良くないので、替えの電池も用意しておかねばならず、電池代が結構かさみました。

一方、今私はⅰPodを使用しています。重さ50gもないサイズで、700曲も入れてあります。昔のようにどのカセットを持っていこうかと悩む必要はまったくありません。1回の充電で24時間稼動するので、普通の旅行であれば、途中で充電しなくても大丈夫です。替えのカセットテープや電池の大きさも含めて計算すると、昔の30分の1くらいの大きさではないでしょうか。今は胸のポケットにいれていても、自分でもまったく気づかないほどです。技術の進歩というものは、凄いことだと思います。

写真は、ルパンからの連絡を無線で聞いている次元大介です。

2008年9月 9日 (火)

昭和の鉄道の思い出2 現金

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昭和の鉄道の思い出2回目は、「現金」です。旅行中は、普段よりも出費が多くなるので、どうしても現金の持ち歩きが増えてしまいます。宮脇俊三さんも「時刻表2万キ」の中で、「旅行にどの程度現金を携えるかは難問である」と言っています。宮脇さんの著作の時代(昭和50年代前半)は、キャッシュカードやクレジットカードが今ほど普及していなかったので、このような話になるのでしょう。私も旅行かばんの奥底に現金を隠し、非常に備えていました。

昭和の時代は、銀行のATMは、平日は18時まで、土曜は15時まで、日曜は営業せずという状況で、しかも銀行間の提携も進んでいなかったので、自分の取引銀行以外ではほとんどお金が下ろせませんでした。今は、平日夜、土曜、日曜もお金が下ろせ、しかも他行やコンビニATMも利用できるので、ほとんど日本全国でお金が下ろせます。手数料は若干とられるものの大変便利になりました。

また、クレジットカードの利用できるところも増えたのもありがたいことです。昭和の時代は、私は学生でしたので、クレジットカードを持てませんでしたので、やはりある程度の現金を持ち歩く必要がありました。今は、ホテルはもちろん、JR各駅、空港、お土産屋さんなど、高額の支払いがあるところで、必ずクレジットカードが使えるので、ますますお金の持ち歩きが少なくなりました。

また、今は電子マネーを使えるのも非常に便利です。少なくともJR東日本の仙台以南の地域で旅行する限りは小銭も多く持ち歩く必要がなくなりました。最近はいちいち財布から小銭を出すのが面倒になってきました。

このように旅に持ち歩く現金も昔語りになりました。

今回の写真は、現金持ち歩きとは縁のない、花形モータース社長の息子、花形満です。

2008年9月 8日 (月)

昭和の鉄道の思い出1 電話

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前日のブログで昭和は遠くなったという話をしたので、今回は私が鉄道旅行を始めた昭和50年代と今との鉄道にかかわる社会の移り変わりをお送りしたいと思います。ます1回目は電話の話です。

昭和の頃は携帯電話もなく、外で電話をかける場合は必ず公衆電話でした。長らく10円玉しか使えない赤電話が中心でしたが、これだと長距離通話をする場合は、10円玉をたくさん用意しならず、非常に不便でした。その後、100円玉も使える黄色い公衆電話が現れ、長距離通話には便利になりましたが、100円玉でかけたときはお釣りが出ないのが難点でした。宮脇俊三さんの「最長片道切符の旅」の中でも、黄色い公衆電話で家族に連絡するくだりがでてきます。その後、テレホンカードが使える緑色の電話ができて、硬貨を持ち合わせる必要がなくなり、大変便利になりました。また、テレホンカード自体も様々なデザインのものができて、カードを集めること自体も趣味の一つになりました。

電話機自体の変遷はあるものの、どちらにしてもこちらからかけなければ、旅行者と連絡する手段はありませんでした。連絡がつかないほうが、かえっていいこともありますが、やはり家族に何があるかわからないので、旅行中は1日に1回程度は自宅に電話したり、旅行中の滞在先のメモを残しておいたりする必要がありました。種村直樹さんの「さようなら国鉄最長片道きっぷの旅」では、著者の旅行中に父親が死亡し、国鉄バスで旅行中の著者に国鉄本社経由でバス運転士に連絡が入る場面があり、国鉄ネットワークのすばらしさを伝える記述になっていますが、緊急の場合はこのような形で連絡しなければ、旅行中はまったく音信不通状態でした。

今は携帯電話で全国どこにいても瞬時に連絡がつく時代で便利になりましたが、旅にいてもいつ連絡がかかってくるか分からず、逆に落ち着かない時代にもなりました。

上の写真は昭和の代表的光景である「ちゃぶ台をひっくり返しながら星飛雄馬を殴り飛ばす父一徹」です。

2008年9月 7日 (日)

左沢(あてらざわ)線左沢駅

左沢(あてらざわ)線左沢駅
郡山総合車両センターを見学した後、磐越東線、男鹿線などを乗り歩き、9月7日16時06分ここ左沢駅にやってきた。
前回この駅に来たのは、朝の連続ドラマ「おしん」の放送中の頃だったので、今から25年位前のことになる。駅前に「おしんのふるさとへようこそ」という看板が立っていて、おしんの絵と並んで写真が撮れるようになっていた。
私は日本の鉄道全線を完乗しており、国鉄線については国鉄時代に完乗しているのだが、国鉄線がJRになったからといって同じところを走っているのだから、わざわざ乗り直しているわけではない。しかし、そうはいうものの機会あるごとに過去に乗った線も乗り直してはいる。そうこうしているうちにJR東日本の線もほとんど乗ってしまい、この駅でJR東日本の完乗を果たすことになったのだ。国鉄の分割民営化から21年も経ったわけで自然体で乗っていると結構時間がかかるものだ。
前回あった「おしん」はなく、その代わりに「最上川舟歌のふる里」の看板があった。駅舎も建て直されていて昔の面影はなかった。「おしん」を示す唯一のものは駅に併設された地域交流センターにあった「おしん慕情」というおみやげだけだった。おしんも国鉄もなくなり、昭和は遠くなりにけりである。

2008年9月 6日 (土)

郡山総合車両センター車両基地祭り

郡山車両センター車両基地祭り
9月6日、郡山車両センターの車両基地祭りに行ってきた。今回の目的は車両基地祭りそのものというよりも、郡山駅と車両センターとの間に運行される臨時列車に乗ることだ。つまり普段は乗ることのできない路線に乗ることができるわけで、鉄道全線完乗した私としては見逃すことのできない列車なのだ。
この列車の存在はインターネット(鉄道イベント情報)で検索していたらたまたま3日前に発見。その後すぐに指定券やホテルの手配をして今日に至った。
列車は3本運行されるのだが、それに乗るには整理券をゲットしなければならない。1本目の列車の整理券は朝9時から配布されるので私はやまびこ43号で8時25分に現地に到着。その時点で列は60名前後だったが家族連れがあとから横はいりしたりして、1列車200名なので不安になったが結局無事ゲット。整理券番号は72番だった。
整理券を渡されるといったん解散。9時45分に再度集合し、係員の誘導で6番線ホームに移動。車両はキハ110系2両編成、先頭車両でかぶりつきを楽しむ。既にご同業がふたり陣取っていた。誘導信号機が切り替わり、定刻10時05分に発車。子供が多いのでとてもにぎやかだ。
東北本線とは別の車両基地入線用専用線をゆっくり走る。スピードメーターは10km/h程度をゆらゆらと指し示している。途中何回か安全確認のため一時停止しながら進行し、郡山駅から約10分かかって会場に到着した。工場の中に頭を突っ込むようにして停車。簡易ホームが設けられ、そこから下車。簡易ではあるものの基地祭り会場を示す駅名票もあった。わずか10分の乗車だがこれで記録が一つ増えたことになる。
基地祭り自体は新型ジョイフルトレインみのりの展示などの見どころもあったがやグッズ販売はあまり充実はしていなかった。私は職員用食堂でカレーライスを食べ、会場を後に徒歩で郡山駅に向かった。

2008年9月 5日 (金)

私の好きな路線3 瀬戸大橋線

私の好きな路線の3回目は瀬戸大橋線です。この路線ができて早いもので、もう20年になります。国鉄が分割民営化されて1年後、初めてすべてのレールが一本に結ばれたわけです。当時、「レールが結ぶ一本列島」というキャッチフレーズも使われました。

下段が鉄道、上段が高速道路の併用橋で、私は両方とも通ったことがあります。鉄道が下を走るので鉄道の方が眺めが悪いと思いがちですが、すぐ下に海面が見えますし、瀬戸内海の島々もサイドから良く見えます。かえって上の高速道路のほうは空しか見えず、瀬戸大橋のよさが伝わってきません。

海上部分を走るのは、わずか5分ほどですが、海の青さ、瀬戸内海の島々の美しさが雄大に伝わってきます。行きかう船が模型のように見えるのもまた楽しいです。

2008年9月 4日 (木)

私の好きな路線2 御茶ノ水

私の好きな区間、2回目は中央線の御茶ノ水から市ヶ谷にかけての区間です。神田川と外堀に沿った区間を行きます。御茶ノ水の駅は、中央線と総武線の方向別複線になっていて、ひっきりなしに電車がやってきます。神田川の水面すれすれに丸の内線も走っていて、さらに楽しさを添えています。御茶ノ水を出ると、神田川に沿って電車は右に大きくカーブします。ここから、方向別複線から線路別複線に切り替わるため、総武線は中央線を乗り越えて水道橋駅に進入します。飯田橋から市ヶ谷にかけては外堀を利用したボート池や釣堀があり、向こう側の外堀通りは春は桜がきれいです。23区内にありながら、自然に恵まれた区間を行くのが魅力です。

2008年9月 3日 (水)

私の好きな路線1 根府川

今回から数回に渡り、私の好きな区間についてお話します。

第1回目は東海道線の早川から根府川付近にかけてです。高い位置から見下ろす相模湾の雄大さが印象的です。早川駅を出た下り列車は高台に登り、左手に相模湾が見えてきます。穏やかな海、きらきら光る水面、海の広さを実感できる水平線、それらが、ときおりトンネルに入りながら、見渡せます。東海道線の中でも一番景色の良い区間で、日本の鉄道の中でも指折りの区間だと思います。かつては、根府川駅を出るとすぐにある、白糸川橋梁からの眺めもすばらしかったのですが、強風対策で鉄橋上にできたフェンスのおかげで眺めが悪くなってしまったのは、やむをえないとはいえ、残念です。

東海道線のはるか下を海岸線すれすれに国道135号線が通っていますが、ここからの相模湾の眺めも好きです。低い位置で鉄道ほどは雄大な眺めはありませんが、潮風を感じながら走る快適なシーサイドドライブが楽しめます。鉄道でも車でも楽しめるのがこの区間の特徴です。

2008年9月 2日 (火)

ひたちなか海浜鉄道

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8月31日、ひたちなか海浜鉄道に乗りにいきました。この線は今年4月に茨城交通から組織変更で現社名となりました(それまでの茨城交通単独の会社から、茨城交通とひたちなか市の出資による第3セクターに変更)。経営形態が変更になっても、走る線路自体は変更になるわけではないので、基本的に乗りなおしはしないのだが、この線には25年前に全線乗り、10年前に関東の駅100選スタンプラリーで途中の那珂湊駅まで来たことがあるだけなので、この際もう一度全部乗りなおそうと思い、やってきた。

13時14分発の列車に乗る。車両は1両、側面にひたちなか海浜鉄道の社名がしっかり記されているが、駅舎や改札には大きな表示があるわけでもなく、それ以外は特段大きな変化はない。テツが5、6人乗っている。皆一人旅のようだ。座席はオールロングシート、ワンマン運転で、車内アナウンスの放送が少し音が小さい。

運転方法は、ちょっと加速してはすぐノッチオフし、省エネ運転を心がけているようだ。10年前に乗ったときにもそんな運転をしていたのを思い出した。したがって走行時はアイドリングの音がやけに響く。

那珂湊で交換する。駅構内が車両基地になっていて、廃車予定のさびついた車両も数台あった。そのなかでステンレス製の車両が1台あった。東急の初期のステンレス車両のように車体にコルゲーション(ひだ)がたくさんあったが、ディーゼルのステンレス車両は昔は珍しい。

終点、阿字ヶ浦は無人駅になっていた。駅のホームは意外に長く、3両編成の列車が停止できるように停止標識があった。昔は海水浴客でにぎわうこともあったのだろう。この駅にも留置線に廃車が2両放置されていた。

経営形態が変わったということで久しぶりに乗ったが、あまり変わったという感じはしなかったが、10年前に乗ったときよりは乗客は多いような気がした。今後とも末永くがんばっていってほしいと思う。

2008年9月 1日 (月)

私の好きな駅5 京都駅

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私の好きな駅の第5回目は京都駅です。ここは駅自身の魅力というよりは駅ビルを含む空間の魅力と言えるかもしれません。駅を中心に、右手にJR京都伊勢丹、左手にホテルグランヴィア京都が並び、そこが巨大な吹き抜けになっています。これだけであったら、どこにでもある駅ビルですが、右手伊勢丹側には幅広な階段とエスカレーターが10階まで伸びており、最上段まで登り、下を眺めると駅自体が谷底にあるようなイメージになって、これがこの駅の魅力になっています。また10階には展望スペースも設けられており、駅に出入りする列車の様子が見られるのもうれしいところです。全体的に暗いイメージになっていますが、シックで落ち着いた雰囲気も醸しだしています。また、吹き抜けの上部には空中回廊が架けられており、ガラス張りのため、下を眺めるとスリルがあります。

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